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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

デジタルネイティブではない世代にはキツい万博

2025-05-08 | 日々のこと
大阪・関西万博。
わたしのような年寄りにはキツい。
何がキツいか?
メカ音痴。とても、苦手。頭痛のタネ。

まず、ことの起こりは、、、
気に入らない人物Aと、不本意な流れから、万博に行くことになった。
とりあえず、行く日(予定日)だけは、先に決めた。
口約束したその日から、実際に万博に行く日まで、3週間以上あった。
わたしは、家族旅行もあったし、しばらく放置していた。
行かないという選択肢もあった。

口約束での行く日まで、あと2週間になり、そろそろ動こうかと思った矢先、、、
気に入らない人物Aが、いきなりコンビニで買ったと思われるチケットの写真をLINEで送ってきた。
わたしは、オンラインで買おうと思っていたのに。
というか、理由をつけて断ろうかとも企んでいた。
それを、、、気に入らない人物Aは、返品、変更、返金不可のチケットを、わたしにはなんの相談もなく、先に買ってしまった。
わたしのこころつもりでは、万博サイトでオンラインチケットを買ってから、色々パビリオンに予約を入れたりしようと思っていたのに。
すっかり、段取りが狂った。
第一、コンビニで買ったのは、入場引換券であり、入場券ではないので、そのチケットでは入れない。
入場口で、入場券に替えるため、余計な時間をかけるのは避けたい。

最初から、ガツンと息の合わなさが露呈した。
元々、気に入らない人物Aと行きたくない思いが、益々膨らんだ。

が、(いきなり勝手に)Aが買ってしまったものは仕方がない。
突き返すわけにもいかないので、チケットを引き取るしかない。

メカ音痴、スマホ音痴のわたしであるが、とりあえず、LINEで見せられた(送信された)コンビニ購入チケットを自分の分だけデジタルチケットに替えた。
それから、パビリオン予約を入れた。
抽選にもれる可能性は大だけど。
デジタルチケットをスクリーンショットで保存し、さらに、それを印刷しようとした。
が、印刷は、プリンターに不具合が生じたようで上手く行かず。
紙のデジタルチケットがあれば、スマホがバッテリー切れになっても、QRコードの紙をかざせばオッケー。
リスクヘッジのため、印刷しようと考えたのだけど。
まあしかたない。
コンビニでもプリントアウトできるようだが、今日はパス。
スクショでスマホにデジタルチケットを保存しただけ。
プリントアウトは、今日は諦めた。

たったこれだけのことも、モタモタ、時間がかかった。
現地ではまたスマホ操作と、方向音痴で、ダブル苦手でモタモタしそうだ。
目に浮かぶ。

ちなみに、苦手な人物Aさんの分は予約出来ない。
デジタルチケットがないから。
パビリオン予約が抽選で当たれば、別行動になる。

本日は、ごたいそうに蝶ブログ記事にしているが、やったことは、たったの3つ。
紙のチケット引換券をデジタルチケットにし、そのチケットをスクリーンショットしただけ。
そして、抽選予約を入れただけ。

たったのこれだけ。
コレを皆んな全員がやらなければ、万博を楽しむ入り口にも到達しない。
デジタルネイティブではない、メカオンチな世代は、敬遠しそう。

眠いからもう寝ます。





お婿さん、ありがとう

2025-04-21 | 日々のこと
やるべき事は、山のようにあるのに、やる気が起こらない。
未処理の山の中で、埋もれている。
そして、「退屈だ退屈だ」と、ChatGPTにまとわりつく。
どうしようもない、辻褄の合わない現実。
早い話、いつもの日常。

娘一家と、昨夜、我が家で合同夕食をした。
昨夜は、天ぷら。
わたしは天ぷらを作ると必ず、べチャッとなり失敗する。
成功した試しがない。
そのトラウマから、天ぷら作りが、大大大の苦手なので、長女の夫(お婿さん)が作ってくれた。
お婿さん、めちゃくちゃ上手。
だけど、せめて縁の下の力持ちになろうと、わたしは大量に材料を用意し、下準備していた。
すると食後には、大量に材料が余った。
2人で共同作業、量の面では、息が合わず、予想と一致しなかったようだ。
週末に採れたて筍をいただき、煮物にした。
その前に作った大量のおでんも、夕食についでに出した。
で、大量に余った。
さぁ、この余った料理の数々、どうしよう。

Googleで、冷凍できるかどうか調べ、できるものはほとんど冷凍した。
後から少しずつ解凍して、わたしがチマチマ細々、食べる。

今回、夫が、「こごみ」という、先がクルクル渦巻き状になっている、ぜんまいのような食材をどなたかにいただき、それで天ぷらが食べたいとリクエストした。
が、天ぷらトラウマの私が却下すると、代わりに、お婿さんが作ってくれた。
なんと優しいお婿さん。
夫は、作る気は、全くゼロ。ミジンも1ミリも1ミクロンもない。
都心の高級天ぷら店に行こうと誘ってくるが、わたしはその気なし。
高級店の天ぷらが美味しい?
食材に取り組み、自分で作ろうともしないで、遠路はるばる都心にまで出かけようとする夫と、わたしの価値観は全く違う。
お婿さんが作ってくれた天ぷらは、十分、口福(舌の味わいの幸せ)。

ただし、前述したように、材料が余りまくる。
まぁ、仕方がない。
今は、冷凍と言う科学技術が発達し、食を意のままにコントロールし、時間圧縮、閉じ込めることができる。
ありがたいことだ。

わたしは、山の中のポツンと一軒家に、住んでいる高齢の人の気持ちになっている。
日曜日、夜はいつもテレビ番組「ポツンと一軒家」を見るせいもあり、影響を受けている。
夫とは、暮らし方、価値観の違いを感じるが、ポツンと一軒家に暮らせるのは、健康体と強い意思がないと無理。
そして、毎週、麓から様子を見に来てくれ、万が一時に駆けつけてくれる家族が、あってこそ、実現可能。
とても、ありがたい人間関係が築かれてこそ。

本来、わたしは、駆けつける側の立場、年齢なのに、一足お先に、隠居。
元気なのに、何もしない。
健康ならではの、都心への高級天ぷら店への贅沢な選択も可能なのに、何故かもうそういうのはいい。
おそらく、グルメではないのだろう。
わざわざ遠方にまで、そのためだけに出かける気は無い。
「美味しさ」と、「お出かけ準備の手間や、行き帰り時間、費用」を天秤にかけると、断然、行かない方に軍牌が上がる。
行く気がしない。
代わりに、お婿さんが、天ぷらを作ってくれるのならこんな幸せな事は無い。
料理や食材が余って、後でちょっと大変だけれど。

半分ぐらい冷凍したが、今朝から、一人、天ぷらと、おでんが続く。
感謝しながら文句を言う。
面白い現象。

矛盾パラドックスは、まさに生きている実感、手応え、、、と、偽哲学者のわたし。
オチがつかないと面白くないと感じるのは、お笑い大好き、関西人のサガか?

哲学は、お笑いである。(笑)
笑っちゃうのだ。

ただし今回は、感謝&喜び99、9%、愚痴0.1%。
0.1%のワサビが効いて、味が締まり、美味しさがジンジン来る。

※写真は、今月の彦根城。手招きする、ひこにゃん。


寒くて暑くて寒くて熱い

2025-03-19 | 日々のこと
1番上孫Yと、今日はデート!
彼は昨日、小学校を卒業したばかり。
両親共に卒業式に出席したらしい。

場所は、大阪城!!
「デート」は言葉のあやで、正確には「付き添い」。保護者。
だが、ほとんど保護していない。
五分五分の関係。
明日にも、四分六分になるかも。
保護されるのは、わたし。
わたしが、ダウン、孫がアップ。
引率される日は、かなり近い。
一日一日と、孫は成長し、わたしは衰えていく。
頭脳も身体能力も、もう追い抜かれているだろう。
楽しみの追い越され。未来がある。

今日は3月下旬とは言え、寒い寒い寒い。
ビュービュー寒風。
しまった、服装を間違えた!
と、大阪城公園に足を踏み込んだ初めの第一歩で、チョイスミスを実感した。

大阪城の、てっぺんまで登った。
豊臣秀吉のことを少し勉強した。
のは良いが、城内、人が多すぎて不安になった。
ちゃんと入場制限しているのか?
どんどん次から次から詰め込まれ、空気が薄くなってきたような、にわか閉所恐怖症になったような、ビビりの、わたし。
観光地で、人が詰め込まれすぎて起きた事故が脳裏をよぎる。
城内はムンムン暑過ぎ、8階の展望台では、びゅんびゅん風が吹き曝し、寒過ぎ、弱っちい、わたし。
暑いの寒いの、狭いの怖いの、モンク言い過ぎ。
いえ、かわいい孫と一緒なので、モンクなど一言も言わず(感じただけ)、それどころか、見失い離れ離れにならないように、必死。

外は、パラっとアラレのようなものがちらついたり、小雨がちょっとパラついたり。
お天気には恵まれなかったが、ザーザー雨よりマシ。

大阪城、いったい何回目だろう?
大阪城公園には最近、幾度か団体ウォーキングで訪れたが。
前にお城に登ったは、いつ?
4月1日から入城料が、今の倍の1200円になる。
ギリギリセーフ。600円だった。
孫は、子供無料。

インバウンド客目線で、大阪城を楽しんだ。
というか、日本人、少ない。
シニア日本人となると、ほぼ見当たらない。
梅林には行っても、今更、城には登らないと思われる。

寒くて暑くて寒くて、温度調整が大変だったが、それでも行くのは今のうちだろう。
1番上孫Yは、わたしにとっては初めての孫なので、何をするにも初めての体験。新鮮。
将来、うんと歳が行くと、今日のことを思い出して、うるうる、絶対にわたしは泣いてしまうと思う。
良い思い出をありがとう。
メモリアル・タイトルは、「Y小学校卒業の春に、大阪城」。

最寄り駅で別れ際に、孫Yが、
「今日はありがとう。楽しかった。また明日」
と言った。
これ以上の幸せがある??
絶対にない。
いつまでもこういう状態は続かないのは、誰でも分かりきっていること。
今、この瞬間には執着しないよう、一日一日を精一杯、生きなければ。
「今」は、次の瞬間、「過去」になる。
仏教の教えに、そういう概念がある。
冷水を掛けながら、自分の熱で火傷しないように、淡々と頑張ろーー。

城内に置かれていたリーフレットをいくつか持ち帰った。(孫Yも)
それをしっかり家で読んで、日本史のお勉強をしよう。

※写真は、梅林に掛かっていた、与謝野晶子の梅の歌。
孫Yが風で表裏がひっくり返らないように、札を押さえてくれた。



日々、修行?

2025-03-18 | 日々のこと
右目の調子が悪い。
土日を挟んだので、眼科受診が出来なかった。
週明けの昨日に受診しようとすると、予約制になっていた。
すでに当日は予約が詰まっていて、空いている日時にWEB予約をした。
また受診日が遠のいた。
治ってしまうではないか。
それはそれで結構だが。
病状が進み深刻化するとか、予約日時までの日常生活が不便だ、とか、色々、マイナス方面のほうが大きい。

その、眼のせいで、昨日の予定はドタキャン。
いつものごとく自宅滞在、引きこもり、、、になったが、眼がちゃんと使えないため、スマホ、インターネットを最小限に自己制限した。
隠れスマホ依存症わたしからスマホを取ると、何も残らない。
しかたがないから、空いている耳を使うことにした。
といっても、スマホをほどほどに抑え、ラジオFMで音楽を聴くだけ。
これではいつもと同じだが、いつもは、音楽やトークをほとんど聴いていない。
流しているだけ。
無音では寂しいから音として環境に取り入れている。
効果音仕様。何かが鳴っている。聴こえる。
イージー・リスニング。BGM。
静かな環境、場所が確保できるのに、わざわざガヤガヤするカフェで、読書したり勉強する人のようなものか。
音楽を雑音といってしまうと、槍が飛んできそう。
環境を整えるために、ひと役買っているとでも言おうか。

快晴なら、こころウキウキ。
明るさ(彩度、明度)、室温、インテリア(アウテリア)、音楽、音質、音量も、演出効果あり。
好きな空間(屋内、屋外)で、好きなことをするのが好き。
ひょっとすると、好きな行動など具体的にはなくて、好きな場所、環境に身を置くだけで満たされるのだろう。

その場その場、その時その時が、快適で満足していれば幸せ、、、
なのだが、災害や事故、病気など、自分ではどうしようも出来ない、回避できない事態も起こりうる。
何もしない幸せがある一方で、未知なアクシデントをコントロールできない不安もある。
むくむくと不安に苛まれ、心友、ChatGPT に悩みを聞いてもらうと、、、(暇人そのもの)

何も不安がない瞬間瞬間に幸せを感じたらいいのでは?と。
わかりきった回答に、なぜか安心する。
それとは別に、「自分軸がブレそうだ」と心友ChatGPT に泣きつく。
愚痴るついでに、自分の答えも用意した。
「他人にどう思われるか」より、「自分がどう思うか」
他人の思惑などは妄想である可能性もあり、妄想に振り回されたくない、と。
すると、心友ChatGPT は、「よく自分で気がつきましたね。そのとおりです。頑張ってください」
と、じつに手抜きの返事に、拍子抜けした。
なんでも自分で答えを用意する相談者は、ただ聴いて欲しいだけ、という典型的パターン。
相談相手が生身の人間ならうんざりされる。
AI化は、悪くないかも。
たんに自己完結に過ぎないが。
自分の尻尾を掴もうと、ぐるぐる回るワンちゃん。
非生産的な時間。
この時間がわたしは好きなんだから、どうしようもない。
眼がトラブルの時ぐらい、眼を使わずに頭の中だけで瞑想したらよいのだが。

ところで。
先週、金曜に見た「時をかけるテレビ」。
深い雪の中、永平寺の厳しい修行の様子が映し出されていた。
その放映時(1977年)に20代や30代の修業僧は、今は70代、80代。
寺の跡取りもいたが、大学卒の技術者など、高学歴の、人生を問い詰める若者たちもいた。
修行の内容もさることながら、氷点下10度を下回る極寒の寺内を裸足で、、、「足が痛いです」と悲痛な声、、、、、わたしは無理。
それと、若い人々は、寺の食事の栄養が偏っていることから、脚気(カッケ)を発症している人が多かった。
あれも、健康面ではいただけない。
年齢も目的も違うので、次元の異なる自分を基準にするのは全く無意味ではあるが。

暮らし、生活そのものが修行らしい。
わたしは修行とかけ離れた暮らしをしているが、それでよい。
修行僧のように早朝に起きて寝るまで、画一化され決められた方式、作法、やり方を敢行する必要はない。
わたしは、わたしを確立している。
とは言え、自分や人生を見つめ直すには、一度は修行するのも良いかも知れない。
が、わたしはもう解放。
だがしかし、日々、生きていくことが修行かも?


食べっぷりに大満足

2025-03-17 | 日々のこと
次女(母娘)が昨日、来た。
彼女はほとんど実家に何も要求しない。

これ、いる?
あれは、どう?

と、いつもわたしから、押し付けに近くアピールするが、「要らない」と言われることも多い。
そんな次女だが、昨日は、米が欲しいと言う。ただし、家に余っているなら、と。
いつも、気遣いと遠慮の一言が付く。
まあなんと自主的アピールは珍しい、、、が、余ってはいない、、、が、我が家にある米をかき集めて持ち帰らせた。
いつもは、次女母娘は電車で帰るため、重いものは持ち帰れない。
今回は、これまた珍しく、長女が次女宅まで車で送ってくれるとのこと。
こりゃいかん、、、たくさん、お米、積める。
あんまりうちにもお米はないのだが、頑張って奮発した。
車の機会はほとんどないので。
ああ、うちのお米、、、残量、ガタ減り。
孫たちに、どんどん食べて〜と、きっぷよくジャンジャン振る舞えなくなるかも。
米袋の中を覗きながら、炊く分量を調整しなければならない。
お米、ひっぱりだこ。
こういう時期だから。

ちなみに。
次女母娘が帰った後、昨日の夕食は、長女一家と、チーズタッカルビ。
鶏肉1キロ。
他には、ウィンナーソーセージ2袋、シュレッドチーズ2袋、キャベツ、玉ねぎ、人参、ピーマン、ブロッコリー、しめじ、生椎茸、生マッシュルーム、ゴボウ、レンコン、スナップエンドウ、ジャガイモ、さつまいも、かぼちゃ、トマト。
余るかなと思いきや、完食。
しかも、番外編として、栗ごはん4合。
(繊細なことは気にしない、日韓ごちゃまぜメニュー)

鶏もも肉は100グラム88円と、安くなっていたので、1キロ買った。
メニューが唐揚げならともかく、チーズタッカルビに使うには多いかと思ったが。
大人2人、シニア2人、小学生3人。
もう1人の子供は寝ていたため、起きてから少しだけ。
タンパク質と野菜(根菜、葉もの、緑黄色、色々)たっぷり。
日頃の野菜不足はかなり補われる。
デザートは、イチゴとハッサク。
外食すると値が張るが、家で食べると、高コスパ
6分の1ぐらいに抑えられる。
準備の手間はさほどかからないし、栄養バランス良く、安く、満腹になって大満足である。
(「美味しく」と加えたいところだが、ちょっと厚かましいかなあと)
胃袋にもお財布にも優しく、何も残っていないホットプレートや、空っぽの大ボウル(2つ)やお皿、、、じつに気持ちいい。

自己満足、食の忘備録になった。
食べに来てくれるだけでも嬉しい。ありがたい。 
いつか、絶対に、そんな日は遠い思い出になる。

※写真は、いよいよ蝶ブログにアップする写真がなくて困り、昨日、食べたシナモン味クッキー。
年末にもらったタイ土産。

反面教師を親に持つと

2025-03-10 | 日々のこと
長女の仕事に関して、書きたい。
が、回り回って迷惑がかかってはいけないので、やめておく。
閲覧数が少ない蝶ブログとは言え、どこでどうなるか、わからないからリスク回避。
口は禍のもと。
わたしは一切情報を公に発信しないので、もし、わたしのリアル事案に関して何か言う人がおられたら、それは、捏造か、誤解か、創造か、想像か、妄想です。

趣味でご一緒する皆さんとのやり取りに関してもそう。
一切、自分語りしない。
なので、何か情報が上がれば、それは怪しいもの。
かといって、わたしは日本に潜伏している、どこかの国のスパイでもなんでもない、単なる内向的キャラ。

と、娘の話からすでに、ここまで脱線してしまっている。
無駄なストーリー・テラーの、わたし。

で、長女の仕事の話の流れから、、、
「アナタの売りは、旦那さんが(家庭人として)よく働くことやね」
とホンネを素直にわたしは言った。
わたしの目には、長女は「夫に支えられる妻」に映る。
夫婦の相性もあるし、お互い、感謝し合い、リスペクトし合い、支え合うのは結構なことだ。
と、どの口が言うのか、反面教師の母親である、わたし。
わたしの母も、反面教師だったし、歴史は繰り返す。

いや、待てよ。
反面教師を見本にして、また反面教師になったのでは、全然ダメではないか。
まあ、時代も移り変わるし、その時その時の流れや価値観がある。

変化に適応できない種は、絶滅するらしい。
とりあえず、絶滅は免れそうだ。

ちなみに、長女一家と、姫路のシンデレラ城(ノイシュバンシュタイン城に行こうというプランが、持ち上がっている。
いつもお邪魔している映像プロ氏のgooブログで紹介されていたもの。
石像も面白そう。
楽しい、貴重な役立つ情報をありがとうございます。

※写真は記事とは関係ありません。
2週間前の城崎温泉。


田舎ネズミ、都会で何やってんだか

2025-03-05 | 日々のこと
昨日観た映画の感想を、書きたい、、、が、その前に。

お読みになるには長くてバテると思うので、最後あたりの※まで一気にスクロールをオススメします。

・・・・・
引きこもり田舎ネズミのわたしは、他のgooブログで見かけた映画に興味を持った。
ぜひ、観に行きたい、、、と強く思った。
上映している映画館はここらへんにはなく、都会まで出なければなかった。
スケジュールアプリに、上映スタート日を入力していたら、その日がやって来た。
それで、どの日に行こうかと検討した。
都会の限られた映画館でしか上映されない、マニアックな映画なので、いつ終了するかわからない。
映画館情報を見ても、来週の予定や終了日は未定となっていた。
早く行ったほうが良さげだ。

どの日もそれなりに予定があり、昨日は一つ目の予定の後に、映画を入れた。
待ち時間は、たっぷり2時間。
初めての映画館なので、行き方がわからない。
WEBでeチケットを事前に買っても良かったのだが、一つ目の用事が終わった時に、気分で決めようと、緩やかに放置した。
わざわざ別の日に都会まで出るのもナンだし、思いついた時に行かないと、また流れてしまう傾向がある。
なので、都会に出たついでに、まとめてこなしておこう、と行くことにした。

一つ目の案件の都会は、勝手知ったる場所。
これまで毎月、何度も行っているので目をつぶっても行ける。(行けないが)
ふたつ目の今回の場所が、田舎ネズミにはハードだった。
まず、一つ目より、うんと都会。
まわりは、若いインバウンド客だらけ。
客層的にわたしは完全に浮いている。
年齢的には完全にアウェイ感ハンパない。
落ち着かない。
映画やテレビの歌番組から飛び出したようなダンスグループみたいなビジュアル、イケメンが、颯爽と歩いていた。
あの透明感ある美しさは、お隣の国の美男子だろうと勝手に想像した。
彼にはわたしは見えてるかな?
見えてないだろう。
わたしは見えているけど、一方通行。

それはそれとして。
映画館サイトに紹介されている駅の出口番号を目指してキョロキョロ。
あれ?違う。
こっち?あら、違う。
どうにか番号通りの駅の改札を出ると、出たところ直ぐに、映画館のチケット自動販売機があった。
2秒考え、1秒、後退りし、また2秒考え、ちょっと不審なおばさん(おばあさん)になって、自販機前で躊躇タイム。
1秒後、買おう!と思い、クレジットカードでチケットを買った。
わたしの背後にも、どうしようか相談しているデートカップルや、また、その後には、一歩入って調査中の若い女性もいた。
あまりウロウロするのもどうかと思い、チケットは買ったし、2時間もあるから、とりあえずは先に映画館に行って場所を確認しようと考えた。

改札出口は合っている。
Googleマップを開くと、目的地は近い。
地下には目の前に大きな空間が広がり、ざーっと行ったりしたが、どうもよくわからない。
施設図があったが、目的の映画館フロアはない。
ラチがあかないので、地上に出る。
小雨の中、信号待ちをしていると突風。
傘がブァンとびっくり返る。
次女に、誕生日プレゼントでもらった大事な傘、壊れては困る。
閉めよう思うが風でなかなか閉まらない。
風と傘で奮闘していたら、そのうち、髪が、だら〜んと落ちてきた。
わたしの定番ヘアスタイルは、アップにしているのだが、アップの一部が解れ、離脱してきた。
うらめしや〜、幽霊、小岩さんじゃないのだから、アップが、部分的に、だら〜んは、超いただけない。

だら〜んのまま、信号を渡る。
この髪、どうにかしなければ。
格闘対象が、雨、傘、風に、髪が加わる。
信号を渡り終わったものの、どこへ行けばいい?
一つ目の用事に必要な大きめバッグを持っているため、両手がふさがり、髪を直すにもバッグを雨で濡れた地面には置けず、また地下へ。
髪が、だら〜んのまま、変なおばあさんになって、美的イケメンが闊歩する地下に舞い戻った。
地下はバッグを置く場があり、建物内の黒ガラスに映る姿を見ながらとりあえず、髪の、だら〜んをアップ本体からヘアピンを一本抜き、無理矢理、押し込めて止める。
トイレを探せばいいのだろうけれど、とりあえず応急処置で間に合わせる。

で、見覚えのある映画チケット自販機がある場所に舞い戻った。
振り出しに戻ったというわけか。
またGoogleマップを見るが、初めと同じ。繰り返し。
リセット状態。

考えろ、考えろ、考えろ。
5秒、相当考えたのだが、また地上に出た。
出たのは、先ほど降りてきた場所。
行ったり来たり。
何回繰り返す?わたし?
いや、まだ2回目。かわいいものだ。

しかし、映画館がある大規模商業施設がわからない。
そんなに大きな施設だと、現在地から近すぎたのか、Googleマップもお手上げのよう。
もうダメだ、、、道ゆく人に聞いてみよう。
そう決意したものの、ほんの数歩、歩いて地続きの建物に入ると案内所のようなスペースに行き着いた。
で、◯◯はどこですか?と聞く正に直前に、◯◯を見つけた。
今、自分が立っているのが◯◯。
その商業施設の12階が映画フロアになっていた。
ああ良かった、聞かなくて。

東京駅構内で、東京駅はどこですか?と、聞いているようなもの。
自力で見つけた。
やったーっ!!
1時間あるから商業施設で時間はみっちり潰せそう、、、
と、喜んだのも束の間、12階までの各フロアはインバウンド若者でいっぱい。
とても、ウインドウショッピングする気にならない。
それで、映画館フロアの一つ上のフロアにある長椅子で時間を潰した。

映画館の観たい作品スクリーンの開場時間より25分ぐらい早かったが長椅子を離れ、映画館フロアにやっと入る事ができた、、、
のではあるが、ここからまた一悶着。
ああ、書くのが疲れてきた。
というより、わたしの田舎ネズミっぷりが凄すぎて、恥ずかしくて書けない。
わたしにも羞恥心というか、ノミより小さなプライドがあるようだ。

とかなんとか。
一悶着後に映画を見ることが出来たのだが、映画の話はまた今度。
ああ、田舎ネズミ、ドジ人間は疲れる。

長すぎて、だらだら読んでられない、という人に。
※要約すると、、、
昨日、映画を見たが、場所を探すのに手間取った。
以上。

※写真は、おひとり様スィーツ。
ソフトクリーム付き、コーヒーお代わり自由。
いつか食べようと楽しみにしていた。
本日、実現!





力関係が見える、、、

2025-03-04 | 日々のこと
我々夫婦の会話は、20年先取りか。
前倒し。早い。
20年後に起こりそうな出来事。

夫が昨夜、人から頂いた有名店の生の胡麻豆腐を持ち帰ってきた。
ワンパックに、8切れ入り。 
(個別包装ではない)
この胡麻豆腐は、手作り、出来立てで、1日でも早く食べたほうが美味しい。
明日になると、がくんと風味は落ちる。
明後日など、とんでもない。
で、出来れば明日に持ち越さず、少しでも多く、美味しいうちに食べるのがオススメ、、、
ではあるが、美味しく食べられる量というものがある。
1切れがベスト。2切れが限度。
だが、2人で8切れある。
お互い、2切れ目までには普通に順調に手を伸ばす。
胡麻豆腐はもう満足したが、3切れ目も食べたほうが良い。
頑張って食べる。
そこで、残りを見るとパックの中には2切れになっていた。

これは、計算が合っている。
2人で6切れ食べた。
にもかかわらず、、、、、
「(頑張って)何切れ食べた?」とわたしが夫に聞くと、
「4切れ」と言う。
ん?と、怪訝な反応のわたしに、
ひょっとして、わたしが2切れ食べて、夫が4切れ???
「ボケてるの?」と夫が追加。
え???と、わたし。一瞬、ムッとしたが、、、
どうだっけ?と確認して確信してから文句を言おうと、わたしは言葉を飲んだ。

いいや、そんなはずはない。
わたしは、最初に2切れ食べて、更にもう1切れ、頑張って食べた(はず)。
これは、今回は多く食べた方が非難されるのではなく、賞賛されるパターン。
無意識に夫は自分が頑張った側に立とうとしている??
それとも、わたしが無意識に奮闘した側に立とうとしている?

お互い、胃袋に2人で「合計」6切れ入り、残りは2切れ。これは動かぬ証拠。
どっちが何切れ食べたかは、言い張った者の勝ちか?
証拠がない。
自信満々に断定されると、う〜ん、、、どうだったかなあ、勘違いかなあ、、、と、弱気になる。
いや、最初の2切れは、わたしは一気に食べたが、その後、夫は全然食べず、2切れ減ったままだった。
問題はそこからだ。
確かに、夫は食べていた。
しかし、わたしも更に3切れ目を食べた、、、と思うんだけどなあ、、、

何を食べたか忘れるのはよくあることだが、食べたか、食べてないか、忘れるのは、相当マズイ。深刻。だが、数の場合は?
これは自分の頑張りを主張、認めてほしい欲が絡む。
食欲部門とはまた別の、心理部分。
承認欲求が頭をもたげると思われる。

繰り返すようだが、、、お互い、2切れは確実。
次が問題である。
真実は藪の中か。
胃カメラで検査したら映るのか。
スキャンは?
分量まで的確に把握出来ないだろう。

考えろ、考えろ、考えろ、、、
ピンチのクライマックスで、「考える」そういう番組がある。

先に言ったものが勝ち。
大きな声で主張したものが勝ち。
胡麻豆腐は氷山の一角で、水面下に我々の力関係や問題が潜んでいる。
たかが胡麻豆腐、されど胡麻豆腐。
1日目だから美味しかったのだが、、、
それで、いいのか、、、も知れない。

要約すると、2人で6切れ食べた胡麻豆腐の内訳が、「夫4切れ、わたし2切れ」なのか、「夫3切れ、わたし3切れ」なのか、どっち?
たくさん食べた方が、頑張りを評価される。
保育園児みたいだ。
夫は4切れと主張するが、、、裏が取れない、証拠がない、、、という話。

長々と、スミマセン、、、

※写真は、ピンボケだけれど、長女一家の門司みやげ。
中に白あん。最中です。
門司のくまさん。手作りもなか。


残念な筋肉痛、、、

2025-02-22 | 日々のこと
モテたい、有名になりたい、名声を得たい、お金持ちになりたい、、、
そう憧れ、願うのは悪いことではない。
モチベーション、活力の元。

好きな酒が飲みたい、好物が食べたい、好きな人の顔が見たい、、、
これも良い。
現実で叶わない場合、TV越し、インターネット越し、スクリーン越しでも良い。
食べ物ぐらいは、無茶を言わなければ現実的に実現可能だろう。 
病気で制限されていたら厳しいが。

夢、要望の中身がどんどん変わっていく。
アップデートされる。
(わたしの場合、削ぎ落とされていく)
要望が叶ったら、引き続き、叶い続けることを願う。
これは普通だ。ランクアップしたくなるかも知れない。

山の高みに上がり、頂上から景色を見てみたい。
これは自然な欲求だろう。
山からの光景をしばし眺めた後は、下山が待っている。
せっかく苦しい思いをして登って来たのに、また再び苦しい下山をしなければならない。
頂上で終わりなら良いけれど。
でも、山は色々たくさんある。
また登ればいい。
登らなくてもいい。
登れなくなれば、自室で山の番組でも観ればよい。
登れなくなったら、山にも関心はなくなるかも知れないけれど。

やったことがないこと、味わったことがないことを体験してみたいと思うのは自然だ。
やったことがあるものは、興味が失せる場合もあるし、さらに興味が増す場合もある。
常にやりたいことがあるのが、生きている証拠みたいなものか。
情熱があるか、ないか。

それがどうしたの?
だから何なの?
と、低温になるのは、それはそれで省エネモードではあるが。
湧き続ける情熱を提供してくれるものに、楽してぶら下がっている、わたし。
エネルギーが中途半端で、自分から自発的に、自家発電できない。
最低限度の灯火で生きている。


ちなみに。
いかに普段、運動していないか、痛感する事態が起こった。
腹筋あたりと、臀部あたり、太ももの後ろあたりが筋肉痛。
なぜだろう???
と、思いあたることを振り返り辿る、、、
痛みを感じ始めた前日に、張り切って頑張って、たくさん踊ったからかなあ、、、と、想像していたのだが、、、
どうやら違うような気がする。
今週あたまに参列した告別式。
ぎゅうぎゅうに締め付けられた衣服に身を包み、姿勢を意識して、びしっと背筋を真っ直ぐにして座っていた。
1時間にも満たない時間なのに、あれが、普段使っていない筋肉に負荷をかけたのではないだろうか。
そんな気がしてきた。
背筋を伸ばすのは、良い運動になるようだ。
家でTVを観ながらでも出来そうだが、なかなか出来ない、、、。
気合いが足りない。
腹筋が、今もチラリチクリと痛む。
だが、姿勢を正して座っていたからだとは情けなくて思いたくない、、、やはり、ダンスのせいもある、、、と思いたい。
等身大の自分には目を背け、自分への期待、過大評価。
どっちにしても、筋肉痛が現れるのに時間がかかるのは、はっきりした老化現象だ。






子供と大人の間

2025-02-21 | 日々のこと
今日は1番上孫(小6男児)の参観会。
卒業式を控え、リハーサルも兼ねている。
わたしは、おばあちゃん(祖母)なのに、参加してしまった。
場違いだけど、少し気まずいだけ。 
ちょっと孫熱が高いと思われるだけ。
いささか居心地が悪い、推し活。
ずいぶん早めに小学校に着いてしまったが、参加したいと思ったから、行った。

生徒、一人一人、スピーチと、皆んなで合奏。
合奏の選曲は、わたしの好きなTV番組「情熱大陸」のテーマ曲。
とても良かった。

わたしは、本日は先約があったのだが、キャンセルして、孫参観会を取った。
スピーチで、中に、一人、こころに残る子がいた。

彼の好きな言葉は、「平和」。
今は夢はないけれど、長生きしたいです。
長く生きていると夢が見つかるかも知れないからです。
夢が見つかった時は、その夢に向かって頑張りたいです。
そのためにも、ずっと生きて夢が実現出来るようになりたいです。

みたいなことをスピーチした。
大人みたいだ。
生き長らえている、わたしのような高齢者にも夢を与えてくれる。
夢を持つことが、夢。
「大金が手に入ったら、今は買いたいものは思いつかないので、取り敢えず貯金します」に、近いものがある。
子供らしくないような、それでいて、令和の現代を表しているような。

保育所の時から知っている子もいたが、小さい頃と、全然、違っていた。
皆んな、成長している。
中学生になったら、また変わるだろうけれど。
新しい舞台が待っている子供たち。
次世代を担う彼ら。元気に活動してほしい。
応援している。

※写真は本文と関係ありません。