蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

地響きとともに

2014-12-28 | 日々のこと

1ヶ月と2週間ぶりの、開放感。
朝、起きても、頭に乗った漬物石はなく、血液はさらさら、血管に何の突起物も感じず流れている。

赤ん坊の簡易ベッドを片付けながら、まるで入院患者が退院した後の、病室清掃気分。
あちこちに踏みつけられた雑草や、ゴミや、靴の片方だけが落ちている、
地響きとともに、戦車が通り抜けた跡のよう。

長女一家が、お婿さんの実家に里帰り。
戦車まるごと、瞬間移動。
こちらは開放感だが、あちらのお家は大変だろうなあ・・・。
お気の毒・・・。
わぁわぁ、きゃあきゃあ言って喜ぶのは最初のあたりだけ。
運動会の一周目トラック。

あちらは、去年は長男さんご一家も帰省されたらしいが、
「今回はどうなの?」と長女に尋ねると、「来ないかも知れないらしい」との返事。

そりゃあそうだろうなあ。
長男一家は、遠方に住む、幼児一人と若夫婦。
次男一家は、これまた遠方に住む、乳幼児2人と若夫婦。(長女のお婿さんは、次男)
近くには、近距離のところに嫁いだお姉さん(子供は幼児2人)が住む。

日ごろは、リタイアされたご夫婦だけの静かな暮らし。
そこへ、芋の子をごった返したような乳幼児とりまぜた、ごった煮状態での年末年始。
台所、大変だろう。
あちらのおかあさん、目が回るだろう。
食堂、全員、揃って食べることが出来るのだろうか?
お風呂の順番は?
最後の人は、お湯の状態は? (量、質、温度。いっそシャワーで。温もれないけれど)

お年寄りが同居していないから、まだマシだ。
若い、熱い、次から次へと起こる用事で、熱気と混沌の、ごった返し。

そうやって親きょうだいを巻き込んで、子育てしていく。
いちいち気を使っていては、やっていられない。
一人で抱え込んで頑張っても、パンクする。
自分もずいぶん、助けてもらった。
直接、手助けできないお年寄り(曾祖母)は、子育ての足を引っ張らないよう、自分の健康に気をつける。
各自、自分の持ち場を守り、役割を果たす。

お正月には、またまた民族大移動。
どしんどしんと、大地響き。
それぞれの核家族が子供や孫たちを引き連れて大集合の、大家族。

長男のヨメだけが、しんどい思いをするのではなく、
各世帯、負担が軽いようにしなければ、持たない、続かない、維持できない。
地方(親元)と都市部(子世帯の勤務・通学地)のパイプやバランス、役割分担。
辛い想いをしてきた、上の世代の人々の経験を、知恵を絞ってプラスに転化させるのが理想だ。
降って湧いたような妙案は存在せず、試行錯誤するしかない。

リタイアすると、親元に帰る人も、ちらほら見かける。
が、仕事や子育てのために住んでいた、現役時代に自分が生活していた地をすぱっと切るのではなく、親元と行ったり来たり。
ただし、年とともに、体力や気力、経済力が持たなくなり、どちらか一方になることが予想される。
そこで、子供たちに、いかにバトンタッチするか。
まったくバトンタッチできすに、そこで断ち切れてしまう場合もある。
有形・無形ともに、継承は、困難を極める。
自分の想いと子供世代の想いは、別であることが多い。

都市部では、一代一代、消滅してき、また新しい一代が生まれ、誕生、消滅が繰り返される。
そこに続くものは、血だけか。(血が続かないこともある)
お墓の継承さえ、切ろうとする動きもある。


子供や孫を可愛がるのは、ペットを可愛がるのと訳が違う。
かといって、自己犠牲までして見返りを求めるのは、理想に反する。
虐待を受けて育った子供は、また虐待を繰り返す傾向にあるらしい。
それと反対に、愛されて受け入れられて育った子供は、同じように人を愛する心が育まれているように思う。
が、無条件に溺愛するあまりに、距離感を保てず、お互いのためにならない親子もいる。


あまりたいして何も考えずに、理想的な家族もいるし、
考えたからって、どうなるってものでもない。
なるようになる、ってこと。

で、怒涛の如き過ぎ去った、この1ヶ月半。
自分の時間が持てないということは、河童のアタマのお皿が干からびる、ということだ。
ぺきぺき、ひび割れしそうではあったが、どうにか持った。
ひとつひとつの事柄をクリアして、次に移る。
さあ、また次のステップが待っている。
それまで、ちょっとサボっておこう。

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あっさりした、クールなブログや、小説再燃を夢見るが、今のところはまだ時間が足りない。
とりあえずは、とある(面識ありません)人から「お題」を頂戴していた内容の記事(別サイト)に、やっと着手できそうで、それが嬉しい。


日常的に、予定を乱される

2014-12-16 | 日々のこと

孫の突然の発熱で、予定は乱されまくり。

孫守で、自分の時間は大幅に狂わされる。
自分だけの時間ならまだしも、予定をあれこれアポイントして入れている
対人スケジュール管理が、成り立たない。

何が何でも、何百人もの人々に迷惑がかかるから行かねば・・・という状況でもない限り、
最低1人あるいは、5人以内の人数なら、予定変更の手続きを余儀なくする羽目になる。

乳幼児の母親は、そんなバアサンの負担など、あまり感じていない。
ある意味、順送りなのかも知れない。

娘に感謝されるために、ありがたがってもらうために、孫守サポートをするのではなく、
あくまでも、孫のため、孫の病気が一日も早く良くなるためのサポートと思えばよい・・・。


自分や自分の周りに負担をかけた分、自己犠牲の分、見返りを求めようとする、わたしがいる。
わたしの周りに迷惑をかける人々に頭を下げ、予定変更をしつつ、なぜか腑に落ちない自分をなだめる。

 

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ネタぎっしり

2014-12-15 | 日々のこと

同居というものは、いろんなネタが詰まっている。
とりあえず、今は3世代同居であるが、場合によっては、4世代同居もありえなくもない。

日本は昔、そういうのがスタンダードだった。大家族。
未婚のきょうだいもいて、(我が家にも、現在いる)、オジ・オバ・甥・姪なども同居。

義母は結婚した当初、嫁入り先の家には、一番下の夫の弟がまだ中学生、その他、きょうだいが2人いた、
その辛い日々を、60年以上経った今も、いまだに語り続けている。
家事を難なくこなす電化製品もなかった時代であり、女中さんや男衆もいたようだが、
「休暇には実家に帰れる女中さんが、羨ましかった」と、いつもこぼしている。

そのうちの、当時、中学生だった義理の弟は、
すっかり、おじいさんになり、今も、毎日のように義母の家に顔を出し、仲良く談笑しているんだから、
それはそれで、幸せなんじゃないかと思う。

小説を書きたい気分になってくる。
あまりにも、ネタがぎっしり。
人生って、深い。

 

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同居 その3

2014-12-08 | 日々のこと

さて、3世代同居、スタートして4週間目を迎えた。

娘婿は、一週間前の日曜の夜に、頭痛で寝込んだが、翌日、月曜の朝には元気に出勤した。
発病の時期タイミングからすると、どうみても、同居のストレスである。
かわいそうに。
わたしは、娘婿が回復した月曜の朝から歯茎が腫れて、奥歯でモノを噛めなくなり、
やわらかいものを食べていた。
しかしながら、趣味関連で半日、エネルギッシュに発散したら、歯茎の腫れは引いた。
ゲンキンそのものだ。

趣味というものは、必要である。しみじみ。
家から出かける「行き」は、重い気持ちで、家庭の疲れを背負い込んでいたが、
帰路の電車内では、気分すっきり。
気持ちの切り替えは、大事だ。
オン・オフ、すぱっとチェンジ。

昨日は、娘婿のご両親が遥々遠方から、ベビー誕生イベント(お宮参り)がらみで、
我が家に来られ、あれやこれやして、どどっと疲れた。
・・・で、また、今日、月曜日の朝、歯茎が腫れている。


ご両親が見えるにあたって、超スピーディ掃除方法で、家をゲスト・モードにした。

娘婿も手伝ってくれるのは嬉しいのだが、いつものわたしの掃除方法が、バレバレになった。
手の内、バレバレ。

まず、ピンポイントで、ゲストを迎える直近の日に前もって、お掃除のプロに、代行してもらう。
この時点で、わたしは掃除を放棄しているように見えるが、実はそうではない。
他人に掃除してもらう前に、自分で掃除しなければならないからだ。
いくらプロにお任せ、といっても、あまりにも汚い部屋は、わたしの人間性を疑われる。

なので、お風呂、台所、食堂など、あらかじめ、おおまかに掃除をする。
予洗いみたなものだ。

そして、プロがやってくる時間の直前までカウントダウンしつつ、必死で整頓。
プロがやってきたら、今度は、大まかなモノを移動させる。
どけておかないと、掃除がしにくい。

プロにピカピカにしてもらった後は、ゲスト来訪予定の1秒前まで、あたふた、もたもた、
執着、しがみつき、部屋を整備。

ゲストが来訪する当日の朝、ダンボール箱に、引越し業者のごとく、
部屋にある、むさくるしい物々をおもむろに、どんどん手当たり次第、詰め込む。
手際が良い。冷静、沈着、迷いがない。
なぜなら、仕分けする必要はなく、根こそぎ入れる。
ダンボールに入れ、移動したあとは、すっきり、美しく清清しい。
ダンボールは、「食堂ワゴン上」「食堂窓際、棚」「食堂テーブルの上」などに小分けされた箱に詰め込まれる。
娘婿は、パソコン周辺を自主的にやってくれた。
わあ、なにも余計なモノは、ない。すっきり~。
だが、ゲストが帰った後のことが、ちらりと脳裏をかすめるので、大事と思われるものは、
どこに入れたか、きっちりとアタマに叩き込んでおく。
部屋の断捨離、モノの瞬間冷凍みたいなものだ。

早足で、ばたばた作業が進み、予定の来訪時間。
ピンポ~ンの音で、にっこり、
「あ、いらっしゃ~い。遠いところをたいへんでしたねえ」と、
まるで何事もなかったかのごとく、余裕の表情をたたえる。

その後は、いつもより、1オクターブ甲高い声を出して、
いつもの数倍のスマイルで、談笑したり、飲食給仕で、おもてなししたり。
いつもは閑散状態の空調機器も、稼動。

(が、なんと、メインの食堂のエアコンが、壊れていることが発覚。
お天気が良かったので、さほど寒くなかったから、あまり暖房は必要なかったから、よいものの。
13年間続けていた空調機器の保守契約を14年目継続しなかった矢先の、
あてつけのような、ストライキのような、エアコンのダウンだった)

・・・

まる一日、非日常感をたっぷり味わい、夜中まで後片付けやら、出費計算やら、ハイ状態。

歯茎を腫らしながら、必要なものを少しずつ取り戻して、元の場所に戻す。
戻さなくてもいいものは、不必要なモノ、というわけだ。
が、これにも食品も含まれているので、賞味期限のあるものは、必要、不必要にかかわらず、
元の場所に戻しておく。

この歯茎、同居のストレスではない・・・はず。
家事を一気にやるから、こうなる。

プレッシャーが、わたしを機能させる。
プレッシャーのないところでは、わたしは、絶対に働かない。
なので、人生において、ある程度の役割や義務は必要かと思う次第である。


 

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同居 その2

2014-12-01 | 日々のこと

指揮官・長女の元、同居は3週目に突入した。

1週間目は、楽しく明るく、和気藹々。
食料品も日用品も、たっぷり必要だなあ~と、スーパーで買い込み、
林間学校・合宿気分。

2週間目は、遠慮と馴れ合い、気兼ねと自我、ライフスタイルのあれこれ相違、が、
微妙にバランスを崩し始める。
さらに、指揮官・長女と、ベテラン主婦(家事年月だけはベテランのわたし)の、
家事流儀の違いが如実に。

「一家に二人の主婦は、いらないね」

これは、洗濯物を洗った、まだ洗ってない、
言った、言わない、聞いた、聞かない・・・から来る、わたしとのやりとりで、
ゴタゴタっとなった後、長女が発した一言。

わたしは、アタマに来た。湯気ぽっぽ。
こっちが、手伝ってあげてるほうだ! 
転がり込んできて、なにを言っている?
わたしが言うならともかく、長女が言うか?

「はやく、引越しできたらいいね。指折り数えてるよ」
と、わたしのささやかな抵抗。
毒づいているのだが、長女には伝わるか?
(伝わっている様子はない・・・)


そのあたりから、娘婿も、疲れてきたことだろう。
自分の好きなモノを、好きなタイミングで、好きな量、食べられない。
これは、非常に気の毒だ。
ある意味、地獄だ。

もともと丁寧な物言いをする彼だが、
心情がつい口から出るのか、やたら慇懃無礼な言葉となって、痛いほど、彼の心情が伝わる。
お茶を出す。
「ありがとうございます」
食後、
「ごちそうさまでした」
なにかわたしが、アクションを起こす度に(たとえは、タオルを渡すだけでも)、
「すみません。ありがとうございます」
彼が何かモノを手渡してほしい時は、
「取っていただいて、いいですか?」

四六時中、いっしょに生活しているのに、
時間がたてば慣れてフランクになるどころか、どんどん距離が遠のいていく。
敬語のランクも、どんどん上がっていく。

・・・

さて、2週間目の最後の日曜日の夜、
彼は、頭痛で寝込んだ。
あ~、やっぱり・・・・・。

気を使う側、気を使われる側。
震災の後の、体育館での共同生活(のようなもの)。
プライバシーは、ほとんどなし。
せいぜい、ダンボール(のようなもの)で仕切られた、間仕切りのみ。
しかも、小姑付きで、(小舅もサプライズ出現あり)敵陣に、たった一人。

しかし、これは、わたしも同じ。
食事をはじめ、家を提供する側は、自分より、皆が少しでも不自由しないようにと、
食べるものも食べられない・・・
(献立や材料をちゃんときっちり詰めて考えないので、量が足りない・・・)
(お風呂の順番や掃除やら、寝室の布団や掃除やら、目に見えないところに気を使う)

当然、パソコンタイムなど捻出できず
起きてから寝るまで、さらに、朝起きたら、その時から、また・・・
気が休まる時はない。(お互いに)

ついに、彼は病気になった。(軽くて済んだようだが)
「ストレスからや、ね。気を使ってるからねえ」とわたしが労うと、
「ご飯を食べたら、ずいぶん、よくなったみたいです」
と、またまた気を使う娘婿。

気を使っても、よけいに気を使わせることになる、負のスパイラル。
なので、適当にほっておくことにした。

「病気はストレスから来るから、彼はかなり、参っているよ」
と、娘婿を早く寝かせた(寝室に上の孫を寝かせに行かせた)後、わたしが長女に言うと、
「病気になるなんて、根性が、弱すぎる」と、鬼の司令官ぶりを発揮する。
わたしだって、知人から「ちょっと痩せたね」、と言われている・・・。
ストレス・フリーなのは、あんた一人だけなのではないか?

とりあえず、3週目を迎えたものの、
体育館・避難生活は、あと何日続くのだろうか・・・。

病人が重篤化しないことを祈るのみである。

 

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