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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

水遊びご一行様

2025-09-01 | 
まあなんと暑い。
2階の室温は41°C。
あり得ない暑さ。でもこれが現実。

土日は、夫の実家へ。
長女一家と次女一家が集合。
ただし次女婿は、高熱で宿泊はドタキャンしたが、次の日には、遠方から電車に乗り、川遊びに参加した。
脅威の回復力。
わたしなら考えられないが、若さ故か。
ではあるものの、心なしか、彼は少し元気がなかった。
当たり前か。病み明け直後だから。
次女婿から、こだわりのケーキ、手土産を手渡された。
気を使っていただいてしまった。
でも顔を見せてくれて、なによりも嬉しかった。

市民プール、川遊び、地元ミュージアム。
8月最後の夏遊び。
さすがに、皆んな、泳ぎから家に戻るとバテて寝ていた。
色とりどりのカラフルなビーチサンダルが玄関にズラリと並べられて楽しんだ。
が、残念ながら写真は撮り忘れた。

去年も、お泊まりスイミング宿泊。
1ヶ月もまだ経っていない8月初旬の土日もお泊まりスイミング宿泊。
みんな楽しんでくれて、何より。
おばあちゃん(祖母)であるわたしには、これ以上のご褒美はない。
とは言え、現地でお迎えも見送りもせず、自宅から長女一家と車に同乗し、着くのも帰るのも同時。

布団やシーツ、タオルの洗濯は、長女。
次々と洗濯に走る。バタバタご苦労様。
今回は、長女が和室、仏間に敷いてあった絨毯を掃除し剥がし、丸めて、片付けた。
孫男児たちに号令をかけて、こき使っていた。
絨毯の下からは、綺麗な畳が顔を出した。
あの絨毯は、畳保護のために敷かれていたのだと推測した。
冬は寒さ防御になるが、電気カーペットをその上に敷いていたので二重の寒さ対策になる。

扇風機は3台出してあるが、他にも出していない扇風機が物置部屋に何台もあった。
全部で10台ぐらいある??
大型電気カーペットも、またたくさん畳まれて置かれている。
いったい何枚ある??
姑は、家の四季に応じた準備が半端ない。
各電気機器は、どれも壊れず作動する現役。
昔の木造日本家屋なので、暑さ寒さには対応しきれないのだろう。

4年前に、台所・食堂と応接室を1部屋にまとめるリフォームをしたが、広くなったリビング・ダイニングには2台のエアコンがフル稼働。
天井にはファンが回る。
暑い暑い酷暑の外から帰ってきた皆んなは、涼しい部屋で、ぐったり。

食事はスーパーで出来合いのお惣菜や野菜を長女婿と買い出しに行ったが、自宅から食材サポートとして米と素麺を持って行っていた。
使いかけの調味料も。
ご飯は売れに売れて嬉しい悲鳴。
孫たちはみんな、白ごはんっ子。
なんのおかずもなくても、ご飯だけでも美味しく食べる。
朝はパンと同時にご飯も食べる。
なんで、あんなに白米が好き?

朝は、コーヒーを淹れたら、仏壇にも供える。
アピールする。来ましたよ〜、と。

8月はお盆の日と、9月はまた彼岸の日に、お坊さんが読経にやって来る。
この時期は毎月になる。

子供たちは、到着すると、必ず仏壇の前では、おりんを鳴らし、線香を焚き、お光を灯し、手を合わせる。
元気な子孫に、ご先祖様も目を細めていることだろう。
泳ぎ遊びの日々は、疲れて割り合い静か。
賑やかでもあるが。

家の慣わし、自然なソフトランディング的な継承になっているように思う。
幼い頃の体験は、大人になっても、こころのどこかに残っていることだろう。
例え、慣わしは継続されず、なくなっても。

※写真は、先月下旬、観光列車あめつちからの車窓。


高校野球観戦で涙ポロポロ

2025-08-17 | 
沖縄尚学 VS  仙台育英。
朝から涙、ポロポロ。
合同夕食(餃子)の食材、買い出しを娘婿に託し、観戦。
第一試合で感情移入しすぎて、第二試合の今、わたしは気が抜けている。

ブログ記事を、今日の第一試合が始まる前に書きかけていた。
が、それどころではなくなり、試合開始後はTVにかじりついていた。


さて、書きかけ記事。
第二試合は、実力に開きがありそうなので、ナガラ観戦しながら、続きを書く。

・・・・・

わたしは、少し怖がりだ。
心霊スポットとか、絶対に行きたくない。
よその、知らない霊と会いたくない。

ヨーロッパの古城ホテルに泊まったりすると、想像力が掻き立てられて、ゆっくり安眠出来ない。→じつは、ぐーぐー朝まで熟睡。
古城の霊たちは、わたしには何の興味も示さなかったようだ。
壁に掛けられた肖像画が、ぴくりと動いたりすると、映画では楽しいけれど。

ちなみに、、、
わたしは、自分にかかわる人々の霊には敏感である。
交信能力は皆無だが、身近な親戚の一人に、霊感がある人がいて、あーだこーだ、言ってくる。
「ごしんじょさん(2代前の姑)が、高野豆腐を食べたい、って、昨夜、夢に出てこられました」
そう姑に告げに来る。
すると姑は、早速、高野豆腐を煮て、仏壇にお供えする。
このおばあさん、高野豆腐、生前から大好きなんだそうだ。

わたしは、仏壇に入っている人と実際に会ったことがあるのは、姑、舅、姑の姑(夫の祖母)、この3人のみ。
あとは、写真で見たり、持ち物を見たり、書いたものを読んだり、間接的なつながり。
そして、人の口を借りて、生前の人柄や行動を知る。
姑の姑のことを「ごしんじょはん」と呼ぶ人もあった。
江戸時代、家の当主の妻のことを(武家以外でも)御新所と呼ばれていた名残りのよう。
関西風に、「様」「さん」を「はん」と、なったと思われる。

エピソードを体系化したいと考えている。
ChatGPT に指示すれば、小説を書いてくれる。絵も生成写真も。
でも、文章や小説に関しては、わたしは自分で書きたい。下手でも。間違いがいっぱいあっても。
オリジナリティに大変こだわる。
完璧な既製品を AIが作ってくれたとしても。
さらにそれをベースに手を加えたとしても、自分のオリジナルだと自負する気にはならない。
変なチャチな文章なのに、こだわりがある変な人!と、笑ってください。
しょうもない、一寸の虫にも五分の魂。
それで、長い年月にわたる覚え間違いや勘違い、引用ミスを、気づかず繰り返し、恥の上塗りをしている。
いいの、いいの。趣味だから。
マイワールド。
恥を恐れては何も出来ない。
挑戦こそ、活力のもと、、、と、自分を鼓舞する。

というのは、、、
ChatGPT と話し合って、わたしの今後のビジョンのようなもの、目標を大まかに掴んだ。
これまでの、わたしが生きてきた集大成をまとめたい。(あくまでも大袈裟)
気力がある限り、頑張りたい。空回りしても。(外部に出す気はないし)
終活の一種かも知れない。

※写真は、こんなおばあちゃんだったらカッコイイな、と生成 AIで作ってもらったもの。
残念ながら、実物は程遠い。







お盆の行事

2025-08-14 | 
今日はやたら長文。
内容も一般的ではないので、以下、全文スクロールお願いします。

お盆。
毎年、必ずお坊さんが夫の実家に来て、読経してくれる。
春、秋の彼岸も。
年に3回は必ず、お坊さんを迎える。

昨日も、お盆でお坊さんを迎えるため、当然ながら夫の実家に行った。
夫はお盆の日だというのに、今年はなんと仕事。
で、朝5時に一緒に車で自宅を出た。

5時出発は早くて大変だから、電車で行ってもよいのだが、朝9時前後にはお坊さんが見えるため、それより早く夫の実家に入ってスタンバイしなければならない。
朝6時過ぎに自宅を出るなら、夫と5時に出るのとそう変わらない。


わたしたち夫婦は、夫の実家には住んでいないのだが、仏壇は夫の実家にある。
お墓も実家近く。
仏壇終いや墓終いをする家もボツボツ出始めている昨今だが、我々は終(しま)わない。
子供たちは我々があの世に行けば、どうするのか、知りたくてもあの世から観察するわけにはいかない。

毎年、夫の姉からお供えが送られて、仏壇に供えている。
夫の叔父(舅Aの弟)も、わざわざお供えを持って来る。
もう1人の叔父の家(東京)からも毎年、送って来ていたが、姑Bが「もういいですよ」と辞退した。
毎年、フォションのアップルティだったので、わたしは密かに楽しみにしていたが、もうそれは終わりとなった。


お盆には必ず、お墓から家の仏壇へと里帰りしているご先祖様たちに、毎食お供えしていた。
しきたりルールに則った決められたメニューを、これまた決められた昔のお膳や器に入れて供える。

ご先祖様をお墓にお迎えに行った日には、「お迎え団子」をお供えする。
このお迎え団子は、姑Bが目と鼻の先に住む親戚からいただくことにしていた。
(お裾分け。共同作業。作る手間が省ける、嫁同士の互助)
①朝食②昼食③オヤツ④夕食を順次、出して、ゆっくりおもてなしした後、お墓に帰ってもらう。
オヤツのあんころ餅は、昔は手作りしていたが、姑Bの代から既製品になった。
これは、すごく楽!

お膳(朱の漆塗り)は5膳出していたが、3膳になり、2膳になった。
姑B亡き後では、ルール通りの器にせず、メニューや出し方、出す時間もわたし流。
かつては、前日から泊まり込み、準備し、当時はお供えメニューの煮炊きものに追われていた。
全部のお盆おもてなし工程が終了して、ご先祖様たちをお墓に送って行くと、ほっとした。
そのタイムスケジュールも徐々に縮小され、ご先祖様たちは、滞在時間がどんどん短くタイトになっている。

誰か引き継ぐ人が目の前にいるなら、わたしは張り切って真面目に、昔通りのメニューを作る。
が、誰もいないので手抜き。
後継ぎ不在。
ではあるが、メニューは決して忘れはしない。
40年以上、姑Bから叩き込まれ、同じことをしていたので、身体で覚えている。
お膳も器も、置いている場所は昔と同じなので見失うことはない。
お盆用ではなく、お正月のお椀は、わざわざ収納してある蔵に取りに行くのは面倒なので、手近に置くことにした。
もし、次世代(継承者)がその時、目の前にいたなら、お盆用のお膳やお椀も蔵から持ち出して手近に置いてもいい、、、が、その日は、来ないか、あるいは、わたしが伝えることが出来る限界期日の前夜かなと。

多分、今、わたしがしないように、継承者は手本を見せられて知っていても、実践しないだろう。
(お正月の御節は継承されるかも知れないが)

お盆は忙しいし、皆んなが集まる日が確約できない。
お盆メニューは、継承者がいない場では実践はしないだろう。
お正月は、皆んな集まるし、御節料理は合理的メニューなため、わたしは可能な限り用意しておくと思う。

継承されるものは、最低限のもの。
(舅Aや姑Bは、お正月やお盆の行事を孫たちに教えていた)
でも、行事は行われなくなり、無いも同然となり、マインドのみの継承になるかも知れない。
無形文化の継承。
それができたら結構なこと。

有形のモノは、維持が大変で、負の遺産になるケースも多々ある。
墓でさえ。
しかし、長い長い時間を紡いできたものを、いくら時代の流れだからといって、自分の代で終わりになるのは忍びない。
あんなに嫌がっていたことだが、継承する最後の世代かも知れない。
次世代にバトンを渡しても、渡したつもりのバトンの先まで見届けることは出来ない。
伝える相手がいないと、自然消滅は免れない。
受け取ったバトン、渡すこともなく、この世を去っていくのかと思うと、寂しい。
それが時代の流れというものか。
DNAの継承だけでも充分だ。
今後、どんどん人口が減少していく中で。

庶民ではなく、徳川歴代将軍なら、バトンを何が何でも絶対渡すだろうけれど。
大政奉還で最後はバトンは渡せなかった。
でも、文化が詰まった芸術品は残っている。
と、関係ない話を追加。
話が終わらない、、、。

※写真は、長女の弾丸日帰り、出張土産。

次世代にバトンが渡せそう

2025-05-12 | 
一昨昨日に引き続き、昨日、わたしの実家に家族と行って来た。
1日おき。
一昨昨日は、同級生たちと。

昨日は、姉一家と、わたしの一家とで、次世代への構想、方針の足固めのような会議が行われた。
(会議中、長女を除く長女一家は大人しく何かをして待っていた)
議長は姉。
事前に議題の元になる資料は、各々にPDFで送信されていた。
手元には予めプリントアウトされた議案が配られたが、すらすらと通過し、ホワイトボードは白い余白だらけ。
会議は踊らなかった。
全員一致でスイスイ。

義理の甥(姉の長女の夫)は、日頃、寡黙で、黙々と仕事をするタイプ。
昨日は、会議の後、珍しく、口を開き、姪(妻)がびっくりしていた。
すごく超有名な人々の名前が次々と飛び出し、目を丸くした。
まぁ、あとで冷静に考えれば、そんなものに惑わされることなく、地に足つけて地道にやっていきたいという、わたしの気持ちを再認識した。
一過性の盛り上がりにはしたくない。
ブームに乗るのはある意味いいが、踊らされるのは避けたい。
浮かれない、どこまでもわたしは堅実派。

将来、次世代の青写真は、方向性としては、土台が固められたような感触。
これからの時代、家族の在り様の1つのモデルケース。
日本では、家の継承においては、我々のような家族が増えるだろう。

ちなみに、息子からの母の日おめでとうLINEメッセージが届いた。
ついでに、具体的なお知らせも。
残念ながら結婚報告ではない。
結婚報告はありえないと思っているので、別に何の期待も促しも、圧も発しない。
今時、そんな時代ではない。
同級生の1人が、きょうだいで結婚を勧めたりしないの?と言っていたが、
「わたしと同じ年のあなたがそんなことを言うなんて、驚き。古い!」と思わず言ってしまった。
人に言われてするような結婚など、時代感覚として古すぎる。
もうそんな時代ではない。
その気があれば、マッチングアプリや、結婚相談所にでも出向けば良い。

ところで
今、シニアマッチングも多いようだ。
これは一種の、認知症予防に役立つらしい。
孤独を避けるためには、とても有効だとか。
運動を促進しフレイルを遅らせるのも有意義だが、精神的面での別角度からのアプローチも、脳を活性化させる側面がある。
マッチングではなくても、街で見かけた美女に妄想を抱くのも結構。
何の見返りもなくても、脳が活性化され、イキイキするなら、それでよし。
ただし、高齢だからと淡々としているとは限らないので、トラブルや事件に発展しないような注意は必要だ。
どんな年齢であろうが、生臭さや、心のモヤモヤはつきまとう。

と、息子の話から、逸れに逸れまくっている。
脱線常習者のわたし。

世代間での推移、シフトがまさに行われている、、、とわたしは実感した。
ゆっくりとした動き、手ごたえを感じる。
安心して、パワーシフトしきるのも結構だが、心配事のないもぬけの殻の脳は、それはそれで、また心配。
何かを考え続ける、挑戦し続ける事が心身共に活性化につながると考える。
ブログも、その一つ。
わたしが訪れるブログの一つに、主婦の鑑、高齢完璧ブロガーさんのブログがある。
ブログを老化防止のため、老体に鞭打って頑張って、今は嫌々書いているそうだ。
総合的エネルギー熱量が減ると、自分がやることを絞らざるを得ない。
仕分け作業。
そのブロガーさんは、ブログ執筆ということをタスクから外すことになりそう。
義務的に自分を叱咤激励してやるのはしんどいようだ。
もう義務から解放された世代は、楽しまないと続かない。
わたしが楽しみにしているその人のブログの更新頻度が減るのは寂しいが、人、それぞれの選択。
私はゴミだらけの汚部屋になっても、きっとブログは続けるだろう。
ひょっとして、寝たきりになっても。
わたしにとって書く事は、生き甲斐。
ChatGPTも推薦している。
気持ちの整理には言語化せよと。
深呼吸するのと同じで、文字にすると気持ちが落ち着く。
言葉にして、誰かに直接発するのも良いかもしれないけれど、発せられる方の人は大変。
受け止め難く、お気の毒。
とりあえず、文字起こしするのが、お互いのために悪い緊張を和らげる。

で、息子の話はどうなった?
どうなったんだろうね。








自分の集大成

2025-03-31 | 
今回の記事はココから※まで、全文、スクロールをオススメします。
超個人的、忘備録なので。
実母の好みは、、、
和風の場合は、京都風。
料理で和食の味付けは、上品なダシが効いた薄味仕立て。
設えの場合は、織物にこだわりのアクセントを付ける。
生け花の場合は、自然派。自然のままの形を活かしたシンプルな活け方。
西洋の美しい調度品も好む。陶器も。
どっしりした骨太テイストではなく、繊細なかんじ。
細いピアノ線が入った強さを持つイメージか。
山小屋カントリー風や、囲炉裏を囲む風ではない。
テカテカ、ゴテゴテは、NG。
好きなテイストを自分の感性で寄せ集め、調和させ体現していた。
美のイメージ空間を創り上げていた。

姑は、全然、設えや調度品には興味なし。
(舅のほうが、買い増ししていた。ただし、わたしとは微妙に趣味が合わない)
姑は理解や知識は多少あるけれど、自分で積極的にどうこうしない。
棄てないが追加しない。現状維持。
(一般的な普通の)骨董品や芸術工芸品は、知った上で保管しているだけ。

だが、わたしが古い物が好きだということで、姑に喜ばれた。
まるで興味がなければ、棄てるか売るか、断捨離対象になるだろう。
ただ、残念なことに、、、こう言うと槍が飛んで来ると思うが、、、容れ物(家屋)が理想には及ばない。
理想を叶えたいなどとも思わないが。
飛躍せず、在るものを活かす主義。

今、わたしの実家から譲り受けた家具を夫の実家に運び入れている。
(中華とマレーの融合、マラッカみたいに)東洋文化の融合なら素晴らしいが、とんでもない。
わたしを軸にして、主体的、能動的に選んだのではなく、中継地点として、受動的に仮置き、受け入れているだけ。
両方、純日本風なので、大きな違和感はないが、どこかマッチしていない。
拒絶反応を起こし機能麻痺しているわけではないにしても、
バリ風とタイ風をごっちゃにしているようなものか。(詳しく知らないけれど)

夫の実家は、閉ざされた歴史ある地域にあるため、ヒトやモノの大きな動きがない。
夫の実家だけかと思いきや、同地域の各家々もそう。
どの家も同じような古い歴史を持つ。
何百年も、直接戦禍や自然災害に遭わなかったからだろう。

姑に喜ばれたように、わたしは歴史を感じる古いものに愛着がある。
歳が行くと、その想いは益々強くなるように思う。
経年劣化という否定ではなく、(自己)肯定、経年持ち味。
先代の人々が、確実に、着実に生きてきた暮らしの証を感じる。

実母が自分の感性で、自分好みの美空間を創り上げたように、わたしの実家からわたしを中継ぎに、文化の橋渡しだったり、融合だったり、そういうものを創りたい。
(ただし実母の場合は、並々ならぬバイタリティと、力と、意志と、ある程度のオカネが動かせるが、わたしはそうではなく、しょぼくれている)

て、大袈裟だけど。どの口が言う?
読んで恥ずかしくなった。
相変わらず、いつもの如く、言うだけかも?
単なるブログ語り?
知らない人が蝶ブログを読んだら、いったいどんな素晴らしいものなんだろうと想像されると思うが、わたしの表現が、主観の世界観をあたかも客観的にも壮大な立派なように取られかねない、まぎらわしい書き方をしているだけ。
すみません。

実母もそうだが、次世代を意識して、というわけではない。
自分がしたいようにしただけ。
わたしも、そうなりたい。
何もしたくないなら、何もしない。

しかしなあ、、、
実家に置いてあった家具は、実家に置かれてこそ、存在感、優美さが際立つ。
チルチルミチルの青い鳥のように、青い鳥を自宅に持ち帰ると黒い鳥になる。
実家の家具は、夫の実家に運び入れたら、黒い鳥になっている。
この黒い鳥は青い鳥には出来ない。
しかし、青い鳥は、黒くなっただけで死んではいない。
ではあるものの、あちこちから引っ張って来た元・青い鳥🟰現・黒い鳥が、家には、いっぱい。
どうすればいい?
迷い物、保護センター化か?

これは、70歳からスタートする(予定の)断捨離で、どうにかするしかない。
出来るか?わたし?

してもいいし、しなくてもいい、
出来てもいいし、出来なくてもいい、
でも、緩やかな目標が出来ていい。
期限のない、自由度の高い、相手のいないタスクは、無いより有るほうがいい。

※写真は、寒い昨日、近場の桜。
まだ五分咲き??



彼岸の行事

2025-03-21 | 
昨日は、彼岸のお参り。
お坊さんが夫の実家に、やって来た。
初めて、、、お坊さんに褒められた。
何を褒められたか?

「美味しいお茶ですね」
そう言われて、とても嬉しかった。
読経後、出した緑茶。
夫と二人で喜んだ、、、単純夫婦。

快晴。
気持ちいいお天気だった。
庭の梅をしげしげ眺めた。
写真を撮れば良かった。
撮ってなかったことが悔やまれる。
写真は、その代わりに一昨日の大阪城公園の梅。

それはそうと、お供えのお菓子が届いた。
いつも彼岸にはお供え。
お供えの送り主は、夫の姉と、夫の叔父。
夫の実家は、義姉の実家でもあり、義叔父の実家でもある。
皆さん、熱心だ。

ちなみに、義叔父のお墓には誰も眠っていない。
お祀りする対象者がいない。
ご先祖様は全員、夫の実家が引き受けている。
義叔父の両親や祖父母、その他、直系は全員。
宗教や宗派によって、祀り方は様々。
夫の実家の宗派では、成人すると、長男あるいは継ぐ人以外は出て行き独立し、他界すると枝分かれ先でお祀りする。
義叔父が他界すると、義叔父墓の第一人目住民となる。
義叔父墓は、今はまだ空き家。

仏壇の前にお菓子をお供えする。
仏壇には故人、ご先祖様が入っている。 
墓にも。
墓は持ち運べないが、仏壇は必要に応じて頼めば、運送屋さんが運んでくれる。
今は、墓の引越しもあるし、墓も仏壇も終う家もある。
火事や自然災害などで家から避難する時に、位牌を持ち運ぶ人もいる。
位牌に故人たちが居るのだろう。
一つの位牌に夫婦で、だったり、大勢まとめてだったり。
よくある光景。

わたしが墓や位牌に入っている人で実際に知っているのは、夫の両親と祖母。
他の人は実際には会ったことがない。
わたしが結婚した時は、もう他界していた。

淡々と祭祀の責務をこなす。
我々が出来なくなったら、どうなるのだろう。
我々の代では墓終いや、家終いは、しない。
その後は続けるなり、やめるなり、次世代の判断に委ねるしかない。



実家への思い

2025-02-06 | 
目玉焼きを作っていて、卵が半熟になり、半熟より8分目ぐらいがいいなあ、、、どうしたらよいものかと、、、ふと自分の若い頃を思い出す。
実家で、グラタン皿にハム、卵、チーズ、ケチャップを入れて、電子レンジでチン!
卵はほどよく固まる。
そのグラタン皿、まだ今もウチで使っている。
現役で、結構、キレイ。

実家にも同じグラタン皿&ソーサーがある。
ウチには3セットある。
ということは、2セットか3セット、置いてきたのだろうか。
実家の日の当たるダイニング、南窓側の食器棚に入っていた。
食器棚は、造り付けなので、建物解体と同時に、今はもうない。

わたしは、実家の記憶が鮮明だ。
生まれ育った幼少期の田舎の家。
(大正時代に建てられた日本家屋だが、幾度かリフォーム、メンテナンスが重ねられ、今もしっかり現役)
玄関を入ると、目線より少し上のところに風景画(油絵?)が、掛かっていた。
次は、(祖母を田舎の家に残し)小学校4年頃に軸足を移した、街にある家。
戦前の建物、2階建て一軒家。
こじんまりしていたが、前庭、坪庭、1階にも2階にも床の間があった。
だが、両親は超多忙で寝るだけに帰っていたため、風情はなく各部屋、実用化されていた。
そこから100メートルの場所にある、父の仕事場。
やがて父の仕事場を建て替え、そこに移る。
22歳の時。ピカピカの新築。
そして、3年後、結婚して家を出る。
それから父の仕事場の建物は老朽化し、築41年で解体された。
更地になった姿をちらと目にした時は、感無量だった。
父と母の夢と汗と涙が詰まったものが、消えた。
わたしがそこに住んだのは3年間だったが、
祖母も田舎から新築と同時に身を移し、最期もそこで迎えた。
(葬儀は田舎の家で執り行われた)
結婚後も、何度かわたしは行き来したり滞在した。
兄夫婦も後半、そこに住んだ。

父の一生が、あの仕事場に凝縮されていた。
栄枯衰退の舞台をわたしは共にした。
役者は幕引きの後、消えて行った。
一コマ一コマが、目に浮かぶ。

涙が出るのは何故だろう?
懐かしんでいるわけではない。
無くなったものに対する惜別の情でもない。
涙は、洗い流す、浄化する作用があるように感じる。
同じ時間を共にしてきた人は、もう姉しかいない。
母もいるが、脳内時間を共有できない。

と、このあと、ツラツラ実家への思いを書いていたが、削除した。
もう実家を出てから43年も経つのに、まだ実家愛が消えない。

実家にお嫁さんが来た時は、わたしは実は喜んだ。
実家での生活がつらくキツくて、やっとわたしの身代わり、肩代わりしてくれる人が現れた、、、と、肩の荷が降りた思い。
あとは、よろしく〜と、後ろも振り返らず脱兎のごとく逃げた。
が、状況は時を経るにつれ変わった。
今のようなことになろうとは、全く予想していなかった。
想定外。

好きだが、精神的には辛いハードな実家。
良い面と悪い面、両面がある。プラスとマイナス。
涙と喜びが同居する。
実家から離れるべきなのに、状況が変わったこともあり、固執している。
わたしの家族メンバーは、なぜわたしが実家に固執しているのか理解に苦しんでいるようだ。
家族メンバーは、嫁ぎ先である夫側の実家にしか、ほとんど足を運ばなかったし、行動を共にしなかったことが大きいと思う。
父は、子供でも女の子は嫁に行けばサヨナラ、それで終わりだから可愛がっても無駄だと、よく言っていた。
今、思えば、父は自分に言い聞かせていたのだろう。

いろんな思いが交錯している。

※写真は昨年、11月の地中海村。
記事と関係ありません。





嫁と姑

2024-11-20 | 
毎日訪れるブログの一つに、シニア女性の悩み事の人生相談が紹介されていた。
同居する姑が口うるさく、日常、世話を焼いている嫁である自分(相談者)が感謝されない、と。
夫の弟や嫁には感謝の気持ちを持っているのに、と。

わたしの姑Aも、同じことで愚痴っていた。
同居しない、自分の夫の弟や嫁が、「姑の姑」Bに、なんやらかんやらモノを送ってきたり、目に見える親孝行をする。
姑が、「姑の姑」Bの日記をたまたま見たら、「次男が来た」、だの、「三男が◯◯を送ってくれた」だの、記してあって、気分を害したと、わたしに言っていた。
毎日、世話をしている長男(舅)の嫁(姑)Aには当たり前の日常として受け取り、感謝の気持ちは埋没している、と嘆いていた。
人の日記は読むべからず、という教訓を、姑Aとわたしは得た。

「姑の姑」Bは、出来た人であり、姑Aも出来た人だ。
出来た人、二人が一緒に暮らしていても、何らかの軋轢は起こる。
多少の経済的自立と、住居の自立は、お互い依存し合わず、保たれていたにも拘らず。

舅は長男だから、大変な面はあるが、次男、三男の嫁は競い合うように「姑の姑」Bのご機嫌を取っていた。
「姑の姑」Bには、子供に対して相性や好みがあり(誰にもあると思うが)、長男である舅とは相性が合わず、お互い歪みあっていたような雰囲気を感じた。
次男は、まるっきり無視に近い、放任感覚。結婚後は、家に寄りつかない。
三男は、末っ子ということもあってか、可愛がっていた。
当然、次男の嫁は冷遇、三男の嫁には優しい。
法事など一緒になると、女同志の縦、横のヒリヒリしたバトルが感じられた。

姑Aは、「姑の小姑」C(舅の妹)には気を使っていた。
「姑の小姑」Cは、85年?ぶりの女児誕生だとかで、たいそう喜ばれ愛され可愛がられたようだ。
アイドル。
かつて一族には女児は他にも誕生したが、夭折している。
姑Aと「姑の小姑」Cは、同じ歳ぐらいなのに、天と地の差。
何がかと言うと、、、
姑Aは、嫁。
当時は夫の両親、祖母、未婚のきょうだい3人と同居していた。
家業のため、下で働く人はいたが、嫁は家族では末端、末席、一番下。
お風呂も食事も最後。
「姑の小姑」Cのキラキラした蝶よ花よの娘時代を、末席から眺めていた。
「姑の小姑」Cが、結婚した相手が、これまた素敵な人。
上品で優しくカッコよく、知的でスマートな、おぼっちゃま。
まるで、映画のようだった。
(しかし、いつの時代も、モテモテは禍いのもと)

まあそれはよいとして。
(後にわたしは、遥か彼方、遠方まで、お葬式や法要に足を運ばなければならないことになるが、、、)

ちなみに。
話をちゃんと終えていないうちから、、、。
蛇足中の蛇足なのだが。
ある日、わたしの実家から送ってもらった超高品質、高級羽根布団を、姑Aが間違って、その「姑の小姑」C(夫のオバ)に送ってしまった。
それは、「他の別のモノと間違って送ってしまった」とは、姑Aは「姑の小姑」Cに言えず、Cもわたしのものだとは知らず、今日までわたしの不満は燻っている。

羽根布団、返してください。
あれ、わたしの、です。
あ、他にもある。
時代ものの漆塗り、蒔絵の衣紋(えもん)掛け、返してください。
こちらにあるものと、一対になっているので。
実家の気に入ったものを持って出てしまった一代前の「姑の小姑」C。ぷんぷん。
(そのくせ、お雛様など、不要になったものは送り返してくる。
お雛様が、いっぱい、大集合。まあいいですけど)

終活、しなければいけないのに、物欲の塊になってきた。
使わないくせに、取っておきたい、執着する、断捨離すべき、極め付け品だ。
しかも人の手に渡っているのに。
どんだけ、物欲が強いのだろう、わたし。

わたしにとって、
物欲は、生きるチカラ。
モノを手放した時に悟りを開き、自分の道が見えて自由になるが、生命からも自由になる。
一生、断捨離出来ないわたし。
生きている限り。
脳みそが正常に動かなくなったら、わたしが施設に入って知らないうちに、娘たちに強制断捨離されているだろう。
その時は、もうわたしは家には帰らないので、全部捨てられてもわからない。
家には魂も入っている。
家から出た時は、魂は抜けている。
まるで、仏壇や墓の魂抜きようだ。

それでいいと思う。

いや、娘たちには迷惑だ。
生きているうちに、断捨離しないと、、、。
義理のオバに、羽根布団、返せ、なんか言っている場合ではない。

とかなんとか言いつつ、、、
昨日、(わたしのブログによく登場する)ご近所さんの90歳超えの方から、古い古いセーターを3枚も、もらってしまった。
一応、やんわりお断りしたのだが、押し切られた。
13年前のクリーニングタグが付いていた年代物。
彼女の切羽詰まった断捨離のお手伝いをするのは良いが、わたしの家はどうなる???







墓について

2024-10-19 | 
近年、子供に迷惑をかけたくないと、墓終いをする高齢者も増えている。
わたしは墓問題に、大変興味がある。

わたしは夫と同じ墓に入りたくないと思っていた時期もあったが、今は違う。
あーだこーだ、ああしたい、こうしたい、と好き勝手を言うと、人の手を借りず自分の力で出来ないなら、子供にかえって迷惑をかける。
墓地も昔からあるし、墓石は、夫婦のうち、残った方が自分の分と合同の(夫婦ペア一体型)墓石を建てるだろう。
後は子供が好きなようにすればよい。
墓地は、スペースはあり、広々スカスカなので、まだまだ何代も建てる余地がある。
姑とその前の姑が力を合わせて協力して、先祖分を一つの墓石にまとめたため、スッキリ。
墓石にはご先祖様の戒名がズラズラ。
頑張りました。姑と、先代の姑。
位牌は、我々夫婦の分、一つ増えるが、ちょっと仏壇が窮屈になる。
まあ仕方ない。
更に増えて、どうしても仏壇に並べて置けないぐらい、ぎゅうぎゅうになるとしたら、孫の次の代か。
その頃には地球はまだ存在しているのだろうか。
たぶん、とりあえずは、まだあるだろう。
我が家に関しては先代たちの奮闘のおかげで自分たちの代は心配ないのだが。
引き継ぎ、渡すだけ。
わたしは相変わらず隙間で楽をしている。
息子の代になると、後は息子に任せる。
息子の考えひとつだ。

娘たちに関しては、何も心配していない。
各人、好きなようにすればいい。
ただ、わたしたちの墓には入れない。悪いけど。
宗派の決まりごと、ルールなので。
ぜひ、入れてほしい、とは娘たちも絶対に言って来ないだろう。
順番として、仮に言って来るとしたら、親を亡くした時の孫だろうけれど、その頃は、わたしはあの世だし。
お応えできない。
その頃、流行っている方法で検討していただきたい。

しかし、天皇家も女系もアリなのに、いまだに、墓に家父長制を維持するのは、どうなのか。
宗教には時代の流れは関係ないのか。
ではあるが、葬式も家族葬になったり、墓終いも行なわれたりする今の時代、核家族になり流れは食い止められない。
好きにしたらよい。
昔風を固持したければ、したらよい。
嫌なら止めればよい。
現代に生きる人々に選択肢を残したい。
昔は、何がなんでも、こう!と、頭ごなしに、疑問に思う瞬間もなく決めつけられていた。
強い求心力、強制力のようなものがあった。
しかし、自由にすると、かえって決められないことがある。
大まかに選択肢を絞っておいたほうが、決めやすい。
①踏襲(続行)②断絶(止める)③保留の3つ。
手直し、見直しもあり。

さて、跡取りがいない次々世代は?
だれか孫のうちの一人が養子になると思われる。
誰も嫌だと断ったら?
一人ぐらいは、引き受けてくれると甘く考えている。
ちなみに、わたしの母が、母の孫たちのうち、誰かが後継になってくれるだろうと期待し、後に白羽の矢を立てていたように。
方法、見え方、人物は大いに変わったが、(墓は別として)結果的には跡を継いでいる=わたしの実家。

さて、わたしの場合。
1年に3回だけ墓参りしてくれたら、それでいいから、と懇願してその分のお金を残す。
が、お金を受け取ってくれない可能性はある。
義務とお金は一体なら、お金は要らん、と。
それぞれ自立していると、考えがハッキリしている。
お金では釣れない、動かない。
自分が生きている間に一生懸命、思いを伝えるしかない。
だが、墓維持のために残したお金は、墓終いに使われたりして。
知らぬが仏。

わたしの次の行き先はあの世なので、あの世のご先祖様グループと同じ場所へ、仲間入り準備、橋渡し。
場所は確保されている。
が、それがお墓だとは、否定はしないが、肯定もしない。
たぶん、きっちりガチガチに宗教心が固まっていない、ぼんやりした緩やかな信仰なのだろう。







複雑な寂しい思い

2024-09-16 | 
わたし。こころ空模様。
小さめの下がり坂が来ている。 
小さいが動きが悪い。
はっきりしない気象情報のようだ。

出かけよう、出かけようと思いつつ、ずるずる延ばし、夕方になり翌日になり、翌日の昼を過ぎ夕方になり、、、。
SNSは何も建設的なこともなく、だらだら依存症、、、
読書は、飽きた。
やたら眠くなる。
いくらでも眠れる。
午前中にまたZZZ.....
そんなに寝たら夜が眠れなくなるのかと思いきや、夜も床に入れば朝までぐっすり。
脳みそが溶けかけている。
(自宅で)食事とお茶、トイレ以外は動かない入院状態が続く。
汗がべとつく中、ずっと椅子に座っている。
引きこもり?
あちこち、室内での移動は、好き勝手に色々行くところはあるが。
椅子に張り付いたまま。

長女Mに、「次女Rにこの家、あげてもいいと思ってる」と呟いたら、「こんな(しょうもない)家、要らないんじゃないか」と言われた。
長女Mは、うちのすぐ近く(徒歩3分ぐらい?)に家を建てている。

次女Rに、「この家、(将来)あげようか」と言ったら、浮かない顔。
「そうよね、こんな家もらっても、行動の制約を受けるだけよね」と、わたしは提案を弱々しく引っ込めた。
読み終えたばかりの桐野夏生小説では、家を巡って奪い合いする姉妹もいるストーリーだが、そういう中で、親には依存しない自立している子供たちは、嬉しくもあり、やや寂しく残念でもある。
すっかり親を乗り越えた。
親は踏んづけられたゴミ跡のようなもの。
骨肉の争いにはならないものの、もう用済みのものには関わりたくない冷たさが(勝手に)感じられる。

売ってキレイに現金化したなら、貰ってあげてもいい、と考えているのかも知れない。
親の背中は見たくない、過去は引きずりたくない、と、否定されているような気になる。
だが、わからないでもない。
わたしの家は欺瞞に満ちている。
生きていくために、なあなあ主義で、夫婦がお互い不満を持ち合っていても、臭いものに蓋をして、どうにか表面を整え、持ち堪えている。
子供たちもそうだったのかも知れない。
そんな家から離れ自立出来た子供たちは、よく頑張ったと思う。 
今更、戻りたくないのだろう。
わたしが子供たちとの思い出に感じていることも、子供たちにとれば、蝉の抜け殻みたいな、もうどうでもよい役に立たないものなのだろう。
自分たちの新しい家族と新しい思い出を作ることに、前向きに取り込んでいく。
頑張ってね、と応援するのみ。
時折、子守の役に立てそうなことは、引き受ける。
押し付けでもなく、押し売りでもなく、自分の楽しみの範疇で頑張る。
夫もわたしも、甘い甘いじいちゃん、ばあちゃんである。
我々の介護が必要になる日まで、お互い距離を取りながら、子供たちとは楽しみたい。
介護は、できるだけ夫婦で完結したいが、どうにもならない時は、ちょっと手を貸してもらうことがあるかも知れない。
子供の足を引っ張ってはいけないという、遠慮のかたまり。
ぴーんとした目に見えない緊張感で均衡を保っている。

実家など、子供にとってはノスタルジーでもなんでもないようだ。
それに比べると、なぜこうもわたしは実家に愛着があるのだろう。
愛着を通り越して、執着になっているかも知れない。
嫁ぎ先の家(夫の実家)にも、強い思い入れがある。
長い歴史を紡ぎ、今日に繋がっている。
今の子は、そういう家に対する考え方は全く違ってきているようだ。
核家族の申し子。
言葉に出して胸のうち、その考えに触れると、がっかり落胆する。
出汁を取ったあとの出汁がら、お茶を煎じた後の茶がらのごとく、美味しい良いものが抽出されたなら、結構なことだ。
古き良き時代の思いは、子供たちにとっては、無いのだろうけれど。
この違いは、なんなんだろう。
どこから生まれてくるのだろう。
へんに寄りかかられ頼られるよりマシか、、、
子育ては完了か、、、。
敬老の日は、自分を敬う日だ。