いよいよ、9月いっぱいで、gooブログが消滅する。(閉鎖されるわけですが)
感無量。
ありがとう。
goo様、アナタには、救われました。
データ・バックアップとして、はてなブログに移行はしたものの。
歳を取ってからの引っ越しは、こたえる。
住民票も移さず、ガス、電気、水道を使えるようにしただけ。
ご近所に挨拶回りなど、到底せず。
何やら無愛想なモッサリした人が越してきたようだ、、、というかんじか。
はてなの皆様、ヨロシクお願いします。
(と、取って付けたような、ぎこちない作り笑顔、、、まだまだ新天地での生活は、しっくりいっていない)
(比喩表現が続いています)
ちなみに。話は変わる。
若き日は、毎日が精一杯。
時間との闘い。
時間に追われて、一日一日を過ごすことに全力を注いでいた。
さて、今は、、、。
やはり毎日が精一杯。
有り余る時間、退屈との闘い。
どうにか一日が過ぎたら、また一日を何もせず消費する。
黄金の日々を実にもったいなく使う。
これは、最大の贅沢だと感じる。
「健康も有限だ」と、自分の身体で理解した、遅咲きのわたし。
(「遅咲き」の使い方、ねじれてます)
健康なうちにあれこれするのは理想的だが、健康を味わい、何もしない贅沢な時間を過ごすのもよい。
豊穣の美学。
悠久の時の、ほんの一部分を、のたっと過ごす。
ある意味、かけがえのない時間。
(おそらく、賛同、共鳴してくださる方はおられないだろう)
今日は、ご近所友人とランチ。
一年に一回、あるかないか。
この友人、20年前からのお付き合い。
かなりお年のため、ちょっと運転は怖いが、わたしは勇気をもって助手席に座る。
絶対に隣から話しかけない予定。
わたしも命が惜しい。
助手席に乗るのは勇気が要る行動である。
こころの隅っこで、免許返上してくれないかと願う。
事故る前に。特にわたしが助手席に乗っている時は。
ホンネとしては、後部座席に座りたいのだが、あまりにも失礼かと思い、笑顔風の顔で助手席に座っている。
この友人は、車の運転が出来なくなった時が、自分のアクティブ活動の終止符が打たれる時だと思っておられるようだ。
わたしは、とっくに、精神的に免許は返上している。
(身分証明書に使うため、返さず自宅に保管しているが)
車を使わなくても、次の段階の行動パターンがある。
車のかわりに、アタマと足を使う。
ガソリンのかわりに。
確かに行動は限られる。
真夏の炎天下にウォーキングできない。
外出は極力、控える。
だが、昔の人のように、日の出と共に起き、日暮とともに活動停止も悪くない。
晴耕雨読。
夏は自宅で読書、音楽鑑賞。
藁を打ち、草鞋を編むのも良い。
心身の衰えに合わせて、スローダウン。自然に帰るのが良い。
運転に支障をきたすような段階になれば、車での活動に執着することなく。
(もちろん、交通手段のない僻地や山間部では、車がなければ生活出来ない。
が、それは都市部で生活している我々とは日常が違う、別の話)
TV番組「ポツンと一軒家」を見ていると、高齢になっても、ギリギリまで山で自立した生活を送っておられる。
先祖から受け継がれた土地に対する強い思いがある。
そのあたり、都市部生活者とは価値観や考え方が違う。
生活内容は自給自足、丈夫な心身でよく働かれ、頭が下がる。
かたや、都市部で生活している、就労していないお年寄りは、毎日、どうやって時間を使っているのだろう。
軒先に椅子を起き、日がな、座っている人を見かける。
座って外に出ておられる間は、お元気な証拠。
外に出るか、出ないかで、随分違う。
都市部では、そういう軒先はあるのだろうか。
(それに代わるものは、探せばあるようだが)
時代が進み、地球も状況が進み、変わっていく。
変わらないものもある。
昔のライフスタイルを見直すキッカケにもなる。
※写真は、一畑電車、出雲大社前駅、停車中