蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

思ったより深い傷だったようだ

2023-01-30 | わたし
あることを別SNSの日記に書いていると、またまた不意に過去の嫌な感情がぶり返してきた。
いったいいつまで、この気持ちと闘わなければならないのか。
仏教の教えでは、感情や気持ちは無くならないものらしい。
だから、避けられない、対峙しなければならないことであり、誤魔化せない事実に、いつまでも捉われているのは不毛、無駄だそうな。
日にち薬というものがあり、時間が解決してくれることはよくある話。
しかし、嫌な感情が湧き起こったシーンが鮮明に蘇った。
一つだけでなく、いくつものシーン。
目に焼きついている。
音も。
これは一種のトラウマかも知れない。
いまだに不意に苦しめられる瞬間に襲われるということは、自分が自覚しているより、結構、傷は深かったようだ。

怪我なら出血したり痛みを伴うが、こころはわかりにくい。
反応は遅れてやって来る。
わたしだけかも知れないが。

かなり無神経で図太くタフな部類のわたしでさえ、こうなんだから、繊細なガラスの神経を持つ人だと、傷はもっともっと深刻だろう。
想像するだけで、痛々しい。

もう2度と、同じ気持ちを味わいたくない。

今日の記事は100%セルフカウンセリングになってしまった。



長い長い道のり

2023-01-28 | 日々のこと
さすがにブログひとり遊び、モチベーションが続かない。
孤独です。

さて。
今日はインターネットバンキングで、振り込んだ。
相手の手に入るのは、翌銀行営業日。
14年前の、インターネットバンキング用の番号が書かれたプラスチックカードはもう使えないようだ。
その代わりに、ワンタイムパスワード。
メール送信される番号で本人確認され、振り込みには、スマホに表示されるワンタイムパスワード。
かつては、インターネットバンキングで振り込みやら金融商品やらをスマホでスイスイ操作していたので、最初、パソコンを使わずに、スマホ一本槍で振り込もうとしたら、アウト。
全然、アウト!!
昨日、出かける前にやろうとしていたが、時間が足りず本日、平日ではないのではあるが、もつれこんだ。

なぜ、時間が足らなくなったか?
銀行は犯罪防止のため、色々面倒なややこしいことになっている。
メールアドレスを2つ登録していたが、そのうちの1つは、スマホ契約をシンプルなものに1昨年、変更したため、通信会社のアドレスが使えなくなった。
そのアドレスをそのままにしていたため、「メール受信されません」と操作続行を阻まれた。
通信会社のアドレスを削除するには、本人確認の手続きが必要で、メールとスマホ銀行アプリを行ったり来たり。
出かける時間が来てしまったため、昨日はそのまま操作途中で外出。
今日、続きから操作したが、パソコンを開かず、スマホだけを使っていたので、メール受信しに行く度に、銀行アプリがログアウトになってしまったり、また一からやり直さなければならなくなり、そのためにはまたまたメール受信、そうすると、またまた途中で中途半端なまままたログアウトになってしまい、、、。
なんやらかんやらしていたら、ログイン出来なくなり、画面に示されている番号に電話した。
が、なかなか全然繋がらなくて、困った。
まあ長い長い、すごーく長く感じた。
一旦あきらめて、また掛け直したが、またまた長い待ち時間。
もうやめようと思った頃に繋がった。
こんなに待ったのだから何がなんでもログイン出来るよう解除してもらわないと困る。
多分、入力ミスが重なってロックされたのだろう。
電話の向こうの人に個人情報を3つ伝えると解除できた。やれやれ。

だがしかし。
それからが長かった。
目をシロクロさせながら、やっと出来そうになったらタイムオーバーでやり直し。
このやり直し、何回あった?
決められた時間内に操作しないと、アウトなのだ。
のろのろ人間はツラい。
またまた一から、メールに送信される番号の関門をいくつも突破してやり直さなければいけない。
もう嫌だ〜〜。

しかたなく、気を取り直すために小休止を取り、また取り組んだ。
休日なのでどうせ銀行はやってないので時間制限なし。
が、メール待ちをしていると制限時間に間に合わないし、ラチがあかないので、メールを拾いにいくため、渋々パソコンを開くことにした。

が、、、だ。
(わたしは7年前からスマホ一本槍でパソコンから足を洗っているため)久々ぶりに開いたパソコンは、まあなんと、カーソルが画面にない。
ノートパソコンではないので、指でタッチしてもダメ。
なんで、カーソルが無い??
怒りにも似た気持ち。しかし、誰に向けて吠える?
怒りに任せてパソコンを何度も強制終了。
(パソコンには罪はない、、、だろう、たぶん)
そんな手荒なことをするとパソコンが弱ったに違いない。
しかたなく、「カーソルがない」とスマホでググる。
困った時はGoogle。
だが、、、指示通りにすると、ぴくっと一瞬動いたものの、しーーん、、、。
もう知らん!!!
となったが、そこは気を落ち着け、別のミニクーペの姿のマウスを隣の部屋から持ってきた。
が、マウスをONにするとピカピカと光るものの、カーソルは出ず。
はぁ〜。
元の黒いマウス君に直接聞いてみた。
「キミ、なんで、動かないの?」
「なんでカーソル出さないの?」

マウス君は答えた。
「ボクの背中を開けてみて!」
もたもた背中を開けてみた。わりとすんなり開いた。
お腹をひっくり返してみた。
お腹、、、お腹、、、あ、お腹ね。
お腹に導かれ、電池交換した。
元の黒マウスの電池バッテリー残量はゼロ。
あ、そうなのね。
平常の普通の感覚で無表情で電池を入れ替えたら、カーソルが出てきた。
道のりが長い〜〜。

で、せっかく久しぶりパソコンにお目にかかったので、パソコンから銀行の口座にログインしようとした。
すると、さっそく、「番号とパスワードが違います」と画面に出てきた。
またロックがかかっては大変と、そーっと後退りして、スマホでログインした。
そこまではよかった。
さて、メールを開こうとしたら、メールの場所がわからない。
やっと探したら、何やら色々制限をつけてきて開かない。
もう知らん!!
スマホならメールもすいすい、探さなくても簡単なのに。
やはりパソコンに接していないブランクが長いと様子が変わっている。

あれこれ、なんやらかんやらしてどうにかメールを開くことが出来た。
で、スマホから振り込み画面に入り進んで、確認番号ごとの関門はパソコンで拾い、どうにかやっとこさ振り込めた。

長い長い長い、書くのも疲れる、読む人もいない文章の束。


高齢者にはスマホやパソコンは難しい。
代わりにやってくれるという人がいたら、番号、パスワードもろとも全部預けてしまう気持ちがよくわかる。
ほんと、自分でしたくない。
わたしはアタマがカチカチなくせに、人に聞かずにやろうとするから厄介だ。
最悪の場合には、別銀行インターネットバンキングから振り込むつもりだった。
その別銀行は振り込み料は無料なのに(※利用状況に応じて)、出入金ジャンル別に銀行を決めて変えている、無意味のこだわりがあるため(わたしだけにしか、意味がない)、面倒くささは、自分が蒔いた種。
最悪の最悪の最悪の場合、銀行窓口で対面で銀行の振り込み用紙にペンで書き込んで振り込むことも出来るが、さすがにそれには及ばない。

はあ〜。
若い人には負ける。

ちなみに。文章、長いついでに。
昨夜のTVで、高専出身者のほうが大卒よりずっとデキルと東大の先生が言っていた。
アタマで理論を理解する前に手を動かして実践から入っていくほうが、断然強いと。
もちろん、デメリットもあるが、まわりがサポートして行けばよいと。

それとは全く次元が違うが、、、
頭の良し悪しは関係なく、普通に誰でも難なく出来ることが、
自分はアタマが硬い、苦手、ということを日常生活で実感する。
今回はどうにか出来たが、近い将来は丸投げだろう。



おかあさん

2023-01-26 | わたし
おかあさん、おかあさん、おかあさん、、、
夫がわたしのことをそう呼ぶ。
「おい」
「ちょっと」
「あんた」
よりはマシ、、、ではあるが、、、。
わたしは、あなたのおかあさんではない。

そう言うと、「おばあさん」「ばあちゃん」になるのは見えている。
婆さんよりは若い、、、が、、、。

おかあさんと呼ばれる度に、わたしの機嫌は悪くなる。
いつまで、おかあさんなの?
わたしはもうリタイアした身。
一生、(わたしが産んだ)子供たちのおかあさんではあるが。
わたしが100歳を超えて、後期高齢者になった子供たちから見ても、わたしは、いつまでも、DNA的には、おかあさん。

名前、あるんですけど。
で、3番目孫に習って、新たに自分でネーミングした。
その名前を浸透させようと日常生活で頑張っているが、いっこうに根付かない。
おかあさん、おかあさん、おかあさん。

まあなんでもいい。
わたしが不愉快なだけであり、わたし以外に別に誰に迷惑をかけるわけじゃなし。

しかし、激しく著しくとんでもなく、すごく甚だしく、すこぶる大変とても、不愉快である。
自我の目覚めかしらん。
遅めアイデンティティ確立?

夫以外の人々は、わたしをファーストネームで呼ぶ。
ビジネスライクに苗字で呼ばれることも当然ある。
娘(長女)婿は、わたしのことを「おかあさん」と呼ぶ。
次女婿は、ファーストネームで呼び、「○○さん」は自然な良い響き。

姑は最初はファーストネーム「○○○」と呼び捨て。
その次は「○○ちゃん」となり「1番下の1文字をカットして、ちゃん付け。
さらにその次は本名そのまま「○○○さん」。
変遷あり。

さて、夫。
何度も言うようですが、、、
わたしは、あなたのおかあさんではありません。
人のおかあさんなどには、なりたくありません。


ゴミ山から探し物、無事生還

2023-01-25 | 日々のこと
今日は強力寒波到来のため、電車が運休。
で、趣味の練習に出かけられなかった。
その代わり、家でいつもはお尻が重くてやる気が出ないため、出来ないことをした。
それは、探し物。
(実は必要に迫られ、お尻に火が付いているのだけど)

クロゼットの中から探した。
クロゼットがモノが多すぎて、2段棚の下を探すと、しゃがむのが疲れる。
今回の探し物ではない別のモノは容易に出てきた。が、それはそれ。
で、クロゼットではない場所に置いているかも知れないと、息子の元部屋や、娘の元部屋をあっさり探した。
あるわけないだろうけれど、あったら儲けもの、クロゼットで真面目に真摯に向かい合わなければならない気の重さをとりあえず横に置いて、あわよくば感を漂わせながら軽薄なかんじで探した。
なので、やはり見つからなかった。
最初から期待薄で諦めていたし。
気合いを充満させるための時間稼ぎ、ウォーミングアップ。
宿題をする前に、勉強机の掃除をするタイプ。

わたしのセンサー、嗅覚麻薬犬の鼻は、クロゼットの奥の棚の下に行くと反応して最大にアラームが鳴る。
くんくんくん、におう、におう。ここに違いない。
だが、モノを退けないと取り出せない。
瓦礫に埋もれた人物を救済するかのごとく。

はじめは、前に積まれていたモノを身体が入る隙間を作るために数十センチ、一つ一つ移動させていた。
が、ラチがあかない。
で、大きめダンボール箱をダンボール置き場から出してきて、邪魔をしていた昔の衣類(ズボン)を箱に入れた。
これで少しはマシか。
というか、ダンボール箱を出す前後時あたりに、探し物の顔が少し見えた。
やったー。
あとは無事に引っ張り出して、ついでに周辺も少し整理する。
といっても、大まかに乱雑にガサっガサっと、積まれた日記や家計簿類を小ぶりの箱に放り込む。
もう要らない、捨てても良いものだ。
いや、むしろ捨てるべき。
いや、捨てなければならない。
そのうちの一冊、15年ぐらい前の大きなサイズの日記を見た。
細かく毎日の行動を記録していたが、数ページ見て、パタンと閉めた。
とても見られない。・・・焼却した方が良い。
いつか、ドラム缶か、五右衛門風呂の炊き口に入れて焚べよう。
(無いなあ、そんなドラマチックな大モノ)
日記には表紙がプラスチックのものもあるので、焼くと嫌な臭いがするだろう。
しかし、焼かずにどうやってあんな硬い表紙のものを断裁する?
なんだか憂鬱になってきた。
ひとまとめにして、燃えるゴミの日に出すか、少しずつゴミの中に混ぜて出すか、だ。
バーベキュー用のコンロ?で燃やすのも良いかも?

結論。
日記など書かないほうがいい。
では、ブログは?
ブログ廃棄操作を行うと一瞬で消える(はず)。

あと25年の間に、やるべきタスクがいっぱい。
何も手を付けずにいては、おちおち病気にもなれない。
しかし、身辺整理をするために生き長らえるのは、楽しくない。
終活なんぞ提案した人が恨めしい。



ブレたりブレなかったり

2023-01-24 | 日々のこと
わたしのブログは、ガリ版刷り(知っている人は明らかに高齢)の、小学校のクラスの文集みたいなもの。
字の小ささ、薄さ、イラストの線の弱さ、藁半紙のざらつき感、色、、、

閉ざされた世界。
負け惜しみだと思われるだろう。
でも構わない、気にしない。
わたしのこころは、落ち着いている。
逆に、反響があるほうが怖い。
同人誌を数人で書いている感じか。
ひっそり感が好き。

一過性やブームは社会現象だから、それはそれでスゴイ。
マイナスのブームもプラスのブームもある。
昨日、大河ドラマ主演の松本潤、NHK旅番組に出ていたが、地元YouTuberのほうが、徳川家康より有名なところもあるようで、気の毒だった。

ちなみに、今、読んでいる本。元僧侶の若い著者。
面白いのではあるが、後半あたりはよく理解できなかった。
仏教色がキツ過ぎて、バリバリの仏教徒ではないわたしには少し拒絶反応。
宗教部門は、言い切り、押しつけ色が濃い。
やはりそれはわたしは嫌い。
著書、前半は良かったのに残念だ。
得度した僧侶資格を持っている一般人の知人がいる。
その人が言っていることと随分重なる部分がある。
同じ宗教だから当たり前か。

投げかけられた問題点や疑問点には大いに興味があり、理論展開にはワクワクなのだが、肝心の結論がわたしにとっては、途端に色褪せる。
というか、途中までしか集中力が続かない。
問題を追求、掘り下げるのは好きなのだが、結論は、その論者が出したもの。
なので、あら、わたしの結論とは違うなー、で終わり。
自分の考えが確認できる良い機会にはなる。
ぼーっと何も考えていなかったことを、こんな風に考える考え方があるのか、と、一つ知識を得る。
ただし、影響は受けない。
刺激は受けるが。

いちいち影響を受けていたらブレまくる。
「『ブレる』姿勢が、ブレない」、、、と、岸田首相は野党に言われていたが。
ある意味、ブレていないわけで。
「『ブレない』姿勢がブレる」のと、どっちがマシ?
ブレない一本槍も結構だが、ブレたりブレなかったり、難しい舵取り。
(ダーヴィンの進化論によると)柔軟に順応してきた生物が生き残るらしい。
と、しても、しなくても、どっちでもいい説明をしてみた。

※裕さんへ私信です。
それ、なんか、わかる、、、
とてもわかります。




3番目

2023-01-23 | 日々のこと
昨夜の合同夕食はトルティーヤ※にした。
(※メキシコのラッピングサンド、手巻き寿司のようなもの)
用意する間にテーブルに乗せていた茹でたブロッコリーは一つ残らず、ちびっ子たちに食べられてしまった。

市販のトルティーヤの皮は厚めだが、結構お高めで5枚しか入っていない。
10枚ぐらい入っていそうな重量だったのに。
従って、5枚なんかでは全く足りず、娘婿の口に入らない事態になった。
なので、もう1袋買っていたものを出したが、今度は誰かに取られないよう、直接、娘婿のお皿に1枚乗せた。
わたしも次の1袋のうちの1枚を食べた。あとの3枚は長女と夫、さらにもう1枚は誰?
こんな犯人探しみたいな探偵ゲームのような、枚数の足りないトルティーヤは美味しいけれど、よろしくない。活気あるけれど。
おさえとして、大きなサイズの長いフランスパンを4本買っていたが、あっと言う間になくなった。
寝ていた末孫用に冷凍ごはん解凍準備時に、他の起きているメンバーに「ごはん(白米)要る?」と聞いたら、「要る!!」と元気な子供達。
だが、ミニサイズの冷凍ごはんはストックされているものの、いくらなんでもご飯は新たに炊いていなかった。
どれだけ皆んな炭水化物好きなんだ?!
ブーちゃん、ブーブーになる恐れがある、が、成長期だし。

興味深い実験結果。
昨夕、フランスパンを2箇所の専門ベーカリーA店とB店で2本ずつ買った。
1本目は、高級A店の1番高いものだったが、めちゃくちゃ硬くて切るのに往生した。
食感は外側が頑丈な要塞のように硬い。歯がやられそう。
2本目は、B店のソフトな食感。これは、カチカチの次だったためもあり、大好評、大絶賛。
用意していたフランスパンの半分が瞬く間になくなりわたしは不安になる。
3本目は、A店の硬くはないフランスパン。
4本目は、B店の硬くはないがしっかり、しっとり目のフランスパン。

で、怒涛の取り合いバトルから解放され、あとから思い出してみると、皆んな、1本目と2本目、4本目のパンは覚えているのに、3番目のパンの記憶がない。
どんなパンだった?
ひょっとして3本しか買ってなかったのでは?という疑惑が(長女から)出る始末。
やはり、中盤はインパクトが弱まり、記憶の流れの中から消えて流れてしまうようだ。
大好きな具(1番上孫は、タマゴとハム・チーズのマヨネーズ和え。3番目孫は粒コーン)をそのまま自分の前に取り込んでパクつくので、こらこら、皆んなで取り分けて食べる具を独り占めしてはいかん、と「待った!」がかかった。
娘婿からは、なんて贅沢な良い夕食なんだろう・・・!!と、感激された。
そう言えば、アルコールは飲み放題。
シャンパンと、どこかの白ワインと、北海道国産白ワイン、、、今日の缶瓶ゴミの日にはたくさん空瓶を出した。


ちなみに、、、
4人きょうだいの3番目なんて、まさにそれかも知れない。
が、直感で無意識にそれを感じ取ってかどうかは定かではないが、3番目孫は1番個性的で自分の考えや意思がハッキリしている。
長女にそっくり。
うまいぐあいにDNAが配分され混ざったものだ。

ちなみにわたし、5人きょうだい(実質3人)の末っ子。
なんにも考えなくても、皆んなの後を着いていけば、それで行けた。
わたしの子供の末っ子Rも同じような感じだったが、成人になってから殻を破ったようだ。
自分の足で歩くようになった。
が、すぐ上の姉Mの子供(女児)が、Rの(一昨年生まれた)子供の1歳上のため、ベビーグッズのほとんどを季節毎、身体の大きさ毎、足の大きさ毎に、ちゃっかりもらっている。
細々グッズからベビーカーまで、全て、まるまる。
次から次へとお下がりが回ってくるので楽ちんだ。
わたしも、昔、夫のお姉さんからベビーグッズはずいぶん回ってきたものだ。
姉からも子供服はよくお下がりが来た。
きょうだいの歳下は便利だ!お得だ!
が、最初からお下がりがいっぱいあるから新たに買う必要がないため、新品はあまりない。
ではあるものの、わたしは別に抵抗はなかった。
子供たちもそんなかんじだ。


と、フランスパンから激しく脱線。
一旦、脱線するとなかなか戻らない、、、。

(※写真は借り物です)


治安悪化

2023-01-22 | 時事&世の中
まずは、緊急性の低い話から。
話し合っても意見が合わない時、決裂する前に、私はその案件から身を引く。
不毛な争いは避ける。
一つしかない心臓ならいざ知らず、複数あるものなら残りのものでどうにか持たせる。
というか、決裂したら普通はどうするのか。 
決裂の一歩手前に次善策を練る。
真ん中を取ったり、かわりばんこにしたり、妥協したり、調整する。
負けるが勝ちなんてのもある。

話は変わる。
幸せ論、追求ブロガーさん。
お金と幸せ度の関係を説いている。
お金である程度の幸せは買えるが、十分な幸せはお金で買えない。
その新説がまた登場した。
アタマの中で空想するゲームのようなものだ。
実践にはあまり役立たない。
それを承知で読んでいる。

またまた話は変わる。
90歳の高齢女性が強盗殺人の被害者になった。
次々と明るみに出る関連事件。
ずいぶん治安が悪くなったものだ。
が、他人事として呑気に構えていられない。
犯人はどうやって強盗に入る家を決めたのか。
屋根修理だの偽の理由で訪問し、家の内情をあらかじめ調査するらしい。
在宅時間や不在時間もチェック。
身近に起こり得るだけに、恐ろしい。
自宅から3000万円盗まれた男性もいるようだ。
荒んだ世の中になっているのか。
家族と同居していても、家族が居ない時間帯を狙われたらどうしようもない。
防御しようがない。
しらみつぶしに一つのエリアに絞り込まれた犯行。
その地域に住んでいる人々は、戦々恐々だろう。
次の地域もまた次の地域もまだまだ今後、控えている。
同じ日本に住んでいるが、安全に暮らしたい。
安心、安全は幸せの基本、土台だと感じる。



まったく面白くない独り言

2023-01-21 | ブログ
来る日も来る日もブログ更新。
よっぽどヒマなんだ、わたし。
ブログにしか自分を表せないのか。

・・・・
自己表現はブログ以外にもある。
のではあるが。
受け入れられようが、受け入れられまいが、細々と懲りずにブログを更新している。
たんに理屈抜きで好きなんだろう。
・・・・

さて。
最近の目新しいことと言えば、孫達の目覚ましい成長ぶりと、わたしの目覚ましい?脳の衰え。
特にわたしの脳は、自分でもびっくりするようなとんでもないことを無意識にやらかす。
1秒後にハッとして、何やってんの?わたし?と、我に返り驚く。
今にそのうち、気づくのが2秒後になり1分後になり、いずれ気づかなくなり、、、
ああ、恐ろしや。

脳は確実に逆進化(退化)している手ごたえを感じるが、どの現象、行動も、あらかじめ広くあちこちから知識で得ていたものと同じ。
アタマでは知っている事柄だが、自分の身に降りかかると、こころの準備が出来ていない。
が、一度、いや何度もそういことがあると、自覚して、新しい自分に慣れてくることだろう。
こんにちわ、新しい自分。
やはり、人間の成長や退化として一般的に皆さんの身に起こっていることは、自分は例外ではなく、生物として同じなんだと実感する。
と同時に鈍感力も養われているので、ショックや失望も和らげられている。

とは言え、まだトランプでは(小学生)孫達と互角の時もある。
日本語ことわざカルタも、突然、バリバリ強く勝つ瞬間もある。
しかしこれ、この自分の行動、もはや91歳手前の人のようだ。
やはり時間、歳を25年早取りか。
時計を25年、早回しにしている。
今(66歳)からもう既に91歳だが、91歳になっても91歳。
ずっと91歳のままで変わらず安定している。
ずっと20歳のままで変わらないのなら理想的だが。

アタマは91歳だが、問題はカラダ。
まだ91歳ではないが、50歳でもない。
この1年で急に老年になったような気がする。しかも意図せず自然に。
そういう速さに偏りのある時の流れ方か。
そんなわたしが書くものが、面白いわけがない。
今日は取り分け特に。
書き直すか。

ま、そういう日もある。
今日は楽しいことがあったので、大袈裟に言えば、浮ついて集中力を欠き、魂を抜かれている感じか。
だが、視力、視界に異常、違和感が現れ、しばらく目を使い続けるのをストップした。
何ごとも集中し過ぎ、気合いを入れ過ぎは要注意だ。
遊び過ぎ、反省。
その内容をブログに書けばエキサイトするだろうけれど、今は書かない。
だから、わたしのブログは面白くない。
今日の閲覧数はまたまた地の底だろう。





サビ抜き寿司

2023-01-20 | 暮らし
わたしの夫は実に可哀想である。
仕事を頑張り、さあオフタイム!!と、くつろぎ時間なのに窮屈な思いをさせられる。

やれ、使わない部屋の電気は使わないなら消せだの、モノを使ったら元に戻せだの、TVを大音量にするな、引き出しは開けたら閉めろだの、言われる。

だが、服は脱ぎっぱなし、荷物は放置しっぱなし、ゴミは分別はしないで出しっ放しほったらかし、、、は、何も言われず放任、自由。

書いていて、なんだか3番目孫(5歳)が母親に怒られているところを連想した。
1番目、2番目はもう小学生なので、そんな注意は卒業している。
が、未だに時々食事マナーを厳しく躾けられている。

そう考えると、夫の私生活は未就学児レベルということになる。
教育を怠った、わたしに責任があるのか。
私生活は未就学児レベルだが、人に危害を加えたり犯罪には手を染めない。
人としての道徳心、常識はある。
それに、ギャンブルをしないから良い。
わたしはギャンブル・アレルギーだ。

と、かばっているのか、けなしているのか、わからない説明になった。

それはそれとして。
TV大好き夫ではあるが、ある意味、TV中毒である。
ではあるものの、(個人的には)ギャンブルよりマシ。(何度も言うようだが)
わたしの身近にこういう人はいないが、
家に不在なのは良いが、いつもギャンブル場に通い詰め、タバコの煙が染み付いた、独特のニオイを発する灰色の服を着た人、、、
ああいった空気感は著しく苦手で敬遠する。
まさにわたしとは水と油の感覚である。

そう思うとTV中毒など、かわいいものである。
電気代しか要らないし。
それに、垂れ流しTVは思考力を奪うので、禅のようなもの。
無になれる。脳を休ませるにはもってこい。
労働の再生産に向けて、心身をリフレッシュしている。
それはアタマではわたしは理解している。
他人のリフレッシュ行動に制限を加えるのはどうかと思う、、、

、、、のではあるが、、、。
わたしは、同じ空間にいる。
しかもずっと共有の家。
わたしのリフレッシュ方法と相反し真逆で、わたしのストレスとなる。
理解ばかりしていたら、わたしが潰れる。
夫の明日の再生産のために、わたしの再生産が出来ない。

ま、そこは、お互い、譲り合って、明るい未来へ、だ、
(急に文章を段落ごと端折った感あり。
もう書くのがめんどくさくなっている。
不毛感あり)

ということで、協力して楽しく暮らしましょう。(無理矢理、結論へ)

と、本当はここからが第二部。
だがしかし、、、
胸の中で思っても書かないのが、最近のわたしの快適ブログ生活。
書いたところで自分をおとしめるだけ。
というか、知られたくない。
しっかり自分の胸に収める。
だから、カラシやワサビを効かさない、サビ抜き回転寿司になっている。
美味しくない。
が、害もない。

これはブログの落とし所としては、わたしの望むところではないのだが。
とりあえずは、今日は今日の風。


可愛げない独り言

2023-01-19 | お付き合い
自分で思うことは、他者も思うのかどうかわからない。
なので、自分では面白いと思うことを話すのを躊躇われる。
逆に他者が話していることに対して、全然興味が湧かないことがある。
ふんふんと相手が話す時間が過ぎるのを待つ。
これは、明らかにダメなんじゃないか?わたし。
コミュニケーションの取り方を一から学びなおさなければならない。

自分も他者も共通の関心事をシェアすべき。
共通点が無いなら、、、、うーーん、、、
どちらが悪いというものでもなく、一人一人は別のものなので当たり前。
歩み寄るにしても関心事自体が重ならないなら、どうしようもない。

なので、関心あることはブログやインターネットや著書などで一方的に話を仕入れることになる。
だが、個人的に自分にだけしか興味がない自分の世界。
やはり、これは、わたしは重大なコミュニケーション能力の欠如なのではないだろうか。
反省するなら、改善すべき。
しかし、どうやって?

ねえねえ、わたしが興味あることをあなた(たち)も興味を持ってちょうだい!と、積極的に働きかけなければならないのか。
社会運動だとか、草の根活動だとかならわかるが。
別にそんな信念や思想や理想に基づくものでも何でもない、ごくごく普通の日常の事柄。
うーーん、、、やっぱりコミュニケーション能力に問題があるのか。
(だが、推しファンクラブだとかなら、会員メンバーとは興味も温度も同じだ)

しかし、問題は別のところにある。
わたし自身が別に嘆いているわけでも悲しんでいるわけでもなく、にこにこ静かな落ち着いた佇まい。
問題視していないことが問題なのか??

友達がいないようで、いるようで、いないようで、いるようで、、、
友達の定義を広くするか、狭くするかで違ってくる。
出会って5分で友人になることを特技としている人がいて、友達は増え続けているようだ。
人数には制限はなく、ものすごいキャパシティ、包容力なのだろうけれど、相互関係維持を追求すると、友達がそんなに多いのはどうやってコミュニケートするのか?
グループラインで一斉に?だとか、フォロワーたくさん、だとか?
一方通行っぽいと感じる。

幸福論を唱える、あるブロガーさんは、オススメ(他者の)著書の中で、群れる人の特徴を述べて、一長一短あることを説明していた。
メリットとデメリットがあり、どちらを採択するかは、個人の自由。

ということを色々考えると、、、
自分が迷っている案件を人には相談できないが、話題にしていたり、他人の話を聞いたりして、ヒントを得ることがある。
最終的に決めるのは自分。
わたしの場合、悩みの中身を他人に打ち明けるのは抵抗があるので、自分で悩んで自分で決める。
信頼できる友人に相談し、お互いの絆を深めていくのが、オススメの正しい進め方なんだろうけれど。
仮に友人がいたとして、その人がアドバイスしてくれたとして、あるいは専門家に相談したとして、その答えを原案に修正していくのが良いのだろう。

が、、、迷ったところで決めるのは自分。
誰がなんと言おうと、最終的に決めるのは自分。

「あなたのためを思って真剣に考えてアドバイスしているのに、ちっとも取り入れないじゃないの。
無駄な労力と時間で疲弊するのは不毛で虚無感を生じるから、あなたには何も言わない」
そういう流れもあると思う。

女性同士の観劇、映画、コンサート、おしゃべりやお茶、ランチ、スィーツは楽しいだろう。
興味や興奮を分かち合い感想を述べ合い、大好きなものを食べながら、ついでにプライベートもちょこっと漏らす。
とても素敵な充実した時間だろう。
だから友達は貴重だ、、、

と、書いたらその通りで何の反論もなく全力で賛同する。

今から見つけよう、そんな友達。
でも、それって還暦過ぎた独身の人が、今から結婚相手を見つけよう!と力んでいる感覚に近いように思う。
あるネットで見かけた方、、、結婚経験無しの還暦過ぎ、初めて家を出て、今から結婚相手(しかも30歳下の女性)を見つけて楽しい家庭を築くんだ!と意気込んでおられる。
しかし、これはほぼ妄想に近いのでは?
通常はリアルな現実を客観的に見て、自分の状況に合った相手とマッチングする。
でないと、「条件に合致する該当者なし!」と検索結果が出る。
それは結婚相手の場合だけど。

ちなみに、
わたしの友人探しに関しては、今は別に渇望しているわけではないので、今は今しか出来ないことに情熱を傾けて没頭している。
そして、、、人を寄せ付けないのは、自分自身のせいである。
ではあるものの、自然体、自然に任せている。