ある人、Aさん。70代。
「老年」に対する捉え方が、わたしと違う。
わたしのことを周りにいる老年の人に比べると、元気だ、エネルギーがある、と言う。
「周りって?」
70代後半〜90代のことを指しているようだ。
家の近所を歩いている人も、結構お年寄り(80代以降?)らしい。
(かなりの高齢に比べて)若い人は見かけないと言う。
「お年寄り」とひとくくりにしても、老親を介護する老子供もいる。
そういう、(80代〜と思われる)お年寄りの中ではわたしは若いし、身体能力もまだあるのだから、どんどん頑張って活躍すべきだとハッパをかけてくる。
わたしが思うのに、、、Aさんが参加している活動は、年配(70代後半〜)の人が多いのでは?
年配になり過ぎると、着いて行くのが苦しくなり、やめる人も出てくる。
それはそれとして。
Aさんは、60代ぐらいの人々とあまり顔を合わせることがないと思われる。
つまり、Aさんとわたしの間には少し年齢ギャップがあるということだ。
楽しみ方のパターン、方法、経緯が違う。
たぶん、わたしの年齢の人はまだ働いているか、子守しているか、家族の世話があったりして、社会や家庭の中で忙しく、時間を持て余してはいないと思う。
あるいは、活動を共にするのは、夫婦や仲間とだったりする。
昔でいう有閑マダムは、同類マダムとランチ。
そんなダラダラ暇つぶしではない、積極的遊び人は、今ならアクティブ・シニア?
不特定多数のゾロゾロ歩くだけの会には、自分でプランを調達できる人は参加しないのでは?
だが、積極的オリジナリティなく、丸投げお任せ健康活動となると、歩くだけの会などは最適。
行ったことがない地に着いていくだけで連れて行ってくれるし、健康にも役立つ。
それに自主的に参加すること自体が素晴らしい。
だが、前述したように、自分でコースを立案出来る人は参加しない。
参加するのは、健康にはなりたいが、調べるのは面倒、お金もかけたくないというズボラな人が多いのでないだろうか。
そうすると、時間がたっぷりあり、独自活動しないお年寄りが集まる。
家の中には留まらず、とりあえずは家から出るものの、自分では何をどうすればよいのかわからない人。
フレイル予防、典型的老年パターンではなかろうか。
それはそれで、自主的に家を飛び出し、素晴らしい。
その外出をもしなくなると、他者からの介助や医療が必要になる。
次のフェイズ。国の医療費パンク。
フレイル予防の段階、その中では、わたしは若い、ということになる。
どこかに行くにも、何かするにも、割り勘でしたいわたしは、お金を出したくない人とはどうしても、行動が制限される。
相手の財布事情を踏まえて立案しなければならない。
わたしは(家族以外は)他人の分まで出す気はない。
各人、金銭の自立がないと、人間関係の均衡が崩れる。
そういう思考、嗜好、志向があるため、Aさんが活動している範囲には、わたしのような傾向の人は少ないと思われる。
早い話、好みや意識が少しズレているということ。
同じ好みであっても、それに伴う出費も同じ価値観でないと、楽しみを共有できない。
姉に言われる。
「もっとお金が自由になる人と付き合えば?」と。
こちらの行動まで制限されてしまう。
同じ経済環境、金銭感覚を持っていないと、他者と行動する場合、ギクシャクする。
似たような年齢の人がAさんの周りにいないのは、似たような環境にいないせいではないだろうか。
今、頑張っている人は、あまり無目的にウロウロせず、もう一定活動の中に身を置いている。
したいことも定まらず、あるいは頭打ちになり、健康な身体とエネルギー、時間だけを浪費しているのが、Aさんは、もどかしいのだろうけれど。
出口探しも思うように行かない状態。
それはまだ若い証拠で、心身が更に加齢して自然に衰えてくると、エネルギーも消失してモヤモヤもなくなると想像するが。
同じ高齢者でも、後期高齢者と前期高齢者では結構違う。
Aさんの周りには後期高齢者しかいないのだろう。
Aさんの年齢では、働いている人もいる。
その中で、前期高齢者のわたしは、もっと趣味分野で深め、精進、努力して頑張るべきだと力説するのだが、、、。
わたしはもういい。
楽しみ方が違う。
入り口付近では同好者なのだが、一歩入ると、微妙に違いを感じずにはいられない。
出口ではまた顔を合わせる?
出口って、どこだ?