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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ありがとう。元気、いただきました。

2025-03-02 | レクチャー
学生時代の元・同級生が、近くの(と言っても電車とバスを乗り継いで)立派な公民館に、講師として招かれていた。
先々月、コミュニティ誌で情報をキャッチするや否や、いち早く、参加を申し込んだ。
予約制。
で、昨日、いそいそと聴きに行った。

講演には2時間も枠が取られていた。
市の取り組み、なんやらかんやらの紹介や、市長さんのご挨拶やらで、20分が費やされた。
そこから1時間45分。(5分延長)
休憩、一切なしで、まくしたてるパワーは、同年齢ながらスゴイ。
いやはや、頭が下がる。
わたしは学生時代から、長時間、閉ざされた空間で一方的に話を聞くと、必ず眠くなるので、もし居眠りしてしまったらお互い気まずいため、講師の目につかない場所を選んだ。
が、あんまり遠いと、わたしが見えないため、近からず遠からず、でも見やすいように通路側の席にした。
眠くなるのでは?というのは杞憂だった。
グイグイ来た。
そもそも同じ教育背景、時代、環境に育った彼女とは、共通点がある。
違いは、才能と根性。
「有る」と「無い」の違い。
じつに、シンプルである。
有る、と、無い、には、限りない開きがある、、、今更ながら。

作家である彼女の作品を通して時代を見る、考察は、たいへん興味があり共鳴した。
時代を生きた女性たち。
ひとつ、問題は、、、となりに座っていた男性が、独り言をぶつぶつ発すること。
彼女が取り上げる、講演の話題に関連したことをいちいち、つぶやく。
人名が出てきたり地名を言ったり、関係する建物名を言ったり。
補足説明にはなるのだが、だんだん、うっとうしくなってきた。
口に出さず、こころの中で、つぶやけないのか。
わたしは見ず知らずの彼の個人的説明を欲していない。
真横に座っていて、発声する彼の口の至近距離、真横にわたしの耳がついていて、しかも聴力はかなり良いわたしには、ノイズ以上。

それはそうと、話す人たちには手話通訳がいて、横のプロジェクター・スクリーンには文字が映し出され、発声と共に同時紹介されていた。
わたしは、この文字が気になって気になって。
一言一言、同時通訳のようにプロジェクター・スクリーンに一文字一文字、刻まれ映し出される。
市長の挨拶も。
前もって原稿を渡しているのだろうかと思い、音声と同時にプロジェクター・スクリーンに目をやり、文字を追いチェックしていた。
正面スクリーンでは写真などの資料を見て説明を聞き、目、耳を稼働しつつ、両目、正面と脇を行ったり来たり。
2箇所、同時集中。

ほぼ完璧だったので、音声を読み取り文字に起こす自動コンピュータかと思っていたが、中には、入力変換ミスもあり、コンピュータ作業ではないのかも?と疑問にも感じていた。
講演会、終了後に関係者の方に確認したところ、マンパワー、、、スタッフが耳で聞いて手で文字入力しているとのこと。
しかも3人もの人が。
手話の人も3人いた。
多くの人が動員されている。

最後の最後に、、、サイン会も終わり、最後の人とのやり取りが終わるのをじっと後ろで待ち、モジモジと、講師である元・同級生に、にじり寄った。
「あのぉ〜、わたし、◯◯でご一緒でしてました、、、お友達の△△さんの、、、もにょもにょもにょ、、、」
「あらあ、、、そうなんですか、、、△△さんとは長い間、連絡取ってないです、、、」
前に仕事でニアミスした話をほんの一言、付け加えると、
「お声がけくださってありがとうございます」と言われ、
「いえいえ、こちらこそ、、、」と、深々お辞儀をしてその場を立ち去った。

お互い、共通の友人、△△さんを通じての元・同級生なので、在学中はあまり交流はなかった。
つまり、はっきり覚えてない、おぼろげ、ということ。
たが、彼女のほうが、断然、有名で活躍されているため、わたしは陰で応援しているだけ。
また今後も別のところで、別の記念イベントが催されるようで、ぜひ、追っかけ参加者になろうと思った。
さっそく、スケジュール表に、予定日を書き込んだ。
半年も後だけど。

彼女の研究、調査内容にはかなりの興味があり、わたしも今までにいくらか調べたりしていた。内容に重なりがある。(学部も同じだし)
これからも掘り下げて行こう。

今回のフォーラムは、大阪府男女共同参画推進財団による催し。
たまたま自宅にポスティングされた地域コミュニティ誌で目にした情報だった。
自分の関心が何にあるのか、すくい取ったら、それをもとに、次の行動につながる。
点と点がつながり、線になる。
べつに線にならなくてもいい。
点だけ、点在でもいい。

同世代の人(同級生だから正に同じ歳)に活力と元気と、今後の行動のキッカケをもらった。
持つべきものは、元気な元・同級生。
どこに何が偶然あるか、わからない。
未知は、楽しい。

宇宙的日常

2010-04-28 | レクチャー
最近、丁寧に暮らしていない。

「ゲゲゲの女房」が日課となり、いよいよ、朝の連ドラを観る年齢なのか、と
ちょっとショックだ。
フランス語ラジオ講座は、1か月を過ぎ、チンプンカンプンになってきた。
フランス語の優雅な発音だけが、頭を音楽のごとく素通り。
こういう展開は、予想できたが。

同じくNHKで放映されていた「上海・百年の物語」。
激動の歴史。
とても興味深かった。
自分の知っている上海は、そのうちの、ほんの少しだ。

今、読んでいる本の中で、「ここ、アンダーライン!!」「はい、ノートにメモ!!」という、
大事な、重要な箇所にいくつも遭遇した。
世界には本当に優秀な人、平凡な人、何も知らない人・・・、いろんな人がいる。

脳が感激している。
私の知らないことを、惜しげもなく、じゃんじゃん教えてくれる著者。
赤の他人の私に、ご親切に教えてくださり(出版物→おカネで成り立っているんだけど)、
未知の世界が広がることは素晴らしいと、今更ながら思った。
ワクワク。

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お遊びは、楽しいけれど・・・

2010-04-09 | レクチャー
3月末からスタートしたフランス語ラジオ講座、今のところ、どうにか続いている。

なにが気持ちいイイかと言うと、
テストがないので、レッスンを一方的に受けるだけでいい気軽さ、気安さ。
突然、指名されて発音させられることもないし、宿題を提出しないといけないこともない。
毎日毎日のレッスンの内容に、ついていけなくても、
そのアホぶりに、誰に気付かれることも、とがめられることもない。

怠惰OK、低能OK、不真面目であろうが、頭が悪かろうが、
一方通行の気楽さったら・・・

このまま、だらだら消化不良を続けていても、中間テストや期末テストを受けなくてもいいし。
テストという、イタいパンチを受けないという、なんという天国、心地よさ。

フランス語を勉強している自分の姿にうっとりしているだけ、なんだけど。
本当に学んでいるのではなく、ただ、楽しんでいる、遊んでいるに過ぎない。
苦労なくして身につくことなんて、なにもない。


うんと以前、仕事を始める前に、
ネイティブの先生による英会話のグループ・レッスンを数名の奥様方と受けていた。
彼女達の、「いったい何しに来てるの?」という有閑マダムぶりに、結構、うんざりした。
英会話を習っている、英語を話している(下手!)自分にうっとりしているだけで
皆様、向学心ゼロだった。サロン化していた。
その中で、お一人、幼児英語の先生をしている人が受講されていて、
その人だけは、お遊び暇人の皆とは違っていた。

やはり、身に付けるには努力をしなければいけない。
私は、ただ遊んでいるだけ。
そして、自分の能力からは、ほど遠いと感じるフランス語。
テストがない喜びに浸っている。
380円で、自宅でお気軽、便利に楽しめるのは魅力だし。


夫にテキストを発見された。(見つかって当然だ。食卓に置いていたから。)
夫「誰がフランス語、やってるん?」
私「わたし、やけど」
夫「~自分の知っている限りのフランス語の文章、会話をペラペラ~」
私「・・・・・・」

夫は学生時、第二外国語は、ドイツ語を取ってたんじゃなかった?
理系の人は、文系の人に比べて、語学が不得意という人が多いはずだ。
なんで、私より、知ってるフランス語の語彙や文章が、多いのよ??!!

2週間もラジオに毎朝かじりつき、フランス語にうっとりしていたのに、
私は突然、気を悪くした。
アタマの出来、不出来によって、努力とは関係ないところ、好き嫌いとは関係ないところで、
性能の良さ、悪さの、はっきりとした違いを感じさせられ、むっとした。


もうちょっと、マジメに取り組もうかな・・・


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おフランスが、逃げてゆく

2010-04-01 | レクチャー
NHKラジオ・フランス語講座、とりあえずは、今のところ毎日聞いている。
しかし、レッスン内、ウケ狙いの数々に食傷気味。

全く構えてないところに、いきなり、死語が。
「ドヒャー」、「○○のココロ」、「じゃ、じゃ、じゃ~ん」、とか、、、、
昭和レトロ??
有り得ないギャグが突然、講師の口から冷静に発せられると、
心臓発作に見舞われそう。

アタマが固まっているリスナーをリラックスさせようと、笑いを取る方向に動くのは、
考えとしては決して悪くないけれど。
想定外アクセントは、複雑な味わい。

親子どんぶりに、いちごジャムが乗っているようなかんじ?
アイスクリームに、イクラのトッピング?
せめて、チーズとか、お隣に居合わせても、違和感がないものにしてほしい。

それよりも何よりも、一言も聞きもらすまいと、必死で耳を研ぎ澄ましているのに、
レッスン途中、ラジオが突然、音が聞こえなくなる。
ピタリ、うんとも、すんとも。
うちのラジオ、寿命? 
まだ20年しか経ってないのに。(壊れるには、十分?)
レッスン前に、あんなに予習、復習したのに、意味ないやん!

フランス語、ご縁がないのかしらん・・・・・。


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一生、つぼみのまま?

2010-03-29 | レクチャー
翌日からのフランス語ラジオ講座に向けて、
昨日、予習しようとしたら、テキストに目を通した途端、眠気が・・・・
速すぎる。このスピーディな脳の反応!
こういう時だけ、私の脳は、即座に反応するんだから、嫌になる。
読む→眠くなる→ちょっと眠る→読む→眠くなる→ちょっと眠る→読む→
(一生、つづく・・・)

ただし、フランス文学のコーナーは楽しく読めた。
だから、きっと、脳は、単に「勉強がキライだ!」とアピールしているのだろう。
ある意味、単純で、素直な反応だ。


「株式の本を買おうか、検討中」と娘に話すと
「やめとき」
と、びしゃり。
「株は、リスキーやから。
教養として身につけるために、勉強しようとしてるんなら、労の多さが、成果に見合わないよ。
時間かけて、しんどい目をする割に、身につかないってこと。
おかあさん、そんなことするより、ピアノでも弾いてたほうが、ずっとマシやで」
と、シビアなアドバイスを頂戴した。

さらに「翌朝からフランス語ラジオ講座が始まるから、聞くつもり」
と娘に言うと、
「無理」
といともカンタンに、冷徹な言葉。
私の開花宣言は、哀しい予言を告げられた。


本日、ラジオ講座、第一回目。
無事終了。
どう? 娘よ。とりあえずは、1回は、敢行したぞよ。
ただし、脳の中まで浸透していないのが、唯一の難点だが。
やはり380円しかかけていないと、380円分の効果しかないのか???


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アタマの中身をピカピカに磨く

2010-03-26 | レクチャー
最近、消費に走らない若者。
では、どういう傾向にあるのか?

自己投資。
私の周りでは、そういう人が多い。
その中でも、速読やフォト・リーディングの講座を受けたという人がいる。
受講料は、速読講座が、13万円、フォト・リーディング講座が10万円ちょい。
脳を刺激し、本に書いてある情報をいち早く取り出すノウハウを伝授。
資格を受けたり、調べ物をしたり、レポートを書いたり、
仕事のスキル・アップへの最短近道でもある。

フォト・リーディングは、
必要な事柄、欲しい事項だけを、目的に応じて、脳が選択してピックアップしてくれるとか。
フォト・リーディング講座を受けた辣腕税理士、K氏は、習得に失敗したそうだ。
写真を見るように、パラパラとものすごい速いスピードでページをめくり、内容を把握、
理解するものらしいが、「出来ませんよ、そんなこと」とK氏。
「何回も何回も受けます。出来るまで。2回目からはテキスト代だけでいいんです」
「(講師の)あんなフツーのおっさんが、できて、僕が出来ないのは、オカシイ」
と相変わらず、前向き、ポジティブ、めげない。
あの自信はいったいどこから出てくるのだろう。
彼の身近に実際に出来る人を知っていることが、絶対的確信の大きな理由らしい。

うちにも「速読本」があるが、3日前に娘が残して行ったものだ。
彼女も速読講座・受講者の一人。
ものすごいスピードで、理解し、情報を自分の脳に焼きつけ、時間や労力の能率化は
目を見張るものがあると思うが・・・
しかし、その時間の合理化で、苦労して得た時間を、マンガ三昧の娘。
脳の交通整理が、整然と完璧に行われているのだろう。
ぐちゃぐちゃ、カオス脳の私には、なんだか、よくわからない。

自己投資は、素晴らしいと思う。
モノのない時代ならいざ知らず、モノが充足した現代では、滅多に欲しいものに出会えない。
例え欲しいモノに出会い、手に入れても、長く使わずに捨ててしまい、ゴミが増える。
そうしないために、消費者は厳しい目でじっくり、検討する。(不況という要因もあるだろうが)


自己投資。
モノを買わない消費者には、唯一財布がゆるむ。

バッグなど、ブランドものがカッコ悪いという、
そういった志向は、なにも妬みからではない、意識の変化がある。
(もちろん、ブランド好きな人もいる。人それぞれ)
毛皮のコートも富の象徴ではなく、動物愛護の精神のなさ、環境保護意識の低さにつながる。

権威ある世界トップデザイナーたちも、
フェイク・ファーをあえて使ったコレクションを発表して、メッセージを発信している。
いつまでも、お金持ちのイメージを昔のままで持ち続けている人は、私は、カッコ悪いと思う。
お金持ち自身、ご本人は、自分が気持よければそれでいいし、なんの問題もないが、
全ての人に憧れの目で見られるということは決してない。
下手をするとと、ダサイ、意識の低い人、と、蔑まれた目で見られていることもある。
そんなことは、全く気付かないだろうけれど、せめて、そういう目線もあるんだよ、ってこと、
知ってほしい。
あ、知らなくて、いいか。
自分にとって、気分がよくない情報は、脳が勝手にシャットアウトするだろうし。

モノ、買い物、グルメ、その場だけの快楽もいいけれど、
たまには、頭を使って、自分に投資してもいいのでは?


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浅野史郎氏から、元気をもらった。

2008-05-29 | レクチャー
昨日、明石のお隣、舞子ビラ神戸で、浅野史郎氏の講演を聞いた。
「これからの地域のあり方~活力ある地方の創造」
とういお堅いテーマであるにもかかわらず、
ざっと600~700人近く集まったと思われる会場を
ツボを押さえた熱弁で沸かせていた。

浅野氏は、宮城県知事を三期つとめたあと、
東京都知事選に立候補したことは記憶に新しい。
結果は落選だったものの、パワフルに活躍し、
「みのもんたの朝ズバッ!」をはじめ、各局でひっぱりだこ。
現職は、慶應義塾大学総合政策学部教授。

昨夜も舞子に夜遅くまでいたのに、
本日の大阪の生放送テレビ番組「ミヤネ屋」に出演していた。
昨日に引き続き、関西滞在のよう。

東京大学法学部卒のエリート官僚出身にもかかわらず、サービス精神旺盛。
はじめは1時間半もの持ち時間、どうなることやら、と思いきや、
芸人さながら、時事ネタにオチをつけ、話を練り上げる。
アクションつきの軽快なテンポで、飽きさせない。

地域を活性化させるキーマンは、「よそ者、変わり者、女性」とのこと。

今まで、政治や自治のことになど、ほとんど興味はなかったが、
なんとなく距離が縮まったような印象。
自分の仕事や趣味などから得るパワーとは、また違ったパワーを浴びた。
元気をもらった。

たまたま、私の脳と身体が絶好調だっただけかもしれないが、
いっしょに行った、母と義姉は、
最初から最後まで、すごい勢いで、信じられないような爆睡ぶり。
これまた、新鮮な驚きだった。




田原総一朗氏は、若かった

2008-02-19 | レクチャー
サブプライムローン影響大の株暴落日本。
何処へ行く、これからの日本。


田原総一朗氏の講演に行った。
若い人の姿はほとんどない。
平日の午後という日時設定のためだろうか。
(若い人でなくても、たっぷり暇があってもそんなとこ、
行かない人は行かない。)

定年後あたりの人々が多かった。
年金頼りにこれからを生き抜いていかねばならない人にとっては、
目を離すことができない日本の行方、世界の中での日本。
究極は、自分の生活防衛につきる。

サブプライムローン崩壊は、「『アメリカが世界経済の中心であることの終わり』の始まり」だとういう。
盛者必衰の理をあらわす。日本も然り。
第一線を退いた国は、これから飛躍する国々のサポート役にまわる。
ボランティア精神がベースとなる。

ピークを過ぎた、かつての経済大国日本は
生き残りをかけて、特徴を打ち出すこと。
差別化をはかり、独自のコンセプトで隙間を狙う。
実践例として、ユニークな取り組みが注目を浴びている大学など・・・etc,etc・・・


とってもいいお話だった。
スピード感や臨場感、刺激はあるし、私の脳は喜んでいた。
でも、あちこちで爆睡する人、人、人、中途退場の人影もちらほら・・・
さすが大物、田原氏、そんなことには気にもかけず、持ち時間、1時間半あまりを喋り続けた。

まあ、気持ちとしては大いに関心あるんだけど、
脳みそを含むカラダが付いていかないってこと、よくあるから。
わざわざ足を運んでいるんだから、パチンコや博打、大酒かっくらってるより
いいんじゃないかと思うわけで。

ニューオータニ神戸ハーバーランドのランチバイキングは、
小ロット多品種好みの(食が細いのか、大食いなのかよくわからないけれど)女性たちには受けてたし、
にしむら珈琲は繁盛してたし、

というわけで、楽しい神戸の一日だった。






人体の不思議

2007-09-17 | レクチャー
「人体の不思議展」を見てきた。

展示されているのは全て人体の標本。つまりホンモノというわけ。
普段あまり目にしないこともあり、ちょっとびっくりするけれど、哺乳類は皆さんあんなかんじ。
顔は、額のシワ、鼻の毛穴など、女性のほうが、よりリアル。

標本の数は男性の方が多かった。
眉毛や睫毛、細かいところまで、リアル、リアル。
どれも、ホンモノのリアルさには圧倒される。

生きている間は大してお役にも立てなかったので、
せめて死後、人類に貢献させて頂こうなどという、
崇高な志を成し遂げるのは、凡人の私にはとても無理、と実感。

薬剤に漬け込んで、干して、刻んで、陳列へ。
しかし、あれは本人もあそこまでされるとは思ってなかったのでは?
ああいう標本になることは、家族の了解を得ているのか?
偶然、家族がご対面、ということになったら、どうやって声をかけていいのやら・・・。

「これ、触ってエエんやで~。テレビで言っとった~」と、大阪のおばちゃん。
アタマの先から爪先までまるごとズボっと剥いだ皮やら、剥がれた側の肉やらを、べちゃべちゃ素手で触っていた。

時間一杯、しっかり人体を観察し、生物学、芸術、とても、勉強になった。
どんなゴージャス美女も、イケメンも、(※イケメンは死語らしい)
一皮むけば、みな哺乳類、ほぼ同じだということもわかった。