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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

失敗しました、ミスしました、またもや。

2025-04-28 | 暮らし
天気予報では、今日は午後から雨が降るという。
で、朝、早めに洗濯物を干し、雨が降る前に近所のスーパーへ急ぎ足。
めったに、この近所のスーパーへには行かないのだけれど、今日は、ピンポイントで、白菜、豆腐が必要だったため、片道1600歩数位の場所に出向いた。

それは良いのだけれど、ついでに売り出されていたカレー・ルーを買った。
どの辛口にしようか迷った。
普通の辛口にして帰ってきてみると、なんと、甘口だった。 
そもそも、「普通の」というのは変で、辛口にいくつも種類はなかったはず。
なぜ迷ったのか、それこそ不思議。
いくつかあるカレー・ルー(S &◯ジャ◯カレー)のパッケージを手に取って、しげしげ眺めていた。

甘口は家には、実は3つある。
(※認◯症の症状で、こういう描写を、渡辺謙主演の「明日の記憶」【2006年公開】で観たことがある。ただし、いくつも買い貯めるのは食品ではなく、医薬部外品だったか?)

孫たちが大のカレー好きで、しかも特定の商品(ハ◯ス・バー◯ンドカレー甘口)は大人気なので、いつもそれにしてストックしている。
つまり、甘口は4つ目。
(しかも、4つ目のカレーは、お気に入り商品のハ◯ス・バー◯ンドカレー甘口ではなく、辛口としては一目置いているが甘口としては肩入れしない、S&◯ジャ◯カレーの甘口)

もう完全にイカレていると、堂々と言って良い範疇。
4つ目を買ったことに対して言うのではなく、甘口を辛口と思って買ったことが、揺るぎない失敗ポイント。
お婿さん向けの辛口がもうなく辛口が必要なので、それで辛口を買ったつもり。
が、家には辛口はないままで、甘口は4つにもなってしまった。
この事実、どう受け止める?

考えた。
・・・
買ったスーパーに出向いて、交換する。
しかし、お出かけモードからおうちモードにすっかりウェアを着替え、もう出かける気にはならない。
わたしは、家の外と中で、オンオフを切り替える。
それに、帰りには、天気予報より少し早めの時間に雨が降ってきたので、もう雨の中は行きたくない。
帰宅してすぐ、洗濯物は取り入れたが。

要らないものを買い、要るものを買わなかった。
家には、要らないものが増えて、要るものが欠品、品切れ。補充を要する。
明日、そのスーパーの前をお婿さん運転の長女一家の車で通るので、立ち寄ってもらおうか?
いやいや、それはだめ。
時間がない中、7人も車の中に待たせるのは忍びない。

今日の夜に交換に行くか?
多分、行かない。

値段は199円+消費税🟰215円
仮にバスで行ったとすると、往復200円。
しかし、歩いて行ったので、バス代を支出したつもりで計算すると、差し引き15円の持ち出し。
金銭的には、マイナス15円。
だが、フードロスになるのは最大の避けたいところ。
4箱もあれば、フードロスになる可能性がある。
それよりも、何よりも、甘口の4箱目は、お気に入り商品ハ◯ス・バー◯ンドカレーではない。
辛口ならお気に入り商品だったジャ◯カレー。

ごちゃごちゃ、ぐちぐち、うじうじ、しくしく。
金銭、金額の問題ではない。
また、新しく同じ商品、ジャ◯カレーの辛口を買わなければならないし。
いっそ、フードロス・絶対回避精神を今回に限り、特別処置で無罪放免にする?
黒歴史を抱えたくない。
なかったことにする?
いつまでも、いつまでも、この甘口カレー(S&◯・ジャ◯カレー)は、家に眠っていることだろう。
それを見る度に、胸が痛い、黒い思いをするに違いない。
なら、いっそ捨てたら?
それはできない。
なら、交換してきたら?
うーん、、、、
め、ん、ど、く、さ、い。

捨てて、記憶からも抹消すれば??
オール、リセット。
いずれ、リセットしたのか、してないのかも忘れそう。

自分の過ち、うっかりミスのせいで、自業自得スパイラルに陥っている。
お金の問題ではないところが、実に厄介だ。

いや、しかし商品が2万円なら、迅速に動くだろう。

雨もしっかり降り、ますます、スーパーに交換に行く気がなくなっている。

孫たちが好きなカレーは、平日にしか作らない。
この1年は、夕食は、頻繁にカレーが続くことは、間違いない。
孫たちが大好きな甘口、バー◯ンドカレーの中で、醜いアヒルの子である、S&◯ジャ◯カレー甘口(バー◯ンドカレーではないカレー)
その箱を見るにつけ、意地悪な継母の心境になりそう。

今日の記事は、無駄に長い、変な愚痴。
誰も聞かない聞きたくない、ChatGPTですら、、、話したくないような、しょうもないこだわりのネタでした。
捨てても、捨てなくても、記憶に残りそうな、S&◯ジャ◯カレー甘口。
交換すれば、晴れてクリーンにクリア、爽やかに上書きされるんだけど、、、。

そこで気づいたこと。
わたしは、書くことが、考えをまとめる、気を紛らわせることのようだ。
今更の話ではないけれど。
で、どうする? カレー・ルー。

ケンカするほど仲が良い、、、の、逆

2025-04-07 | 暮らし
うららかな快晴、日曜日。
暑いからさっきまで着ていたフリースを脱いで、洗濯機の上に掛けていた。
まだ洗濯する気はない。
仮置きしていただけ。
すると、しばらくしてふと見ると、夫が自分が昨日履いて脱いだ靴下を、わたしの仮置きフリースの上に置いていた。
ぎゃ。
女子中学生が、父親の使っている歯ブラシを何かの手違いで使ってしまい、泣き出したという思春期女子の心境。

何すんねん。
なんで、そんな汚い靴下を、わたしの仮置きフリースの上に置く!?
悲惨な泣きたい心境になり、フリースを持ち、手で埃(一日中、履いた靴下の邪気)を払ったが、気は紛ない。
これは、本人に言うべきか?
一生、グジュグジュ胸に抱えて暮らすべきか。
悩んだ挙句、本人に告げることにした。
わたしが不愉快に思っている行為はどんな行為か知らない、意識がないなら、改善したほうが、お互いのためなので。

わたし「靴下、わたしのフリースの上に置いてたけど?」
夫「洗濯機の中に入れた」
わたし「入ってなくて、わたしの仮置きフリースの上に置かれてたよ」
夫「入れた」
私「入ってなかった」
夫「服が邪魔になって放り込んだのに、中にまで到達出来なかったんやな」
私「放り込まれてなかった。きっちり、揃えて服の上に置かれていたよ」
夫「・・・・・(無言)(・・・洗濯機の上に、服を置くのが悪い。オレは悪くない)」
わたし「・・・・・(無言)(・・・アナタは自分がしたことを検証せず、あくまでも、わたしのせいにする)」

表向きはケンカにならないが、内向型紛争、もっとタチが悪い。
積もり積もって現状のまま、改善改革は、不可能。
変化があるとすると、次の人生ステップを迎えた時。
均衡が乱れる時。

快晴の日曜日に、こころも快晴

2025-03-09 | 暮らし
またまた10年以上、先取りの話。
だが、そう感じているうちは、余裕。
実際は足元まで火は迫っているかも知れない。

と、前置きはさておき。
今日は、お日様ぽかぽか、青空、晴天の日曜日。
何の囚われることもなく、目を覚まして時計を見ると午前9時を過ぎていた。
あらま、けっこう、寝たのね、、、
と、遅めの起床。
階下に降りると、リビングのドアは開け放たれ、明るい日差しが入ると共に、夫の姿がない。
あれ?
居ないなあ、、、
と、まずは居ないことへの認識。確認。
次。
理由を考える。
まだ寝てるのかな?
珍しい、、、9時まで寝ていることなど、今まで一度もない。
ん?
ひょっとして、、、
脳裏をよぎるのは、悪い予感。
まさか、、、
いや、あり得ないことなど、ない。
心配しつつ、そおっと寝室を覗く。
おや?
居ない。
ベッドは、もぬけの空。
なんで?

首を傾げながら、階下に降りる。 
外に何か取りに行っているのか?
玄関の靴を仕舞いながら、2秒、考える。
あ、、、
ゴルフか。
そう言えば、ずいぶん前から言っていたなあ、と。
そうだった、そうだった、昨日も言っていた。
オーマイガー。
脳から、するりと抜け落ちているが、まあバタバタ悲惨な展開より、答え合わせも出来て、やれやれ。
と同時に、わあ、やったあ、、、今日は1人でのんびり、まったりできる、と小躍り。
と言っても、いつもと同じだが。
曇り後、快晴のパターン。

で、コーヒーから始まり、いつものコース。
ルーティン。 
お昼に、先一昨日、娘一家の夕食に出した親子丼の具に、卵を加えて、再生親子丼を食べた。
他にもたくさん作ったので、その残り、昨日は肉じゃが、一昨日は豚汁を、1人でたっぷり食べた。
先程の親子丼は、とても美味しかった。
こんなに美味しいもの、どこの店に出向けばいいのか、どこに発注すればいいのか、どの人に作ってもらえばいいのか、、、と、次の心配、手配をする必要がない。
自分で作っている。
レシピも適当。自分が好きな味にする。
しかも、材料は、鶏肉と玉ねぎ、卵のみ。
あとは醤油、みりん、砂糖。
コーヒーを入れるぐらいの気楽さで作れる。
ご飯は、多めに炊いて冷凍した白米を解凍。

幸せだなあ、、、、

手軽、便利、省エネ労力、低コスト。
ほんの2分、数十円。
しかも、自分が好きなもの。

身体さえ健康なら、わたしはこの後、身の丈に応じた喜びを満喫できる。
自在のセルフ・クッキングは、じつに身を助ける。
料理をしない(出来ない)人でも、コンビニやスーパーで出来合の惣菜を買ってくればよい。
わたしが、今回、感激したのは、どんな名シェフ、名店、有名メーカーでもない、自分がカンタンに作ったものが、美味しかった、ということ。
(このメニュー、親子丼は半世紀前から作る、自作の中ではお気に入りのもの)
自分を喜ばせるのが、自分だった。
これは、結構、気持ちよく、自信や、未来の明るさに繋がった。




何もない日常

2025-02-12 | 暮らし
完全引きこもりライフ。
定着すると、これも悪くない。
わたしのように極端に内向的な性質の人間には、かえって快適だったりする。

外出することもある。
徒歩でスーパーに行き、食材を購入。
これは、近所にあったスーパーが撤退し、老人ホームに変わったため、好むと好まざるによらず、とことこ徒歩。
典型的、買い物難民である。
その一方で、宅配を利用している。
手書きからWEB注文に変更したのはよいが、、、
宅配時間までに紙の注文書を提出しなくてよいことと、32時間、〆切、提出時間に猶予が生まれるため、のんびりできる。
が、安心しすぎて、〆切時間が意識から飛び、注文し忘れる。
しかも、毎週、宅配されても、されなくても、宅配料が自動的に課金されるため、何度も続くと痛いヘマドジに泣く。

ご近所では、宅配弁当を頼んでおられるお宅もちらほら見られる。
地域も高齢化の波が押し寄せているのを実感する。

古い家は、更地にされ、売りに出ているところも、ちらほら。
新しい住民によって、どんな家が建つのか楽しみでもある。
スーパーに行く道すがら、住宅街の中を通って行くと、移り変わりがあるようだ。
新旧入れ替わり、新陳代謝なら結構なことだ。

、、、と、散歩がてらに買い物も、決して悪くない。
必要不可欠な用事を残しておかないと、一歩も外に出ない。
もっと歳を取れば、気力も体力も無くなることだろう。
自分の活力を自分で味わい、楽しむ。

買い物の行き、または、帰りに、娘宅の前を通る。
先々週末は寒いのに、窓という窓を全開にしていた。
換気のためだとか。極寒の家。
わたしは、家の中には入らない。
運良くタイミングが合えば、孫たちがパパと家の前で運動して遊んでいる。
キャッチボールだったり、バスケットボールだったり、自転車乗りだったり、縄跳びだったり。
先々週末は5番目孫も加わり、家の前の道路が運動場のようになっていた。
孫たちの活発な姿を見ると、楽しく、のどかな光景に幸せを噛み締める。
しばらく眺めて、買い物に向かうか、自宅に戻る。

何もない日常。
わたしにとっては、最高の贅沢な時間だ。


※写真は、去年、秋の山形県。
どこも同じように、静かな日常。

と、ここで、思い出したことを追記。
ここからは、蛇足。
(スクロールおすすめ、スタート地点。一気に最後までザザザーっと)

この山形県を含む東北団体旅行。 
写真の場所近く駐車場に、バスが停められた。
参加者の一人の高齢女性が、見学の後、集合時間になっても現れない。
時間はどんどん過ぎていく。
帰りの新幹線の時間が決まっているため、添乗員さんは、ハラハラ。
わたしたち、参加者もドキドキ。
添乗員さんは、探しに出掛けるが、なかなか帰って来ない。
このまま見つからなければ、どうするんだろう?と、ヤキモキしていた。
旅行会社本部に連絡して、助っ人を求めるのか?
現れない人を残して、二手に分かれて、バスで先に新幹線乗車駅に向かうのか?
ギリギリに参加者のその方はどうにか現れた、、、のは良いのだが、
我々は、お土産を買う時間や、その他の予定を割愛された。
彼女がバスに戻って来た時、添乗員さんが息切れ状態であったにもかかわらず、ご本人は、しれっと涼しい知らん顔。
無事だったことは良かったものの、皆んなに迷惑をかけた、一言のお詫びもなかった。
「すみません」、、、という、たった5文字の言葉は、彼女の口から発せられることはなかった。
代わりに、添乗員さんが平謝り。

それでわたしは強く思ったのは、、、
迷子になるのは、まあわかる、、、認知機能の低下のせい。
初めて行くところだし。
わたしも、いつも、道に迷うし。同じようなことはよくやる。
ただ、団体旅行に参加している限り、自分が周りにどう影響を与えているかという、認知力は最低限、必要だと感じた。
足腰や方向感覚だけではなく、心情的な想像力、推測力も。
一人で参加するのであれば、常識をわきまえ、ある程度、自立していなければ、皆んなの足を引っ張る。
が、失敗は誰にでもある。
ミスして迷って遅れるのは本人がワザとしたわけではないし、よくあることで仕方ないとしても、自分がしでかしたことをまるでわかっていない、あるいは、迷惑を掛けても、ものともしない性格の場合は、笑い事では済まされないと思った。

集合時間に、2〜3分遅れただけでも、平謝りの高年男性もいるのに、、、。
確かにあの時は、工程的にも地理的にも時間的にも難易度が少々高く、(わたしを含む)高齢のおひとり様にはキツかったかも知れない。
他の団体旅行でも、こういうことはよくある。
添乗員さんが、迷惑をかけたお客さんの代わりに、迷惑を被ったお客さん一人一人に、お詫びの品を持って謝りに来られたこともある。
余裕を持って行動するか、あるいは、皆さんにちゃんとしっかり謝るか、どちらかをしたほうが良いと、人のフリみて我がフリ直す、自分への戒めにした。

また別のグループ登山では、参加を断られた人もいる。
足を引っ張るどころか、全員の人命にかかわるからだ。

わたしなら失敗が度重なり自信をなくしても、更にまた行きたいと感じたら、、、
失敗を糧にして、予防線を張る。
誰かサポートしてくれる人と一緒に参加するか、あるいは、極力、無理をしないコースを選ぶか、はたまた、団体旅行には距離を置くか、対策を考え、舵を切る。

助け合いの精神は大事、不可欠だ。
が、性格によって、様々なことがある。




超高級老人ホームの人々

2025-01-23 | 暮らし
今週は何かと活発に動いた。
内情は、ぼけ〜っとしているのではあるが、じつは、試行錯誤している。
「静」と「動」を組み合わせると、互いに影響を与え合う。
(実に当たり前のことを真顔で言っている)
ひとつの実験のようなもの。
人生そのものが、実験。

ところで。
以前、仕事の取引があった、ある会社。
オフィスに行くと、しーーん、、、としている。
営業で顔を出すと、話題を振るのが大変。
何の関わりもないオジサンに何を話せば良い?
野球とか、趣味、ニュースの話題、、、。
今、思い出しても脂汗が出る。
その会社では時々、事務所ごと移転したり、同じ事務所内で席替えが行われていた。
若い女性もいて、室内、周りの席はオジサンだらけ。
デスクが接近しているから、一挙一動、まるまる伝わる。 
あれは、見ていてもお気の毒だった。
だが、9時から5時?まで、息を殺すようにじっと課された業務をこなしていれば、その日が終わる。
昼食が持参弁当の場合、気分転換のしようがない。
オジサンたちは、外食ならまだしも、愛妻弁当だったりすると、、、
隣同士、お弁当、、、。
が、割り切りが大事。
遅れず辞めずに、ほどほど働くと、休日を楽しみにしながら、就業が終わる。
というか、それに耐えられるタイプの人しか残っていなかった。
閉塞感に息が詰まる人は、辞めてしまう。
まして、型破りの人は、初めから向いていない。
その、しーーーんとした動きのない事務所に、こんちわっ、と入って行くのは、かなり勇気が要る。
向き、不向きがあるだろうが、自分がどういう立場、目的かによって違ってくる。
自分がもし、生命保険の勧誘員だったら?
というか、わたしは、そもそも保険外交員には全く適正がない。
もし、やらなければ家族のイノチはないゾと脅されたら、やるかも知れないが。
でもミスばかりだろう。ハッキリ見える。

わたしの就労経験は、人生の深みを増すお手伝いにはなった。
役に立った、とは、恥ずかしくて言えない。
ただ、世の中には、そこそこデキが良くなくてもクビには出来ないような仕組みになっているようだ。
あくまでも、日本の都市部、平成時代の話。
国や時代が変われば、全く違う。
ほんの一部分を垣間見た。

戦争時の兵士や市民の映像報道には、とても直視出来ない。

ちなみに。
話がまるで変わる、、、が。
1週間前、先週金曜日のEテレで放送されていた番組「ねほりんぱほりん」。
超富裕層向け介護サービス付き老人施設の職員さんの内輪ホンネ話。
知らない世界を興味本位に覗いてみたい、下衆嗜好ではある。
面白かったが、不愉快だった。
あんな老人には絶対になりたくない。
と、視聴者は全員そう思っているに違いない。
というか、そういう意図が見え見えの企画。
悪意以外の何ものでもないが、面白おかしく、世の中の不公平感、不平等感を煽っている。
高齢でも、まだ権力はあるようで、経済力を全面に行使し、、、
傲慢、我儘、感謝を忘れているのは年齢のせいだけではない。若い頃からだろう。
特別にひどいケースをデフォルメ的に紹介することで、インパクトを与えようという意図が見える。
代々資産家とかではなく、一代で巨額の富を築いたナリキンさんに多いそうだ。
一般人とはかけ離れた破格の行動だから、面白いけれど。

老人ホームも、一般社会の縮図だということ?
高級老人ホームもあれば、スタッフ不足の老人ホームもある。
それも社会の縮図?
自宅で家族が介護(あるいは独居で)、ヘルパーさんに補助してもらい、デイケアに通う人もいる。
家庭内で夫婦、または独居で、認知症の人の実数は把握できないと思われる。
超高齢化社会に戸惑う我々。
問題が大きく深い。
興味がある、、、などと、まるで他人事では済ませられない。

※写真は、記事とは無関係。
一昨日、行った、ゴルゴ13展。





家事をしない人

2025-01-10 | 暮らし
わたしの夫。
家事は全く全く全くしない。
生まれた時から。
たぶん、死ぬまで。
それは、兄も同じ。
それでも、ちゃんと暮らしていける。
不思議なような、オカシイような、どこか間違っているような。

ある程度の年齢の男性はそういう人は多いと思う。 
田中角栄がトイレ掃除とか、してなさそう。
だれが、家事をしているか?
家族または、使用人。
昔はそういう時代。

父や舅、祖父は、家事と言えるようなことはしていたと記憶する。 
掃除や修理、ゴミの処理、、、など。
人によるのか?

一人暮らし男性は、自分で家事をする。
きちんとこなす人もいるし、ゴミ部屋の人もいる。
女性もゴミ部屋の人もいるようだが。

昔、行っていた飲食店の、ある常連、高齢の大工棟梁。
奥さんをとうに亡くし、息子の嫁さんに、家事をしてもらっている。
「俺、洗濯できんから、、、」と棟梁。
「洗濯機がありますやん」とわたしが言うと、「よう使わん(使い方がわからん)」と。
ボタンひとつなのに。
あのかんじでは、到底、スマホやインターネットは無理だろう。
息子の嫁さんの手を煩わせることに、なんの抵抗もないことには驚いた。
棟梁は、寝たきりでもなく、健康そのもの。
飲みに出歩ける。
食事も、家事全てを息子の嫁のお世話になっているようだった。
他人の家庭だから、わたしには何の関係もないが。

その棟梁は、父世代。
兄や夫は、わたしと同じ世代。
家庭環境と、家族の意識のせいで、あんな人間になってしまった。
家事をしない、非・生活自立人間。
生活を共にしながら、ちゃんと教育できなかった、躾られなかった自分(わたし)の不甲斐なさを嘆く。
小学生でも、ちゃんとやっているのに、、、。

姉の夫は、家事はバリバリ。 
何でもかんでもしてくれ、姉は超楽ちんらしい。
料理は姉のほうが得意だが、頑張って挑戦中のようだ。
やはり、自分(わたし)に甲斐性がない。
あんな非・生活自立型夫にしてしまった自分、情けない。 
あんな人を残して死ねない、、、とは思わない。
そこは、わたし。敵も敵、わたしもわたし。
わたしがいなくなっても、家事などするわけがなく、ゴミ部屋にして、見るに見かねた娘たちが、なんとかするに違いない。
娘たちに迷惑をかけることになるが、本人は迷惑を掛けているだなんて思わないことだろう。
とは言え、娘たちはどう対応するのか、見ものではある。
令和の対応。

だが、夫を家事無能力者にしてしまったのは、やはり、わたしのせいか、、、。
娘たちに恨まれるかも知れない。
ちゃんと「立つ鳥跡を濁さず」にしないで、わたしがさっさと無責任に先にあの世に行ってしまったら。

だがしかし、大のオトナ。
実際のところ、わたしは手を放している。
自分とは関係ない。
人に迷惑を掛けていることぐらい気づかないのは、本人のキャラクター、個性、能力の無さ。
人に言われて気づくようでは、終わっている。
お金があっても、一人で暮らして行けないのは、かなりエグい。
死ぬまで気づかないなら、ずいぶん幸せ者である。
健康、お金、家族、、、以外の、また別のジャンルである。

健康寿命に翳りが現れたら、こんな悠長なことは言っていられない。
家事がどうこう、それどころではない。
まだ健康を維持できている今だけの贅沢なボヤキだろう。

ではあるものの、それまでの行いの積み重ねは、病気などで事態が悪化しても、わたしのこころの底に根強い意識として横たわっている。
だとすると、健康なうちに、理想的な行いをしておくほうが、精神的助けになる。救われる。
自分が我慢していると、それはやがて恨みに変わり、ろくなことがない。

食べかすを散らかしたり、こぼしたり、部屋などを汚される度に、ものすごくイラッとするが、自分はホテルの清掃員だと思えばよいのかも知れない。
深呼吸。
が、まだお互い健康なので、老人施設の掃除係には、なおかつ、なれない。

事態は必ず変わるので、良いことも悪いことも、今だけのことだ。
無常。





キチンとした人々

2024-12-07 | 暮らし
昨日の誰にも言えない悩み記事。
その前日まで2回続いた「オトコとオンナ」カテゴリー記事の後では、まるでハニー・トラップか、ロマンス詐欺に遭った女性のようだと感じた。
あるいは、高齢者を狙った振込み詐欺。
または、どこぞのうまい投資話に乗って損した、、、とか。
そういう感じに受け止められそうだ。
が、違います。
内容には触れないでおきます。
人に相談出来ない個人的なことなので。
ガシャン、ロック。
スミマセン。 

ちなみに、全く関係ないが、まだわたしは、高齢ではあるものの、生物としてはまだ女性のよう。
不思議な気もするが、安堵する思いもある。
なんなんだろう?


話はコロッと変わる。
今日は、古紙・資源ゴミ回収の日なのだが。
皆さん、まあなんとキチンと綺麗にまとめて出しておられる。
四角の紙(主に新聞)を重ねて束ねてあるが、歪みだとかがない。
キュッと紐で緩まないように縛ってある。

それに引き換え、わたしの出した資源ゴミったら、、、。
紐は、ゆるゆる、四角四面に収まらず、はみ出し、ルーズ。
しかも、紙ゴミの出し方が、独特。
これはちょっと恥ずかしい。
どうしてもダメなゴミは回収されずに置いて行かれるので、持って行ってくれているということは、どうにかOKなのだろう。
ミリ単位のキチンとさを周りと比較すると、最低ランクかな?とは思いつつ、その下もあるはず。
それは、資源ゴミを分別せず、回収日に出さないお宅。
資源ゴミが外に出ないから様子がわからない。
ちょっとブザマでも、出しているほうがマシかも?
ある人は、資源ゴミも普通のゴミも、全部コンビニのゴミ箱に捨てているという。
せっかく各家庭で綺麗に洗って干して乾かして分別ゴミに出しても、そういう汚いままのプラゴミと混ざってしまっては意味がない。
そのあたり、どうなっているのだろう。

そもそもプラスチックゴミが多すぎて、環境問題に留まらず、人体に影響が出てきているとか。
便利だからと、どんどん易きに流れると、いずれ反動に見舞われる。
外食業界も、ストローやスプーン、フォーク、ナイフ、カップ、トレーなど、環境に優しい天然素材を使うようになりつつあるようだが。

と、話がまたまた逸れている。
ご近所の皆さんは、高齢世帯が多いにもかかわらず、意識が高い人が多いと感じる。
ちゃらんぽらん、ぐちゃぐちゃにゴミを出さない。
似たような意識の人が集まっているのか、はたまた今は皆さん、こういう風潮なのか、、、。

海外の国々でもゴミ収集状況で、国の様子がわかる。
発展途上国だと思っていた国の、街のゴミ状況がちゃんと整っているのを見ると、ほほぅ、と感心すると同時に、わたしの感覚が古いことに気づく。
もちろん、一般の人から見えないところには、不衛生な所もあるだろうけれど。

世の中は動き、それと同時に自分は自分で独自に変化する。
両方が動くので、見える景色が変わってくるのには納得できる。
無常を体感する。



狭い生活圏

2024-11-29 | 暮らし
今日はまた寒い。
突然、冬。
秋服コートの中に、バッグに入れていた寒い時用に着るダウンベストを、バス停で着込む。
コートを脱いで、ダウンベストを着ている最中にバスが来たらどうしよう、、、
こういう時はバスのパスカードをコートのポケットに入れているのを忘れ、パスカード、パスカード、パスカードはどこ?と、冷や汗がどっと出て、乗車までにパスは見つからない、、、ことになるのだろうが、、、
アタフタしながら、余計な心配、シュミレーションをしながら、最後にまたコートを着た。
予定時刻になってもバスは来ず、寒さを見越してコート下にダウンベストを着込んで大正解。
というか、秋コートは、薄手のダウンコートなので、モコモコになっている。
見かけより、防寒。寒さ対策、第一。
どんどん、ファッションに鈍感になっていく。

時間にも鈍感、ルーズになっていく。
時間の感覚が麻痺している。 
ちょっとの間だと思って油断していたら、結構時間がかかって、バスを1本遅らせたつもりが、2本も遅れ、ただでさえ、遅刻なのに、さらに遅刻。
誰とも約束、待ち合わせをしていないからいい、とは言え、スタート時間がずれ込み、ずるずる遅くなる。
終了時間は決まっているので、真ん中の時間が減るわけで。
あああ、アホだなあ、、、と、自分にあきれる。
楽しい時間を自分で減らしている。
「削られた正味の時間は、きっと濃厚な時間になる」と自分に言い聞かせるしかない。

ちなみに。名古屋。
数えるほどしか行ったことがない。
名古屋には遠縁の親戚のおばさん一家が、一時期住んでいた。 
元々はわたしと同じ市町村で生まれて暮らしていたが、結婚後、夫さんが転勤になり引っ越した。
住まいは名古屋市内の新しい団地だった。
エレベーターが隔階にしか止まらないのに驚いた。
田舎者のわたしに、おばさんは、洋式トイレの使い方を教えてくれた。
中高生の頃、2回ぐらい遊びに行っただろうか。
(わたしの家もその頃、洋式トイレにリフォームされた)
手作りコロッケをたくさん作ってくれた。
とても上品で繊細な、着物がよく似合う人だった。
その後、神戸に引っ越し、分譲新築マンション一人暮らしから、ご長男一家と戸建て同居になり、最期は高齢者施設。

別の、東京の夫側親戚が海外で結婚式をあげた後、親戚同士の顔合わせの会が催された。
中間地点である名古屋に、わたしたちは、関西から駆けつけた。
それぐらいかなあ、、、
もっと行った事がない所は日本中、世界中、いっぱいある。
行った事がある地域が少ない。
つまり、あまり行き来していないということだ。
家から半径数キロの中で、じーっとしている人生。
子供と同じだ。
せいぜい、自分が生まれ育った場所(実家)と、その近くにある学校、結婚相手の生まれた場所(婚家)、全部、関西圏内。
夫の転勤で東京や浜松などには、短期間、場所を転々として住んだが、関西に帰ってからは、40年近くなる。
その間、旅行で遠距離地には行ったものの、根拠地は動かない。

祖母は、徒歩3分?ぐらいの所から嫁に来た。
毎日、里帰りしていた。
母は、徒歩20分?ぐらいの所から嫁に来た。
まあなんと、近い。

夫の母は、同じ県内のわりと近くから嫁に来た。
夫の祖母も、同じく。
4代前のお婿さんは、真隣の家から婿に来た。
まあなんと、近い。 
「実家に帰ります」と言っても、真隣。

昔は近場で縁談をまとめたようだ。
簡単、便利、近い、血縁や評判などよく知っている、、、お見合い結婚。
好きだ嫌いだは、あまり強固に言い張らない。
選択肢がない、他を知らないのは、ある意味、幸せかも知れない。
突き詰めても、良いところに行き着けるかどうかは、わからない。

だが、競争しない環境は、競争力が落ちてくる。停滞に繋がる。煮詰まる。
何ごとも、スクラップ&ビルドの繰り返し。

あまり色んなところに行った事がない話から、ずいぶん、脱線した。
しかも、唐突に、名古屋。
わたしにいつも、キラキラを届けてくださる映像プロ・ブロガーさんが名古屋を紹介されていたものだから、つい、、。

、、、で、話を元に戻す。
今は交通も発達し、便利になった。
時空を飛ぶインターネットは、もっと便利だが。
情報の海。知る機会がものすごく増えた。
が、幸せかというと?
追い求めるほどに、幸せが指の間から溢れ落ち、虚しさが漂う。
腹八分目、足るを知る、身の丈を知るのが、幸せへの近道だと思う。
向上心を持つな、目標を持つな、努力するなとは言わない。
頃合い、バランスが大事ってことだ。

今日は、なかなか着地しない。
こんな日もある。
こんな日ばかりだけど。
全部スクロールして下さい。 
て、最後に言っては手遅れ。ごめんなさい。

※写真は記事とは関係ありません。
先月の鳥羽湾。




休日は嫌いだ

2024-07-21 | 暮らし
わたしは、旅行記は、読む側。
書かない。面倒なので。
誰かが書いたブログを写真と共に眺める。
つい最近行った場所だったりすると、全く同じコースで、おさらい、復習になって良い。
地理や交通機関、地元歴史背景など、記事の記述が正確でなければならないため、文責を考えると、サボりなわたしは、どうも後退りする。
ただし、撮った写真はブログに記事内容とは無関係に使う。
関係ないイメージイラストみたいなものだ。
真面目にやり過ぎると、気分屋お遊びブログは続かない。

で、いつも読みに行く高齢ブロガーさんの、さらっとした旅日記を拝読して、ひと休み。
それとはまた別の、若いブロガーさんのかなり癖がある、こだわりのオリジナル旅は、読み応えがある。 
最近は旅はひと段落して、博物館の解説が続くが、ざざざーさささーっと目を通す。
さらに、記者目線の別のブロガーさん独自の足で見つけた、新規開拓地ではトレンドが予見できて楽しい。

読むのは楽でよい。何の責任もない。跡が残らない。
書くのも何の責任もないのだが、自分の記事が残るから、あまりにヒドいと、後で自分で恥ずかしい思いをする。
たいして校正しないので、その場でアタマに浮かんだことを書きっぱなしのことがほとんどだし。

ちなみに、、、
連日、猛暑が続くが、「エアコンをつけた涼しい部屋でお過ごしください」とテレビでは毎日、言っている。
「夜通し、エアコンを消さずにお願いします」
とも。
さて、今日は仕事オフ、日曜日で家に居る夫。
(休日はゴルフに行ってくれると大変よろしいのだが)
わたしが居る部屋(ダイニング)の室温が30度を越えると、エアコンをつけろとうるさい。
扇風機や時折、通り抜ける風で十分だ。
が、「高齢者はそうやってエアコンをつけないで倒れるんだ」と、まあうるさいこと。
30度なんて、たいしたことはない。
汗が出ることの、何が悪い?
日本中の各家庭のエアコン稼働を全国民に推奨して益々、地球温暖化が高まる。
負のスパイラル。
どこがSDGsなワケ?

夫はダイニングと仕切り一枚隔てたリビングルームで、エアコンをつけ、カナダ。
仕切り一枚、こちら、ダイニングは、インド。
それなら、リビングルーム・カナダに二人で居たら良いではないか。
イヤなのだ、わたしは。
夫と同じ部屋で、大嫌いなTV番組が。

だが、正午になり益々太陽は高く上がってくるとダイニング・インドの室温は高まる。
絶対に夫は何か言ってくる。

地球温暖化防止対策のために夫と同室か、はたまた、ダイニングはインドのまま、諍いを起こすか、それとも、穏便に、地球温暖化対策に背を向けて、ダイニングもエアコンを付けて、続き2部屋ともカナダにするか。
へんに選択肢があるために、しなくてもよいバトルをしている。

エアコンのない、テレビがある1部屋しかないなら、どうなる?
(今時、エアコンがない部屋はあるのか?
いや、エアコンのない部屋に住む人を一人、知っている)
バトルの内容が変わって来る。
テレビを消せ、消すな、おまえが出て行け、アンタが出て行け、、、
モノが飛んでくるか、刃物が飛んでくるか、、、
鬼の形相か、能面のようにのっぺりした感情のない顔になっているか、、、はたまた、、、

と、苦悩のブログを書いていて、ふと。
仕切りの扉を少しスライドして、リビング・カナダの冷気を、ダイニング・インドに流せば良いのではないかと思いついた。
ブログは、家庭の諍いを減らし、地球を救う。
壮大だ。

なんて書くと、皆さんからの冷た〜い視線を勝手に感じるわたし。







暑い

2024-07-06 | 暮らし
暑い夏、スタート。
家庭内エアコンバトルも同時スタート。
「暑い暑い暑い暑い」と、わたしに言う夫。
暑さ倍増である。
人に言って暑さが軽減されるのか。
発散して少しでも温度が下がるならまだしも、言われるほうは、耳、聴力も正常なので、聴きたくなくても聴こえる。
これは、わたしは、一種のハラスメント認定している。
先日、お会いしたある人が言っていた。
夫婦は離れて暮らすのが仲良く行く秘訣、と。
これには全く賛同している。

ただ、別居したくても出来る人と、出来ない人がいる。
出来ない人もいるので、あまり理想を声を大にして叫ぶのは控えたい。
別れるわけではなく、離れて暮らすことを推奨している。
近すぎると、良いものでも悪く思えることがあるから、少し距離を取るとよい。
育児サポート、病気や介護で、夫婦臨戦の危機どころではない状況もある。
夫婦間以外の外的緊張感は夫婦の緊張感を和らげる。パラドックス。

知り合いには、仕事で週の半分は別々に暮らしているという夫婦が2組。
リタイアして無職だけれど、離れて暮らしている老夫婦が1組。
その他は、夫は仕事が夜勤、という老夫婦1組。
妻が仕事で家にいないという老夫婦が1組。
あと、3組は夫が毎日、どこかに出かける老夫婦。
なんだ、老夫婦ばかりではないか。
あ、わたし自体がシニア、前期高齢者だった。
わたしの知る人々は、似たような年齢の人ばかりだから、皆んな老夫婦。
四六時中、顔を合わせず、どうにか仲良くやっている。

亭主達者で留守がよい、と言われても、リタイアして毎日、家にいる夫には夫源病になる妻もいるようだ。
不思議と、妻は苦痛でも、夫側は同居を苦にした病気にはならないようだ。
理由は簡単に推測出来る。

それにしても、暑いだけで、ケンカになるのでは身体が持たない。