蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

分相応の見返り ハイリターン&ノーリターン

2017-06-30 | ブログ
ブログ村エッセイでは、力作揃い。
あまり頻繁には書かれていないと思われるが、古くからの顔見知り(実際の顔は知らないが)ブロガーさんも健在でおられるようだ。

わたしも古株の部類に入るだろう。
来る日も来る日も、飽きもせずマイワールド。
雨が降ろうが槍が降ろうが、おかまいなしの自分の世界。
もう少し、横やら斜めやら、他の会員のみなさんと挨拶程度でもいいからコミュニケーションを取ればいいものを。

リアル社会でのスタンスとまるで同じ。
自分だけの時空にまったり、満悦。
オトナのこころの病気、一歩手前か?
でも、誰も傷ついてないし迷惑もかけてないから、こんな風でもいいのではないかと自己肯定に走る。

可もなく不可もなく。
背伸びもせず、努力もせず。
毎日、持分、同じ分量の幸せで満足している。

増えなくてもいい、でも、目減りは嫌。
しかし少しずつ目減りしても自然減。
もし、少しずつ増えたとしたら、お得もお得、想像以上のラッキーである。
が、それは望みすぎ。

自分が行動した分しか、リターンはない。
行動以上にリターンがあれば大成功。
でもあまり求めると自滅する。
行動した分もリターンがないことが多い中、少しでもリターンがあれば良し。
ましてや、何も行動していないのにリターンがあるわけがない。
リターンがあれば、それは天国に行くまで蓄えていよう。

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先にあるものに向かう

2017-06-28 | 人生
わたしは、そもそも上から目線である。
これは生まれつきなので、こりゃかんじ悪い、人に嫌われる、と自覚し、下から目線(へりくだり)を無意識のうちに自己防衛策として取り入れ、緩和を図っている(と見られる)。

その時々に、上へ行ったり、下へ下がったり、エレベーターのようで、定まらないが、足して引いたら、普通になるよう、自然制御されているようだ。

自分が上に行っている時は、下界の人々が馬鹿に見え、自分が下に行っている時は、この上なく卑屈になって地中でうずくまっている。

舞い上がって有頂天になっている人を見ると、井の中の蛙に見え、有能なのに評価されない人や、無能で評価されずに逆ギレしている人を見ると、複雑な心境になる。

能力だけでは測れないものがある。
が、努力も能力の一つである。
「気づき」も大事なこと。


又吉直樹の本が、中国の若い人々によく読まれているらしい。
右肩上がりではない、頭打ちの現在、閉塞感はあるが、諦めずにそれなりに頑張って生きる人々にエールを送っているとか。

なるほど。
そういう時代なのか。
自分の時代の成功体験やノウハウを押し付けられるのは、うざい。
・・・

年齢的に見て、残り時間の方が、生きてきた時間より少ないわたしは、もう天国への階段を上がりかけている。
自動エスカレーターなのだが、故障中。
エスカレーターが動くまでじっと待つか、動かないエスカレーターの上を自力で一歩ずつ歩くか。
先に栄光はない。
終点があるのみ、なのだが、なぜか、下りではなく、上がりエレベーター。
ゆっくり回りの景色を楽しみながら、昇りたい。
止まっていても可。

自分時間の配分は、自分で決めることもあるが、決められないこともある。

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軽い

2017-06-27 | ブログ
わたしのブログ、文体は重いが(重厚、という意味ではありません)、中身は軽い。

たとえば、「命、預かってます」などという重々しい、救急病棟に勤務のような仰々しさであるが、中身はたんに、自分の手料理のお粗末さを露呈しているだけのもの。

わざと、大袈裟なタイトルをつけるのは、じつは、わたしの常套手段でもある。
凡人は、こうやって一人遊びする。

本当に、真剣に深刻に思っていることは書けない。
自分の中でクリアしてから、さらりと乾いてからでないと文字に出来ない。
戦争体験者が口を閉ざすかのように、壮絶な体験、思いをした人は、重い口を開かないことが多い。

なので、わたしが書いているものは、非常に軽い。ノー天気なため、明るい。
Light なWriter。でも正しい(right )とは限らない。
読んでいただく皆さんに、不意にグサリと刃が突き刺さることがあるとしたら、不徳の致す限りである。
書いていることは、本当に思っているホンネではあるが、全てを書いているわけではない。
全てを書くのは、プロだろう。
「書かない」と「書けない」は違う。
同じ「書けない」でも、能力がなくて書けないのと、思いが深すぎて書けない、何らかの事情があって書けない、のとでは違う。

わたしは、一般素人なので、読む人なんぞのことは、これっぽっちも考えず、単に暇つぶしで書いている。
天国に行くまでの待ち時間である。

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わたしを探さないで

2017-06-26 | ブログ
リアルとインターネットをつなぐことは、大いにある。
とある別SNSでは、ハンドルネームではあるが、リアルで知る人が多い。
しかも、本名を知る人もかなりいる。

なので、インターネットだからと匿名性ばかりを享受する目的の人もいるだろうが、そうでない場合もある。

そのSNSでは、わたしの場合は、超中途半端で、自分は透明人間で、ハンドルを持ち、日記やコメントのやり取りはするものの、リアルには姿を現さない。
サークルには入っているが、オフ会には顔を出さない。
他のメンバーで顔出ししている人がたくさんいて、出没場所や時間を公開していたりして、一方的にその人を現場で見かけることが多々ある。
SNSで発見する前から知っている人だったりして、会話することさえある。

これって、一方通行でアンフェアだと思うが、困ったり迷惑したりしている人はまだ現れていない。
もしわたしが、特定のリアル人のレポートをしたのなら、これは良くないと思う。
でも、わたしの書くものは単なる一般論。

ただ、最近、身の回りが多少、窮屈になっている。
善玉ストーカーの出現により、人物特定されそうな勢いである。
わたしは、リアルには絶対に顔を出したくないので、回避作戦を取っている。
もし、無理やりリアルに出なければいけないことになれば、そのSNS脱会もやむを得ないと思っている。

なぜ、そっとしておいてくれないのだろう。

実際にお目にかかって、生涯の友となる場合もごく稀にあるが、自然な流れで必然的にそうなった場合は良いと考える。
が、無理やり、本人が嫌がっているのに、姿を現すことを切願されたら、わたしはそれまでの活動が消滅するリスクを受けてでも、自分を消す。
姿をくらませる。

自由に書けて、自由に透明人間になって、人の迷惑にならないよう、ひっそりと楽しむのが、好き。
だから、どうか、ほっておいて欲しいのです。
Please leave me alone.

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SNSの人々

2017-06-24 | ブログ
ここのところ続く、つまらない、マニアック趣味日記を読んでいただき、恐縮しています。

皆さんのエッセイは読み応えがあると思うのだけど。
まあ、中には蝶ブログのように、ショ〜モナイのもあって、メリハリ、ということで。

と、これは前置きです。
今日は、なかなか書きたいことが浮かばない。
つまり、ハッピーな1日だということだ。
胸につかえる、溜まる、濁る、というものがないと、ペンが動かない、難儀な性質の、わたし。

さて、SNSも数々あれど、とある別SNSでは、会員同士の交流を目的にもしているサイトがある。
そこでは、会員同士、コメントしたり、拍手したり、公開メッセージや個人的メールが出来る。
なので、まあまあ、ネットお友達らしき交流も行われている。
サークルやオフ会もある。

で、初めてネット上で交流する人に対して、わたしはどこをどう見るか。

プロフィール以外に、その人の日記をざっと見る。
それで、だいたいの人物像を判定する。
大まかに見て、この人とは合う、合わない、と、自分の感性に任せている。
いい年をして(自称50代)、全編、幼稚なジャリンコ言葉や、おちゃらけ系の人は、パス。
たまに、映画感想など、興味を引くものもあるが、映画のチョイスだけがヒットして、あとは接点がないこともある。

入り口で、好印象でも、中に入って行くと、あらま、ちょっとわたしの好みではない、という場合も少なくない。
文章が上手な人は、目線が定まっていることが多い。
しかし、書いている内容に興味がない場合も多々ある。
興味があるのに、自分の知識が乏しかったり、理解度が劣ったりで、ついて行けてないこともある。
そういう場合は、ざっと流し読みして、おしまい。

お互いが興味を引かれ合うことは、ほとんど奇跡である。
なのでインターネットやSNSでは、期待していない。
一方的に、一期間、愛読するだけ。(ただし、例外もある)

能力面で、基本を飛ばして応用に移ろうとする人は、あまり好きではない。
基本が大事。
それをおろそかにしては、ステップアップはない。
目先に果報ばかりを焦って追い求めている人がいるが、基本なく、スゴイことは出来ない。
出来たとしても、一瞬。すぐ頭打ちをする。
メッキが剥がれる。底の浅さがバレる。

なので、基本がしっかりしてさえいたら、どうにかなるのである。

基本がぬるくて、カッコつけている人は、カッコ悪い。
あらら、、、まさに、わたしのこと、、、ではないか。

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おデブの嘆き

2017-06-21 | 趣味
ぽちゃぽちゃも可愛い、と無理やり開き直っていたが、、、

写真に写る自分を見て、可愛くともなんともなく、単なるデブである事実を突きつけられた。

ダイエットしてウエスト20センチ減らすことを目標にするとすると、、、、
ダイエットしたくない、ダイエットできない理由が次から次へと、すらすらと出てくる。

目標値が高すぎるのか。
せめて10センチ、いや、5センチ減を目指すか。

とかなんとか、頑張る人は頑張るのだけど、頑張らない理由を見つけるのが大得意なわたし。
屁理屈をこね始めると、延々と溢れんばかりに立て板に水。

「単なるデブが踊る、単なる下手の横好きダンス」と、どう対峙するか。
今のところ内臓や循環器系には疾患はない。
が、頭が若干弱い、、、。
(だが、それは今に始まったことではなく、小さい時から現在に至る。
いっそ弱点を逆手に取り、「明るいデブが、明るく踊る、楽しいダンス」。
そういうスタンス、展開も、ありかも。)


ダンスが上手な人はスラリとスタイルもよく、おデブはあまり見かけない。
おデブはダンス舞台を下でうごめき支え、見えるところには浮上しないから、人々の目には触れないのかも知れない。
痩せてダンス、上手になろう、という気にあまりならないのが、わたしの最大の欠点である。

ダンスの頂点を目指す男性は、スラリとした、ダンスの上手い女性を選べばいい、と安易に考える。(でも、どちらか一方が高望みしても、カップルバランスがあるようだ)

そうすると、自分が選にもれるわけだが、では、ダンスの頂点を目指さない男性に、敗者復活戦で選んでもらおうか。


わたしは頑張らない。
今の自分でいい。
またまた、開き直りの、建設的でない停滞日記になってしまった。
ダンス上達のためには、苦手なことからではなく、好きなことから取り掛かれば、突破口も見つかるはず、という、うんと歳下の熱血師匠の教え。
わたしの新たなおデブ悩みを投げかけると、この若師匠はおそらく、お腹周りと、背中の下の脂肪の取り方ノウハウを熱く厳しくレクチャーしてくれることだろう。

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住まいには愛が詰まっている、はず

2017-06-20 | 
憧れの住まい。
一生懸命、頑張ったご褒美。
自分なりの成功の証。

関西だと芦屋?
わたしは、西宮が良い、と感じる。
単に最近、西宮にレッスン通いしているからだけれど、まあなんと、梅田から近いこと。驚きの短時間。
阪急宝塚線も、とても便利。
我が街が、ものすごくはるか遠くに感じる。
まあ、それはそれ。
自分の住んでいる街には愛着を感じているから、別に良いのだ。

別荘も不要。
我が街には、目一杯、グリーンが配置されている。
ジョギングやウォーキングするには、最適。
しかも、都心には行きやすい。(梅田までは、西宮には負けるが、通勤圏内)
(ちなみに、前に訪れた、スタンダード・モスクワっ子の住まいは、ウィークデーは集合住宅で、週末は、都会から離れた家=別荘だった)

リタイアしたら、ますます都心から縁遠くなるので、別荘地に対するニーズも薄くなる。
べつにわたしは、別荘地に移住する人を否定する気持ちは、さらさらない。羨む気もない。
現状で満足しているからだろう。

ただ、うんと高齢になると、ずっしり溜まりに溜まった重い荷物(不用品)に見切りをつけ、駅近マンションに引っ越す人もいる。
自分も不用品の一部かも?(これは、わたしだけの自分のことに対するブラック感想です)

わたしは別荘地に住む気力がない。
気力(お金も)がある人は、どんどん挑戦してください。
山が好き、自然が好き、野鳥が好き、そういう趣味のある人は、第二の人生を謳歌する、理想郷としての住まいは素晴らしい。

わたしは、蚊や虫が苦手で、ものぐさなので、自然に恵まれた暮らしを謳歌できない。
座ったまま手を伸ばせば何でも届く、便利な暮らしに慣れている。
そして、家や土地の手入れ、維持、管理の大変さをよく知っている。
労働をケチる、わたしには、オーバーワークである。

なので、都心に行くには少し長く時間のかかる(電車の中は、マイ リビング)不便なマイタウンが、嫌いではない。
しかも、何故か、こんな不便な地に、娘一家も、我が家の近くに居を構える。

住めば都とは、よく言ったものだ。


だが、娘たちは、わたしが思い入れのあるわたしの実家には、なんの思いもない。
実に、あっさり。
悩みをシェアしようものなら、「売れば?」と、愛着の微塵もないようす。
ステイタスも、実のないプライドも、虚栄心も無いと見受けられる。
わたしには、親や祖父母の頑張りの表れだと慈しんでいる、愛のこもった実家なのに。
「家」とは、単なる箱ではない。
家族と暮らし、愛を育てるもののようだ。

住まい手がいなくなった家は、役目も終了しているのだろう。
淋しい、厳しい、哀しい現実である。

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どうしようもないことには、こだわらない

2017-06-13 | 華のスロー人
専門家から、経過や処置の説明を聞く。
わたしは必死で理解しようとする。
とりあえず、説明されたことの全ては理解できた。
説明してくれる人は、誰にでもわかる用語や、表現で、ゆっくり確認しながら話を進めてくれるからだろう。

全て理解できたが、いざ、それを第三者に伝達するとなると、、、できない。
結果しか伝えられない。

「長々説明してくれて、オッケーみたい」
「あれこれアプローチしたらしいけど、ダメみたい」

人を説得し結論に導くには、プロセスこそ大事である。
なのに、わたしは、そのプロセスを自分の中で納得し、キレイに消化してしまって、結論しか残っていない。

なので、人を説得できない。
「なんか知らんけど、こうなんだって」
そういうオシでは、誰もわかってくれない。

「あんたの説明は、よくわからん」と、もし言われたら、
「よく知りたかったら、自分でもう一度、説明を聞きに行ってちょーだい」
と、へんな開き直りとなる。

まったく頼りにならない。
自分本意の情報処理能力である。
理解分は、溶けて内臓に入り、あとは結論しかない。

しかし、理解できないことがある場合、そこで止まる。
わかろうと努力する。
が、結論に達しないまま、進まず止まっている。
そういう時は、消化されず、固形物のまま抱えることになる。

はたして、どっちがいいんだろう?

すんなり結論のみ、その事項はクリアするものの、人には伝達できないバージョンか、
四苦八苦、すったもんだ、だが、何時間でも熱弁をふるう難題未解決バージョンか。

ダメでもオッケーでも、自分がその案件に執着心や未練がない場合は、さらりとクリア。
たとえ、人生の重大事であろうが、「だいたい、なんでも、そんなもん」と、あっさりのこともある。

こだわるか、こだわらないか、なのだろう。

いくらこだわっても、どうしようもないことは、さっさと手から放す。
だから、気合いを入れていないから、第三者には伝達できないのだと推測する。

人の目には「なんにも考えていないアホ」と映るだろう。

しかし、精神的に自己弁護したところで、知識、記憶力、伝達能力としては明らかに脳の働きはよろしくない。
上等の脳とは絶対に言えない。
だから、やっぱりアホなのだ。

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しかしながら(自己弁護、追加)
これまで過去の中には、説明を受けて、わからないことが出てきても、細部をいちいち聞いていたら大筋の話に到達できないこともある。
話の流れを止めないために隅々まで理解できなくても、その部分は端折る(スキップする)こともある。
今回は、飛ばした箇所はなかった。
理解度100パーセントである。
が、人に伝達できない、、、脳みそ、、、。
自己肯定しようと思ったが、やはり高く厚い壁がある。
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優先席で保護されたいか

2017-06-10 | 趣味
ここのところ、ブログで、さんざん悪態をついてきた。
わたしを悩ませている人物について。
しかし、ここにきて、鬼(悪魔)の登場を待たずして、自分自身が自滅しそうだ。

相手ばかりを責め、悪い原因が相手にある、と言い切り、思い込んでいた。
わたしは、脚も悪いし、理想通りに出来るわけがない、と。
労わりも気遣いもせず、自分の理想ばかりを押し付けてくる相手を憎悪していた。

積もり積もって、相手に呪いをかける直前で、ある時(昨日です)、自分に非があることに気づいた。
あ〜あ。
せっかく呪いまくってやろうと思っていたのに、自分も悪いのであれば、五分五分ではないか。
ヘタをすると、わたしのほうが、悪い率が高いかも知れない。
苦言を呈する権利があるのは、わたしではなく、相手なのではなかろうか。

今までは、脚の痛みばかりにとらわれていた。
一日もはやく痛みから逃れたいと願っていた。
そのためには、相手を悪者にして自分は優先席に座っていた。

が、、、である。
昨日は、たまたま脚が痛くなかった。
五分五分で備わっていなくてはいけない技量や知識がわたしにはないことが明白になった。
ハンディが無くなった途端、言い訳が出来ず、相手のせいに出来なくなった。
自分も頑張らなければいけない。

しかし、またいつ脚が悪化するかは予想できない。
ところが、脚が悪かろうが良かろうが、わたしの技量、知識が不足していることは、揺るぎない事実である。

で、自分を甘やかす状況が変化したせいで、鬼の出番が無くなった。

また、いつ鬼が出るかも知れないが、今は、自分のダメさを反省し、努力方向に自分を持っていこうと思っている。

脚が痛くなったり、痛くなくなったり、で、自分ではコントロールできないで、安定しないと、わたしの殊勝な心がけも安定しない。

マイナス要素から自分を守ることに必死な人は、それだけで精一杯で、プラスへ浮上するのは並大抵ではなかなか出来ない。
だが、自分のマイナス要素を嘆いていればいい優先席は確保される。

自分に厳しいか、甘いか。
成し遂げるか、成し遂げないか、山を乗り越えるか、乗り越えないか、そのあたりが鍵のようだ。

やたら、わかりにくい文章になりました。

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自然に囲まれた暮らしは、ものぐさにはキツイ

2017-06-07 | ブログ
ふと目にとまったブログ。
ブログ村エッセイ小学校の同じ教室で、靴箱が、お隣さん、といった感覚。

軽井沢にお住いの方のブログ。
しっかりわかりやすい文章は、さすが、文章をあやつるプロだと納得。

美しい写真と、しっかりした説明、描写に、引き込まれて全ての記事に目を通させていただいた。
軽井沢事情にも興味がある。


とある親戚も、東京に家があるが、別荘のある軽井沢にも度々通っていたと聞く。
車で、ひとっ飛ばし、精力的に行ったり来たり、みなぎる活気を感じた。
布団を収納している押入れにネズミがいた
とか、わいわい、言っておられた。
ご夫婦で晩年は軽井沢に軸足を移し、絵画を描いたり、のんびり残された人生、充実の時を過ごされていたようだ。
が、ご主人は病気になり、病院通いのために東京に戻られ、今年、90歳(ぐらい)で亡くなった。
奥さんは、すっかり気落ちしておられたが、息子さんたちや、お孫さんたちも近くにおられるので、どうにか支えになってくれるだろう。


還暦を過ぎても元気もりもり、第二の人生を満喫できることは、素晴らしい。
さて、終の住処で病気になると、どうするか。
多分、終の住処の医療機関も充実していると思うが、かかりたい特定の病院があると、病院重視の選択もある。

わたしは、別荘には残念ながら憧れない。
維持が大変だ。
ステイタスは要らない。
ステイタスではなく、庶民派、実質的な田舎暮らしも、わたしにはハード。
田舎にある新興住宅地も、ハード。
田舎そのものへの移住も無理。
わたしは、へなちょこだから。
心身ともに、軟弱であり、頭脳もついでに軟弱。
なので、座ったまま、手を伸ばすと、あれこれ取りたいものが取れる、今の家がいい。
典型的ものぐさ。
以前は、広大なお花畑を造り世話するターシャ・テューダー(Tasha Tudor、1915 年ー2008年)に憧れたりしたこともあった。
去年は、北海道・フラワーロード(お花畑巡り)の旅にも参加した。
が、なまけものを絵に描いたようなわたしは、自然の中にある家や庭、畑を自分では管理できない。
で、旅などに参加して、気分だけを楽しむ。
いいとこどり。

人様のブログで、自然に囲まれた暮らしを垣間見て、自分もそこにいるかのような、素敵な気分になっている。

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