蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

年の瀬

2020-12-30 | 日々のこと
年末、忙しい、せわしない。
あれも、これも。
例年、娘一家は年末年始は娘婿の実家に大移動、帰省するが、今回はコロナ自粛のため、ステイホーム。
その分、スープの冷めない距離の実家(うち)に日参。
わたしは今日から正月明けまでの6日分の食事用意にかかる。
嬉しい悲鳴、、、かと言えば、苦しい悲鳴。助けて〜。
孫のうち、上二人のちびっこ兄弟は、娘婿の実家に行けない、泊まれない分、こちらに泊まるとか言い出しているし。

一昨日から買い始めているが。
正月御節料理は、明日作る。
さて、今からスーパーに走って食材を仕入れてくる。

朝昼晩✖️6日✖️8人(9人)
次女がケーキ、スィーツ作りもするらしいので、生クリーム、フルーツも。
娘婿の実家と年末年始は半分半分、前半、後半に分けてもらったほうが、断然楽だが、コロナ時勢では致し方ない。

ちびっこは、人数が増えると半端なくうるさい。大騒ぎ。

テレビにかじりついている人物も嵩が高いなあ、、、、、、。
掃除とか、まだまだだし、、、

今回は、姑が他界したことにより、夫の実家には泊まらない。
結婚以来、自分たちの家では初めての年末年始を迎える。
ある意味、新ファミリー元年のような気持ちだ。
親からやっと離れた気分。
だが、その代わりに、自分が親になって背中の荷がズシリと重くなっている。
親になる自覚が、一代遅れてやってきている。
孫たちが出来て、やっと親になったような、、、
時間のかたまりがスライド、ずれている。

我々の上に親が君臨していたせいだ。
上司がなかなか引退しないまま、定年を迎える人のごとく。

夫は、親がいなくなって、やっと一人の人間として歩き始めたように思う。
自立したのも束の間、それまで上司に頭を抑えられていた妻、そして、成長盛り即戦力のパワフル娘たちに、君臨すべき座を奪われている。
一番下の位置まで一気にするすると下がっていったように感じる。
もともと、家庭では、床の間に飾られているものの、ちゃんと座る場所はなく、おんなたちに操られているのだろうか。
あと少しの間、そんなかんじかなあと。
男はツライ。
けど、今までの分、お返ししていただきます。


胸焼け

2020-12-28 | 日々のこと
どんだけケーキ、食べてるん?
というぐらい、またまたケーキ。
ケーキもあまりにも続くと、うんざり、、、(バチが当たる)
なんで、こんなに度々ケーキを買ってくるんだろう、夫。
クリスマスの時にケーキが売り切れで、娘婿に頼んで買ってきてもらったリベンジなのかと、、、おそらく。

とりあえず、忘備録撮影。

自分のブログを落書きで汚すかのような写真ばかりをアップしている。
なんの評価も求めていないので、こういうことになる。
娘婿には、しばし写真タイムをいただいた旨、「ごめんね〜、誰も見てないブログなんだけど、無意味なことしてます〜」と、言い訳して謝っておいた。

娘婿は、ある、無意味なホームページかサイトの例を出して、「大手でも、こんな無意味なこともあります、やってます」と教えてくれた。
慰めになってるんだか、なってないんだか、、、。

わたしは、クリスマスの次の日、生クリームのロールケーキを一本いただき、さらに次の日、別のケーキを食べる機会があった。
毎日、生クリーム。
ちょっとマックスに達しかけている。
更に霜降り牛肉が、美味しいを通り越して、老体にはもう限界。
贅沢な悲鳴をあげている。
胸がむかむか、気分が悪くなっている。
もったいないが、やはり、続きすぎるのは、良くない。

激情

2020-12-26 | 日々のこと
ケーキの写真ばかりアップ。
年末はケーキオンパレ。
食器、もっとコーディネイトすると際立つステキなものも持っているのに、ケーキ写真を撮るのが精一杯。
しかし、テーブルクロス、お皿、ケーキ、バラバラ、ゴテゴテ。
写真映え、ゼロ。
忘備録、自分用の日記写真になっている。

とまあそれは、いつものこと。
最近、書きたいことがない。
どうも湧き溢れ出るパッションがない。
その場その場で燃焼してしまって、それで、終わり。
紙で製本された日記帳も、もう10日ぐらいは付けていない。
日記帳をこの頃書いてない、レシートも溜まってきたし(日記帳を家計簿兼用にしている)、、、と、昨夜、久々ぶりに日記帳を開いてみた。
パラパラとめくっただけで、各ページ、白紙。
真っ白部分の多さに、うんざりして、パタンと日記帳を閉じた。
気を取直して記載したのは、蝶ブログの毎日の閲覧数と、アップした日のタイトル、そして毎日の歩いた歩数。
一日、一日、がら〜んと、白い余白。

日記を書くのがめんどくさくなっているとしたら、間違いなく老化!
わたしは中学一年の時から延々と毎日、あほみたいに日記を付けている。
情熱は何処へ?

情熱、激情はある。
悔し涙の憤死状態は、じつは蝶ブログ、直近の日記の冒頭に書いた。
あの火山大爆発、大噴火で、わたしは弱ってしまった。
激情に自分が負けた、自分の毒に自分がやられた。
そんなかんじか。
今は大病後の病後生活のようなもの。
自然治癒するのをじっと待っている。
もう闘う気力も体力もない。
弱っているのだろう。

そうやって、徐々に自分は閉店、店じまい、縮小、消滅に向かっている。
ちなみに、、、
昨日のフィギュアスケート、トップに返り咲いた羽生結弦には勇気と元気をもらった。
一人でもやり抜く精神力。すごい。
集中力。
伝わるものがあった。
理屈ではない。
鬼滅の刃より、やはり、生、ライブは造られたものにはない迫力があり、こころに訴えるものは絶大だ。


涙もろい

2020-12-25 | 人生
昨日から涙がぽろぽろ。
インナーマッスルのトレーニングに行く道中も涙が零れ落ちる。
「もう絶対、無理」
マスクの中で、そう呟いている。

しかし、わたしは今、自分の人生の中で最高、ピークのところにいると感じている。
18歳の時、番茶も出花ということば、全く意味が理解できなかった。自分は出花であるはずの18歳なのに、受験を控え、重苦しいどんよりした毎日を送っていた。
なんでこれが、出花なの?と。
女子高生は、男性にとって若々しく瑞々しく垂涎ものらしいが、当の女子高生であった自分は、意味不明だった。

受験する大学より下ランクの大学に一校、更にまた下に一校、滑り止めの滑り止めを受けた。
受験する大学自体が滑り止めみたいな大学だったにもかかわらず。
なぜ、上を目指さないのだろう、わたし。
頭に重い漬け物石が乗っていた長く重い日々であったが、直前に目標を低く設定していたせいで抵抗力なく無事クリアした。
担任の先生に、「うんと勉強しないと○○学科は相当困難ですよ」と言われ、周りからもそういう情報を得て、すんなり○○学科を受験するのはやめ、△△学科にした。

長い一つ目のトンネルから抜けた。
鉢かづき姫の鉢が頭から取れ、ちゃらちゃらして遊んでいた、モラトリアム大学生の時、自分はそれまで19年生きてきた人生の中で最高に楽しい、と、きゃあきゃあ享楽の毎日を送っていた。

大学を卒業した22歳の時、半年、家に引きこもっていた。
といっても、仕事は週に2回ぐらいしていた。
魂が抜けていた。
まわりの人に、わたしの魂の抜けっぷりを親は指摘されていたようだ。
竜宮城生活がピリオドを打ち、次の手を打っていなかった(正確には打っていたのだが)わたしは、竜宮城に留まりたかった。
だが、ベルトコンベア式、トコロテン式に歳が行き、ジャニーズは20歳が引退の見極め時であるかのように、わたしは結婚年齢に突入していた。

今の時代から考えると隔世の感がある。
しかし、昔でよかった。
わたしが今の時代の若者なら、絶対にやっていけない。
ではあるが、越えるべき山を越えず、平地ばかりを歩いたため、選択してきた道が、それがまた苦悩の元になっている。
自分にしっぺ返しとなって、跳ね返ってきている。
安楽な方法、楽な道ばかり歩いてきたおかげで、今は安泰なのに、矛盾した葛藤を抱える。
とは言え、アリとキリギリスのキリギリスではない。
どちらかというと、キリギリスに近いアリ?
キリギリスになりたくない、アリ?
サボりのアリ?
勤勉なキリギリス?

でもあまり深く追求しても、ろくなことはない。
老人鬱になっても誰も喜ばない。

今、最高に楽しい、人生の黄金期なのに。
若い頃の開放感が蘇り、あの時の竜宮城気分を第1期竜宮城とすると、今は第3期竜宮城期かなと。
第2期は、第一次子育てがひと段落した時期。
あの時も大きな開放感に喜び浸った。
第3期のスタートはもう10年近く前なのに、やっと10年経って、最大級の喜びを噛み締めている。
大きな波があるようだ。

後はゆっくり降るのみ。
下山は足元注意。
前向きに、前を向きながら後退していく予定である。

サプライズは心臓に悪い

2020-12-23 | 日々のこと
突然、次女から「今日、家に居る?」とLINEが来た。
「突然だけど」と前振りはあったが。
相談したいことがあるという。
毎週日曜日は、長女一家が来る日だったが、先に長女がうちに入り、同じ時間あたりに来るそうだ。
わたしは外出中で、半日の間、帰宅するまで気になった。

何だろう?
いったい、何の相談?

結婚?
転職?

長女にLINEで相談する。
相談される前に相談するって、、、不思議な母親(わたし)である、、、
が、まあよい。

結婚と転職を合体させて、
パートナーと起業?
新天地に移住?
などと長女に想像していうと、長女に「それ、妄想やん」とリアクション。
なるほど、その通り。
良い話ばかりではないはず。
病気?
人間トラブル?
借金?
色々考える、、、。

さて、帰宅して次女の顔を見る。
いつもの顔。
牡蠣フライとクリームコロッケ、サラダ、牡蠣アヒージョ、赤ワイン、(牡蠣が苦手の子供、孫たちは、おでん)などで夕食を囲む。
9人わいわい、時は過ぎる、、、が、次女が一言も口を開かない。
相談の「そ」の字もなく、次女の声を聞かずに夕食は過ぎた。
その日のうちに帰るという。
帰る間際まで、固唾を飲んで開口の瞬間を待った。
が、無言。
その瞬間は訪れなかった。
いよいよ帰る時に、何か持って帰るものはないかと家にあるものをゴソゴソ探したが、その日の次女のバッグが小さくて入らない。
「次でいいわ」と言い残して、次女は家を後にした。

あらかじめ、うちで次女と話す時間があった長女に、聞いてみる。
「何か言ってた?」
返事は「準備不足らしいで」と一言のみ。

そうか、、、。
また翌日、長女にLINEで聞いてみたが、やはり答えは同じ。
「ただいま準備中」のスタンプをぺたり。
長女はおそらく知っていると思うのだが、口の固い子だ。
本人の口から直接、言わせようとしているのだろう。
あるいは、ほんとうに何も知らないか。

夫に後に、相談肩透かしの件を伝えた。
「相談て何なんやろうねー。
良い話ではないとすると、会社の健康診断検査で悪腫瘍が見つかったとか、、、」とつぶやくと、夫はこう言った。
「会社の経理検査で悪事態が見つかった、、、って聞こえた」
何を聞き間違えてる?!
そんなわけないでしょう?!
しかし、世の中、「ないわけない」ことがないとは限らない。

などなど、良い話なのか悪い話なのか、困ったことなのか、悩みの相談なのか、、、よくわからないまま、そのままになっている。
次女が相談したいことがある、なんてそんなことを言い出すなんて、青天の霹靂(へきれき)で、今まで一度も無かったことだ。
どんな時も無口の次女。
静かに、音を立てずにやることはやる。
一難去って、やれやれ、、、というのは明らかにおかしいが、とりあえず、ドッキリは延期となって、平常の脈拍に戻っている。
でも、わたしは歳がいって心臓に悪いから、サプライズはやめてね。

喜び事なんだけど、困り事、みたいな内容かと想像、妄想を膨らませている。
例えば、パートナーが見つかったが、単純に喜べない訳ありの人、事情とか、
転職するけど、ほぼ収入は見込めない、とか、
共同出資したものの、実態が怪しい、とか、騙されているかも、、、とか、、、
妄想はどんどん、悪い方に膨らんでいく。
最初は良い話ばかりの妄想だったのに。
時間を置くと、こうなるのだろうか。

なんでもいいが、元気がなによりと、子の心身健康を願う母(わたし)である。


暮らし雑感

2020-12-19 | 暮らし
まあなんと寒いこと。
身を切られるような冷たい風に震えている。
わたしは夏生まれのせいか(生まれた季節とは関係ない、と言われるが)寒がり。

と今日は2日前に書きかけていた季節ネタからスタート。

親切にしてはいけない人、温情をかけてはいけない人には、親切にしてはいけない、、、というブログ村エッセイの記事を読んで、感想。
わたしは温情や親切や恩は一方的に受ける側であって、お返ししない、気働きが出来ないタイプだ。
だから、ため息をついて離れて行った人も少なからずいると想像する。
唯一、残っているのは、身内、家族だけ?

冠婚葬祭やお祝い事は、当然、お返しをするのが常識という環境に長年、身を置いている。
厚かましく人のモノを欲しがる人は神経を疑うというようなことも記事にはあった。
わたしは、、、。
「ちょうだい」とわたしが、せがむ相手は長女。
彼女は自分が不要品と判断するや否や処分するので。
人にあげたり、捨てたりするから、早めに、欲しい旨を伝えておかないと、手元から消えてなくなってしまう。

が、彼女のお下がりは、わたしの日常生活がどこかしら快適に変わったことに貢献している。
例えば、スクエア型洗濯用ピンチ(いくつも引っかける洗濯ハサミがぶら下がっているもの)、台所流し用の洗いかご、ユニ○ロのフード付き(わたしにはピチピチSサイズ)ダウンベスト。
それらは大変重宝している。
が、靴はダメ。
履き癖がついているため快適ではない。

あとは、次女からのお下がりの電鉄交通フリー券。
これはわたしの生活ががらりと変わったと言っても過言ではない。(過言ではある、が)
フリーパス(定期券)のおかげで、乗り換える駅が変わり、利用する電鉄会社、電車ルートがころっと変更された。
今まで長年使っていた駅に降りることは全くなくなった。
これは大きな変化である。
次女が独立し、実家から転居したため、自宅から使っていた(誰でも使える)定期券を残してくれて出ていった。
これは、嬉しかった。
自分で買えば済むことなんだが、自分ではあまり行動しないほうなのでいつも受け身。

服も断捨離に忙しい、長女、次女に、捨てる前に一言声かけてね、と頼んでいる。
彼女たちが買いたてほやほやの新品の時から、とりあえずそう伝えている。

ちなみに、姑には、何かあるにつけ「将来、歳とったらお小遣いちょうだいね」と言われていたことを思い出す。
が、そう言っていた姑だが、子供達の記念日、お誕生日、行事にお祝い金をくれることはあっても小遣いを実際にねだることはなかった。
心身共に自立できなくなってからは家族が経済、その他は代行していたが、自分の要介護後の資金ぐらいは預金通帳には残っていた。

しかし、事あるごとに「(将来)お小遣いちょうだいね」発言は、良い印象は抱かなかった。
姑は、配偶者である舅は稼いでも、自分の思い通りになる額は、希望どおりとはいかなかったようだ。
自由になるお金が欲しかったのだろう。

舅が他界してからは、姑にとってはこの世の春。
息子から毎月、誰の干渉も受けず好きに使える資金が振り込まれる。
(舅の年金も姑の手に)
姑から我々息子夫婦との同居をずっと前からわたしは言われていたにもかかわらず、いつの間にか立ち消えになっている。
息子夫婦、嫁であるわたしや、かさ高い息子と同居すると、せっかく手に入れた自由が目減りするかんじかなと想像する。

お手本になる、見せる生活をするのはしんどい、と姑はかつて元気な頃、言っていた。
それ、すごくよくわかる。

わたしは娘一家とも同居しない。
長女の家から自分の家に帰ってくると、ほっとする。
世の中には、同居しておられる方もいて、頭が下がる。
同居せざるを得ないため、(意に反して、または納得して)同居している人もいる。

父親が亡くなり母(おばあちゃん)ひとりでは可哀想だと同居を始めた家庭もよくある。
わたしの実家もそうだ。
ただし、母が寂しくて可哀想なのでは断じてない。
同居の初日から嫁姑のバトルの火ぶたは切って落とされたが、実家ながら気の毒である。
今、思えば、なんで同居などしたのだろう?
まあ仕事やいろんな事情からではあるが。
同居しない選択肢もあったのに、同居を選んだ理由は?
だれも疑問も抱かず、すんなり同居に進んだようだが。
丸く収まっている。(丸くはないか、、、)
計算、打算なども含まれているのだろうけれど。
もう一歩、追求した考え方、提案があっても良さそうなものだ。
実家ながら、今更ながら不思議に思う。 

皆さん、いろんな生活の仕方がある。
その人、その人の暮らし方。
同居、、、一つ屋根の下に一緒に暮らすのは、今のわたしなら卒業した感がある。

独居自立できなくなるまでの今を大切に生きたい。
あ、よく考えるとわたしはまだ独居ではなかった、、、。





邪魔

2020-12-13 | 日々のこと
蝶ブログ。
9年半前の記事を次々読んでくださる足跡あり。
まさかと思うが、登場人物、ご当人?
それはない、、、はず。
懐かしく、自分でも読んでみた。

美人さんとランチした内容。
情景、光景、、背景、会話がくっきりはっきり思い出せた。
ランチのお店も、お店の明るさやティストも蘇った。
なのに、、、不思議とその美人さんの顔が思い出せない。
体型は細身の方、思い出したのに。

自分は美人じゃないけど、ガンバローみたいな、健気な、痛々しいことを書いていた。
美人に対するコンプレックスをひしひし、いや、全開、感じた。
ダンスはやはり、最初の見た目イメージ。
そして、見知らぬ人は顔が大事。
会話なんか、飛んでしまう。
だが、9年半経って、肝心の美人さんの顔をすっかり忘れて、会話内容を思い出すということは、、、
実際はあまり感動していなくて、こころに残っていないということだろうか。
美人、美人と騒いでいても、自分の深層心理では、美人に負けない何かで勝負したい!と強く思ったのかも知れない。
コンプレックスをバネに??

しかし、わたしはコンプレックスだらけだ。
見た目、外見、容姿もさることながら、能力、気力、、、、自信なし。
自信があるとすると、鈍感力と回復力と、楽天家なところ。
あと、余裕。
すべての面で余裕があり過ぎて、イラつかれることもある。
人によっては、無神経にも感じられるかも知れないので、極力、人には近付かないようにしている。

歳を重ねると社会の重荷になる。
そう考えると老人鬱を引き起こしかねないから、考えないようにする。
どんな人も平等に歳を取る。
団塊の世代がどかんとボリュームゾーンを形成しているが、政治家も歳を取っている人もまだ現役でいるので、一斉に年配を切り捨て御免はないと淡い期待を寄せている。
であるが、その一方で、健康保険や児童手当の優遇措置に収入枠(年収の高い人は割増やカット)を設けるのは致し方ないと考える。

高齢者が生きにくい世の中の風潮にはなってほしくない。
が、医療が発達しすぎの弊害もある。
皆んなそれぞれ全員、尊い命ではあるが、自分で判断出来ないぐらいの状態になる時の準備は必要だと思う。

ちなみに、、、先週の出来ごと、、、。
郵便ポストに、カバンから出したばかりのハガキを投函し、ハガキを入れていたホルダーをしまおうとカバンのチャックを閉めることに集中して(自分のことだけに気を取られて)道を歩いていると、前から来た若者に「邪魔!」とすれ違い様に言われた。
すごくショックだった。
こんな広々、幅6メートルはあると思われる誰も歩いてない道なのに、と。
貴方が勝手にわたしの真ん前から来るんじゃない?と。

だが、別のある日、同じような光景を目にした。
カバンから何かを取り出そうとしている、あるいは、しまおうとしている高齢の女性。
まったく前を見ずに自分のことだけを考えて歩いている。
あ、あれだ。
周りは避けたらよい話でさほど迷惑を感じていないが、見る人が見ると癇に障るのではなかろうかと。
本人は、まったく自覚していない。
そのことで、舌打ちする人がいることなどまるで想像もできない。
わたしがそうだったように。

わたしは、若者に「邪魔」と言われたことで、最初はカチンと来て腹立たしくショックを受け、自分が正しいとムカついた。
が、他人の行動を見たことによって自分の無意識の行動が見え、さらに同時に他人の無意識の行動も見えることになってしまった。
自分と同時に他人にも気づきがあった。
目が開いたために、他人の行動まで気になるようになった。
わたしにとっては邪魔でもなんでもない、そのカバンごそごそ高齢女性を見て、かなり複雑な心境になった。
無意識であるその女性の行動が妙に不快一歩手前のような気持ちになった。
自分も意識すべきなら、他人も意識すべきだ、などと、自己正当化意識から発生したにもかかわらず、他人にも強制したい、気付くべきだ、と感じた。
これは、自分は学習したものの、他人に対しても厳しい目で見る副作用、弊害付きである。
自分に厳しく、他人に厳しく、というものか。
自分に余裕がないと、他人に優しく出来ない典型、わかりやすい例だと感じた。
自分もちゃんと出来てなくて厳しく言われている、まだ克服しきれていない状態では、他人に優しく手を差し伸べられない。
わたしのようなトロい人間は、自分に優しく他人にも優しく、、、が、一番、無理がない方法のように思う。

わたしに「邪魔」と言った青年のように、人に気づきを与えるのは、親切なのか、お節介なのか、はたまた傷つけることなのか。
アカの他人に邪魔と言われ、社会で生きて行くのは、細やかな注意が必要なんだと感じた。

しかし、若者が高齢者に「邪魔!」と言うのは、高いところから低いところに向かって唾を吐くようなものではないかと思ったりもしたが、
年齢は関係なく、個人個人の性質の違いかも知れない。
ぼーっとした若者もいるし、シャカシャカした高齢者もいる。

みんな、知らない人同士であっても、優しいこころで接したいが、なかなかコロナ禍もあり、余裕なくギスギス、カリカリしているのかも知れない。


気持ち、こころ

2020-12-12 | 日々のこと
さて、本日の蝶ブログ写真を自宅でスマホに設定して、、、
と。
わざわざ説明する必要もないのに説明すると、、、
自宅外ではスマホでは通信エラーが出て、gooブログに写真が設定出来ないことが多々あるので。
写真を後から入れると、ブログ村の自分記事に写真なしのままになる。
いくら後から写真を入れてもずっとそのままま。なんでや?
て、この説明、蝶ブログで2回目。
わかっていながら、またまた意味のないことをしている。
「意味のないことをする=わたしの人生」。
残された人生自由時間は、これをモットーにしよう。

しかも、「さて」が文頭、一番最初に来るのは明らかにおかしいが。
まあよい。
自宅を出る前に、カバンに財布を入れて用意するようなものである。
て、今日はこれでブログ記事が終わってしまうのではないだろうね、、、と、いささか不安になり、自分に、お問い合わせ。(注釈※普通、通常は、「お」は付けないと思うけれど、ワザとです。
と説明する自分はかなり嫌)
とりあえずは、一旦、離れます。

と、本日の「意味ない」パターンは、いつもにも増して意味がない。
益々、「意味ないパターン」を自覚、納得、満喫、自嘲。


さて、ここからが本当の意味での「さて」。
今までは序章でした。
ごくろうさま。

さて、今日も自分の持ち札を使って楽しい時間を満喫しよう!
その持ち札の中身を書くには時間とエネルギーが不足している。
ここでまた自嘲。
いつになったら落ち着いてブログを書くのか。

ちなみに、悩みに真剣に取り組んで、胸のうちを吐露し、投げかけている別の日記はなぜか、閲覧数が最近やたら上がっている。
温度は伝わる、、、そんなものなのだろうか。

蛇足。
写真は、またまた湯気が上がるほど撮りたてホヤホヤです。


未完

2020-12-12 | 日々のこと
やる気が削がれるような閲覧数の劇的減少。
でも、自分を奮い立たせ(意味ないにしても)、マイワールドに今日も進む。
旅立つ(※旅行ではなく、人生の)まで、こんなかんじ?

それにしても、他のブログは素晴らしい。
そりゃあ、わたしのブログなどなんのメリットも面白みもないと、完敗をすんなり素直に認める。
わたしは、わたしなので、べつによいといえば、よい。

と、書いても書かなくても何の意味もないことを一先ず書いて、助走。
とりあえず、写真を自宅でブログに設定して家を出る。

・・・
帰りの電車内。

さて、今日も一日、終わってしまったようなもの。
今は夕方。とっくに陽は落ちている。

楽しい一日だった。
一日一日、持ちストックを減らしているような、寂しいかんじ。
特に夕方になると、もうほぼ一日はおしまい。

夜から活動するなんてことはないので、ただ夜は次の日に備える準備をするだけ。
あと残された本日のタスクは家族の食事を用意しなければならないが、それで終了。

・・・
と、ここまで帰りの電車内で書いて
次の日の朝を今、迎えた。
この、書きかけ記事、アップする?
アップします。
意味ないことをするのが、わたしの人生。
今日はまた別の記事を行きの電車内で書き、帰りに仕上げ、仕上げられなかったら次の日の朝に書きかけの中途半端なままアップして、、、。
こういうことの繰り返しこそ、わたしらしい、やり残しの連続こそ、充実した人生なのではないかと思ったりする。
完成、集大成などないのだ。
未完の連続こそ人生そのもの。
(て、無理やり〆感あり)

追加。
でも写真は自分で撮りたてホヤホヤです。


子守

2020-12-10 | 日々のこと
老人と海、、、ならぬ、老人(予備軍)と赤ん坊。
シニア向けキャリーカー(荷車)かと思いきや、荷物をいっぱい載せた手押し車(ベビーカー)の中にベビーが、、、。
しかも、毎回、停滞、停車する場所を転々と移動する。
ある日は、デパートの入り口付近。
ある日は、商業施設の入り口ホール。
ある日は、商業施設吹き抜け二階。

スーパーに備えられている買い物カゴキャリーをコロコロ転がすかのごとく。
ベビーは大人しく眠っているので、子守をしていることを忘れる。
時折、目を開ける。
機嫌よく可愛い笑顔。
自分の両手を使って指遊びをしている。
ばぁ〜と言って顔を覗き込むと、ニコニコ笑ってくれる。
なんとやりやすい子。
癒される、、、。

クリスマス一色の師走。
商業施設のベンチに腰掛けている人々の多さに驚く。
皆さん、なにしてるんだろう?
ぼーっとヒマそう。

かくいうわたしも、不審な人物かも?
いえいえ、一見して孫守りばあさん。
ただ、孫がお利口すぎて子守の活躍の場を周囲に披露できないだけ。
ありがたや、ありがたや。

その間、わたしはスケジュールを練ったり、ブログを書いたり、自宅にいるのと同じ。
こんなことで役に立ってるのだろうか?
ベビーを街中に放置するよりは役に立っているはず。

今だけの、不思議でささやかな、お楽しみ期間を満喫している。