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超個人的、忘備録なので。
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実母の好みは、、、和風の場合は、京都風。
料理で和食の味付けは、上品なダシが効いた薄味仕立て。
設えの場合は、織物にこだわりのアクセントを付ける。
生け花の場合は、自然派。自然のままの形を活かしたシンプルな活け方。
西洋の美しい調度品も好む。陶器も。
どっしりした骨太テイストではなく、繊細なかんじ。
細いピアノ線が入った強さを持つイメージか。
山小屋カントリー風や、囲炉裏を囲む風ではない。
テカテカ、ゴテゴテは、NG。
好きなテイストを自分の感性で寄せ集め、調和させ体現していた。
美のイメージ空間を創り上げていた。
姑は、全然、設えや調度品には興味なし。
(舅のほうが、買い増ししていた。ただし、わたしとは微妙に趣味が合わない)
姑は理解や知識は多少あるけれど、自分で積極的にどうこうしない。
棄てないが追加しない。現状維持。
(一般的な普通の)骨董品や芸術工芸品は、知った上で保管しているだけ。
だが、わたしが古い物が好きだということで、姑に喜ばれた。
まるで興味がなければ、棄てるか売るか、断捨離対象になるだろう。
ただ、残念なことに、、、こう言うと槍が飛んで来ると思うが、、、容れ物(家屋)が理想には及ばない。
理想を叶えたいなどとも思わないが。
飛躍せず、在るものを活かす主義。
今、わたしの実家から譲り受けた家具を夫の実家に運び入れている。
(中華とマレーの融合、マラッカみたいに)東洋文化の融合なら素晴らしいが、とんでもない。
わたしを軸にして、主体的、能動的に選んだのではなく、中継地点として、受動的に仮置き、受け入れているだけ。
両方、純日本風なので、大きな違和感はないが、どこかマッチしていない。
拒絶反応を起こし機能麻痺しているわけではないにしても、
バリ風とタイ風をごっちゃにしているようなものか。(詳しく知らないけれど)
夫の実家は、閉ざされた歴史ある地域にあるため、ヒトやモノの大きな動きがない。
夫の実家だけかと思いきや、同地域の各家々もそう。
どの家も同じような古い歴史を持つ。
何百年も、直接戦禍や自然災害に遭わなかったからだろう。
姑に喜ばれたように、わたしは歴史を感じる古いものに愛着がある。
歳が行くと、その想いは益々強くなるように思う。
経年劣化という否定ではなく、(自己)肯定、経年持ち味。
先代の人々が、確実に、着実に生きてきた暮らしの証を感じる。
実母が自分の感性で、自分好みの美空間を創り上げたように、わたしの実家からわたしを中継ぎに、文化の橋渡しだったり、融合だったり、そういうものを創りたい。
(ただし実母の場合は、並々ならぬバイタリティと、力と、意志と、ある程度のオカネが動かせるが、わたしはそうではなく、しょぼくれている)
て、大袈裟だけど。どの口が言う?
読んで恥ずかしくなった。
相変わらず、いつもの如く、言うだけかも?
単なるブログ語り?
知らない人が蝶ブログを読んだら、いったいどんな素晴らしいものなんだろうと想像されると思うが、わたしの表現が、主観の世界観をあたかも客観的にも壮大な立派なように取られかねない、まぎらわしい書き方をしているだけ。
すみません。
実母もそうだが、次世代を意識して、というわけではない。
自分がしたいようにしただけ。
わたしも、そうなりたい。
何もしたくないなら、何もしない。
しかしなあ、、、
実家に置いてあった家具は、実家に置かれてこそ、存在感、優美さが際立つ。
チルチルミチルの青い鳥のように、青い鳥を自宅に持ち帰ると黒い鳥になる。
実家の家具は、夫の実家に運び入れたら、黒い鳥になっている。
この黒い鳥は青い鳥には出来ない。
しかし、青い鳥は、黒くなっただけで死んではいない。
ではあるものの、あちこちから引っ張って来た元・青い鳥🟰現・黒い鳥が、家には、いっぱい。
どうすればいい?
迷い物、保護センター化か?
これは、70歳からスタートする(予定の)断捨離で、どうにかするしかない。
出来るか?わたし?
してもいいし、しなくてもいい、
出来てもいいし、出来なくてもいい、
でも、緩やかな目標が出来ていい。
期限のない、自由度の高い、相手のいないタスクは、無いより有るほうがいい。
※写真は、寒い昨日、近場の桜。
まだ五分咲き??