蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ハンバーグ

2021-07-30 | 日々のこと
毎日毎日ブログアップ。
よくまあ飽きずに。
電車に乗ると暇になって、ついすることがなく指がトントンするする動く。


チビっこたち、夏休み。
週2日、お預かり。
小学生ボーイズ組は午前から我が家へ。
保育所ガールズ組は、夕方、保育所にお迎えに。
また3番目孫に、「ばあちゃん、いや〜」と泣かれるかと思うと、登園拒否になりそうだ。
が、ばあちゃんが登園拒否している場合でなく、嫌われようが泣かれようが、作り笑顔でお迎えに行く。
3番目孫、わたしの顔を見るなり、ぶーーーっと仏頂面。
不満が顔じゅうに表われる。
「嫌だな〜、でもそんなこと、わたしは超越してるのよ〜、嫌だけど」という顔、態度で、わたしの問いかけや話しかけには、一切答えてくれない。
ふてくされ顔が続く。

保育所の重い自分の荷物も、「持ってあげようか?」と(親切に)言っても、しら〜っとした顔で取り扱わない、無視。
嫌なかんじだ。
しかし、4歳と同レベルでケンカするにはわたしはまだオトナだった。
仕方ないか〜と思いながら不機嫌顔の3番目をちらちら見ながら、4番目孫を乗せたベビーカーをカタカタ押していたら、我が家に到着した。

晩御飯の用意はほぼ完了し、あとはハンバーグを焼くだけ。
その間に、2番目孫はソファで寝てしまった。
せっかく段取り良く夕飯の支度は進んでいるというのに、寝られてしまったら晩御飯に進めない。
3番目孫は、家に着くや否やテレビにかじりついて晩御飯など食べる気配がない。
次女は、新生児にかかりきり。
せっかくスタンバイ出来たのに、食べ手が不在。
パパ(娘婿)も帰って来ない。
ママ(長女)は当然のごとく帰って来ない。
カツオのタタキが食べたいだの、なんだのかんだの、役に立つどころか用事が増えるばかりのじいちゃん。
4番目孫は、酒瓶を転がしたり、掃除用具を引っ張り出したり。
皆んなバラバラでなんやらかんやらで、せっかくハンバーグが焼けても、熱々を食べる人はいない。
この調子では、いつになったら夕食が始まり、終わるのか。

パパが帰ってきたのでどうにかスタート。
お中元でいただいた自分では買えない高級ハムを使ったお惣菜をパパに出していたが、パパがそのハムをごっそり4番目孫に食べさせていた。
あれは、有名どころの高級ハムなんだけど。
パパに食べてもらいたかったんだけど。
まあいい。
ケチくさいことを言ってはいけない。
しかし、来月満1歳、現在11ヶ月の4番目孫がハムを食べるとは知らなかった。
いつから肉食系女子になったのだ。

ディズニージュニア(ケーブルTVキッズ番組)をかじりつきで見ていた3番目孫が、「飴ちょうだい!」といきなり言ってきた。
いくらなんでも夕飯も食べていないのに飴はないやろー、と思い、「飴の前に夕食、食べないとだめやねえ」と食べさせるのは諦めかけていた頃だったので、期待せず言った。
すると意外にも「うん、食べる」と言う。
しかも、いつもならほとんど真面目に食べないのに、「ハンバーグ、おかわりー」とリクエスト。
「えらいねー」と嬉しい声のわたし。
あらまあ珍しい。

今日の夕飯は、もうこれだけで成功だ!
あとは付録のようなもの。
あー、予期せぬ展開で、よかった。
2番目孫も泣きながら寝起きの悪い鬱陶しい最悪の顔でハンバーグを食べていたが、いつの間にか、泣き顔は普通の顔に戻っていた。

ハンバーグ、玉ねぎミジン切りに涙しながら、時間かけて作った甲斐があった。
わたしの自分に課す負荷の基準ハードルは、やたらと低い。

長々小学生日記、すみません。
遠方で1時間も待ち時間が突然出来たため、時間調整場所を探した。
おばあさん2人がやっている、駅の古ぼけた昭和の喫茶店に初めて入って、入力。
時間が変にあるのも良くない見本のような記事になってしまった。

ぼんやり思うこと

2021-07-29 | 無題
うぐぐぐと、悔しく辛い思いをしている。
傷をまる抱えして、包み込んでいる。
だが、わたしは何も包容力がある出来た人物、大モノなわけではない。
たんに、わめいたり泣き叫んだりするタイミングがわからず、胸に抱え込んでいるだけだ。
胸のなかで時間が経つにつれ、治癒しているわけではない。
むしろ、適切な処置をせず放置していたせいで悪化している。
手遅れになりかけ、悪化した部分を切断したり取り除いたりしなければ命を失うギリギリのところまで来てしまう。

しかし、火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、もうだめ、力尽きた、と手を離した瞬間、別の力が生まれてくることがある。
手を離した直ぐその後に、別の力で掴み直す。
その力は前よりずっと強い、タフで強靭なものだったりする。
死にものぐるい、という表現は言い得て妙である。
自分の予期しない力が湧き出る。
その原動力は何か?
たぶん、生命力だと思う。
諦めた時、執着心が解かれた時に、本来の生命力が顔を出す。

諦めるタイミングは、人によって違う。
しぶとい場合も、あっさりしている場合もある。
駆け引きなし、掛け値なし、損得なしで、「無」になった時に、力が出るのかなあ、、、と思う。

わたしは、忍耐強いほうだ。
声をあげるタイミングを逸することがある。
まだまだ、まだまだだ、まだまだ行ける、、、と、辛抱に辛抱を重ねると、、、
化学変化を起こしていることがある。

なんだかよくわからない。
短気は損気。
だが、旬やタイミングを逃すと幸運を掴み損ねる。
そのあたり、難しいが、天性の本能的なものかも知れない。


蛇足。
ちなみに、蝶ブログ。
閲覧数は今までにないほど超低迷。
ブログ村エッセイの注目記事ランキングほど信用できないものはない。
ブログ村AIと相性が合わないようだ。
まあいい。

いつも読んでいただいている方へ。
書き散らしにご協力、ありがとうございます。

美しいひと

2021-07-28 | 無題
美しい顔の人がいる。
(書く対象を男性に絞ります)
近くで面と向かって、まじまじと顔を見る。
美しい、、、。
こんな美しい顔だとさぞや今までの人生は華やかで煌びやかだっただろうと想像する。

「すごくハンサムですね」
「よくモテるんでしょうね」

嘘偽りない本音の言葉がつるりと口から出る。
年齢は高いものの、服装もセンスよく、こだわり抜いたかんじ。
たぶん、お金もかかっている。
(あんまりそう高くないものを着ている人もいるが)
それまでの人生を思い巡らせる。

若い男性で美しい人を知っている。
「そんなに美しいと、さぞやプラスになったでしょうね」
わたしがそう言うと、
「全然、得をしたことはありません」
と、アニメに出てくるような、サラサラ茶系の髪をなびかせて、彼は言った。
ふーん、そっかぁ〜。
もったいないけど、まあそんなものなのかな、と思った。

ちなみに、わたしは顔の善し悪しで対応を変えることはあまりしない。
顔が良い美形の人を見ると、顔の良さから来る影響を観察してしまう。
顔の良さそのものにはそれほど重きを置いていない。
プラス面、マイナス面を見る。
メンクイではないということだ。

逆にイケメンだった頃の栄光を引きずっている、中身の薄い男性を見ると、あ〜あ、、、とため息が出る。
ちやほやされている時期に何の努力もしなかったせいで、容色が衰えてからは悲惨。
かつてのピーク時の自分に少しでも近づこうとする。
歳上に媚びようとしたりする瞬間が見えると、ぞぞぞとする。寒っ。

過去に戻ろうとするのは、間違い。
別のフェイズに移行すべき。
新しい局面に向けて変化して、新生・元イケメンを生み出さなければならない。
するとぐっと味のある、素敵な元イケメンが出来上がる。
が、やはりイケメンを武器にしている限りは痛いかなあと感じる。
自分の長所だったものが無くなったあとの生みの苦しみが、次の良いものを創り出す原動力になる。
いきなりゼロになると、無から作るのは大変だから、減少し始める前か、あるいは減少した頃に、次の策を練っておくと、最悪の事態は免れる。
予測して対策を取る。
ちょっとでもマシになるんじゃないかと。
自分を慰める手助けにはなるのでは。

そもそも、外見ばかりを褒めたり、熱をあげたりする人や、すぐ熱くなる人には、あまり期待しない。
薄っぺらい表面しか見ていないから。
それはそれで、楽しんだり、利用したりするのも道のひとつだ。

ものごとには、スタンスが短期、中期、長期がある。
短期には短期の対策があり、長期には長期の対策がある。
まあなんでもいいのだけど。

イケメンや美人さんは、羨ましがられる反面、多くのものや人を敵に回すことになる。
ハイリスク、ハイリターン。
一生を通じて帳尻が合えばそれでいい。
それがまた難しいのだけれど。

なにごとも、引き算より足し算が、断然おすすめ。
足す喜びは、減る喜びを上回る。
美に関しては、見る人の見方によって見え方が変わる。
とても楽しいことだ。


美人

2021-07-27 | わたし
わたしは美人ではない。
コンプレックスも、しっかりあるにもかかわらず、ブサイクかというと、たぶん、10人並みかと厚かましくも思っている。
客観的には、なんの特徴もない、一般的なレベルだろう。
積極的にアピールするような顔ではない。
なので、コロナ禍でマスク着用を余儀なくしている今は、顔を出さなくていいので、たいへん喜ばしい。
年齢に相応した、老化した顔である。

それがどうした?
今では自分の顔には責任を持つようになっている。
こんな顔になったのは自分の責任だ。
が、若い頃からそう変わっていないと思っている。
歳は確実に取ったが、それは自然の成り行きだ。
自然の摂理。
時は止めることも出来ないし、逆回しも出来ない。
出来ないことを嘆くのは、不毛だと捉えている。
出来ないことを冷静に受け止めるだけでよい。

顔が美しくても中身が悪い人もいる。
能力があまりない人もいる。
こころが悪い人もいる。
幸福ではない人もいる。
顔が良い分、期待値が高い。
それはそれで荷が重いだろう。
 
わたしは顔の美醜も見るが、他のところも見る。
人間は顔だけではない。
ルックスや外見だけではない。
もし仮に自分の美を誇る人がいるなら、相当の努力をしていると想像する。
常に努力をし続けなければならない。
その努力は評価する。
だが、誇れる自分だからといって、それによって人を見下すのなら、努力しないほうがマシだ。

わたしなら、もう、全ての分野から解放されたい。
しかしながら、自分が美人な訳でもないのに、取らぬ狸の皮算用的なことを言うのは滑稽だ。

キレイな人はキレイ。
ただそれだけであり、わたしとは特に関係ない。
わたしが映画監督やプロデューサーなら話は別だが。

美人か否か、そういう価値観から解き放たれてしまった感があるのは何故か。
自分は美人じゃないからかなあと。
笑。
楽しいことだけ考えたほうが、断然楽しい。


思い通りには行かない

2021-07-25 | 読む人々には興味ない話
さて、と。
寡黙な個性的キャラの長男は今朝、家を後にし、午前の飛行機で帰った。
息子と、昨夜からお泊まりの孫たち(小学生男児組)と、帰り際に玄関で記念写真。
次女と新生児も一緒に、ハイ、チーズ!
若い世代の一家、まるで5人家族のよう。
パパママ、小学生男児2人、新生児女児。
実は、パパとママは兄妹で、子どもたちはいとこの、寄せ集めチーム。
5人家族は収まりが良いので、なんだか一家族のような、まとまり感。

その写真は、一足先に自分の家に夫と下2人(保育所女の子組)を連れて帰った長女からのLINEでの要請。
で、写真に撮って後から見たら、息子の目が笑っていた。
なんだか救われた。
ああ、良かった。

今朝、これで最後と、やっと夫が息子に切り出した。
言いたいこと、聞きたいこと、話したいことがあっても、なかなか言い出せない夫。
自分の仕事上の進路について、将来の計画のため、息子の意向を確認した。
「最終だけど」と念押し。
だが、自分の期待した答えは得られず落胆していた。
わたしや次女が、息子側の意見に同意を示すと、「俺の周りは全員、敵や」と、しょげかえっていた。

「意見が違うのは別に敵ではないよ。
クロかシロか、0か100か、そうハッキリ判定しなくても良いのでは」
と、わたしの意見を言った。
何ごとも強制は良くない、と、次女も言っていた。
孤軍奮闘している、寂しい気分を味わっているような夫。
妥協案とか、一気にではなく徐々に移行していく案もあるのに、なぜ、あんなに結論を急ぐのだろう。
試行錯誤という方法もある。
道が整備されて自分の意見はいつも通るか、あるいは、意見が全くない夫。
今までの歩みが影響している。

わたしは最初から、ある見通し、予測をしている。
でも言い表さない。
対策も取らない。
時が来れば事態は動くと思っている。
ジタバタしなくても自然に道は絞られてくる。
ぱぁっと拓けるのか、萎むのか、閉まるのか。
それだけの違い。
もうわたしの年齢になると、右肩上がりは無理はわかりきっている。
なだらかに終わりに向かって店じまいする方向。
夫はまだ若いというか、見切りがつかない、というか、往生際が悪い。
黄昏から夜に向かう心準備ができていない。
いつまでも、自分の思いにしがみついていては、前にも後ろにも行けない。
とりあえずは、絡まった糸を解いて、冷静によ〜く考えてみる。
自分の思い通りにならないからといって、いつまでも執着するのは良くない。

とかなんとか、言うは易し、行うは難し。
なかなか、そうカンタンには行かない。


寡黙な個性的キャラ

2021-07-24 | 日々のこと
息子が遥々遠方から2泊3日で帰省したというのに、、、
わたしは3日ともお出かけ。
顔を合わせるのは朝と夜だけ。
今日は昼ごはんを作ってから出かけるつもりが、息子が作ってくれる流れになった。
だが、食べる時間がないので準備中のまま家を後にした。
わたしが出かけることを知った息子は、自分も出かけようかな、と言っていたが、お昼ごはん作りになったようだ。
昨日も関西入りしたのは昼の12時頃だったらしいが、わたしの帰宅に合わせてか、18時過ぎまで外で時間を潰したとか。
次女と新生児が在宅だから、家には入れるのに、わざわざ、時間を合わせてくれなくてもいいのに、不思議な行動。
ま、なんでもいい。追求しない。

昨夜はわたしの作る晩御飯ではどうも足りないらしく、冷蔵庫から野菜を取り出し、焼き茄子、オクラ和物、キュウリ和物を手作りで追加していた。
ではあるが、キッチンに2人立つと、流しは人数制限があるし、鍋だの魚焼きグリルだの、立ち位置の場所が交差し、調理の邪魔になる。狭い。
で、最後は、カレーで〆だそうで、なぜかカレー。
ちなみにこの献立、合ってるのか?
しかたないから、わたしは福神漬けとラッキョウを用意した。
その合間に、彼は自分の服を含めて洗濯機を回していて、忙しない。
干し方が、まあなんとユニーク。
今朝も起きるなりダイニングキッチンを二種類の掃除器具を使って掃除していた。
完全に主婦のテリトリーを侵害している。
当てつけか?とも取れるが、嫁姑なら大変なバトルだが、愛する息子なら、変わった子やなー、で済む。
(子どもの頃から変わってたけど)
こっちは、ラクだし。
しかし、コーヒーが薄いだの、香りがしないだの、豆から挽いたら?だの、クレーマー化している。
だが、愛する息子なので(そうクレームを言われると、思い当たるフシもあるし)リベンジとばかりに美味しいコーヒーを淹れ直す。
それにしても、遠慮の無いヤツだ。ぷんぷん。

今日は長女一家と合流。
どんな夕食になるのか、今から考えただけで暑苦しい。
息子は、妹である次女には強く出て、姉(長女)には弱い。
昨夜はだんまりで夫とも会話なし。 
今日は、わたしのお出かけに合わせてかどうかは知らないが、在宅の次女に確認すると、息子は午後からお出かけ敢行の模様。

皆んな集まったら少しでも近況、情報が引き出せるか?
(近況は、本人が喋らないため、インターネットでチェックしていたりする)

陽気なラテン系とは真逆だが、べつに暗いわけでも卑屈なわけでもない。
声が小さいながら、それぞれのこだわりを貫き、我が道を行く。
不思議な家族メンバーたちである。

暑いけど、まだ元気

2021-07-23 | 日々のこと
わたしの家。今、住んでいる自宅。
今、その間取り、設計にすごく満足、感激している。
今から32年前に、築20年ぐらい?経つ軽量鉄骨の中古住宅を購入し、リフォームして12年住んでいたが、20年前に建て替えた。
たまたま舅が亡くなった年だった。
家を建て替えるかどうか迷ったが、阪神淡路大震災で玄関に少し歪みを生じたものの、頑丈でどっしりした作りだった。
ただ、建て増しは出来ないと言われ、建て替えに踏み切った。
姉とリフォームやら何やらのことを話していて、毎日の暮らしを充実させ人生を楽しむコースを選択することにした。

しかし、一社にだけ建て増し出来るかどうかを聞いたのであるが、後年、別の住宅業者に尋ねてみたところ、建て増しは出来るとのことだった。
一社だけでなく、複数の業者にセカンドオピニオンを聞いておけば、選択肢は広がっていた。
2階のベランダ部分に建て増しをするに留まり、建て替えなければ、差額はまるまるそのお金は使わず貯蓄していただろう。
だが、思い切って建て替えて良かったと今は思っている。

間取りは、当時の自分中心主義で勝手に自分の都合が良い良いように決めた。
その時は長女が高3でまさに受験の年。
解体から建築完成まで、仮住まいの家に夏に引っ越し、冬に竣工。
竣工のあたりは、受験日直前。
仮住まいで引っ越し荷物も解かない、窮屈なキッチンで、ダンボール箱の隙間に挟まれ、長女は受験勉強の追い込みにかかっていた。
彼女は、受験寸前、腹痛で、知り合いのクリニックを受診した。
ストレスからだろうとの診断を受けた。
わたしとは違って、意外に繊細な神経の持ち主のようだった。
長女、ダンボール隙間受験の後、引き続き、翌年、長男は、広々新築で受験。
彼のオーダーで自分の部屋は、なんと畳。
広々、和室部屋に、畳が見えないほどにプリントや問題集などを広げられるだけ広げて平たく並べて、その隙間で彼は寝ていた。
うちの子どもたちは、みんな隙間が好きなようだ。
彼は新築の家に2年だけ居て、あとは実家を後にした。
まるで新古品のごとく、新築当時のままの長男の部屋に、わたしは今は毎日、寝ている。
畳にしてくれて、大正解!
屋根裏ロフト仕様になっているため、天井は、高く突き抜け、気持ちいい。
ただし、エアコンは壊れているので、わたしが熱中症にならないか、家族から心配されている。
大丈夫!です。

長女も就職で、やがて家を離れ、次女だけが残った。
次女が実家にいた時間が1番長いが、彼女もやがて一人住まいへと時は移った。
今は、がら〜んとした広い部屋に老人2人、、、と言いたいところだが、全然違った。

自分の好きなインテリア・テイストを保とうとしたリビングも、TV機器周辺は乳幼児侵入防止フェンスでガードされ、滑り台付きジャングルジムや、大きなダンボール製キッチン流し台が置かれている。
広々和室は完全に育児室、プレイルーム、おもちゃ部屋と化している。
私の実家の実家の和室客間に置かれていた漆塗り貝細工(螺鈿)がほどこされた丸テーブル(時代もの)を譲り受けたが、それも押し入れに立て掛けて半分突っ込んでいる。(半分しか入らない)
次女は出産したばかりなので、しばらくは親子幼児ルームとして使用される。
好きなテイストに戻れるようになるには、あと5年はかかる。
大好きなセミオーダーソファはいつもちびっ子の、お漏らしの危機と背中合わせ。
ヨダレは、当たり前として。
今は横並びに3人座ってTVを見ているが、来年には5人座ることだろう。
好きなテイストは、孫と引き換えに諦めている。

孫たちも中学生にもなれば誰も寄り付かないだろう。
が、ひょっとして、ばあちゃん食堂は、大盛り食堂として引き続き開いているかも知れない。
お小遣いはあげられないけれど、食べものはガンガンばんばん。
結構、食費もバカにならないが、まあ、それも賑わい。
枯れ木に花が咲くというもの。

とかなんとか、実はそんな余裕はあまりなく、いつもバテバテで、アゴを出している。
今日も息子が帰省してくるらしく、今日は5人だが、明日は総勢11人。
3日分のメニュー、食材を用意しなければ。
わたしは暑い中、連日、趣味の運動お出かけ帰りはいつも両手に食糧いっぱいの買い出し役夫になっている。
近々、生協の宅配を頼もうと本気で考えている。

趣味活動と並行して、無理を押して両方やろうとするところが、厚かましいとも言える。
出来なくなる日までする!のが今のところのわたしのモットー。
いずれ、趣味も子どもも孫も、さーーーっと波が引くように目の前から姿を消す。
必ずその日はやってくる。
暑苦しくバタバタする今がハナってことだ。

暑い暑い夏休みスタート

2021-07-21 | 子育て
「18:30お迎え行ける?」
長女からのLINE。
孫、下2人、保育所組のお迎え要請が突然あった。
行ける状況だったので、長女宅経由でベビーカーを持ち出し、あたふた保育所に向かった。
この(長女宅に置いている)ベビーカーは、携帯重視の小ぶりタイプで、前には3番目孫のお迎えの時に使っていた。
3番目孫は、このベビーカーを見ると自分が乗っていたその時の様子が瞬間的にフラッシュバックし、自分が乗ると主張する。
駄々をこねる。

前回の雨の降る日、「これは下の妹(1歳)用だからね」となだめてもギャン泣きして、家に帰らないと言い出された。
またその展開かとひやひやしたものの、今回はベビーカーを押したいと言う。
保育所からの帰り道は、坂道なので、彼女(3番目孫、4歳)の運転に任せるわけにはいかず、またまた一悶着。

どうにかこうにか長女宅にたどり着き、鍵を開けてみると、上2人の兄ちゃんたち(小学生チーム、小1と小3)は爆睡中。
なかなか起きない。
そうこうしていると、1番下(1歳)がお腹が空いて泣き出す。

食べさせるものはあるのかな?と、キョロキョロしたらバナナがあったので、やれやれ、、、ではあるが、他の子も、もう夕食の時間。
兄ちゃんたちは、起き出し、お腹が減ったという。
長女からは何の連絡もなし。
ピピピと炊飯器の音がした。
ご飯はタイマー予約されていたようだ。
ご飯だけは確保されたものの、オカズがない。連絡もない。
それより、わたしが突然、激しい空腹に見舞われた。(腹痛でないところが喜劇だが)
どこを探してもわたしが食べるものがない。
ぎゃーぎゃーわめく子どももさることながら、わたしも、ぺこぺこへろへろ。
それ以前に、家、めちゃくちゃ暑い。
よくこんな暑いところで居るなあ、と。
後から汗は引いたものの、汗がだくだく、ぽたぽた。
食材はないのかと、長女にLINEすると、冷凍庫から適当に出して使って、とのこと。

ハンバーグを出そうとすると、下から2番目の複雑なお年頃孫が、ハンバーグは嫌、チーズ入りフライがいい、と、うるさい。
それより、1歳児、ギャン泣き、本泣き。
バナナを食べさせながら、ハンバーグを用意し、野菜を電子レンジでチンして、、、
下から2番目には、「ママが良かった」と泣かれ、
上2人からはお腹減ったと急かされ、
1番下はバナナごときではおさまらず、ギャン泣きはさらに本格的に。

下から2番に、「ハンバーグ嫌、ばあちゃん嫌い、帰って」と言われ、
わたしは「ばあちゃんは1番下を連れて帰る!」とキレかかると、上2人に、「お腹減った、ばあちゃん帰らないで」とせがまれ、、、
ミルクを用意した1歳児は、すごい勢いでミルクを飲み干し、とても足りない、とギャン泣き更に続行継続。 

もう、何がなんだかわからなくなってくる。
お皿はどこ?
サランラップはどこ?
お箸はどこ?
1歳児、首ツッコミ体勢で、勢い余ってミルクこぼしたけど、タオルはどこ?
どこどこどこ?

人の家は、よくわからない。
電子レンジの使い方ひとつ取っても、やり方が違う。
同時、四人の四重奏がガンガン鳴り響く中、汗だく。
自分のお腹が減ったどころではなくなった。
娘からは相変わらず連絡はなし。
指示待ちは、許されないようで、自分で考えて自発的に動かなければならない。
うちも、じいちゃん、仕事から帰って来るんですけどーー。
じいちゃんにご飯の用意しないといけないんですけどーー。

なんやらかんやら、食後のオヤツタイムまで無事終了して、パパが、やっとこさ帰ってきて、20:30には、やれやれ、解放された。
ああ、しんど。
娘は、お迎え要請がばあちゃんオッケーだった時点で、少し遅くなるのではなく、思いっきり遅くに帰るつもりにしたようだ。
子どもたちはどうにか切り抜けたようなので、もう急ぐ必要もないと踏んだと見た。
確信犯。
パパ、ママ両方、お互いに相手がやってくれそうなので、自分はゆっくり帰宅。
両親のどちらか一人の相手ではなく、対応は、ばあちゃん!!だ。
まあいい。
そういう日もある。

いや、たまたまではない。
昨日は小学校は終業式。
今日から夏休み。
そう言えば、夏休みは週に2日間は、ばあちゃんちで預かるんだった。
考えただけで、暑苦しくなってきた。


○○夫人

2021-07-20 | 読む人々には興味ない話
ブログを書くモチベーションは、何か?
なんなんだろう、、、
皆さんのブログを読んでテーマのヒントをいただいたりするものの、、、
気力が衰えるのは、低迷する閲覧数にも影響がある。
気にするな!他人軸!
とは思うが、モチベーションの元の元に顔を覗かせるのは、やはり自己表現することが、ささやかな自己実現の一つかと思ったり。

最近は自己顕示欲は、なりを潜めた。
自分をアピールしても、自分の根本はよくわかっているので、自分独自の力、能力をアピールしているのではなく、自分の周りをアピールしているに過ぎない。
恥ずかしい。真っ赤になる。
運と要領だけで生きてきた自覚があるため、「いいえ、わたし、努力してます」と言い張るとすると、その努力は、客観的にみて胸を堂々と張れないものがある。


自分の力でもないのに、自分の特権を余すことなく使い、なおかつ、意識的にアピールしている人がいる。
○○夫人。
○○を取ると、ただの何の特権もない人。
○○が付いている人ほど、○○の名に恥じぬよう、ヘマをせず、見本となるような行動をしなければならない。
一般人なら、たんなる朗らかな天然さんだったとしても、国の長ともなる人なら、夫人の行い一つで、命を絶たなければならないような苦境に追い込むことがある。
自分の行動には影響力があるという自覚が必須。

国の長などは、その時々には1人しかいないから、そう大勢ではない。
選び抜かれた人なので、脇はしっかり固めていることだろう。
が、天然夫人には政治生命の命取りになる。

と、トップはそう。
下々の○○夫人。
野球選手夫人には超美人が多い。
なぜなんだろう。
理由は想像するが、書かない。

今の世の中、美人だけでは、ダメだ。
最近亡くなった、アイドルメーカーの名プロデューサーが言っていた。
黙って可愛いだけ、はダメ。
発信力が必要と。
なるほど。
○○夫人もそうなのではないだろうか。
お金の匂いプンプンの発信力は、とても恥ずかしい。
本人は自慢しているのだろうが、わたしは真逆に捉える。
イタい。みっともない。品がない。
無知。認知力なし。
社会活動、奉仕活動、ボランティア、寄付なら悪くない。
が、世の中、お金の力で行うことは多い。
アイドルが売れるのも最初はお金の力。
時代を読み、原石を見つけるプロデューサーの眼力、手腕が問われるところだが。

なので、わたしは今時、○○の妻でゴザイマス、は時代遅れだと思う。
今は、○○はわかったから、で、「あなたは?」となる。
○○の資金力や影響力、権限で行っている活動なら、そのまま評価しがたい。
素のあなたは?

しかし、有名人の子供が親の七光りを避けて下積み生活を経て、ある程度力をつけたところで、実は親は○○で、、、と公表するケースもある。
これは芸能界の話だが。
芸術家の子供が親の七光りで芸術家として大成する話はあまり聞いたことがない。
(例外もあるが。上村松園→松篁→淳之)
(歌舞伎や能などの伝統芸能はまた別枠)

親とは全く違う畑を歩む子どももいる。
あんな風になりたい、か、あんな風になりたくない、か、、、親の背中の写り具合は、いろいろか。
親自身が自分の進んだ道は辛いから、子供には勧めないケースもある。
いろいろ。

わたしが、ヒシヒシ感じるのは時代の流れ。
素の自分の力でしていることは、何か。
そこが問われると思う。
なので、自立していない席は、安泰の座ではないのだ。
それと、資産や収入に応じた品格、人格が求められると思う。
なので、成金は、成金を卒業しないと、成り上がりのレッテルはいつまでも剥がれない。

仕事と子育ての両立

2021-07-18 | 子育て
娘たちの仕事関係のことを聞いているとアタマが痛くなった。
わたしには到底出来そうもない。
だからとらいって、子育てサポートは引き受けるから、仕事に全力投球してちょうだい、とは、言い切れないわたし。
LINEでのやり取りも、無難なものに落ち着く。
受け皿を用意しないで、どんどん飛躍させるのはいいが、跳び上がった後のフォローを誰がするのか。
昔の大黒柱システムならどうにかなっても、幼い子供をたくさん抱えての全力以上の仕事への取り組みには、応援したくても手が緩む。
娘婿も共働き、イクメンを全力でやってもフォローしきれないだろうから、結果的には親元にしわ寄せが行くとすると、、、。
どちらか一方が仕事を辞めて専業主婦(夫)にならざるをえないか、あるいは、子育てを諦めるか。
もう子供は既に存在するわけだから、産む前に計画すべきなのだろうけれど。
厳密に念入りに緻密に計画しても、その読み通りに行かないこともある。
ある程度、場当たり的な流れや勝負も必要になってきそうだ。

子育てか、仕事か。
身を裂かれる思いで仕事をしている人、子育てをしている人も大勢いるだろう。
そんな思いはしたくない、手枷足枷が嫌だ、と、子供を作らないとしたら、、、。
少子化は自己実現の成れの果てか。
何かを達成するために、何かを犠牲にする。
子育ての代わりに、介護というのもある。
が、介護はお金でどうにかなる。(例外もあるとしても)
しかし、子育てはお金の力を借りたとしても、お金だけだと、あきらかにマンパワーが不足。
次世代を担うまでのプロセスはかなり重要だ。

と、アタマではわかっていても、理想と現実はシーソーゲーム。
個人差もあるし、さじ加減も難しい。

と、死にものぐるいで必死になって子育てに専念したことが成功するとは限らない。
親が仕事と子育ての間で苦悩するぐらいのバランスが案外良いのかも。
とは言え、自由時間、プライベートタイムも確保したいし。
仕事オンリーの人は、寝ずに仕事するのか。
わたしの両親は高度成長期を支えるモーレツ(死語)世代だったので、ほぼ休みなく仕事だったが、その背中を見て育ったわたしが、こんなサボりなんだから、なんとも言えない。

仕事も家庭も子育ても、混じりに混じって人生、味が出るのではなかろうか。
応援はするが、わたしは自分の身体を削ってまで無理はしない主義。
無理をして自分の器を大きくする成長期は遠に過ぎた。
それで身体を壊したりすると、サポートする側からサポートされる側に転じ、娘たちに逆に迷惑をかける。
というか、(一緒に旅行したりすると)、余計なことはしないで自分のことは自分でしてね、と娘に釘を刺されている。
自分の能力を考え、出来る範囲内で協力する。
そこそこ、望みの第二志望ぐらいが叶えば御の字だ。


ちなみに、一番上孫。
家で電子ゲームをさせてもらえない。
小学校の同級生たちは、ゲームで遊んでいるが、話題に付いていけないようだ。
母親(長女)はTVに対しても厳しい。
うち(ばあちゃんち)に来たら、微動だに身動きもせず全身全霊でTV子ども番組を見ている。
あの集中力を勉強に活かせたら、それはそれは優秀な子供になるのだろうが、わたしの孫なので期待するほうがマヌケである。
が、退屈しのぎにダラダラ見ないところは、わたしは悪くないと思っている。

話は元に戻る。
娘の仕事も応援したいが、まあそこそこで手を打つのは、なにも負けたことではない。
多大な犠牲を払って手に入れたいことかどうかは、娘の胸に聞くしかない。