蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

益々、不信感が募る

2018-07-16 | ブログ
我がブログ、ブログ村の注目記事上位にランキングされた日のアクセス数は、いつもの半分。
しかも、しばらく記事更新していない時の半分。
これは、注目されるが、閲覧していない、という矛盾を孕んでいる。

注目されたかどうかは、閲覧数で決まるはずなのに、注目されて閲覧数に反映していない、みなさんの心の中だけでの注目?
な、あほな。

読み手側の気持ちや脳波の動きから、注目度を測るとすると、凄すぎる。
どうやって、測るの?
設定語句に、記事中で、使用語句がヒットしたものをAIが拾っているのか。

一応、わたしは、gooに関しては無料ユーザーではないので、たとえ少しでもお金を払うと、満足度に対する思いが強くなる。
つまり、投じた金額分、期待値が上がり、それに満たない場合は不満に感じるという、マイナス効果が生じる。
ブログ村は、無料なので、文句を言う筋合いはないが。

まあ、ずーっとずーっとずーっと前から、ブログ村にブログ登録した頃からの疑問なので、今更、驚くこともないが。
益々、不信感が不動のものになった。
まあ、べつにいいけど。
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自慢したくてウズウズ

2018-07-15 | ブログ
さて、自慢ネタ。
言いたくて言いたくてウズウズ。
でも嫌われるからやめる。
でも言いたい。
こういうネタは、言わないほうがよい。

広告チラシの裏にでも殴り書きしようか。
自虐ネタなら、どんどん抵抗なく書けるのに。
そうこうしているうちに、半日経つと、自慢したい欲求が薄れてきた。
ああよかった。
書いて、公開して、わざわざ嫌われることをしなくて。
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飽きられようが、ハッピー

2018-07-13 | ブログ
我がブログ、注目記事にランキングされると、閲覧数が振るわない。
玄人AI好みか。
(どっちにしても、人間が選択しているとは思えないので)

まあ、別に閲覧数は気にしていないからいいけれど、法則が見出される。

わたしのブログなど、面白くもなんともないので、初めは、変わったユニーク人物だと珍しがられても、すぐに飽きられる。
わたしというキャラそのものに飽きられるわけだが、わたしは芸能人でも作家でも、クラスの人気者でもないので、飽きられたところで痛くも痒くもない。
人々の動向、世の中の法則を知るのみ。

目先を変えたり、演出や見せ方を変えたところで、大して変わり映えしない。
本人は同じ。
生き死にに関わる大きな出来事にでも遭えば、少しは変わるかも知れないが。

ここのところ、プラス思考がアタマの上から舞い降りてくる。

例えば、食堂のランプシェード(照明器具)が、脂埃やらなんやらで、べとっと汚い。
こんな汚いシェードを掃除もせず放置している自分のテイタラクを嘆いていたが、ある日、神がささやいた。
掃除したら悩みが消えるなんて、おやすいこと。
あ、そうか、悩みを解消するには掃除をすればいいだけか。
なかなか出来ないけど、その気になれば、カンタンなこと。
掃除が完了したような気になって、悩みがすーっと解消した。
そういう目で、あれもこれも家の中を見渡せば、断捨離したら済むこと、なあんだ、悩みなんて即座に消える。

で、掃除も断捨離もしていないのに、悩みが消えた。
不思議マジック。
たんに、やるべきことを延ばしてるだけ?

明日出来る事は今日するな、ということわざもある。急がば回れ。
表裏一体である。

今は何故だか何をしても楽しい時期のようで(趣味がうまくいって良い調子という、超単純な理由だが)、本日も浮かれた、わけのわからない内容になっている。
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なんだ、意味ないのか、、、と哲学者の気持ちになる

2018-06-08 | ブログ
悪い予感が的中した。
蝶ブログの記事更新したら、閲覧数が下がってしまった。
しょうもない事は、書くべきでない、という教えを学んだ。

今のわたしは、おんな芸人と同じ。
プライベートが幸せで、作文が全くキレもツッコミも何にもなく、面白くない。
自虐ネタで生きるおんな芸人が、結婚して明るい家庭を築いて、立派な子育てをしていたら、なかなか辛辣なギャグは飛ばせない。
ぬるい湯の中で、ぼ〜っと温まっている状態。
あきません。
しかし、自分の不幸をネタのために願うというのも本末転倒である。
閲覧数は下がり続けるだろうが、個人の幸せに換えられるものはない。
幸せ、幸せと言いながら、たんに、頭のネジが緩んでいるだけなのだが。

で、「幸せ」を調べてみた。
いろんな解釈があり、有名な哲学者や作家などの、さまざまな説がある。
読み解くには、理解力とヒマが必要。
だが、今日は急ぐし、もうじき電車は下車駅なので、説明やまとめは、ほったらかして、逃げてしまおう。
このようにして、緩んだネジは益々緩んでいく。
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ネタにならない楽しい話

2018-06-07 | ブログ
ブログ更新しても、しなくても、閲覧数はあまり変わらない。
逆に新記事をアップした時のほうが、閲覧数はダウンしていたりする。
閲覧数って、ひょっとするとAIの息抜きかイタズラで、わたしのブログだけ、設定をワザとむちゃくちゃ、えーかげんにして、AIを休憩させているのでは?
それともメンテナンス期間中?

というか、ブログ閲覧数でさえAIの仕業ではないかと疑っている、もはやボケ領域に入っている疑い深さ。
なのではあるが、記事を書かないのに、そこそこ閲覧数があると、嬉しくて手抜きしてしまい、気が緩むわたし。
(ブログ村ランキングのほうは、見るも無残だが)

と、ここまでは、ブログ更新しなかった理由を延々無意味に書いてみた。
今日は、へんに空回り風の一人悪ノリ。
読み返して見ると、気持ち悪い。


ここのところ、書くことがない。
以前のわたしなら、書くことがないことをネタにして書いていた。
たんなるブログ更新中毒の頃もあった。

今は趣味関係の思いが収まらなく、連日のように、趣味SNSに書いている。
一人の同じ人物が書き続けると、だいたい同じような似た内容になってくる。
熱く持論を展開しても、最後の結論あたりで、あれ?これ、一回書いたような、、、というかんじになる、
一回ならまだしも、二回も三回も。

ここ、蝶ブログなら、11年にも渡るため、何回も書いても、その時の背景や心情によって書き方が違う。
ほんの数ヶ月で同じことを繰り返し繰り返し書いている、あちらSNSでは、わたしはぼけてると思われているかも知れない。
趣味のことだと皆さんも熱いので、書き手も読み手もクレージーに近いからまあよいのかも。
趣味は、一旦ハマると、独特の世界。
別の趣味の人も同じように言っていたから、皆さん、似たり寄ったり。
熱中するものがあるということは、いかに幸せか。

夫源病について書きたかったが、延期する。
人が熱中、フィーバーしている話より、頭に来たり、困ったり怒ったり悲しい話のほうが面白いのはわかっているが、ついつい熱を入れている楽しいほうに気持ちが傾く。
実に幸福な時間である。
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閲覧数。もはや、ミスとかのレベルではなく

2018-03-02 | ブログ
閲覧数。
ある日、前日の0.7倍でガクンと減っていたのに総合ランキングは、その前日より200位近く上位だった。
これって不思議。
というか、gooの解析データがデタラメだという、信じたくない事実を突きつけられている。
数字計算、間違ってる?
いや、いくら算数が苦手だからといっても、小学校低学年にでもわかる。
閲覧数や順位、多少の前後はわかるが、こんなに離れていると、アウト。
閲覧数に踊らされている自分に、今や、拍手を送りたい。
というか、閲覧数など、どうでもよくなっている境地に、もはやたどり着いたか、と、自画自賛。パチパチパチパチ。

書くことによって、自分が救われているから、よいのだ。

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閲覧数には、どんな意味がある?

2018-02-27 | ブログ
gooブログシステムが壊れた?!
ここのところ(といっても4日)アップもしていないのに、昨日の閲覧数が急に大幅にドカンと増えている。
自己最高に迫るほどだから、驚きなのはまあさておいて、、、
思いあたるフシがない。
なぜなら、ブログ更新していないという、絶対的な事実から。
お客様(ブログにお越しになる)皆様、いたずらは、やめてくださいね。
と言いたくなる。ほんとに。

どうしたのだろう?
益々、gooブログを信じられなくなった。
素直に喜べないあたり、ブログ開設以来、gooのデータ解析で、そうとうひねくれてしまった。
ブログの内容、中身と、閲覧数の相関性は無い。
「極めて低い」と書こうと思ったが、あえて、ここは「無い」と言い切っておこう。
それか、誰かが何かした?
何か書いた?

まあ、なんでもいいですが、「素直に喜べない病」を発症していることに気づいた。
しかも、けっこう重症。
まあ、明日になれば、またgooさんのイタズラだということがわかるから、慌てず騒がず、静観しておこう。

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努力の仕方

2018-02-17 | ブログ
わたしのブログは、自分との対話。
第三者を全く無視して、好きなことを書き放題、書き散らしている。
だからサービス精神ゼロ。
人気がなくて当たり前。

仮に人気を得ようと、頑張って技巧に走ったり(技術ないけど)、才能を余すことなく発揮したり(才能ないけど)、するとする。
で、人気がないとする。
がっかり、、、
わたしはダメなんだ、、、と、うなだれる。
しかし、自分の楽しみで書く。人なんか、おかまいなし。
そんでもって、おまけに読んでくれる人までいたら、儲けもん。
お釣りが来る。

善人は、善行をするらしい。
善行は、善かれと思って頑張ること。
が、人によっては、押し付けがましかったり、してもらわないほうが有り難かったりする。
仕事でも、多くの時間、労力、お金を割いて行ったことが、まるでマイナスの結果を出すこともある。
やらなかったほうが、マシ。
本人は力の限り全身全霊をかけて頑張るが、さて、結果は?

日本人は頑張ることを美徳とする傾向にあるように思う。
プロセス重視。
ガムシャラに頑張る努力家が評価される。
ただし、結果が付いてきた場合。
合理的に練習した選手のほうが、良い結果が出るとすると?
ガムシャラは、徒労に終わる。
しないより、したほうがよい、と考える人もいる。
わたしは、しないほうがよい、という場合も多々あると考える。
バタバタあがいて、掻き回して、無茶苦茶になるよりは、静かに流れを見るほうが好き。
ただし、ここ、という、動く時機を見極めなければ、ただのナマケモノ。
まあ、人それぞれ。
個性だ。

さあ、ここぞ!!が、棺桶に入る時だったりして。

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他人の文章

2018-02-15 | ブログ
人の書く文章を読む。
ジャンルは、ブログやSNS日記。
誤字脱字てにをはレベルは論外として、
文章のうまさ、洗練されているか、わかりやすいか、文体が好みに合うか、などなど、表現方法によって個性が出る。
読み手側には、激辛好きな人や、超難解好きもいる。
好みは様々なので、一概になんとも言えない。

が、肝心カナメは、何が言いたいか、何を訴えたいか、である。
材料、事柄を通しての筆者の「考え」を知る。
そういう意味では、わたしは「言いたい放題」は結構好き。
書き手側の自分目線がきっちり定められていると、面白い。
読み応えがある。

だが、時として、わたしとそっくりさんを発見して、バツが悪い、というか、赤面する、というか、、、
真似した、された、ではなく、自分独自の考え方、自分は唯一無二の個性だと思っていたのに、唯一無二が二つどころか、三つも四つもある現実に触れると、ドギマギする。

なあんだ。
わたしは平凡な没個性だったんだ、と。
河原の石ころ。(路傍の石は、畏れ多く、やめておく)
でも、マイノリティである。
世界で一人ではなく、「多くの人々」という枠からはみ出た人々の集まり。
最近、ブログに書いたが、群れない人々の群れ、みたいな逆説集団。
それって、マイノリティと呼ぶのかも知れない(わたし流解釈)

いくらたくさんの、自分と同じような人を見つけた、と言っても、やはり、全体からの比率で分類するとマイノリティだと予想する。
時代が流れ変わり、マイノリティが主流になる時代も来るかも知れない。
少し先を行くなら良いが、先を行き過ぎて、時代遅れの人にさえ、追い抜かされる可能性がある。
時代が後から付いてくれば問題はないが、たんに時代に取り残された、離れ孤島の不運の人、みたいになる場合もある。
離れ孤島は、それぞれが個々に遠くに存在しすぎて、マイノリティとして連帯するのは不可能。
遠くで個々に離れて埋没していくのだろうか。
頑固モンだったなあ、とか、変わり者だったなあ、あの人は、とか言われて。
本人は、孤高だの、気高き孤独だの自負していても、周りから見れば単なる、へんな人。
人に迷惑さえかけなければ、いいんじゃないかと思っているが。

わたしに人が寄って来ないのは、寄り付かさないからだという指摘をされた。
自分にとって不必要なものは容赦無く切り捨て、離れていくように無意識のうちに仕向けているそうだ。
誰とも関わりを持たないことが、自分を守り、幸せにしているんだとか。
モノの断捨離は出来ないくせに、ヒトの断捨離は鋭く実践しているようだ。
幼い頃からかも知れない。
別に不幸な生い立ちではない。が、孤独が好きみたいだ。
かといって、病的ではない。ウツとかとは無縁のように感じる。
ちゃんと社会人として、明るく暮らしている。

自分にとってマイナス、プラスを嗅ぎ分け、一瞬にして必要BOXと不必要BOXに無意識に振り分けているらしい。
これを打算と言わずに何と言う?
だが、本人には自覚がなく無意識のようなので、意図して注意を払って、路線変更できない。
結果的には幸せになっているから、今までの路線を変えない方が良いようだ。
よく考えると、直感による人物断捨離、判断仕分け用には、必要BOXと不必要BOXと、もう一つ、保留BOXがあると思う。
ほとんどの人は保留BOXに入っている。
保留BOXには鍵付き上段と、その他に分かれる。
必要BOXは、家族、近親者のみ。
不必要BOXは、入れるや否や同時に消去、削除しているので、いつも空。
迷惑メールと同じだ。

究極の自己チューの出来上がり。
人に愛されなくても、自分を自分で愛することが出来るから、いいのだ。
自分への溢れんばかりの愛を注いだ後にもまだ愛が余って、さらに子供や孫に、残った愛を注ぐ。
自分の身を削ってまで犠牲の上に愛を注いでいるわけではないので、当然、見返りは求めない。
(こんなに愛が多いのは、たぶん、あれこれ見返りを求めて他人に愛を注がないからだろう。非善人)
見返りがないのは当たり前。(「愛されない」と嘆くとしたら、アホ)
必要BOXは、無条件に。
保留BOX鍵付き上段は、大切に。
その他は一定時間が過ぎたら自然消去。
時々、鍵を開けて、保管されているかどうか確認しないと、空っぽということがあり得る。
大事にしているなら、それぐらいの手間暇は必要、不可欠。

だから、なんなの?
文字数が膨らみ、結論を急がねば。
似たような考え方、感性の人はいて、自分は独特ではない、ということ。

考え方がどうこうや哲学はさておき、仙人暮らしでは、自動改札機も通れない。
生活に必要な人々(たとえば世話役)は必要BOXだ。

前からそうだったと思うが、わたしのことがハッキリ益々、明確に嫌いになった方がおられることだろう。
「好き」の反対語は「無関心」だと、娘が言っていた。
「嫌い」は、「好き」の反対ではないので、気にしないことにする。


今日は、ブログ村の他のブログを読み、たんなる思い付いたことをダラダラ書くだけの、平和な日にいたします。

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踊らされる生身の人間

2018-02-08 | ブログ
閲覧数が急に上がった。
ロボットの仕業か?
べつに、これといった特別な記事も書いていない。
閲覧数が急に膨らんだ時間帯も、アップした時間とまるで無関係。
無機質に人のブログに大挙、押し寄せて来られても困る。
真のブログに訪問された方と、ロボットとの見分けがつかなくて、翻弄される。
そもそも、ブログ村の注目人気記事は、AIが選んでいると確信している。
最近、送られてくる金融系DMには、「AIが選んだ特別な情報」などと堂々と銘打っている。
主客転倒か?
ある程度の作業はAIに任せるとよいが、生の人間の総合力や感性で、情報を料理すべきだ。味付けは人間。
下準備はAIに任せ、方向性を決めたり、創造性は人間で。

突然、理由もわからずらブログ閲覧数が急に増えると、PV(閲覧数)はロボットの仕業としても、IP(訪問者数)にも人間じゃない何かが入っているのではないかと、疑心暗鬼になる。
何でも信じられなくなったら老害。
だが、一番信じられないのは自分だから救いようがない。

見た目は人間と変わらないが、ロボット人間ばかりがひしめく未来都市に、生き延びた生身の人間がビクビクしながら暮らす映画をよく観る。
ブログにも、ロボット人間が混じり込んでいそうだ。
(現実に、著作権侵害の被害に遭ったことはある)

今日、書こうと思ったのはこんなことではなかったのに、編集ページを開けて閲覧数を見たら、上述の感想を抱いてしまった。
これがもし今日のブログの前置きだったとしたら、読む側は、長すぎて疲れ果てて集中力が持たなくて、今から書く内容など誰も読まないだろう。
読んでくれるのは、タフなAIだけかも知れない。

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