学生時代の元・同級生が、近くの(と言っても電車とバスを乗り継いで)立派な公民館に、講師として招かれていた。
先々月、コミュニティ誌で情報をキャッチするや否や、いち早く、参加を申し込んだ。
予約制。
で、昨日、いそいそと聴きに行った。
講演には2時間も枠が取られていた。
市の取り組み、なんやらかんやらの紹介や、市長さんのご挨拶やらで、20分が費やされた。
そこから1時間45分。(5分延長)
休憩、一切なしで、まくしたてるパワーは、同年齢ながらスゴイ。
いやはや、頭が下がる。
わたしは学生時代から、長時間、閉ざされた空間で一方的に話を聞くと、必ず眠くなるので、もし居眠りしてしまったらお互い気まずいため、講師の目につかない場所を選んだ。
が、あんまり遠いと、わたしが見えないため、近からず遠からず、でも見やすいように通路側の席にした。
眠くなるのでは?というのは杞憂だった。
グイグイ来た。
そもそも同じ教育背景、時代、環境に育った彼女とは、共通点がある。
違いは、才能と根性。
「有る」と「無い」の違い。
じつに、シンプルである。
有る、と、無い、には、限りない開きがある、、、今更ながら。
作家である彼女の作品を通して時代を見る、考察は、たいへん興味があり共鳴した。
時代を生きた女性たち。
ひとつ、問題は、、、となりに座っていた男性が、独り言をぶつぶつ発すること。
彼女が取り上げる、講演の話題に関連したことをいちいち、つぶやく。
人名が出てきたり地名を言ったり、関係する建物名を言ったり。
補足説明にはなるのだが、だんだん、うっとうしくなってきた。
口に出さず、こころの中で、つぶやけないのか。
わたしは見ず知らずの彼の個人的説明を欲していない。
真横に座っていて、発声する彼の口の至近距離、真横にわたしの耳がついていて、しかも聴力はかなり良いわたしには、ノイズ以上。
それはそうと、話す人たちには手話通訳がいて、横のプロジェクター・スクリーンには文字が映し出され、発声と共に同時紹介されていた。
わたしは、この文字が気になって気になって。
一言一言、同時通訳のようにプロジェクター・スクリーンに一文字一文字、刻まれ映し出される。
市長の挨拶も。
前もって原稿を渡しているのだろうかと思い、音声と同時にプロジェクター・スクリーンに目をやり、文字を追いチェックしていた。
正面スクリーンでは写真などの資料を見て説明を聞き、目、耳を稼働しつつ、両目、正面と脇を行ったり来たり。
2箇所、同時集中。
ほぼ完璧だったので、音声を読み取り文字に起こす自動コンピュータかと思っていたが、中には、入力変換ミスもあり、コンピュータ作業ではないのかも?と疑問にも感じていた。
講演会、終了後に関係者の方に確認したところ、マンパワー、、、スタッフが耳で聞いて手で文字入力しているとのこと。
しかも3人もの人が。
手話の人も3人いた。
多くの人が動員されている。
最後の最後に、、、サイン会も終わり、最後の人とのやり取りが終わるのをじっと後ろで待ち、モジモジと、講師である元・同級生に、にじり寄った。
「あのぉ〜、わたし、◯◯でご一緒でしてました、、、お友達の△△さんの、、、もにょもにょもにょ、、、」
「あらあ、、、そうなんですか、、、△△さんとは長い間、連絡取ってないです、、、」
前に仕事でニアミスした話をほんの一言、付け加えると、
「お声がけくださってありがとうございます」と言われ、
「いえいえ、こちらこそ、、、」と、深々お辞儀をしてその場を立ち去った。
お互い、共通の友人、△△さんを通じての元・同級生なので、在学中はあまり交流はなかった。
つまり、はっきり覚えてない、おぼろげ、ということ。
たが、彼女のほうが、断然、有名で活躍されているため、わたしは陰で応援しているだけ。
また今後も別のところで、別の記念イベントが催されるようで、ぜひ、追っかけ参加者になろうと思った。
さっそく、スケジュール表に、予定日を書き込んだ。
半年も後だけど。
彼女の研究、調査内容にはかなりの興味があり、わたしも今までにいくらか調べたりしていた。内容に重なりがある。(学部も同じだし)
これからも掘り下げて行こう。
今回のフォーラムは、大阪府男女共同参画推進財団による催し。
たまたま自宅にポスティングされた地域コミュニティ誌で目にした情報だった。
自分の関心が何にあるのか、すくい取ったら、それをもとに、次の行動につながる。
点と点がつながり、線になる。
べつに線にならなくてもいい。
点だけ、点在でもいい。
同世代の人(同級生だから正に同じ歳)に活力と元気と、今後の行動のキッカケをもらった。
持つべきものは、元気な元・同級生。
どこに何が偶然あるか、わからない。
未知は、楽しい。