蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

「嫌い」の心理学

2014-08-30 | 日々のこと

密室で共通の知人(SNS内)の悪口を愚痴り合う、陰湿仲間とのやり取りが続いている。
建設的展開でもなければ、自然消滅でもない。
まだまだ、イキイキと続いている、この不思議。

今日、メールした内容は、ここ蝶ブログのちゃんとした記事になるほど、ちゃんとしていた。

SNS病についてや、心の病気について、心のメカニズムの分析、
現状を例に出しての解説、・・・・

なかなか理論的で筋が通り、しゃきっとしていると自分ながらに自画自賛。
心理分析を専門とする精神科(あるいは、心療内科?)の医師の解説を半分ぐらいパクリながら、
自分の心の中を探り、深く掘り下げてみた。

「嫌いの心理学」

このタイトルで書くと、延々と書けそうだ。

だが、今日は、すでに陰湿仲間に起承転結入りで、メールを送ってしまったので、
自分のなかでの追及心は、クリア、こころ、すっきり。

陰湿仲間と陰湿やりとりをしているうちは、蝶ブログをアップできないなあと、ちょっと、さびしげなわたし。
たった一人としかやり取りできない、密室会議では、日の目を見ない。

 

他人の不幸は蜜の味。
人間には、邪悪な妬みのこころが潜んでいる。
それを自分の胸のうちに感じ、わざわざ文字にして、やりとりする・・・なんて・・・
これも一種の自己陶酔なのだろうか。

病気一歩手前の、健常人の精神。
数値は、危険ゾーンすれすれ一歩手前であるが、上がったり下がったりしながら、平常心を保っている。

この振幅が大きすぎる人、乱気流に巻き込まれコントロールできない人は、要注意である。
元に戻る自信がある人はよいが、戻れない、制御不能なのが、病気というものだ。

「わたしは病気ではないから大丈夫」という人に限って、大丈夫ではない。
しかも、似たような人が集まってきて、賛同し合うので、「自分は正しい」という勘違いの罠に陥りやすい。

「自分は病気ではないから、あの人たちが病気なのだ」
そう言い聞かせるのも、ちょっと病気っぽい。

自分のこころを冷静に見つめてみると、こころが落ち着いてきて、
いろんなものが見え、自然と真理を語ってくれる。

 

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陰湿終了

2014-08-26 | お付き合い

同じSNSで共通の知っている人の悪口を陰でこそこそ言い合う、陰湿仲間からメールが来た。

「思い詰めるのは、よくないですよ」

その人は、ご親切にお心遣いのアドバイスをしてくださる。

あらま、わたし、別に思い詰めてなんかいないんだけど・・・。
わたしの書き方が、やっぱりいけないのだろう。
見て聞いてきたように、見ても聞いてもいないことを真実であるかのように書くから。
落語家のごとき、語り口??

なので、もう陰湿ごっこはやめましょう、と、悪口ストップを提案した。
陰湿決別・終結宣言。

自然解消でもなく、建設的な方向でもなく、
意図的解消という流れか。


わたしは、いつも、自主的にものごとを進めるタイプではない。
相手がなにか言ってきたり、提案してきたりすると、それにリアクションをするだけ。
攻防でいえば、守るタイプ。受身。

なので、メールも頂けば、お返しするが、
メールの内容によっては、コース変更する場合もある。

ラリーの応酬もさかんに・・・とは行かなかった。
やはり、悪口では最初は良くても、二人だけの密室では、盛り上がりっぱなしにはならない。
公にすると、炎上となるのだろうけれど。

つまらないことに時間を割くのは、お互い、つまらないので、
これからは、建設的な傾向に進んでいくことを期待している。

が、自然消滅もありえる・・・。

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陰湿仲間

2014-08-23 | 日々のこと

ここのところ、とある人と、陰湿に盛り上がっている。

別SNSに、大嫌いな人がいて、頻繁に日記をアップされている。
その日記が嫌いで嫌いでしかたなく、虫唾が走るのだが、お化け屋敷に引き寄せられ、
ついつい入ってしまう。

わたしと同じ思いの人がいて、先日、直にメールをくださった。
お互い、大嫌いな人は別人なのだが、「わかる、わかる、あの人でしょ。あれは病気だわ~」
みたいなかんじで、悪口を吐き合っている。

誹謗中傷は公には出来ないので、二人の間だけで、
しかも、嫌いな人のハンドルとかは、はっきり出さないで、それとなく匂わせるかんじで、やりとりしている。

「今日の日記!!
もう、あきれるしかありません」

そういう一言メッセージ。
こんなことを密室で送りあっている我々こそ、病気??

我々の共通点は、二人とも、自己陶酔型、勘違い劇場型が大嫌いなことである。
そして、世間や特定の人に、へんに媚びたり、迎合したりするのが、気持ち悪いと感じる。
我々も日記をアップしているが、お互いの日記には、ほとんどコメントをつけない。
裏で、ごによごにょ、やっている。
でも、表には決して出さない。大人ですから。

ひょっとして、わたしの日記(ブログ)も、陰でごにょごにょと、どこかの誰かの間で盛り上がっているのかも?
いいえ、わたしの日記にはそんなパワーはない。

「嫌い」というのは、絶大なパワーなのである。
負(マイナス)であろうが、正(プラス)であろうが、人を引寄せる吸引力がある。
我々は、その力に屈しているかたちになっている。
これは、ある意味、みっともなくて、情けなくて、かっこ悪いのである。

正面切って負けを認められないで、陰で、ごそごそ、こそこそ。
この愚痴り合い、いつまで続くのか、見ものである。

が、ある程度続けると、自ずと次の展開が見えてくるはず。
自分の潜在意識のようなものが、はっきりつかめると思う。

ということは、マイナスのパワーも、効力があるということだ。
おそらく、ごにょごにょ相手も、わたしと似たようなタイプ(自意識過剰で、へんに熱く、問題意識を強く持つ)
なので、
目下、自己嫌悪を感じながら、やりとりしていると予想できる。

どんな結果になるのか、とりあえずは、ごにょごにょ蠢き合って、経過を観察している。

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結果なんかなくて自然消滅なのか、別の方面で意気投合して、建設的に発展していくのか、
Nobody knows.である。

 

 

 

 

 


大嫌いなのに、気になる

2014-08-19 | わたし

ある方から、

「大嫌いな人がいて、見ず知らずなのに、ついついブログを見に行ってしまう。
これは、好きなのか、嫌いなのか、なんなのでしょう?」
という問題提示、テーマを頂戴した。

(その節は、コメント、ありがとうございました)

そこで、スローは考えた。

わたしも大っっっっ嫌いな人がいて、その嫌いぶりは、虫唾が走るほどで、
寒イボぶちぶち、鳥肌ぶつぶつもの。
ただし、わたしとはまったく接点のない、アカの他人。

なぜ、こうも、こんなにこの人が嫌いなのだろう・・・と自己分析をした。

要は、わたしを投影しているようだ。

わたしが、自分自身でとても嫌いな部分、それを無意識に押し殺して隠しているのに、
堂々と、お天道様の下で、誇らしげに表現されているのが、カンにさわるのだ。
無意識で眠っていた、自分の嫌いな部分が、その人の行動、動作、発言、発信によって、
たたき起こされた。喚起された。

その人が、へんに発信しなければ、わたしは自分の嫌な部分を一生自覚しなくても済んだかも知れないのに。

それと、途中までは同じなのだが、ちょっと負けている部分がある。
手が届きそうで届かない。
いっそ、まったく手が届かなければ、遠い存在で憧れるのだろうけれど、なにぶん、途中まで同じコース。
ふん、なにさ。
憧れだなんて、思いたくない。ヤッカミ。
これが入ると、私情抜きで、正確に物事を客観視できない、悪役スパイス効果が出る。


というわけで、いつもいつも、じつは、わたしはその人の日記を読みに行く。
怖いものみたさ。
今回はどれぐらいアイデア満載、手が込み、改良され、
ますます怖さが増した、お化け屋敷なのかと、期待いっぱい。

お化けに拍車がかかっていることだろう、と、失神、失禁用の準備までして(うそです)
リニューアルお化け屋敷に、勇んで入場していく、
そんな気分だ。

自分の毒をよく知っていれば、そんなお化けは怖くない。
だが、まだ自分の毒との付き合いが浅いと、自分毒にやられるから、注意が必要だ。

自意識過剰うっとり型の、その自称・大女優・女史は、大嫌いではあるが、
じつに人間らしい。

わたしは、もっと生理的にも信条的にも、思考傾向も価値観としても、受け付けない嫌いなタイプがあり、
そういうところには、全く行かない。
人生において、わたしには必要のないものであり、回避する。
ブレーカーを落とし、回線自体を撤去する。

が、自分の無意識下にもある、気になる、怖いもの見たさの大嫌いなものは、
訪れて、自分のアクや悪、嫌いなものと対峙する。
SMにも通じる、痛すぎて気持ちいいほどの「嫌悪ぶり」に触れることによって、
日ごろの、まったり凪平和モードから、一瞬、刺激を受ける。
ただ、それだけだ。

ああ、まだやってる、この人。あ~、嫌いやわ~。

それなら見に行かなければいいのだが、行くところが、まだわたしは若いという証拠だ。
やっぱり大嫌いなのだが、自分にもそういうところがあるから、過激に反応するのだろう。
ということは、わたしは、うっとり自意識過剰タイプなのか?

・・・思い当たる節がある。
が、理性と羞恥心で、抑え込んでいるのだろう。
抑え込んでいることすら自覚がない、無意識なのだ。

「人の振り見てわが振り直せ」と、昔の人は良いことを言う。
気づきを与えてくれる。

嫌いだってなんだって、いい。
自分が目指したいことの道を照らしてくれるのに、一役買ってくれている。
いわゆる反面教師。

なので、「嫌いなのに気になるのは、嫌いなのか、好きなのか」、と問われれば、
「大嫌いです」と答える。

 

 

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蛇足

今しがた、お化け屋敷・最新版がアップされていたので、のぞきに行った。
で、感想。
上記、分析、ぜんぶ、取り消します。
自分にあるとか、ないとか、無意識とか、潜在意識がどーとか、そんなものは、ぶっ飛び、宙に浮いて、

ただただ、理屈抜きで、この人のテイストが大大大嫌いなだけでした。

半世紀以上生きて、いい年して、お嬢ちゃまぶりっ子、舌ったらずの甘えっ子ぶりっ子、

「ママ、ママっっ、みーちゃんは、お襟におリボンのついた、このお洋服、大好きなのっっ。
お稽古に一緒に来ているお友達は、おみ足が小さいから、みーちゃんより、歩くのが遅いくて、お車回してもらってって言うのっっ。
でも、みーちゃん、お足が少し痛くても、ひとりで歩けるもんっっ」
(例えば。。。内容はまったく違うが、こういうノリ)
キラりん、きらきら~。

ってかんじ、
これをマジメに、自分は上品でお嬢様だと大いに自負して、やっておられる・・・
憧れともヤッカミとも違う、ただただ純正・お化け屋敷である。

 


 

 

 


無料と有料の違い

2014-08-16 | ブログ

かつて、わたしは、ここに、アホほど毎日せっせせっせとブログ記事を投稿していた。


今は、神のお告げで、休筆中。
というか、製本化するのにあたって、予想以上の金額に、おじけづいているだけ。
自分がケチであることを自覚したに過ぎない。


製本化のために、毎月、貴重な身銭を切って、せっかくの無料だったgooを有料版にしたのに。
結局、一時停止。宙ぶらりん。
「製本は、めんどくさいよ~」という、アドバイスをいただいたが、「どケチなんです、わたし」という結果になりそうだ。


とは言っても、まだわからないが。


そのせいか、別のところで書いている日記が、なにやら反応がよくて、
公のコメント以外に、熱心にメールを送ってくださる方が、ちらほらおられる。
そのお返事を書くのが、けっこう大変だったりする。


お返事は一人ひとり違うが、なぜか、自分の書くものには、こだわりをついつい持ってしまい、手を抜けない。
ブログ記事をいくつも人数分、書いているようなかんじだ。


読む人は、一人だけで、しかも非公開。
既製品を通り越して、完全に、別注、特注ということになる。
べつにたいした内容ではないが、時間と気合が必要な割には、ワリに合わない作業になっている。
書くのはいくら趣味だと言っても、たった一人だけに向けてのものをいくつも書くのは、疲れる。
不特定多数に向けてであっても、一斉発信のほうが効率が良い。


だが、ピンポイントで非公開にメールをくださる方は、けっこうそれぞれの世界に邁進された、濃い方。
こちらからアプローチしなくても、向こうからやってきてくれるので、
不特定多数の方々に無駄打ちするより、しっかりとした手ごたえがある。


この蝶ブログもそうである。
ここでお知り合いになったコアな方は、なかなか、わたしのリアル人生では得ることの出来ない方々だと思っている。


蝶ブログは、8年の間に、書かれている自分のことについて、
最初は、自分の良い面、自慢時期、中盤は、悪い面、毒吐き、後半は、人生達観・・・
そんな流れになっているなあ、と自己分析する。


毒はあるが、不幸自慢のネタが、あまりないので、
多くの不幸な方や、日常がおもしろくない方々には、共感いただけなかったかも、と思っている。


別SNSでの、メールをくださる方々の日記(ブログのようなもの)を読ませていただきつつ、
1対1での密室、手作り作業も、濃いかもしれない。



お金を払わないと読めないブログもあるのに、
無料で一人ひとり、当人一人だけしか読まないものに、時間を割くのは、わたしが素人ならでは。


無料か、有料か・・・
家族関係や、人付き合い、恋人関係にも、そういう概念を当てはめると、
非常に微妙なテーマが潜んでいる。


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プロのブログは、タダでは読めない

2014-08-07 | ブログ

久しぶりに、ブログ村を訪れた。
見たことのないブログが上位にランキングされていた。

すごく面白い。
わたしと感性、価値観は、そっくり。
視点も興味分野も同じ。
しかも、完璧な文章、内容。
まるでプロのようだ・・・と感心した。

やはり・・・プロのようだ。
なせならば、定期購読したければ、お金を払わないといけない。
なんでも、タダ(無料)には、限界があるということだ。

お金を払ってまでは、そこまでして、べつに読みたくないので、(時間もないし)
お金を払わなくてもいい無料の部分だけを読む事にしようと思う。

そこで、ふと考えた。
あれが、アマチュアなら?
しかも、膨大な読者を持たない、ひっそりとしたブログなら?

おそらく親近感、手作り感、ぬくもり感を感じることだろう。
前にも、とても素晴らしいブログに遭遇したが、自分との距離感を考え、一度読んだきりになった。
ブログの良さは、双方向にコミュニケーションが取れるということ。
自分と近い距離にある温度感も、わたしは欲しているのだろう。


その有料ブロガーさんが、別のブログを紹介していた。
ご自分の価値観や考えとは、違う、と。
紹介されていたブログもまた、壮大でユニークで、日本の日常とは、かけ離れたところに住む女性のものだった。

日本の価値観に自分が合わずに日本を飛び出しブラジルに在住している女性のブログなのだが、
有料ブロガーさんによると、そのブラジル暮らしの女性は、
人の価値観に合わせることばかりに目を奪われているのではないか、という、指摘、感想をお持ちのようだった。
多くの目を意識しすぎである、と。
多くの人に受け入れられようとしすぎ、とのこと。

わたしも、まるで同感だった。
世の中には、似たような考えを持っている人がいるんだなあ・・・と感心した。

あ、それと、内容はともかく、
文体や表現方法は、ブラジル在住女性ブログは、わたしは好きではなかった。

・・・

まあそれはそうとして・・・
上質な読み物は、プロにまかせ、
わたしはわたしで、アマチュアならではの甘さでも追及していこうかなあと。

(製本にお金がかかりすぎるので実行するかどうか、ちょっとここで、思案時期・・・)

それと、わたしのブログには、自分なりの欠点、欠陥を感じる。
わたしは、なんでもかんでも書いて、ああ、すっきり、というわけではなく、
下品だったり、ストレートすぎる赤裸々系は、NG.
自分にも絶対にその要素はあるのだが、それを文字にするのは激しく抵抗を感じる。
まあ、それだけのことだけど。

読む人は、つまらない、って話。

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