蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

不気味で、けっこー

2013-06-30 | 日々のこと

昨日は、ブログタイムにあてている時間にコメントを書いていて、
ブログタイムすべての時間を使ってしまった。
(というか、昨日の自宅でのブログタイムはそう長くない、ブログ散歩を含めてアップ終了まで30分)

なので、自分のブログを更新できなかった。
電車の中で、自分のブログを読むのが楽しみの、限りなく不気味なわたしは、
昨日は、そういうわけで、電車の中での楽しみがなくなり、・・・ふーっとため息をつきつつ、
ぶつくさひとりごとを、行きの8つの駅を通過する間に、入力してアップした。
なので、ブログ村のバナーを貼り付けていない。

いま、読み返すと、・・・不気味である。
電車の中で、こんなこと入力して、なにが楽しい?と、自問自答。
たんなるビョーキと、軽やかに、爽やかに、受け止めた。
本とか持ち歩かないから、電車の中、退屈なもんで。


このごろ、ラジオ講座「まいにちフランス語」が、復活している。
テキストを買うにあたって、もし聴かなかったらモッタイナイから、
「絶対に聴くんでしょうね?! サボらない? お金を無駄にしない? 」
と、キツく自分に問いかけ、意志を確認してテキストをレジに運ぶ。
でも、聴く時間は、わりと気が重い。
自分のことながら、決して、好きでやっているわけでは、なさそうだ。
じゃあ、なぜ?
脳ミソが凝り固まって、動かなくならないように、少しでもリハビリ・マッサージ。

マイルを貯めようと思っている。
足が治って、カラダが動くうちに。


 

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ひとり不気味

2013-06-29 | ブログ

極度なメール魔であるわたしの、相手に嫌がられない、うとましく思われない、気を使わなくていい、
究極のメールの相手は、自分だった。
自分宛にメールするって、めちゃめちゃキモチ悪い人物である。
「お蔵入り」「ボツ」ともいう。

それではあまりにも暗く、出口がなかった。
で、ブログという、格好の遊びボックスを発見した。
一人遊びには、本当にぴったりだ。
電車の中で、当日アップしたばかりのブログを読むのが楽しみ。
これは、カルシウム源として、自分の爪を大根おろしとポン酢をかけて食べているようなものだ。

自己満足の世界。
堂々巡り。

乳牛に牛乳を飲ませて、自分はその乳牛の牛乳を飲んで、赤ちゃんに母乳をあげるようなもの?
違うか?
ちょっと違う。
ぐるぐる回るためには、
赤ちゃんの爪を乳牛が食べて、自分が牛乳を飲んで、母乳を・・・

すみません。時間の無駄遣いでした。

と、一人遊びは、実に虚しくもあり、楽しくもある。

読んでくださる方に対しては、
なんの配慮も、心遣いも、思いやりも、サービス精神もないのが、難点だ。


鬱陶しい、キライな人

2013-06-28 | 日々のこと

人の生き方って、いろいろだ。
犯罪や迷惑行為、そういうのは論外として、
自分の道を追究されるのは、おおいに結構。

災害や病気、事故などに見舞われる場合は別として、
自己責任におけるチョイスや行動の結果、悲惨な結果になったり、追い込まれたり、
悲劇ストーリーの展開となることもあるだろう。

悲劇でなければ、本人が満足とまではいかなくても、納得していればそれでよし。

上記、書いていて、「○○の場合は除いて」と注釈をつけなければならない。
それは、本人の意志とは別のところで、コトが動く、不幸が訪れる場合だ。
自分の責任ではない原因で不幸な人を、いっしょくたにしては、ハナシがこんがらがる。

宗教では、不幸のどん底にいる人に手を差しのべ、
さらに、幸福感を味わえない虚無的な人に[人生の意義」を甘くささやき、
「あなたを幸福に導く」とかなんとか、
神様、仏様、ご先祖さま、どこかの偉い人の導きに沿っていれば、なにも考えなくてもいいそうだ。
考え方を教えてくれるので、自分で考えなくてもいいというのは、楽だ。
オリジナルを創造しようとすることに疲れた人向き。
あきらめた、脱落した人には、まさに救いの手。

ちょっと医学的見地から処方された精神安定剤みたいだ。

眠れないのが、眠れたら、それが、神様であれ、クスリであれ、誰であれ、なんであれ、
不眠を解消してくれたら、なんでもいいのだろうけれど。

・・・と、わたしはとても神経を尖らせている。
それは、いらいらしている人や、キレそうな人、うっぷんが溜まっている人、おもしろくない人の、
刺激にならないように。

わたしは、とりあえず、一般的に失礼のないように、気分を害されないように、但し書きを書いた。
PL法対処のため、消費者の皆さんが、あれこれ危険に陥らないよう、
製品を入れてあるビニール袋の外側に、
「このビニール袋で遊んではいけません。アタマから、かぶってはいけません」
と表記してあるような、そんなかんじだ。
あえて、いちいち書いている。


・・・で、、、しっかり書きたいのは、ここからだ。

病気や事故、災害など、不幸な場合は除いて、
自分の生き方を、自分でデザインする、これってステキだ。
どうしようもない場合は、目をつぶって、とらわれず、とりあえず次に進む。

あれこれ、文字にしない部分に、自分の根性の悪さを自覚して、連想したが、
ものすごく性格が悪くて、それを武器に、のし上がった作家もいる。
根性の悪さをこれでもか、と、さらけ出し、それを文字にして生活する。
それはそれで、類なき才能である。
るんるんで一世を風靡した、○真○子とか。

ま、それはおいといて。
人には、いろんな生き方、性格があり、自分がどういうふうに生きているかは、棚に上げたとしても、
好みというものがある。
これこれ、こんなのが、好みです~(きらきらお目々)と羅列するよりも、
こんなのが、キライです!!とぴしっと言い切ったほうが、なぜが説得力、訴えるものがある。
なぜだろう?

いま、これを書きながら、具体的にキライな路線が、くっきりはっきり脳に浮かんでいる。
ただし、それを、明確に鮮明に描写する気にはなれない。
キライだからだ。

ピンクのハート目で、好きなことは、ふわふわ書きたいが、読んでいる側にとって、面白くないだろう。
書き方だって、自己完結型で、よくないだろうし。

ま、どっちにしても、
年齢、性別によって、大きく感じ方の違うところがある。
なので、そんなことをあれこれ書いても、つまらない。

そうやって、似たような世代の人間同士、片寄せあって生きていくのか。
だって、それのほうが、よけいなストレスを感じなくていいから。

「わたしだって、若い頃はそうだったのよ。
でもね、年がいけばわかるわ。
みんな通ってきた道だもの」

なんて、説教くさいことも言いたくないし。

だから、そういう、自分がモヤモヤするような、気が晴れないような、
そんなコト、ヒトには、接しないという選択をする。
わたしのまわりの、人生の達人、先輩たちが仰っているが、
心身健康に快適に、生活の質を高めて生きるには、
ストレスをためない・・・キライなコト、ヒトに接しないということらしい。
とは言っても、社会生活をしていたら、たとえ必要最低限のことだけしていたとしても、
なかなか、純正培養の無菌室にいるようなわけにはいかないけれど。


ということで、・・・(書きながら考えて自分を説得、納得して)
なんかヤだな、と思っていた気持ちが、すうっと和らいだ。
やっぱり、人生の先輩はイイこと、言う。

あえて、自分からキライなことには近寄らず、
好きなこと、高揚させること、良いこと、そういうことに接する、考える、・・・そうしよう。
とかなんとか言いつつ、マイナーなことをネットで調べてみたり、あいからわず、地下も好きだけど。

昨日のNHK教育で、マツコデラックスが言っていた。
理解してもらおうなんて、無理。
へんなヤツもいるな、と、認識してもらうだけでいい、と。
理解できないものに対しては、敵意や攻撃の対象になるそうだ。

世の中、理解できないものが、いっぱい。
ストレスの元になるが、あまり、深く突っ込まないほうが、自分のこころの快晴のため。

人も思い通りにならないし、自分も思い通りにならない。
せめて、自分のこころぐらいは解放して、心地よく、こころ豊かに過ごしたいものだ。

 

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超・現実主義

2013-06-27 | 暮らし

膨大な、あまりある、すごいカタマリのフリータイム(軟禁、拘束状態ともいう)を
手に入れることになり、困っている。

自分自身、引きこもることは、好きだと思っていたが、じつは、そうでもないことに気付いた。


ウオーキング・クローゼットの片付けをしていて、ゴミ仕分けをしようとし、とあるモノを手に取った。
それは、埃をかぶった紙袋に入れられていた。
古い・・・。
うすぼけている。紙製品である。
近年、母が実家の片付け・整理をしていて、わたしに返品されたものだった。

わたしが、中学、高校のときの生徒手帳と、メモ帳、中学の卒業記念メッセージ帳。
埃にまみれた中から、うすぼけた記憶が蘇る。
メッセージには、同級生や、2学年先輩たちのメッセージが残されていた。

先輩たちは、彼らが卒業する直前のメッセージを書いてもらっているので、
わたしは、当時中学1年。
皆さん、詩人だ・・・。
中学生で、すらすらと詩が生まれていた。
感性や知性は、年齢ではないんだと感じた。その人、特有のものだ。

で、問題の・・・生徒手帳。
毎年、モノクロの小さな顔写真が貼ってあり、学校の印章が押してある。
顔、変わってない。
しかも、暗い顔・・・。
たかだか、10歳プラスアルファの自分と、今の自分。
あんまり変わってないことに、驚いた。
(実際は見かけは年相応に変わっていたとしても、自分にはそう見えた)

校則に続くページの空白、メモ欄に書いてあることが、また驚き。
わたしが、現在、日頃ブログでつぶやいていることと、同じ。
年齢も状況も時代も、こんなに変わっているのに、わたしは、本質は同じだ。

嘆いていることが、箇条書きで書かれていた。
アタマが悪い、成績が悪い、って。
学生真っ盛りであれば、この悩みは、人生の全てであっただろう。
大変、気の毒に思う。当時のわたし。じゅうぶん同情するに値する。

驚きは・・・なんと。高校の生徒手帳に、書かれていた将来の希望。
成績が悪いことに対しては、嘆き疲れたようで、
「将来は、オヨメサンになりたい」と、書いてあった。
この希望、じつは、幼稚園の時から変わっていない。

「あなたは、何になりたいの?」と、まわりにいる大人に職業を聞かれ、
幼稚園児のわたしは、本気で「オヨメサン」と答えていた。
これは、今でもはっきり覚えている。
ケーキ屋さんやお花屋さんでもよかったのに、ピンポイント限定、厳選。

・・・で、
ハナシを戻すと、その高校の生徒手帳に書かれていた、憧れ、将来像、箇条書きの条件。
理想「これこれ、あれあれ、それそれ」
妥協「こんなこんな、あんなあんな、そんなそんな」

この、「妥協」のところに、わたしは大注目した。
な、なんと、いまのわたし、そのもの。
いまの、夫そのもの、いまの生活そのもの、いまの人生そのものだった。

無意識にか、意識的にかは、わからないが、
自分で目標と妥協点を高校生の頃から掲げていたわけだ。
これって、クールすぎないか?
夢が、なさすぎないか?

いい意味でいえば、堅実ということだろう。
おもしろくもなんともないけれど。
ラテンの血は、一滴も流れていないのか?

じつにじつに、温度の低い自分を再認識し、
あーあ・・・と、ぱたんと生徒手帳を閉じた。


しかしながら、
幸せの基準を自分で設定して、目標路線を描き、それに向かって自分なりに実行しているようだ。
ただし、ハードルは低いけれど。
要は、いかに自分が満足するか、価値観の問題だ。
たんなる石アタマ、凝り固まっている、やっかいな信念なのかも知れない。

いやはや、それにしても、はじけない女子中・高校生だ。
笑える。

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クサってます

2013-06-26 | 日々のこと

足のトラブル以来、ここのところ、まったく、まったく、まったく、まったく、面白くない日々を過ごしている。

自分にとって、なにが大事か、よおく、わかった。

命が一番、大事。
・・・なのであるが、生きがいは、とても大事だ。

なにをしても、つまらなく、生きているんだか、死んでいるんだか、気が抜けたように、時間をつぶしている。
代りに、(仕方ないので)、長い間、ほったらかして後回しにしていること、日頃、出来ないこと、
いろんな時間のかかる、チマチマしたことをして、
それはそれで、ある意味、ちょっとした成果ではあるが。


膨大な量の、整理整頓、というか、ゴミ仕分けをした。
あまりにも多いので、とりあえずは、ほんのサワリだけ。
情報誌や、カタログも、来週、来る古紙回収・紙ゴミの日に捨てようと、
送られてきたまま手付かずのビニール袋を破って、紙ゴミとして仕分けする。

と、あれ?へえ、このグランドオープン・大手デパートのカタログ、
販売取り扱い商品が、なかなか凝っている!!
おもしろいかも。
あれま、このハウスメーカーの情報誌、
今月に限って、なんでこんなに濃い、興味深い充実した内容なの?
地方の旧くて由緒ある建物や、二世帯、三世帯住宅(母系家族)の改造例、
旧くて新しい、オリジナル・インテリア関連の情報など、紹介されている。

そうそう・・・わたしは、こういう内容が好きだったんだ。
ウイリアム・モリス(モダンデザインの父)とか、19世紀イギリスで、産業デザイン運動やってた人の、こういうインテリア思想、潮流傾向に、とても熱くなったんだった。
ビンテージものの椅子に、箪笥で眠っている帯を張り地として使って、お宝を蘇させる、とか、
わたしの大好きなテイストだ。

これは、ある意味、パリの骨董市や、パリの街並みや、美術館、博物館、などなど・・・
古いモノとモダンの調和、融合、リメイクの試みが、
具体的なカタチで、見本市、テーマパークのように示されているようで、なんだか、ワクワクしてくる、
わたしにとって、そういう思考、志向、嗜好、傾向、観念、概念、憧憬をシンボライズしたものが、パリ。
やっぱりわたしは、パリがライフワークだ、と、へんに再認識したりして。
(京都でも金沢でもいいんだけど、文明開化だか、戦後教育のせいだか、なんだか知らないが、
他国の文化に憧れるミーハーなので。
しかし最近、日本文化も見直しているけれど)

あ、ぶつくさと死んだように気が沈んでいたが、単純にカンタンに、蘇生された気分だ。
というより、ハナシが完全に逸れている・・・。

・・・・・・

などなど、片付けなきゃあいけないのに、今頃になって冊子を読む始末。

こんなことじゃあ、まったく片付け、仕分けに時間が足りない。

・・・・・・

日曜日も、服を整理した。
思いきって、1足、ブーツも処分した。
ゴミがいっぱい出た。(といっても、少ないかも知れない)

とりあえずは、とっかかっただけであり、まだまだ成果というには程遠い。
山の麓に着いただけというかんじで、山を見上げて、ため息をついている。

一歩ずつ、一歩ずつ。
焦っても仕方ない。

足を悪くしていなければ、本来、今頃は、こうしてああして、こうなって、ああなって・・・と想像すると、いらいらが募る。
が、アタマに浮かびシュミレーションするのは、マックス最高の楽しい状況だろう。
実際は、想像ほどでもなく、たいして充実しない、スカの日になっていたかも知れない。
どっちみち、心待ちにしていることが、できないでいることは確かだ。

足だけでなく、気温が急激に上がった日々が続いたり、かたや、ひや~っと涼しくなったり、と、
気温の大幅アップダウンに体がついていけなかったのか、
少し、体調を崩している。
こんなことだと、旅など、計画を立てるにも、体力に自信がなくなると意気消沈してしまう。

たまには、体を休ませろ!という、神様の伝言と受け取ることにしよう。
このまま、突っ走っていたら、もっと大きなトラブルに見舞われ、大変なことになっていたかも知れない。
大難が、小難になるという、仏教の教えみたいなことを自分に言い聞かせ、
自分を納得させるようにもっていこうとしている。

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あ、そういえば、ブログも、最近、低調だ。

しまった・・・。
書き出しに、しょーもないことを書くと、ただでさえ訪問数が少ないのに、
通りすがりの方々は、
ブログ村の記事紹介の最初のあたりだけ読んで、先に進む気が起こらず、さらに少なくなるんだった・・・。
わたし、学習能力なし。

ブログはさておき、この低迷、自然に浮き上がるのを、じっと待つことにしよう。


 


好きだ、嫌いだ、オスとメス

2013-06-25 | 無題

動物は、オスとメス、好き嫌いがあるのだろうか?
ペットを飼っておられる方のブログを拝読すると、オスが迫り、メスは、逃げる・・・みたいなかんじ。

でも、動物園のパンダとか、わざわざ、お見合いさせて、手厚く気を遣って同じゲージに入れても、
いっこうに、うんともすんとも、なにも起こらないカップルもいる。
オスが幼いのか、本能面で、ちょっと弱いのか?
好みに合わないのか?

メスも、好みに合わないオスには強烈に拒絶する。
これは、種の保存の本能で、このオスの子供を身ごもると、ロクなことがない、と、直感で判断するのか?

人間みたいに、やれ学歴がどう、とか年収がどう、とか、過保護な母親がどうとか、ではなく、
生き残れる強さを持っているかどうか、そういう遺伝子かどうか、だろうか。
見た目やニオイなんかもあるようだし、直球、ストレートで、わかりやすい。

嫌がっているメスを無理やり・・・なんてこともあるんだろう。
「ダーヴィンが来た」?(NHK放映)だったか、(タイトル、忘れた。調べる時間的余裕なし)、
食事中にチラ見している程度の知識では、正確なところが、よくわからないが。

ある意味、わたしは、男性の好みなんていうものは、ほとんどない。
「あなたの男性の好みは?」と聞かれ、「ないです」と答えそうになって、これはおかしい、と思った。

無理やり、ないアタマをぎゅっと絞って、好みを考えると・・・
そこそこ有名人の顔を思い浮かべるのだが、ぜんぜん、まじめに、本気で思っていない。
とりあえず、具体的イメージを引っ張り出すたたき台に、・・・程度だ。

わたしは、動物以下なのか?
本能的なハードルが低いと捉えるのか、高いと捉えるのか。
好みがない、ということは、すべてのタイプからヨリドリミドリ、ということだ。
結局、どんな人に対しても、さして嫌いではないが、さほど好きではない。

で、・・・
ありえもしない理想を追究することになる。

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もっと働け、マウス。

2013-06-24 | 日々のこと

マウスの調子が悪い。
ストレスを引き起こし、肩凝りの原因となる。
ああ、なんて、平和な悩み。
これが、わたしがコンピューターを使う仕事をしているとしたら、そんなことは言っていられない。

足が故障。
ドクターストップ。
2週間も安静・軟禁・謹慎令が出た。

この悪夢を、好機ととらえ、日頃できない用事を一気に片付けようと思った。

いまのところ、思っただけである。
ブログ更新中に、気が変わるということも、大いにありえる。
用事を片付け、すっきりした気分、風景、様子が、ぱあーっとアタマに浮かび、爽やかになった。
あとは、ほんとうに、実行するかどうかだ。
擬似爽快で、満足してしまう可能性もある。
なにしろ、いかにしてサボるかが、わたしの人生の命題だ。


社交ダンスがらみの、別のSNSの、わたしのページ。
ご年配の方に、かわいがられるように・・・と思っていたのに・・・
トンガリ女史に触発され、ついつい、日記で本音が出てしまい、日参してくれていた方が、姿を見せなくなった。
あきませんねえ・・・
どうしても、ぶりっこ、できない。
吐き気すらしてしまう。
かわいげが、ない。

見た目が、大人しそうで従順そうなだけに、このギャップに、本人も苦しむ。
いっそ、ガメラか、キングコングみたいな、そういう風体のほうが、すっきりして気持ちいいかも。

わたし、この年齢になって、いまごろ自我が出てきたようだ。
早い子なら、幼稚園ぐらいには、自我のめざめを感じるはず。
ちょっと、遅くないか?
「蛍光灯」「昼行灯」などの騒ぎではない。
(ちなみに、いまの蛍光灯は、ぱっと点灯いたします。例えが、半端なく古臭い、わたし)

ダンスで、依存からの脱却、自立を目指して、頑張ろうと意識しはじめたのは、つい最近。
目覚めるのは、ダンス面だけでよかったのに、別の精神まで目覚めてしまったのか?

自分の考えをはっきり持つと、相容れない考えというものに、ぶつかったときに辛い。
抵抗心、反発心が、むくむく。
あんまり自分がないときは、どうでもよかったのに、
なんでも、「はぁ~い、わかりましたぁ~」と、かわいこぶることができない。
顔に、ぴしっ、ぱしっと、亀裂が生じ、割れていくのがわかる。

女性に思い通りにならない、強い芯があると、男性は優位に立てない。
男性にとっては、目覚めて欲しくない意識に違いない。

これ、幼稚園ぐらいの時から、はっきりしている子だと、大変だったろう。
その後の長い人生、生きるのが、さぞや辛かろう。
わたしのいまの年齢だと、もう、ほとんど終わっているようなものだから、どおってことないけれど。

長年、やってきたキャラなので、自立心が芽生えたからといって、そうそう、急に変わるものではない。
やはり、生き易い道を選ぶと思う。
今までそうだったように。
全身全霊、わたしはサボりなので。


あ、ハナシは唐突に変わり、・・・
親のこととか、書きたくなったのだが、

マウスの調子が悪く、逆風を押しのけてまで、その気が湧き上がらない。
というところで、・・・偶然、今、母から電話。
娘に手紙を送りたいとかで、住所を尋ねてきた。
わたしの住所なんぞ、絶対に知っているはずだが、調べるより、電話したほうが早いって、ことか。

義母は、メールができるので、わたしたちの誰とでも、いつでも連絡しあえるが、
実母は、あまりメールは得意ではなく、情報や、やり取りに乗り遅れることがある。
最近、ほとんど、みんなメールなので、電話をしなくなっているから、なおさらだ。

で、母は手紙作戦に出たようだ。
伝えたい思いがあっても、時間が合わなかったり、伝えたい相手が電話を苦手としたりして、
なかなか素直な熱い思いが伝わらない。
おそらく、下娘の、とある試験の合格を祝う内容の手紙だと思う。
アナログは、インターネットより、ある意味、確実なものを伝えることができると、感じる。

居ても立ってもいられないキモチ。
ぜひ、伝えたい思い。

みんな、それぞれに、一生懸命、熱く生きてるなあと、なんとなく嬉しく、感謝の念が湧いてくる。

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お嬢様の無邪気

2013-06-23 | 日々のこと

社交ダンスを趣味の一つにしている、かなりマニアックな40歳過ぎの女性の日記を訪問した。
(ブログじゃないので、とりあえず、日記とか、つぶやきとか)

この方、過激で、他の趣味もレアもので、ご本人も、トンガっておられる、ちょっと前衛的なお方。
今月分と、6年半ぐらい前のスタート時の日記を拝読した。
過激発言が、あちこち散らばっていて、面白かった。
刺激を通り越して、温和な仙人であるわたしには、ちょっと、きついクスリかも。

ほとんどは、首を傾げたり、眉間にシワを寄せたりするような箇所が目に付いたが、
ただ、困ったことに、一部、わたしが思っていることと、まったくどんぴしゃり、同じコトを思っておられた。
わたしが、常日頃から感じていることを、ズバッとなんのためらいもなく斬って捨ててあった。
それは、おそらく、本質を突いていると思う。

わたしは、言いたくても言えない・・・
口の中で、ごにょごにょ、もぐもぐ、もどかしそうに、いつも声にならない声を発していた。
そういう胸につかえていることを、・・・よくぞ、言ってくださった。
いやはや、キモチよかった。

自己チューで、自分こそが正しいと信じて疑わない、アタマの凝り固まった年上の方々の、
高慢な自己主張、および態度を糾弾してあった。

よくぞ斬ってくれた!! とんがり女史!!
あなたは変わってるけど、いいトコもある。

その内容は、社交ダンスの「踊り方」についてのことで、
実際に社交ダンスをやっていない人にとっては、まったく意味不明のことである。
なので、ここに、その内容を書いてもしかたないので、
そのうち気が向いたら、別の、社交ダンスに特化した、自分の日記のところで書くつもり。
(めんどうなので、書かないかも)

それと・・・
考え方、感じ方、人それぞれで、正解なんかないのだが、

とんがり女史つながりの、別人のところに飛んでいくと、
「わたしは、小学校は地元。
中学からは、中高大とつながった学校のエスカレートに乗せてもらいました」
という、おっとり、のんびり、純粋、純正培養・お嬢様系の自己紹介をされているのを見て、
わたしは、あ、この人、苦手、と思った。

その方も、社交ダンスをされる方。たぶん、40代前半。(完全に、想像に過ぎないが)

他にも、似たような自己紹介をされる女性の方を見かけることがある。
従順タイプで、男性に合わせます~、みたいなノリ、ニオイぷんぷん。
わたしは、このニオイが、大嫌いだということを、はじめて気付いた。
それまでは、気にならなかった、というか、気付かなかった。

わざわざ自分の自己紹介に、どどんとイチバンはじめに、これが特徴です、みたいに書く、
ということは、
ご自分では、それが、長所だと、売りだと思っておられるのだろう。
なんの悪意もなく、天真爛漫、無邪気に、それをわざわざ書くという、超お嬢様ぶりに、
わたしは、逃げ出したくなる。
ざわと書いて、媚びているのなら、まあ、マシ。そこまで拒絶反応は起きない。
悪意がないところに、限りなく、マリーアントワネットを感じる。
([註]マリーアントワネットにも、人物像にはいろんな解釈がなされているが、
ここは、あえて注釈なしの言い切り。
ファッションで言えば、まつり縫いなしの、切りっぱなし服)

そこ、お嬢様路線は、あえて隠すべきだ、と私は思っている。
書くなら、ヒール役、白鳥麗子路線にするか、だ。
([白鳥麗子」と書いて気付いたが、わたしのセンスは、甚だしく古い)
というか、こんなことは、個人の感性の問題であって、ひとの感性をどうこう言う筋合いも権利もないのだが。

「ぺちゃぺちゃ音を立てて食べる人」と同じぐらい、わたしは飛び上がるほど、この種のタイプを苦手とする。

無意識の、まったくご本人は意識しないところの、上目遣いの媚、甘えみたいなものを感じる。
なにも知らない世間知らずですが、みなさま、可愛がってくださいね!みたいな。
権威や年上の懐に飛び込んで、甘ったるい猫なで声を上げているようで、キライなのだ。

わたしが、卑屈・偏屈野郎なのだろうか。(女性なので、野郎ではないか)

 「そこまで嫌う意味は、まったく理解できない。そんなことを感じる、あなたにこそ、問題があるのでは?」
と思われる方が大半だろう。

と、ハナシが、またまた逸れている。
熱くなると、相手もいないのに、どんどん益々、一人相撲。

ハナシを元に戻し、まとめてみると、・・・

可愛げない、とんがった人に共感を抱き、可愛い人に反感を抱き、
最近のわたしは、じつに可愛げがない。

そして、中途半端に古くて、ださださ、だっさ~い。

 

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ブログと、あしと、あしたのあたし。

2013-06-22 | 日々のこと

虚飾と虚栄、虚構にミチミチあふれたわたしのブログ。
さてさて、なにを書こうかな?

せっかくの虚飾と虚栄、虚構であれば、もっと、ありえないような、すっ飛んだ内容が望ましい。
が、気分屋のわたしは、今日は地味な気分、とか、そういうかんじで、
派手派手にはいかない。

gooの無料お試しブログ閲覧・解析サービスを今期、またやっている。
あと1週間ぐらい続くのかも知れないが、ちょっとだけ見てやめた。
他のところ、たとえばアメーバは、無料。
gooは有料。ぜんせん、お金を出してまで、解析を見たいとは思わない。

何時にどれだけの閲覧数、検索ワード、よく見られている記事、・・・etc。
これまでにも、なんどもお試し期間があった。
今回もちょっと見てみたが、なんというか、・・・自分のブログなのに興味がない。
あまりにも関係ない検索ワードが何日も続いていたりすると、こちらが怖い気がする。

なので、興味惹かれる部分もあるが、そうでない部分もあり、見ないことにしよう。
知らぬが仏。

本音を端的に鋭利に書いてあるブログは、ある意味、小気味良い。
切れ味鋭く、読んでいて、すきっとする。
前置きとか、臭わせるとか、包み隠してとか、行間のニュアンスを読んでください、とか、
そんなものがなく、用件のみ、ショートカット。
わかりやすくて、気持ちいい。
が、突然、ぐさっと来る場合もある。
一長一短、表裏一体、なにごとも。


足のトラブルのため、わたしは、昨日は日頃できないこと、後回しになっていたことをやった。
外回りの用事あれこれ。

以下、つらつらと書き綴ったが、ボツにした。
(その部分だけコピーして、草稿記事として非公開にした)
自分の行動を書いても、読んでくださる方が妙に気になって、消してしまう。
季節の変わり目と同じで、ブログの変わり目か?

今だけの気分かも知れない。

明日はどうなっているか、わからない。


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足と、あたし。

2013-06-21 | 日々のこと

足って、大事だ。
日頃は、なにも考えずに使っているが、いざ、支障をきたすとなると、ややこしい。

まず、普通に歩けない。
ぴょこたん、ぴょこたん。不思議なリズム・バランス・ウエイト。
それが悪化すると、立ち上がれない。
蛇のように、地面を這いずりまわり、人間掃除機と化する。

わあ、部屋、フロアー、きれくなった!! ピカピカ!!
と喜んでいる場合ではない。
その分、自分の服が、ダスキンモップ化している。
いっそ、モップに適した、ゴミだけでなく水分も吸収する素材の衣類に変えようか。
いや、そんな明るい、くらし改善計画を立てている場合ではない。

どうにか、オシリをフロアーから離せるようになると、
欲がいきなり、どっと出る。
わあ、今日は、本来、あれがあって、これがあって、あれあれをあれして、これこれをこれして、
なんじゃらかんじゃらをする日だ。
しかも、この日は、わたしが一番楽しみにしていて、力を注いでいる。
下積み努力や、やる気の総集編。やりがいにミチミチあふれている日だ。
さらに、身柄を拘束されていない絶好の条件が完璧に整っているにも、かかわらず、なんで、動けない??!!

いらいらが、募る。
今、この状態で出来ることを模索する。
あれなら、できる、これなら、できる。
時間は、あれをするなら、何時間以内に用意。準備。
これをするなら、何十分以内に。それをするなら、何分以内に。
行動を選択すると同時に、始動開始。

急に時間に追われる。
そのあわただしい時間設定のなかに、なぜか、ブログ更新タイムを詰め込む。
これも、ひとつの病気なので、わたしは、長くこの持病とつき合なければならない。

足を過酷に酷使しない行動を何パターンが用意し、
細かく予定メモをぱらぱら繰りながら調整したりして、時間決定し、
ある行動をすることにチョイスした。
で、今からそれに向けて準備いたします。

何をするかぐらい、書けばいいのに、
見栄っぱりで、いいかっこしーで、嘘つきなわたしは、あえて、書きません。
虚構と、虚飾にまみれている、なんていうのは、ある種の美学。
かっこいいかも、なんて、思ってしまうわたしは、
その感覚自体が、かなり、ダサいです。
実体は、ごくごくふつうの平凡な目立たない、サボり人間です。

ああ、忙しい。
リアル社会は、自分時間では動かない。 

では、下界に降りてまいります。

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