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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

新歌舞伎座で笑って泣いて

2025-09-08 | お出かけ
久々ぶりに、新歌舞伎座に行った。
石井ふく子 百寿記念公演、「かたき同士」作:橋田壽賀子、演出:石井ふく子、出演:藤山直美、高島礼子、熊谷真美。


熱演で面白かったのだが、、、
わたしのすぐ前の席の男性がデカい。
舞台の真ん中がちょうど見えない。
首を左右に折ったり、身体を曲げたりして、必死で見た、、、のはいいが、わたしの後ろの席の人は、おそらく多動症気味の落ち着かないわたしの動きが、鬱陶しいことだろう。
わたしだって、好きで多動症になっているわけではない。
せめて、あの男性が右前の席なら、舞台中央を見るのに、邪魔にならないのに。
ちょうど、舞台中央の対角線上、わたしを遮る、どまん前。

知り合いの方は最前列、しかも舞台真ん中寄りの席だった。
もう1組の知り合いは、前から2番目の席。
わたしは、7列目で、結構リアルな表情までハッキリ見えるはずなのに、、、ちょっと中央よりは右寄りの席、、、それはまだいいとして、、、その、図体の大きな男性が妨げとなり、見えなかった。

必死で隙間から覗いても、メガネの視力検査をしているごとく、矯正視力は、1.0行くか行かないか、、、なので、わたしの目の悪さのせいで、これまたよく見えなかった。
こうなれば、聞くしかない。耳、ヒヤリング、聴力頼り。
マイクが付いているようなので、よく聞こえた。
藤山直美の動きが大きいと、動きが伝わった。
目が悪くても、目の前に障害があっても、会場の空気感は共有できた、、、
のではあるものの、、、やはり、この席の運の悪さはどうしようもない。
面白さ半分、ガッカリ、半分。
同じ立場、条件の知人が最前列で、不公平感、半分。
政治力?

ちなみに、藤山直美は、お父さんにそっくり。
藤山寛美を知る世代のわたし。
泣く演技が特に迫力がある。
美女、高島礼子が霞んで見えてしまう。
やはり、舞台で美女はインパクトが薄いと感じた。
どうしても、活発で爆発的な動きをする、面白い方に目が奪われる。
会場の空気を一気に掴む。
乳幼児が、動くモノが大好きなのと同じ理屈か。

わたしは涙を流すポイントが多分、作者の意図や、他の観客とズレていたと思う。
わたしは、子は子、子供は別人格だと思っているので、所有欲も薄く、見返りはあまり求めないタイプなので、子供が成長して親の元を離れ飛び立って行ってくれたら、本望。
わたしを反面教師にしてくれたら、それでよし。
なので、あまり、お涙頂戴、浪花節志向はない。
赤ちゃんや小さな子供がやがて大きくなる、かわいい子犬や子熊は、肉体的にかわいいのは幼い時だけという、覆せない絶対的な宿命であるだけに、愛おしい。
時は止まらない、待ってくれない。
貴重な時間の冷徹さ。

人生のピークや仕事の成功も、必ず下山する時を迎える。
特に乳幼児が大きくなるのは、一瞬。
幼い子供の小ささには無条件に涙が溢れ落ちる。








珍しく飲みニケーション

2025-05-28 | お出かけ
https://hikkosimasita2025.hatenablog.com/
都会に出ると、インバウンド客がわんさかいる。
資源の少ない日本は、観光業で稼いでいかなければ生き残れないのか、、、協力しなければ、、、とは思うものの、活気とは裏腹にこころは曇る。

都会は、交通機関の乗り換え地点だったりすると、雑多で人が溢れかえり、混沌としている。
特に今は、大阪・関西万博の案内があちこち目立つ。

若い時はさほど、気にも止めなかっただろう。
外国人はまだ街には少なく、人目を引いていた。
今はすごい数。

ちなみに。
海外で出会う日本人。
同じ日本人だと親しみがわく。
日本で顔を合わせても何とも思わないのに、外国で出会うと、不思議なフィルターがかかる。
海外に、能動的に、積極的に出てくる日本人同士、特別な意識、不思議な連帯感みたいなものも生まれた。
思いや志向に共通したものがあるような。
海外に出て行く日本人は、まだ今ほど多くなかったように思う。

今はどうなのだろう。
たんに旅、レジャーのこともあるが、ワーホリ(ワーキングホリデー)や留学、就学、就労もある。
インターネットの普及で、リアルタイムに世界中に情報が駆け巡る。フェイクニュースも。
脚で運ぶ「飛脚」の時代が想像出来ない。
日本がいつまでも島国鎖国をしているわけにはいかない。
数十年前に予測されていたように、人、モノ、情報はすごい勢いで入って来ていると実感する。

さて。
今日は楽しく1日が過ぎた。
趣味の集まりの後、珍しく飲み会に参加。
千鳥足で帰宅中。
こういう日もある。
わりと前からよく知る、知り合いに声をかけられて、女性4人、男性2人で居酒屋へ。
さらに2次会にも進むようだが、わたしは生ビールジョッキ2杯で脱落。
女性が私を含め2人リタイアして、残り女性2人、男性2人がハシゴ酒に向かった。
皆さん、お酒、お強い。
わたしは、自分の適量をよく知っているので、ほろ酔いで帰れる量でサヨナラした。
丁度、観たいTV番組「ファミリーヒストリー」が20時からあったので、やれやれ間に合う。

※写真は大阪・関西万博。
わたしが行った5月16日はそう混んでいなかったが、5月23日からすごく混んでいるらしい。



はじめての大阪・関西万博

2025-05-17 | お出かけ
何から書こうか、何から話そうか。
ねぇねぇ、聞いて聞いて、、、
遠足から帰ってきた子供が、母親にまとわりついて、筋道も考えずに、思ったことを次から次へと話す、そんな感覚、、、
まだ書いていない前からそう思う。

今朝、起きたら、土砂降りだった。
よかった、昨日雨が降らないで。
今も強い雨。
まず1番に思ったのは、それ。
やはり、天候。季節。
暑くも寒くもなく、雨も降らず、今が1番良い時期。
では、あるものの、予約したのは、数週間前。
ほんの1日違いで、雨になるか晴れになるか。
予約日は何回か変更できるらしいから、あまり深刻になりすぎることもないけれど。
学校で大勢の子供たちの遠足は、大変そう。
遠足の生徒たちは、たくさんあちこちで見かけた。
先生、ご苦労様。

それから。
2番目に思ったこと。
予約していてよかった。
抽選で当たった。オーストラリア館。
全く待たずに、すっと入れた。
しかも13時からの予約だったが、パビリオンに着いた12時半には入場オッケーと言われ、早めに入った。
大感激。

なぜなら、あまり万博の予習をしていっていなかったので。
どこに何がある?
どのコースにする?
出たとこ勝負。

ちなみに、各家庭にポスティングされる地域コミュニティー誌がある。
そこで万博に行った人が、
下調べなく行って35,000歩、歩いて疲れた。行かれる時はコースを決めて要領よくいったほうがいいですよ」と投稿されていた。

わたしは、敬愛する映像プロのブロガーさん(奈良在住)が、ブログで発信されていたことを参考にした。
大屋根リングから見る、各パビリオン。
それが素晴らしいと。
わたしもそれにしようと思った。

でも、1つぐらいは、記念にパビリオンを見たかったので、1つ見れたら大満足。
他の、当日、予約なしで見れるパビリオンも3つ見た。
そのうちの1つ、「夜の地球 Earth at Night」館は、ほとんど並ばなかった。
人気がないということになるのか。
そうでもなく、広々大型館で余裕空間に展示されているで、スイスイお客さんの流れが早いのだろう。
それもそのはず、万博撤退したイランの使用予定施設だったらしい。
それはわたしにはかえって、ラッキーだった。
夜の地球儀。輪島塗。


自分で撮った写真↑はイマイチなので、ネットからお借りします↓



わたしはその展示内容は、とても良かったと思う。
職人さんの素晴らしい技術、アートに見とれ感激した。
と、同時に、家にある輪島塗を思い浮かべた。
わたしの母は輪島塗が好きだった。
わたしへの、こころの財産になった。
(わたしが今は大物家具は一部引き取っているけれど、美しい輪島塗に負けない理想的な活用の場がない。
小さなものの方が、何かと扱いやすい)
万博で、そんな思い出の引き出しに触れて、ありがたい気持ちになった。

そして、、、
気がついたのはトイレ。
男女共同。ジェンダーレスらしい。
私の前に、並んだ女性が、男女一緒ということで、「男女一緒なの?嫌だわ。ここ!」
と、列から抜けた。
わたしも実は男女一緒は嫌。
子供の時から旅先でも男女共同トイレを嫌がった。
時代の意識が進んでも、わたしの感覚がついていかない。
ではあるが、嫌だわ発言の女性は、わたしより20歳位は若かったと思う。
年齢ではなく、個人差か。
そのトイレの外側は、カラフルだが、簡易、建設資材置き場風?で、故障中のところもあり、ウォシュレットは、水が流れなかった。
が、便座は暖かかったので、ありがたかった。
何よりもまだ製品が新しく綺麗。
2回目に行ったトイレは、美しい木材で覆われた、優しい穏やかな風情の大型トイレ。
同じく、男女一緒だったが、あまり気にならなかった。
なぜなら、急を要していたから余裕がなかったのもあるが、大自然に包まれるような木のぬくもりに癒しを感じた。
それよりも、男性の姿が1人しか見当たらなかったため。
これはかえって、繊細な男性には、居心地が良くないかもしれない。
ほとんどの男性は繊細ではない、とわたしは強く勝手に思っているので。
わたしの日頃の、同情すべき環境からくる偏見か?

トイレだけで文字を使いすぎ。
気になるんだもの。避けては通れない。

昨日の万博、平日なのに結構入っていた。
ねぇねぇ聞いて、、、は、アットランダムに、気の向くまま、思いつくままに。

※写真は昨日のオーストラリア館、内部


今だけの黄金凸凹コンビ

2025-03-28 | お出かけ
「付き添い」という名の、被引率者(引率される側)である、わたし。
春休み、1番上孫Yとのお出かけが計画されつつある。
彼は塾の予定が連日、ぎっしり詰まり、中学入学式まで、あと数えるほどしか自由日はない。 
志摩スペイン村や地中海村に、また行きたいと言う。
だが、泊まれないから、日帰りで毎日、訪れるのはどう?とわたしが提案したところ、却下された。
往復の電車代のほうが、高い、とのこと。
確かに。
時間も労力も2倍かかる。
しかし、宿泊は考えていない。
大人一人、子供一人だと、簡単に予約出来るが、かたや、多人数や、子供が多い家族だと、なかなか希望するホテルが取れないらしい。(長女からの情報)
とは言え、日帰りにするかー、という流れになって、そう遠くない場所になりそう。
孫Yは、前、時間の都合で入城出来なかった彦根城に行きたいと希望を口にする。

「せっかくの貴重な自由時間、一人で好きなところに行きなさい」と孫Yが親に言われているところに、わたしが割り込んだ。
「ばぁちゃんも、行く!」

この「行く!」には、
「着いて行く」なのか、「一緒に行きたい!」なのか、はたまた、普通に、たまたま気分的にノリで「行く」なのか。
どれもだろう。
孫Yもわたしも、(平日に)一緒に行くような友達がいないので、渡りに船。
孫Yは、近所の野球グランドでキャッチボールをする友達はいるが、城めぐりや、乗り鉄、テーマパーク旅行に行く友達はいないようだ。
わたしも、ブログ仲間ならいるが、リアル友人は、ごくごくほんの少数、、、というか、いないに等しい。
友達と協調し合って共同作業的に事を進めるか、はたまた自分一人で行動するか、その後者である我々孫婆コンビ、オタク同士。
二人は凸凹、割といい味、出していると思う。

孫Yは、日頃は家族で思いっきり旅行しているので、そろそろ一人で行動してもいい年頃。
そう、両親(長女夫婦)にも背中を押されている。
が、まずは、初めて自転車に乗る時でも補助輪付き。
一人旅も、とりあえず、ばぁちゃん付き。
ばぁちゃんは、一人旅となると、最近の認知機能低下(人名等、固有名詞がなかなか出てこない)を認識して、自信喪失になっている。
これは、認知機能が衰えている(自分比)ことを自分だけが気づいているのは、主観的認知機能低下(SCD)という段階らしい。
だが、脳がちゃんと発達している孫となら、心丈夫。(人生経験は、わたしのほうが、断然豊富)
発展途上と、衰退途上のコンビ。
珍道中とまではいかない、大人しいコンビである。
まさに今しか成立しないコンビ。
瞬く間にバランスが崩れてコンビ解消になる日は、すぐそこ。
今を大切に楽しみたい。

※写真は記事とは関係ありません。
先週、わたしと孫Yが大阪城に行った3月19日は、ゆず、大阪城ホールでコンサートだった様子。

今日のキョウイク。「サンセット・サンライズ」

2025-01-20 | お出かけ
キョウイク(今日、行く)で、映画を観に行ってきた。
行き帰り、ウォーキング付き。
そして、またまたget lost、道に迷い、予定外の歩数を伸ばした。
Googleマップがフリーズして逆方面を指していたようで、時間ギリギリまで迷っていたため、最後あたりはスピードアップ、結果的にはダラダラウォーキングは免れた。

映画は、先週、モタモタしていて観そびれたもの。
リベンジ。
コメディ仕立てになっていて、泣き笑い。
ほろっと涙、ハンカチのお世話になった。
宮藤官九郎の脚本なら、なるほどと頷ける。
わたしは、菅田将暉のファンで、彼の映画はだいたい観ている。 
歌も上手い。
ちょっと、顔がふっくらしたかなと。
結婚太り?
ヘアスタイルのせいか?
それにしても、井上真央扮する女性、モテる。
5人もの男性から次々とプロポーズを受ける。
美人で、シッカリ者で、独り者。
わたしには、ひとつも備わっていない特性。
そういうイマイチの人は、女性にモテないイマイチの人が合っていて、イマイチ同志、バランスが取れるのか?
と、上記、感想は、小学低学年ぐらいの感は否めない。
家で引きこもって煮詰まっているほうが、ブログとしては味が濃いかも知れない。
今日は映画を楽しんだため、ブログにかける情熱が薄まってしまったようだ。
というか、それ、本末転倒。
ブログに映画解説や感想を書けばよいのだが。
今日は、意欲が至って薄い。

とは言え、自宅から往復ウォーキング、交通費無料、お茶持参、経費ゼロ。
おまけに帰りにスーパーで食品購入。
効率的、高コスパな一日。

とかなんとか、、、書かなくてもいい蛇足を書く。
映画が終わった後、トイレの鏡に映る我が顔を見て、、、
ぎくり。ぎょ。
なんとまあ、正真正銘のおばあさん。びっくり。
顔、ヘアスタイル、服装、形振り、雰囲気、、、どれを取っても、どう見ても、おばあさん。
特殊メイクでもなんでもない。
昔、見たことがある、イメージ通りのおばあさん像そのもの。
特にフリースチュニックの色が最悪だった。汚い色。
カタログで選んだから仕方ない。
最もお年寄り風情を醸し出す色彩。
新しく下ろしたのに、うんざり。外で着るのは封印しよう。
と、かなり落胆した。

とことんガッカリすると、落ち着いてきたのか、別の考えが脳裏をよぎった。
自分が、自分のおばあさん顔に慣れたらイイのだ。
最初は愕然とするものの、こんなのは慣れ。
慣れたらこれが今日からの「ニュー・スタンダード」。
自分に期待し過ぎるのはやめよう。
大谷翔平の名言、「憧れるのはやめよう」の真逆。
大谷のは、憧れるだけに留まらず実現しよう、と努力、実践を促すもの。
わたしのは、、、期待し過ぎずに現実を見ようと、というもの。
「自分が理想とする自分」ではない自分に慣れよう。
こういうのは、あくまでも主観の世界。
今日のアタシは最高!と思っても、最悪!と思っても、他者から見れば同じ。
自意識過剰なだけ。
老けた自分は好きではないが、老けている事実をいくら否定しても、事実は変わらない。同じ。

ではあるものの、あのフリース、もう外出時には絶対に着ないことを決意した。
家の中なら何を着ていても人の目がないので気にならない。
あるのは自分の目だけだが、家の中では自由開放区。
のびのびやっている。

イベントに対応しきれない

2024-12-24 | お出かけ
ちょっと関所を越えて東京へ。 
大きなイベントは過ぎ、ほっとした。
やれやれ。
安堵の気持ち。

このせいで、迎春準備をする余裕がなかった。 
皆んな集まるのに、既製品を買いそこねている。
お節料理、毎年買っている大手百貨店のオンライン注文していない。
いくらなんでもこう年末になると受け付けは締め切られていた。
Amazonあたりで、ギリギリセーフ御節料理を買えるか?
手に入らなかったら、手作りお節料理をしなければならない。 
いつもは、手作りにプラス、既製品を足している。
手作りお節だけでは、とてももたない。
ああ、憂鬱がまたまたやってきた。

ここのところ、憂鬱ばかりだ。
イベントよりも憂鬱のほうが大きい。
これは、イベント計画に問題があるようだ。
自分を鼓舞、叱咤激励を通り越して、イベント対応能力の限界を超えているということ。
自分の力量が衰えていることを自覚する時期に来ているようだ。
見直しを図ったほうが、良さげだ。

イベント心労より、何も予定がない退屈のほうが、まだマシ。
林住期の考え方をわたしに伝え、影響を大いにわたしが受けた人物が、とっとと先に林住期を終了して遊行期(自分を終えて消滅する時期)に移ってしまった。
後をついて行ったわたしは、ハシゴをはずされた思い。
先輩は、発言や啓蒙啓発には、最後まで責任を持っていただきたいものだ。


秋晴れの七五三アゲイン

2024-12-02 | お出かけ
昨日は、3番目孫(小1女児)の七五三。
秋晴れの中、神社まで皆んなで歩いて行った。
緑道途中に公園がいくつかあり、その度に、シーソーだの、ジャングルジムだの、ブランコだので、寄り道、プレイタイム。
小さい子はまあ良いとして、小4、小6のお兄ちゃんたちが、きゃっきゃとシーソーで遊んでいるのは、ちょっと幼稚か??と、ママ(わたしの娘)が言っていた。
かたや、小1女児は、ブランコ漕ぎ、天まで届く180度か?と思えるほどの、ブルンブルンぶり。
4歳は、「だれか押してえ」と座ると、長兄小6が押していた。 
1番上は小6、1番下は4歳、と、年齢に少し開きがあるので、互助システムが自然に機能しているようだ。

そもそも、「神社までウォーキングして、七五三お詣りの後に昼食」とLINEが来たので、時間を逆算して、わたしは午前10時出発の予定で自宅で準備を整えスタンバイしていた。
結局、孫たちが、うちのチャイムを鳴らしたのは13時をとおに超えていた。
爆睡していたそうな。
神社後の昼食予定は、大幅にずれ込み、小6兄孫は、数分おきに「お腹、空いた」と繰り返し、ママは鬱陶しがっていた。
が、いたしかたない。お腹は空くだろう。
持参したキャラメルを少しずつ食べて、どうにか騙し騙し持ち堪えていたが、ご祈祷が終わった頃には、はらぺこ長兄孫も対応ママもMAX。

だがしかし、16時に夕食がわりの昼食(外食)を食べられては、わたしが困る。
夕食は、しっかり前もって準備しているので、食材の都合上、延期は出来ない。
(配達日時指定の鱒寿司と、茹でた毛蟹がお歳暮で届いていたことに加え、わたしは、年内に早いうちに賞味期限切れ食材をどうしても消費したかった)

行きは徒歩、帰りは、後から参加したじいちゃん車派に分かれた。
わたしは、ウォーキング派なので、往復ウォーキング、、、と意気込んでいたが、迷った挙句、帰りは車派になった。
メンバーには自由選択制を取り入れると、、、
1番上孫、2番目孫、4番目孫が車に乗り込んだ。
ブランコ180度漕ぎの3番目は、徒歩で、両手にパパママ両親を独り占めの一人っ子になった。

て、今日の日記。オチがない。
事件もない。ネタもない。
時系列にダラダラ。
何もないのが、最高に良い、と、幸せを噛み締めた、晴れ渡る空、秋の日だった。
賞味期限切れ食品も、どうにかなったし。

じつはこの食品は、高級食材らしい。
「いちご煮」といって、青森県八戸およびその周辺の郷土料理で、上客をおもてなしする、ウニとアワビの潮汁。
次女のご両親に頂いたもの。
調理の仕方がわからず、放置していたところ、次女に叱られた。
彼女からインターネット情報が送られてきて、ちゃんと賞味してね、と促された。
なかなかの絶品でした。
青森のご両親に、感謝!!です。





明るく楽しいハイテンションの日

2024-11-18 | お出かけ
ピアノは、続ける気がないと続かないと思う。
わたし世代は、ピアノはソロバンを習っているのと同じノリの普通ぶり。
人気があった。そういう時代、時流。

ただ、今も続けている人はどれぐらいいる?
ピアノを売ってしまった人もいる。
わたしも、その一人。
夫の実家に、義両親が孫たち(わたしの子供)のために買ってくれたピアノを、3年前にその家をリフォームした際に、売却した。
義両親の夢が詰まっていたと思う。
実家に帰ってきた時も孫たちが練習できるように、と。
ほとんど弾かずに、ほとんど新品ピカピカ、新古品状態で売った。
買って30年以上経っているのに、結構、良い値段が付いたので、さすが、腐ってもヤ◯ハ。
自宅のピアノは、孫のオモチャ用に残存しているが、あまり子供も孫たちもピアノで遊ばない、
遊んでいるのは、おばあちゃんの、わたし。
せっかくだから、有効活用しないと、もったいない。

終活には、ピアノは一番に手放すものかも知れない。
逆に、震災で壊れたピアノ修理を(ボランティアで)してもらって大感激している高齢女性がTVで紹介されていた。
生きがいを失いそうになっていた矢先、ボランティアの申し出があったようだ。
音楽は人を救う。

わたしは、フレイル予防だとしたら、ちょっと澄んだこころではなく、濁っているかも?
なので、少々、音が外れていても気にならないのだろう。
濁ったこころに、濁った重音。
今のところ、新しい曲には挑戦しないので、あまり脳トレにはならないが。

ちなみに。
遊び相手に返り咲いた、元同僚と、都会のど真ん中で、映画を観た。
映画の後は、おしゃべりに花が咲き、わはわはと笑い転げる、うるさい、困った、元気なオバさん二人。
本当は、おばあさんなのだが。
お互い、今日は夫が(仕事で)帰らない日なので、底抜けに明るい開放感を分かち合う。
お酒も飲まないのに、コーヒーだけで、やたらテンションが高い。
映画館が入っているビルの屋上は、空中庭園。
ついでに、初めて登った。
そこは、多国籍人種のるつぼだった。









団体ハイキング、盛況の理由

2024-11-07 | お出かけ
昨日、参加した、JR各路線の秋晴れのハイキング。
なぜ、200もの人が参加したのか?
推測、考察してみた。

まず、季節。
暑い暑い酷暑には、動くに動けず、家に缶詰、エアコンのお世話になる。
じっと涼しくなるのを待つ。
秋には、さあ!!と、一気に屋外に出る。

ウォーキング協会の会員さん以外に、一般参加者が、100名ぐらい、いたらしい。
主催者である、歩く会の人は、そんなに大勢の人が参加することは想定外で、地図や備品が足りなくて右往左往。
現にわたしが手渡されたマップは、会員さんに既に渡されたものを流用されたようで、しっかり折り畳みジワがあった。
てんやわんやは、嬉しい悲鳴なのか、ストレスなのかは知らないが、あたふた主催者側の、参加者を受付るスタッフさんの一人(女性)が、まあ怖いこと。
まるで叱られているかのごとく。
あんな地声なのだろうか?
うんとお高いサービス料を支払っているわけでもないので、まあ仕方ないか、、、とは思いつつ、ガミガミ声に、気分は盛り下がる。
しばらくは、なぜそんな声、話し方をするのか、その人の顔ばかり見ていた。

次。
行き先。
コスモス畑や、法隆寺など、奈良の秋の風情を目一杯楽しめる場所。
日本の田園風景も美しい。
斑鳩あたりの、地元の日本家屋の見事なこと、立派なこと。
大きな門、塀、蔵、、、。
素晴らしい邸宅がたくさんあった。
長い年月、火災などには見舞われなかったのだろう。
だが、家々を見ていると、闇バイトの事前邸宅リスト作りをしているような気にもなった。
大きな門の隙間から見える、手入れされたお庭、、、お金ありそう、、、。

ある参加者が、一部、土塀の壁土が剥がれているのを見て、何度も「これは修理せにゃあ、いかんね」と言っていた。
何度も。
土塀の修理にどれだけお金がかかるか、知っている口ぶりだったが、なんで、何回も言うのか、胸中を察しかねた。
日常の生活費にお金がかかり、医療費や介護費にも蓄えが必要だし、住まいも修繕したりしなければならないのに、一番外側の土塀の修理など、しかも高額なのに、そうそう直ぐにできるものではない。
(崩れ落ちて、事故になったり、外側を歩く人に迷惑をかけるかも知れない塀こそ、一番に直すべきだ、という考えもあるだろうけれど)
それをわかって、何度も呟いているあの参加者は、、、自分に言っているのだろうか?

まあそれはよいとして。
「家で、じーっとしていても仕方ない、外に出るだけでもいい」と、誰かが言っていた。
自分の居場所を作るのが大事と。
年金生活が厳しくて、水道代節約のため、お風呂にもそう度々は入らない、と話す人。
交通費が1000円以上かかるところには、絶対に参加しない、という人もいた。
単身参加の男性が多かった。
女性は、友達と連れ立って来ている人もいた。
男性は、一人行動で、連帯しないようだ。
とは言え、皆さん、かなりのお歳。
90歳近い人もいる。

わたしに強く誘いかけて来る友人は、そのあたりの微妙な事情、機微がわかっていない。
わたしの年齢の人は少なかったように思う。
まだ仕事や家事、他の趣味に忙しいのではないだろうか。
早々と引退しているのは、あの群団の中では若い少数派。

つまり、年齢を早取りしているわけだが、なんだか少し違う、、、。
自分で計画を立てて、自分で動ける人は団体ハイキングには参加しないのではないだろうか。
お安い、用意された便利なハイキングなので、会員さん以外に参加者が多かったのでは。
元々の会員さんは、スタスタ歩く健脚の人がメインかも。

まとめてみると、、、
①暑い夏の後の、爽やかな秋、ベストシーズン。
②行き先が、古の都、奈良。
③家にいても何もすることがなく、暇を持て余している。
が、出てくる気力はある。
④健康志向。
⑤独りぼっちではない。

わたしは、他の趣味や、旅行、他の友人たちとの交流や楽しみもあるので、景色は良いものの、娯楽性が乏しい、ただただ歩くだけの会にはあまり参加したくない。
たまになら良いが。
たくさん歩くと足が痛くなるので、他の行事に足エネルギーを取っておきたい。
贅沢なことを言っている。
ただし、大事にお取り置きしすぎると、足が弱り、いざという時にヘタる。
日頃の適度な歩行、さじ加減が大事。

なんと、選択肢が多岐にわたる。
選択肢が少ないほうが、幸福度が高いらしいけれど。

法隆寺。こころは晴れ、後、曇り、後、小雨

2024-11-06 | お出かけ
今日は憂鬱なハイキング。
気候はベストシーズンで、行き先も最高に良いのだが、ひたすら団体で歩く。
シニア群団がまさに群れをなして固まって移動する姿は、圧巻。
200人超えの行列、行進に、周りのひとは、目を丸くしていた。

悪くはないのだが、、、当日の朝まで、家を出るまで、行くまで、が最大級の憂鬱。
電鉄会社推奨、地域の歩く会が主催、保険料500円だけで、予約不要。
それは大変良いのだが、、、。
問題は、友人に強く誘われて、なかば無理やり、渋々参加すること。
1人ではきっと参加しないだろうから、誘われなければ自主性は出ないだろうから、誘われた時に行かないと、おそらく行かない。
と、電車の中でさっきまでそう思っていたが、この記事を入力中に、気持ちに変化が生じた。

誘われて渋々行くより、自分が好きな時に、参加すればいいんだ。
自主性が生まれてきた、胎動を感じた。
自主性というのは、断る方向にも動く。
相手によって、天候が左右されるわけじゃなし、現地集合、現地解散、気分が向いたら1人参加でも行けるのではないか。

ChatGPT にも散々、相談し、あれだけグダグダ悩んでいた霧が晴れたような気がした。
途中、降水確率40%だが、雨でも、こころは晴れ。

・・・
と、ここまで書いて、今は帰路。
雨には降られず秋日和だった。
秋の法隆寺。
世界遺産に登録されている、その地域内の仏教建造物、、、
法起寺、三重塔、写真はバッチリ。

帰りに、誘ってくれた友人に感謝の言葉を!!
と言いたいところだったが、行きの電車内で決意したように、「もうハイキングは事前に約束して2人で行くのは、これが最後です」と決裂のフィナーレ。
帰りに寄った飲食店で切り出した。
勇気を振り絞った。
店を出てからすぐ「ありがとう、さようなら」とLINEが来て、胸がきゅーんと痛くなった。