蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ドキドキが止まらない

2022-08-31 | 趣味
先週に突然決まった本日のスケジュール。
一瞬どうしようか迷ったが、その日が今後の自分の1番若い日。
躊躇しているヒマはない。
今日は心臓が口から飛び出してきそうなぐらい、ドキドキしている。
出掛ける1時間前から準備完了になり、時間を持て余している。
何をしよう、、、。

暑い、、、。
暑いのにホットコーヒーを飲んだ。
ほとんど脳は溶けているとみた。
次。
大根サラダを食べた。
何も今、食べなくても。
次、、、何をしようか考えた。
こういう時は考えてもダメ。

で、洗面所の鏡の前に立った。
ポージング。
うん、イケる。
裸眼、0.01。ほとんど見えてない。
何がイケるのかわからないが、なんでも良い。

さて、あとは点検。
靴、これでいい?
いや、こっち?
いやいや、こっち。
いやいやいや、こっち。
どっちやねん。
まるで何足もある中で悩んでいるかの如く。
2足の普段靴の間を行ったり来たり。

で、キバっていないほうにする。
頑張りが見えるのは、カッコ悪い。
どっちみち、両方の靴ともに大したことはない。
にもかかわらず、どっちがいい?
と、まだやっている。
何しろ1時間もあるので、無駄な時間をいっぱい使わないと埋まらない。

やっと残り30分になった。
スキ間時間を埋めるのにはスマホ遊びをすれば良いのだが、その気にならない。
ソワソワ。
わたしのスマホ遊びは、自宅で一日中お尻が椅子にビタっと張りついている時しか興が乗らない。
役に立たないスマホだ。

ちなみに、昨日もまたまた帰りにスマホをいじっていて電車を乗り過ごした。
いったいこれで何度目か、数える気にもならない。
落胆、驚愕、自己嫌悪、諦め、怒り、笑い、いろんな感情が交互になってやってきた。
で、すれっと涼しい顔で電車乗り換えアプリで乗り換え駅の時間を調べる。
スマホのせいで乗り過ごしたが、ここはスマホに働いてもらう。

と、またまたスマホ入力していて今も電車乗り換えに失敗しないか不安だ。
スマホは元凶であり、ともだちでもある。
そう言えば、スマホなど端末機器を長時間いじって遊んでいる(幼児を含め)子供の認知度が落ちているらしい。
年寄りならともかく、未来ある子供には毒を孕む。

乗り換え駅を間違えないように、、、。
1本も2本早い電車に乗った。
さらに自宅では1時間も前からスタンバイ。

心臓の鼓動は高まるばかり、速まるばかり。
大丈夫か、わたし?
待ち合わせ時間より、30分は早く着きそうだ。



おばあさん

2022-08-30 | 老い
やっと雨が止んだ。

ゲリラ豪雨に感じるぐらいの強い雨。
FMラジオの向こうでは、大阪市内は雨は降ってないとDJが言う。 
ちょっとした地域差でこんなに雨雲の場所が違うものか。

強い雨は不安。
孫たちの通学や通園にも影響するだろうし。
今は小雨になっているが、またいつ雨足が強くなるかわからない。

不安な時間を過ごしながら、スマホ広告で導かれたコミックを読んだ。
第一話は、無料立ち読み。
わたしは無料以上、進んだことはない。
ケチだからというだけではない。
第一話にエッセンスが詰まっているのだ。
ツカミの部分は、最大のチカラがある。

今回は、おばあさんが美容に目覚める話。
おじいさんや息子たちは、年寄りが化粧などみっともない、といつも批判的。
特に、じいさんが。
誰も見てない年寄りに、何を今更、頭おかしい?
はよ、俺のご飯用意してくれ、、、なんて常日頃のスタンス。

なにもケバケバど派手なメイクをしようというものではない。
うっすら自然な、自分を愛おしむナチュラルメイク。
ちなみに、わたしは、マスクでどれだけ助けられているか。
外からは目しか見えないありがたさ。
しかも、老若男女。皆、平等。

ヘアスタイルの違いは、人それぞれある。
わたしはオデコも出している。
そのせいで、最大に深い大きな皺が露わになっている。
先日、「オデコに皺あるなあ」と言われた。
「はい、姉も兄も同じ場所に同じような状態の皺があって、3人並ぶと、皺がそっくりで面白いですよ」と、負け惜しみに近い、話題展開をした。
歳がどうだとか、美醜がどうだ、という観点から、ころっと違う観点に切り替えた。

だが、家に帰ってきて皺をマジマジ見た。
やっぱり強烈にクッキリ刻まれている。
前髪を垂らして隠してもいいんだが、隠さない。
若がえり美容整形も選択肢としてはあるが、しない。
皺は生きてきた証だ。
文句ある?

「皺があるなあ」と言った本人こそ、皺があった。
「あんたも皺あるやん!」とはわたしは言わなかった。
皺の現実をそのまま口に出されただけだ。
何も考えず感じたままを言う、その人物のキャラクターである。
皺は動かせない事実としては、インパクトがある。

皺あるけど、それがどうした?
なぜ皺を恥じなければいけない?
それがわからない。
道に咲く花が枯れかかっているのを温室に植え替える?
まあ踏んだり抜いて捨てるのではなく、植え替えも悪くないけれど。

枯れるのは自然なこと。
いかに受け入れ肯定するか。
意固地になって抵抗して少しでも若さを維持したいのはわかる。
だが、さらりとやっていただきたい。
何ごとも必死さが前面に出るのは美しくない。
かえって老醜を暴き出す。
必死でやっても、それは水面下でやって、見えるのは自然な理想のかたちでありたい。

枯れて枯れてパサパサになるのを推奨しているのではない。
いつまでも感動するこころを持ち続けたい。
自分をあきらめない、自分を愛する自分でありたい。
今までの自分を好きになりたい。これからも好きなことに囲まれたい。

雨は止んだようだ。
どこかの地域に雨足は移動していることだろう。




誇りと自慢

2022-08-28 | わたし
古いアタマの人と、価値観が異なるにもかかわらず、古い風習、しきたり、家風を続けなければならないのは苦痛である。
子供たちは、わたしがこれだけグチグチ愚痴っているのを聞き続けていると、彼ら子供の代では今までのしきたりをスパっと止めてしまいそうだ。(その地に住んでいないし)
わたしが両手をあげて、家風に賛成していたとしても、さらに、強制に近い勢い、期待感、熱意丸出しだったとしても、わたしたちがいなくなったら、合理的な現代的な流れになるだろう。
だれも文句を言う年寄りはいないのだから。
我々があの世に行けば、オバさんやら大オバさんやら、全員この世にいない。
いるのは、子供たちと同世代のいとこたちぐらい。
しかも居住地は別々で遠隔地。
いとこだったら、もう関係ない。
むしろ、家(イエ)としての付き合いなど無関係に近い。
あるとしたら、個人としての付き合い。

家の外の人に自慢しない代わりに、世間には聞こえない閉ざされた家庭内で(姑が)家自慢しまくった(とわたしが感じた)せいで、逆に家庭の中で、自慢される側の家族にアレルギー反応が起こった。
わたしも、その一人。
姑に自慢され過ぎた。
そして、わたしの子供たちもアレルギー反応派。
わたしに自慢され過ぎた。
(確信はないが、なんとなく懺悔、反省)

たとえ家庭内であっても、内輪で褒め合うのは、もううんざり。
時代は移り変わっている。
核家族、個で成り立つ。

かと言って否定するわけではない。
ただ、自慢はうんざりなのだ。
それがどうした?!と。
わたしも半分、(子供たちに)自慢してきた。(能動的)
残り半分は、自慢されて嫌な気分も味わった。(受動的)
なので、自慢してはいけない。
まさに「それがどうした?!」
よほど他にこころの拠り所がないのだろう。
自分以外のことを自慢する人は、自分自身に自慢するネタがないからに他ならない。

そもそもなぜ自慢する?
わけがわからない。
そんな誇らしげなことか?
くだらない。
自慢した瞬間に、青い鳥は、黒い鳥になる。
こころの中で、ひっそり誇りを持てば良い。
わざわざ口に出してアピールする意味は?

やはり、どこか、わたしは捻れている。
きっと一生、治らない。

素直に姑の誇りを次世代の子供たちに継承するには、わたしも、わたしに育てられた子供たちも、歪んでしまっている。
何故?
何故?
何故?

また時が経てば違う想いが湧き出てくることだろう。
「自慢する」のと「誇りに思う」のは違う。
誇りを自慢と取れてしまうわたしが、おかしいのか。
他人の抱く他人自身の「誇り」を「自慢」と受け取らないようにするには、どうすればよいのか。
人にもよる。
すんなり受け入れられないような、本当に自慢げな嫌味な人もいる。
自分もそうかも知れない。

時代の移り変わりもある。
相手の未熟さもある。
自分の許容範囲の狭さもある。

今からでは手遅れだが、気づいたその時から改めたい。
人と比べるのではなく、自分以外の人に自慢するのではなく、あるいは自慢していると取られないように、ひっそり自分のこころの中で思い、温めるのが良い。
だが、行動してほしい、知ってほしい家族には気づかれにくい。
そこをどうするか。
ブログでグダグダ書いても自己満足なだけで、伝えたい家族には伝えられない。
時の流れに任せよう。
背中で見せる、なんていうのもあるようだ。

おしめ

2022-08-28 | 子育て
小学生男児孫チーム。
保育所女児孫チーム。
今月、2歳になったばかりの1番下孫は、口はよく回る、口語、文法バッチリ。
だが、下から2番目の(過去の)お姉ちゃん同様、おしめ。
あれだけ流暢に日本語が喋れるのに、なぜかトイレアウトプットは無言のまま、おしめの中に。
液体はどうってことなく紙おしめに吸収されるが、大きな個体はかなりの異物感を抱えたまま。
まあ2歳になったばかりだから、そんなものか。うーーん、、、

わたしの子供たちは全員冬生まれだったため、2歳前の夏にトレーニングパンツ着用で短期集中、1ヵ月で無事トレーニング終了した。
言語をしゃべっていたかどうか、忘れたが、室内は柵を外した動物園状態になっていた。

今の紙おしめは、一段と質が向上し、快適なため、おしめに溜まるということはないようだ。
あまり不快な自覚がないままに過ごせてしまう。
その点、トレーニングパンツは、吸収機能がないので、ジャジャ漏れ。
本人はその場で両足を開いたまま、棒立ち。
うわぁ〜んと泣いたかどうかは、覚えてない。
何か自分の身に異変が起こったことは自覚したはず。
そのまま何ごともなかったかのように前の動作を継続することはなく、自分に起きたことを身体で覚える。
じゃー。ジャー。あちこちで洪水。

これは、潔癖症の母、あるいは一流ナニーや保育士さんなら出来ないのでは?
わたしのような、チマチマいちいち丁寧に対応するのが限りなく面倒な、一気に一度にまとめてやってしまおう!という、超ものぐさにしか出来ないかも。
新築の家だとか、こだわりあるインテリアだとか、そういうのだと絶対に無理。
子育て専用の家、家具、全て。
優雅な大人の生活は子育て後、と決めていた。
というわけで、わりと3人とも、すんなり短時間で、その時期になるとおしめが取れた。
そもそも紙おしめは、赤ちゃんの時は使わなかった。
布おしめをせっせせっせと洗っては乾かし、洗っては乾かし、手はアカギレだらけだった。
それに、ややこしい手のかかる時期は動物園(自宅)からあまり出なかった。
近所のスーパーに買い物に行くぐらいで、公共機関の交通手段を使うことはなかった。
しーーっ!車内はお利口にしなさい、静かにしなさい、と叱るのが嫌だった。
子供はバタバタじっとしてないのが普通なのに、「じっとしていろ」などと拷問のようなことは出来ない。
その割に、子供たちも孫たちも大人しかった。
DNAか?

何しろ、幼稚園に行くまでの辛抱と、わたしはじっと耐え、ひたすら時を待った。
ワンオペで結構しんどかった。
そういう時代。
時代の中でも最後方を行っていた。
最先端の逆。
夫はさらにその後ろを行っていた。
大きな頑丈なギフトボックスの中に、何重にも敷かれたクッションに包まれ、さらに箱の上からはこれまた幾重にも過剰包装。
逆エコ。
転ぶ前に障害物は取り除き、さらに転んでも痛くないように敷物が敷かれていた。
夫はそういう育てられ方をしていた。
滅菌純正栽培なんだろう。

(※続く)

わたしは皆さんよりもっと若い!!

2022-08-26 | 日々のこと
今日も濃い1日だった。
ちなみに、ある人が、自分は私より1歳か2歳、歳上だと主張するのだが、わたしはその人はわたしより少なくとも4歳は歳上だと思っている。
根拠はないのだが。
だからといって、おたがい、公的書類を引っ張り出して見せ合うかと言えば見せ合わない。
本当の歳を言わない。
同じ趣味グループのメンバーたちともわたしのことを同世代だと言うのだが、わたしは違うと思っている。
わたしのほうが、4〜5歳若いと思っている。
だが、これも根拠がない。
自分はどれだけ若いと思っているのか?
自分の見かけ年齢と、実際年齢を、はっきり事実を検証して明確にするのが怖いので、うやむやにしておこう。
思い上がりや、夢が、パチンと弾けてしまいそうなので。
なんでも、勘違いや曖昧が幸せをもたらす。


夫源病

2022-08-25 | 日々のこと
今、息抜きできる、わずかな時間。
ほんとうに、ほんとうに。

もうすぐすると、がやがやチビスケたちと、ガタイの大きな人物が帰って来る。
ガタイの大きな人物は、とても善良な素晴らしい、大事な人なのだが、カサが高い。
出来れば30キロメートルぐらい離れていたい。
チビスケたちのように、ほんの数百メートル、徒歩2分ぐらいの場所に離れて生活していてくれると三重丸。

世の中のご夫婦の皆様は、頭が下がる。
よくぞ、圧迫されず窒息せず、同じ空間に仲良く暮らしておられることか。
1週間のうちの、ほんのわずかな日数(休日)を一緒に過ごすだけで、クタクタになる。
おそらく、わたしが、おかしいのだろう。
夫源病を発症しない、強靭な心身を持つ、タフで優しくパワフルな世界中の皆様に、勲章を差し上げたい。

と、書いたところで皆んなが、ワイワイと帰ってきた。
やはり、生活は気が散ることばかりに囲まれることが必要不可欠だ。
夫源病になるヒマがない。

楽しすぎて不安

2022-08-24 | 趣味
最近、ものすごく楽しい。
趣味分野。
充実しすぎて、コワイ。
順調すぎて、うまく行き過ぎて、出来過ぎで、不安。
だが、のめり込んではいけない。
他のことにも楽しみの一片を見つけておかないと、ダメになった時のダメージが大きい。
リスクヘッジが必要。
こうやっていつもわたしは、前のめりになっていることから少しだけ、高熱物質をお取り置きする。
ちょっと僅かながら熱冷まし。
でないと、目の前からそれが消えたら、たちまちのうちに、へなへなとなり意気消沈を通り越してショックで立ち上がれない。

それぐらい、熱をあげている。
何年かに一度、こういうかんじで発熱、発火する。
その度に、その後の消火後のことが思い出され、自分にブレーキをかける。
ブレーキをかけてちょうどぐらい、熱くなっている。
ヒートアップし過ぎて、真夏の漏電危機。
病気か。
一人で舞い上がってしまう。
このまま順調には絶対に行かないことは、わかっている。
先が思いやられる。
今だけだ。
今がピークだ。
浮かれると同時に、「目を覚ませ」と自分に言い聞かせる。
冷水を浴びせる。
蕎麦を茹でる時、沸騰した時点で注入するびっくり水のように。(またまた的外れな例)

今までもそうだった。
あんなに盛り上がっていたのがウソような、夢の風船が破裂した後は、ぱんぱんに膨らんだあの風船が実際の出来事だったことが信じられない、雲泥の差の、寒々した現実に直面する。
その時はどう対処してきたか。
とりあえずは、燻り続け、滅入った後は静かにクールダウン。
傷が癒えるまで、落ち着くまで静かにしておく。
燃え尽きたカスは、灰になり空中に舞うか、土に戻す。
また一から出直す。
次の発火物に火がつくのを根気強く待つ。
懲りない。
なんでこうも、いつも熱くなるのか。
自分のことながら、原因不明である。


ふーふー暑い夏休みの宿題

2022-08-23 | 日々のこと
小学2年生の上から2番目孫B。
夏休みの宿題を仕上げる追い込み時期になっている。
なんやらかんやらを作るのは(親が)めんどくさいので、読書感想文にしたようだ。
が、まったく、いっこうに進まない。
原稿用紙に名前を書いたまま、一文字も書かれていない。
業を煮やした周りが、あれこれ口を出す。

「感想文だから、なんでもいいのよ。
不正解や間違いはないから、好きに思いのままま書いたら?」

「そもそもこの本は難しすぎる。(小学4年向きらしいが、大人向きだとわたしは感じた)
小学2年生のこの子Bは、内容がわかっていない」と、ばあちゃん(わたし)。
全部読んだとしても一文字も頭に入っていない、理解できてないと想像する。

「『こんな本を選んだママを恨みます』
と書いてもいいよ」と、パパ。
「『その本でいいんじゃない?』と反対しなかったパパを恨みます』と書いてもいいよ」と、ママ。

「わかりませんでした」とか、
「おもしろくなかったです」
なんでもいいから、一文字でもとりあえず書き始めたら?
と、あまりにも動かない鉛筆に、まわりはヤキモキしびれをきらす。

「とりあえず、あらすじをざっと書いて、最後にちょこっと感想を書いて原稿用紙のマス目を埋めろ」と、パパ。
「そもそも原稿用紙が小さすぎる。
パパ、なんでこんな原稿用紙を買ったの?
もっと大きな原稿用紙でないと、こんな小さい字、書けないよ」と、ママ。

「この子(孫B)の分かってないぶりは、まるでわたしが趣味関係で分かってなくて一歩も進まない様子を見るようやわ」と独り言を口にするわたし。→誰も聞いてない。


夏休みの宿題は親の手が入っているか、入ってないか、一目瞭然。
小4(上孫A)の自由研究は、目線や切り口、感想、まとめが立派すぎる。出来過ぎ。
パパの指導が99%色濃く入っている。

わたしが小学生の頃は親の援助なしの自力で自由研究宿題を提出し、それらは全学年、一つの会場で展示された。
会場ではわたしは子供ながらに甚だしく恥ずかしかった。
親の手が入っていない、みすぼらしい作品が、素晴らしい作品の影に隠れるように、ひっそり展示されていた。
中学になって、家庭科の授業でパジャマやスカートを制作したが、宿題として自宅で作業。
寒い冬、ミシンがある場所は自宅から離れた、親の仕事場の一角の寒い暗いところにあり、そこまで行かなければならなかった。
母親の指導ゼロのため、ミシン針を何本折ったことだろう。(申告してません、、、)
他の女子生徒は素晴らしい衣服が完成していたが、わたしの作品のヒドイこと、、、。

あの時に強く思った。
親が手をかけた作品と、手をかけてない作品を同じ土俵に上げて点数を付けるとは何ごとだ!!
不公平極まりない!と。
不器用で下手でカッコ悪い作品を提出しなければならないミジメさ。
ではあるが、寒く暗い場所でミシンを踏み、頑張っていた。
わりと、わたし、根性あるかも?
不良にもならず、イジけもせず、拗ねもせず。
不公平感にも反旗を翻すこともせず。
あんまり考えてなかったのかも?
学校で言われたことは、自分なりに頑張る。
他の生徒は親の手によって底上げされているけれど、わたしの親にそれを求めても無理。
そう悟っていたのだろう。
自力で頑張るしかない、しかも、不公平な点数をつけられるにもかかわらず。

親の力で優遇されピンチを切り抜けても、いずれは自分だけで頑張らなければならない。
その時だけ苦労を回避できたとしても、一生、親が付いて手助けしてくれるわけではない。
自分への評価は、その時の真の自分の実力を見て評価されている。
全ては等身大の自分への評価である。
嘆くとすると、何を嘆く?
自己嫌悪を抱く?
そんな自己嫌悪を抱く余裕も時間もなく、提出期限を目前に、頑張っていた。
不細工で恥ずかしい提出物だったが。
わたし、メンタルが強かったのか、繊細さに欠けるのか、はたまた鈍感だったのかしらん?
ベースは今も同じような気がする。


ちなみに、
孫たちの宿題、どうなったかな?
先生はそんなに一つ一つ丁寧に見て評価していないと思う。
子供も親も先生も、とりあえず、目の前の課題、仕事をクリアしたら良いのかも知れない。
暑い夏休みは、そろそろ終わり、早くも始業式だ。




挫折の積み重ね

2022-08-20 | わたし
ああ自宅。
なんてのんびりのびのび、リラックス。
1人時間は最高だ。
本格的に老後になったら退屈なのかも知れないが、チビッコたちから解放された気分は言いようがなく、快適快晴。
ちなみに、わたしは雨をはじめとする自然の気象、天候恐怖症だ。
雨、コワイ。
昨日は帰りに立ち寄った湯葉うどんの店の最後時間あたりから、乗り込む電車駅に移動するときに、ポツリポツリから始まり、またまた一気に土砂降りに見舞われた。
お土産をリュックに入れていたが、お土産の紙製パッケージが染みとおる雨でズルズルになっていた。
自宅用のお土産ではなかったので涙目、ぐすん。
リュックの中も、びっしょり。
だが、帰れる嬉しさが濡れる悲しさを大きく上回った。


それはそれとして。
全く別の話を書く。

二日目の宿で孫たちとプレイした温泉卓球。
はじめてラケットを握る小学生低学年孫とは相手にならず、卓球台からはみ出して飛んでくる球をひたすら受け取る係となった。
だが、たまには、数回ラリーの応酬をすることもあった。
わたしは、実は中学の時、1年間、卓球部だった。
その一学年下に、当時かわいい愛らしい顔の、現在国会議員のボクちゃんがいた。
(これは蛇足)

あれから半世紀、ラケットを握っていない。
卓球初体験の孫たちと同じレベルかなあとドキドキしていたら、やはり昔取った杵柄、玉がちゃんと当たって、上手く返った。
やれやれ。
姉も中学から卓球部でそれ以来現在も市民卓球選手として活躍している。
(長女も元テニス部キャプテン、体育会系)
わたしは、1年で挫折してやめている。
試合に出る頃に、下手で試合に出るのが嫌でやめたと記憶している。
中学で次に入ったのがバスケット部。
これもたいしたこともできないまま、うやむやに中学を卒業。
なにをやっても挫折。
体育会系が向いていないのだろう。
高校では中途半端な文化部に2つ入ったが、ほぼほぼ活動もせず、帰宅部。
ああなんて、消極的な自己肯定感のない学生時代なんだろう。

中学では簡単に挫折したが、今ならなにをしても挫折感をさほど感じない。
そのかわり、苦しみと引き換えに得る達成感もない。
年と共に考え方が変わった。
視野が広くなった。
選択肢が持てるようになった。
こうでなければならない、という凝り固まった考え方をしなくなった。
学校と家庭しかない、他にはない、この自分が今置かれている道しかない、と逃げ道や出口がない中学時代とは違う。
まだ子供である学生さんはたいへんだ。
どんな家庭であろうと逃げられない。変えられない。

わたしは、当時は居心地の悪い家が好きではなかったので、行ってきま〜す、と家から出られたら、それでまあ気分転換できた。
出向く行く先は学校しかなかったが。
学校が楽しいわけでもないとしても、家よりマシだったかも知れない。
ふてくされて不良になる要因は抱えていたが、不良にはならなかった。
過去ブログにも書いたが、不良がカッコいいと思えなかった。
なぜなら、当時わたしが目にしていた不良たちは、落ちこぼれの学生だったから。
脱落した学生が寄り集まり、数でチカラを示していた。
1人では拗ねるだけだが、複数になるとマイナスエネルギーがプラスに転換できたような錯覚に陥っていたのだろう。
わたしは、不良たちがプラスではなくマイナスの要素を持つメンバーばかりだったため、魅力を感じなかった。
仲間に入れてあげるよ、と誘われても(誘われなかったが)、感覚的に合わなかった。

家も嫌、学校も嫌、クラブも挫折、塾も劣等生、、、よくこれで、不良にならなかったものだ。
親友はいたが、社会人になってからそれ以来、ぷっつり親交は途絶えている。
親友といっても、いつも一緒に行動して、遊んだり、自分の気持ちを吐露して憂さを晴らすだけの相手だったのだろう。
学生時代の友人なんて、そんなものかも知れない。

今までわたしは、挫折ばかりして、なに一つものになったことがない。
それでよく腐って不良にならなかったものだ。
自分でも不思議だ。
挫折するのがわたしのスタンダード、定位置か。
くよくよ落ち込まないが、弊害はある。
それは何ごとに対しても自信がないということ。
苦難を乗り越えたことがない。
成功経験がない。
かといって、腐ってはいない、自己否定もしない。
わたしはこういう人間なんだという自覚があり、べつにそれで罪を犯しているわけではない。
手に入れたいことがあれば、ちょっと手を伸ばして頑張る。
力が及びそうもないなら、策士になって策を練る。
ダメモトで、自分の欲求や、こころの声を聞いて、努力する。
脱落したり達成せず挫折したりを繰り返して自信喪失していても、七転び八起きの積み重ねは自分を強くする。
失敗や挫折にへこたれない精神、それは自信につながる。
なので、挫折もわたしの勲章の一つである。
あらま、そんな勲章ばかりだ。
ホンモノのトロフィーがない。
が、いいの、いいの。
夢見て頑張りたいと思う気持ちが大事。
トロフィーより、わたしは自分の欲求が沸き起こる、膨らむ気持ちを大切に思う。
なぜなら、何もやる気がない、したくない、何も欲しくない、食べたくない、見たくない、聴きたくない、、、
何の欲求も好奇心もなく、いたずらに時間だけが過ぎていくのは、次のステップのためのエネルギーチャージ段階ならともかく、自分自身に活力がある今の理想や目標としていない。

生きている限り、なんらかの心身共に動きが必要だ。
中学以来、幾度も挫折しても、大して何も感じなかったわたしは、相当な大器晩成型か、鈍感人間か。
自分に自信はないが、自信のない自分をひっくるめて自己肯定している。
いつの間に、自己否定から自己肯定へと逆転したのだろう。
自分を否定し続けても何も生まれない。
なら肯定しよう。
と、無意識に意識した日を境に?
そんな日、あった?

よくわからないが、挫折→自己否定→自己肯定→自信と、オセロゲームのようにひっくり返ったようだ。
深層心理の自己防衛本能から来るものか?
まあなんでもよい。
挫折の積み重ねは、別のわたしを生んだようだ。




もうゴリゴリ

2022-08-19 | 
怒涛の1週間が過ぎた。 
疲れ過ぎて、記事に書こうという意欲が湧かないが、ネタはいっぱい仕入れた。
豊富なネタには不自由しないものの、書かないうちに次々リアルタイムで日々、新しいネタが生まれそうだ。
次の日常の出来事で、体感した感覚が更新される前にちょこっと書いておこう。

今回の怒涛の1週間の後半は、警報が出るほどの悪天候の中、山深い里へチビッコ4人連れのキャンプ旅。
娘婿、仕事でドタキャン不参加になり、ピンチヒッター子守要員の白羽の矢がわたしに放たれた。
保護者、大人は母娘(わたしと長女)のみ。
わたしは予定があったのに、「上孫(小学生低学年男児)2人の話相手と、荷物番だけでいい」という娘の推しの強い誘い文句に、嫌な予感はしたものの、渋々応じた。
自分の身だけでもモタモタして持て余すにもかかわらず、ボケていられないほど強烈に堪えた。
娘婿は自分が参加するつもりで申し込んだのだろうけれど、こんな宿泊施設、わたしは逆恨み状態。
シニアは勿論のこと、若者同士も見当たらず、目にするのは、パパがここぞと活躍する若いファミリーばかり。
キャンプ本格派は、自分でテントを設営する、もっと本腰を入れた真剣なキャンプ地を選ぶと思われる。
それに比べると、グランピングは子連れファミリー層には、キャンプとしては中途半端かも知れないが雰囲気だけ楽しむのには良いだろう。

しかし、働き手のいない、手のかかるチビッコたちとグランピング、バーベキューって、、、!
火の起こし方もわからない。
自分たちで焼いて食器や食後の後片付けも自分たちで。
しかも大雨、集中豪雨の中。
雨が降っていなければ、これほどはどうってことはないが、土砂降り。
トイレや洗面所に行くには、全面、水溜りになった地面に靴ごと突っ込んでビシャビシャ。

キャッチコピーは、「何もしない贅沢」。
揺らぐ火を見ながら癒される、、、。
など、とんでもない。
何もしないわけがない。 
1番手がかかる幼児連れ。

どれだけ不安だったことか。
トイレも洗面所も就寝するテントから離れた場所にあるため、夜通し、雨足が弱くなるのを見計らってトイレにいかなければならない。
豪雨がテントに叩きつける音に恐怖感を抱きながら、2時間置きに靴を履いて出かけ、精神的不眠症。
洗顔、歯磨きも、一旦、外へ。
校舎にあるような洗面所や流しは、利用者は横一列に並ぶ。
小中学時代(昭和30年後半〜40年代)に学校から行った旅館のイメージか。
ではあるが、それらはまだ雨を気にしなくてもいい、同じ屋根の下だった。

2歳児の紙おしめウ○チ処理後、手を洗う所がないので、わざわざ水道水が出るところに水溜りを超えて出向かなければならない。
もうゴリゴリ。
だが、蒸し焼きにしていたサツマイモは翌朝、食べたが、とても美味しかった。
このサツマイモ感想、、、無理矢理、帳尻を合わせようと頑張った感は否めないが、良い思い出にはなった。

お店で座っているだけで何もしないで給仕された食事をいただけるありがたさ、、、。
部屋、館内にトイレがあることの幸せ、、、。
まるで自然災害の避難所体験をしたかのようなキャンプに、日頃、何とも思わなかったことに改めて感謝した次第だ。
しかし、サービスを受けに行くのならいざ知らず、わざわざ苦労しに行くのは、もう参加したくない。

周りの川は水位が上がり、色も流れも、豪雨の激しさを物語っていた。