蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

元気な人々

2022-06-29 | 
わたしの疑問は、周りを見ていなさすぎて世間知らずのため、石を投げられるかも知れないが、、、。

なぜ、どこへ行っても元気な女性ばかりなんだろう?
元気ではない女性は、外に出ていないから目に見えないだけだとは思うが。
男性は、元気な女性(妻)に引っ張って来られるイメージ。
男性単独では、あまりお目にかかることがない。
登山とかされているのか。
バイクや自転車、ヨットや釣り、アウトドア、キャンピング、、、など、わたしが行かない場所で活躍されているかも知れない。
(あ、頑張って働いておられる姿は、あちこちでよく目にする)

あるいはマニアックな趣味を楽しんでおられ、ご一緒する機会がないからか?
グルメだのパックツアーだのには、何しろ(リタイア)女性が多い。
安易で簡単、便利、手頃、エネルギー要らず。
リタイアしていない女性も多いが、男性はあまり参加していない。
日頃のストレスが大きすぎて、何もしないことが、とりあえずは回復の第一歩か?

限られた健康寿命、アクティブに使おう!!と積極的姿勢が皆さんに見られる。
もちろん、仕事をしている人もおられる。
さあ、どんどんじゃんじゃん活動しよう!とエイエイオー!とシュプレヒコールを上げたのは良いが、さてさて、やりたいこと、未体験、未知なことは?

わたしは保守的でめんどくさがりなので、今更やりたいことを一から探す気力はない。
それより、今までやってきたことの深掘りをして楽しみたい。
今からスカイダイビングには挑戦したくない。
飛行機にも最近は乗っていないから不安。
バスですら、ほんの2〜3時間揺られるだけで疲れる。
老化と贅沢。

歳取ると、トイレ確保にやたら敏感になる。
行きたくなくても、次、行きたい時に行けないかも知れないとなると、毎度毎度のトイレ休憩の時に無理やりトイレに行く。
脳と膀胱の希望など無視。
ではあるものの、脳が反乱を起こし、膀胱容量を超え氾濫しては困る。
ハンラン防止対策。

となると、遠い国や(標高が)高い場所にはもう行けないなあ、と。
近場深掘りコースに切り替えよう。

わたしは一人行動のほうが限りなくのびのびして好き。
マイペース人間なので、人に合わせるのが苦手。
自分の好みや嗜好も自覚している。
なので、団体旅行で参加するとしたら、コンセプトが設定されている、こだわりの旅。
参加者も似たり寄ったりの、お一人様満喫タイプなので、お互いに邪魔にならない。

家族旅行の場合、長女主導型。
文句があるなら企画、提案、実行せよ、動け!!となる。
なので、おまかせでゾロゾロ付いて行く。
カルガモ親子の順序逆パターン。
乳幼児同伴なので、旅行行程に無理がないのが良い。


コロナが完全に明けるのはいつ?
それまでの間に、脳内プランを練ろう。
ああでもない、こうでもない。
かつては、家から一歩も出ず、椅子から一歩も動かず、旅の計画をし、準備した。
わたしは10〜20年に一度、自分旅をする。
20歳、33歳、55歳。

家族旅行に加え、50代後半からは夫婦旅行が加わった。
60代は、家族合同旅行にシフト。そこへコロナ。
もうそろそろNEXTステージに向けての区切り自分旅がしたい気分だ。
将来は、大きくなった孫たちと(親抜きで)行くことも夢見ている。
舅姑は、孫連れでパック旅行に何度か行っていた。

旅の話ばかりを書いている。
だが、全ての人を対象にブログを書くと、天気予報かニュースぐらいしか書けない。
不愉快な人は、お寄りにはならないと思うし、自分救済のブログなので自分の楽しみのために使う。
嫌われてもいい。
(→なんて書かないほうが、好かれはしなくても嫌われるリスクは軽減されるかも知れないのに、ね)

あっちへ行ったり、こっちへ行ったり

2022-06-28 | 
もう梅雨明けだとか?
暑いです。

さて。
暑い最中、あちこち府民割や県民割を利用して周りの府県に足を伸ばしている。
昨日などは、散策タイムに、ある程度の所まで歩いて行った矢先、突然の雨に見舞われ、散策ストップ、雨宿りになった。
雨が止むのをひたすら待って、小降りになると、びゅーっと次の地点に戻る。
来た道、帰らなければまた土砂降りにやられる。
雨宿り時間は推測出来ないため、バス集合時間に間に合わないと困る。
次の地でも、止んだと思ったら突然、土砂降りの繰り返し。

各県、府、しばらく7月も旅割引は延長されるようだ。
助成金と、クーポン券の組み合わせ。(兵庫県はクーポンは宿泊した場合のみ)
わたしが行くところや参加するところは、皆さんお年寄りばかり。

ある女性が言った。
「年寄りは、○○、××、どうの、こうの。
年寄りはほんまに、わからんらしいわ」
わたしはすかさず、こころの中で、ツッコんだ。
「あなたも年寄りやん」

これはあくまでも胸のうち。
声には決して絶対に出さない。
しかしまあ、自分は年寄りではないと思っているその発言には、参ります。
たぶん、あの女性の描いている年寄りイメージは、骨と皮だけの、どうにか生きているだけの(見た目は、生きているのか生きてないのかわからない)枯れ木のような人なんだろう。

人の耳もあるから、他人から見た場合、誤解を生むようなことは言わないほうが賢明。
自分がツッコまれたりする言動は避けたい。

バスに乗ると、前後の座席の人の話し声が丸聞こえ。
べつにけしからんことは言ってないのだが。
わたしのすぐ後の席のご夫婦。(最初はご夫婦ではないと思っていた)
しゃべるのは座席の片方の人で、聞くのはもう一方の人。
会話のキャッチボールなし。
あまり親しくない人が数人集まって話す機会がある時は、そういうおしゃべりな人がいると場が持って助かる。
話題なんか、なんでもいい。
しーーんと静まり帰っていなければそれでいい。

おしゃべりの人は、助かるが、疲れることもある。
わたしは、他人の場合、勝手に無言でツッコみを入れてばかり。
というか、車内、わたしの後ろの席の場合、
話す人の隣で一方的に聞いている人、じつは聞いていないと思う。
一人でしゃべっているということだ。
相槌とか、リアクションはほとんど聞こえないから。
わたしより10歳は上の男性と思われるが、バスの席で延々と政治のことや、政治家の行動を非難しておられた。
聞くほうは興味ないと、めんどくさいだろうなあと。
だから奥さんは無言というリアクションなのか。

中でも、1箇所、ご自分の意見を押し通し、奥さんの言葉を遮って全面否定されていた。
わたしは奥さん側の感想を抱いていたため、アカの他人と言えど、不愉快だった。
奥さんも反論したら、ややこしくなるから放置しているのだろう。
火に油を注ぎたくないから、スルーするのだろう。
いろんな夫婦の対処法がある。
何度も何度も旦那さんが同じことを言って奥さんを非難、否定するから、わたしがムカムカしてきた。不愉快そのもの。
アカの他人を不愉快にさせる夫婦のやり取り、って、こっちが見て見ぬふりをする番だ。
耳を覆って無理やり聴かないことにする。
短時間のその場限りの偶然の関わりだから、我慢できる。
アカの他人は気楽でよい。

が、中にはアカの他人なのに、キレたりする人もいるようだ。
極力、近寄らないこと。縁がないことを祈るのみ。

バスツアーは、何度か参加するとだいたいどんな様子かわかる。
値引きや設定価格からすると、決して文句は言えない。
最後にアンケートに答えるのだが、もし、値段を考慮せずに不平があるならお門違い。
値段の割に良かった場合はアンケートに感想を書くのもよいだろう。

なんでも価格というものがある。
高品質、高級、デラックスなもの、貴重なものや手に入りにくいもの、手の込んだものは高く、その逆は安い。
値段と相談する。
なので、わたしは添乗員さんや運転手さんの感想をアンケートに書いた。
very good!
お疲れ様でした。
事故もなく無事に終わり、よかった、よかった、、、。




ストレス

2022-06-24 | 日々のこと
またまた嫌な季節がやってきた。
エアコン闘争。
体感温度の違いによる。
エコ、熱中症対策など、考え方の違いよりもなによりも、身体が直訴する。
室温32度にもなっているのにエアコンつけないのは有り得ない、と夫。
まだ6月じゃないの、とわたし。
暑いからエアコンつけて、と孫。

リビングとダイニング、リビングには録画番組やケーブルテレビ番組を観られるTV、ダイニングには普通のTV。
孫と夫、どちらのTVを観るかで分かれ、2部屋ともエアコンをつけることに。
わたしの体感ではエアコン付ける必要性なし。
なのに、2部屋ともエアコン稼働!!
熱中症対策だとはとても思えない。

今も室温30度だが、窓を開けずにいても割と過ごしやすい。
この体感の違いはどうしようもない。

さらに、わたしは極力我慢して、もうアカンとなったらエアコンを付ける主義。
どうってことないうちは、付けない。
なのに、夫は、どうってことなくても付ける。
世の中の家族間のバトルはスゴイのか、スゴくないのか。知らないが。

常に快適な室温に保つという志向と、たまらなくなるほどの室温の場合はつけるという志向。
電気代もさることながら、電力が不足しているのだから、どうってことない時は付けなくても良いではないかと思う。

姑は、自分は長ズボン、ぶ厚い靴下に毛布を掛けてまで、同室の夫(息子)や訪れてきた来客(近い親戚)の室温の好みに合わせて冷房をつけていた。
当てつけがましいその姿を見せつけられても、夫や親戚は平気で(文字通り)涼しい顔をしていた。
あんなに寒がっている老人が、自分以外の人のために合わせているのを何も思わないのか。
というより、姑もそんな極寒の地にいるような出立ちをしてまでも、周りに合わせるぐらいなら、周りを自分に合わせてもらう努力を少しでもすればよいのでは?
姑は今はあの世で、すっきりした体感温度を楽しんでいることだろう。

同じ室内での争いは熾烈を極めるが、わたしも姑同様、夫に合わせて折れている。
だが昨日は、まだ6月の2部屋同時エアコンにキレた。
が、爆発噴射は外に出ず、わたしの内部に向かい逆噴射となった。
目や鼻や、耳、口から、何かわからないドロっとしたものが溢れ出てくるような感じ。
アタマがおかしくなりそうだった。

まだ6月なのに、もうこんなスタート。
先を思いやってストレス前倒し。
益々暑くなるだろう夏を前に、今後、やっていく自信をすっかり失った。

だが、猛暑、酷暑ならエアコンは同意、賛成する。
必要とは思えない室温にエアコンという、中途半端な時には、脳内から訳の分からない物質が出てくる。
叫んだり喚いたり、ヒステリーを起こしたり、モノをぶつけたりできたら良いのだが。
わたしは理性の塊りなので出来ない。
なら、相手に自分の意向を伝えたらよいではないか、却下されてもさらに。レジスタンス運動。
だが、わたしは意気地なしで、なお、エアコンは譲らなければならないという想いにがんじがらめになり、食ってかかれない。
一種のメンタルの病気かも知れない。
本能や感情を理性が収め込もうとして脳やこころのバランスを失う。
その結果、目や鼻や口や耳から、アメーバみたいな目に見えない何かが出てくる。

一夏、持つかしら。わたし。


絶滅種

2022-06-23 | わたし
今日はもうブログ更新はさらっと完了したにもかかわらず、まだ吐き出せない思いがある。
自分に対する存在価値の崩壊である。

ある人の子供さんが卒業した学校名を聞き、脳内コンピュータが自動的に偏差値測定した。
自分が思っている偏差値が時代と共に変わっているかも知れないので2022年の偏差値を調べた。
そう変わりはなかった。
が、思っているより少しだけ上だったか。

で、ついでにわたしの出身校を調べてみた。
驚愕の偏差値だった。(悪い意味で)
わたしの出身高校も最近は進学合格大学が昔と違ってきている。
昔はもっと良かった。
さらにもっともっと昔はさらに良かった。
どんどん下がって来ている。
その、どんどん下がってきているわたしの出身校の進学先に、わたしが入学&卒業した学校への合格者が増えてきている。
どんどん難易度が下がって、間口が広くなっている。

全体的にそういう流れかと思い、他の大学も調べてみると、全然そんなことはなかった。
むしろ、偏差値は上がり難易度が上がっている。
わたしが辿った道は、現在には受け入れられてない、流行遅れだということだ。
価値がぐっと下がった。
止まらない円安のようなものか。(違うか)

価値が下がったというよりは、存在価値そのものが消滅した。
今では無い職業のように、今ではもはや無い。
あるとすると「元○○」。
明治以後の元武士みたいな。

なので、そんな絶滅した道をわざわざ目指す人も当然存在せず、あるとしたら、偏差値が低いから入れるだろうという、偏差値の低い生徒の安易な志願。
人気が地に落ちている。
絶滅するにも、ある日突然、絶滅するわけではなく、時代のうねりや予兆がある。
その前段階で舵を切っていれば、絶滅泥舟に乗らなくても良かった。
ぼーっとしていたら、あれよあれよと言う間に舟は傾き、それから40年以上経つと、絶滅していた。
にもかかわらず、本人は自分が絶滅種であることに何の不満も抱かず楽しく暮らしていた。
が、ある日、世の中の流れがはっきりわかる結果を目の当たりにして愕然とした。
あらま、絶滅してたのね、と。

姑は良いよなあ。
絶滅種なのに自覚もなくそのままあの世へ。
自覚したところで、もはや変えることはできないから、知って知らんぷりが良いだろう。

「元○○」を生きるこころの糧にしている人もいる。
誇り、プライド。
ある意味、リタイアしたばかりの人は、かつての職業の尾を引く。
素晴らしい肩書き、業績、部下、、、
しかし過去の遺物。
リタイアした日から、ただの人。横並び。
ではあるが、手柄や業績は事実であり、消えない。
(立派な人格や能力、人脈は引き続き、多分野で求められることだろう)
逆に失脚した場合、失敗、ミスも事実であり、消えない。

わたしのケースでは、、、
元○○の○○がもう存在しないことに、呆然。
わかってはいるものの、現状のデータ事実から痛感する。
そうかぁ、、、そうなんだね、なあるほど。
過去の遺物、シーラカンスになった瞬間だった。

女性の生き方は大きく変わった。
子供を産み母乳が出るのは女性だが、産んだ次の瞬間からは、役割を男女でシェア。
家事、育児をやらない男性は、糾弾される。
手伝うのではなく、しっかりシェアする。
女性も自立。
政略結婚の駒として利用されない。
意識的に策略の一つとして取り入れる人もいるだろうけれど、それは目指し憧れるような立派な進路か?

今更ながらではあるが、
シーラカンスとなった実感を噛み締め、水槽の中からガラス越しに世界を眺めている。

ぐうたらが大好き

2022-06-23 | 健康
何もしないでぼーっとするのが、最大の苦痛だという人がいる。
わたしは、苦痛ではない。
全く何もしない、真空時間を過ごすと、その後、何かしようと自主性が生まれる。
自分から欲求が湧き出る。
あれよしよう、これをしよう、と。
わたしの場合、堰を切ったように、ではない。
ポツポツと。ちょっとだけ。ちびちび。

全く何もしない時は、運動自主トレーニングをする。
トレーニング用ゴムを使ってストレッチや、ウエストツイスト。
10回を3セットだとか、20回を3セットだとか、自分で決める。
わたしに器具を与え、薦めてくれたセンパイによると、運動は最初はキツイが、習慣化すると段々慣れてくるそうだ。
全く何もしない日も、最低限、トレーニング運動だけは行うことになり、肩凝りなどの防止にもなり、何よりも身体が温まる。
夏は暑いが、冬には暖房要らず。
たいした回数ではなくても、自己満足につながる。
何もしていないわけではない。

ではあるが、あまり負荷をかけ過ぎないこと。
頑張りすぎるとすぐ三日坊主になる。
こんな程度で効果あるの?と疑わしくなるような負荷、わたしは軽めにする。
効果はなくてもよい。
しないよりは、マシ。
肩甲骨稼働とウエスト絞り。
上体側面ストレッチ。
今、左膝上に少しトラブルを抱えているので、恐る恐る騙し騙し左足を使っている。

ということで、全く何もすることがない時は、運動がおススメ。
運動する気もしないなら、うだうだごろごろ寝ると良いのでは?
ただし、ヒマに任せて食べるのはコントロールすべき。
身体にも美容にも良くない。
毎日体重計に乗って体重をチェックする。
なりたい自分には程遠くても、なりたくない自分にはできるだけ近寄りたくない。

何もしない日に、何もしないでパワーをチャージして備える。
メリハリ。
したくないが、すべきタスクも、じっと静かにパワーチャージでどうにかこなせる。
じっと身体は動かないが、タスクをクリアするために、アポを入れたりスケジュール調整する。

以前は、マイナス負荷からのリベンジ、逆噴射をパワーにしていた。
が、今はマイナスがないので、パワーもない。
自然に貯まるまで待つしかない。

だが、不安を煽る記事を読んだりすると、何もしないでいることに不安を覚える。
また、人を無意味に非難する記事に触れると気分が悪くなる。
そんなマイナスのものには、むやみやたらに近寄らないこと。
こころを病んでいる人にも距離を置くこと。
自分を守るのは自分。

ちなみに、、、
コロナ禍で外出や会合に好きなように出かけられないと嘆く人がいる。
家で夫婦でじっとしているそうだ。
お互いの無言の監視の目があって、身動き取れないとか。
うわぁ、、、お疲れ様。
運動しても気は晴れないことだろう。
しかも人間には健康寿命があると痛感しているとのこと。
健康寿命が刻一刻、短くなっている現状、現実、、、人ごとではない。
明日は我が身か???

まだそうなっていないうちから憂鬱になるよりは、今を楽しむのが良さそうだ。
あちこち、傷んできたら、ああやって来たか、と受け入れよう(悲しいけれど)。
やっぱり来たのね、わたしだけが例外というわけではなかったのね、と、楽天家のわたしは苦笑いしてベルトコンベアに乗ろう。
(乗る時はこっそりベルトコンベアのスイッチを緩めて速度を弱にしたい)
ベルトコンベアに乗るまでの待機時間に、徐々に心身共に準備体制に向かうことだろう。

とりあえずは、今は、ぐうたら時間を楽しんで、稼働パワーをチャージしよう。
幸か不幸か、わたしは、ぐうたら時間が大好きなので、何もしないことが最高に贅沢だと感じる。
健康オタクの真逆タイプだ。

涙からスタート

2022-06-22 | 思い出
何も予定のない、フリータイムデーに限って、早起きするわたし。
なぜ?
不思議だ。

しかし、朝、洗顔をするかのように、涙涙涙から一日は始まった。
一種の自分教、お祈りや読経タイムのようなものか、、、?
自分を静かに見つめる時間。

姑がある時、言っていた。
「お経読みながら、別のことを考えてたら意味ないねえ」

姑は、自分の祈りの内容を口に出して神様仏様にお願いする。
祈願内容を神様仏様に伝えるには声を出して言ったほうが良いと考えてのことだろうけれど、わたしは、横にいるわたしたち家族に聴かせていると感じていた。
こんなことを祈っているんだよ、と、言い聞かせる。
決して悪い内容ではなく、家族の健康、無事を祈る。
「○○に合格しますように」だとか、そんな具体的なお祈りはしてはいけないらしい。
「本望が叶いますように」だとか、「存分に力が発揮できますように」だとか、そういう、人事を尽くして天命を待つ路線。
神様仏様に頼るのではなく、自分で出来る限りの努力をしたあとに、お祈りする。
具体的に努力をしないで希望は叶わない。
そう姑はよく言っていた。
信心深い人ではあったが、肝心の努力は自分でしなければどうにもならないことをよく知って示唆してくれた。
先ずはやるべきことをやってから、そのあとは宗教祈願タイム。
そういう順序、流れになっている。

わたしが人として成長する中で、姑は大きな役割を担っている一人になっていると感じる。
自分の生き方を通して、わたしにいろんなことを教えてくれた。
わたしはぼーっとしているから、ちゃんと口に出して教えないと、気が付かなかったり、理解できなかったりする。
短気になることなく、丁寧に接してくれた。
姑も、また姑の姑に、姑が未熟だった頃に優しく教えてもらったらしい。
「何も知らない自分だったと、つくづく思う。よくあんな自分に、義母(姑の姑)は冷静に対応してくれたものだと、今になって思う」
と、未熟だった(今もだが)嫁(当時のわたし)を見て感慨深く気づいたようだ。
姑も(わたし同様に)良い上司に恵まれた。

姑が嫁いだ時、家にきょうだいはたくさんいたが、喧嘩もなく家庭は仲よかった。
生活は厳しかったが、仲良しは受け継がれるようだ。
少々口は悪くても、こころの中は悪くない。
暖かいハートを持つ皆さんだと、わたしは感じている。

もうわたしを脅かすものがない今だから言えるのだろうけれど。
今となれば、わたしの敵は、わたしでしかない。
だとすると、味方にしてしまえばよいわけで。
仲直りしましょう、わたしと、わたし。
涙タイムは、ブログタイムでもあった。
さあ、早起きした分、ブログも更新出来たし、あとは寝るだけ?
いやいや、まだ朝だし。

さて。
今日はどういう一日になるだろう。
爽やかにスタート!
楽しい一日の始まりだ。


追伸。
夢様へ。私信です。
若き日の出来事、読ませていただきました。
エネルギーや思いがひしひしと伝わってきました。
映画や音楽は魂を揺さぶることがあります。


痛みにまかせる

2022-06-21 | 趣味
またまた涙。
タオルハンカチ、びしょびしょ。
マスク、2つ、びしょびしょ。
涙が止まらない。
涙はリラクゼーション効果ありだそうだが、今回は、そういう傾向ゼロ。

自分が不甲斐なくて、ただただ泣けてくるだけ。
ようし頑張ろう!と、七転び八起き的にエネルギーに転化するかというと、全然。
青菜に塩どっさりてんこ盛り。
塩の山に頭から突っ込むナメクジ。

自分はどんなに頑張っても出来ないことがある。
出来る人がほとんどなのに、わたしは出来ない。
鉄棒の逆上がりみたいなものか。
自転車に乗れないようなものか。
(逆上がりも自転車もクリアしているけど)
でも、そんなかんじの難易度。
だいたいの人は出来ると思う。

出来る人から見れば、何故出来ない?
努力が足りない、根性が無い、と、映るだろう。
出来ないものは出来ない。
努力しても頑張っても、出来ないものは出来ない。
どこまでこれを引きずっていけばよい?
一生?

もう学校、教育期間も卒業。
子育ても終了。
仕事もリタイア。
あと、残っているのは夫を送ることぐらいだが、わたしのほうが早くあの世に行くような気がする。
なぜなら、わたしは、いいとこ取りの人生なので、なんとなくそんな予感がするのだ。

出来ない自分を責めているわけではない。
悔しがっているわけでもない。
出来る人を羨ましがることはまるでない。
能力がないのは、仕方ない。
情けない。
ただそれだけだ。

では、なぜ、涙が後から後から流れて止まらないの?
脳が悲しみを緩和しようと、慰めてくれているのか。

先天的に障がいがある人や、後天的に障がいを生じた人もいる。
嘆こうが喚こうが、笑おうが、事実は同じ。変わらない。
受け取り方が違うだけ。
自分がどう思うか。
人にどう思われるかを気にするのは初心者。
あくまでも自分主体。
泣いても笑っても生きている。

頑張って無理に乗り越えようとしなくてもいい。
出来ないという能力が足りない事実を淡々と粛々と受け止め認めるだけ。

それがどうした?
と、開き直るには、まだまだこころがヒリヒリ痛い。
痛みにまかせて、あがかず自然治癒するまでじっとしておこう。



平凡な一日

2022-06-20 | 日々のこと
さて。
今日はどんな一日?
良い一日だった。

リタイア後、仕事を再稼働した人の話を聞いた。
予定が全くないのは苦痛だそうな。
仕事とオフのメリハリで、体調はすこぶる快調だとのこと。
そうだろう。
全くスケジュールが真っ白は、大変だろう。
毎日サンデー。

好きなプロ野球のチームを応援するとか、テレビだけでなく現地に観に行くとか、いろいろ派生してスケジュールは埋まっていく。
好きなテレビ番組を楽しみにするというのもアリ。
夫のテレビ好きを非難できない。
ただ、与えられるものの中から口を開けてイージーに選ぶのが、ヘンコなわたしはどうも抵抗がある。
自分で作ろうよ。
オリジナル。
またはカスタマイズしようよ。

まあ人それぞれ。
夫のような受け身タイプは、突拍子もないことも言い出さないし、非常にやりやすい。
満足を満たすレベルが低いので、何かを追求することもないし、不満が少ない。
伴侶にするには悪くないかも。
どうにでもなる。
わたしのようなマイペースタイプには合っているかも。
じつに素直な、アクのない、クセのない人である。

今日がつつがなく、何ごともなく平穏無事に暮らせるのも、この人のおかげである。
いなくなればなったで、その時はまたその時のこと。
過度な依存は良くない。





テレビ

2022-06-19 | 日々のこと
日曜日の都心、ランチ時間はゴチャゴチャすごい人。
人ごみに、すっかり疲れた。
自然の中、だとか、人がほとんどいないところだとか、そういうのが良い。
窒息しそうだ。
歳を取ったものだ。

最近、人と接するのが苦手。
テレビ番組でも人があれこれ旅したりするのを見ると疲れる。
この俳優さん、もう若くはないのに、ご苦労様、と思うのは番組の後半のほうで、ワンパターンリアクションのタレントか、女子アナの食レポを見ていると、うんざりする。
その空気感が伝わり、気づかれする。
芸がない。
仕方ないから、チャンネルを変える。

人のやり取りではなく、ブラタモリのように、地理や歴史の説明を挟むほうがまだマシ。
とは言え、あまり見たい番組もなく、テレビを切ることになる。
ニュースも、なんだか暗い気持ちになる。
そういう時は、早めに寝る。

夫が大型テレビを買うと言う。
はあ?
どれだけテレビが好きなの?
今のでも十分、大きいじゃないの。
性能、機能、大きさ、全然、問題ない。
まあ仕方ない。
人の生き甲斐を奪う権利はわたしにはない。
ほんの数分でも、数十秒でもあれば、テレビをつける夫。
いったい、何が見たい?何がしたい?

孫たちが来ていても、テレビをつける。
何が見たい?何がしたい?
(幼い日の孫のこの瞬間は二度と見られない。
寄り付かなくなるのは時間の問題)
しかも生放送ではもちろんなく、録画したものや、ケーブルテレビの延々と時代劇が続くものだったり、ゲーム的なものだったり。
孫が来ていても見なければいけないような、見逃すと、えらいことになるような番組?
しかも大音量。
た、す、け、てぇ〜。

世の中のご夫婦は、仲良しだから、こんなことはないのだろうけれど。

テレビ、テレビ、テレビ、、、
そんなにテレビは面白い???
わたしには、さっぱりわからない。
理解を超えている。

人には人の楽しみがある。
踏み込んではいけない。
が、、、
はぁ〜〜、ため息、どこに仕舞えばいい?
どうやって消せばいい?

人は人。
自分とは違う。
理解できなくても受け入れられなくても、無理しないこと。
何ごとも無理は禁物。
なんの解決にもならないが、世の中、そんなものである。

推薦教科書のようなブログ

2022-06-18 | ブログ
同世代の女性のブログをたまたま読んだ。
丁寧で地に足が着いた、とても堅実な暮らしをされている。
毎夕飯の写真をアップされ、全て手作り。
食事以外の家族のことや日常生活も百点満点。
参考になる。
わたしには真似できない。
仮に真似しようとしても、一日坊主。
この違いは何か。
キャラクターの違いである。

じつに考え方もしっかりしておられ、ふむふむと諭されたり役に立ったり。
同世代ならではの共通点もある。
が、真逆ポイントが大きくドカンとある。
わたしは、手抜き人生。
彼女は真面目人生。
なので、見習うべき教科書になる。

人には人の人生があり、羨ましいかというと羨ましくはない。
比べるものではない。
彼女の記事にもあったが、羨ましく思う時は、自分のこころが疲れている時なんだそうだ。
ふむふむ、メモメモ。

お互い、無いものを持っていると思われる。
まあそれはそれ。
わたしは真面目な常識人が好きなので、彼女のブログは安心して読める。
ちょっと離れたところの先輩、といったかんじか。
ただし、彼女のほうが、わたしより3歳下。

わたしは、破茶滅茶な人が好きかどうかというと、そんなことはない。
個性的な尖っている、鋭利な感性も斬れ味鋭く快感だが、それはあくまでもアクセント的に味を効かせるため。
基本的には安定した骨太の平凡な人が好き。
冒険は人にしてもらって刺激のお裾分けをいただき、自分は安心、安全なコースを行く。
安心コースはドキドキハラハラしないので、破茶滅茶な人のテイストは、そのための活性剤として。
アドレナリンは常時、出す必要がない。

ということで、トンガリさんは刺激剤として、マジメさんは精神安定剤として、枕元に置く。(スマホの中)

超絶マジメさんは、拍手喝采。
ただし、ずっとだと、しんどい。
トンガリさんも、ずっとだと壊れる。
自分の症状に応じてビタミン剤を使い分ける。
あくまでもビタミン剤である。サプリメント。

本当のクスリは、身近にありすぎて、毒にもクスリにもなる。
成果としては、たいして目を見張るほどでもない漢方薬あたりがよろしいかと。
マジメさんが言っていることは力がある。
だが、トンガリさんの、突拍子もない発言は、意外に効果がある。
一筋縄ではいかないことや、理屈ではどうしようもないことなどに、突破口を開けることもある。
研究などでは、こういうことがキッカケになる場合があるようだが、日頃の積み重ね、努力の後に発揮すると、わたしは思っている。
基礎なし、下積みなしにいきなり光を浴びると、後が大変。
先は長いので。

過去の栄光だけで生きている人もいるが、それはそれで素晴らしい。
一生、1μも栄光とは縁がない人がどれだけ多いか。
自分の栄光を糧に生きてどこが悪い?
なので、わたしは自慢タレの人の話を苦痛でもなんでもなく聞くことができる。
これは、特技の範疇に入るだろう。
また逆に、愚痴をこぼされるのも苦痛ではない。
わたしの脳が緩んでいるだけかも知れない。