蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

等身大の自分

2017-01-28 | わたし
加藤諦三氏の深層心理に関する著書を読んだ。
「言いたいことが言えない人」

かなり自分に当てはまる。
その中でも特に、高い理想と現実とのギャップから低い自己評価に苦しむあたりは、どんぴしゃり。

劣等感は、見下す気持ちからも生まれるとか。
優越感の裏返しである。

へりくだっているつもりが、実は見下しているのか。

自分を正当に評価できない。
その理由のひとつとして育成歴が影響しているらしい。
高い目標や理想を掲げる人々に囲まれ、不当な批評家がいる家庭。
実際の自分より高すぎる基準の中で育つ。
家庭のみならず、学校も。

特に学校は、息が抜けない。
学校と家庭の狭間、隙間に、息抜きの居場所を求める。
でないと、やっていけない。

そう言えば、わたしは、小学生四年生ぐらいの頃以来ずっと、一歩、家から出たら、のびのびしていた。
気持ちが明るく自由な気分になった。
結婚を機に、実家から脱出した時の、あの解放感。
でもそれは一時的なものであって、根本的な解決にはなっていなかった。

しかし、そこで思う。
記憶では小学生の高学年あたりから、楽しくない。
何故なんだろう?
自問自答してみると、おそらく自分にかかる負荷が強すぎたのだろう。
あまりにも優秀な未来のエリート軍団の中で、完全に押しつぶされたのではないかと分析する。

家庭では、フォローするどころか、教育は学校にお任せ、まる投げスタンス。
あのあたりから、歪みが生じたように思う。

小学校に入った頃の、理科の草花の学習や、言葉を教えてもらったあたりは、楽しかった記憶が残っている。
が、段々、学年が上がるにつれ、キツく苦しくなり、必死で無理やり頑張ってきた。
それが、小学生四年ぐらいからである。
まだ10歳。
家庭でも、父が重い病気を患い、暗く重苦しいハードな時期だった。
そのあたりの体験や記憶が、わたしのベースになっているのだろう。
重くのしかかったまま、乗り越えていないと思われる。

で、もう還暦まで来てしまって、今更、どうやって乗り越える?
生まれつき、わたしは天然系なので、皆さん、どんなエライ人も、加齢による認知症もぼちぼち出始めて、こちらの陣地に近寄りかけている。
こりゃあ、笑うしかないかなあと。

逆ギレではなく、優しく穏やかに、開き直って加齢を味方に、ゆっくり歩いていこう。


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若さ故の勘違い

2017-01-24 | 仕事
私が、妻、母、嫁では満足出来ず、働きに出た理由は?

婚姻関係を結んでいる家庭以外に、生きる道がないからである。
選択肢がない。
一生、縛られた生活。
あまりにも自立していなさ過ぎる。
そんなの、イヤ。

自由主義経済、自由競争のほうが、生産性が高い。
競争は向上につながる。

昨今、日本でも離婚、再婚も多くなってきた。
時代の変化と共に、価値観も変化する。
養ってもらっている身では、弱い。
逆手にとって、逆ギレして開き直り、悪妻の限りをしつくすのも、ひとつの方法である。(良いか悪いかは別にして)

わたしは、家事が苦手であり嫌いであるが、自分を評価される分野は、家事であるとわかった時、天職ではないと思った。

では天職など、自分にあるのか?
ない。
が、若い自分は、自分に(根拠のない)可能性を感じていた。

家事もまともにしないくせに、特技はあるのか?
ない。
じゃあ、家事をやっていればよかったのでは?
プロ主婦目指して。


しかし、、、
不得意分野で戦わされるほど辛いことはない。
どうせなら、得意分野で苦労したい。
得意分野などないくせに、なぜかあるような気がした。
たんなる「勢い」だ。

と、「好き」と「得意」をはき間違え、若さ故の勘違いをして、働きに出たわけである。


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振り返る日々、そしてこれから

2017-01-20 | 人生
わたしが、今までの人生の道、途中で、考え選択したこと。

1、青春時代
世の中では、18歳は番茶も出花、なんて、18歳が女性のピークで、もてはやされていたのに、自分が18歳の春の時は、花の姿はいったい何処?の、どんより、さえない、単なる高校生。
おじさんたちには垂涎らしい現役女子高生、当時の自分は、おじさんに対しては何の価値も魅力もなかったので、へえ〜、関係ないわ、ぐらいのかんじだった。
自分と同世代にしか興味がなかったので、悪い縁もなくよかった。遊ぶ気持ちも全くなかった。
自分が正しいと判断したものとしか、関わりは持たず、その信念は相当固く、実践していた。
なので、出会い系などで、しょうもない男性に引っかかるなんていうことは、まるでなかった。
路上でも、隣の学校でも、知人の知人でも。

2、20代
誰とも結婚したくなかったけれど、年齢が重なり、魔の24歳、クリスマスイブを迎えることになり、バーゲンセールに転じた。
自分の売りは、若さのみ、と、見切り発車した。
自分の成長を待っていては、完全に(希望する結婚相手との)婚期を逃すと判断した。
自分が生まれてきた使命は、子孫を残し、次代に引き継ぐことだと結論づけた。

【おまけ】
子供を授からなかった、結婚して、ほんの4ヶ月ぐらいの間、まだかまだかと姑に聞かれ続け、女性はどんな人であっても子供を産まないと、全てピンからキリまで人権やら個性やら、何も識別、判別、区別されないで、いっしょくた、だと思った。
全人格、全スペックを否定された気になった。
0か1だけのコンピュータのごとく、「子供あり、なし」セグメントには、衝撃を受けた。

3、30代
ママ、妻、嫁だけの顔では満足できなくなった。
劣等生学生時代、不遇の時代をなんであんなに頑張って辛抱して乗り切ったのか、あのエネルギーを無駄にするのが惜しかった。
なので、自分だけの顔が持ちたくて、社会に出て働き始めた。

4、40代
世の中には、一見、外見は同じように見えても、いろんな層の人々がいることが、よくよくわかった。
後ろ盾のない、単身個人が出来ることは、あまり大きくない。
世の中の、縦の枠組み、力関係は強固だと実感した。
仕事と子育てを両立(共倒れ?)する経験をし、社会を知らないで自分を知らないくせに、自分を特別扱いして自己主張ばかりする奥様とは一生、接点はないと思った。
自分と家庭のバランス調整を学んだ。
なぜか有り余るエネルギーが溢れ出て、家を建て替え、そこに軸足をしっかり移した。

5、50代
子供も次々自立し、第二の自分時間。
後半になり、老化の足音が、遠くから聞こえてきたが、まだ人ごと。
次々と誕生する新しい生命に触れ、感激、感動する、と同時に親の老化に愕然となる。生命体、新旧、引き換え交替期。
こころの故郷、実家が消滅する危機に直面する。
選択肢がある、奇妙な喪失感に襲われる。

6、60代
それまでの絶対的価値観が崩壊した。
心身のバランスを乱し、ついでに自分まで崩壊しそうになった。
しかし60代に突入して、今はまだ半年。
持ち直し、立て直すと、また、息を吹き返し、健康的な60代を送れるかも。

振り返ると、精神的には、(マイナス時にしか)夫には全く影響を受けていない。
指針や導きを得る際には、夫の姿はない。
で、矛盾しまくりだとしても、わたしにとっての、キーパーソンは、父と夫と姑だろう、と、なんとなく思う。
なあんだ、自分なんて、自我なんて、無いのかも知れない。

が、家族、皆が健康で、今日まで来れたことは、全ての幸せにつながっている。
その日々には、有り難く感謝している。



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古い自分に出会って、さあ、どんな挨拶をしよう

2017-01-18 | 思い出
わたしのブログは、超・中途半端である。

なぜなら、とても近しいリアル人が見にくるので。
(といっても皆さん、それぞれに忙しく活動的でヒマじゃないから、あまり気にしていないが)
なので、具体的なことを書くにも、話題を選別する羽目になる。

しかし、悪い面ばかりでもない。
ホンネそのものが、ブログには書かれているので、日頃、表現しないことが伝わる。
良い面も、悪い面もある。

どうしても知られたくない内容の場合は、ゴミ箱ブログに書く。
読む人はほとんどいないので、比較的安心しながら、鬱憤を晴らせる。
あるいは、趣味の内容の場合は、趣味SNSへ。
熱情を込めて必死で書いて、即、お蔵入りボツ、非公開にする場合もある。

また、人との接触を求めたい時は、人里離れた山から下りてきて、趣味SNS街をうろうろする。

非社交家の典型である。
孤高気取りの寂しがり屋。


来月行なわれる学年通しの高校同窓会に出席しようと、出欠・返信ハガキを出した。
高校同窓会には一度も出たことがない。
中学は皆勤。
この違いは?

どの学校、同級生が好きか嫌いか、だろう。好みの問題。
当時の自分が好きか、嫌いか。

年齢的に節目を迎え、心身の変化による価値観や好みの変化も出てくる。

で、各地から生徒が集まる、とんがっていた中学よりも、地元密着型の、ほんわか高校もいいかなあと。
そういう気になった。

当時のわたしは、中学校という高速洗濯機の中で、鳴門の渦潮に呑まれるかのごとく、全身全霊をかけ、毎日を過ごしていた。
危機感も、刺激も、悲壮感も、毎日が劇場。
高校に進学すると、周りは、ぽかぽか陽気の、しまりのない善人ばかり。
逆のケースもあるだろう。
中学では秀才だった人が、高校では周りも秀才ばかりで落ちこぼれて自暴自棄になることは、よく耳にする。
井の中の蛙、大海を知って、風船が萎む。プシューッ。
わたしの場合は、逆・井の中。
最初から鳴門の渦潮付き太平洋の大海。(矛盾強調表現。
地理には疎いですが、太平洋には鳴門の渦潮はないはず。知ってます、それぐらい)
あとから、ひねもすのたり瀬戸内海。

わたしは、陽だまりぽかぽかに、当時は何の魅力も感じなかった。
そのくせ、わたしの成績は、極寒のシベリア、凍てつく寒さ。
しかしながらグレることなく、悪すぎて笑える成績に、感覚はほとんど麻痺していた。
不思議と悲壮感は全くなく、不気味に、にたにたしていたことだろう。
先生も、叱り甲斐がなかったと思われる。
だから、(かどうか知らないが)高校の同級生で交流があったのは、学年ビリの子や、ヘンな問題児。
普通の生徒との交流はあまりなかったので、わたしのことを知っている人は、おそらく少ないだろう。

まあ、そういう、善良な高校の、一学年通しの同窓会に、なぜか、出てみようと思い立ったわけである。

突然変異?
変化のお年頃。
新しい自分が、古い自分を押し出し始めているのか?

楽しい老境まで、あと少し。
歳を味方につけるまで。

なんだ坂こんな坂、えいほっほ。
坂を超えると過酷な老後の現実が待っているなんて、知る由もなく。

知らない幸せ、今のうちに享受しよう。

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冬眠から目覚める日は、いつ?

2017-01-17 | ブログ
ここのところ、蝶々ブログは、お休みしている。(といっても、ここ5日間)
別の趣味SNS日記に書いている。
しかし、むこうに書きすぎて、むこうの皆さんからスルー気味である。
たしかに、「スルーしてください」とは日記の冒頭に書いた。
文字通りスルーする、素直なむこうのSNSの皆様には脱帽し、さっそく記事を非公開に替えた。

ここ蝶々ブログは、スルーされようがゴミ箱に捨てられようが、いっこうにおかまいなし。
自分だけのブログは、気楽だ。
のびのび、マイルーム。

日記をアップする度に、SNSの(お気に入り登録している)皆さんの各マイページに、わざわざ新着記事を別枠で大きく露出されて、しゃしゃり出さされる心配もない。
余計な、お世話なの。
ほっといてちょーだい、SNSシステム。

と相変わらず長々しい前置き。


ちなみに、
6年3ヶ月も前の、わたしのお気に入りブロガーさんのブログ記事から飛んできていただいた方がおられた。
そのブログは、新しいブログにお引っ越しされたのだが、新タイトルがうろ覚えでたどり着けなかった。
いやはや、それにしても、どこのどなただろう。
記事に貼り付けてあるブログ村の登録カテゴリーも、「50代の生き方」になっていて、わあ、若い!

ながらく(9年以上)ブログをやっていると、自分の軌跡が見えることがある。

色々、その時その時に、お知り合いになった皆様、懐かしいです。
といっても、わたしのブログは、あたたかみがなく、超内向きなので、親近感をもって訪れてこられる人はあまりいない。
それでも、わたしは全くへっちゃらで、閲覧数が少なかろうが、反応がなかろうが、黙々と書き続けてきている。
ばかじゃないの?というほど、書いて書いて書いて、自己満足のみで陶酔している。
(もちろん、閲覧数は励みです)
まあ、すごいエネルギー。
よほど、外に向けて発散、発信できない性質なのだろう、わたし。

最近のわたしのブログ記事は、前にも増して、サービス精神は、全く感じられない。
ブログを始めた頃は、恐る恐る、閲覧される人を意識していたようなのに、それに比べて、今といったら。

嬉しい時も悲しい時も、人に向かわず、パソコンに向かっていた、つまり、自分に向かっていたわたし。
自分とだけの対話。
すごい内向きな性格だ。
しかし、ブログはわたしを救ってくれた。

今も、凪状態から、少し動こうとする自分がいる。
鬱プロ先輩のアドバイス、お言葉。動かなければ、空っぽの自分は吹っ飛ばないとのこと。
ずっと空の無の無意味の自分と向き合い、そろそろ嫌になってきた。
なにかが動こうとしている。
動きといっても、素晴らしい、立派な行動ではないと思うが、動かないとエネルギーがチャージできないようなので。
なんか、もぞもぞしているかんじ。

冬眠中の熊さん、少し薄眼を開けたところ。
微動だに動かなかった無の状態は、年齢を重ねて、変化が出て、心身のバランスを崩したために生じたと思われる。
身体や脳の変わり目なんだろう。

季節が移り変わるお年頃というわけだ。



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ゆるやかな喪失感

2017-01-12 | わたし
震災後、五年が経ち、震災経験者たちは今、自殺率が上昇しているそうだ。

あきらめ切るにも、自宅は目の前にある。
行動に移るにも、はっきりした具体的期日が確定されず、プランできない。
次に進めない。
未来が見えない。
絶望感に打ちひしがられる。

そんな悲惨なことで はないが、わたしは個人的にそれに近い心境、、、

今は引きこもって、自然治癒を目指している。


NHKで、「実家のモノ屋敷をどうかしたい」特集をやっていた。
親世代は、「もったいない志向」が高く、モノを捨てられず、モノで溢れかえる実家。

しかし、わたしは思う。
子供は実家から自立して出て行っているのだから、自分が居なくなった実家を自分の好みに変えようなどと、おこがましい。

親が他界したり、病気になったり、実家に自分が通ったり、他人を入れなければならなくなったなら、いざ知らず。
そうでもなく、子育てが終わって、子供たちが出ていって空いた部屋にモノをどんどん溜め込んで、なにが悪い?
ある意味、趣味の部屋のようなもの。
部屋の中にモノを溜めることで、同居もしていない子供や、ご近所や自治体に迷惑かけているか?
(モノ屋敷住民であるわたしの、逆ギレ反論)


断捨離ブームは、戦前、戦中派の、モノのなかった時代を切り抜けた親世代と、モノが溢れる戦後世代との価値観が合わないため、新価値観を提言するため、起こったものだと推測する。

その「もったいない派」は、今は超高齢になり、おそらく権力はないだろう。
一世代下の熟年世代は、ここぞとばかりに溜まりに溜まっていた鬱憤を発散するかのごとく、好きなように断捨離すればよい。

その影響を受け、二世代下の若い世代も断捨離を実践する。

時代の主流は、モノに囲まれない贅沢。が、誰も彼も断捨離こそ王道とばかりに声を大にして主張するのは、いかがなるものかと。

世代交代の後に、自分が好きなように断捨離すればよい。
世代交代もしていない、さらに同居もしていない、家計も別々なのに、人の暮らしに口を出すな、と言いたい。

番組によると、実家のガラクタ不用品の中にお宝が埋まっているそうで、昨今、売買が盛んに行われているらしい。
モノも片付き、お金も入り、買った人にも喜んでもらえる、ということで、一石三鳥だとか。
まあ、確かにそれはそうだが。
本当は断捨離を強く願っていても腰が重くてエネルギー不足の親世代には、背中を押してくれる良いきっかけになる。


ちなみに、わたしのガラクタは、ランク付けされている。
ほとんどが、わたし以外の人にとっては、全くのゴミ。
が、換金率のかなり高いものもある。
ゴミの中には至宝が埋まっている。
宝探しゲームにはもってこいだが、遺族泣かせではある。

なので、最近は、ある程度先に行われるであろう断捨離を楽しみにしている。
ゴミか、宝か、二者選択ならカンタンだが、問題は、その中間。
ほとんどのものが、そのボーダーラインに属する。
(といっても、お宝以外は、わたし以外の人にとってはゴミなので、仕分け作業はシンプルだろう)

客観的にはゴミ、主観的には大事なモノ。
そのギャップの大きさで、断捨離のスピードは左右される。
自分の小学生の頃の新古品ハンカチを取っておいているようなわたしは、モノ信仰シンドローム、重度の病を抱えている。
95歳で亡くなった、義姉のお姑さんの遺品である新古品ハンカチまで引き取ってしまっている。
まあ、ハンカチは、カサが低いので、全部合わせてもどうってことはないが。

わたしのモノ信仰。
モノには魂が宿っている。
言霊は、言葉に魂が宿るのと同様に。
モノに対する執着心が人一倍強い。
しかし、なんでもかんでも、ではない。
ゴミは、仕分けし、生活ゴミや、プラ、瓶・缶は自治体回収日に、ちゃんと捨てる。
古着、古紙は子供会廃品回収日に出し、アルミ缶は、自治会の老人会に寄付する。
自治体にお金を払って捨てる大型不用品もある。
(市民としては当たり前。
わざわざ文字数を使って説明するようなことではないが、、、)

わたしは、モノの思い出が強烈に鮮明にインパクトが強く残っている。
モノを愛でるのである。
わたしのお気に入りのモノたちには、絶対にわたしの魂が宿っていると思われる。
が、わたしのバッテリーがなくなった日には、換金性の高いお宝以外は、全て捨てると良い。


家にまつわるお宝は、長年、受け継がれて、それぞれの家に眠っている。
自然災害も火事も何もなければ、そのままの状態で家ごと眠らせておきたい。

全国で、誰も住まない空き家が増えてきている。
その例に漏れず、夫やわたしの実家も空き家になる可能性が高いが、管理しようと思う。
わたしの家にあるガラクタは、断捨離の日まで、大事に大事に愛でる予定である。
しかし、舌の根が乾かないうちに、断捨離宣言を撤回するやも知れぬ。
わたしが生きる証だ〜〜などと駄々をこね、自分の住空間ぐらい好きにさせてよ、と、開き直るかも。

そんな、些細な自己肯定から、出口のないトンネルの先に明かりが見えるかも知れない。



自分の人生を自分が決められないと他者が決める?

2017-01-11 | わたし
一人暮らしについて考えてみた。

身寄りはあるが、独居。
親きょうだいは、別に住む。
配偶者は、鬼籍に入っているか、あるいは、もともと結婚歴無しの未婚。子供なし。

で、病気になるとする。

自分では何も考えない、考えられない性格だとする。
必然的に、見るに見かねて、近親者、身内があれこれ気遣いし、世話を焼く。
ほっといてくれ!の頑固タイプではなく、よろしくね、の依存型だとする。

もし、身内が世話を焼かないとする。
最悪の場合は、孤独死。
あるいは、ギリギリに発見されて、病院に運び込まれ、文字通り、そのまま死ぬまで家には帰らず。

どちみち、生きとし生ける者、生まれたからには必ず人は死ぬ。
が、死ぬまでが問題。

まず、年齢。
人生の状況、死因。

超高齢なら、枯れ木が自然に土に帰るかの如く、老衰安楽死おめでとう。
しかし、超高齢なのに、怖い目には遭っての事故や事件、災害が原因なら、どうか。
人生の運、不運。
順風満帆が、最後にどんでん返しのオセロゲーム。
最後の最後の瞬間まで、人生ゲームはわからない。

若い場合、どんな原因であろうと、早すぎる人生エンドは、悲劇。惜しまれる。

で、話を戻す。
愛する人が、治る見込みのない病気の末期だとすると、最悪の状況の中でも、その人が余生を送るのに最も快適な環境で過ごせるように手を貸したいだろう。

そういう身内が居ると、居ないでは、やはり、大きな違いがある。

身内とは?
家族、親きょうだい。血の繋がった関係。
中には、血が繋がっていても絶縁している人もいる。
絶縁もせず、できる限りのことをしてあげようという想いや行動は、やはり、親に愛情をかけて育ててもらったからではないだろうか。
(血が繋がっていなくても、誠心誠意、尽くす人もいるらしい)

親に愛情をかけて育ててもらっても、親きょうだい達も高齢で、人を助けるどころではない人もいる。

人を助けるだけの、体力、知力、行動力、経済力があるということは、恵まれている。
助けられる側も、恵まれている。

恵まれていない人は?
覚悟が出来ているか、そうでないと、自分や人や世の中を恨むか。
運命に身を任せると、多少なりとも苦悩は和らぐと思う。
苦悩や苦痛は大きすぎると、脳から苦痛を和らげる物質が分泌されるとか?

だとすると、苦悩はMAXでありながら、まだまだ更に苦悩が大きくなっていく恐怖に怯えるより、自然に任せるほうがいい。

自分を律することも大事だが、ある程度の段階になると、手綱を緩める、いや、手綱を手から放すとよいのかも知れない。
自分の身を自分で背負いきれなくなったら、無責任に、ぽんと投げだすのも、ひとつの方法だ。

どこまで、踏ん張るか。
ギリギリのラインは、人によって異なると思う。
踏ん張らなくなったら、自分という人間を棄てることになるのだろうか。
生きる芯を放棄する。
人生そのものをリタイアする。
スイッチを切り、自分で運転せず自動運転にする。

冒頭の一文から、離れてきた。
一人暮らしだと自分の身は自分で決める、
家族と暮らしていると、自分、または家族が決める。
一人暮らしは、自分しかいないので、選択肢がない。
なのに、決められない人は?
身内が手助けする?
またまた、話が、ぐるぐる。

産みの苦しみ

2017-01-07 | わたし
鬱プロ大先輩からの黄金の言葉を頂戴した。

鬱の脱出方法。
一度、自分を無にしてみる。
無価値な自分と、とことん向き合う。

あああ、わたしはブサイク〜と毎日、鏡を見ていると、そのうち、むふふ〜と、ブサイクではない顔、別味の顔が現れる。

今のわたしは、お産で陣痛が来ているのに、前置胎盤になっていて、赤ん坊の出口が塞がれている状態。
どんどん、赤ん坊は産道から下りてくるのに、出られない。
産道が広いの狭いのの問題ではない。
出口自体がない。
赤ん坊も苦しいかも知れないけれど、母親はとんでもなく苦しい。(わたし、経験者です)

それに似ている。
キレイにリタイアすべき超高齢者が、いつまでも君臨して降りない。
次がつかえ、さらにその次もつかえている。
しかも、君臨といっても遠に正常機能を失っている、手本や参考にしたくない、理想ではない、しかし自分もその道に行くしかない、超高齢者。

理想を抱き未来を見つつ、陣痛に耐えるならまだしも、行く末の見えないものに塞がれ、でも、自分もどんどん歳を取る。
動き、押していく。

前置胎盤出産の場合は、自然分娩が母子共に危険とみなされたら、帝王切開。
わたしの場合は、ギリギリまで待ち(待たされ)最終、自然分娩。
すごい負担を産まれ際にかけられた。
(子が悪いわけでも、母が悪いわけでもない。強いて言えば、胎盤の位置が悪い)

結果良ければ、全て良し。結果オーライ。

生みの苦しみのあと、夜が明ける。

しかしなあ、、、
まだまだ、わたしには超えるべき坂が、こんもり、行く手を阻んでいる。

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新しいハッピーニューイヤー

2017-01-01 | わたし
明けましておめでとうございます。
暖かい元旦。
お天気もよく、気持ちのよい体感温度。
なぜか、お正月気分には、あまりならなかった。

のろのろ、渋々、気乗りしないで向かった夫の実家であった。
が、とりあえず、体調を崩して一時、寝込んだものの、大晦日には迎春準備を整え、紅白歌合戦の後、年越し蕎麦、元旦には、初詣、墓参り、御節料理、お雑煮。
と、通り一遍の行事は進行した。
そして、姑とたっぷり一緒の時間を過ごした。
姑とは相変わらず一方通行の会話ではあるが、わたしはここのところ、姑のところに顔を出してなかったので、引け目もあり、さして重い気分にもならなかった。
それよりも、姑が病気になる前と同じぐらい回復していたのを目の当たりに見て、驚き、嬉しく思った。
涙が不意に、はらはらとこぼれ落ちたのには、自分でも、涙腺の弱さにまいった。

気温と同じような、和やかで穏やかな時間だった。

しかし、今日はまだ一月一日なのか、もう随分、日が積み重なったような気がして、時間が経つのがとても遅く感じる。


長女一家は、お婿さんの実家に、娘の仕事の関係で年末キワキワに帰省し、年末年始を過ごす。
あちらのご両親は大変だろう。
こちらは、まあなんと楽々。
まるでなんの手応えもない、わた飴のような楽さだ。
ゲストもなし、ちびっ子ギャングもなし。
大人だけの生活の、まあなんと静かなこと。
黙々とゴロゴロ、TVばかり観ている夫が、ある意味羨ましい。
初詣などの外回り以外には、何もすることはないが、御節料理はすぐ飽きて、お三どんをする羽目になる。
お正月なので、食事の支度と後片付けだけ。楽で楽で。
お正月って、こんなに楽で、こんなに退屈だったかしらん?

正月客がどんどん来る家は、てんてこ舞いだろう。
長い年月をかけて落ち着いた、家の方針なので、客が多いから良いとか、悪いとか、そんなことは思わない。
わたしは、親戚などのお客さんがゾロゾロ訪問してこない家風に、ただただ感謝するのみである。
落語家の師匠の家や、手広くお商売をやっている家、大勢のゲストにおもてなしをする社長の家など、そんな家に嫁いでいたら、即、わたしはダウンだろう。
苦手、キライ。


と、だらだら書いて、締まりのない文章は続く。
まだまだ、だらだら書きたいことはあるが、ちょっと中断。
どうも、だらだらしていると、一気に書きたい気分まで緩む。
すみません〜。ゆるゆる、だらだら文。

元旦には、年頭の誓いやら、目標やら、書くべきところだが。
姑と、たいそう平和的に、すんなりバトンタッチが行われ、かえって拍子抜けしている。

家のあちこちや、外、周辺を歩いて回り、今更ながら、よく熟知した、なんの変化もない風景なのに、なんだか懐かしいような眩しいような、新鮮な思いがした。


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