蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

狭い地域の暮らし。

2011-07-31 | 

昨日は、法事があり、参加した。
夫側の実家の近隣親戚。
参加女性は少なく、ほとんどが、男性だった。

名字が同じなので、皆さんのお話で、
「K家では、・・・どうのこうの」
「K家の人は、なんたらかんたら」

と、K家の話題が出る度に、Kを名字に持つわたしは、ドキリとするのだが
本家やら分家やら、さらに分家にも何代前の分家やら、
さらに分家から養子に行って、そこにまた養子を迎えて、なんやらかんやらあるものの
ああ、そうだった、ここに集まっている人たちは、初対面でも全員K家だった。

だれが、だれだか、さっぱりわからなかったが、義母の指示・命令で参加した。
去年のお葬式にも参列しているので、
その時、知らない顔の人は、今回で、2回目のお顔を拝見することになる。

それでも、やっぱり知らない人がいる。
(大勢のお葬式のときには、顔もろくすっぽ見てないし)

だいたいは、顔を見て、
わたしの知っている人に似ている顔の人は、血がつながっていると判定する。
兄弟だったり、親子だったり。
これは、わざわざ「あの人、誰ですか?」と聞かなくても、ほとんど間違いなし。

法事が行われた、その家の場所がよくわからなくて、義母に手書きで地図を書いてもらった。
白い紙に、にょにょろと1本か2本線を引いただけの、立派な地図。
書いてもらっても、書いてもらわなくても、あんまり変わらなかった。

で、夫の実家から、ごくごく至近距離にある、その親戚の家への途中あたりで、
よくわからなくなった。
しかたなく、ぼおっとしていると、同じような黒い式服を着た人が複数いたので、
挨拶をして(お互い、まったく初対面)、その人たちの後を付いて行った。

主催者側のご当家以外の人の中では、わたしが一番、若かった。
法事に出席するのは、年寄りと、相場は決まっている。
お年寄りでも、しゃきっとしている間はいいが、
よぼよぼになってくると、世代交代した次の代の人が参加する。

夫の実家の場合、名前や経済的なものは世代交代をしているけれど、
実権はまだまだ義母にある。
なので、わたしは、義母の言われるままに、コマとなって、あっちこっちに動かされる。

「この人にはこの話、その人には、その話題はタブーだ」とか、
「あの人にはあの話はここまでしているので、聞かれたらこう答えてね」、とか、
義母から細かい注意事項を聞かされる。

はい、はい、と、うなずきつつ、あんまり聞いていない、わたし。


会食の部屋では、食事の時に飲み物が用意された。
なにが飲みたいかということで、
「ビールは、飲まれないですよね。ウーロン茶でいいですか?」
と言われ、めんどくさいから、「はい」と答えておいた。
(基本的には、わたしは、少しだけ飲みます)
ビールを飲んだら、余計なことをぺらべらしゃべって、
義母からのタブー事項を忘れ、ヘマをしでかしてもいけないし、
つぎつぎ、注がれてもややこしいので、ウーロン茶で正解だった。

ビールが次から次へと運ばれるとき、わたしの席のあたりは、
「あ、こちらはビールは、飲まない人ばかりです」と、だれかがビールをさえぎっていた。
その割には、わたしの隣に座っていた、開催側の若いお嫁さん(30代後半ぐらい??)は、
ひとり手酌で、ビール(大ビン)をがんがんいっていた。

このお嫁さん、地域では、めちゃくちゃボロボロのボロのちょんに、言われている。
昨年のお葬式のときも、それだけヒドく言われている人は、いったい、どんだけヒドイ人なのかと、
興味津々でその人をわたしは見ていた。

先入観が99%を占め、なんか、ぼってりした、ふてぶてしい人のように見えた。
先入観とは、罪深き恐ろしいものだ。

義母からもその人の説明を、一字一句違わず、同じ文章、内容のことを最低4回は、聞かされた。
聞くたびに新しい情報が加わっているかというと、更新はまるでされず、
毎度毎度、まるで同じ話。
延々、何年たっても、コトの進展はないのか?? 微調整はしなくていのか?

彼女は主催者側の長男のお嫁さんなのだが、前は親世帯とは別居していたが、
ご主人は勤務先が実家近くということもあり、実家に入り浸り。
食事も実家でおばあちゃんや、両親といっしょに。
お嫁さんの住んでいるマンションでは、
まったく手のかからない(あたりまえ、実家でごはん食べさせてもらってる)ご主人と
ふたりだけ。
子供もいないんだから、ぼーっとしてないで仕事にでも出ればいいのに(義母・談)、
まったく専業主婦で引きこもり系だとか。
夫側から離婚の話が出たが、彼女は、拒否。
(それを、まわりは、「居座り続けている」、と、表現。
なにもせずにお金がもらえる、今の立場を手放すわけがない、と、外野はコメント。
立場変われば、みなさなん、好きなことを言いますね)

やがて、ご主人の実家の敷地内に立派な家を建ててもらい、お引越し。
でも、玄関の鍵を中からかけ、まわりと関わりをあまりしないで、変人扱い。
(田舎では、中から鍵かけると、変人って言われるんですねえ・・・
いつでも、だれでも、土足とまでは言わないにしても、土足に近い状態で入ってこられるように
ウエルカム体勢を整えておかないといけないんですねえ・・・)

でも、「着物を着て、京都のお茶会に出席したり、と、けっこうな生活をしている」と批判されている。
なんで、ここで、批判されるのか、わたしは、まるで理解できないけれど。
あたかも、毎週行っているかのような印象を受けるが、たった1回、目撃されただけで、
いつまでも何年たっても、言われ続ける。

昨日、義母から聞いた彼女については、
1から1000まで、すべて、まったく何一つ変わらない、いつもと同じ内容の話だった。

こんな、気の毒な人なんだから、法事で、ビールの大ビンを一人でグビグビ飲んでも、まあ、いいか・・・
そんな気になった。
でも、わたしには、一言も話しかけるでもなし、飲み物を注ぐわけでもなし、
わたしは、もう一方の隣の男性と、ウーロン茶を注ぎあっていた。(先に、隣の人から注いできた)


彼女の開き直りは、お見事です。
あの苦境のなかで、孤軍奮闘して、かわいくない嫁を貫き通す、固い意志。
ま、ちょっとだけ、かわいげがない片鱗がちらちらと見えたが、まあ、それはそれで、
先入観のせいもあるんだろうと、おお目に見よう。

ちなみにご主人は、まともな、爽やか系。
人前で挨拶もちゃんとできるし、ルックスもそう悪くない。


いろんな人がいるわけだが、そんな、目と鼻の先で、嫁・姑・家族の大バトルが繰り広げられていて、
地域のみなさんの話のネタになっていて、
そんな雰囲気、土地、風土のなかに、わたしが、移住して暮らすことになる?

義母に、「帰ってきてくれる? 帰って来たい? それとも、帰って来たくない?」
と聞かれ、思わず「どっちでもいいです」と、答えてしまった。
本心は、当然ながら帰って来たくない。
(ちなみに、義母も今の時点では、まだ現役主婦でいたいので、どっちでもいい、とのことだった)
でも、いつまでもそういうわけにも行かないんだろうし、
帰りたくないと言い切ってしまうと、
義母が精神的に参ってしまってはマイナス効果(心身の健康キープにセーブがかかる)
なので、ここは、あいまい、ファジーに。
行ったり来たりの日が、いずれ何年か後に来るのであろうと予測した。

わたしのこの、スープが完全に冷え切る場所での別居スタイルは、
あの閉ざされた古くさい地域でも、こういう方法もあるという、ひとつの実践例のようになっている感がある。
法事に行っても、地元の近い親戚にも、ある意味、認可されている言動が伝わってくる。
というのは、家族全員が、それでいい、と納得していて問題なく円満に行っているのに、
まわりが、それはよくない、と言ったところで、なんの拘束力もない。

だが、自分はつらい目をして、ガマンして、おもしろくない人は、
そんなの不公平!と、陰口をたたいていることだろう。

一昔前なら、郷里の老親を嫁が世話をするのが普通だったが、
いまは、嫁はまだ働いているので、リタイア前後の夫(息子)が、行ったり来たりして
親の世話をされているケースを、身近に2,3知っている。
そのうち、嫁もリタイアしたら、二人で協力して交替で世話をする可能性もある。
あるいは、意見が分かれたら、夫だけが郷里に帰り、妻は今の居住地に住み続け、
円満別居というケースもある。

これは、ふたつの家を維持する経済力が必要になってくるので、
すべてのケースにはあてはまらないとは思うけれど。
妻にも経済力がある場合、結構、妻の発言力や行動の後ろ盾になる。


法事で垣間見た、地域の暮らし。
わたしは、とても溶け込めそうもないし、
今のわたしと同世代の地域の人々がお年寄りになって、わたしも彼らと同時に年をとっても、
おそらく、なにか、まったく異種のスタンスや、価値観の大きな違いを感じる。
異なる文化圏に飛び込むのは、勇気と覚悟は必要だ。
それに、いまのところ、強制移住の必然性は迫られていないようなので、
ここしばらくは、義母のコマンド・ロボットとなって、あっちこっちに奉仕活動に赴くことにしよう。

 

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乙女ごころが、傷ついた。

2011-07-29 | ファッション

今日は、取るに足らない、実に、しょーもないことをボヤきます。


一昨日、実家に行った。
毎月、ほぼ決まった日に定例会が行われている。

ま、それはいいとしよう。
どうってことないんことなんだが・・・

母は、
「いつも、あんたたちのファッションが楽しみでね。
こんなに暑いと、どんな格好してくるのかと思って」
と、期待たっぷり、わくわく状態。

で、わたしのファッションは、いつも見事に母の期待を裏切る。

「なんなん? その格好。
今は、そんなんが流行ってるん?
どこが、どういうふうにいいのか、まったく、さっぱりわからんわ」
と、うんざり顔。

この本音、正直な感想そのまま。
思ってもみないことをおべんちゃらで誉められるのと、どっちがマシ?

わたしは、この夏のバーゲンで、デパートで買ったばかりのおNEW、
はおりものと、チュニックを組み合わせて、買った。
(こういう新しい傾向はどうかな?と、ないアタマを絞ってコーディネートして、ややチャレンジ)
その日の朝、値札を切って、はじめて、袖を通した。

そりゃあ、わたしには可愛すぎるデザイン、柄かも知れない。
でも、白いコットンのブラウスジャケットで、可愛すぎる柄をちょっと隠すようにして
甘さを抑えて、自分なりに工夫したというもの。

見た目のすべてを全否定された。

感性っていうものは、個人個人違うものであって、年代や育った時代背景にも
その趣味の違いは歴然とあるだろう。

見るからに不快だとか、不潔だとか、だらしないとか、汚いとか、
みっともない、とか、あまりにもヤスモノ、粗悪品とか、
下品とか、露出度が高すぎるとか、挑発的過ぎるとか、
流行の最先端を行き過ぎているのに、本人がダサくて、まるで似合ってないとか、
反体制的で、攻撃的だとか、
暗黒の時代を髣髴(ほうふつ)させて、暗い嫌な気分になるとか、
そういう生理的、思想的なものなら、わかるけれど。

あるいは、短すぎる? 長すぎる? 丈が明らかに、おかしい。
色の組み合わせがありえない?
柄が、ケンカしまくっている。
素材の組み合わせがありえない。

そんなこともない、ごくごくふつうの、まあ、難点を言えば、
ちょっと年齢に(ひょっとして)合ってないかも知れない
たったそれだけのことなのに。

いや、これが重要なポイントかも知れないけれど。

人に後ろ指差されて、笑われるほどのものでもないし、
そんなのを着るような、わたしには、そんな勇気もない。

単に自分の感性に合わないからって、そんなに正直に感想を述べなくたって、いいのに。
ぷりぷり。

わたしは、確実に出鼻をくじかれたし、
これから、その服を着て出かけるのが憂鬱な、いやな気分になった。
(でも、今日、着て行きます!!)

感想って、思ったまんま、口に出して言うべきもの?

ほころびてる、とか、後ろのファスナーが壊れてるとか、
まつり縫いの糸がほどけかかっているとか、
見えにくいところだけど、部分的に汚れてるとか、擦り切れているとか、
本人が気づかないトラブル・ポイントを指摘するなら、いざ知らず。

自分が、好きでないティスト、理解できない感性だからって、
わざわざ本人に伝えるのは、いかがなるものか。
まあ、アカの他人ならともかく、母娘なんで、べつに大したことでは、ないのだけれど。


母は、くしゃみも、どんな場所でも、あたり構わず思いっきりする。
本人曰く、「ガマンしてたら、気持ち悪いから」と。
周りは迷惑。マナー違反。
それをマナー違反と思っていないところに問題がある。
母は、思ったことを言わないと、ムズムズするようだが、それに似ている。
自分以外の人の気持ちを考える、察するなんていう機能は、
アタマの装置の中には備わっていないようだ。

わたしは、息子が、くしゃみをものすごく静かにする(押し殺している)のを見て、
わ、そんな方法があったんだ、と初めて知って、その方法をマネしている。
子供に教わることも多い。

わたしも、子供たちに、「おかあさん、下品!!」と、言われることがある。
「おばあちゃんに、似てきてる」とも。
血は争えないので、気をつけよう。
きっと、おそらく、母と、まったく同じ道をたどるに違いない。

すこしでも、その濃度や進行が遅くなるよう、意識するように、こころがけよう。

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でも、母は、とてもパワフルでタフで、エネルギッシュ。
へたれ(軟弱)なわたしは、母のライフスタイルをマネしようにも、とてもマネできない。
そして、感謝してもあまりあります。

なのに、パワフルすぎる母には言えなくて、こんなところで愚痴ってるなんて、
いい年して、みっともない・・・、ですね・・・。
高齢の母なのに・・・本来は、労わらないといけないのに・・・
ただ、わたしより、ずっと元気な、スーパーミラクル母なので・・・
年齢が、わたしと、逆なのではないかと感じています。

 

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ドロドロ沼から、サヨウナラ。

2011-07-28 | 人生

いつも、お邪魔している中西アメリカ在住のある方のブログ。
毎回、更新の度に見させていただいているのだが、
わたしは、読み逃げ常習犯で、コメントはめったに、つけない。

でも、今日は、「仮面夫婦」というタイトルと内容に、脳と指が反応して、
コメントをつけさせていただいた。

我が家も、仮面夫婦と、娘たちに、よく言われる。
なにか家の大事なイベントがあると、その役割を我々夫婦が力を合わせて
大きな失敗もせず、やり遂げた後には、娘に褒められる。

「まるで、仲のいい、協力体制ばっちり、息の合った夫婦みたいやなあ」と。

日ごろ、夫婦を真面目にやっていないので、イベントの時は、帳じり合わせをするかのごとく、
たいていは、つつがなく、こなしているので、いちいち、褒められることもないのだが。

これは、一種の仮面夫婦?
あるいは、メリハリ夫婦?
はたまた、手抜き夫婦?
それとも、イベント夫婦?


夫婦関係において、
夫が浮気をしても、自分が悪い、と自責の念にかられる妻。
これでは、夫の思う壺だと、その中西米ブロガーさんは、おっしゃる。
わたしが前に、よくお邪魔していた別のブログでは、
夫に浮気された妻には、「夫や相手の女性が悪い」と思わせるように、いつも指導されている。

なぜ、自分のことを省みず、自分を正当化して相手ばかりを攻めるのか
わたしは、まったく腑に落ちなかった。
が、妻が反省したら、夫の勝ち・・・・と、別の見方。
とても、新鮮な角度からの意見だった。

どちらが正しいわけでも間違っているわけでもないだろうし、
自分に合った方法で夫婦問題を対処、改善されたらよろしいかと思うが。

ただ、ドロドロは、ほとんどお金で解決できるとのご指摘。
なるほど。
それはわたしが感じることと同じ。

どんな精神的立ち直り法であろうが、要は、お金があれば、強い。

中西米の彼女は、最善の努力をした後、改善されず、どうにもならなかったら、
その時は執着せず、新しいパートナーを探す、と、おっしゃる。
その潔さ。
わたしに備わっていない、パワーのひとつだ。

でも、考え方や、努力の仕方、意識の仕方で、自分の人生は切り開けるように思う。
じゃあ、お金がなかったら?
生活のために、ドロドロの渦の中から出られない。

お金にも、生活にもレベル、ランクがあり、どの程度のお金があると幸福感が感じられるか。
今の生活レベルを維持するには、そのレベルが高ければ高いほど、大変。

たいして、お金をかけずとも不満なく生活できるには、強いポリシーというか、精神力が必要だ。
「こうすれば、一攫千金のユメが叶います」という、
詐欺まがいの怪しげな商売への手引きみたいなものを多く見かけるが、
逆に、「こうすると、お金がさほどなくても幸せになれます」なんていう広告はない。
あるとすると、これまた怪しげな宗教への勧誘。

書店には、イギリス式暮らし方だの、年間200万円での幸福な生活方法だの、
いろんな本が売られている。
それは、宗教でもなければ、うさんくさい商売でもない。
「株やFXでの儲け方」なんていうのもあるが、わけのわからない宗教よりはマシかも知れない。
おこづかい範囲内で、楽しむ分には、どうぞ、ご自由に。
生活水準を高めようとして、破綻しては、まさに本末転倒。

お金がないから幸せになれない?
必要なお金の額と、幸せ感の基準が、人によって、かなりの差がある。
最低限度、生活できるだけのお金(衣食住プラス医療・介護)では、幸せと感じないとすると、
いくらプラスされると、幸せと感じるのか?
そのプラスアルファこそ、ひとによって、まちまち。
分野によって金額が大きく変わる。

家庭菜園が趣味だとすると、安く借りられるミニミニ農園で、旬の野菜を作り、味わう。
そんなに膨大なお金はかからないし、野菜の収穫というオマケまでついてくる。

ただ、野菜作りなどは苦痛でしかない人にとっては、娯楽でもなんでもない。
ああ、難しい。

贅沢って、なに?
自分のしたいことが、何の障害もジャマもなく、どんどんできること?
理想を追究すれば、キリがない。

いったん、お金から離れることじゃないかなあ。
執着を断ち切ると、お金への執着心もなくなる。
お金では換えることができない、ごく普通の当たり前のことを、幸せと感じられる、
そんな穏やかな日、穏やかな時間が、幸せなんだろう。


話が、どんどん逸れている。
仮面夫婦や、離婚できない夫婦の話でしたね。

最善を尽くして、それからのことは、それから考えて対処すればいいのでは?
まずは、最善を尽くすこと。
そうすると、道が開けるような気がする。
ドロドロから、ちょとマシな泥濘(ぬかるみ)になり、やがて、からりと乾く日を夢見て、
とりあえずは、まず、目標を定めて、それに向かって方法を考え、努力すること。
闇雲(やみくも)は、合理的でないので、
アタマや情報を使ったほうが、はやく目標地点にたどり着くように思う。

そうか・・・
じゃあ、さっそく、わたしも、そういう方向で、
いつ、そんな事態が訪れても、
執着心のない、すかっと爽やかなサヨウナラができるよう、頑張ってみよう。

まだまだ、人生のお日様は沈んでいない。

 

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それよりも、なによりも、安泰な日々を送ることができること、
それを支えてくれる人々への感謝が、第一ですね。



 

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へたれ虫にも、五分の魂

2011-07-27 | 無題

ある、創作ストーリーを書いた。
昨日に、大筋を書いて、今朝、手直しした。

ブログにアップするつもりだったが、止めることにした。

書いているうちに、どんどんエスカレートしてきて、こんなこと書いてもいいの?
と思えるほど。
でも、キーボードを打つ指は、お構いなしで、むしろ、ヒートアップするばかり。
指の暴走を止められない。

完全なフィクションなのだが、いくらフィクションと言えど、
やはり、不特定多数の人の目にさらされるというのは、
ヒカリが当たる反面、不安で落ち着かない。

わたしは、べつに露出狂ではない。
たとえフィクションであろうが、自分の隠しておきたい部分をさらけ出すことに抵抗を感じる。
かといって、美辞麗句で固めた、ウソっぽい自画自賛にうっとりするほど、
ユメの世界にどっぷり浸った乙女ではない。

どちらかといえば、その反対に、
自虐路線をひた走り、ニタニタする悪趣味傾向は、少々あるかも知れない。

しかし、こんなわたしでも、自分での規制があり、
「ここまでは、書く。ここからは、書かない。書いたとしても、公開しない」
そういう暗黙のルールがある。
(さっき、自分と相談して決めました)

公開しないものを書いても楽しい?
楽しい場合と、楽しくない場合がある。
ジャンルにもよる。

おそらく、そんな無駄な、虚無的なことは、今後、あまりしないと感じる。
ちょっと事情があって、今回は、試みたに過ぎない。
試行錯誤の一端。

人生、なにをして、なにをしないか。
(ただし、義務以外の自由分野で。
義務分野は、楽しくなくても、苦しくても、当然、やらなければいけない)
やって楽しければ、あるいは、充実していれば、またやればいいし、
よくなけれは、やめればいい。
はじめは楽しくなくても、だんだん、楽しいと感じるようになれば、やればいい。
さじ加減は、自分。


自分のブログだからといって、なんでもかんでも、ぶちまけたらよいか、
それは、ブロガーさんのスタンスにもよるだろうし、
そのぶちまけ本音トークが好きな人は、それでいいだろうし、
うわべお飾りブログが好きなら、それはそれで、いいんだし、
これだけ多くのブログが氾濫していれば、なんでも、あり、ってことだ。
不屈の根性ブログや、社会派ブログ、実践お役立ちブログ、癒されブログ、・・・
ブロガーさんと、読み手の好みやニーズが一致すると、いい関係が保たれる。

ただ、わたしは、人気ブログとは程遠いが、わたしなりの自主規制というものがあり、
自分の守りたい線、壊したくない線があり、できればキープしたい。
たとえ、訪問数の少ないマイナーブログであろうが、守りたい路線はある。
(一寸のへたれ虫ブロガーにも、五分の魂)

ここまで、壊れていて、なにが、守りたいだ?なんて、笑われるかも知れないけれど。

いいんです、いいんです。
書く人、読む人、いろいろあって、いろんなブログが生まれる。
自分のブログも、時を経るにしたがって、ニュアンスやティストが変わっていっている。
が、変わらないものもある。

ということで・・・・・
今日も、一日の日課として、指の運動がスムーズに行われたことに、
感謝して。
ここで、終わります。

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ご訪問、ありがとうございました。

 

 

 

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社会人。

2011-07-26 | 日々のこと

遠方に赴任している息子が、突然、帰省した。
なんの前触れもなく、いきなり帰ってくるので、いつも、あたふた。
スケジュールを聞かされていないので、予定はその場でわかることが多い。
帰省した翌朝、前の赴任地へ用事で行くと言うので、乗り継ぎに便利な駅まで、車で送って行った。

それで、ああ、もう帰ってこないんだ・・・と、さびしく思っていたら、
いきなり、その日の夜に、もう一度、顔を見せた。

ありゃりゃ、なんで?
仕事は? 

同じ、関西圏なら、なんの問題もないけれど、
帰るのには、飛行機を利用しても8時間かかる、遠い赴任地。
日曜日の夜に、顔を見せたら、当然、翌日、平日からの仕事に間に合わない。

夏休みだそうだ。
なあんだ・・・もうちょっと前に言ってほしかったなあ。

でも、平日は、家族全員が、仕事なので、彼は、ひとりで家にぽつんと残されることになった。
せっかく遠くから帰ってきているのに、なんだか可哀そうだけれど、
まあ、夜には、ひさしぶりの家族集合で、とても懐かしかった。

土曜は、夫は飲み会から帰宅した後の、遅い時間にサプライズ帰省だったので、
シャンパンを1本空けただけだが、
その後、
日曜、月曜の夜には、ビール数本、白ワイン2本、赤ワイン1本、シャンペン1本、りんご酒1本が、次々と空いた。
日本酒も、冷で飲んでいたようだ。
空き瓶、ごろごろ。
息子をダシに、主に夫が、一人で飲んでいるようなものだが。

いつも、飲むと、夫は早々に酔いつぶれる。
下娘Rは、食事が終わるや否や、自室へ引き上げる。
(今、試験前で勉強中だから、仕方がないと言えば、仕方ないが、愛想なし人間)

土曜日、日曜日とは、話らしい話は、あまりしなかったが、
昨夜は、少々、酔いもあって、息子とわたしは、少し話をした。

仕事の話100%。

わたしは冗談っぽく話したつもりが、結構、息子はシリアスで、とても真面目に仕事に取り組んでいる。
仕事を通して見える、社会の問題点が浮き彫りにされ、
日々、それを息子は痛いほど感じるようだ。

大変だなあ・・・
日本には、いろんな社会問題を抱え、日々、止まることがない。
決して理想的なカタチではなく、このまま行くと、どんどん悪い方向に行くようなことを言っていた。
社会を悪くするのも、良くするのも、人々の意識。
意識を改革するのは、並大抵ではなさそうだ。

人は、困窮する社会にひっ迫して、はじめて、コトの重要性に気づくのだろう。
問題意識のなさ。
その時では、遅すぎるのだが、問題点を感じない時には、ぼーーっとしているだけで、
気がつかない。
自分の身に火の粉が降りかかってきて、はじめて、熱さに気づく。

現場から、従事者が訴えても、なかなか届かないようだ。
特に、東京に住んでいる都会人には、その傾向を強く感じると、彼は言っていた。
地方の人と、文化や考え方、暮らし方の違いが顕著だそうだ。
口は出すけど、手は貸さない。
問題点の責任を自分で負わないで、社会や人、担当者に向ける。

昔と今とでも、人々の意識はずいぶん変わった。
社会が豊かだから、そうなったんだろうけれど、結局、それで、別の歪みが生じている。

いろいろ、考えさせられることが多い。

日ごろ、のほほんと、アタマからっぽに、暮らしているわたしとしては、
平和そのものの毎日を送っているが、
息子も、学生の時とは違い、社会で働くようになると、様々な社会問題にぶつかり、
社会の一員として、もまれているんだなあ・・・と、感慨深かった。

今朝、空港行きのバス停まで、車で送り、車の中から窓越しに、赴任地に戻っていく後ろ姿を見送った。

息子の夏休みは、終わった。

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大きな声では言いにくい、研究

2011-07-24 | オトコとオンナ

ある年配らしき男性が書かれているブログで、とことん、SEXを追究したものがある。

話は、すべて、オンリーその体験のみを書かれている。
徹底している。

時事ネタや、世間一般の話、趣味、仕事、食べ物、そんなの一切なし。
というか、他のものには全く、目もくれず、なんの関心もなく、
さほど、お若くないと思われるのに、寝ても起きても、趣味が、ソレ一筋。
(特化したテーマを絞り込んだブログに仕上げてあるから、必然的に、そうなるんだけれど)
世の中には、そういう男性が、いらっしゃるようだ。
いやはや・・・・夏休みの自由研究の課題には、しにくい研究テーマ。

女性には、そんなブログ、あるんだろうか?
恋愛カテゴリー・ブログで、そういうジャンルはあることはあるけれど、
「生命の科学」みたいなかんじで、科学的に、理路整然と解説したものは、読んでいて違和感がない。
むしろ、知らなかったことを知ったりして、脳ミソが、ちっちゃいスパンで反応する。
が、そうじゃないものは、吐き気がする(こともある)。
そういう吐き気テイストの女性が書いたH系内容には、どちらかというと、生理的不快感を感じるが、
男性のブログは生理的というよりも、脳の一部分で怒りを感じる。

男性は、勘違いしている!!と。
そして、なんと男性本位の考え方、見方をしていることか。
なんと都合のいい、とらえ方をしていることか。
女性は、男性のためにあるんじゃない。

でも、ある意味、当たっている。
きっと、そのブロガーさんは、本当に寝食を忘れるほど、そっち方面がお好きなので
研究され尽くしておられるのだろう。
その道のオーソリティである、その男性が記事内で、おっしゃっていたが、
男性が女性に、どれだけ尽すかってことだ。

肉体的に男性に尽されたことのない女性は、SEXを好きになるはずがない。
女性は、子供を生んだら、はいお役目、オシマイ。
あとは、子供がいるでしょ? 
そうやって、奥さんをほったらかしにするそうだ。
逆に、奥さんも、子育てが忙しいのに、夫が、すり寄ってきても、うっとうしいだけ。
うっとうしいと感じるには、今まで、それだけの、実にうっとうしい事柄が積み重ねられてきたんだろう。
少しずつ、少しずつ、隙間が広がって、大きな溝となる。
その溝も、不動のものになれば、それは、もはや溝ではない。
二人で築き上げた、揺るぎない、大きな道だ。
こうやって、両者合意の上の、セックスレス夫婦が出来上がっていく。

案外、そういう夫婦は、うまくいってたりする。(ある年齢以上になると)

年齢が上がると、男性も女性も、個性の違いがどんどん出てくるようだ。
いつまでも、若々しいエネルギッシュなマグマの人。
かたや、淡々と枯れた、枯山水の人。
そして、どんどん、二人の距離は離れていく。
お互い、それでよければいいけれど、よくない場合もあるようで、ややこしい。
枯山水チームと、マグマチーム、夫婦で同じ路線なら、とってもよろしいのに。


で、研究熱心な、そのブロガーさん、
それぐらい、熱心に仕事をされたら、どれだけ大成されたか。
あるいは、ご家庭にそれだけの熱情、時間、手間ひまをかけられたら、
どれだけ暖かい、素晴らしいご家庭が築けたか。
この分野、家庭では、お相手は、それぞれにつき、お一人と限定されているので、
そのお一人が、NGなら、探求するには困難が生じるんでしょう。

大物は、仕事もイロも、両方って言いますけどね。
両方ならいいけれど、片手落ちは、なんか、さびしい。

どっちにしても、吐き気か、不快感、嫌悪感、怒りじゃあ、こころの衛生上、よくない。
(でも、良いように解釈すれば、スイカに塩、ぜんざいに、塩昆布、みたいな役割もあるかも?
ぴりり、味をひきしめるスパイス?)

ということで、ちょこっとブログ散歩に出かけての、感想。
せっかくの日曜日のフリータイム、
マイナスの感情を引き出すことで終わってしまっては、リフレッシュの意味がない。
楽しく時を過ごせるものに、たっぷり接するほうが、心身ともに、よさそうだ。

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ボンッ。落ちた。

2011-07-23 | 趣味

お時間のない方はからお読みください。(スキップのススメ)

昨日は社交ダンスのレッスン日。
苦節2年3ヶ月で初級から中級にやっとあげてもらい、進級してから7ヶ月のB教室。

大手のカルチャー教室では、団体レッスンに通っておられる男性で、中級クラスの男性は、とても少ない。
ある程度、習得されると、団体レッスンでは、個人個人の目的に合わなくなってくるので、
個人レッスンを受けられるか、なんらかの自分に合ったベストなレッスンを受けたうえで、
余力として他の団体レッスンを受けておられる男性もいる。

団体レッスンでは、レッスンの仕方によっては、
初級の男性と踊ると、初級の女性は上達の障害になることがある。
女性はリードされて踊るのがルールなので、
リードする方の男性は、女性の何倍もの努力が必要とされている。
下手な人のリードに合わせると、下手な踊りが身に付く。
でも、最初は、誰でも下手なわけで、その期間は、細かい弊害など言ってられない。
(研修医が、注射が下手なのと同じ。最初の患者さんは、えらい目にあう)
それは、男性も女性も、お互いさまなので、傷つき、恥をかくことを恐れず、突き進むしか手はない。

男性は、その初級あたりで、へこたれ、やめてしまう人が多いように思える。
なので、中級レベルの人は、団体レッスンでは、あまりお目にかかれない。

B教室では、自称・中級レベルの人でも、先生の基礎のレッスンを受けていない人は、中級に上がれない。
先生の認定が必要。
基礎クラスの期間が長すぎるあまり、男性はもともと、そこそこ踊れる人は、もちろんのこと、、
ある程度、そこで上達した人も、初級クラスからいつの間にか、姿を消している。
今、中級にいる生徒で、一番、新米の男性でも10年近くかかっている。

女性も、他の教室では、すごいお金をかけて、デモ(発表会)を何度も経験している人でも、
へんな癖が身に付いていたり、基礎ができていない人は、初級クラスのままで、中級にあげてもらえない。
いくらダンス歴が長くても、自己流だったりして、基礎を無視したダンスが身に付くと
正確なダンスに修正することは、なかなかむつかしい。
だから、先生というものが、ここで大きなポイントとなる。

どういう先生に教わるかで、ずいぶん、変わってくる。
だが、団体では、一人一人の細かいことにこだわっていると、レッスンがほとんど進まない。
B教室もそうだったので、わたしは、他の教室にも、あちこち顔を出していた。

通いはじめて5ヶ月のD教室は、なかなか良い。
中級レベルの男性が、わんさか、わんさかいる。
しかも、先生(現役プロ・男女ペア)の教え方と、レッスン・システムがとても時間的にも合理的で、無駄がない。
それは、厚い豊富な生徒層と、生徒数がいるから、できること。(プラスの循環)
その集客は、内容に加えて、抜群の立地、手ごろなレッスン料、運営のフリーシステムによるところが大きい。
手っ取り早く、習得の手ごたえを感じることができる。

さらに、団体ではつかみ切れなかった、こぼれた部分を、個人レッスンで補うと、理想的。
大手塾と、家庭教師みたいなかんじ。

というわけで、あれこれの長所をいいとこ取りをしてレッスンを組み入れていた、わたし。

 

↑ここまでが、長すぎて、面白くなさすぎて、
とっとと退散されておられる方が、ほとんどだと思いますが、
数少ない、ここまで読まれた方は、もうここまで来れば同じこと。

今からが、わたしの、言いたいことなんです。
あれ? 逃げ足も速く・・・・どなたも、おられない・・・

昨日は、B教室では、たまたま男性の生徒さんがお休みが重なり、出席男性は1人しかいなかった。
で、日ごろは出来ない、女性の細かいリズムの取り方をステップとともに復習した。
「スロー」という種目をひとりずつ、シャドウ(相手なし)で踊って、先生に見てもらう。

わたし、ハンドルはスローだが、ダンスのスローは、ほとんど習ったことがなく、
いつも、てきと~に、ごまかし、リードのままに踊っていた。
昨日は、男性がいないも同然なわけで、男性なしで踊ると・・・

まったくわかっていない、ということが、白日の下にさらされた。
何度、踊っても、全然できない。
説明を受けて、指導された後も、まるでできない。
「はい、もう一度。」
この言葉が、いったい何回、先生の口から聞こえたことだろう。
その間、他の生徒さんたちの視線も浴びている。

先生は、やがて、A4用紙に、なにやら、さらさらと、大きな文字で書き始めた。
「SSQQ,SQQ,SQQ」
それだけの、文字。英文字10文字。
A4用紙の大きさに、10文字だから、相当な文字の大きさになる。

それを右手に持って、見ながら、足を動かす。
でも、できない。
カンニングペーパーを堂々と見ながらやっているのに、何度やってもできない。

先生に「いいかげん、その紙、見るの、やめたら?」と言われ、
「いいえ、これがないと、だめなんです」
と、わたしは、泣きそう。
くすくすと周りの静かな笑い声。
それこそ、何度やっても、何度やっても、何度やっても、わかっていない、できない。
ここらへんで、もうオワリにしてくれたらいいのに、と、何度も思ったが、
先生は、続ける。

個人レッスンならそれでもいいけれど、
団体なので、他の皆さんの目もあるし、わたしだけで、その日のレッスンが終わってしまったら、
あまりにも皆さんに申し訳ない。
(というか、恥ずかしい・・・。でも、そのときは、申し訳ない気持ちのほうが大きかった)

焦るわ、わからんわ、アタマが混乱するわ、で、
SQQをただただ、むちゃくちゃに、でたらめに、口で呪文のように言い、足もめちゃくちゃ。

せんせ~、もう、いいです~、わたし、泣きそうなんです~、
と、こころのなかで叫んだが、
何回やったか、わからなくなった、ある時、
「そうっ!!」
と先生の声。
「わあ。できた!!」
と思うものの、どの足が、どのステップが、どのカウントが、正解で、
どれを指して、先生に「そうっ!!」と言われたのか、わからない。
つまり、オソロシイほどたくさんのマチガイのなかの、偶然の「まぐれ」だった、というわけ。
ああ、また、フリダシに・・・・ぎゅーんと、猛スピードでUターン。

なにがなにやら、わかならいまま、
なんでこんなにわたしは、アホなんだろうと
むしろ新鮮なほど、アホなわたしに、一番驚いていたのは、わたしかも知れない。

どうにか、やっとこさ、人の何倍、何十倍も時間がかかって、ステップとリズムが一致した。
わたしも、そうとうアホだが、先生もそうとう、しつこい。

レッスン終了後に、先生は、
「なんで、こんなカンタンなことができないんだろう、って、とても不思議だった」
と、おっしゃった。
はい、わたしも、不思議でした。

いいレッスンだった。

牛歩の歩みレッスンは、わたしには、合っているようだ。
(ただし、男性生徒たちがお休みの時、限定。
でないと、新米一人にかかる時間を取りすぎると、進度が遅くなるので、男性から露骨に嫌味を言われる。)
鬼の居ぬ間に洗濯。

先生、ほんとうに、ありがとうございました。

 

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 問題は、一日経った今日、それを覚えているかってことです・・・。
なんか、悪い予感が・・・・・・・・

 

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わたしの、基準。

2011-07-21 | 華のスロー人

夫の不倫・悩みの相談&応援ブログを久しぶりに、のぞいてみた。

なんで、わたしは、ある時期、一生懸命、そのブログに立ち寄っていたのか、わからない。
それだけ、自分の好みや気分は、ころころ変わるということだ。
わたしのブログにお越しの方も、わたしと同じような習性を多分、お持ちだろう。
偶然、見かけたテレビ番組のようなもの。(そんな、イイものではないけれど)

面白くなくなれば、立ち去る。
それは、ブログに問題があるわけではなく、ブログを読む人に問題がある場合も多い。
(気分屋の読者であるわたしも、その一人)

前、熱心に、そのブログに通っていた時は、
別に、わたしに、その方面に悩みがあったわけでも、まわりにそういうことが起きていたわけでもなく、
今と、まったく変わらない状況だった。

なんなんだろう?
興味本位?
怖いもの見たさ?

ある程度の期間、読み込んで、読み続けていると、その人の考えや、感性、生き方がわかる。
ブログのテーマとしては、女性週刊誌のネタのようで、目を引くかも知れないけれど、
わたしは、その人と、すべてのことが、合わない。
同じなのは、同性で、生まれた時代、つまり同世代だという年齢だけ。

はじめは、まったく逆であること、すべてが合わないことに、新鮮な面白みを感じていたが、
永遠に終わることのない、マイナスのテーマ、
負の方向のことを無理やりプラスに持っていく、傷つけられたこころの蘇生の仕方、考え方、
その強引なプロセスの方法が、わたしの方向性と異なる。
(立ち直れたという、結果さえよければ、プロセスは大して重要ではないのだろうけれど)

夫の不倫によって、傷つけられた自分。
被害者なのに、正妻の立場を確保することすら怪しくなる、立場の逆転。
その悲しみ、ストレス、落ち込みを、いかに乗り越えるか。
妻の立場を正当化し、
不倫相手の女性を闘いの舞台から引きずりおろすノウハウが、ぎゅっと詰まっている。

それはそれで、夫の不倫に傷ついている妻にとっては、とても結構なバイブルだろう。
妻のこころを正常に、不倫があった前のように平常心に保つためでもあるけれど、
表面上は、こころや、子供の養育となっているが、本当の実際の問題は、経済が見え隠れする。
つまり、おカネ。
カネ、カネ、カネ。

上品に(まあ、決して上品にはされておられないが)、
うまくキレイに、正当論を声を大にして唱えられるのは、妻の立場だからだろうけれど、
はやい話、おカネなんだなって、そう感じる。

お子チャマは、だまってなっ。
皆さん、そんなこと、百も承知で、わかりきっているけど、表面上は口に出して言わないだけよっっ!
ってなものだろうか。
パチンコ屋に、「お金との交換は、違法です」って、張り紙してあるようなもの?
裏に、景品交換所がしっかり、あっても、表面的には、そういうスタンスを装うもの?
政治も、そうですよね。

表面上の、わかりきったウソ、キレイごと。
建前と、本音。
両方、わかって、使ってるんですよね。
「ねえ、ママ。張り紙に交換禁止って、書いてあるよ。どうして裏口に行くの?」
なんて、純真な瞳をして、オカアサマの上着の裾を引っ張っちゃあ、いけませんよね。

手品師の仕掛けが見えたからって、「わあ、あんなことしてる!」なんて言っては、営業妨害。

ただ、それをわかっていない、純白無垢な方(お子チャマ)がいらっしゃれば、
うわばみオババの、親切ごかしアドバイスは、決して身にはならない。
時には毒にもなりかねない。
この薬は、成分が○○で、効力は、ああで、使用期限は、いついつで、ただし、副作用は、これこれで、
しかも、ごく稀に、体質に合わない人もいて・・・
と、こと細かに説明はしてくれているので、安心していても、
西洋医学なんだか、東洋医学なんだか、
伝統宗教か、新興宗教か、はたまた魔術師か、祈祷師か、おまじないか、占いか、・・・
そのあたりの、おおきなジャンルを知る必要があると思う。

世の中にはいろんなものが出回っているので、消費者、利用者は、かなりの目利きが必要。
そんなにカンペキにジャッジすることは、できないと思うので、誤差は覚悟のうえで、
自分の手に入れたい情報の最低必要条件を満たしていること、プラス、フィーリングで選んで、
その後、試行錯誤すればいいのかも。

人によっては、わかっていながら真実を否定してほしい人もいるかも知れないし。
何が真実なのか、その真実すら、人それぞれに違うのかも知れないし。


所詮、ブロガーさんと読者は一面識もない他人であり、
そんなのわかりきっていることで、それがどうした、ということだろうけれど
ブログと読者は・・・責任がなくて、お気楽で便利ではあるが、
ブログの儚(はかな)さ、つながりのもろさを感じる。

いくつも、いくつも、おそろしいほど、星の数ほど、ブログはあるので、
いくらでも自分の興味や関心事、感性に合ったブログを見つけることはできるはず。


わたしの場合、他人さまのブログの読者であると同時に、しがないブロガーでもあるので、
ちょっと、いえ、
おおいに、こころが痛い面もある。


あるいは、そんなに深く考えずに、お気楽に、
まったくのお遊びとして、ふらりと立ち寄るのも悪くない。

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タイフーーーーンの、前と後

2011-07-20 | 人生

大型台風がやってくるというのに、風もなく、雨もなく、
むしろ、洗濯物が干せそうな、いいお天気。

昨夜、物干し竿をはずして、床に直に置いたり、折りたたみ椅子や、自転車を横に倒しておいたり
宅配牛乳箱や、大型ゴミペールなんかを室内に入れ、準備していたが、
一向にまだ気配なし。

時折、さわさわと木々の枝葉が、爽やかに揺れるだけ。

なんか、これって、嵐の前の静けさ?
それとも、大阪はいつも台風被害がないから、こんなかんじで、台風が過ぎていくのか?
はたまた、お昼ごろから、ゆっくり、ゆっくりと、お天気はご機嫌悪くなってくるのか・・・・


わたしのこころも、無風状態。


かつて、若かりし頃、子供も小さい、仕事も大変、てんやわんやの時代があったのが、ウソのよう。

ごはん作りは、猛スピードで準備することだけが、取り柄だった、わたし。
はやく用意しないと、子供たちが寝てしまうから、それはそれは、急いでイライラしながら作った。
ヒマラヤで凍死寸前の登山隊員を、眠らないように叱咤するかのごとく、
まぶたがひっつきそうな、うとうとしている子供たちを前に、
「寝たら、あかんよっっ。あと、ちょっとで、できるから」
と、なかば、脅しながら、怒鳴りながら、食事を作っていた。

あんな夕食じゃあ、子供たちも楽しくもなく、美味しくもなかっただろう。
自分のことで精一杯の未熟な母だった、わたし。

ひとつひとつを思い出しても、胸が痛いことばかり。

長男の中学受験の日、朝、遠く離れた受験校に連れて行った後、
わたしはその日も仕事に行き、試験終了後、現地に迎えに行くのが遅くなった。
試験の後、他の保護者は続々と迎えに来るのに、
薄暗くなっても、ぽつんとひとり取り残され、
校舎の外で、不安げな顔をして、じっと、わたしを待っていた長男。
思い出すだけで、とっても切ない。

また、ある日、学校から「娘さんを迎えに来てください」と連絡があった。
高熱で保健室のベッドで一日、次女は、うなっていたのに、
わたしが学校に連れに行ったのは、その日の夕方。
次女よ、ごめんなさい。
母が悪かったです・・・。

長女は、ナイーブで(他の二人に比べると)、受験の前には、腹痛を起こし、
お医者さんに診てもらいに行ったり、・・・(神経から来ているとのことだった)
長女のクラスメートのお母さん方の誰とも親しくしていない、わたしを、長女は非難していた。
「わたしの学校のことなんか、どうでもいいでしょ」と、悲しがらせた。
ごめん、ごめん、授業参観の後、時間なかったんですわ。

かんじんの子供たちは、そんなこと、すっかり忘れているかも知れない。
いまは、仕事や自分のことが忙しく、母親のことなんて、とっくにクリアしていることだろう。
ああすればよかった、こうすれば、よかった・・・
いまも、わたしは思うことは、いっぱい。

今、できることをやってあげたらいいんだけど、
遠くに行ってしまって、手が届かない。
自宅から仕事に通う次女ですら、
同じ家に住みながら、もうすっかり、わたしの元から飛び立っていると感じる。

こんな母親で、申し訳なかったと、こころから思うし、いま思い出すと、涙がこぼれる。
まあ、それなりに、無事に大きくなってくれたんだし、
上を見ればキリがないし、済んでしまったことは、もう戻らないんだし、
それはそれで、わたしなりには充実した日々だった。

子育てさせてもらって、感謝している。
子供に教えられることは、とてもいっぱいあり、大きな、こころの宝ものとなっている。


さて、台風の話にもどすと・・・
台風は、この時点では、まだ来そうもないが、
いずれ、天気予報では、いずれ、ゆっくりしたスピードでやって来るらしい。

わたしの人生も、知らない間に、ゆっくり、ゆっくり、台風が近づいてきているのか、
それとも、通過したのも知らず、がむしゃらだったのか。

いろんな経験、過ぎてみないと、わからないことばかり。
明日は、どうなるのか、
天気予報も大事だし、事前対策も大事かも。

からりと晴れてほしいけれど、酷暑過ぎるのも考えもの。
忍耐強くガマンしてたら、熱射病になっても、迷惑をかけるし。

なにごとも、ほどほどが、よろしいかと・・・・・思う次第。
結論がないのが、結論。試行錯誤の一生だ。

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下品は、きらい。

2011-07-19 | 無題

いくら面白くなくても、自分のスタンスを崩すのは、不本意。
スタンスっていうか、・・・そうですね・・・
生き方みたいなもの?

品がないのって、キライ。
怠け者もキライ。

わたしも、サボリで、ひとのこと、言えないけれど、
一生懸命、サボってる。

アクセスがいくら多くなったとしても、自分で、「恥」と思うようなことをさらけ出すのは嫌。
じゃあ、今、書いている内容は「恥」じゃないの?

はい、恥ずかしくもなんともありません。
わたし、ブログは、指と、脳の一部の運動だととらえているので。
遊びの一種。

みんな、ひとそれぞれ、感性というものがあって、
なにが恥で、なにが下品か、なんて、明確には、規定や、決まりはないと思うけれど。

わたしの中にはあるんです。
「下品」と、「スレてる」のは、わたしは受け付けない。
あんたも、そうとう、下品だよ、という方がいらっしゃれば、
「大阪のノリでんねん」と、言い訳したいかも知れないけれど、

それじゃあ、この前、辞任した復興大臣の
「おれの、モノの言い方は、九州人の、それだから」
と言ってたのと同じようなレベル?

あれは、よろしくなかったけれど。

今日は、残り時間、ゼロからスタートしたので、
今でマイナス7分。

この分、どこか他で、めちゃめちゃ急いで、時間短縮しないと。

慌てると、事故のもと。ろくなことがないので、ゆっくり、急ごう。

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