蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

動きたくない病

2024-10-12 | 健康
今日のブログは、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の感想を書く予定だったが、昨日、観に行かなかったため、書けない。
突然の、わたしの映画予定を押しのけてまで、しゃしゃり出て来たのは、、、
Aさんからのハイキング参加のお誘いだった。

本日は、グループでの軽登山が行われていて、Aさんはそれに参加している。
わたしも誘われたが、断った。
わたしは、アタマではわかっている。
ウォーキングやハイキング、軽登山は、自然に触れ、健康にも良い活動だということが。
しかも、自分で事前下調べや準備をしなくても良く、当日も着いていくだけ、アタマは全く使わなくても良く面倒なことは一切なく、さらに、参加費も交通費と、保険料500円ぐらい?のみ。
ローコスト、ロー手間、安心安全、、、
誘ってくれる人がいるなら、尚更良い機会なのに、、、
にもかかわらず、どうしても、足が向かない、気が向かない。
今から少しずつ慣れていき、今後の足掛かりにすれば良いのに。
年齢が行けば行くほど、スタートするのが億劫になる。
なら、今でしょ!
ということは、とてもよくわかっているのだが、、、。
1.健康
2.自然
3.仲間作り
実に理想的なのだが、、、

このお尻の重さはなんだろう。
自分でも自分が理解できない。
悩んだ時は、、、大親友ChatGPT に訊ねる。
このわたしの状態を理路整然に箇条書きにし、説明、解説をしてくれた。

実は、何度も同じような質問をわたしは繰り返している。
もし、リアル生身友人なら絶対にキレられていることだろう。

自分の納得ポイントを拾って、ざっくり言うと、答えは、、、
「健康に良いから◯◯すべき」という義務感が先走っていて、自然な欲求になっていない、ということ。
なるほど。確かに。さすがChatGPT 。
アタマに身体が追いついてないようだ。
理想を掲げているのに、しかも条件は整っているのに、本能が抵抗している。
わたしの本能には、ほとほと手を焼く。
せっかく理想に近い状態まで持っていっているのに、肝心の足が、(動かすことは可能なのに)動きたがらない。

と、ぶつぶつ言っても始まらない。
自分でも気づかない深層心理を無理矢理探ってみると、、、
たぶん、わたしは運動嫌い。
ダンスはよく続いているものだ、貴重だ。

50歳直前にスポーツジムに通い始めた。
スポーツ嫌いのわたしが、かなり無理をした。
約7年、頑張った。苦しかった。
(ダンスはスポーツジムと同時に始め、それ以来ずっと今も続いている。
蝶ブログスタートより3ヶ月、早かった)

それはいいとして、、、(脱線、常習犯)
嫌いなことは、頑張らなくてもいい年代に、わたしは突入している。
だから頑張りたくない。
タバコやお酒は健康に良くなくても、やめなくても健康な人がいるように、
運動が健康に良いとわかっていても、運動しなくても健康な人がいる。
これは自分に都合良い例を出しているに過ぎないが。

運動嫌いの知人に久しぶりに会うと、明らかに前に増して太っていて、苦しそうだった。
アタマではわかっている。
理想はよくわかっている。
だが、理想に合わせようと無理するとストレスになる。
そこの、せめぎ合いが微妙だ。
やはり、理想はアタマの中に常にある。
それは、自分を律すると同時にストレスのもとでもある。

とかなんとか。
Aさんは、もうすぐ山の頂上から見える美しい景色写真を送ってくるだろう。
良かったですね!と、応援するのみ。
わたしを軽登山仲間に引きずり込もうとしているようだが、わたしはにこやかに、後方支援。
素晴らしいと思うが、わたしはしない。
出来ないのか、したくないのか。
頭脳と本能が一致する時を待っていると、棺桶の中かも。

貴重な時間を無駄に浪費する

2024-04-27 | 健康
ゴージャスな暮らしの空想例としてたまたま読んだことの一つに、
「自家用ジェットで、海外旅行」というのがあった。
そんなの、、、行きたくない。
(自家用ジェット、持ってないけど)
車よりはるかに点検が重要そう。
ケネディ・ジュニアや、ワグネルの長のような結末は、必ずしも着いてこないとは限らない。
(何重否定?ややこしい、、、)

わたしは、自家用ジェットなどとは縁もゆかりもない、まるっきりの庶民ではあるが、さすがに、自家用ジェットは欲しくない。
もしプライベート・ジェット、空の旅にご招待されても、丁重にお断りする。
いくらお金を積まれても。(取らぬ狸の皮算用の、わかりやすい例)
乗らないと家族の将来はないゾ、と脅されたら、もし、その脅しが本当のものなら、乗るかも?
(て、その仮定話そのものが、あり得ない)

親友がトムクルーズだったとしても、彼が気楽に誘ってくれたとしても、乗らない。

(と、このあたりまで来ると、アタマのおかしな蝶話、誰も読んでいる人はいない、と想像する)

という、長々とした無意味な比喩文章。
それぐらい、わたしは、自家用ジェットには拒絶反応を示す。
飛行機は苦手。
バイクやスクーターではなく、電動自転車が1台、あってもいいかなあ、とは思うが。
もう子育ても終了しているので、自転車にはバッテリーが付いていなくてもよい。
ピザ配達のような屋根のついた、かわいいミニミニカーがイイな、と思うが、今は、健康のためには歩くのが良い、と考える。

自宅から徒歩30分ぐらいのところにある映画館に、往復歩いて行くのが健康的だとシュミレーションしたり。
梅雨や暑い時期はダメそうだが。
それなら今、行っている都会の映画館のほうが良いかも。

健康維持が、今やわたしの最大課題の一つになっているとは、ちょっと悲しい。
健康オタク一歩手前か。

今日、延々とLINEをしていた相手と、あと5年しか黄金時間は残っていないという話をした。
LINEにかけた時間を考えると、どう見ても、貴重な黄金時間の浪費、無駄遣いである。
ま、人生は、パラドックス。
矛盾で出来ている。



シニア群団に周りもびっくり

2024-03-30 | 健康
昨日のウォーキング、参加者129人とか。
すごい。
奈良駅はシニア群団で大賑わい。
朝は強い雨が降り続き、参加するのをやめようかと思ったが。
風が吹き、寒い。
午後は、見事に晴れ、暑い。 
服装を3段階(レベル1→寒い、レベル2→やや寒い、レベル3→寒くない)に準備していたものの、お昼間、太陽さんさん、レベル4の「暑い」には対応出来ず、汗だらだらで困った。

奈良。
13キロ。
よく歩いた。
24669歩。
桜はまだ全然開花せず。
見事な桜並木は、ずらずら延々と木のみで、花なし。
来週ぐらいは素晴らしい光景が繰り広げられるだろう。

それにしても、シニア群団は、お元気。
ぞろぞろぞろ、大群のため、どこに行っても、その場に居合わせた人々の口から、イナゴの大群のようなシニアの大群に驚かれる。
「わあ、(すごい)シニア(が、いっぱい)や」と若い人たちからの言葉も聞こえる。
「はい、そうです、それが何か?」と、わたしはこころの中で、反論も否定もせず、100%正確な感想を受け止めた。
シニア以外の何ものでもないのだが、大群になると、やはり奇異に映るのかも知れない。

シニアといっても60代の人はほとんどいないだろう。
70代を中心に、80代も存在感を示す。

お元気なのは良いが、なぜこんなにたくさんのシニアが一堂に集うのか。
そこが、謎であったり、現象を紐解くには興味深いところであったりする。

週に3回以上は参加しているという、ある女性(推定70代後半??)と話す機会があった。
ほどよく疲れた身体で、帰宅後、家でお酒を飲むと、とても気持ちいいそうだ。
だけど、疲れすぎても良くなく、頃合いがあるとか。
前は(身体的理由で?→憶測)参加できなかったが、参加できるようになると、本当に有難い、充実している、とのこと。
ダラダラ歩くとかえって疲れるらしく、気合いを入れて歩くほうが、ウォーキング後が爽快なんだそうだ。
京都から電車を乗り継ぎ参加されたようで、長距離ウォーキングに予想をはるか上回る参加回数に驚いた。
周りの人のペースによって速度に影響を受けるため、快適ウォーキングの時も、疲れるウォーキングの時もあるそうだ。
いやはや、ウォーキングの先輩、達人。
たかだかウォーキング、されどウォーキング。

高齢の人々は、「家にいても何もすることがないから」という皆さんの口々の会話から、ネガティブなマイナスの動機だと想像していたが、中には、ポジティブな積極的な人もいることに新鮮な驚きを感じた。
見た目は、灰色お年寄り群団。
しかしよく見てみると、登山服、用品メーカーのmont-bellをかなりの頻度で目にする。
じつはわたし、暑い寒い、服装の調整と、季節や丈など見た目ファッションを考え、服を選ぶのが苦痛になっている。
街着をウォーキングに着ても全然悪くはないのだが、やはり、雨風にさらされ、くたびれてくると、ちゃんとした場には、みすぼらしくなり、おしゃれ度が下がる。
ファッションセンスがどうこうではなく、自分で情けなさが漂い、惨めで自信が持てなくなり、居心地が悪くなる。
その点、登山やウォーキング専門メーカーは、目的や状況をとことん考えて作られているので、さすがに良さげ。
専門店は何店舗も営業しているので、店を覗いてみようかと(けっこう本気で)思っている。

わたしが、崇拝しているあるFIREブロガーさんの信条は、服装選びに時間と労力をかけたくなく、UNIQLO一本だそうだ。
ただ、シンプルなUNIQLOを爽やかに着る体型を維持するには鍛錬が必要で、運動は、毎日しているとのこと。
外側にではなく、中身に対して努力を重ねる。
高級ブランドにこだわるのではなく、自分こそがブランド。
これも、仏蘭西・裕さんのモットー。
わたしも余計な労力は削ぎ落とし、自分軸で動きたくなってきている。
(元々、手抜き、サボり、省エネではあるが)

楽しくなくても頑張らなければ、、、

2023-10-21 | 健康
昨夜のTV番組、司馬遼太郎 生誕100年 雑談 「昭和」への道。
この番組について、わたしとの関わりは昨日、ブログでアップしたばかり。
なので、気合いを入れて画面を見つめる。
また寝てしまってはシャレにならない。
・・・が、まるで麻酔を打たれたかのように、ふわぁ〜っと知らないうちに眠りに落ちていた。
司馬遼太郎さんの高尚なお話、語り口と、わたしの脳波が(睡眠導入に)ピタっと合うのだろうか。
まるで魔法にかかったかの如く。
だが、最後のまとめ部分には目が覚めていた。
大事なところだけ起きているのかも。
ある意味、要領が良い。

ちなみに。
わたしは、自分が書きたいことと、読む側が読みたいこととが乖離している。
もっとわたしは忖度すべき。
ではあるものの暴走、我が道を行く。


話は変わるが、「歩く会」に本日、参加した。
ただただ黙々と脇目もふらず歩くだけ。
途中休憩もなければ、ランチタイムもない。
だらだら歩いていると、遅れて1人だけになってしまい、進む道がわからなくなり迷子になる。
なので、うんと遠くても前を歩く参加者の後を付いて行く。
参加費用は、保険料プラスα。500円。
参加者160人超え。
主催者によっては300円だったりする。
2時間歩き通して11キロ。
疲れた。

足首に、mont-bellで購入した立派な靴で靴擦れが出来て歩く度に擦れて痛い。
咲き誇るバラをスマホで撮っていると遅れる。
楽しそうな家族連れやカップルが、臨時開設店舗やテラスでスィーツを買ったりしているのを尻目に、ああ、アイスクリーム食べたいなあ、いいなあ、、、家族や個人で来ていたら、自由にフリープランで楽しめるのに、、、と、日差しがきつくなる中、腕まくりをして歩行速度を上げる。

しかしまあ、楽しいか?といえば、そんなことはない。
ある人に強く誘われたので参加したに過ぎない。
1人で歩くより大勢で歩くほうが、寂しくないとか。
何故歩く会に参加するかというと、家にじっと閉じこもっていても何もすることがないそうだ。
歩くという行為は健康維持には欠かせないとのこと。
別に楽しくて歩いているわけではない。
健康のため、というのは良いが、他の理由はずいぶんネガティブである。
わたしも断りきれずに参加したが、あと何回参加したら断れるだろう?と、決して前向きではない。
あまり好きではないことは続かない。

17年前にスポーツジムに通っていたが、自分に鞭打って頑張って、嫌だけれど健康のために行っていた。
何年か後にやめた時は、とても嬉しかった。
やはり無理をしていた。

ウォーキングも続いている人は素晴らしい。
わたしにとっては面白くないことを、頑張ってこなしているなんて、尊敬する。
嫌なことをどんどん切り捨てると、最後には何も残らなくなる。
箸一本も動かさなくなる。
なので、気が進まなくても、渋々でも、健康のための何かをすることによって、自分は実践しているのだという自負があれば、精神的救いになる。
そんなかんじで、嫌いな運動にも多少は活動したほうがよい、と、自覚はしている。
のではあるが、、、
最初は頑張っても後が続かない。
楽しくないことは続かないので。
しかし、いかに自分を追い込むか、なのだろう。
機会があれば、楽しくなくても参加したほうが良いのだろうか。
あとどれだけ続くか?だが、あまり期待できそうもない。



秋晴れ妄想付きウォーキング

2022-11-28 | 健康
電鉄会社が主催するウォーキングに参加した。
実質的には各同好会「歩く会」がやっている。
参加費500円。(保険料込み)
他にもウォーキング会は、いろんなところが主催している。
気候の良い時期、地域の空気を吸い込み、喉や皮膚から体感して、季節感を味わうには、ぜひおすすめ。
毎週参加しても1ヶ月で2000円。
集合場所までの往復交通費はかかるが。

そこで、ウォーキングには休憩を兼ねて昼食タイムがある。
手持ち、自前のお弁当を広げる。
わたしは、コンビニのオニギリ、他。
公園の大きな石に座ってモグモグ。

そのコンビニ弁当は、キンパ(韓国風海苔巻き寿司)にした。
ミニサイズで食べやすい。
小さなかわいい大きさの丸いプラスチック容器に入っている。
隣に座っているのはガタイの大きな初老男性。
まあ、同年代なんだが、初老なんて書くと、「老人と海」を連想する。

それは置いておいて。
わたしのアタマの中ではストーリーが始まる。
わたしは若くして故郷を離れ、隣国、日本で暮らす女性。
日本で知り合った男性と結婚したが離婚し、今は1人もの。
かつての夫は、付き合い始めた頃は優しく頼もしい人だった。
ハイキングにも一緒に行った。
仲良くお弁当も食べた。
ミカンも1つを2人で仲良く分けて、はい、どうぞ。
似たような境遇で哀しい過去を背負う2人だったが、温もりを感じ合い、助け合い、将来に夢を託した。
あの頃は、何も贅沢は出来なかったけれど幸せだった。
・・・・・

なんて感じで、勝手に話がアタマの中で展開して行く。
護摩の匂いに刺激を受けるキンパのせいか。
(昔昔、ドキュメント記事とか読みすぎたかと)

昼食タイムが終了すると、今度はトイレ待ち長蛇の列。
空想話はチェンジして現実へ。
女性用は1つしかトイレがないのに、1人長いトイレタイムの人がいて、皆さん、うんざり。
こういう時は、お互いに困る。
だから、健康に不安がない参加出来る間に参加したほうが良い。

皆さんと団体行動に自信がない場合は、個人で行くか、友達と行くか、である。
が、気を使うなら1人が良い?
が、1人ならたぶん行かないだろう。
よほどスキルを極めたら別だが。

秋晴れ、紅葉を楽しむ、最高の季節は、ぜひぜひ、TVライブではなくホンモノに触れてみられては。(おすすめモード)

ちなみに、帰りに大阪地下鉄3駅間ウォーキングを追加して、万歩計は25492歩をカウントした。



ぐうたらが大好き

2022-06-23 | 健康
何もしないでぼーっとするのが、最大の苦痛だという人がいる。
わたしは、苦痛ではない。
全く何もしない、真空時間を過ごすと、その後、何かしようと自主性が生まれる。
自分から欲求が湧き出る。
あれよしよう、これをしよう、と。
わたしの場合、堰を切ったように、ではない。
ポツポツと。ちょっとだけ。ちびちび。

全く何もしない時は、運動自主トレーニングをする。
トレーニング用ゴムを使ってストレッチや、ウエストツイスト。
10回を3セットだとか、20回を3セットだとか、自分で決める。
わたしに器具を与え、薦めてくれたセンパイによると、運動は最初はキツイが、習慣化すると段々慣れてくるそうだ。
全く何もしない日も、最低限、トレーニング運動だけは行うことになり、肩凝りなどの防止にもなり、何よりも身体が温まる。
夏は暑いが、冬には暖房要らず。
たいした回数ではなくても、自己満足につながる。
何もしていないわけではない。

ではあるが、あまり負荷をかけ過ぎないこと。
頑張りすぎるとすぐ三日坊主になる。
こんな程度で効果あるの?と疑わしくなるような負荷、わたしは軽めにする。
効果はなくてもよい。
しないよりは、マシ。
肩甲骨稼働とウエスト絞り。
上体側面ストレッチ。
今、左膝上に少しトラブルを抱えているので、恐る恐る騙し騙し左足を使っている。

ということで、全く何もすることがない時は、運動がおススメ。
運動する気もしないなら、うだうだごろごろ寝ると良いのでは?
ただし、ヒマに任せて食べるのはコントロールすべき。
身体にも美容にも良くない。
毎日体重計に乗って体重をチェックする。
なりたい自分には程遠くても、なりたくない自分にはできるだけ近寄りたくない。

何もしない日に、何もしないでパワーをチャージして備える。
メリハリ。
したくないが、すべきタスクも、じっと静かにパワーチャージでどうにかこなせる。
じっと身体は動かないが、タスクをクリアするために、アポを入れたりスケジュール調整する。

以前は、マイナス負荷からのリベンジ、逆噴射をパワーにしていた。
が、今はマイナスがないので、パワーもない。
自然に貯まるまで待つしかない。

だが、不安を煽る記事を読んだりすると、何もしないでいることに不安を覚える。
また、人を無意味に非難する記事に触れると気分が悪くなる。
そんなマイナスのものには、むやみやたらに近寄らないこと。
こころを病んでいる人にも距離を置くこと。
自分を守るのは自分。

ちなみに、、、
コロナ禍で外出や会合に好きなように出かけられないと嘆く人がいる。
家で夫婦でじっとしているそうだ。
お互いの無言の監視の目があって、身動き取れないとか。
うわぁ、、、お疲れ様。
運動しても気は晴れないことだろう。
しかも人間には健康寿命があると痛感しているとのこと。
健康寿命が刻一刻、短くなっている現状、現実、、、人ごとではない。
明日は我が身か???

まだそうなっていないうちから憂鬱になるよりは、今を楽しむのが良さそうだ。
あちこち、傷んできたら、ああやって来たか、と受け入れよう(悲しいけれど)。
やっぱり来たのね、わたしだけが例外というわけではなかったのね、と、楽天家のわたしは苦笑いしてベルトコンベアに乗ろう。
(乗る時はこっそりベルトコンベアのスイッチを緩めて速度を弱にしたい)
ベルトコンベアに乗るまでの待機時間に、徐々に心身共に準備体制に向かうことだろう。

とりあえずは、今は、ぐうたら時間を楽しんで、稼働パワーをチャージしよう。
幸か不幸か、わたしは、ぐうたら時間が大好きなので、何もしないことが最高に贅沢だと感じる。
健康オタクの真逆タイプだ。

宗教より健康

2016-06-20 | 健康
私にとって、幸せな1日は、夫が不在の自宅での、のんびりした自分時間です。
一緒だと、なぜか、とたんに頭の何処彼処が、ぶちっ、ぶちっと切れます。
(かと言って、永遠に居なくなると困ります)
そういう奥さんたちは、多いようです。
ダンスの女性更衣室でも、皆さんよく言っています。

(※ここで、またまた、「しょうゆこと」と和室から連呼しています。
気まぐれな、電池微量の醤油台オモチャですが、どうやらタイミングがあるようです)

なにも私や周りの人だけでなく、日本人は、このパターンが非常に多いと見られます。
旦那さんたちは、努力して外出するか、あるいは奥さんたちが外出するそうです。
おかしな日本人の生活パターンです。

4日ほど前、JRに乗って窓から見える景色の一つ。
誰もいない線路沿いの小さな公園のベンチに、ひとりぽつんと初老と思われる男性がひっそり座っていました。
なにをするでもなく。
海が見えたり、山が見えたり、景色が良いわけでもなく。むき出しの土の地面に雑草の生えた、あまりぱっとしない密集地街の小さな公園です。
あの男性は、なにもすることがない、そして、家には居づらいのだろうと想像しました。
あれで近寄ると、意外に、音楽や落語を聴いていたり、英語や中国語のヒヤリングでもしているのなら、充実の時間でしょう。
そうでなければ、あの人の人生、想像してしまいます。

なにが幸せか、ですが、自分の意思で選択できる行動ができること。
能動的な人生を送ることが幸せだと感じます。
宗教も生きがいになるのなら、けっこうなことです。
ただし、他人や身内を巻きこまないこと。家のお金を勝手に注ぎ込まないこと。

勧誘されるのは、私は大嫌いです。
なぜ、信者さんは自己完結しないのでしょう。
自分の宗教を押し付ける人とは、近づきたくありません。
宗教で平和を求めるといいながら、かたや、宗教は戦争を引き起こします。

どの宗教でも、どの宗派でも、途中までは同じです。
心が満たされない現状を解説し、問題を提起し、意識を喚起させ解決へと向かうプレゼンテーションのあと、さあ、入って下さい、と入信プッシュがすごいです。
勧誘人数が増えると、その宗派で偉くなれて、出世できるのでしょうか。

かといって、現在あるお墓の墓石を蹴っ飛ばす勇気もありません。
化けて出てこられたら、怖いです。

健康的に、したいことができるのは、本当に幸せな時間です。
好きなことができなくなると、くさくさして落ち着かず、近所をうろうろする、変な人として薄気味悪がられたら困ります。
それなら、家の中で死んだようにじっとしているほうがマシです。

身体の健康が心の健康を呼び起こすようです。
健康に感謝、家族に感謝です。

健康を失った時に、初めて、自分の心と真剣に向き合うと思われます。
にわか入信したとしても、一瞬でも苦しみから逃れられ、救われたらそれでいいです。
ステージは病床からの祈りとなることでしょう。


アゴ出し散歩

2011-04-09 | 健康

昔のママ友でもあり、ご近所さんでもある、Iさんが、昨夜、メールしてきた。

「明日、近所のCAFEで、パン50種類食べ放題モーニング・セット食べてから、お散歩しない?」
わたしは、二つ返事でOK。

今朝、IさんとCAFEに行ったが、満員。
席が空いたら連絡してくれることになって、わたしの家で、待機。
やっとこさ席が空いたとのことで、またもやお店に向かった。
お腹一杯、パンをぱくぱく。
その後、歩くということで、カロリーが高くても、気が大きくなっている。
コーヒーつきで、525 円のモトは、じゅうぶんとった。

で、さっそく、歩いた。
近所の公園には、桜がいっぱい。



てくてくてく。
子供や、若い人、家族連れが、バーベキューや、お弁当を持って、花見を楽しんでいた。
てくてくてく。

途中に大きな池があり、水鳥もスイスイ。





けっこう、可愛かったりする。

てくてくてく。

彼女は、私より4歳も年上なのに、まあ、足が達者なこと。
わたしは、だんだん口数が少なくなってくる。

暑かったり、寒かったり、ジャケットを着たり脱いだり、忙しい。
小雨が降ったり、やんだり、お陽さまが照ったり、風が吹いたり、お天気も忙しい。

Iさんが、一度、行ってみたかったという、古い城址のある郷土館を見学した。



見学後に、その郷土館を兼ねたお屋敷に住んでいる、高校生らしき息子さんが学校から帰宅してきたが、
「こんにちわ」と、お行儀よく、ご挨拶してくれた。
良家の御子息は、礼儀正しいなあ、と、感心。

そこの桜も、美しかった。

でも、結構、歩いて、暑くなったり寒くなったり、お腹は空くし。
てくてくてく。

住宅の並ぶ地区に入って、いろんな邸宅を見学。
ステキ。

てくてくてく。
足が、だるい。ああ、しんどい。
坂のアップ・ダウンも、いっぱい。

週1ジムに通い、水泳もし、ダンスもしているんじゃなかったの、わたし?
じつに、日頃は、いいかげんな運動をしているかってことだ。

Iさんは、Iさんの家の近くに新しい家がどんどん新築されているのを案内してあげようと言う。
けっこう、足がガクガクしていたが、ついでに見学。
案内といっても、外から眺めるだけ。
オープンハウスも何軒か開催していた。

歩き始めて3時間。
休憩、立ち止まりゼロのウォーキングは、やっと終了した。

Iさん、足、強すぎ~。
わたし、足、弱すぎ~。

ぐるりと回って、Iさんの家の前。
「お茶でも飲んでいく?」のひと言はなく、(ま、いいですけど)

「また、時間が合えば、誘うね」
と、Iさんは別れ際に手を振った。

「うん、またね」
とわたしは、にっこり。ふらふらになりながら、自宅にたどり着くやいなや、
台所に直行し、牛乳と日本茶をゴクゴク一息で飲み、(→取り合わせ、よくない)
朝日揚げと、五目おかき、菓子パンとチョコを、一気に口に放り込んだ。

ウォーキングは、よい運動になったが、
あのお菓子で、せっかくの燃焼カロリーは、また元に戻ったかも知れない。

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元に戻るどころか、さらに、カロリーオーバーになっているかも。
あほですね。

 

 


裸に近いのに、なぜわかる?

2011-01-23 | 健康

最近のわたしの記事は、やたら長い。
長すぎる。
長々、思いの丈を書いてはき出せば、いいってもんじゃない。
自分さえよければ、いい、って、それは、よくない。

反省しました。
(わたしの反省は、すぐ、忘れるのが、反省すべき点ですが)


わたしが通っている会員制スポーツ倶楽部で、顔見知りがだんだん増えてきた。
あいさつをする人が、1人、2人、3人・・・
じつは、わたしは通い出して、もう5年以上も経つ。

いくら週1、木曜日だけといっても
それで、やっとこさ、5年の年月をかけて、顔見知りと、ごあいさつ。
(しかも、ごくわずかな人数)
これって、遅くない?
わたしのハンドル・ネームは、「スロー」
ぴったりの名前だと、自分ながら悦に入ってます。

初対面でも、もう前々から知っていた人みたい・・・なんてことはなく、
いたって、人見知り。
人との距離のバリアが厚い。

その倶楽部のプールでは、
年上のお姉さま方に、あれこれご親切な指導を受け
(世間では、「教え魔」とも呼ばれているそうですが)、
泳げなかったクロールも、自己流ではあるけれど、なんとか泳げるようになった。

最初は20メートル泳ぐ度に、ふーふーいって、休憩していた。
クロールは、20メートルが、ものすごく長く遠くに感じられ、心臓もばくばく、息も荒く、
泳ぐスピードはとても遅いのに、ばたばた
なんで、こんなに身体に必要以上に負荷がかかっているのか、さっぱりわからなかったが、
なにしろ、憂鬱なぐらい、しんどかった。
全速力で、300メートル走を走った後ぐらいの、ぜーぜーはーはー肩で息する呼吸の荒さ。

そのときよりは、いまは、マシにはなっている。
なにかの番組で、吉永小百合が水泳を続けていると紹介されていたが、
いつもわたしのアタマには、ど厚かましくも、
(わたしとは似ても似つかない)、あの美しき吉永小百合を描きながら、泳いでいる。

努力しないとね。
続けないとね。

そのプールでは、「木曜日の人」と、わたしを呼ぶ女性がいる。
わたしの顔を見ると、木曜日だということに、あらためて気づくそうだ。

おしゃべりな明るい70歳前後の女性で、
その人が登場すると、賑やかに誰かれなく、べらべらしゃべる。
気さくな、かんじのいい人なのだが、あまりしゃべりたくないときは、
わたしは努めて、せっせせっせと、泳ぐので、はやくノルマを達成する。

その人に、一昨々日、
「あなた、○○町○○丁に住んでおられるの?
ご主人は、○○されているんですって?
ここによく来る、おしゃべりな人、いるでしょ。そのYさんに聞きましたわ。
同じご町内にお住みのようですね」

「あなた、ご主人がおられるのね。
てっきり、独身貴族で優雅にお勤めされているのかと思ってました。
結婚されてるようには、見えないって、Yさんに言ったら、
『お子さんも、おられますよ』って、仰ってました。
そんなふうに見えないから、意外でしたわ」

そう言われた。

プールは、ノーメークに、スイミング・キャップだから、
服装やヘアスタイルによって左右されるイメージは、まったくナシ。
身なり、服装、装飾品など、本人を表す、付加価値みたいなものは、まるでなく、裸に近い。
それだけに、どこの誰でも関係ないから、気楽だと思っていた。

わたしの個人情報をぺらぺらしゃべる、同じ町内のYさんに言いたい。
あまり、ひとさまにプライベート情報を公開しないでくださいね。

第一、Kさんならいるけれど、Yさんという名前の人は、いない。
あのプールの女性が、名前を覚え間違えたのか?
犯人は誰?
ま、どっちでも、いいけれど。

悪意のない、たわいないお話。
何人かに言われたが、年上の方々から見ると、どうも、わたしは、独身に見えるようだ。
おそらく、変人で浮世離れしていて、カスミを食べて生きているからだろう。
家庭生活力が、みなぎり溢れ出ていないからだろう。

ああ、またか。。。
若いころなら嬉しかったかも知れないが、この年になると、ちょっと、ショック。

裸に近い格好でも、「地に足が着いてない」、って、なんで、わかるんだろう?
それのほうが、不思議だ。

 

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ちなみに、トップ画像は、借り物です。
わたしは、こんなにスマートではありません。

 


疲れました・・・

2010-08-31 | 健康
カンボジア旅行の時もそうだったが、ブログで、いざ、一番いいところをご紹介!!
という前に、いつも力尽きてしまう。

今も、ルアンパバーンの美しい風景、街並み、名所の数々の写真をアップしようとして
ちょっと、ここで息切れ。
前日に寄ったビエンチャンと、泊ったホテルをアップしただけで、ぐったり。

体調は芳しくないし、辛い体に鞭打ってまで、ブログにアップするモチベーションもない。
またもやプロローグのところで、ほったらかしになってしまいそうだ。
元気が出たら、再挑戦しよう。

「旅もの」って、読み手側にとっては、つまらない割に、アップ側は、結構、疲れる。
ほんの少しの手間ヒマなのだけれど、体調が戻らない今、作業はなかなか進まない。

やはり、体が一番。
何よりも大切だと痛感する。
今回の病気は、旅行のせいだけではないようにも思う。
この暑い時期、あれこれ、行事が続いたりして不安だったが、
無事帰国できたときは、乗り切れて、ほっとした。
だが、疲れがあとから追っかけてきたようだ。
自分の体を過信していたのかも知れない。

病気と縁がない自分から、新しい、ダメな自分、弱い自分に一歩、コマが進められたと感じる。
「パリに行きたい」なんて野望は、本当に、脳内だけに留まることになるだろう。


今まで、怖いもの知らずで、あちこちに行けてよかった。
これからは、慎重に、自分の体を労わりながら、
「多少無理しても、行ける、イケる!!」ではない、守りの姿勢で構えたいと思う。


今日のブログ、旅ブログより、もっともっと、おもしろくないものに、なってしまった。
心身ともに元気でないと、心躍る楽しいものは表現できないってことだ。


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