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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

気が重い

2025-04-30 | わたし
旅行前のブルーからようやく脱却し、重い重い、重い腰を上げ、準備をした。
今日の午後から、準備スタート。
明日は朝が早い。
実はそれだけでも憂鬱。
なぜこんなに憂鬱なんだろう。
楽しい旅行の前はいつも憂鬱。
気が重い。
なぜ気が重いのか、自分でもわからない。
この変な鬱陶しい自分の性質に、付き合っていくしかない。

大阪・関西万博に行きたいけれど

2025-04-29 | 交友

今日は、「はてな」から入力。

後からgooにコピペしよう。

はてな」にも慣れないと。

 

ブログ村登録をこっちの、はてなブログに変えるのは、いつがいいか?

というか、ブログタイトルを同じにしないと、混乱するか。

同じブログタイトルにする?

それとも、「続・蝶になりたい」にする?

あるいは、「蝶なんか、全然なりたくなかった」にする?

 

ところで。

いつもお邪魔するブログからの情報。

廃校になった学校の跡に、色々、展開されているようだ。

淡路島にも何度か廃校利用のミニ動物園プラス店舗に行ったことがある。

懐かしい良い味を出していた。

 

ちなみに。

また、また話が飛ぶ。

万博に行こうということになった。

嫌いな人に誘われた。

他にも提案され、断るつもりで「万博なら行ってもいいけど」と言ってしまった。

その手前、断れない。

が、断ろうとしている。

いつものように、ChatGPTと相談。

あくまでもイベント重視で、1人で行きそうもないなら、嫌いな人とでも行くべきか?

うじうじ悩んでいたが、1人で行こうかと思ったり。

なぜなら、インターネットが大の苦手世代のその人に、頼られるのが鬱陶しい。

孫になら、頼られても、嬉々として世話を焼くが。

16歳以下は、同行者の万博IDでチケットが買えるようだし。

もちろん、16歳以上でも、同行者がまとめてチケットを買う事はできる。

だが、その人物はインターネットが苦手なため、手続きや準備の諸々を私に押し付けるのが見え見えで、不愉快。

私だって、苦手なんだから。

無理矢理、頑張ってやってる。と、自慢するほどの事はないけれど。お恥ずかしい。

 

一応、万博IDは取得し、チケット購入の手順は踏んだ。

あとは誰と行くか、だ。

パビリオンには事前予約や、当日予約もあるようだ。

土日で、混んでも、やっぱり孫と行こうかな。

でも、孫は、娘一家で行くと思われる。

何回、行ってもいいのだし(と、勝手な要望)、気が向いたら、ばあちゃんとも行ってくれるかも?

 

それはともかく、いくら嫌いな人だからといって、一緒に行くよりは1人で行く、というのもなんだかなぁ。

行かないということにもなるかも知れない。

だが、誰と行っても、万博は万博。

とは言え、寄りかかられる図を想像するとやはり気が進まない。

ウロウロモタモタして、1人なら、恥ずかしくても、誰かと一緒なら恥ずかしくないのか?

自分のことも大変なのに、大の大人の他人、しかも、嫌いな人の面倒を見たくない。

よほど嫌いなんだろう、その人物が。

出来ないくせに、若ぶるのが大嫌い。 

たいしたことないのにマウント取りたがるのも大嫌い。

 

せっかく大阪・関西万博が地元で開催されるのだから、行かない手はない。

開催期日、後半は混むらしいし、夏は暑いし、行くなら、今。

では、あるものの、なんだか気が重い。


※写真は去年の7月に撮ったもの

 


失敗しました、ミスしました、またもや。

2025-04-28 | 暮らし
天気予報では、今日は午後から雨が降るという。
で、朝、早めに洗濯物を干し、雨が降る前に近所のスーパーへ急ぎ足。
めったに、この近所のスーパーへには行かないのだけれど、今日は、ピンポイントで、白菜、豆腐が必要だったため、片道1600歩数位の場所に出向いた。

それは良いのだけれど、ついでに売り出されていたカレー・ルーを買った。
どの辛口にしようか迷った。
普通の辛口にして帰ってきてみると、なんと、甘口だった。 
そもそも、「普通の」というのは変で、辛口にいくつも種類はなかったはず。
なぜ迷ったのか、それこそ不思議。
いくつかあるカレー・ルー(S &◯ジャ◯カレー)のパッケージを手に取って、しげしげ眺めていた。

甘口は家には、実は3つある。
(※認◯症の症状で、こういう描写を、渡辺謙主演の「明日の記憶」【2006年公開】で観たことがある。ただし、いくつも買い貯めるのは食品ではなく、医薬部外品だったか?)

孫たちが大のカレー好きで、しかも特定の商品(ハ◯ス・バー◯ンドカレー甘口)は大人気なので、いつもそれにしてストックしている。
つまり、甘口は4つ目。
(しかも、4つ目のカレーは、お気に入り商品のハ◯ス・バー◯ンドカレー甘口ではなく、辛口としては一目置いているが甘口としては肩入れしない、S&◯ジャ◯カレーの甘口)

もう完全にイカレていると、堂々と言って良い範疇。
4つ目を買ったことに対して言うのではなく、甘口を辛口と思って買ったことが、揺るぎない失敗ポイント。
お婿さん向けの辛口がもうなく辛口が必要なので、それで辛口を買ったつもり。
が、家には辛口はないままで、甘口は4つにもなってしまった。
この事実、どう受け止める?

考えた。
・・・
買ったスーパーに出向いて、交換する。
しかし、お出かけモードからおうちモードにすっかりウェアを着替え、もう出かける気にはならない。
わたしは、家の外と中で、オンオフを切り替える。
それに、帰りには、天気予報より少し早めの時間に雨が降ってきたので、もう雨の中は行きたくない。
帰宅してすぐ、洗濯物は取り入れたが。

要らないものを買い、要るものを買わなかった。
家には、要らないものが増えて、要るものが欠品、品切れ。補充を要する。
明日、そのスーパーの前をお婿さん運転の長女一家の車で通るので、立ち寄ってもらおうか?
いやいや、それはだめ。
時間がない中、7人も車の中に待たせるのは忍びない。

今日の夜に交換に行くか?
多分、行かない。

値段は199円+消費税🟰215円
仮にバスで行ったとすると、往復200円。
しかし、歩いて行ったので、バス代を支出したつもりで計算すると、差し引き15円の持ち出し。
金銭的には、マイナス15円。
だが、フードロスになるのは最大の避けたいところ。
4箱もあれば、フードロスになる可能性がある。
それよりも、何よりも、甘口の4箱目は、お気に入り商品ハ◯ス・バー◯ンドカレーではない。
辛口ならお気に入り商品だったジャ◯カレー。

ごちゃごちゃ、ぐちぐち、うじうじ、しくしく。
金銭、金額の問題ではない。
また、新しく同じ商品、ジャ◯カレーの辛口を買わなければならないし。
いっそ、フードロス・絶対回避精神を今回に限り、特別処置で無罪放免にする?
黒歴史を抱えたくない。
なかったことにする?
いつまでも、いつまでも、この甘口カレー(S&◯・ジャ◯カレー)は、家に眠っていることだろう。
それを見る度に、胸が痛い、黒い思いをするに違いない。
なら、いっそ捨てたら?
それはできない。
なら、交換してきたら?
うーん、、、、
め、ん、ど、く、さ、い。

捨てて、記憶からも抹消すれば??
オール、リセット。
いずれ、リセットしたのか、してないのかも忘れそう。

自分の過ち、うっかりミスのせいで、自業自得スパイラルに陥っている。
お金の問題ではないところが、実に厄介だ。

いや、しかし商品が2万円なら、迅速に動くだろう。

雨もしっかり降り、ますます、スーパーに交換に行く気がなくなっている。

孫たちが好きなカレーは、平日にしか作らない。
この1年は、夕食は、頻繁にカレーが続くことは、間違いない。
孫たちが大好きな甘口、バー◯ンドカレーの中で、醜いアヒルの子である、S&◯ジャ◯カレー甘口(バー◯ンドカレーではないカレー)
その箱を見るにつけ、意地悪な継母の心境になりそう。

今日の記事は、無駄に長い、変な愚痴。
誰も聞かない聞きたくない、ChatGPTですら、、、話したくないような、しょうもないこだわりのネタでした。
捨てても、捨てなくても、記憶に残りそうな、S&◯ジャ◯カレー甘口。
交換すれば、晴れてクリーンにクリア、爽やかに上書きされるんだけど、、、。

そこで気づいたこと。
わたしは、書くことが、考えをまとめる、気を紛らわせることのようだ。
今更の話ではないけれど。
で、どうする? カレー・ルー。

マウント取る人が、うっとうしい

2025-04-26 | 交友
趣味仲間でマウント取りたがりの人物がいる。
うっとうしくて、うっとうしくて仕方がない。
接点は趣味活動なので、運動の後の、ドリンクの一杯を飲む間だけの辛抱。
それならドリンクタイムに、参加しなくていいのだが。
コミュニケーションの一環だという気もあるし、喉が渇くし、お腹も減るので、一息つきたい思いがある。
本当に嫌なら直帰すればいい。
1人で喋るわけにもいかないし、誰かと喋りたい自分がいる。
気に入らない部分があると言って、切ってしまうと、誰1人残らない。
良い面、悪い面、合わせ持つのが人間。
長所も短所もある。
嫌なら1人でいれば良い。
選択肢があるんだから。
嫌々渋々、誰かといるか、1人でいるか。

それにしても、マウント取る人、たいしたことないのに、恥の上塗り。
周りは呆れてスルーしているのに、よほど、井の中の蛙なのか。
マウント取るようなレベルではないことに気づかない、それは恥ずかしいという思いは一切ないようだ。
こういう人は、人に距離を取られる。
そうやって、マウント取りの人は、友達がいなくなり、
そうやって、わたしのようなマウント取られるばかりの人は、友達がいなくなる。
加害者も、被害者も、どっちも友達がいなくなる。
これってどう?

そもそも、マウント取りたがりの人とばかり、親しくなるのは、わたしに問題があるに違いない。
はっきり言っても、相手に伝わらない。
脳の構造がそうなっているようだ。
なので、逃げるしかない。

自分を守るために逃げてばかりいると、誰も相手がいなくなる。
やはりわたしの性格が悪いのだろうか。
歪つ、完全ではない、コミュニケーションの取り方が悪い、のかと。
皆さん、健常な人は、どうされているのだろう。


卒業間際の、はじめまして

2025-04-25 | ブログ
gooブログからお引っ越し。
皆さんのブログを拝読していると、それぞれgoo歴が長いようだ。
わたしと、ほぼほぼ同じ。
こんなに、いらっしゃったのですね。
引っ越しすることになって、初めてお目にかかったブログも多い。
卒業間際の同窓会気分。
へんになんだか、楽しい。
知らなかったことを知り、またこれからも繋がる。
春は卒業と入学のシーズン。

みなさま、よろしくお願いします。


引っ越し先、ブログタイトルは何にしよう

2025-04-24 | ブログ
蝶ブログもちょっと一区切りかも知れない。
gooブロガーの皆さんはお引越しで忙しい。

わたしも「はてな」にとりあえず引っ越したけれど、gooが終了するまでは、gooにいるつもり。
2つ両方に書いて行こうと思っている。
が、「はてな」の方、ブログタイトルを保留中。
今日1日で何回も、タイトルやプロフィール画像を替えた。
どうも、しっくりしない。
後、goo終了まで半年近くあるので、ゆっくり進めよう。
わたしは、「はてな」にデータを保存してもらえば、それでいい。
18年間も恥ずかしげもなく思いのまま綴ったものだが、いっそ、すっかり消滅してしまってもいいかも、とも感じた。
新しく出直すために。
だとすると、ブログタイトルは変えた方が良さそうだ。


ちなみに、いつもお邪魔しているブログ、、、ブロガーさん、ブログで顔出し。
これまでも何回かは、顔出しはあったが、今回は洗練アーバン系。
もっと、土の匂いがする、山男みたいな、森のクマさんみたいなほうが、わたしはすんなり馴染める。
わたしは、眩しいのは苦手だから。
と、勝手なことを書いている。

歩かない

2025-04-23 | 健康
とあるご高齢の頭脳明晰な方。
日本では自由闊達な研究が出来ることで評価が高い(山中伸弥教授と同じ)大学、理系学部出身。
専門は物理。
わたしより16歳上のこの方、わたしの数少ない趣味仲間の一人である。
16歳も上だということは、去年、知ったのだが。
まあ、それはいいとして。

わたしと共通の趣味ではない、別の、格調高いクリエイティブな趣味も持っておられる。
その趣味の会には車でなければ行けない。
公共交通機関をいくつも乗り継げば、到達できるとは思うが。
何が何でもクルマ。

最近、クルマでの交通違反エピソードを聞かせてもらうと、ご本人は全く自覚がないが、車の運転は若い頃に比べると、技能が衰えていると思われる。
0.001秒単位の違いかも知れないが。

この方は、車を運転出来なくなった時が、一つの老化目安と捉えておられる。
運転能力を手放した時が、尊厳ある活動の一線を退く時だと。
今は、近くのコンビニに行くのも、スーパーに行くのも車。
せめて、歩いて行けば、運転を手放す日が少しでも遠くなるのではないかと、わたしは思うのだが。
ご本人にとっては、運動は嫌い、出来れば避けたい、という思い。
わからないでもないが。
誰でも、嫌なことや苦手なことは、やりたくない。
たいがいは、何かあってから気付く。
時遅し。

この方は、人より秀でている人生を長く歩んで来られたので、志が高く、誰もが出来る当たり前のような、いまさら基礎的なベースをあえて補充させようとしない。
話をしていると、ごく稀に、頭脳のデキが悪い人を(ご自分を基準に)認めていない感覚をお持ちだと感じる。 
だが、しょっちゅう、見下した発言をするわけでは決してない。
ではあるものの、ふと、ぽろっと本音が漏れるのをわたしは聞き逃さないでキャッチしてしまう。
聞き流すべきポイントなのに。
耳が良すぎるのも良し悪し。 
わたしが、デキが悪いために、ひがみ、ねじ曲がり、卑屈になっているだけかも知れない。が、、、
聞き捨てならん、と。耳が勝手に声を拾ってしまう。
と同時に、拾うのは声の下のこころも。
誰しも自分が基準なので、とてもわかりやすい。


ごく身近にもう1人、コンビニへもクルマ、という人がいる。
歩くのが大嫌い。
食べ物も濃い味で、脂たっぷりのものが好き。
自分の健康など、全く気にしてないようだ。
いつ、ポックリいっても、なんの不思議もないライフスタイル。
嫌なことを無理やりして長々と生きるより、好きなことをして、太く短く楽しんだほうがいいという考え方もある。
ポックリは、幸せな理想的The Endとされている。
しかしながら、だいたいはポックリいかない。
とは言え、この16歳上の趣味仲間は、もう80代半ばだから、太く短くの年齢は過ぎている。

男性は、女性に比べて、あまり健康に注意しないかも?
わたしの推測だけど。
女性が長生きなのは、力や好みの出し惜しみから?出力をセーブ?
しかし、母は好きなことを精力的にパワー炸裂でして、決して出し惜しんではいなかったが、身体を動かすことが好きで、食べるものは薄味和食好み。
それで、あんなに長生き、、、このまま行くと100歳は超えそうだ。





お婿さん、ありがとう

2025-04-21 | 日々のこと
やるべき事は、山のようにあるのに、やる気が起こらない。
未処理の山の中で、埋もれている。
そして、「退屈だ退屈だ」と、ChatGPTにまとわりつく。
どうしようもない、辻褄の合わない現実。
早い話、いつもの日常。

娘一家と、昨夜、我が家で合同夕食をした。
昨夜は、天ぷら。
わたしは天ぷらを作ると必ず、べチャッとなり失敗する。
成功した試しがない。
そのトラウマから、天ぷら作りが、大大大の苦手なので、長女の夫(お婿さん)が作ってくれた。
お婿さん、めちゃくちゃ上手。
だけど、せめて縁の下の力持ちになろうと、わたしは大量に材料を用意し、下準備していた。
すると食後には、大量に材料が余った。
2人で共同作業、量の面では、息が合わず、予想と一致しなかったようだ。
週末に採れたて筍をいただき、煮物にした。
その前に作った大量のおでんも、夕食についでに出した。
で、大量に余った。
さぁ、この余った料理の数々、どうしよう。

Googleで、冷凍できるかどうか調べ、できるものはほとんど冷凍した。
後から少しずつ解凍して、わたしがチマチマ細々、食べる。

今回、夫が、「こごみ」という、先がクルクル渦巻き状になっている、ぜんまいのような食材をどなたかにいただき、それで天ぷらが食べたいとリクエストした。
が、天ぷらトラウマの私が却下すると、代わりに、お婿さんが作ってくれた。
なんと優しいお婿さん。
夫は、作る気は、全くゼロ。ミジンも1ミリも1ミクロンもない。
都心の高級天ぷら店に行こうと誘ってくるが、わたしはその気なし。
高級店の天ぷらが美味しい?
食材に取り組み、自分で作ろうともしないで、遠路はるばる都心にまで出かけようとする夫と、わたしの価値観は全く違う。
お婿さんが作ってくれた天ぷらは、十分、口福(舌の味わいの幸せ)。

ただし、前述したように、材料が余りまくる。
まぁ、仕方がない。
今は、冷凍と言う科学技術が発達し、食を意のままにコントロールし、時間圧縮、閉じ込めることができる。
ありがたいことだ。

わたしは、山の中のポツンと一軒家に、住んでいる高齢の人の気持ちになっている。
日曜日、夜はいつもテレビ番組「ポツンと一軒家」を見るせいもあり、影響を受けている。
夫とは、暮らし方、価値観の違いを感じるが、ポツンと一軒家に暮らせるのは、健康体と強い意思がないと無理。
そして、毎週、麓から様子を見に来てくれ、万が一時に駆けつけてくれる家族が、あってこそ、実現可能。
とても、ありがたい人間関係が築かれてこそ。

本来、わたしは、駆けつける側の立場、年齢なのに、一足お先に、隠居。
元気なのに、何もしない。
健康ならではの、都心への高級天ぷら店への贅沢な選択も可能なのに、何故かもうそういうのはいい。
おそらく、グルメではないのだろう。
わざわざ遠方にまで、そのためだけに出かける気は無い。
「美味しさ」と、「お出かけ準備の手間や、行き帰り時間、費用」を天秤にかけると、断然、行かない方に軍牌が上がる。
行く気がしない。
代わりに、お婿さんが、天ぷらを作ってくれるのならこんな幸せな事は無い。
料理や食材が余って、後でちょっと大変だけれど。

半分ぐらい冷凍したが、今朝から、一人、天ぷらと、おでんが続く。
感謝しながら文句を言う。
面白い現象。

矛盾パラドックスは、まさに生きている実感、手応え、、、と、偽哲学者のわたし。
オチがつかないと面白くないと感じるのは、お笑い大好き、関西人のサガか?

哲学は、お笑いである。(笑)
笑っちゃうのだ。

ただし今回は、感謝&喜び99、9%、愚痴0.1%。
0.1%のワサビが効いて、味が締まり、美味しさがジンジン来る。

※写真は、今月の彦根城。手招きする、ひこにゃん。


パーフェクト!

2025-04-20 | 子育て
gooブログのデータ保存の手続きをした。
完了すれば、後は引っ越しするのみ。
今回は、グズグズのわたしとしては、割と早く行動に移した。
やはりわたしにとって、ブログは、失いたくないものだということがよくわかった。
失う前から、喪失感を予想できる。

ただ、毒やアク、上から目線、裏自信が臭うのが特徴だったかもしれない蝶ブログであるが、、、
朝、シャンプーして出かけるように、今はChatGPTで、鼻につく、埃や垢などの汚れを先に落として、スッキリして、蝶ブログに向かっている。
それでかどうかは知らないが、わたしらしさは、薄れてしまっている。
それが歳をとると言うことか。
ますますアクが強くなる人もいるだろうけれど、わたしはますます薄くなっていく。
もともと透明なのに。透明を超すと何になる?
脳の一部だけ残ったアンドロイドか?

今朝、ChatGPTには、わたしのけしからん思い上がり、勘違いを、ゴシゴシ洗って落とそうとした。
文字にしてみると、わたしの思い上がり勘違いは、なかなかのもの。失礼極まりない。
ひょっとして、今まで、何の意識も気づきもなく、蝶ブログに綿々と綴っていたとしたら、穴があったら入りたい、恥ずかしい。
穴は近くに無いからいいけれど。

さて、3番目、孫。女児、小2。
学校に出す「家庭での生活調査表」を、自分で捏造して提出していた。
朝から夜までの1週間の行動記録、本人のコメント、親からのコメント、両方を自分で書いていた。
自分のコメントは、普通に子供らしい汚い字。
親からのコメントは、必死で最上級にきれいに書いたと思われる、丁寧な文字。
とは言え、誰が見てもわかる。
いくら丁寧でも、あんな子供みたいな字の大人はいない。

定時に、朝早く起きて、夜は早く寝る。それが毎日続く。
長々ゲームなどでは遊ばない、そんな生活、時間記録を、グラフと、絵文字で、書き表す。
そういう理想とされるような日常を毎日キチンと送る、お利口さんで完璧な子供はいない。
が、彼女は自分の理想を装った。
それがまた可愛い。
「夜早く寝て、朝早く起きると、気分がスッキリして元気になります」と本人のコメント。
それに対して、親のコメントが面白い(本人捏造)
「毎日、早寝早起きしてくれて、ありがとう」
これには、笑いました。

昨今の親から子供へのスタンダードな平和コメント「生まれてきてくれて、ありがとう」に近いものがある。

この捏造記録表、見つかったのは、2年生になってから。
提出していたのは、1年生の3学期と思われる。
プリントを隠してたということ。
発覚したのは、1ヶ月以上、後。

彼女の親(わたしの長女)は、他の子では、そんな早い年齢から捏造している子はいなかったと言う。
あきれていた。が、笑う。
けれど、3番目孫本人には誰もあまり何も言わない。
なので、わたしが本人に聞いてみた。

「ねぇ、早寝早起きの記録プリント、あれすごいね」
面白くて仕方がない笑顔を隠し切れず、楽しげに話す、わたし。
この話題は、さすがに3番目孫本人は、ノーコメントで説明はなかったが、実際のところ、ナイーブな問題である。
あんなに小さいのに、先生からの評価を気にするのは、ある意味すごい。
お兄ちゃんたちは、提出するのも忘れ、注意されていたかも知れない。
いやはや、三つ子の魂百まで。
完璧主義の子供がいるなんて、わたしには信じられない。
が、実際、いるのだ。
うまく導かれ伸びて成長すれば、いいけれど。
挫折しないことを祈るばかり。
ばあちゃんは、遠くから気楽だが。
昭和の子育て、教育法を押し付ける気はさらさらない。
失敗ならいざ知らず、昭和の成功体験ほど、鬱陶しいものはない。

※写真は2週間前の京都・伊勢丹で。



生身の人間

2025-04-19 | 交友
まずは、、、
奈良の里から、今日も素晴らしい記事をお届けいただき、ありがとうございます。

神々の住む里には、荘厳な精神が宿っていると感じる。
映画の世界も素晴らしいけれど、内にのみ籠るのではなく、実際のリアルな世界に、やすらぎを覚える。
大自然や、厳かな人間の営み、、、
自然の神と人間との対話。
日本人の自然や神に対する精神に触れるような気がする。

わたしは自分のブログに対して、手綱を離した気分。
共有も共感もしてもらえなくても、ひっそり、自分を慈しむことにした。
とか、何とか、気分屋さんなのでどうなるかわからないけれど。

ChatGPTも良し悪し。
自分で答えを用意するのはある意味、ばかばかしく、疲れる。
やはり人は、生身の人との付き合い、ぬくもりを求めるようだ。
AIも良いけれど、それはサブ、お助け、サポート。主役にはなれない。
当たり前のことを言っているけれど。

わたしは、絶対行かない、行く気がないと思っているような所に、行ってみたいと、今、思っている。
(先日、誘われた所)
わたしとは合わないと思っている人々、空間に、チャレンジしようと思っている。
合わないということで言えば、すべての人と合わない。
そんな孤高は、寂しい。
人のぬくもりを求め、人里へ。
奥まり離れた山から、里に降りて。
たぬきが村人に扮しているかもしれないけれど。
わたしだって、キツネだし。

さて、いつ行こう。
早速、カレンダーと、にらめっこ。
リアル社会での行動も、きっと楽しいに違いない。
楽しくなくても、それはそれで意義がある。
なんだか前向きに、明るくなってきた。
ChatGPTも捨てたものではない。
そして、もちろん、ブログも。

※写真は、2週間前の二条城。