蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お盆に想う、、、

2018-08-14 | 
テレビで、里帰りマナー特集をやっていた。
夫の実家に里帰りした時は、いくらかのお礼のお金を実家に手渡すのがよいそうだ。
その内容を離れた部屋で聞いていた次女が、今時、時代遅れでは?と感想を漏らしていた。

「夫のお墓に妻は入らなければならないか?」
の問いに、仏教の現役住職さんが、NOと答えていた。
そんな行動を縛る法律も条例もないそうだ。
しかし、そのようなことを言っても通じない地域がある。
女性がイエのために耐え忍んだのはいつの時代だ?
経済力をつけた女性には選択肢が増えた。
あまりにも歴然とした価値観の違いは離婚も生む。
死んでからも一緒のお墓に入りたくない、らしい。
しかしながら、まだ自立出来る女性ばかりではなく、生きている時でさえ、配偶者が先に亡くなったことを想像してガマンしている人もいる。

かなり奔放で自由度の高い妻でさえ、夫が他界したあとの、言葉では表せない言いようのない開放感を味わったそうだ。

イエとしての結婚。
わたしの嫁ぎ先は、仏教だが、墓に入れるのは直系だけ。
次男や三男、嫁に行った娘、独身の娘は、同じ墓に入ってはダメだとか。(夭折や若い人は別らしい)

親が次男や三男の場合、仏壇も墓もないことがある。
お盆といっても、長男、次男、、、とさかのぼって同じ共通の先祖をお祀りしている仏壇に、実際はまだ誰も亡くなっていないので、戒名の書かれた位牌は並んでいない。
核家族で、独身単身世帯が増えると、お盆行事はどんなかんじ?
親元か、長男か長女のところに、お詣りにいく?
集まるが、みな核家族や単身世帯。
集まる先の実家に親はいず、長男一家もいない。
誰もいない留守宅の実家の家屋を取り壊す一家もポツリポツリ一軒ずつ増え、空き地になっている。
静かに、ゆっくり様変わりしていきそうだ。

お盆、強い宗教色を引き継ぐか、引き継がないか。
綿々と続く魂のリレーは、どうなる?


それと話は違うが、
最近、電車内で同じ外国の母国語を大声で話し騒ぐ集団と同席すると、わたしは身を小さくしている。
グループ内で同じ母国同士の人々が、同じ常識や感覚を持って行動されると、控えめな日本風マナーやキレイごとは通用しそうもない。
もし、力の強い、押しの強い国民性の人々が子供を引き連れ、何家族も近隣に大量にドカドカ押し寄せられたら、絶対に負けそうだ。
上品にやっていては、押しのけられそうな恐怖、杞憂がある。

日本の未来、どうなってしまうのだろう。
一抹の不安を覚えた。
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頑張らない

2018-07-28 | 
酷暑のせいか、アタマが溶けている。
完全にアホになっている。
自分でも恐ろしいけれど、まあ、しかたない。

さて、もうじき、お盆がやってくる。
炎天下、墓掃除中に熱中症で倒れたら、生きている人が、あの世に行った人の世話をしていて、ダウン?
これは、正しいのか?

個人的な話。(一般的な話ではない)
義母。
実母。
どちらが大事か?
どちらも大事。
しかし、できれば義理関係より、実の子供が主に世話をしたほうが、すんなりいくような気がする。
義母。費用は義母の実の息子が出している。
義母の実の娘は一切、出していない。
実母。費用は実父(故人)が出している。
実母の実の子供たちは、一切、出していない。

共通することは、実の娘は実の親の世話の「費用」を出していないということ。(一般的ではない)
息子や配偶者が全額、出している。(一般的ではない)
費用はともかく、親に会いに行くのは?
実の子供のほうがいいと思う。
(ただし、老親の生活にはケア体制が整い、生活には心配はない状態で)

夫が、わたしの実母に会いに行ったのは、たったの一回。夫は、義理が絡まない。
わたしは、夫の母に会いに行ったのは、とてもたくさん。義理が絡む。
この違いは?あ
なんで?

昔のイエ意識を引きずっているからだろう。
嫁いで来た嫁と、嫁いで行った娘の違い。
わたしは、もう、イエ意識をやめようと思う。
イエを離脱する。
義務は、最低限度しか行わない。
しかも、最低限度枠を限りなく自分でさらに縮小した。
非難する他人がいるだろうが、どうぞご自由に。
非難する他人と、自分と、どちらが大事か?

イエを離脱した後の、もぬけの殻のイエは、どうなるのか。
跡継ぎ息子は、両手を挙げて、大喜びするだろう。
時代の流れには逆らえない。
求心力は、もはやない。
わたしが頑張れば、わずかながら少しは持ったかも知れないが、今は、わたしは頑張らないことを選んだ。
近未来は、わからないが、今以上に頑張ることはないと思う。
20年先はもっともっと弱まっていることだろう。
この20年をどう使うか、が、キーになる。
しかし、自分の近未来、予想できない。
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女は強し

2018-01-15 | 
わたしが勝負をしないのは、負けることがわかっているから。
臆病者かというと、ちょっと性質が違い、計算、打算。
ムダなエネルギーは使わない主義である。

素手で、ナイフを持っている人には向かわない。
勝負するとしたら、「じゃあ、あなた、昨日の夜はどう過ごした?」と、比較点数で競えない分野で、自己満足度を勝負する。
勝ち負けは、自分判断。
他人が見て、「あなたの方が負けていますよ」と見なしたところで、わたし自体に、価値を置いていないところで負けても、痛くも痒くもない。
頑張ってくださいね、と応援するのみ。

これは、わたしが、社会から緩やかな離脱を行なっている最近のこと。
子供の頃や、学生時代、成人になってから、、、競争社会に身を置いて頑張らされていた頃は、こんなことは感じなかった。
それでも自分の特性を活かした頑張り方を求め、模索し、自分なりに頑張ってきた。
が、わたしの中では、もう終了した。
過去の話になった。
だが、過去は消えない。それだけの話だ。

これからは、よいお年寄りになる予定だ。
が、もう老害が出始めていると感じる。
わたしがこの世から居なくなって周囲に少しでも喜びを与えることができたら、それもまあ、消え甲斐があるかも知れない。
少しの涙と、少しの安堵と、少しの喜びを感じてもらえば、それで良しとしよう。

自分の末路を想像して、良かったね、と、じーんと来た。
家族がわたしを終えるまでのケアから解き放たれ、義務感からの解放と、見終わった充実感で、少しだけ、安らいでほしい。
たくさん安らいでもらうのは、避けたい。
それぐらいたくさん、家族に負担をかけていたということだからだ。

母と話していると、「あんたは、何もしていない」とわたしを非難するが、「あんたこそ、今は何もしていなくて、何もできなくて、周りにお世話になっているではないか」と逆ギレする。
自分の置かれた状況を把握していなくて、昔の元気な頃に気持ちが戻るのだろう。
現役の頃を思い出させるのは、娘であるわたしと向かう時。
わたしたち子供を育て、孫たちとも元気に接し、頑張っていた日々にフラッシュバックする。
そういう過去は消せない。
その過去があり、今がある。

同じ話ばかりを繰り返す母と接し、イライラするが、老化が進んでいるだけである。
認知症がゆるやかに確実に進んでいるが、若いころの母や、まだしっかりしていた頃の母を子供たちや孫たちは覚えている。

昨日は、母を囲む新年会を実家で行い、総勢19人が集ったが、求心力は母なのか、今となっては力がない母に代わって、我々をかき集めた実践者の姉(姉一族)と、わたし(わたし一族)なのか。
超遠方に赴任している、わたしの息子以外は全員集合して、元気な顔を見せ合った。
しかも、去年より、一人、人数が増えている。
義理の姻戚関係の人は5人、全員男性。
血縁近親者は女性6人(孫は省く)(男性もいるが独身)
つまり、この会にはお嫁さんがいないということだ。道理で男性方は、おとなしい召使いになっているような印象を受けるはずだ。

強力なリーダーがいれば、みんなついていく。
世代交代には、まだあと20年はあるようだ。
しかし、力は新旧、徐々にスライドしていくことだろう。

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わたしの代は、手抜き迎春準備

2017-12-31 | 
師走。
師でもないのに、やたら忙しない。
行く年、来る年、迎春準備。
女性ばかりが忙しいのは、腑に落ちないので、夫と協力。
夫は〆縄係。
ずいぶん前は、舅(故人)がわたしの息子に、やり方を教えていた。今も息子の丁寧な図入りのメモが残っている。

しかしなぜ、忙しい家と、忙しくない家があるのか。
年末年始はホテルでゆっくり過ごしたり、旅行したりすることもできるのに(お金がそこそこあれば、の話)、忙しくするのは、好きで忙しくしているのか。
都市部では、季節の行事や室礼、礼節には、あまり時間を割かないで、シンプルだと思う。
こういうのは、古くからの家の慣わしだったりするが、お年寄りがこの世を去って、慣わしを踏襲するか、しないか。
引き継ぐのも引き継がないのも、自由だ。(とわたしは勝手に思っている)

今は読まないから知らないが、30〜50年前のミセス向け月刊誌「家庭画報」の、重厚で荘厳なお正月なら、結構、たいへん。
今は、御節料理も外注が多く、あまり家庭で頑張らないところもあるようだが、これまで何代か続いてきた家の慣わしを自分の代で終わらせてしまうのは、こころが痛い。
でも、杵と石臼で、お餅をつくなどという気にはならない。
(わたしが子供の頃は、実家では、やっていた。娘婿は、子供の頃、祖父母の家で行われていたそうだ)
夫の家では、お盆の仏さんのお供え用の餡ころ餅をそれまでは家で作っていたが、二代前の姑の時に、お餅は買うことにした。
パチパチパチ(拍手)
お正月のお餅は、二代前の姑の時にはすでに、饅頭屋に別注予約していた。
でも、お餅専用の木箱に手配しておいたお餅を大量に入れる。
余って余ってしかたない、鏡餅や、小餅。
わたしは、インスタント鏡餅を採用した。
ウラジロや橙、干し柿、などは必須アイテムだが。
夫の家で引き継がれている定番・御節料理があり、それだけは姑がいなくても作る。
お雑煮も、家のお雑煮スタイルを踏襲する。
黒豆や、ごまめ、なども作っていたが、ここ20年ぐらいで姑はやめたようだ。

各神棚に〆縄、干支の置物の交換、など、
最低限、自分が出来ることだけはする。
シンプル。

明日に皆んな集合。
大晦日、元旦、2日、3日で終了。
今日はとりあえず、買い物。
まだ始まったばかりで、何もしていないうちから疲れているが、一気にやってしまおう。
しかし、ただいま、夜更かし中。
目がショボついてきた。

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空き家で、行く年、来る年

2017-12-27 | 
ここのところ、急に、スマホのバッテリーが弱り、外ではあまりスマホをいじれない。
ブログはおろか、別SNSのコメント返しも、ままならない。
外での移動時間や待ち時間を利用してのブログや、日記なのに、歯がゆい思いをしている。

自宅でアップすると、家ではもう後は何もすることがなく、頻繁にコメントや足跡(わたしにアクセスしてくれる人)を見に行き、ほとんどスマホ中毒状態になっている。

その状態は、わたしは好まない。
依存症。
もっと他にすることはあるだろうに。
掃除とか、掃除とか、掃除とか。
整理とか、整理とか、整理とか。
断捨離とか、断捨離とか、断捨離とか。

(こういう表現方法で書くと、トラウマの元さんなら、「同じ語が3回かぶっていますよ、消して1語につき1つにしたら?」と、指摘してくるに違いない。一事が万事、あぁ、蘇るトラウマ)


話を戻す。
そのくせ、スーパーで迎春用品や、食品を見ると、お尻に火が付いたような焦燥感と、実行していない嫌悪感のようなものに襲われる。
しめ縄、ウラジロ、干し柿、飾り餅、、、
楽しいソワソワではなく、嫌な追われる不快感。
迎春は、誰もいない、夫の実家なので、色々考えただけで疲れる。

31日、午前に夫の実家に移動して、午後に買い物をして、夕方までに準備を整えようという、無理のあるプランそのものに問題がある。
布団は?
暖房は?
うまくいかないなら、いかない、で、来年の課題にしよう。
というか、夫と二人、空き家に移動するだけなら、別にわたしのこころは痛まないのだが、
あちこちから、散り散りの、わたしの子供たち、家族メンバーたちが集結するので、弱っている。(ついでに、ゲストにお姑さん)
どう考えても、せめて前日から用意すべきなのだが、息子のスケジュールに左右されそうな気配。

息子は我々の家(息子にとっては実家)を素通りして、夫の実家に直行、直帰、ということになるかも知れない。
せっかく遠くからの帰省なので、我々の家にも帰ってきて、30日、夜は、近所の娘一家宅で集まろうか、という案が浮上。
娘は独立していて、しっかり娘と気働きの旦那さん、こちら、わたしは老い始めの親、どちらが親元なんだかわからない。

ひょっとすると、30日から夫の実家(空き家)に行くかも知れない。
まだ、今のところ決めかねている。

お客様を迎え、ゆく年、来る年、迎春!
が望ましいが、わたしが出来ないでいると、みんな各自、助けてくれる。
招く、招かれる、ではなく、集まる、という、持ち寄り迎春である。

求心力を欠いた空き家で、メンバーたちが駆け寄り、お正月を祝うのも、悪くない。
ああ、サボりの自己肯定論理。

だって、皆さん、もう大人になってバリバリ働いてくれるから、わたしが、老体に鞭打って、そんなに張り切らなくてもいいのだ。
無理をすると続かない。
本来は嫁は家を整え、ましてや迎春などには、ピカピカにし、厳かに新春を祝うのであろう。
いいの、いいの。誰も文句言う人はいない。
だって、誰もそこには住んでいないのだから。
家は魂の入った箱、誰もいないなら、空箱。廃品回収の日に捨てたって構わない。
それを捨てずに、皆んなで集まってくれる、それだけでも嬉しいではないか。
もし、息子が彼女か嫁でも連れてきたりしたら、気が狂わんばかりに嬉しいが、気が狂わんばかりに、重圧苦の年末年始だ。
その気配がまるでないのは、喜ぶべきか悲しむべきか、、、。

と、これを書きながら、やはり30日に帰ろうかと思ったりしている。

例年は、わたしの実家にも皆んなで新年に駆けつけたが、今回は日にちを少しずらして、集まる日は、お正月ではなくなり、ほっとしている。
ダダダダーっと東へ西へ、一気に民俗大移動は疲れる。

住む人のいない、空き家の実家めぐり。
これが、行く年、来る年なのか。
とりあえずは、我々老人が、本格的に若い人の世話になるまでの間、空き家をめぐれるうちは、どうにかパワーが残っているということだ。

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衰えを直視する

2017-10-19 | 
昨日は、娘一家と、実家へ行ってきた。
まだ幼い孫たちは、「夫の実家」と、「わたしの実家」の区別がついていないようだ。
似たような和風建築、築年数なので、混同するのだろう。

雨戸を開けると、頭にヤモリが降ってきた。
ヤモリの洗礼。
ヤモリは、「家を守る」という意味らしいので、いきなり挨拶してきたのだろうか。
誰も、居ない、誰も住んでいない、文字通りの空き家である。

空き家とはいえ、祖母がその家に88歳の時まで一人で住んでいた。
もう、37年ぐらい前になるだろうか。
祖母は、高齢での一人暮らしが大変になり、わたしの両親のところに88歳を区切りとして引き取る格好になった。
37年前から空き家といっても、両親にとっては実家である。
両親は、51年前、実家に祖母を残し、新たに仕事の拠点としての別宅で暮らし始めたが、祖母とは別居という感覚である。
その新しい家から足しげく両親は元々の実家に通い、美しく庭の手入れをし、家を整え、冠婚葬祭はその家で行っていた。
わたしは、生まれた時から10歳ぐらいまで、その実家で祖母も一緒に暮したが、親の教育方針で、地元の学校には入らなかった。

実質的な空き家となったのは、母が老人施設に入所してからである。
その少し前から、我々子供は、親とバトンタッチして、本格的に、手入れ、管理するようになった。

わたしもちょいちょい、訪れ、手入れ、管理の一端を担っていたが、ここしばらくは行けなかった。
植木屋さんが定期的に入っているものの、母が小まめに草を引いていた時とは違い、やはり、草が目立った。
家の中も、母がいつも綺麗に(スタッフを率いて)掃除していたから整っていたが、その頻度、精度が落ち、美しい邸宅は、がくんと落ちていた。
家は生き物だと、つくづく思った。
手入れをしない家は、美しさを失っていく。
でも今の状態なら、草を引き、掃除をすれば、まだキープできる。
前の水準までには、とうてい及ばないが。

しかし、やがて我々は更に老い、気力を失い、あの家の手入れが遠のき、維持、管理できなくなるだろう。
時間の問題だ。
せめて一年に、一回は、孫たちを連れて訪れたい。
迎えてくれる人のいない、実家へ。

とかなんとか、まだ行かなけれはいけない家(夫の実家)があり、そっちのほうは、郷愁だのなんだの感じている場合ではない。

子供たちを縛り付けている実家の家々をはやく処分して、子供たちを解放させてあげるべきだ、と、諸々を依頼している税理士は言う。
そうなんだろうか。
我々が、元気なうち、目の黒いうち、アタマがまだクリアなうちは、できれば処分などしたくない。
が、理想や想いと、我々のパワーは、反比例し、衰え、非常に近い近未来に理想と現実が交差する。
じつは、もう交差してしまっているのかも知れない。
理想だけがひとり歩きしているが、もはや我々の手には負えない。

都会暮らしのほとんどの人が、こんな想いは体験しないし、理解も感情移入もできないだろう。
みなさんには興味ないことだが、わたしは固執してやまない。
どんどん自分が衰えると、また変化することだろう。

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土蔵の中で

2017-09-23 | 
今日は、お彼岸。
嫁ぎ先の墓まいりをした。
お坊さんが檀家を回ってお経をあげる。
恒例行事。
代々、姑たちは、1日も欠かさず、やっていた。
姑抜きで、お坊さんを迎えたのは、今日で5回目。
姑が倒れてからの、去年のお盆、秋の彼岸、今年の春の彼岸、お盆、秋の彼岸。
1年に3回。
お坊さんの稼ぎ時である。

姑たちは、嫁に来て、全員、姑になっている。
わたしだけが、たんなる嫁で、姑という肩書きがない。
息子に嫁がいないからである。致し方ない。

これも時代の流れだろうと、自然に任せている。
奥の土蔵に入ると、わたしの息子や娘たちに実家から贈ってくれた、兜、破魔弓、お雛様、羽子板、市松人形などの入った箱が、積まれている。
娘や息子に贈られた箱の上にかぶせた紙の上の土埃はまだマシ。
(土蔵なので、土埃がある)
思いっきり土埃だらけの紙が乗っているのは、60年以上前のお雛様や、その前のおじいさんたちの兜や人形。
ちょっとマシな土埃の紙に包まれているのは、多分、舅の兜。
これは、毎年のように出していると思われる。

この人形などが入っている土蔵は、電燈がないので真っ暗闇。
小さな窓をパタンと開けて窓に突っかい棒をして、お昼間に入るか、
はたまた、工事現場やイカ漁船を照らしているようなライトを蔵の外にあるコンセントプラグに差し込んで、コードを延長させライトを灯して中に入る。
一階は人形類。
二階は昔の陶磁器や漆器類。
前に入った時より土埃がすごいように思う。ゲホゲホ。
ぶーんと蚊の鳴くような音がして、刺されたら嫌だと焦る。
なかなか、お目当ての品が見つからない。

お目当ての品は、小ぶりの木目込みお雛様。
娘に、初めての女の子が生まれたので、来年、お雛様を娘の住んでいる家に飾ろうと思う。
わたしに長女が生まれた時に実家から贈ってもらった仰々しいお雛様一式はあるが、そんなたいそうなものは、飾れない。(手間、スペースの問題。アンチ省エネお雛様)
次女が生まれた時に、買ってもらったお雛様は、マンションの玄関にでも飾れるコンパクトサイズ。
あれがいいなあ、と思って探したが、なかなか見つからなかった。
しかしながら、仰々しい兜やお雛様、一度出さねば。
そして、箱を包む土埃だらけの紙を新しい紙に変えねば。
前にわたしが、姑と見て初めて飾ったのは30年以上前で(最後に娘、息子の兜、雛人形を飾ったのは25年ぐらい前)、その時についでに見た箱に乗せてあった紙は、昭和30年ぐらいの新聞紙が箱の上にかぶせてあった。
夫の五月人形だ。
30年に一度の、オープン。
その時は、さらにその25年ぐらい前(85年ぐらい前)のお雛様(舅の妹の分)もついでに飾ってみた。
なぜ、舅の妹(夫の叔母)のお雛様があるかというと、、、、
舅の妹が生まれた時に、お雛様を母親の実家から贈られたものの、後に舅の妹は嫁に行ったが、女の子が生まれなかったため、実家にお雛様一式を引き取ってもらった。
たぶん、二人(姑と、1代前の姑と)で、一度は出したものの、その後は、ちらっと存在を確認しただけではないかと想像する。

しかし、わたし一人でガッツがあるかどうか。
30年前には、姑とわたしは、二人で開けて飾って、収納した。
夫の分や、舅の妹の分は、土埃だらけの紙を捨てて、箱から出して飾るにも、膨大な量で、お雛様が佇むお屋敷も、木製の組み立て式で、ものすごく複雑な設え。
出すのは良いが、飾り方に四苦八苦(30年前もかなり苦労した)、それにも増して、仕舞うのが、多分、手に負えない予感。
なので、気持ちは前向きだが、一人ですったもんだの手間暇を考えると、出さないでおこうかと思う。
娘と息子の分だけ、出すことにして。

とすると、子供の誕生を祝う品々は、わたしのようなズボラな者にとっては、贈ってもらった時しか飾らないということだ。
実にもったいない。
昔は、丁寧に手間暇かけて、子供の成長を愛情込めて願い、祝ったものだと、つくづく感じる。

親のこころ、子知らず。
しかし、ライフスタイルも変わり、兜、雛人形、破魔弓、羽子板、市松人形、、、これらを嫁の実家の親が子供一人一人に贈っていた時代は過去になりつつあると思う。
(もう過去完了かも知れない)

わたしは、孫には、作家が作ったの木彫りの兜(壁掛け仕様)と、マンション玄関仕様の破魔弓を贈った。
しかし、あれも、小学生になれば飾らないだろう。
何十万円もするお雛様や兜が、季節になるとデパートに売られているが、親ごころ、どこまで子や孫に伝わるか。

土埃にまみれた土蔵の中で、わたしは、自分の役割を果たさずに、途中下車して降りようとしている自分を発見した。

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宇宙の果てに消える時

2017-08-31 | 
趣味仲間Aさんの奥さん(Bさん)の実家。
古くから続く家らしく、家にある仏具は、1600年代の刻印があるとか。
Bさんの親御さんが亡くなった後、17世紀頃より前から続く墓は、永代供養にしたそうだ。
400年の家の歴史は、とりあえず終了。
墓を終えば家はピリオドなのか?
家と墓(祭祀)は、セットなのか?
特別に代々から引き継がれる財産はないとのこと。
祭祀費用は、受け継いだ人の持ち出し。
それじゃあ、年月が流れ、現代に家が細胞分裂して核家族となって暮らす人々には、なかなか厳しいという感想を抱く。

さて、ある、阪神圏内であるが田舎の家。
直系の跡継ぎが不在でも、養子で繋ぐ。が、墓は繋がないというケースがある。
祭祀をセットにすると、子供は跡を継いでくれない可能性が高いだろうと危惧されるからだ。
養子に土地やお金を相続させても、宗教心がないため、祭祀はしてくれない。
養子が、祭祀もせずに、土地、お金だけ取るのなら、お金の使い道を指定すべき。
経済的に余裕がある、お金を稼げる養子は、そんな面倒なお金なら受けとらない。
お金のない養子なら、引き受けるだろうけれど。生計を立てる仕事として。
あるいは、自分自身のお金が有る無しに関わらず、継承に賛同する場合は、引き受けると考えられる。
義務とお金は、セットである。

祭祀の義務としては、何年かに何度か、法要を行う。
盆、彼岸に墓参り、読経。
(これは、近くに住んでないと困難。墓掃除は代行業者に依頼することも可)

適任者がいなければ、家が絶えると見なされてもいいから、いっそ、祭祀をやめてしまうという選択肢もある。
故人たちを偲ぶ会で代用する。
宗教色を抜く。坊さんはカット、呼ばない。墓終い、永代供養。
親戚たちの集まりでいいのでは?
しかしながら、日月が決まっているほうが、わかりやすい。
では、その日に、坊さん抜きで、集まる。
宗教を切り離した、家だけの継承。
だが、相続資金が底をついた段階で終了。
税金を根こそぎむしり取られるので、一代延命されるだけと予測する。

夫の家の場合、祭祀抜きは、夫の目が黒いうちは、大反対するだろう。
夫や、夫の姉があの世に行けば、家の運営に反対する人は誰もいない。
しかし、わたしは夫と同世代。どちらが先に逝くかは、わからない。
わたしが先に逝けば、あとのことは関知せず。
夫が先に逝き、夫の姉が反対しても無視する予定。
その頃は、あちらも力もないだろう。
それ以上にわたしも、輪をかけて、よれよれよぼよぼ「あなた、だれ? わたし、だれ?」だろう。

息子は、どう出るか?
楽しみであるが、期待していない。
意外に、娘が、孫を養子にして祭祀を行ってくれるかも知れない。
ただし、こちらの要望、切なる願い、潤沢な相続財産があれば、の話だろう。
仮にいくら財産があったとしても、懇々と訴え続け、諭し、想いを受け止めてくれたらの場合。
その後の長い年月は、わたしはあの世に行っているので、知る由もない。

お金と情熱を遺し、バトンタッチしないと宗教の継承は無理だろう。
家だけ祭祀から独立させて継承させる、新しい試みがあってもいい。
しかし、継承させるには、求心力のような、強力な接着剤のような、マインドコントロールが必要だ。
維持、継承するのをやめて立ち消えになると、代々から続いた家は、形骸化した、伝説、昔話になるだろう。
時代の流れには逆らわない。いや、逆らえない。
わたしたちの子供たちが、どうするか、であるが、彼らもリタイア生活を送っている年齢になり、どうなっているか。
今のわたしの年齢になった子供たちは、どう感じ、どう考えるだろう、、、

それよりも、わたし自身がどう変化しているだろう。
典型的な年寄りになって、煙たがる若い人々に、高圧的に詰め寄るか、グチグチへばりつくか、あるいは、片手で必死で持っていた手を解放し、両手ともフリー。
両手を離し、海の彼方か、宇宙に解き放されるのかも知れない。
しがらみにも、血縁にも解放されて。
その時は、幸せの絶頂か、あるいは、、、?

なるように、なる。
なるようにしか、ならない。

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最後の嫁

2017-08-16 | 
ここのところ、忙しく、1日の終わりが近づいた時間に、ブログをアップするようになった。

お盆は、誰一人、見る人(オブザーバー)がない中、ひとり、黙々と、帰省中のご先祖様たちに、定番、お盆メニューの、おさんどんをして、お供えした。

ずっと前は、御膳を5膳も出していたので、お供えする量も5膳分あり、結構な量だった。
ある年、姑の提案で、2膳にした。5分の2の分量になり、助かった。
姑の姑がいた頃は、あんころ餅も自家製で、とても忙しかった。
今は、まあ、かんたん。既製品。

姑は、いつでも、何にでも、あふれるばかりの量を用意する。
あんころ餅も20個用意した時もあった。
お供えしたあと、20個のあんころ餅、どうする?
食べきれない。
出入りの人に、もらってもらう。
お正月のお餅も、姑は、あり得ないほど多く用意する。
残ったお餅は、人にもらってもらう。
なんで、あんなに大量なのか、わたしは意味不明だった。
誰の指図も受けない今は、わたしは、きっちり必要な分量だけ用意するので、捨てたり、人にもらってもらったりを余儀なくされるようなことはない。

誰も見てないから、手を抜いてもいいのだが、なぜか、まじめに、ちゃんと行った。
全て、写真に撮った。(記録)

で、お供えとお供えの間の待ち時間に、暇を持て余し、ご先祖様たちのメンバー表を作った。
大きな大きな紙に2枚。
過去帳を見ながら、一人一人チェックして書き写していった。
年号が古くて明治より昔はわからないので、西暦に直した。
没年月日と享年から、生年月日を計算する。
全体像が、とても、わかりやすくなった。
結構、面白い作業だった。

今まで、姑から何度も何度も、耳にタコができるぐらいご先祖様のことや、経緯は聞かされていたが、自分で表にすると、相関図が理解できる。
姑の説明は、一方通行気味だったが、やっと、流れを把握することができた。
今頃、やっと。

嫁は全員、後に姑になっている。
嫁が一人だけでお盆の行事をすることは、おそらく長い過去にはなかっただろう。
いつもは、姑と嫁のコンビ、あるいは、三代にわたる嫁コラボ。
今、姑は在宅しておらず、さらに、次世代の嫁の席が空席なため、わたしはひとりでの行事になった。
現代の流れだろうか。
「家」の概念は、世の中の動きや、現状とともに変わりつつある。

で、20年後と30年後と40年後の計画を立てた。
計画は、ガチガチの決め込みではない、おおよそのプラン。
緩やかなルールにしようと思うが、緩やかすぎて、誰も仏祀りをしてくれないかも。
してくれそうな子に、全てを任せるのは、気の毒である。

手書き、手作りの家系図をじっと見て、悦にいってる。
わたしも、嫁の役割を末端で担っている。
嫁のなかでも地域で有名な、よく、働き、名をあげたおばあさんもいる。
時代の推移と共に栄枯アップダウンもあるし、若くして家族を亡くす悲しみにくれた経緯もある。
一家を地方の片隅で、陰になり日なたになり、支えた、おばあさんたち。
ご苦労さまでした。

いろんなおばあさんがいる中で、わたしは無色透明で、最も、音がしない、働かないおばあさんなんだろうなあ。
わたしが、最後の嫁だったりすると、皆さんに申し訳ないかなあと、ふと思ったりする。
どんなにヘボ嫁でも、存在しないよりは存在するほうが価値がある、と、ここで自己肯定しておこうか。
が、次世代に継承させていない今、現在、役目を全うしていない。

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パワフル馬力は、ないけれど

2017-08-15 | 
姉はすごい。
パワフルである。
わたしの100倍ぐらい馬力がある。

昔、父が、姉は男だったらよかった、能力があるから女だと活かせないのはもったいない、と言っていた。
その点、わたしは、いつも、ダメ子の評価。期待されず。
まわりからも同じ評価を下され、スパルタ教育もされず、のうのうと甘んじてサボっていた。
今日の、ふにゃふにゃは、長い年月の積み重ねである。

で、まわりからも期待され、本人もやる気満々、体育会系の姉は、じつにバリバリよく頑張った。
エネルギーと計画性、実践力、体力にはアタマが下がる。
まあ、姉妹でも、ぱかっと分かれるのは、個性の違い。
(同じ傾向の二人より、正反対のほうが、役割分担しやすい傾向にある)

と、とりあえず、褒めておこう。
このスーパーウーマンは、味方である時は神様のごとく、であるが、敵に回った時は、、、?
まったく違う個性がぶつかり合うと、どうなるか?
(あ、ぶつからない。わたしは、ふにゃふにゃだから)
元々、力を合わせると、二倍が十倍のパワーアップになるところが、逆ベクトルに引っ張ると、意外にわたしは、しぶとい。
今まで気づかなかったが、最近、それを自覚した。

と、延々、これは前置き。
姉は、「姉ファミリーの家」と、「旦那さんの実家(田舎)」、「我々の実家」、「我々の実家の実家(田舎)」、と、なんと四軒もの家を管理している。
わたしとは、「我々の実家」と、「我々の実家の実家(田舎)」の維持管理、本来は姉妹で責務をシェアしなければならないが、ほとんど姉がやっている。
(ありがとう、お姉さん。感謝してます)

まあ、その理由のひとつとして、立地がある。
わたしの住む家は、実家から遠く離れた場所にあり、わたしの夫の実家(田舎)は、さらにそこから遠く遠隔地にある。
姉は、姉一家が住む家と、姉の夫の実家(田舎)に行く中間地点に、我々の実家がある。
我々の実家を通過して、姉の夫の実家にたどり着く。
動線的に、ついで感がある。
おまけに偶然、手と足になって動いてくれる姉の長女が、我々の実家の近くに嫁いで住んでいる。
鬼に金棒。協力サポーター。

わたしは、実家に行くだけでも、わざわざ感があり、へとへと。
わたしの子供たちも、実家が遠くて滅多に足を運ぶことはない。

わたしは、自分の実家とは真逆方向にある、夫の実家(田舎)に行くと、益々、自分の実家から離れる。
一家揃って、わたしの実家に行くとなると、相当遠く、時間もかかる。
地理的距離感は、精神的距離感にもつながる。
行きたい気持ちはあるのだが、身体が疲れ、移動距離、帰宅時間を考えると、「行って帰るだけ」に近いものがある。

姉とは、思いを実現するための、考え方や方法の違いがある。
が、実家を大切にする思いは同じなので、喧嘩しないで仲良く、ゆっくり、向き合うことにしたい。

それはそれで、さておき、
本題はここからである。

夫の実家。
お盆行事を済ませて、ひと段落。
劣等生である嫁のわたしであるが、さすがに35年も家の行事を続けていると、体が覚えているようだ。
姑が家には不在でも。

さて、今後、どうなって行くのやら。

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