蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

敬老の日、ミニミニサプライズ

2024-09-17 | 日々のこと
敬老の日のサプライズ・プレゼントがあった。
連休、誰もいないこともあり、グズグズしながらも昨日は、重い腰を上げて、近くの商業施設に出向いた。
やや不安と不満を残しながらも目的は60%ぐらい達成できた。
ついでに、新しく出来たスーパーやら、なんやらかんやらを回った。
で、帰りにベーカリーショップに寄った。
1軒目は、地元デパ地下。
もう18:30を過ぎていたので20%オフ。
あまり欲しいものはなかったが、2個買った。
限りなく「オフ」に弱い。
次に、バス出発時間までの10分間を利用して、バス乗り場近くにある2軒目のベーカリーショップへ。
バスの時間も近づいていることだし、駆け足で、パンを適当に選び、レジに並んだ。
レジの若い女性に、地域特典アプリ割引利用を申し出ると、「65歳以上ですか? それなら、こちらを利用されたほうがお得ですよ」と、65歳以上は支払い代金は敬老割引で半額!!というのを勧めてくれた。
あらまあ、歳は取るものだ。
いきなり、レジで半額になった。
喜びを胸にバス停に掛け込んだが、はて?
わたし、やっぱり65歳以上に見えるんだ、、、と、、、間違っていない、当たり前なのに、少し苦く悲しく残念な思いがした。
自分がどれだけ若く見えると思っているのか。
厚かましく、恥ずかしくもあった。
せめて、「60歳以上ですか?」なら、もう少しだけ(ほんの焼石に水であっても)微々たる喜びがあり、嬉しかったかも知れない。
敬老の日に、敬われて半額にしてもらったんだから、欲を張ってはバチが当たる。
清く美しい老人でありたい、、、。が。

帰りは偶然、遠征帰路の長女一家とバス停で鉢合わせ、同じバスに乗って帰った。
わたしが最後に買ったベーカリーショップの斜め前のセルフうどん屋さんで、直前に、食べたばかりのうどん、よほどたくさん食べたようで、2番目孫(小4男児)の胃が、ゆとりサイズのTシャツの上からでもわかるぐらい、パツパツに膨れていた。
元々細身なので、わかりやすい。

今週はボロボロ

2024-09-11 | 日々のこと
またまた睡眠障害に陥りそうだ。
嫌なマイナスの思考、感情が渦巻いて、ほとほと嫌になる。
どうにかならないものか。

またまた未公開の記事を書いた。
これまた5000文字ぐらい。 
文中の登場人物(故人: 28年前に他界)に問いかけ、答えを求めている。 
気が狂ったと思われるかも知れない。
自分でもどうすることもできない、暗黒の気持ち、いくら書いても書いても出口はない。
ただ、涙がポロポロ溢れる。
小説やドラマのネタになりそうだ。
が、あまりにも平凡で、世の中によくある、氾濫している話なので、読者や視聴者には全く面白くないだろう。

つい先週まで読んでいた小説(桐野夏生作品)があるのだが、ピタリと読むのをやめている。
事件は小説の中だけで十分、実際には何も発生せず、未経験であることが、幸せである。

さて。
どっと疲れ、ひと様のブログから、チョロチョロ元気を頂いている。
チョロチョロではなく、がんがん、たっぷり、元気を頂いている。
森の中にどんどん入って行く、自然と合流する、逞しい皆さん。
眩しい。

怒りと絶望

2024-09-09 | 日々のこと
昨夜、神経が昂って眠れなかった。
怒りと絶望で。
99%は怒り。残りの1%は自分の不甲斐なさ、力の無さで。

昨夜、気持ちを鎮めるために、自分の胸中、沸々とした思いを一気に綴った。
当然、没にした。
書いた時から公開するつもりはなかった。
わたしの文章は優しすぎる。
攻撃性や暴力の匂いが皆無。
冷静すぎる。
今朝、読み直してみたが、これでは、何の感情も伝わって来ない、ふわふわしたものだった。

はやくもう、あちらの世界に行きたくなった。
これを書いた途端に涙が溢れる。

原因はある。
だが、書けない。
だからよけいに悶々とし、自分の内側に怒りが向く。
腹立たしいのは、対処できない自分。
処理能力のない自分。
弱い自分。
弱肉強食の世界なのだから、弱きは去れ、である。
淘汰され、強い者が残る。
それをヒシヒシ感じる。
淘汰される側の人間。
どうしようもない。
抵抗する術もない。

もっと弱り切るのを待つのみ。
本当に自分は、バカで弱い。 
敗北宣言。
開き直る元気もない。

これが進行すると、こころの病気になると思う。
病気に向かわせたのは、自分の弱さ。
どうしようもない。
心臓は動き、息はしているものの、これからどうなるのだろう。
睡眠不足でもある。
こんな年齢になって、こんな局面を迎えるとは夢にも思わなかった。
半分、アタマが麻痺している。
アタマの芯が、ぼーっとしている。
それである意味、救われるのだろう。

あさイチで元気モリモリ

2024-09-07 | 日々のこと
昨日の「あさイチ」。
な、なんと、「虎に翼」の後に、トラが出て来た。
寅子役、伊藤沙莉さんの出演に、びっくり。
彼女の頑張り、演技力は卓越したものがあるが、やはり、役を離れても、どこかにその片鱗はある。
集中力が半端ないため、時折、魂が宇宙に行ってしまうようだ。
強制オフでもしない限り、過熱ショートしてしまう。
能力の優劣、スケール、分野こそ違えど、わたしもそうだ、、、と、恥ずかしながら思った。
難しいことを詰めて考えると、眠くなる。
(難しくないことも理解力悪く、理解しないままとりあえずスタート)
主婦なので(一人でも)、お腹が空くと食事の支度に台所に立つ。
スイッチ切り替えになる。

母子家庭で頑張って子供たちを育てた、沙莉さんのお母さんに、沙莉さんが大人になってから聞いた話し。
「おかあさん、そんなに忙しい、キツイ毎日をどうやって乗り越えたの?」
「そんなこと考えているヒマなんかなかったわよ」
なるほど。それはある。
人間は、暇になると、しょうもないことを考えたりする。
余裕なくガムシャラというのは、心身ともに張り詰めていて出力がMAXになる。
後から疲れが出たり、突然、壊れたりすることもあるが。
走り続けていたら、振り返る暇もない。
ある意味、幸せだ。
わたしの母なんかは、全力でやりたいことをして、今は赤ちゃんになってニコニコ。
振り替えるにも、笑顔しかない。

その点、わたしは、全力でサボる。
全力で、何もしない。
なんでこんなに、何もしないで平気でいられるのか、神様に聞きたいところだ。
が、まあ本人が満足ならそれでよい。

一生のうち、動いたのは一瞬だ。
自分で考え、自分で決めた。
自分の生きる意義を自分なりに追求した。
それは、若い頃であって、今ではない。
今は余生。

令和の時代から見ると、なんと価値観が移り変わったことだろうと思う。
が、自分が生きていた時代、昭和は昭和の価値観だった。
自分を最大限、活かす道を選択した。
それは、自分の能力(ポテンシャルも含め)を自分でジャッジした。
だから、それで良いのだ。
結果的に、無駄をカットした最短コース、省エネになっている。
判断は100点満点とは言えなくても、及第点はクリア。
だから時間が余る。
「余る」は「余裕」「ゆとり」とも捉えられる。
とは言え、余り過ぎは病気のもと。

もし、子供が生まれていなければ、また道は変わっていただろう。
その時点ではまだ若いし、道を切り替える選択もある。
わたしの人生の最大重要マストアイテムが子供だ、とは書きたくない。
誤解を招く。
子供を溺愛し、子供べったり、自立しない一卵性親子のようなイメージを抱かれそうだが、全く違う。
かといってネグレクトでもない。
個々の違いはあっても、普通の常識ラインだ。
子供に対して持つことが出来なかった愛情や時間を今は、孫に向けている。
が、これまたベタベタではない。
孫が好き勝手言ったりして、ある程度の限界が来ると、爆発する。
「いい加減にして!!
バアチャンは知らん!勝手にしろ!」と、ぶちキレる。
いずれ、孫も成長する。
老いたバアチャンのすることなど、役にも立たず、ありがたくも嬉しくもないだろう。
子供でまだ一人ではあまり自由に何も出来ない、今が大事。
今しかない。
これは、あくまでも自己満足のため。
そのうち、疎まれるだろうけれど、こちらも自分のことで精一杯で余力がなくて、孫どころではなくなるに違いない。

もし、子供や孫がいないコース、あるいは、近くに子供や孫がいないコースを歩んでいたとしても、、、
今しか出来ないことを自問して、それなりに力を入れているだろう。
家族を介護したり、されたりするまでの貴重な時間だ。

ちなみに。
「あさイチ」で、おすすめコミックのコーナーがあった。
わたしはコミックはあまり好きではないので、気乗りせず見ていたが、、、
なんと、3つ紹介されていた3つともが、ドンピシャ、ストライク。
その日の紹介コミックが、たまたまか?
65歳以上の女性向けに限定、絞り込まれているかのごとく。
すごく読みたくなった。
マリーアントワネット時代の時代考証も正確に行われているとかで、それもツボ。
女性が自立して生きていけなかった時代、男性の保護にも頼らず自分の力で生きてきた女性プロ洋服職人のストーリーには、かなり惹かれる。
とは言え、読者層として、ダサい、もさっとした、なんとなく生きている女性(わたし)のハートを居抜き、意識しているのではなかろうか、と、まだ読んでもいないのに、勝手に想像する。
今は、まだ、何もすることがない空白の、究極の時間潰し用の本が2種類ある。
そういう、マイナスを埋める消極的&受動的な渋々路線ではなく、、、
積極的に楽しみをゲットしに行く、元気をモリモリ自分から取りに行く、プラス要素の詰まったコミックに違いない。期待!
たまには、TVも琴線に触れるものを紹介してくれると喜んだ。
たんに、その日のわたしの気分によるのかも知れないが。
だが、楽しみを確保できるものを予約出来たような気になって、なんだか明るい。
大好きなスイーツを予約したようなものだろうか。
(が、わたしは、グルメ系は、人からいただくのみの受け身)


カッコイイひとは、苦手だ

2024-09-04 | 日々のこと
次女Rが孫F(3歳女児)を連れて、夏旅行のお土産を持って来てくれた。
我が家に2時間半ぐらいの滞在。
玄関のドアを開け、わたしは、しゃがみ「こんにちわ〜」と孫Fと挨拶。 
Fは、笑顔ではない複雑な顔をしていた。
色々遊んだりしていたが、やがて、電車のオモチャ、広げられたプラレールの線路に電車を走らせた。
この線路を組み立てた本人、一番上孫(小6男児)に遊んでもらおうと長女宅から早めにウチに来てもらった。
4番目孫(4歳女児)も応援に駆けつけてくれ、遊んでくれた。
だが、Fは、我が家に滞在中、2回「おウチに帰りたい」と言った。
皆んなで盛り上げ協力しているのに。
Fは、次女Rの一人っ子なので、長女の4人きょうだいとは、育成環境が違う。
ではあるが、大人げないバアチャン(わたし)は、少し気を悪くした。
次女Rに、「Fがお家に帰りたいのは、なぜ?」と聞いてみると、
「気分で言ってるだけで意味はない」との答え。
でも援軍ちびっこを投入して、2回も言われると、わたしは気になった。
というか、気分を害した。

子供の言うことをまともに受けてはいけない。
つい最近、喋りははじめたばかりの幼児、言葉の意味を深く理解して言っているわけではないとは思うものの、、、。
訪問先の祖母の気持ちを推しはかる、などという忖度はあり得ないだろうし。
だがしかし、少し傷つくわたしがいた。

いつも一緒に頻繁に過ごす長女一家、その孫たちとは違い、1〜2ヶ月に1度、短時間、接するだけの関係だと、理解や愛着の面から言っても変わってくるのだろうか。
しかも、次女の夫に対して、わたしは少し苦手感がある。
長女一家は長女が親分で家庭を牛耳っているが、次女一家は夫自身も一人っ子でもあり、自由気ままで神経質な面もあり(わたしが勝手にそう感じているだけだろうけれど)、十分に親近感を抱けていない。
まだ家族になってから日が浅く、遠慮もあり、慣れ親しんでいないからとも思われる。
苦手理由の最大ポイントは、、、笑われるかも知れないが、、、このお婿さん、わたしにはカッコよすぎてどうも親しみが湧かない。
わたしは、昔からカッコイイひとは苦手なのだ。

スマホの家族写真共有アプリで、我々は家族写真をアップしているが、中でも、次女の夫はいつもカッコよく写っている。
次女はメンクイなわけでもなんでもないが、たまたま次女の夫はルックスが良かった。
当人たちに言わせると、おそらく、カッコ良くもなんともない、と否定するだろう。
が、わたしにはカッコよく見えるのだから仕方ない。
もちろん、長女の夫もスラリと長身で素敵な人なのであるが、何しろ4人も小さな子供を身を粉にして育てているのを身近に見ていると、わたしから、カッコイイという意識はどこかに飛んでしまった。
その点、次女家は、子供はたった一人なので余裕が違う。
2人の大人に1人の子供。
(子供1人につき、2人の大人)
長女家は、2人の大人に4人の子供。
(子供1人につき、0.5人の大人)
蛇足中の蛇足だが、ちなみにわたしは、子育て中は、1人の大人に3人の子供。
(子供1人につき、3分の1の大人)

子供に振り回されず、好みのライフスタイルを維持する「次女の夫」は、生活密着型、土着タイプのわたしには眩しい。
(補足説明を加えると、次女は長女とは正反対の、相手に合わせる性格)

例えば、わたしが糠味噌の漬け方を教えるには長女の夫。(とか言って、糠味噌の漬け方、わたしは知らないが)
次女の夫は、山手のおボッチャマ風で、敷居も高く近寄りがたい。(食の専門家でもあるし)
あくまでも心象風景であるが。
実際には、別に、親のわたしが卑屈になる要素は何もない。
子供たちは、自分と同じような価値観、キャリアを持つ人と結婚していると感じる。
類は友を呼ぶ。
のではあるものの、、、。


頭脳明晰のひとは、好きだ。
自分の欠けている面を補填してくれそうで頼もしい。
が、カッコイイひとが苦手なのは何故?
これまた自分の無いものを補填してくれるなら結構なことではないか。
カッコイイひとは、どこかに行ってしまいそうなので不安だからだろうか。
他の女性にも人気があるので、気が気でないから、不安定だからか。
カッコ悪くても他の女性のところに行ってしまう人もいる。
それは?
そんな人とは元々縁がない。
というか、興味の対象外だ。
地に足着かず、ふらふらする人は眼中にない。

普段着と、他所行き。
作業着と、礼服。
実用品と、装飾品。
家の中用と、外用。
服にも用途によって着用分けするように、人にも観賞用と実践用を使い分ければよいかも知れないが、
パートナーは同時に複数ではなく一人が良いとわたしは考える。
2マタではなく、1マタ。
友人やビジネスがらみなら、目的別、シーン別なんていう分け方もあるのだろうけれど。

ルックスと人柄、人間性は関係ないとは思うが、人格を形成するプロセスで、ある程度、影響はあると感じる。
が、「ルッキズム」も昨今では注目されている。
多様化容認の一環、流れか。

長い、、、、、話がなかなか着地しない、、、。


お手紙

2024-09-03 | 日々のこと
昨日は四苦八苦して手書きの手紙を書いた。
いつもスマホ文字入力なので、手書きの苦しいこと、ツライこと。
先ず、漢字。
例えば横線が2本(例→目)なのか1本(例→日)なのか。
自信がなくなり、間違っていては恥ずかしいと、スマホで調べる。
が、目が悪いから2本にも3本にも見える。
で、漢字アプリで拡大して調べる。
こんなことをいちいちやっていては、イライラするばかり。
しかもサラサラと便箋に手書きで書いても途中で間違えると、また一から。
紙とペン。原始的ツールは手強い。
鉛筆なら消せるが、小学生の作文ではない。(内容はともあれ)
修正ホワイトを使うとみっともないので、変にこだわる。
いっそ毛筆のほうが格段に格調高い。
とは言え、毛筆調のフォントも出回っていて、そっちのほうがずっと正確で美しい。
文字バランスも素晴らしい。
手書きの苦しみ、、、。
長い間、忘れていた。

手紙アプリに、手紙の規則フォーマット通り、入力したら、こんなに簡単なことはない。
「拝啓」には「敬具」がセット。
別の書き方がしたい。
が、ハズレすぎて常識を知らない人だと思われても心外だし。ルールを気にする。
自分のブログならいざ知らず。
ああ、ブログのなんと自由で楽しいことか、、、と、今更ながらしみじみ思った。

手紙を書く前に、まず、内容、文章をスマホ入力した。
あとは、その通り、写すだけ、、、だと思いきや、そうでもない。
便箋や封筒を棚から引っ張り出してきたら、懐かしいモノが一緒に保管されていて、一つ一つ丁寧に読み込んだ。
20年近く前のものだ。
封筒も、郵便番号枠が5桁のものもあり、そのうちの一つはダイソーの包装袋に入っていた。
あのダイソー?だとしたら、結構昔からやっていたんだなと、別角度から感心。
郵便番号は1998年から7桁になったようなので、それ以前の封筒だ。
さすがに3桁の封筒は棚には置いていなかった。
3桁は1968年(昭和43年)スタートらしいので。

と、そんなことを調べながら手紙を書こうものなら、宿題の前、勉強の前に机の掃除をするパターンと同じだ。
引越し準備にかかっていて、一つずつモノに見入っているのと同じ。
方向は目指す方に向いているが、一向に具体的に着手できない。

と、昨日は、延々とグズグズしていた。
そのグズグズの前が有り、これまた延々と、手紙を書こうかどうしようか、と考えたり、書こうと決めたものの、お尻が重く行動に移れなかった。
なんと、1ヶ月の月日を要した。
早くしなければ、完全に旬を逃し、タイミングを失う。
気の抜けた炭酸水になる。
水ならまだしも。

と、いつものように行動前の充電期間を経て手紙を書いた。
清書し直せば良いのは重々わかっているが、3枚中1枚しか清書しなかった。
昨日書いて翌日である今日、読み直した。
清書すべきか一瞬考えたが、清書ドロ沼に陥りそうでやめた。
外出直前のヘアスタイル見直しと同じ。
明らかに、訂正、追加したにもかかわらず、そのまま、何度も見直した結果、封筒に糊付けした。
切手は昨日、貼っていた。
手書きの手紙のなんと重いことか。
こころと頭脳の重労働だった。
ブログなら10000文字だって100000文字だって鼻歌で楽しく書けるのに。
Eメールや文書も簡単に難なく書けるのに。
アナログは疲れる。
それでいて、乱筆乱文、文字は下手だし、行替えしたスペースに美しく収まらなかったり、見た目がどんどん悪くなる。
デザイン、見え方の問題。
ツールに慣れると、自分の能力が麻痺する危惧。
お手紙は、ガラスの小瓶に入れられ海に投げ入れられた紙切れの気分。
海を渡って遠い国に辿り着くだろうか。
(宛先は日本国内だが)
今日、先ほど、行きにポストに投函した。

あ、最後に。
なぜ、達筆自慢でもないのに、古来からの手紙というアナログなのか。
たんに、相手の連絡先を知らないからである。
ご本人の関連先住所をインターネットで調べて出したのだが、はたして本人の手に届くのか、心配だ。


想像するのは楽しい

2024-08-27 | 日々のこと
今日は趣味会場に出かけようと思ったが、迷った挙句、やめた。 
出かける用意をするならスタートしなければならない時間までギリギリ粘って、迷いに迷って時計と睨めっこ。
まだ今なら間に合うかも、という時間を遣り過ごし、完全にアウトになるまで、グジグジウジウジしていた。

行くところがないから、することがないから、渋々時間潰しに行くのには、お尻が重かった。
背中を押すものがなかった。
行かない、何もしないことを選ぶ勇気。
不毛なことをが頑張ってガムシャラにするのは、やめた。
不毛と感じるなら、その時期が過ぎるまで、動かず待つ。
舵を切りたいが切れないなら、切れるまで待つ。
待ち時間は決して無駄ではない。
必要な時間。
 
さて。
その、何もしない時間をどう何もしないで過ごしたか?
全く何もしないのは、睡眠中ぐらいで、なにかが勝手に動く。
健康な時に、時間潰しに寝ることを選んだことは今までない。
眠くなってちょっと居眠りすることはあっても、今回は目はギンギン。
まずは、独り言日記を一本書いたが、アップ直後、3分後に非公開にした。
ウジウジ日記など、不発に終わるのが目に見えている。

次にしたことは、、、
桐野夏生の小説を読んだ。
あまり本を読まないわたしだが、今、最も夢中になっている作家。
何もすることがない時のために、Amazonで何冊か購入、準備していた。
1冊目は、短編5作中、3作までつい最近、読んでいたのに、内容を忘れていることにビックリ。
ここまで脳が退化しているとは、日々、驚きの連続だ。
が、2冊目は、ぐいぐい惹きつけられて一気読み、、、と言いたいところだが、最後の一番大事な展開、曲面で、時間を遮ぎる邪魔が入って、ブツ切りで読むことになった。
残念ながらも、本を閉じてはまた読み、開いては閉じ、止まっては進み、進んでは止まり、本を抱えたまま、ウロウロ。
ではあったが、読み終えた。
面白かった、、、。
「残虐記」。
想像力は、大事。

あ、わたし、想像力と、推察力で生きている、、、かも。
現実との対照。
両方の相違点が際立つ。
両方あるから面白い。

とかなんとか。
スタート時はウジウジしたけれど、今日は結構、楽しく過ごせた。

と、ここで蛇足を。
渋々出かけていたとして、出先では予想外の良い展開だったかも知れないし、やっぱり行かなければ良かったと思うかも知れない。
今までの経験では、行くと意外に楽しかったことが多いが(特に旅行)、行く行動に移すチャージ量(原動力)が不足していると、今回のようになる。
第1希望実現が最善とは限らないが。
予想しないアクシデントや運、不運も付きものだし。
どちらにしても、悪くなかった一日だと思いたい。

ただし、、、ブログ記事に書くと、書けば書くほど内容がちっとも面白くないのが残念なところだが。

勘違い、読み違い、トンチンカン

2024-08-26 | 日々のこと
まず、連続朝ドラ「虎に翼」をご覧になっていない方は、↓以下、※までスキップしてください。
(それにしても、ブログ内容は、どんどん劣化傾向にある)


わたしは今まで、大きな間違い、誤解をしていた。
寅子は、新パートナー(キャスト/岡田将生)家族と同居することになったのだが、、、。
新パートナーの義理の母&長男&長女が既に暮らしている家に、寅子が娘を連れて、一緒に住む。
娘さんにしてみると、義理(義理の祖父の後妻)の祖母、義理の父、義理の兄&姉に囲まれることになる。
デリケートなポジション、思春期なら尚更。

なのではあるが、、、
わたしの勘違いに気づいたのは、、、
航一さん(新パートナー)の息子と娘が、航一さんの歳の離れたきょうだいだと思っていた。
航一さんの父も麻雀が強かったらしい。
何か要望を認めてほしい時に、「麻雀で、おじいちゃんに、勝たなければ許可しません」と、よく言われていたねえ、という、麻雀エピソードを話す場面。
え?おじいちゃん?
おとうさんじゃなくて?
何?
航一さんが、おとうさん?
歳の離れた義理のお兄さんじゃなくて?
時々、昔の家族写真がちらりと映し出される。
航一さんと一緒に子供が2人映っていたように思うが、航一さんを含めて勝手に3人きょうだいだと、うっすら思っていた。
4人で映っている写真もあったかも知れない。
が、どれが航一さんなのか、よくわかっていなかったという、、、トンチンカン。
きっと、岡田将生が若過ぎるからだ。
そんなことを言えば、伊藤沙莉(寅子役)だって若い。 
ああ、なんて、理解の悪いわたし。
ストーリー展開、今頃になってやっと間違いに気づいたなんて。
 
それにしても、義理の義理の姑(キャスト/余貴美子)に加えて、あんな年頃になった義理の子供たちと一緒に同居するなんて、しかも、自分も微妙な年頃の娘(実子)を連れて、、、。
それはまあ良いとして、これだけ熱をあげて、毎日楽しみにしているドラマなのに、理解力の悪いわたしには、あきれる。
まあ、いい。
明日から、航一の「きょうだい」という目から「息子、娘」という目で見るのみ。
寅子からすると、「義理のきょうだい」から「義理の息子、娘」という立場にスイッチ、チェンジ。
ということは、寅子の娘から見ると、「義理のきょうだい」になるわけか。
ステップファミリー、複合家族。

それにしても、あの家。
訪れたり見学するには素敵だが、住みにくそう。暮らしにくそう。
お手伝いさんが居ないと絵にならない。
かなり無理がある。
わたしが、庶民すぎるからか。

と、「虎と翼」を観ていない人には、まったくどうでもいい、意味のない話になった。
ここまで、※スキップしてください。
お疲れ様でした。

テレビ話が続く。
さて、米津玄師。
昨夜、テレビ番組、林修の初耳学に出演していたが、なかなか良いことを言っていた。
言葉が端的で、とてもわかりやすかった。

子供に夢を与えるような楽曲「パプリカ」について。
主に子供への応援ソングのオファーを受けたが、、、
夢に向かって邁進しろ、だとか、理想を追い求め頑張れ、だとか、そういうことを子供に押し付けたくなかった、とのこと。
応援にもいろいろなアプローチがある。
夢を見る前の、普通の日常にこそ、楽しくこころ豊かに過ごして、基本的なパワーを蓄積することが大事なのでは、と。
共感、共鳴した。
米津玄師の祖父宅が山の中腹あたりの田舎にあり、そこの自然風景が大好きだったそうだ。
大自然に溶け込んだ暮らし。
暮らしが人のこころに与える影響は大きい。
そういう意味では、わたしも田園、田舎育ち。
自然に囲まれた日々の暮らしは、自然の恩恵を受けていると感じる。
(・・・言いたいことは、こんなかんじなのだが、語彙、表現力、貧しいわたし)

人と接したり、相手の考え方を理解することが苦手だったという米津玄師。
自分一人でやりきって完結する力を持つため、人と調整するより自分でやったほうが、早い、納得できる。うまく行く。
そのためには、人並外れた集中力、積み重ねて得る技術が必要だとわたしは感じる。
自分の求めているものを追求し、妥協しないのだろう。
追及心を緩めない。
強い「集中力」、さらにそれを持続することは全てにおいて基軸になる。
頭脳と精神力。 
しかも、無から生み出すクリエイティブ能力は、誰もが備わっているものではない。
すごい。

さて。
今日は小学校は始業式。
小学校から帰ってくる孫3人の昼食作りの依頼を娘から受けている。
またまたミートソーススパゲッティ。
ラーメン派(小6男子孫)が「またあ?」と文句を言うのを暑いから無視して、ワンパターン調理にかかる。
台風は今週はまだ先のよう。
わたし一人の時は子供の保護は不安なため、今日はどうにか切り抜けられそう。



甲子園野球は涙なしでは見られない

2024-08-19 | 日々のこと
夫の実家で見つけた蝉の抜け殻?
枯れた木から新しく生えてきた枝に、くっついている。
朽ちても新しく生まれ変わる。
廻る廻る、自然の世界。

と、昨夜、書きかけて寝てしまった。
今朝は、朝ドラ「虎に翼」が終わってから、延々と8:15〜18:10過ぎまで高校野球を観ていた。
仕事をするより長時間。
席を立ったのはトイレと、冷凍冷蔵庫から何か引っ張り出した時だけ。

にもかかわらず、わたしが気合いを入れて応援していた側の高校は、ことごとく負けた。
わたしが買った株がことごとく下がるのと同じ現象。
わたしが熱を入れない側が勝利するのは、結果予測するには実にわかりやすい。
無意識ではあるが、落ち込み、がっかりするのを防ぐためなのか、相手側チームの良い点も必ず(どんな小さなことでもいい)一つは好きになっている。
負けても、リスク分散。
そして勝っても負けても涙。
彼らが全力投球、一生懸命の姿に、わたしは涙。
毎試合、涙していたら、4回も泣くことになる。(昨日は試合なし。今日は4試合)
もはや、ベルに、犬の涎、条件反射か。
高校野球に、わたしの涙。
「虎に翼」も、毎回涙だから、涙の大安売り。
ドライアイ対応の目薬要らず。

ちなみに、高校球児が孫の年齢に近いにしても、監督さんが、すでにわたしの娘、息子の年齢。
監督さん、これだけ熱心に練習や試合をして、家庭での子育てに参戦できるのか、奥さんからブーイングはないのか、ちょっと心配した。
監督さんは、高校球児との野球タイムは就労時間ということになるのだろうか。
日々、わたしは娘婿の子育て&家事の奮闘ぶりを目の当たりにしているため、余計なことがアタマをよぎる。

それはそうと。
応援していた学校のひとつの高校では、双子で出場していた。
双子の名前がとても可愛い。とわ君、そら君。
親御さん、大変だろうなあ。応援し甲斐はあるかも知れないが。
兄弟で明らかな優劣がついたりすると、これまた困るが、同じ道に進んでいるのは、頼もしい。

それにしても、わたし、朝から晩までよくまあテレビの番をしていたものだ。
若い皆んな、エネルギーと感動をありがとう。

あくまでも宿題をしない

2024-08-17 | 日々のこと
今日で長い長いお盆休みが終わる。
5日間にわたるステイ生活、夫の実家を引き上げる。
使った全部の布団を干し、シーツを洗濯して、立つ鳥跡を濁さず。(実践者は長女)
ゴミも分別ゴミに仕分けして所定のゴミ出し位置に。
まるで合宿所。
麦茶はちょうど飲み切るように分量を考えて作った。
ささっと掃除もして、持ってきた荷物は全て引き上げる。
大きな浮き輪が嵩張って、車に入らないため、急遽、空気を抜く。
最後はかなりのバタバタ、急ピッチ。
台風が去ったかのよう。
が、荷物が多いせいで、自家用車輸送から人間2人がはじかれた。

わたしと1番上孫(小6男児)。
桃鉄コンビだ。
2人は電車で帰宅となった。
が、夫の実家を出る時、鍵を締めてさあダッシュで駅に向かおう、という時に、キッチンの窓が開いていたことを孫が発見。
靴を脱ぎ、鍵を開け、一手間も二手間もかかる。
ただでさえ電車の発車時間が迫って時間がないのに。
坂道を上がったところの駅に行く直前の三叉路の信号の待ち時間がまた長い。
なかなか青にならない。長過ぎる。
やっと青になって、坂道を猛烈ダッシュ。
心臓破りだ。
日傘を差して、へんなカッコ悪いダッシュ。
孫は、切符を買わなければならず、あと1分なのに、自販機で足止め。
(行き先までの駅の、買いたい金額が自販機画面にズラズラ並ぶ数字のどこに表示されているのか)「どれかわからない」と孫が言うので、なんでもいいから、後で清算するからどこでも適当に押して切符を買いなさい!と、わたしは、お叫びモード。
もう電車はホームに到着していて、発車を待つのみ。
孫は後から走って滑り込みセーフ。
孫もわたしも汗だく。
こういうの、わたしは好きでない。
のだけれど、致し方ない。

自動車チームと電車チームは、同時に夫の実家を出た。
心臓に悪い出発の仕方だ。
しかしまあ、長くステイしたものだ。
火曜日から土曜日まで、丸々5日。
最後の最後になっても、ちんたらこんたらだらだら宿題を終えない2番目孫(小4男児)には、最後まで宿題にママが付き合っていたが、ついにサジを投げた。
選手交代、出発するギリギリまで付き合っていたパパ、お疲れ様。
今時の親は、優しい。
が、一向に宿題をしない孫には本当にイライラする。

今から、自宅へ。 
長い長いお盆休暇だった。

※写真は、二階建て農具蔵