蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

浅はかなオンナよ。

2011-06-30 | 趣味

昨日、体験個人レッスンを受けた。
とてもよい感触だったので、早速、申し込むことにした。
来週からスタート。

この先生は、通い始めて4ヶ月のところの団体レッスンの先生だが、
もともとは、Tスクールに所属しておられる。
なので、団体レッスンは、Tスクールからの派遣みたいなもの。

体験・個人レッスンが行われたTスクールで、見覚えのある二人に、昨日、出くわした。
わたしと同じ先生に、二人とも個人レッスンを受けに来ているのだが、
ご両人とも、これまた同じ団体レッスンでのクラスメート。
4ヶ月も通っていると、言葉を交わしたことはなくても、顔ぐらいは覚える。

が、お互い、挨拶は、なし。
知らん顔。

あら?
あの人も?(ちょっとユニークなかんじの、going my wayタイプの人)

と思っていると、さらに、別の人が教室に入ってきた。
この人は、・・・わたしがこの人を嫌っている。(「わたしを」、ではありません。いまのところは)

なぜかというと、団体レッスンの女性の更衣室で、

「ここの教室に来ているオッちゃんは、ヘタな人ばっかり」

なんて、高飛車なことをおっしゃっていた。
そんなことを言えるのは、この方、どんなにお上手なんだろうかと、思ってダンスを見ていると、
全然、たいしたことはなかった。

へんにうっとり、自分の世界に入り込んでいる表情が、優雅ではないないダンス中の姿と相反して、
滑稽(こっけい)。
基本を取り入れていると感じる動作部分はあるが、なんか、とってつけたかんじで、
ダンスの美しさには、まるで、いたっていない。

あんなケシカランことを言わなければ、わたしごときに、ここまでボロカス言われなくてもいいものを
口は、慎んだほうがいい、という、典型的な例。

この夢見る、高ビー女史、
「オッちゃんたちと、食事をいっしょに行ってあげたら、オッちゃん、喜ぶよ」
と、オッちゃんたちを見下ろした発言もされていた。
ナニサマ?

わたしだったら、思っていても口には出しません。→もっと、悪い。。。。。
いえ、そんなことは、失礼なことは思いません。決して。これは、ホンネです。

若い美しい女性なら喜ばれるかも知れないけれど、
どおってことない女性と、女性ならだれであっても、
おじ様方、おじい様方は、食事をお供すると、喜ばれるんですかね~

この女性こそ、根本から考えを変えないといけない、なんて思ってしまう。
あなたが思っているほど、あなたの、市場価値は、お高くはない。

彼女が、浅はかにも口に出すから、ここまで、言わなくてもいいことまで、アカの他人に言われてしまう、
そして、わたしも、ついつい、勢いがついて、キーを打つ手が止まらない。


個人レッスンの話をしていた、ほんのハシリの部分なのに、
関係ない話をどんどんしてしまう、わたし。
ここからが、ダンスの話、本題に入るところだったのに。

ああ、オンナは浅はかだ。

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人の言葉尻をとらえて、過敏に反応するわたしも、そうとう浅はかです。


いろいろ、あります。おられます。

2011-06-29 | 無題

昨日は、時間がなくて、5分でブログ更新した。(画像は、あとからアップした)
一気に、入力。
見直す暇もなく、ほとんどツイッターみたいなものだ。
しゃべり逃げというか、悪口だけを言って、全速力で逃げる、っていうかんじ。

今日は、余裕かあるので、おなじみのお気に入りブログをゆっくり読んだ。


毎日、欠かさず更新される、パリのアクティヴなレポート、
一日でも読まないと、せっかくの充実したものなのに、たまってくるので、
できる限り、せっせと読む。
このブログは、とても内容が濃くて読み応えがある。
優秀なサポート・スタッフ(現地フランス人&日本人)の人海戦術が功を成し、手抜かりなし。
のほほんと過ごす、「まったりパリ」とかではなく、毎日毎日が、弾丸パリ。

アメリカのある方のブログも、地に足着いた暮らしが力強い。
同世代のもたらす悩みも共感できる。

さらに、別の方のブログ。
とてもいい方なんだけれど、いいコトだけをアップ。
絶対によくないコトはアップされない。
甘味料が効きすぎたお菓子を連続して食べたような後味。
人生、生活、酸いも甘いも、苦いもあるはず。
なのに、なぜか、家庭や、お出かけの、いいコトだけを、
濁りを漉(こ)して上澄み液だけをすくいあげ、さらに磨いてアップされる。

徹底して、とことん、そこまでやると、もはや、ポリシー。

まあ、ひとそれぞれの、やり方がある。
美しいものだけをうっとり眺めて、日々のモヤモヤや、ウップンを晴らす読者の方もおられるのだろう。

美しいものも、もちろん、素晴らしいが、ものには、限度というものがあって、
そうそう美しいものを、これでもか、これでもか、と並べまくられると、よけいに寒々してくる。
わたしが、そうとうの、ひねくれ者だからだろう。

醜いものは、すべて隠せ、ってことならまだマシだが、
「醜いものなど、わたしには、そして我が家には、ありませんのよ」というスタンスは、・・・???

「美人大女優は、トイレに行きません、排泄しません」みたいなノリ。
鼻水も出ないし、鼻毛も、シワも、もともと絶対に、なあんにも、ないんですよ~、
蝋(ろう)人形の美しさに共通するものがある。

生活感を醸し出すのがお嫌なんだろうけれど、やりすぎは、不自然。

カワイイ子供も、大きくなって成長して、自分の手から離れる。
いつまでも、カワイイままで、大人になっても親に保護されていたら、これまた、問題あり。

良いことだけを表現するのは、片手落ちだと感じる。
ことさら良いことだけを強調しているようで、鼻につく。
が、それをわかって、読む、大人の童話みたいなもの? 
ただし、書いている本人は、それに気づいてない(と、たぶん思う)。
あるいは、気づいていても、気づかないフリだったとしたら、
そういう確信犯のほうが、ずっと人間くさくて、わたしは、好き。


そして、久しぶりに訪れた、夫に浮気された妻のブログ。
これは、もはや、斜め読み。というか、飛ばし読み。
というか、ざーーーっと、スクロールするだけ。
いつも同じことを繰り返し、延々、やっていて、つまらんです。


かくいう、わたしのブログも、そうなんだけど。

「あいかわらず、つまらん」、ってため息つきながら、
わたしのブログを一瞬でスクロールしておられる方も、訪問人数にカウントされるので、

それはそれで、知らぬが仏。

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ああ、、、、わたしって、なんてイヤなやつなんだろう・・・

 


オトコとオンナの、すれ違い

2011-06-28 | オトコとオンナ

女性は、ファッションやコスメ、グルメ、カルチャーで輝きを増す。

男性は、お酒、ギャンブル(株などを含む)で、脂ぎる。
(と、勝手にわたしは思う)

おそらく、いいオトコを知らないから、こんな偏見に満ちた、さびしいことを言うんだろう。

女性は、言っちゃなんだが、わたしは、素敵な女性しか知らない。
なかには、とんでもない陰険なお方もいるが、べつに、どうってことはない。


現在未婚で、結婚を希望する人(50歳以上)に対する、男女の違いが、A新聞に載っていた。

男性は、女性に、性的関係を急いで迫るな!と、注意点が指摘されていた。
このあたり、女性と男性、まったくといっていいほど、ギャップを感じる。

男性も、濃厚系と、淡白系(肉食系と、草食系)に分かれるようだ。

草食系は、いまのわたしの年齢なら、大歓迎。
さらり、涼風。さわやか~。

逆に、肉食系、脂ギンギン、不潔、汚い、身だしなみも構わないような男性は、超NG。

ひたすら、肉にとり付かれているかのごとく・・・は、やめて~という、かんじ。
そういう人は、そういう人にぴったり合った、お相手と、研究に励んでいただければよろしいかと。
とことん、同好者同士、掘り下げて、追究していただければ、よろしいかと。

ただ、ね。
女性はホンネを言わない人が多いので、
わかったような気になって、一人合点をしないように、お願いしますね。
演技だってなんだって、へーキだから、勘違いしないように気をつけてくださいね。


オトコとオンナは、まったく分かり合えないものだと、わたしは思っている。

なので、男性が、「女性はこうだ」と、思い込みに近いことを仰っているのに接するにつけ、
違うんだけど~~
全然、違うんだけど~~
と、がっかりする。

女性の研究に詳しいと、自称しておられる方に限って、そういう人が多い。
研究の根本から洗いなおして、先入観をとっぱらって、それをわかったうえで、
一からやり直していただきたい。

それは、お互い様だけれど。

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美味しく、楽しく、時間切れ。

2011-06-27 | 交友

友人のFさんと、心斎橋(大阪市)のフレンチ・レストラン「ル・クロ・デ・クロ」でランチを楽しんだ。

かつての職場でご一緒した、Fさん。
わたしとしては、とても珍しいことに、いつの間にか、お友達になっていた。
彼女は、わたしより、4歳年下。

彼女の下のお子さんが生まれる前から知っている。
お子さんが生まれて、再就職の壁が、どんっと厚くなった。

子育ての合間をぬって、時間を切り張りして、
飲食店でアルバイトで、専門学校の学費を貯めたFさん。

国家試験に挑戦した。
わたしは、なんと高いハードルを課す人なんだろうと感心していた。
何度も何度も失敗したが、挑戦し続けた。
40歳を超えると、さすがにアタマに入らない。
覚えては消え、覚えては消え。それの繰り返し。

よくあきらめずに頑張るなあと思っていたが、
こころのなかでは、気持ちはわかるけれど、無理じゃないかって、感じていた。
(ごめん、Fさん!)

わたしは、試験に落ちることが当たり前みたいに、毎年の恒例行事みたいな感覚でとらえていたが、
彼女は、年々、追い詰められていた。

国試に挑戦するのは、ひとつの頑張りの、目に見える証明みたいなものなのかな・・・、
と、外野のわたしはあくまでも、のん気。

わたしは、お気楽だが、彼女は、勉強に打ち込んだ。
自立への道を一歩一歩、苦しみながら登っていた。

そうして、晴れて合格を勝ち取ったFさん。
その後も、就職先では、またまた苦労の連続で、一時期、ほんとうに参っていた。

1年に1回ぐらいは、自分へのご褒美、気分転換にと、
ミュージカルや、コンサートに、彼女と出かけた。
最近は、お互いの時間が合えば、たまにランチをすることもある。

今は、仕事をしながら、さらに次の国家試験に挑戦中のFさん。
今年で2回目。(3回目だったかな?)
前の資格より、この資格のほうが、おそらく難易度は上がっているだろう。
転職、開業、今後の可能性を広げ、いろんな展開に有利な資格を、さらに追加する。


なんで、そんなに頑張り続けるの? 

目標も持たず、ちゃらちゃら、遊びほうけているのは、性分に合わないようす。
自分へのご褒美で、遊んだり、食べたりするのはいいけれど、
ただただ遊んだり食べたりすることだけでは、あまりにも非生産的で、享楽的で、
建設的でないスタンスは、満足いかないようだ。
ご主人もお子さんもとても優秀だし、それだけでも十分素晴らしく、
それを支えに生きておられるお母さん方もおられるのに、
子供は子供。親は親。

わたしは、Fさんのそういうところに共感を覚える。
とても。

(ちなみに、わたしは、頭脳系は、不得意中の不得意。睡魔が、即、どどっと押し寄せる。
適材適所、各人に応じた方向性で・・・ということで)


自分が置かれた環境に甘んじないところは、とても立派だと思う。
自分の人生を、自分の力で切り拓こうとしておられる。
年齢のハンディに苦しみながらも、あきらめない姿勢。
成功しても、しなくても、彼女の頑張りは、必ずなんらかのカタチで、身となり骨となると思う。

ちゃらちゃら遊んでいるだけの人種は、わたしはどうも接点がない。
(といっても、いまのわたしは、頑張り時期は卒業したので、遊んでる。
次の頑張りまでの、燃料補給時期ととらえている。→自分に甘い)
なんの問題点も感じない人も、首をかしげる。(考える習慣がない?)

Fさん、がんばれ!!と、応援団になりたい心境だ。


ふたりで、遠い遠い将来のことをほんの少し話したが、わたしとかなり共通点があることがわかった。
老後のスタイル、スタンス、今後の課題、・・・似たような悩みや問題点を抱えている。

話し込むまでの時間がなかったのが、とても残念だが、
短い時間で、話はとても弾んで、まだまだいっぱい話したいことがあったけれど、あきらめた。


そうやって、楽しい時間を過ごし、ダンスのレッスンに20分、遅刻した。

で、その遅刻の件で、お局サマに、ねちねちイビられたが
ほとんど、気にしていない、わたし。
時間に遅れて、かぼちゃの馬車で到着し、イジワル継母にイジメられる、シンデレラ。
→自分はいつも、童話のヒロイン


前菜は、ウニの卵クリーム。↓


お魚料理。クリームソースは、相性抜群。パリパリ野菜も食感が楽しめた。


メインは、牛肉赤ワイン煮込み。5時間?8時間?煮込んだそうな。
お箸で挟むと、ほろほろと崩れてしまう、やわらかさ。

デザートのブルーベリーケーキと、キウイのシャーベット。


コーヒーに、パンおかわり自由で、2700円。
プチコースは、1600円で、肉か魚かを選択し、あとは、決まっている(選べない)。
前回は、プチコースを食べて、それでも満足だったけれど、
Fさんが、せっかくだからと、メニューの中からひとつずつ選べる、こっちのコースにした。
トップ画像は、Fさんが選んだ、お肉のメニュー。

 

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遊べない日曜日

2011-06-26 | 暮らし

最近、パソコンの前に長く座って、カチャカチャ、キーボードを好きなだけ打っていると、
神様からのお告げがある。

その神様は、接骨院の人なんだか、整体師さんなんだが、はたまた、整形外科の先生なんだか、
そういう人たちが、あの世か、宇宙か、どこだかで集まって、組合を作っているかも知れない。
その組合からのリアクション。

そのお告げは、声なき、声。
肩がすごく痛くなってくるのだ。
俗に、「肩凝り」というもの。

わたしは、この年まで、幸いに肩凝りの経験がほとんどなく、
はじめての肩凝り(左肩)に、驚き、また、はじめてのその痛さに、悲鳴をあげている。

ダンスも水泳も、ジムも、左肩は、かばいながら。
背泳ぎは、右手のみ。
(右手だけでも、じゅうぶん、泳げるものだ・・・)

ということで、ネット三昧に、時間制限が加わった。
好き放題、飽きるまで、暗くなろうが、明るかろうが、画面にかじりついていたが、
ここにきて、計画停電みたいな状態になった。

なので、ブログ更新も、省エネ・モード。
パリ情報や、旅の計画(脳内)も、ほんの少し、数分で抑える。時間短縮。
あーー、あ。

そして、他にまったく趣味のないわたしは、しかたなく日曜日の今日は、
ネット以外は、他にすることもなく、一日中、家事に明け暮れた。
(昨日は、法事参加で遠くまで行ったので、忙しかったし)

衣類洗濯、掃除、片付け、布団干し、リネン類の選択、整理・・・
ばたばたと、暑いのに、なんか頑張ってしまった。

これも、肩凝りのせい。
悪かったのか、良かったのか。

非行に走らないだけ、マシ。
いや、今までが、非行だったのかも???

これだけ、家事に勤しんだんだから、
雲の上だか、ご町内だか知らないけれど、
整体師組合連合、会長さん、もう、このあたりで開放してくださいよ~。

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磨耗。消耗。

2011-06-25 | 人生

ジムの帰りに、立ち読みした。

タイトルは、「風俗依存症」。
元、高級風俗嬢の手記。

部分的に重なるような内容のブログを読んだことがあるが、業界では似たようなことが起こるようだ。

風俗で働いていた女性が、職病上のウィルス感染から癌になり、
結婚して、風俗の世界から足を洗うまでのお話だった。

文章は、実に淡々として、客観的、理性的に、理路整然と書かれている。
著者は、小さい頃は水泳が得意な女の子だった。
だが、両親の不和と、学校での先生からのイジメで、中学時代に非行の道に走った。
自分を信じてくれない母親、
夢を追い仕事をする気のない父親とのケンカが絶えない家庭がイヤで、家出を繰り返す。

高校進学が危ぶまれていた頃、スカウトされ、
モデルからグラビアアイドルとして、人気絶頂期もあったが、やがて、ヌード写真集も、バブルとなる。
モデルの仕事に終わりが来ると予測していなかったため、芸能の鍛錬を積んでいなかったので、
芸能界では生き残れなかった。
ヘルスから出発し、キャバクラ、ソープ、と、風俗の世界で生きるようになる。
一時は、月収500万円の超売れっ子に。

彼女は、男性とのお付き合いは、とても真摯で真面目。
仕事も、とても真面目。
ひたむき、努力家。
これが、風俗の世界でなければ、また違った活躍をしていたかも知れない。

かつて、好きで得意だった水泳。
一時は、スイミングスクールのコーチをする時期もあるが、
(モデルや風俗の仕事に比べれば)給料もさほど良くなく(月収13万円?)、
面白くない仕事ということで、風俗の仕事に戻る。


女性が、肉体を駆使して、とても大変ではあるけれど、手っ取り早くお金を稼げる風俗の世界。
経済的には、あっという間に、自立できる。

彼女の場合、そう散財するタイプではないようで、
貯蓄してエステ(だったかな?)のお店をオープンしたが、
なにかの事情で(ちょっと忘れた・・・)、閉店せざるをえなくなって、また、元の世界に逆戻り。

ここらあたりまで、読んでいる間に、書店の店員さんが2回も、巡回してきて、
えへん、こほん、と、うろうろして、立ち読み、けん制。
じっくり読めなくなった。

で、急に、そわそわしだして、最後あたりは、ほとんど読めなかったが、
結婚して、幸せになっているようだ。

結婚相手も、そのお母さんも、ものすごく理解のある人のようだが、
かなり複雑な家庭事情の人。

知り合ってから、結婚するまでのいきさつや、
結婚してから、どうやって風俗依存症から抜け出せたのかは、読む余裕がなかった。
この本は、この部分が一番大事な要(かなめ)だと思う。
(皮肉にも、わたしが、読んでいない部分)

彼女は、まだ20代なので、これから、今後どうなるのかはわからないが、
真面目な理知的な女性なので、家庭事情と、学校の先生がもう少し良ければ、
違った人生のコースを歩んでいただろう。

やっぱり、家庭と、学校は、大きな影響を与えるようだ。

彼女のように、将来ある、可能性のある、容姿端麗の若い女性を、
消耗品のごとく、使いつぶしてしまうような、そんな世界は、こわいと感じた。

お金を手に入れる手段として、一度、身に付いたものは、なかなか抜けない。
手っ取り早く、即座に現金が手に入るという、魅力には、打ち勝てない。

結果的には、職業に起因するウイルスの感染で、癌になってしまい、彼女は絶望の淵にいた。
それでも、虚無感を埋めるために、それしか知らない、風俗の仕事をやみくもに続けた。

それしか知らない。
モデルや風俗の仕事。一度知ると、ほかの仕事が、ばかばかしくなる。
彼女の場合は、そうだった。
彼女を絶望に追いやったのも、その仕事。
絶望から瞬間的に逃避するのも、その仕事。
結局、人によって、結婚によって、助けられたわけだが。


書店の店員さんが、仕事熱心でなければ、もっと、ちゃんとこの本を読めたのだが、
たいへん結構なことに、店員さんが真面目に職務を行っていたため、
中途半端な立ち読みとなってしまった。

(でも、立ち読みだけでなく、ちゃんと、ラジオフランス語講座のテキストは買いましたよ~)

最後のところをしっかり読めていないからか、
彼女は、まだ若いので、この先、この結婚がうまく行くとは限らないと思った。
なぜなら、彼の生い立ちが、あまりにも問題を抱えているから、
人格に大きな影を落としているのではないかと想像する。
だがしかし、それでは、出版本として、救いようがないから、そんな結末にはなっていないだろうけれど。
わたしが、勝手に、そう感じただけだ。

大きな困難を抱え、結婚後の今からが人生と真正面から立ち向かう本勝負でないかと
シンデレラ・ストーリーを信じない、わたし。
(このケースは、逆シンデレラ? 変形・応用シンデレラ?)
これで安心、めでたし、めでたし、よかったね、ではなくて、これから、が、まさにスタート。

結婚により、一時は救われ、傷を癒し、その後、本当の新しい自分が確立される。
結婚や人に依存して、幸せが掴めるほど甘くない。
新しい自分は、結婚している自分なのか、結婚していない自分なのか、その時になってみないとわからない。

どういうカタチであれ、幸せ、安らぎの絶頂で死んでいけたら、わたしなら、本望かも知れない。
(人間は欲張りなので、なかなかそう上手くいかないけれど)



わたしの感想も、締めくくりの甘い、〆のない、とても中途半端なものになった。
(と、本屋さんのせいにしては、いけませんね)

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で、結論は?
買って読んでください。
(ちなみに、わたしは、本屋の回し者ではありません)

 

 


お局サマは、わたしが、キライ。

2011-06-24 | 趣味

今日は、ダンス教室の、飲み会。
この教室は、苦節2年3ヵ月後に、今年1月から中級クラスにやっと進級させてもらえたクラス。

わたしは、レッスンに遅刻した。
久しぶりの友人と会っておしゃべりに花が咲いて、20分ばかり、タイムオーバー。
教室の事務所に連絡しようかと思ったのだが、10分弱ぐらいの遅刻になるかも知れないので、
もういいか、それぐらいなら、と、連絡しなかった。

そのことが、先生はじめ、クラスメートの非難の的になった。

「スローさん、いつもは早いのに、今日は、なにかあったんですか?」
と、先輩男性F氏に聞かれた。

「はい。ちょっとその前の案件が長引きまして・・・」
「よくまあ、涼しい顔して入ってこられましたなあ」

連絡せずに遅刻したことを、正面きって、非難された。
しゅーーん。
今度から気をつけます・・・。

「先生も、知らん顔されてましたね。ご機嫌悪かったようですね」
と、誰かが追加。
はい、わたしが、悪かったです。

で、お局サマが、ここで、登場。

「そもそも常識がない。常識というものが、備わっていない。
どんな人なのかと思っていたけれど、こんな非常識な人だとは思わなかった」

ねちねち、わたしのことを、話題にあげる。
わたしの顔を見ずに、みんなに話す。

「『すみませーーん』って、こそっと入ってきた、あの態度を見て、
この人は、なんという人だ、と思ったわ」

「5分の遅刻でも先生に連絡しないといけないのに、なんて、あつかましい人なんだと思った」

「先生の顔を見ても、はっきりわかったけれど、あの態度は良くない。
あの行動は、ありえない」

いっぱい、いっぱい、いっぱい、言われた。

「反省します。今度からは絶対に前もって、連絡します。次回、先生にも直接、謝ります」
と、またまた小さくなる、わたし。

「このクラス、どうですか? このメンバーといっしょに、やっていくのは大変でしょう?」
とFさんに聞かれた時
「皆さん、ダンス、お上手ですね。同じクラスで、長年やって来られたので、まとまっておられるし」
とわたしが言うと
お局サマに「お上手(=「おべんちゃら」「お世辞」の意味)言うてはると思うけれど」
と牽制球を投げられた。

これは、実は、当たっているんだけれど
「皆さん、やりにくいですわ。教室歴が長いばっかりで、へんに凝り固まっていて、ルールが築き上げられて。
かといって、ダンスのレベルは、決して高くないところが、難儀ですわ」
なんて、言えるわけがないもの。

Fさんや、Kさんからのわたしへの他のいろんな質問が投げかけられたが、極力、短く答えて、
お局サマのご機嫌を損ねないように、、顔色を伺う、チキンちゃんのわたし。

ましてや、Fさんから「今まで、どこに、何年、習ってたの?」という質問に一言でレッスン歴を答えたが、
「そうやろうなあ。上手やから、他で習ってるんだろうと思った」
とFさんがおっしゃったときは、お局サマの顔を想像して、「いえいえ、そんなことないです」
とわたしは、言ったものの、一秒も早く、その話題を切り上げたかった。

Fさんの隣にお局サマが座っていて、その斜め前にわたしが座っている。
すべての会話は、お局サマを通す格好になっている。

こわい~~


しかし、お局サマに嫌われては、今後もやりにくい、とわたしは意を決して、
店選びや、お金の徴収など、仕切っている幹事であるお局サマに、
帰り際に、頑張って、
「○○さん、いつもお世話になって、すみません。ありがとうございます」
と、言った、わたし。
ちきちき、ちきん。

・・・・しーーん。返答なし。
お局サマに、しっかり無視された。

もういいよ、みたいな気になったが、まあ、気が付かないフリをしておいた。

なんか疲れるなあ・・・


でも、自分の胸のうちをベラベラ話しても、窮地に陥るばかりだし。
レッスンさえ、楽しくて有意義ならそれでいいのだし。
性懲りもなく、また、飲み会には参加するだろう。

嫌われちゃったものは、仕方ない。

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静かな、ある一日。

2011-06-23 | 暮らし

昨日は、母の静かな日常の1コマに、姉たちと参加した。

実家の母が、巻き寿司を作るから、食べにおいで、とお誘いがあった。

母は、83歳だが、わたしより、ずっとしっかりしている。
アタマも、足腰も、馬力も、気力も。

庭に咲いていた、菖蒲やカキツバタを活けていた。
お花は、いつも野に咲く花や、庭の花木を活けるが、
自然を取り入れたセンスは、わたしも見習いたいと思っている。

満開のお花を庭にだけ咲かせておくのは、もったいないと、いつも、マメに活けている。

お寿司は、水加減が多かったそうで、やわらかめだと嘆いていた。
ご飯をしっかり冷ましていなかったことも、よくなかったとか。
具材も炊き込みすぎて、やわらかくなったのが、ますます良くなかったと、反省点がどんどん膨らむ。
実家で食べたときは、そんなに母が嘆くほどのことはなかったが、
自宅用にと、少しもらったものを帰ってから家で食べてみると、味は、薄めだった。
これは、母が嘆いていないポイントだったが、
気になるところや、好みは、ひとそれぞれ違うものなんだなあ・・・と改めて思った。


母の巻き寿司は、いつもは、美味しいのだが、
料理というのは、その日のコンディションがあるようで、なかなか一定の味付けになるとは限らない。

写真は、実家の食堂で、「いただきます」の直前に焦って撮ったので、
アングル、その他、よくない写り具合。(いつもだけれど)
間に合わせの材料で、ちゃっちゃと用意してくれたようだ。

この食堂で食べるのは、ずいぶん、久しぶり。
ごくたまに、突発的にアポなしで、用事で来た時に、軽く、食事をふるまってもらうこともあるが
子供たちが幼児の頃、里帰りしたときは、よくここで、朝食を食べた。


母の味、全然、わたしは受け継いでいない。
食べるのみ。
不出来な娘だ。

馬力も、料理も、お花も、仕事も、掃除や、外回り一切合切の切り盛りも、
全部、わたしは母の足元にも及ばないが、
時代背景として、苦労してきた戦中派の人々には、どうしても、勝てっこない、へなちょこ世代。

傍(はた)で見て、知っているだけで、自分では、しようとしないでサボってきた。
なので、いざ、同じようにしようとしても、できない。
せめて、お手本として、アタマの片隅に入れておきたい。

気温をいつも快適にコントロールできる高気密住宅に住んでいると、
快適さゆえ、季節の移ろいを実感ににくい面もある。
そういうライフスタイルが身に付いてしまうと、腰が重くなって、
季節ごとに入れ替える建具や、四季折々の設えなど、大掛かりなことはとても出来ない。

口ばっかり達者で、なにも大したことは出来ない、わたし。

年齢を重ね、オンナ同士の闘争など卒業して、落ち着いてきたら、
しっとり、移り変わる季節を、しみじみ味わいたいものだ。

 

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はたして、そんな日は、来るのだろうか???

 


天国?地獄?の、入り口

2011-06-22 | 趣味

通いはじめて4ヶ月、
ダンス教室のクラスメートたちとも、だんだん顔見知りになってきた。

教室に入って、一番はじめに目に飛び込んできた、あまりの煌びやかさに、思わず後ずさりしてしまった、マリリン。
(勝手にわたしが、マリリンと命名)
グラマラスでセクシー、顔にほくろのある、浪花(なにわ)のマリリン・モンロー。

この人がいて、わたしが、いる。
なんで?
なんで、同じ空間に、同じ時間にいる?

という、わたしと対照的な人物。
というか、接点は、社交ダンスを趣味にしていることだけ。

レッスンが始まる前に、ご自分のデモ(発表)の練習を、鏡の前で熱心にされていた。
すんごい、振り付け。
情熱の踊り、フラメンコ、カルメンか、リオのカーニバルか、はたまた、・・・???
もっともっとビートのきいた、なにやらの、なんやら、かんやらか・・・
(わたしの引き出しが少なすぎてくて、表現できない)


マリリンは、顔は、平常でも舞台メーク。
衣装も、こんな格好で地下鉄に乗ってきたの?という、むちむちダンスウエアー。

初代バービー人形みたいに、まつげ部分も、きっちりしっかり、顔の一部として形作られている。
雨が降っても風が吹いても、びくともしないほどの、がっちり強固ぶり。
マッチ棒の1本や2本は、乗るだろう。

その方が、昨日、わたしに話しかけてきた。

「あなた、レッスン、2つ受けられてるの?」
「はい・・・」

話すときの、マリリンのキラキラした目を見ると、
街や、テーマパークで、動物の着ぐるみを着たキャラクター(人)と、目が合ったみたいな、
目の奥のほうに、目があった(格納されていた)。
アイメークばっちりなので、メークと目の境目がわかりづらいが、ちょっと黒く光るものが、
ほんものの目、だ。

目とアイメークは、一体化していて、もはや彼女の一部となって切り離せない。
「目はこころの窓」というから、マリリンのこころは、ああいうかんじなのか・・・???
それとも目ヂカラ強化キャンペーン中?

目の表現ひとつとっても、時間がないなか、思う存分、書ききれない。
目だけではなく、すべてが、そういうお方。

通っているレッスンホールが主催するパーティが先日あり、マリリンは、そこのデモに出たのだが、
その時の録画をホールの大画面で、わたしたち生徒に披露されていた。

すごかった。
痙攣している? わたしの目がおかしい?
それぐらい、細かい、速い動き。
もちろん、先生も。(デモは、先生とペア)


別の教室で、彼女は個人レッスンを受けているのだが、
わたしは、(前々から方向を探しあぐねていたが)、ここ1ヶ月、あれこれ考えて、
無謀にも、彼女と同じ先生の体験・個人レッスンを受けることにした。
(あくまでも、体験レッスンですが)

突然、話し掛けれらて、そのことを彼女に話してしまった。
あああ、話さなくてもいいのに。
そう思ったのは、先に口から言葉が出た、そのすぐ後だった。


同じレッスンを受けている、ある、ひとりの男性の言葉が脳裏をよぎった。

「この世界、コワイ世界ですよ。知らないほうが、いいです」

入り口でとどまって楽しむのが、いちばん。
ここは、地獄の1丁目。

1丁目のあとは、なん丁目まであるのだろう・・・・???

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漂流の先にあるもの。

2011-06-21 | 人生

わたしは、いま、名の知れた一流企業で重要な役職をしていますが、
実は、昔、顧客から預かっていた預託金を横領しておりまして・・・

わたしは、こんな高級住宅街で、ハイソなマダム暮らしをしていますが、
実は、昔、相当な悪どいゴロツキの愛人をやっておりまして・・・

なんて、わざわざ暴露する人はいない。
ダイアナさんの元側近とか、超有名人の元家政婦とか、
そういう人がお金欲しさや売名行為で、暴露本を出すケースはあっても。

では、
どうだっ!! すごいだろっ!!
これまでの栄光の道のりを延々、自慢する人。
逆に、
どれだけ大変で、苦節、苦難を乗り越えたかを切々と涙ながらに訴える人、
あるいは、
若手に、高圧的に説教する人。

現在のポジションが高ければ、高いほど、こういう人は少ない。

いちばん、やっかいなのは、
淡々と当たり前のごとく、フツーに力みなく、
一般の人と格段にレベルの違うことをやっている人。

あれ? あなたは、違うの? 
パンがなければ、ケーキを食べるんじゃないの?
え? 飛行機って、ふつうは、ビジネスクラスじゃないの?
ご本人には、まったく悪意がない。
とても善意にあふれた、いい人。

(そういう人は、似たような人と日常をともにしているので、
異なる社会の人と接触することはあまりないから、トラブルもそう多くないと思うが)

 

「昔は、不幸だったけれど、今は、こんなに幸福で、感謝しています」

そういう人もいて、講演会を開いたり、本を書いたりする人もいて、人々に元気を与えているようだ。

反対に、

今は、落ちぶれていても、元・上流階級・・・

小林よしのりの漫画「おぼっちゃまくん」に登場する「びんぼっちゃま」みたいな)

○○の末裔で・・・。○代続いた○○の血を引き・・・。

などなど・・・・これらは、どうなのか、ちょっと扱いに困るけれど。(例外にしておきましょう)

 

つまり・・・
どんなふうにしていても、
今までやってきたことは、なんらかのカタチで、表面に出るということ。
わざと隠そうとしても、事実と逆を装っても、
大げさにホラを吹いても、アピールしても。

急には表面に出なくても、知らず知らず、蓄積されていて、いずれ、表れるということ。


若い人は、ある意味、うらやましい。
恐れがないから。こわいものを知らないから。
かつて、わたしも、そうだったように。

よく、大人がそう言ってたけれど、意味なんかわからなかった。
でも、その日、その日がよければいいじゃない、と、開き直れなかった。
将来を見据えて(臆病だったから)、
耳掻き一杯程度の努力をしたかも知れないけれど。

100パーセントはじけたとしても、それは休日だけだった。
平日には、平日の暮らし。
もっともっと、好き勝手していてもよかったかも知れないけれど、
波乱万丈でなく、ほどほどの人生。
チキンのわたしには、これぐらいがちょうどかも。

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このわたしの件(くだり)は、上のタイプでいえば、どれに当たるんだろう?
「その他、大勢」「一般」で、ひとくくり?