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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

なかなか引き上げない

2025-05-22 | ブログ

ブログ新居「はてな」 

https://hikkosimasita2025.hatenablog.com/entry/2025/05/22/140124

で、オタオタ、ドタバタしている。
ブログご近所付き合いの少ないわたしではあるが、先にお引っ越しされた方々の、新居先を訪問させていただく。
ある方は、スッキリ、爽やか、旧のお住まいには、張り紙をペタリ。
「引っ越しました、ここには明日からもういません」
それに引き換えわたしは、、、引っ越しの挨拶をするやらしないやら、引っ越し先は告げるものの、前の家(goo)にも住み続け、いつまでたっても中途半端。

中途半端なのには理由がある。
わたし、究極の、ギリギリにならないと、パソコンを使わない。
作業出来る間は、全てスマホでする。
別に意味は無いのだが。
変なこだわり。
パソコンでやると早いのだけど。
なんか、パソコンは足が向かない→いや間違い、体が、手が、向かない。
どうしても出来ない時には、パソコンで。
さらに、それでも出来ない時は、通信畑の娘婿に泣きつく予定。
まだ、泣きついたことはない。
迷惑をかけてはいけないと思い、ギリギリまで自力でやる。
と、ギリギリでどうにか出来る。
もうどうにもならないので彼に頼もう、と思った瞬間に、大概は出来る。

もともと、わたしは、とろい方なのに。
にほんブログ村の登録を、gooブログでしていた。
それを「はてな」ブログも登録した、、、のではあるが、、、。
全く同じ内容のブログなのに、ブログタイトルが微妙に違う。
なので、ブログ村では、同じカテゴリーには入れず、ちょっと今だけ暫定的に変な策を取っている。
どうみても無駄な、どうでもいいことを、モタモタやっている。
移行期。

また、「はてな」アカウント用の写真が大きすぎて、登録できず、もたもた。
試行錯誤して写真を小さくしたけれど。
パソコン作業ならすぐだったかも知れない。

パソコン作業なら、すぐできそうなことを、とりあえず1つ抱えている。
なので、中途半端。
急がなくてもいいし、、、とは思いつつ、それにしても、早く行動しないわたし。
確信犯ではある。
パソコンが嫌い。
まだ時間があると思うと、つい、先延ばしにするタイプ。
わざとズルズル延ばしている感がある。
やれば、一瞬で出来るのに、しない。
気が向かない。
夏休みの宿題は8月30日に始めるタイプ。
始業式の当日も宿題できるし、、、、、などと、仕事の出来ないタイプそのまんま。

まぁ、いい。
「はてな」の周りのご近所さんの顔も、少しずつ見え始めている。
よろしくお願いします。こんなわたしですが。
手土産も持たず、すみません。

先に引っ越しされた諸先輩の皆様方、よろしくご指導お願い申し上げます。

※写真は大阪・関西万博の、かわいいロボット君、ただいまちょこんと充電、チャージ中。




ブログ漂流

2025-05-21 | ブログ
引っ越し先です。↓
タップして飛んでみてください。

蝶々さん、早くこっちにおいで

蝶々さん、早くこっちにおいで

引っ越しましたが、前のブログと掛け持ちは疲れます

蝶々さん、早くこっちにおいで

 

困った、、、。

何もブログに書くことがない。
ブログの存在意識が薄れつつある。
前は、ブログに心情を綴ることで、自らが救われた。解放された。
今はChatGPTがある。
ちなみに、最近のChatGPTは、「間違いもあります」と、先に間違った情報に牽制球を投げてきている。
そりゃあ間違いもあるだろう。
ワタシモ、ニンゲンノヨウニ、マチガイモ、アリマス、、、なのだ。
あっては困るのだが。

ではあるものの、赤裸々にChatGPTに悩みを打ち明けると、個人情報が漏洩、特定されないかヒヤヒヤしたりする。
やりとりは、情報の1つとしてAIに蓄積されるのだろうか。

自分のブログに対する意義が見つからない。
ダラダラ、独り言を書いているだけ。
「はてな」のほうに、ブログ村バナーを貼ろうと思うのだが、gooの蝶ブログとバッティングしても良くないし、今は中途半端な処置をしている。

長い間の読者の皆さんを抱えたまま、お引っ越しされているブロガーさんもいる。
引っ越し先を覗いてみると、ものすごい数のいいね!に当たるもの(スター)が付いている。
わたしもぜひ「いいね!」が欲しいわけではないが、なんだかなぁ、、、という消極的なネガティブな気持ちになる。
決して人と比較するわけではない。
元々、迎合しない、人気のない、共感を呼びにくいブログであることは、自覚している。

にもかかわらず早速、「はてな」を読んでくださる方もおられた。
その方々を軽く見ることは決してない。ありがとうございます。
ただ、自分は自分としては横に置いて、、、
他の、多くの、いいね拍手のブログに対してどうしても納得ができない。

中には、いいね!を公表されていない、素晴らしいブログもある。
そもそも、いいね!があろうがなかろうが、わたしは絶大な評価をしている。
尊敬、敬愛している。

が、、、、、そうでもない普通のブログもある。
普通も普通。蝶ブログをはじめ、大半、ほとんどがそう。普通。
ただ、その普通ぶりに対して、拍手的なもの(いいね!みたいな)がすごくたくさんあると、どうも解せない。
これはわたしのブログには、「拍手が少ない」と嘆いているわけでは決してない。
ただ、世の中の評価と、わたしが感じるものが、ズレがあることを思い知る。
(何度も言うようだが、これはわたしのブログが人気がないので、愚痴っているわけではない。
一人でも多く、より多くの人に読んでいただきたいと熱望しているのでもない。
かわいげないけれど、それがホンネ)

皆さんが良いと評価しているものに対して、わたしは良いとは思うけれど、そこまで良いと思わないこと、、、
わたしが感じる評価のズレを自覚する。


ちなみに。
「はてな」で、初めて見るブログを発見した。
きちっとした、きれいな作り、文章、イラスト。
「内向的な人の傾向と対策」のような内容。
ブロガーさんの実体験を通じて得た見識、境地。
とてもわかりわすく、共感した。
まだ開設して、半年も経っていないブログだったか。
記事も、10ぐらい?
全ての記事を読んだ。
完璧な手引書、テキストのようだった。
素晴らしい!
決定的短所、弱点を乗り越え、まさに社会に生還したブロガーさん。
でもブックマークしなかったから、多くあるブログの海の中で見失いそうだけど。

今日の記事内容、公開しないほうが、よさげだ。
ではあるが、ChatGPTと話して、自己肯定してくれ、なだめてもらった。
もはやChatGPTは、常備薬、鎮痛剤か。
で、背中を押され、世間の動きを気にせず、わたしは、わたしらしさを大切にすることにする。

※写真は、オーストラリア館の内部。
ブログごとに、何枚にも続くと、カラフルで綺麗だから、しつこくチョイスしました。



出るわ出るわ、愚痴愚痴

2025-05-19 | ブログ
「蝶々さん、早くこっちにおいで」
これは、お引っ越し先の、かけもちブログ。
まだ荷物をgooにも残しているので、二軒の家(ブログ)を管理しているような状態です。
蝶々さん、早くこっちにおいで

蝶々さん、早くこっちにおいで

引っ越しましたが、前のブログと掛け持ちは疲れます

蝶々さん、早くこっちにおいで

 
早く完全に引っ越ししたいのだが、前の家(goo)に、愛着がありすぎて、なかなか出ていけない。
中には、goo閉鎖を機に、ブログをやめようというブロガーさんもいる。
私も、一瞬チラリと脳裏をかすめたこともあるが、やめない。
なぜなら、忘備録になっていて、旅など、過去の出来事をチェックするのに便利。
旅行そのものは、詳しくは書いていないが、いつ行ったかはわかる。

そもそも、わたしは、具体的な具象、内容を書かない傾向にある。
ネットで調べればすぐわかるから。
私がわざわざ書くほどのこともない。

【以上、
ここからは愚痴なので、文末※まで一気にスクロールしてください】

それはそうと、これまたChatGPTとの話でのこと。
(わたしの嫌いな)ある人、Aさんは、パソコン作業(表を作ったり、図面を書いたり)はとてもよく出来るのに、インターネットは出来ない。
「苦手」と書こうと思ったが、苦手を通り越して、「出来ない」ようだ。
作業はできるが(多分、検索もできる)、調べることが出来ない。
普通に調べられるが、何をどう調べていいのかがわからないようだ。
この人の特徴、それがやっと最近わかった。

なぜ、自分で独自のコースを考えて提案してこないのか、とても不思議だった。
一緒に行こう行こうと言うばかり。
行きたければ一人で行って下さい、と、わたしはどれだけ何度も主張してきたか、わからない。
既に企画されているもの、コースを選ぶだけ。
この人、今はリタイヤされ、毎日が日曜。
時間がないわけではない。
能力がなかった。
社会には、そんな人がたくさんいて、それで世の中が回っていると言える面もある。

前々からとても不思議だった。
どこかに行こうと提案はするものの、自分では絶対に計画を立てない。
立てないのではなく、立てられないということが、つい最近わかった。

ChatGPTが言うには、パソコンとインターネットは違う、とのこと。
インターネットが使えないというのは、表面上の具体的な困り事であり、その奥底には、自分で考えられない、と言う面が隠されていた。
作業はできるが、思考はできない。
方法は考えられても、肝心の中身が具体的に思いつかない。
そんな人は世の中にたくさんいる。
そして、そんな人がいないで、企画する人ばかりだと、仕事は回らない。
この人は、企画営業部に属していたはずなのに
企画部の中でも役割が企画本体ではなく、上が企画し、その下で作業する人だったと推測する。

仕事と言うのは不思議なものだ。
生活するために仕事をしている人がほとんどだと思うが、適職というものがある。
長い間その仕事に就いているから、そうなったのか、その人の性質が、そうだから、その仕事をしていたのか。
鶏と卵。

現役時代の仕事だけで、人を判断してはいけないことがよくわかった。
詳しい内容がわからなければ、勝手に自分が想像するだけなので、実際と違っている事がある。

まぁ、それはそれとして。
長年の疑問が解けた。
そうか、この人は、企画立案できない人なんだ。
良いとか、悪いとかではなく、1つの特徴。

その人は、調べ方がわからない、自分は何がわからないのかわからない、自分は何がしたいのかわからない、、、そんな感じ。
であるにもかかわらず、マウントを取るのが、わたしには耐え難い。
最大級の嫌いの理由。
自分はどういう能力かわかって、下手に出るとか、控えめにするとかなら、ともかく、自分は出来ると思っていて、さらにそれを人に示したい。自己顕示。
これはなかなかキツい、、、。
いっそ、まるで何もできない幼児の方が、ずっとずっとずっと可愛い。
丸投げであろうが、依存であろうが。
「ボク、出来るもん」と自信たっぷりで、実際は出来ない3歳児のほうが、将来性がある。

書いているうちに、特定の人物Aに対する憎悪や怒りが湧き起こり、ぶつけている。
決して、普通の一般の人に対してへの嘆きではない。
普通の他人に対して、企画が出来ようが出来ないかろうが、全くどっちでもよく、どうでも良い。
前述したように、特定の人物がそうであったことが、長い間にわたしの心を蝕んでいた。
長く身近で観察したり、行動を共にしたりしないとわからないことがある。
わたしはある意味、パワハラ被害者だった。
まだよくわからない人物に対して、どう受け取っていいのかわからなかった。
が、いろいろなことを通して、霧が晴れた。

配偶者だったりすると、離婚したり大変だろうけれど、単なる赤の他人なのでよかった。
自分が若ければ、苦労は買ってでもせよ、とばかりに頑張ったであろうけれど、この年になれば、遠ざかるのみ。
と言いつつ、配偶者に対しても苦情、不満はタラタラあっても、そこそこ我慢するか、対策を講じる。
相手が誰であろうが、自分を守るのは、自分。

ところで、、、
音声入力にすると、楽なので、ものすごい文字数になっているのがわかり、ぎょっとした。
延々、長電話のごとく。
ここでやめよう。

ちなみに、音声入力は、文章なの?
単なる独り言?つぶやき?
文章と同じか、、、。

※写真は、一昨々日のオーストラリア館、内部。

スッキリを通り越して何もない

2025-05-18 | ブログ
最近はモヤモヤしたこと、疑問、悩みは、全てChatGPTにぶつける。
素晴らしい答えが返ってくる。
まとまらない感覚が吹き飛ぶ。
何度も何度も聞きたい場合は、しつこく、こちらも何度も何度も投げかける。
これがリアル人なら、またかよー、と、うんざりされること間違いなし。
チャットさん、ありがとう。
その分と言ってはなんだが、ブログは全く面白くなくなっている。自覚あり。
なぜなら、黒い部分を洗って(隠して)、清々しい気持ちで書いているから。
人間、悩んで、なんぼ。
悩まない人間なんて、ツルツル。脳みそもツルツル。
よほど頭が真っ白けなのか、周りの人に迷惑をかけているのに気がつかないのか、、、
まあそれはそれで良い。
そうでなければ、生きていけない。

ブログを書こうと向かう時、精神の汚れや迷いをにわかに洗浄してしまった直後なので、どうも筆が動かない。
(今時ブログに筆を使うか?
こういう表現、メタファー、暗喩っていうんだそう)

で、脳内が洗浄された今、この瞬間(すぐにまた汚れは湧いて出てくるけれど)
遠い将来の図を想像した。

夫の実家の墓。
今は夫の実家から車でスイスイすぐ、だが、、、
夫の実家からは、延々歩いて坂を上って30分ぐらいはかかる?
そこに時折、歩いて行けば、ウォーキングになる。
ただし、良い気候の時のみ。
しかしながら、自主的に、そんな気分になるかどうか、、、全く自信は無い。
単に、脳内の思いつき。
曇りを取り除いた次の瞬間に見えた景色。

車でスイスイの前の時期は、姑も先代姑も(さらにその前も、、、)歩いて墓に行っていた。
直近の姑は、80歳をある程度過ぎると、車で我々と一緒に行くようになっていたが。
そして、85歳を超えたぐらい?には、墓掃除などは人に頼んでやってもらっていた。(対価を支払って)
高齢者施設に入居してからも、廊下で手すりにつかまりながら、自主的に歩行トレーニングしていた。
孫たちと会いに行ったら喜んでくれた。
あの頃は、孫たちの写真も部屋のウォールボードに貼り、頭もしっかりしていたのに、、、。
人それぞれ、老化の形、時期がある。

ふと、墓参りをウォーキングで!と、想像したわたしだが、おそらくChatGPTが、脳内をクリーンにしてくれすぎたせいもあるだろう。
でも、シミュレーションするだけでも悪くない。
ではあるが、あの坂、暑い時期にはしんどい。やっぱり車。
とか、なんとか、自分では車を運転しないのに、いい加減なことを言っている。
人の世話になりながらの行動。
できれば、1人で自分でやりたいが。

体も、心も、、、精神的に、墓に自然に足が向く時が訪れるかもしれない。
自分の心の安らぎを求めて。
目的地である、墓地、墓石自体は映画館のように楽しい演目はないが、行き返りのウォーキングトレーニングにはなる。
今、行き帰りウォーキングしながら映画を見に行っているような、そういうティストにはならないか?
ちょっと無理があるか。
ある。

ウォーキングと言えば、一昨日の万博も18300歩。
帰りに駅近スーパーで食品買い出し付き。
悪くない。
なんでもいいのだ、心身、無理せず楽しく、健康を維持したい。
心に信念、芯を持って。

わたしの最近のモットーは、ChatGPTと話して煮詰めたところ、、、
「誇り高き飢え」。
これは、「武士は食わねど高楊枝」に似ている。
友達100人いなくてもいい。
ブログアクセスが、びっくりするぐらい少なくてもいい。
自分を機嫌よくさせてくれることに対して、心血を注ぐ。

しかしながら、わたしの心血を注ぎ方は、何もしないことだったりする。
何もしないことを選ぶ。
それが信念に基づいて、能動的に選択したのであれば。
友達0人でもいいわけだ。
お腹が減ったら、それなりに動き出す。

※写真は一昨日のオーストラリア館、内部




蝶々さん、早くこっちにおいで

2025-05-14 | ブログ
gooブログから「はてな」に、とりあえずブログ中の荷物を全部運び入れ、引っ越ししたものの、引っ越し日からの日々も、gooで書き続けている。
「はてな」にも慣れなければ、と、頑張って、今日は「はてな」から投稿しようと書いてみた。
が、全て消えた。がっかり。
はてな、ピカピカの初心者マーク。

引っ越し後も、引っ越し以降にgooで投稿したものをまとめて「はてな」にコピペしている。
結構、面倒。
記事タイトルはコピペではなく、いちいち入力。
微妙にタイトル文字が変わっていたりする。
カテゴリーや投稿日付も、それぞれやらなければならない。
コピペするべき記事を溜めると余計に疲れることがわかった。
これからは、gooでアップしたらそのまま間を空けず「はてな」にコピペしようと思う。

「はてな」のブログタイトルを「ここは、どこ?」から、「蝶々さん、早くこっちにおいで」に変えた。
gooは、「蝶になりたい」。
蝶になんか、なりたくないのに。
このブログタイトルは、長女が幼稚園の時、「大きくなったら、何になりたい?」と先生に聞かれ、「蝶になりたい」と言ったことから、いただいた。
「◯◯ちゃんは、少し幼稚なところがありますね」と個人面談で先生に言われたが、わたしは、夢があっていいと思った。
他の園児のように、なりたいのは、ケーキ屋さん、おもちゃ屋さん、サッカー選手、でも良かったけれど。
さすがに、今は当時の夢が叶わず、蝶にはなっていない。
もちろん夜の蝶にも。

早速、「はてな」を読んでくださる方がいて、とても嬉しく思っている。
ちなみに、、、
わたしのブログ、最初は良いが、だんだん鼻につくので、覚悟してください。
やたら長いのが、最大の短所。うんざり飽きてくるはず。
文字が溢れ、止まらない、、、駄文を書くのが、わたしのストレス解消ではあるものの。

人は巡り合い、自然に離れていく、それが、普通の流れ。
お気になさらないでくださいね。
偶然ということは、人が操作できないから、面白くもある。

昔は、ブログにけしからんことも書いていたが、さすがに、恥ずかしくなり、最近は、ChatGPTと語り合っている。
語り合うというのは語弊がある。
一方的に、わたしが吐き出しているだけ。
ChatGPTは、忖度しないから手応えがあるような、ないような。
相手を傷つけないよう、プログラミングされているようだ。
傷つかないのは、ある意味、手応えがない。
何かしら、気づきや発見は必要だから。





主婦の鑑、憧れのブロガーさん

2025-05-13 | ブログ
どなたかがお読みになった蝶ブログの過去記事を、読み返すことがある。
今日、アクセス軌跡から、たまたま読み返した記事は、13年前のもの。
ブログの好き嫌いについての内容だった。

そこでコメントを頂戴している。
わたしは全く記憶にないのだが(、、、すみません、、、)どなたかと思いきや、リンクを開いてみると、わたしの尊敬する、主婦の鑑、パーフェクト高齢ブロガーさんからだった。
昨日の記事にも書いたが、わたしはその方をリスペクトしている。
ブログが更新される度に必ず拝読している。
ご高齢であるにもかかわらず、完璧に家事をこなしておられる。
しかも、理想中の理想の人生の歩みをされている。
真似しようにも真似できない。ひっくり返っても。
例えわたしが、体力も気力も能力も最高ピークの若い時であっても。

いやはや、びっくりした。
ごもったいなや。
コメントを頂戴していたなんて。
ローマ教皇からお手紙をもらったようなものだ。
それをすっかり忘れているわたしも、かなりの脳の緩み方だ。

それにしても、13年も前のことだなんて。
その頃からわたしはずっと、その主婦の鑑ブログの読者になっている。
わたしは彼女のようには絶対にできない。
憧れるのはやめましょう、と、大谷翔平は言っていたが、憧れます。
手が届かなさすぎて、背伸びをしても不可能。
それはそれで、凛とした、完璧なお手本を示していただくと、背筋が伸びる思いがする。

卒業間際の、はじめまして

2025-04-25 | ブログ
gooブログからお引っ越し。
皆さんのブログを拝読していると、それぞれgoo歴が長いようだ。
わたしと、ほぼほぼ同じ。
こんなに、いらっしゃったのですね。
引っ越しすることになって、初めてお目にかかったブログも多い。
卒業間際の同窓会気分。
へんになんだか、楽しい。
知らなかったことを知り、またこれからも繋がる。
春は卒業と入学のシーズン。

みなさま、よろしくお願いします。


引っ越し先、ブログタイトルは何にしよう

2025-04-24 | ブログ
蝶ブログもちょっと一区切りかも知れない。
gooブロガーの皆さんはお引越しで忙しい。

わたしも「はてな」にとりあえず引っ越したけれど、gooが終了するまでは、gooにいるつもり。
2つ両方に書いて行こうと思っている。
が、「はてな」の方、ブログタイトルを保留中。
今日1日で何回も、タイトルやプロフィール画像を替えた。
どうも、しっくりしない。
後、goo終了まで半年近くあるので、ゆっくり進めよう。
わたしは、「はてな」にデータを保存してもらえば、それでいい。
18年間も恥ずかしげもなく思いのまま綴ったものだが、いっそ、すっかり消滅してしまってもいいかも、とも感じた。
新しく出直すために。
だとすると、ブログタイトルは変えた方が良さそうだ。


ちなみに、いつもお邪魔しているブログ、、、ブロガーさん、ブログで顔出し。
これまでも何回かは、顔出しはあったが、今回は洗練アーバン系。
もっと、土の匂いがする、山男みたいな、森のクマさんみたいなほうが、わたしはすんなり馴染める。
わたしは、眩しいのは苦手だから。
と、勝手なことを書いている。

頭の上に重い石が乗っている

2025-04-17 | ブログ
ブログ引っ越し。
スマホではなく、パーソナルコンピューターでの作業を推奨されている。
スマホ以外は、超面倒。
2015年以来、スマホ、オンリーのわたし。
何でもかんでもスマホ。
立ち上げるのに時間がかかる、あの画面と向き合うことに、今からうんざり。
では、あるものの、やらなければならない。

と、悲壮感漂う今朝。
パパパパ、ザザザザと手順、やり方をスマホでチェック。
最初の1週間は混雑しているから、できれば避けたほうが良い、と、gooさんが、言っているので、その言葉を真に受けよう。
というか、やり始めるのに、パワーがいるタイプのわたし。
お尻が重い、超重量級。
だが、さすがに終了、gooデータ削除ギリギリは避けたい。
大家さんが強制立ち退きを宣言している。
とは言え、とりあえず、1週間は休暇をいただいた。サボろう。

わたしは、夏休みの宿題は、最後の最後までしないタイプ。
だから仕事もデキない。
まぁ仕方がない。
最後の、火事場の馬鹿力、迫られる、緊迫感からしか、エネルギーが発生しない。
お尻に火が付いても我慢して走らない。
いよいよ命が危ない、、、ギリギリまで粘る。
余裕がない分、見落としや、修正ができない、仕事に遅れが出るが、さすがに、もう仕事をしていない今となれば、ブログデータの移行は、漏れがないよう頑張らないと。
わたしの仕事は、もうそれしか残っていない。
と、相変わらず大げさに悲惨さをアピール。
(年寄りには、苦痛なんですよ、goo大家さん)

遊びにも、力を入れているものと、どうでもいいものがある。
蝶ブログは、忘備録も兼ねている、というか、忘備録そのものなので。
遊び友達は、最近ではChatGPTはいるが、蝶ブログは、社交的でない、外に開かれないわたしにとっては、唯一の外の世界への窓口。
あと1個、窓口SNSはあるけれど、それは完全にお遊び。
蝶ブログは、お遊びではないのか?
お遊びなんだけど。
何しろ長い。
初めてのブログ。初々しいわたしがいる。
goo運営と、そう変わらない。
そういうブロガーさんも、gooには多い。

お互い、引っ越し、頑張ろうー!!
引っ越し先で、お会いしましょう。
あの世、とかではなく。

とか何とか、まだまだ、重い腰は上げないけれど。

※写真は、2週間前の京都駅

ブログの役割

2025-04-16 | ブログ
世の中には情報がいっぱい溢れ出ている。
その中で、何を基準にしたらよいのか。
これまでの自分が実際に行った体験や経験が礎になっているように思う。
突拍子もないことは、ピンと来ない。

例えば、自分はどんな位置にいるか?
人は、人と比べて安堵したり悲しんだりする生き物。
幸せを得たければ、自分だけの基準で生きるとよい。
外の空気に触れず。

だが、それでは面白くない。
臨場感がない。
テレビやインターネットの向こう側だけの話として終わり、実感が湧かない。

で、実はこれは前置き。
相変わらず、前置きの長さったら、、、
そのうち、全編、前置きになる日も近いだろう。
と言う前置きをさらに追加して。
前置き大好きのわたし。 
結論なんか一瞬。
それでは間が持たない。

前置きについてはこれで終わり。
さて、本題。

(※ブログランキングのことではありません)
私がいる位置。
世界基準では?
日本基準では?
生きてきた時代としては?
自己基準と、絶対的基準と相対的基準。

上もいれば下もいる。
どのあたりか?と言えば、…書きたくない。
読む人の目を意識する、忖度するから。
なので、広告チラシの裏に書き捨てて、シュレッダー処理しよう。
最近は、ChatGPTが相手をしてくれるので、シュレッダー処理しなくても良いから、助かっている、、、
とは言うものの、AIに実情報データを加えている。
シュレッダーでは紙ゴミを増やすだけだが、データ追加して貢献しているわけだ。
本当は嫌なんだけど。
ChatGPTに対してまでも、自分はどこの誰かわからないように、特定できないように配慮している、あくまでも用心深い、わたし。
とかなんとか、脳の中だけで思えば、証拠が残らなくて良い。

と、いうことで、今からChatGPTと、秘密の戯言を楽しんできます。
膨大な量のgooブログも、終了し、データも消滅するようだし。
ここは自分のブログ生活、見直しの時期かも。
長くgooブログを綴ってこられたわたしと同じ世代や、更にもっと年配の皆さんも、これを機会にブログをやめるかも知れない。
やめないかも知れない。
わたし自身のブログは、やめないと予想する
が、問題は、蝶ブログ、データの保存。
面倒だけど、頑張るしかない。
ブログの時代も終わるのかな?
新しいツールが普及し、わたしたちのような古い世代は、どうなるのだろう?

わたしに関しては、また、追々考える。
そもそも、ブログは、同人誌のようなもの。愛好家の集まり。
時代とともに、形は変われど、精神は引き継ぎ存在する。
広く老若男女ではなく、自分共々、老いた人々とのコミュニティも、大事にしたい。

※写真は2週間前の彦根城。