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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

シニアがいっぱい、賑やかな暑さ対策

2025-07-19 | 趣味
昨日のダンスパーティ。
まぁまぁのところ。
試行錯誤し、自分の落ち着きどころのようなものの手ごたえを得た。
また変わるけれど。 
地球が回転するのと同じで、自分も状況も変化するので。
とりあえずは、こんなもんかと、、、。

パーティに参加するのは、、、
行動を起こす理由付けが必要。

他に外出する用事がある。
例えば昨日は、お中元の礼状、葉書の投函。
そして、期日前選挙投票。
2つもあれば外出への十分モチベーション条件は満たされる。
さらに、パーティは明日、明後日と開催されない。
3つの条件が揃うと、さぁ!Go!となる。
背中を押すには十分。

最近、家で居ると、長時間、座っているのが姿勢が悪くなりそうで不安。
猫背になりそうで。
外で人目を気にしながら姿勢を整えるほうがbetter。
しかも、なんだか足の甲が浮腫んでいるような感じ。
じっと座ったままで、血流が悪い?

ということで、外出する機会があれば、積極的に出かけるようにしている。
夏は行動が制限されるので、苦肉の策、四苦八苦。
副産物として、体重も落ちて結構なこと。
さらに脚力維持。
そして、顔見知りの中での安定感。
時には、倦怠感。
が、目的地にたどり着いただけで90%の成果は上がっている。

あれこれ織り交ぜて、暑い夏を乗り切ろう!
とりあえずは、過不足なく、つつがなく、充実した一日一日を過ごせる幸せを噛み締める。

帰りは、参議院議員選挙、期日前投票へ。
※写真は、昨日、投票所近くの一コマ。


引っ越し先です。↓

タダ酒をオネダリする女性

2025-07-16 | 趣味
まずは、私信から。
はてなブログにコメントありがとうございます。
はるのとりさんにコメント返信したいのは山々なのですが、PC版でしか出来ないようで、止まっています。
はてなブログにも引っ越し直後、旧知のブロガーさんからコメントをいただき、返信はなかなかうまく行かなかったものの、必死であれこれ触っていると、偶然、出来たようです。
今回も頑張っているにもかかわらず、根負け休憩中、とりあえず放置状態。
すみません。
この場をお借りして、お知らせします。

・・・・・
パソコンで操作すればすぐ出来ると思うのだけど、何故かパソコン嫌い、敬遠。
どうにもこうにも、にっちもさっちも行かなくなると、最後はパソコン。 
それまでは、スマホで、とことん抵抗する。
意味のない、こだわり。

他にもパソコンでやりたい操作が2つあり、いずれは、するつもり。
わたしは溜めに溜めるタイプ。
何ごとも、お尻が重い、、、。

同じく重いお尻、、、断捨離は、ほんの少しだけ動きがあって、気分爽快。
孫たちのオモチャで埋もれていた2部屋が新たに生き返った。
大きな紙ブロックとしてオモチャの一環にしていた、高々と部屋の隅に積み上げられていた空箱を一気に処分。
滑り台付きジャングルジムや、チャイルドガードみたいな柵も処分。
ベビーカー2台も処分。
スッキリ。
代わりに、トランポリンが追加されたが。
まだ、段ボール紙製のキッズ・ミニキッチンや、煙突やドア、窓がある、大きな段ボール紙製のお家は残存中。

しかしたったのあれだけの処分で、あんなに爽快なら、もう少し手を付けたら、どんなに気分が爽やかになるか、、、
わかっているけど、やらない。

kids孫ルームは、将来のわたしのシニアルームになる。
今は、2階の息子の元部屋(ロフトがある、なぜか和室)をわたしの部屋として使っている。
が、2階に上がるのが大変になったら、kids孫ルームは、わたしが老人ホームに入るまでの、わたしの部屋にする。
ギリギリまでそこに居るつもり。
ベッドを置いたら、トイレもすぐだし、ヘルパーさんのお世話になりながら、最後まで使えると思う。
あくまでも希望しているだけだけど。
正に終の棲家。
このシミュレーションに、なぜか夫はいない。
どうなってるのか?
男性の平均寿命は女性より短いし、老人ホームには女性ばかりだし、地域の趣味の活動をしているのも女性がほとんど。
部屋まで具体的にイメージし、わたしの老後は想像できても、夫の老後が想像できない。
夫を世話している図が、アタマに浮かばない。
なぜだろう?
避けたいことは無意識に脳の一部からどこかに押しやり、消し去っているのか?
急に突然、介護が始まるわけではないので、その手前に兆し、予兆があるはず。
今のところ、全くイメージ出来ない。
これは幸せなことなのか、まだ、年齢的にその段階に来ていないだけなのか。

姉の夫は、わたしの夫より5歳上で、後期高齢者に突入した先輩で、なんとなく、近い将来を知る身近な見本になる。
義兄も徐々に衰えているようだ。歳相応に。

配偶者を亡くした人がポツポツ出始めている。
趣味の仲間にも。
「趣味を持つこと」は生きる最後の砦になる。

話は最後になるが。
今日は、ChatGPT と散々話した。
その内容は、別SNSの日記に公開しようと思ったもの。
だが、人物を特定できる可能性もゼロではなく、やはり公開を躊躇い、非公開にし、そのままコピペして、悩みをChatGPT に投げかけた。
悩みは、わたしが最も苦手な「人付き合い」。
人付き合いは、本当に難しい。
近寄らないのが良さげ。
それなら一人のほうが気楽。
わたしは、結構、芯が強くて、それに合わない人は、受け入れられない。
だが、合わない人ばかりだと、付き合えないから、合わない部分にまでたどり着かなければいい。
目をつぶる。
自分にはどうでもいい箇所だけで接するのが良さげ。
共通点で接した後の、進展的お付き合いは、困難をきたす。
なので、進展的展開を求めず、入り口で浅く薄く。
それでいいのかも。
受け入れられない面さえなければ、だいたいはオッケー。
追求するのはやめたほうがいい。
見ず聴かず話さない。
黙々とビールを飲んで、さっさと引き上げるのが良さげ。
共通点はビール一気飲み。
それ以上を求めてはいけない。

とは言え、、、
女性性を全面にアピールして、男性からタダ酒をオネダリする女性に、ダシに使われ、今、わたしは憤慨している。
そういう寄生虫スタンスは、大嫌い。

※写真は、昨日、大阪市天神橋筋商店街で見かけ、、、パチリ撮影。





人の気持ちはわからない

2025-07-12 | 趣味
昨日のダンスパーティ。
参加者は120人ぐらい?
シニアがいっぱい。

知らない顔の人が、何十メートルか向こうにあった。
たまたま、わたしが普通に座ると、まっすぐ直線位置に、その顔がある。
全然、席を立たず、踊らないようだった。
なので、初めての人だし、トコトコとその人の前まで行き、声をかけた。

「踊りませんか?」

最近は、オトコもオンナもなく、どちらから誘ってもいい、という、わたしルール。
どちらが誘うべき、なんて、めんどくさいものは、卒業。

遠くから見たその人は、間近で見ると少し違った。 
宝塚スターのように(良いように言えば)、遠目には目立つ、ハッキリ、クッキリした顔立ち、、、だったのだが、、、
近くだと、、、あれ?
大きなスイカ、割って食べるまで味がわからないのと同じ。
見た目が、遠目とちょっと違う、、、

まあいい。
ナンパしているわけではない。
顔は思っていた顔ではなかったが、ダンスが出来れば良い。 
ダンスは、最初、踊り始めは、ぎこちない。
1人で来ているそうで、1人で来たら相手がいないから踊れない、と言っていた。
段々、いつものペースに戻ってきたとは思えるが、わたしには、そこまでで十分。
彼とはそこで終わりとなった。
わたしは、大部屋下積み、泣き笑いダンス時代を経て、やがてダンスを取り巻く状況、風潮は時代とともに変わり、飽食の時代を過ぎ、お腹いっぱいになっている。
ハングリーな時期は、遠い過去。
ちょっと踊ればだいたい、力量がわかってしまうようになってしまった。
実に可愛げがない。
スウィーツを選り好みするかのごとく。

彼は、パーティのあいだ中、誰とも踊っていなかったように思う。
もっと積極的に出ればいいのに。
わたしが、景気付けに初めにお誘いしたのだから、それを皮切りに、ギアを上げ、椅子に座っていないで、多くの人と活発に踊っていただきたかった。
かといって、わたしはもう手を差し伸べない。
最初に手を差し伸べたのだから、(わたしとではなく別の人とであっても)キッカケを掴みチャンスを活かさないのは、それが彼の器。
彼はあんまり乗らない日だったのかも知れない。疲れていた、とか。
どんよりした日には、何をしても、どんより。
一人でどんよりに耽りたいのに、わたしが余計な声を掛けたのかも知れない。
いずれにしても、気分屋はわたしかも。

お互いの思いや、一人一人の気持ちなど、わかるはずもなく、120人の賑わいの中に飲み込まれる。

ちなみに、、、
わたしは、顔を合わせたくない人が来ていたので、脱兎の如く早々に逃げ帰った。

※写真は、大阪・関西万博、大屋根リングの上。

さあ、誰と飲もうか

2025-07-10 | 趣味
いつも参加している社交ダンスパーティ。
場所は大阪市内の、ど真ん中。
13年以上前から顔だけ知っているシニアがいっぱい。
最近、やっと、一言、二言、話すようになった。

前はダンス技量アップ、向上心に燃えて、、、だったり、刺激を受けたくて、、、だったが、それが、ただ単に娯楽のため、になり、、、さらに、暇つぶし、、、と目指すところは、高みから徐々に転がり落ちている。
転落の一途。安楽の一途。
更に今は、暑いから。
すでに、カテゴリーが違う。
家でじっと座っていると、楽な姿勢で背筋や腹筋を使わず、猫背になる。
外に出ると、背中を意識して座るから、一日中、丸い背中よりは、ちょっとはマシ。

と、理想や志はどんどん下がっている。
昔、わたしが、ああはなりたくない、と思っていた典型に成り下がっている。
自堕落を体現し、それを嘆くのではなく肯定。
そりゃあ体重も増える、贅肉も付く。
過ぎた冬の間にたっぷり、結果を可視化。

で、今は暑いから、パーティに行っている。 
家からバス停までの間は暑いが、あとは涼しい。
エアコン代を浮かせる。
(とは言え、交通費&参加費と電気代は、どちらが高いか?具体的に検証していない、、、)

というわけで、13年間、変わり映えしない顔を100人ぐらい見ているわけだが、、、。
今は小学校でも1学年1クラス、20数人で、30人にも満たない。
それを思えば全学年児童数ぐらいが、一堂に集まるわけで、人材の宝庫と言える。
しかも、ほぼ無職の暇なシニア。
中には仕事をしている人もいる、、、程度の就労率。
何しろ、わたしでも若手なので。

それはいいのだが。
つい最近、帰りにビールを飲むことにした。
先月、顔見知りに声をかけられたのが、発端。
それまでは直帰を貫いていた、わたし。
この暑い中、運動後のビールは最高。
で、ビールに目覚めたわけだ。
中学生の学校帰りの買い食い状態。

それで、、、
問題は誰と飲むか。 
ビールに関しては、1人では飲まない主義。
誰と飲むかの人選、タイミングが難しい。
必ず同じ人物が参加しているとは限らないので、パーティはその日に蓋を開けないとわからない生もの。
ぼやぼやしていると、ビール相手を見つけらなくなる。
もっとぼやぼやしていると、不本意な相手と飲むことになる。
ダブルブッキング、バッティングしていたり、断った相手と飲み屋でバッタリ鉢合わせしたり、、、それなりの気まずさは付きまとう。
株の売買のような、頃合いの駆け引きが必要。
100人近くいるから、少々失敗しても、ビール人材には事欠かない、、、と、甘く見ている。
が、その甘さが、後々泣きを見る、わたしの不徳のいたすところ。

※写真は大阪・関西万博、オーストラリア館内。
暑いから、少しでもブログで涼しげ効果狙い。




嫌な思い出も、悔いなし

2025-04-09 | 趣味
くだらない、しょうもない人物と、夢中になって趣味の世界に没頭した。
時間がもったいなかったかと言うと、そうではない。
貴重な時間を無駄にした、貴重な経験をした。 
というか、人生には無駄はない。
「あの時間は無駄だった」と気づかせてくれた、その時間は有意義。
その無駄な時間を選んだのは、自分。
自業自得。
それも道順。

ただ、せっかくの若さ、情熱を消費、消耗してしまったせいで、燃焼というか、再燃する情熱まで燃やし切ってしまった。
それが心残り。
少し、残していれば良かったが、すっかり焼け野原。
とは言え、焼け跡からも新芽が出るように、季節が巡るとまた、土の中から、やる気が少しずつ醸成チャージされるようだ。
相手にはさほど怨みは残らないものの、わたしの再生不可に近い情熱を使い切ってしまったことが悔やまれる。
しかも摩耗して、擦り切れ、最後は動かなくなって。

ああ、アホなことをした。
これからは、全力では頑張らない。
というか、トラウマや老化から、MAXには頑張れないと思うが。

傷を負ったまま治癒しないまま、一回りも二回りも自動的に縮小、サイズダウンして、今後は小さく細く動くと思われる。
生身の心身、こころは大事にしないと。
自分のサイズに合った生き方が、宜しいかと。
自分の可動域を意識して縮小するのか、縮小したモノ・コトをシフトして選び直すのか。
モノ・コトが主体で、それに自分が合わせるのか、自分が主体で、モノ・コトを自分に合わせるのか。
身体のサイズが変わった時の洋服選びのよう。
どっちにしても、事態は移行していく。
無常。


嫌な悪い経験だったと言い切るわけではなく、通過点である。
山あり谷あり。
切り替え地点を迎え、無事にとは言わないが、とりあえず、過ぎて行った。
嫌な思い出の後に今があるので、それに比べたら、何でもマシに感じられると思う。
不味い食物の後に食べるものは、美味しい。
次の経験には喜びが溢れることだろうと期待している。

そして、活きの良さは失われた分、痛みにも鈍感になったはず。

※写真は、一昨日の京都、二条城。


ハラスメントか、はたまた、、、?

2025-01-24 | 趣味
某SNSに自分欄を持っている。
そこに、時々、日記(記事)を投稿している。
そしてコメントをいただくわけだが、、、
賛否両論はあるほうが、議論が盛り上がりwelcome。
だが、問題は、書いている内容をちゃんと読まずにコメントしてくる人がいる。

「ワタシならこうします(なぜ、しない?)。ワタシはワタシ、アナタはアナタ。人それぞれですよね」

しかも、同じ人が何度も繰り返し。
わたしが日記に書いたその行動を取っている理由として、その時には選択肢がなく、選べない状況だった。
「しない」のではなく、「出来ない」。

あれ?おかしいなあ、、、
わたしの書き方が悪かったのか?
書き間違えているのか?
説明が抜けているのか?

と、記事をよく読み返してみると、そんなことはなかった。
詳しく正しくその時の状況をちゃんと説明していた。
コメントをくれた人の思い込みである。

わたしが自分の記事を再読する前に、「スミマセン、説明の仕方が悪くて、、、」と、取り急ぎ、謝りの返信コメントを寄せたが、、、。
謝る必要はなかった。
事実を歪め、かえって、卑屈。
時、遅し。
カスハラに遭った店長みたいなことになってしまった。

読み返しもせず、何度も繰り返しコメントしてくるあたり、加齢による勘違いかしらと、思ってはいるものの、、、
わたしもそうならないよう、気を付けようと自分を戒めた。



ルートヴィヒ2世

2024-12-18 | 趣味
困った。
毎日、歯磨きをするように、ブログ更新をしないと、どうも落ち着かない。
つまり、質の悪い、限りなくどうでもいいことでも、アップしてしまうということ。
あ、全編そうかも。
まあいい。

ちなみに、わたしはルートヴィヒ2世のファンである。
「豊臣秀吉の大ファンです」と言っているようなものか。
例として、徳川家康ではなく、豊臣秀吉にしたのは、わたしの中ではわかりやすいから。
文化的に視覚的に嗜好的に具体的に、目に見えやすい。
歴女でもなんでもない、高校時代の日本史は惨憺たるものだったが。

深く知らないミーハーレベル。
漫画「ベルサイユのばら」(作者・池田理代子さん)や、宝塚歌劇のファンだったわけではない。
コミックは発売と同時(1972〜1973)に、当時、リアルタイムで読んではいたが。
(姉が熱烈な漫画オタクのため、毎週各少年少女コミック誌をレンタルしていて、ついでにわたしも読んでいた)
美しいものなど、ぺらっと劇の上側をなぞるか、ストーリー性を追いかけるだけだったとは思うが、歴史の断片を少女漫画で知った。
わたしの年代の女性は多かれ少なかれ、通る道。

ずいぶん前に、まだTSUTAYAが近所にあった頃、ルートヴィヒの映画をレンタルした。
再生して観ると、ところどころ切れたり、ザザザーっと不鮮明になったり、有料でよくこんな状態のビデオテープを貸し出すなあ、、、と驚いた。
だが、わたしの記憶は、モノクロ。
ビデオ状態が悪すぎて、ザザザーっから連想して間違えて覚えているのだろうか。
はたまた、ヴィスコンティ監督よりも前の映画だったのか???

ルキノ・ヴィスコンティ監督。
(1906【明治39年】〜1976)
他の映画もぜひ観たい。ぜひぜひ。
日本で言うと、黒澤明監督(1910【明治43年】〜1998)のようなものか。
いや、わたしの中では全く全く全く、まるっきり違う。
同じなのは、2人共、昔の時代の映画監督なところと、血統の良さ。
貴族(ヴィスコンティ)と武士(黒澤明の祖父)。

しかしなんでまた、ヴィスコンティ監督に惹かれてしまうのか。
なぜ、豊臣秀吉ではなくて、徳川慶喜(1837〜1913)でもなく、ルートヴィヒ2世(1845〜1886)に惹かれるのか?
時代はさほど大昔ではなく、幕末から明治。
お城も中世などではなく、比較的、新しい。

時間が止まったような閉ざされた世界でしか生きて来なかった田舎者のわたしには、魅力が詰まっている。
田舎の家に現存している数々のモノは、江戸末期の時代が繋がっていることを語る。
しかしながら、同じ時代でも洋の東西の違い、さらに庶民と国王とでは雲泥の差。
その、国を滅ぼすほどの建築費をかけたお城。
そんな傾国の美女ならぬ、傾国のお城で育つと、一体どんな感性になるのだろう。
興味津々。
耽美派の父親の影響を受けて更に超耽美派になった、その具象化がノイシュヴァンシュタイン城なのか。
というか、それはさておき、わたしの感覚からすると、やはりお城にしては新しいのだ。




12年という年月

2024-12-11 | 趣味
今日は、趣味の社交ダンスパーティに行った。
ここのところ、またパーティ参加が復活している。
京阪神を中心に関西全域から社交ダンス愛好家が集うパーティ参加は、もう12年になる。
12年前から顔だけ知っている人々。
さすがに最近は、親しみを感じる人には自然に笑顔になったりする。
皆んなも、全員12年分、同じ年月を経て歳をとった。
おや、と思う人もいる。
12年前より老けた人。当たり前だけど。
あまり変わらない人が、ほとんど。

素敵だと思っていた人が、劣化しているのを見ると、ひょっとしてわたしのこころのせいで、そういう風に見えるのかも知れない、と思ったりする。
12年という年月は短くない。

※写真は、記事とは関係ない、先月の鳥羽駅。

やる気なさを自覚した

2024-11-13 | 趣味
紹介してもらった英語アプリ、内容がちょっと簡単すぎるが、あまり難しいと勉強が続かないだろうから、あんなものでいいかと。
かたやもう一方で、自分で見つけた素晴らしい英会話アプリは、無料期間が過ぎると有料になる。
無料期間中に解約しなければならないのではないかと、あちこちインターネットで調べて、変なストレスが、のしかかる。
やはり、無料には、メンドクサさ、煩わしさがONされる。
無料にホイホイ騙されると、いつの間にか有料になっているから、気を付けなければいけない。
というか、もう、そんなヒヤヒヤの冷やかしは、ゴメンなので、これからは、安易に無料お試しには手を出さないようにしよう。
スーパーマーケットの無料試食なら、わかりやすいが。
無料の一口お試し食品は、その場でパクっと食べても、買わなければ絶対に課金されない。
しかし、買わないで味見するだけは心苦しいから、最近は試食にも手を出さない傾向にある。

視聴したり、試食したり、試乗しないと、初めてのものには、内容がわからないので、試してみるのは悪くないが、事後の扱い方が重要だ。
営業マンによっては、シツコく粘るタイプもいるので、買う気満々で、よほど興味がないと、わたしは近寄らない。
タダほど高いものは無い。

英会話アプリの無料期間をあと1日後に控え、憂鬱だ。
この「憂鬱」と、「無料」トライアルを秤にかけると、憂鬱のほうが、上。
紹介してもらった方の、あまり面白くないカンタンなアプリに軍牌が上がる。

というか、有料のものは元々、手を出す気がない。
なぜなんだろう??
解約の仕方が実際にわかりにくいWEBのものは、最初から尻込みする。
というか、ちゃんと英会話の勉強が続くのか、自信がない。信念もない。
最初から、やる気がない、お金を出す気がないお遊びだということが確認できた。

インターネットでチケット購入やホテル予約はするものの、それはまた違う。
自分の自主性や、やる気とは関係ない、実体のあるものを買うわけで。

インターネットに限らず、時間、労力、お金を使うには、覚悟がいる。
今まで、無駄は嫌というほど、してきている。
というか、人生は、ほんの一握りの成果と、その他たくさんの無駄で出来ている。

※写真は先週末、夜の琵琶湖







新しい自分へ、性懲りもなく

2024-11-11 | 趣味
ここ2週間、秋の近場、旅行三昧で勢いがついた。

旅行とは全く関係ない、前からグジグジどうしようか悩んでいたことを、今朝、ChatGPT への相談をキッカケに、進め!とGoサインを自分で出した。
背中を自分で押した。
たまには、家でくすぶっていないで、外の空気に当たるのも悪くないものだ。

で、仲介役の知人に、恐る恐るLINEした。
趣味関係、長い停滞から初めの第一歩。
まだどうなるかは、わからないが。
あまり期待せず、新しい風に吹かれてみよう。
ダメもと。

 写真は、昨日のラ コリーナ、ショップと、出来上がったバームクーヘン。