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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

結論なんかない

2024-12-10 | 人々の風景
本日の記事は、全面的に全文、スクロールお勧めです。

・・・・・

ある趣味サイトの、日記に付けられた強烈に長い長いコメントのやり取り。
ラリーの応酬。
わたしとあまり変わらない年齢、60を超えた女性、お二人の関心事に、驚かされた。

コメントは130を優に超えるので、話題は多岐に渡ると言えば言えるが。
人間の外側に異常なまでに興味を示すお二人。
外見、容姿、ファッション、持ち物、人物背景、経済状況。
あとは、人間以外の外側。
食器、家、インテリア、、、(芸術系なら、わたしも好きだけど)
それで話が尽きると、今度は自分語り。
スケールが違う、波瀾万丈、型破りの人生を歩んでこられているのは、よくよくわかった。
のではあるが、、、。
わたしとは全てが違うため、同世代の同じ国に生まれ暮らした人たちの考えていることなのに、わたしがまるで理解できないことに対して興味をもった。
なぜ、そんなに外側にこだわるのか。
中側、内側は?
形から入るタイプ?
外ばかりを固めてフル装備、装甲車?

見知らぬ犬同士が先ずは吠え合うところから始まるのか。
吠え終わるまで時間がかかる。
この、はじめましての吠えタイムは、あくまでも第一ラウンドだとは思うが。

それにしても話題が即物的ではあるものの、知識が半端なく豊富。
抽象的な主観の世界ではなく、具体例や商品名を出すと共通認識をたぐりよせ、わかりやすい。
逆に知識がない人は、自分の世界を説明できない。語れない。
だが、興味がない人にとっては、まるでどうでもいい知識。
説明もう終わった?終わったら知らせてねー、のノリ。
はいはい、よく知ってるね、で、何が言いたいの?それがどうしたの?
結論は?
結論に辿り着くには130ぐらいのコメントでは収まらないだろう。
熱く語ることそのものが、その時間を享受することが楽しい、そういうことなんだろう。
生きる意味は?なんて探究するより、何が好き?何食べる?で、よい。
あ、それ嫌い、それ興味ない、で、よい。
突き詰めても、絵に描いた餅ではお腹が膨れない。
毎日、あーだこーだと暇を潰して騒いでないと、結果ばかりを求めていては、やってられない。
楽しい時間を共有する人と、活気的に過ごす。
共有出来ない人は、別の共有できるもの、人を探す。別に人でなくてもいい。
そうやって、人、もの、情報は集まる。
インターネットだと、家の中でじっとしていても、広い世界からピンポイントで共通の人に出会う可能性がある。
あるいは、人と群れず、一つのことを一途に追求するのも悪くない。

プロセスこそが大事。
生きている限り。
結論が出たら、残り時間が退屈だ。
天国への待ち時間になる。
待っている間、何をすればいい?
手持ち無沙汰。

で、追記です。
自分が理解出来ないことに対して、否定するのではなく、受容しようと自らにハッパをかけて、かなり頑張って理解しようと努めてみた。
が、わからないものは、わからない、、、受け入れられないものは呑み込めない、、、
そうやって、あえて融合しようと力まず、お互い、距離をもって棲み分けすればいいのでは。
と、自分を納得させた。
(今回はChatGPT のアドバイスは無し)



変わり者

2024-12-09 | 人々の風景
直近の写真があまりなくなってきた。
本日のトップ写真は、皆さんのブログ写真に埋没してしまいそうな、没個性的、秋の写真である。
まあ、それは、致し方ないとして。

①今朝、家を出るまで②電車移動、行き帰り、そして③帰宅後、ずっと読み続けたものがある。
それはインターネットの、ある趣味サイトの日記を書いた会員Aさんと、読んだ会員Bさんのやり取り。
延々と2人のコメントが続く。
130を超えていたか。
わたしとコメントのやりとりがある、ある会員Cさんの日記にコメントをつけていたAさんのコメントが、あまりにも個性的だったので、興味を持った。

Cさんとわたしは、つい最近、先々月からお互いの日記にコメントを付け合うようになった。
いやはや、Cさんの日記に型破れなコメントを付けるユニークなAさんであったが、Bさんとのやり取りを読んで、だいたいのおおまかな2人、AさんBさんのアウトラインが見えた。
Bさんも、日記やコメントで時々見かける会員さん。
その時は、今ほどユニークな強烈な個性の人だとは思わなかった。
AさんとBさんの出会いは、核分裂のようにすごいエネルギーを発していた。
130にも及ぶ、一つ一つが超長文のコメントをスマホの小さい画面で一気読みしたわたしも、かなり変わり者かも知れない。

AさんもBさんも、わたしと同世代(といってもわたしより7歳下)の同性であるにもか関わらず、、、
AさんとBさんが盛り上がっている趣味や、こだわりの内容(車やファッション、見かけ)について、全くといっていいほど、わたしは興味がない、どうでもいいこと、、、ではあるものの、日記を非公開にされないうちに、と、全部読んだ。
スマホなので、スクロールが大変。
目もやられそう。

なぜ、こんなに必死で読んだのか。
全く共鳴も共感もしない、わたしが価値をおかない、どうでもいい内容を2人が延々とクローズにしないで公開して語っていたことに、不思議な興味を持った。
読めば読むほど、わたしの感覚や価値観とは違う、異なるものだということが、はっきり明白になって面白かった。
歴然と異なる関心事。
同じような年齢でも、人というものは、こうも違うものか、と、ライブ・コメントに、気づきを得た。
自分の考えが明確になって、無意識だった深層心理が炙り出されるようで、改めて自分を知る良い機会になった。

2人が延々と語り合っている内容に対しては全く興味がないのに、最後まで読むわたし。
不思議な傍観者である。
お二人はおおいに盛り上がっておられた。
ホンネ、ズバズバ。
あんなホンネ、思っても普通は、口に出さないけれど。
本当に色んな人がいる。
1番変わっている変わり者は、わたしかも知れない。

素晴らしい身体能力

2024-07-29 | 人々の風景

阿部一二三さん、金メダルおめでとう!

 
先週末、NHK TV「ファミリーヒストリー 
柔道家 阿部一二三・詩〜強さの秘密は家族の絆〜」を見た。
1回目放送は見逃していたのだが、再放送を深夜に見た。
その夜は、さあ寝ようと消灯し、寝室のある2階に上がって、いつものように寝る直前に、布団に寝転がって(快眠には良くないとされている就寝前)スマホを覗いた。
ぱらぱらとNHK番組表を見ていると、その時間に再放送が始まったばかりだった。
慌てて、1階に降りて、電灯を点け直し、ガッツリ番組を見た。
 
阿部さん。
まあお父さんのカッコイイこと。
俳優の吉田栄作に似ているイケメン。
お母さんの若いこと。可愛いこと。
二人とも、あまりにも若くて、ああそうなんだ、オリンピック選手は若いんだ、、、と今更ながら思った。
 
それは当たり前のことで、よいとして。
はつらつとした若いご両親、特にお父さんは現役消防士として、身体能力の良さを活かして活躍されている。
父方は、徳島、母方は、奄美大島がルーツのようだ。
両家とも、身体能力抜群のご先祖様の血を引いている。
さすが。
ローマは1日にしてならず。
 
奄美大島の歴史を少し調べた。
知人に、母方が喜界島出身の人がいる。
それにしても、よくそんな遠く離れた島からご縁があったものだ。
ご先祖様たちは、何代か前にはルーツの地から出て、出先の地で相手を見つけて結婚した。
素晴らしい。
なかなかの行動力、実践力。
梅田の繁華街であろうが、ナンパであろうが、親の世話にならず、ちゃんと結婚して、家庭を持ち、子供を育てておられる。
強いDNAだと思われる。
 
何代も前になると、ルーツは言い伝えられないようだ。
その代わりにNHKが取材力を駆使して、調べてくれている。
知らないこと、目に見えない縁、繋がりを新たに知ることになる。
 
出生の地から遠く活動拠点を移すのには、エネルギーが要る。
食べていくために必要迫られての場合もあるが、立身出世を夢見ることもある。
都会には、全国各地から、色んな人が移り住んでいる。
それぞれの人々の波瀾万丈の集大成だ。
その後、何代かに渡り定住すると、平和で穏やかに、繋がり、絆が生まれる。
 
 
 
 
 

人と比べる人

2024-07-23 | 人々の風景
人と比較して得るものは何?

自分だけヘンなのではないか、TPOに合っていない恥ずかしい行動なのではないか、悪目立ちしてないか、、、
ちらちら周りを見て様子を伺う。
わたしは、悪目立ちが一番嫌なのだ。避けたい。
目立つとロクなことはない。

日本では同調が求められ、少し個性的なことをすると目立つ。
それは、ユニーク天然系であるわたしには苦手なのだ。
みんなが知らないところで、思いっきり自分らしいことをのびのび行う。
見られたくない。知られたくない。
(その隠したものが、蝶ブログとなって現れるようだ)
たんなる内向的性格。

それはそれとして。

出る杭は打たれる。
「出過ぎる杭は打たれない」と、あるタレントが言っていた。
そのタレントが出過ぎているようにも思えなかったが、一般人と比べると出過ぎているのかも知れない。
タレントさん自身が自分で言っているあたりが、自分は出過ぎるほど突き抜けているという自負があるのだろう。
どこらへんが?と、ちょっと首を傾げる。
私的内面やプライバシーまで知らないから、わたしの知らないところでは出過ぎているのかも?
何しろわたしは、人物事典に載っているような有名人、偉人しか知らないので。

ちなみに。
今、子供向きの世界史漫画を読んでいる。
ハードカバーの表紙の裏側には、ラスコー洞窟の牛の壁画。
昔、わたしが自分の子供のために買った教養漫画で、まだ第1巻なのだが。
このハードカバーの漫画と解説、なかなか読み進められない。
なぜかというと、人類がやっと登場してきて面白くなりそうだと期待しているのに、まだまだ延々と紀元前が続く。
いつまでも紀元前。
しかもほとんどが、戦争。 
国を築いたり滅ぼしたり滅ぼされたり、占領したり占領されたり。
ギリシャだのローマだの、知っている地名がどんどん出てくるのは良いが、歴史って、戦争の繋がりなんだと、感じた。

とりあえず、戦争以外の展開が早く出てこないかしらと期待しながら読み続けている。
もしわたしが小学生なら、歴史の成績はゼロ点、間違いなしだ。
だが、ひとことコメント、感想を書いて、零点は免れるかも知れない。
なぜなら、点数をつける小学校の先生より、わたしのほうが人生時間が長いから。
それに感想には、点数を付けられないし。

とかなんとか。
話を元に戻す。
わたしは、人と比べるのではなく、時系列で自分と比べるとことのほうが恐怖だ。
過去、現在、未来。
人より優れていようが劣っていようが、幸せであろうがなかろうが、同じ時は続かない。
必ず変化する。
仏教でいうところの「無常」。
仮に、人と比べて自分が幸せだったとしても、将来もそうである保証はない。
まだわからない未知なことに対して怯えるのも馬鹿らしいから、自分で楽天的にどんと構える。
自分が幸せの絶頂期であっても、絶頂期は続かないので必ず下降する。
その時に人にどう思われるか。

そもそも他人や世間とは、、、自分が作り上げた自分のこころを映す鏡である。
他人がハッキリ口に出してイヤミを言って石でも投げられたなら、適切な場に出て訴えることも出来る。
インターネットで誹謗中傷されたり、発表したものをこき下ろされたりしたら、、、必ず、そういうことをする人は世の中にいるので、嫌ならブロックするとよい。
意見には賛否両論ある。
が、ネット上での評判が良いと喜び、悪いと悲しむ、、、のは当たり前だが、良いことだけを聞くのでは片手落ちだ。
精神衛生上、良いことしか聞かない人もいるが。
両方聞くか、両方聞かないか。どっちかにするとよい。
名も名乗らず一方的に暗闇の中から攻撃してくる人に対しては防衛のしようがない。
「同じ土俵に立たないこと!」と、「虎に翼」の寅ちゃんも言っていた。

わたしは、熊に遭遇した時と同じ行動をする。
目を合わさず、寝たふりをして相手を刺激せず、静かに静かに後退り。
熊は木にも登るため、警戒しても警戒し過ぎることはない。
熊には逆らわないこと。
かといって、どうぞ!と、柿を差し出すのはよくない。

話がなんだか逸れている。
人と比べるのではなく、参考にする。
ああなるには、どうしたらよいか、
ああならないには、どうしたらよいか、
人の振り見て我が振り直す。
人は外を歩く参考書みたいなものか。

人の幸せを妬むのは、自分が不幸だから。
自分より更に不幸な人を見て、自分を慰めることはある。
そういう話、先週土曜日(大阪、FM802では18:00)ラジオの「真実(ほんとう)の物語」(ナビゲーター・朗読/オダギリジョー)で聞いた。
不幸な子供が、自分より更に不幸な子供にイジワルする話だった。

子供でなくても大人になっても、そういう人はいる。
幸せな人も不幸な人も、不幸な人の攻撃ターゲットになるのであれば、どうしようもない。

は、、、と、今、気づいたが、今朝の記事、えらく長くなっていて、びっくり。
文字数がやたら多い。
そんなに口に泡を飛ばして熱心に言いたいことだったわけでもないのに不思議だ。

最後に。
東海道新幹線、復旧されて、やれやれ。
本来なら今は、東京にいるはずなのに。



プライベートな会話

2024-03-27 | 人々の風景
ちょっとだけ都会の、大阪市内にある大型総合ビル、テナント内の、とあるお好み焼き屋さん。
4人の女性たちが、ぎゅーっと1つのテーブルに集まって昼食。
わたしは、その前のテーブル席。
横を向くと、2人の背中が見えるが、4人とも姿形はわからない。
彼女たちの、よく通る声が否応なく聞こえる。
顔は見えないので、話の内容から、てっきり70代真ん中から後半ぐらいの、仕事はしていない女性たちだろうと想像していた。

4人のうち、主に1人が喋りまくる。
もう1人が次に喋る。
あとの人の声は聞こえなかった。

なぜ、わたしが70代だと感じたかというと、、、。
自分の家庭のこと、家族のこと、家庭背景、そういう超プライベートな話だったからだ。
あんな話はおそらく、ある程度の年齢になったらする話題だろうと、わたしは勝手に偏見で思っていた。
連子だった夫は、継父にうとんじられ、、、子供によって、おかずの皿が多い少ない差別を受け、、、いじけて育った夫は、、、のような昭和の匂い。
すごく遠い時代のように感じた。

が、彼女たちが席を立って帰る姿を見ると、、、
あらら、、、わたしと同じぐらいの年齢?
ひょっとすると、わたしより少し若いかも?
しかも、きちんとビジネススーツやジャケットを着ておられる。
生命保険の外交員さんだろうか?と、想像した。

しかしまあ職場の同僚に、超プライベートな家庭の話を延々とするって、なんだか不思議な気がした。
暇な、お年寄りの集団かと思いきや、ビジネスウーマンの集まりだったことは、大変、意外だった。
ビジネスウーマンでも、キャリア系ではないと、なんとなく思った。
わたしの持つ、職種に対するステレオタイプの勝手な思い込みだろうけれど。

わたしは、家族のことは人には話さない。
話す相手は姉だけ。
あとは、亡くなった姑や、娘たち。 
というか、自分たち家族のことを家族内で話しているだけ。
なので、外の人には話さない。
人それぞれ、いろいろだろう。
わたしには彼女たちは不思議な人たちとして映ったが、向こうの皆さんから見ると、わたしが不思議な人に映るのだろう。
しかしながら、彼女たちのお喋りは現実的で興味深い会話だったので、ブログネタとして、おいしい。





地下で蠢めく

2024-02-27 | 人々の風景
goo編集画面、アピールチャンスが、ぴこぴこチカチカうるさい。
わたしは確信している。
それは、自分自身がブロガーである人には、わたしのブログは響かない。どうでもよい。
写真が印象的だったとしても、内容ティストを既に知っている。
長くて読む気にまったくならない。
だらだら長文は疲れる。
そういうかんじ。

それがどうした?
いえ、どうもしません。
わかっていながら、アピールするのは徒労、無駄。
一番の理由は、長い記事は嫌われる。
それだけだ。


さて。
ここまで書いて、停滞していた。
アップしない日が続く。(といっても2日間)
やはり、人に読んでもらってナンボというブログ、なんだか哀しい。
ウケないお笑い芸人のようだ。
が、スベリに耐えなければ、何も出来ない。

世の中の才能がなく認められない芸術家は、自分では才能があるのに認められないと嘆いている。
芸術家だけでない。
才能を測りにくい。
自分だけでも楽しければ、生き甲斐になってよい。
たとえ悲しくても生き甲斐になってよい。
側から見れば、まるで理解できなくても、自分の糧になればよい。
認められたいなどと、とてつもなく厚かましい。
日本人特有の謙遜とか美徳とかではない。
本人は必死でも、周りとしては、わからんものは、わからんのである。

どこまでは許されるかを計算して、ギリギリまで攻め、尖ったエッジを効かせている、と評される若手タレントがいる。
ユニークな発声、発言の、あのanoちゃん。
時代が後から付いてきたかんじか。
そうではないと思う。
時代はもう進んでいたが、地下で生息していて表に出なかっただけだ。
地上波TVのCMや、NHK紅白歌合戦出演などで一般的に知られ知名度は上がっている。

今の時代は、やたら多様性を認める方向のものが多い。
今まで身を小さくして生きてきた人には生きやすい時代の到来、、、を目指しているようだ。 
それにしても、昭和人間のわたしでさえ隔世の感がある。
明治人間でアタマも身体もちゃんとして生きている人は、現在はほぼいないだろう。
(明治生まれ、最も若くて112歳)

バリバリの戦中派の姑に聞かせてあげたいものだ。
存命でも存命でなくても、聞く耳は持たないだろうけれど。
良きにせよ、悪きにせよ。

時代は進む。

着いて行っても、行かなくても、
着いて行けても、行けなくても。



リタイア後のプラン

2024-01-28 | 人々の風景
他のブログを拝読して、、、ふーっと、ため息。
人はよほど変わった人でもない限り、日常の普通の出来事に対して同じような心情になるもの。
なので、書かれていることに対して納得、同意する。
ただ、、、「それがどうした?」
オチが欲しい。
いちいちわざわざ、ご丁寧にご親切に書かなくても、オチは読んだ人がそれぞれに感じるものかも知れない。
断ち目を縢(かが)らず切りっぱなしの生地のように。
(断ち目が、ほつれない「フェルト」は、ラク)
と、関係ない話に脱線。
読後感は、人それぞれ。

読み手と書き手は、全く違う。
映画やTV、小説、アニメなど、作り手と鑑賞側では全く違う。
当たり前のこと。
料理もそう。
作り手が好きな味が、食べる側が好きとは限らないが、食べ物は生きることに密着していて、娯楽ではないので色合いが違う。

ファッションなどは、好きなテイストがあっても、自分が似合うかどうか、微妙。
好きで着続けていたらそのうち馴染んで雰囲気が醸成され、しっくり来る???
そういう場合もある。
が、大抵は無難な路線??
全く興味ない人もいる。
清潔にしていればそれで良し、と最低必要ライン。
人間関係も、挨拶が出来る人であれば、クリア???

直接、自分が関わる人などは数が知れている。
まして、リタイアした身では、心身が衰えていくと先細りする一方。
リタイアしても元気なうちは、活動先での関わりがある。

いままでやってきた仕事とは全く違う分野と関わり、行動するのがオススメという説がある。
別の発見、刺激があるそうだ。

知り合いに、第二の就職をしているシニアがいる。
リタイアしたばかりの時は、なんだかんだと夢中になれることにチャレンジしておられたが、持ち時間と持ち金の折り合いをつけるため、また働き始めた。
年齢が高いため、職種はあまり選り好みは出来ない。
が、キャリアも別に求められておらず、報酬も悪くない。
就業時間もフルタイム制ではない。
時間と、健康と、お金のバランスが、その行動(高齢就労)に進ませた。
お金が仮に、十分あったとしたら???
必要に迫られて働かなくて良いはずだが、その人は年金暮らしの経済事情。
ではあるものの、暇を持て余し、かえって疲れるようだった。
人には色々、それぞれ特徴がある。
身体が健康で動くうちは、年齢が高くても働くのが良いという人もいれば、働きたくても身体の衰えから働けない人もいるし、もう働きたくないという人もいる。
日本人は働き過ぎだという指摘もある。

そこでキーは、必要に迫られているかどうか。
選択肢があるのは、幸せなように思えるが、案外、選択肢がないほうが幸せを感じる、という、学者が集計したデータがある。
だがしかし、状況に応じ、選択肢にも絶妙なバランスがある。

さて。
自由な身、自由な時間が余りあると、かえって時間がなかなか進まない。退屈。時間を持て余す。
やるべきことがあるほうが、持ち時間が減り、自由な時間が圧縮され、濃くなる。
(たとえ嫌々渋々であろうが)義務を果たす時に、その過程や試行錯誤、行き帰りで偶然見つけたものが、大発見の宝物だったりする。
近道のつもりが実は遠回りで、寄り道が近道だったりする。

いくら頭で考えてプランを練りに練っても、予定通り事は運ばないことがある。
予期できないハプニングがある。
計画を立てている時が1番楽しいのかも知れない。








ファミリーヒストリー

2023-06-03 | 人々の風景
今日は、昨日と打って変わって快晴!
雨雲は東の方に移動したようだ。
お天気や自然の力には抵抗できない。

さて。
わたしが大好きな番組の一つに、NHK TV「ファミリーヒストリー」がある。
父方、母方のルーツを辿る。
概ね、地方から都会に出てくるには理由がある。
居住地を変わるには背景がある。
現状を打破したい派(マイナスをリセット)と、出る杭をもっと出す派(立身出世、さらにプラスに)。
海外に移住したい人は、それに加えて、未知なものに対する「夢」がプラスされ、原動力となる。
江戸時代は転居禁止だったため、社会に大きな変化や摩擦が生じず、徳川幕府は長く続いたのか。

ルーツの源には、付近にその子孫(親戚)が住んでいたり、逆に、跡形もなかったりする。
「今は両親は○○に二人で住んでいます」などというのもあるが、場所は明かされていないこともある。
番組の特徴としては、さらっとルーツを遡り、深掘り出来る箇所を探す。
あまり見当たらない場合は、両親のエピソードに焦点を当てる。
番組制作側の苦労が見え隠れする。
どこにスポットライトを当てるかで、印象はぐっと変わる。
視点に左右される。

由緒ある名家だとしても、今もその名残りや伝統を引き継いで現存している家は、ぐっと少なくなる。
別に名家である必要は全くないが、ある程度、活躍していないと、歴史的資料が残っていない。
無名の人は、当時の新聞か、勤務先、出身校(学籍名簿)、
商売をしていたら、地図、街の写真に残っていることがある。
いずれにしても、全く無名で何にも足跡を残していない人は過去を辿りようがない。
親戚から話を聞いて回るぐらいだが、昔、おばあちゃんから聞いた話だとか、話をする人自身が高齢で記憶が曖昧だったりする。
番組の1回放映分に成り立つように資料を集め回るのはかなりの労力を要するだろう。
客観的事実が提示できない場合は、見聞きした人からの証言に頼るしかない。
見聞きした人が言っていたことを聞いた、となると、伝聞リレーをしているうちに、真実がズレてくることもある。

一番の難題は、番組出演を承諾してくれる有名人がどれだけいるか?である。
政治家や産官人は敬遠すると思われるし、どうしても芸能人の出演が多くなる。


わたしを含め、世の中にいる、ほとんどを占めるのは多くの無名の民間人だ。
犯罪史に名を残すのは名誉ではないにしても。
無名の人々の命、暮らしが繋がって、今日がある。
出生率がこんなに激減するなど、昔の人は想像しただろうか。
AIを規制する法律が必要だなどと思っただろうか。
世の中は激変する。
便利なもの、発展の後には弊害がある。
メリットとデメリットは、表裏一体。
ちょうど良い頃合いを見つけるのは困難だ。

と、ファミリーヒストリーから脱線。
上岡龍太郎氏なら、どう締めくくるか。
ウィキペディアで色んな人を調べると、ファミリーヒストリーを見ているかのごとく。

自分の残り時間を大切にして生きたいと、しみじみ思う。
その割には、日々、眠いが。
緊張と緩和のバランス。
昨日の豪雨から解放されて、再脱力の喜びを味わっている。



この人に感動した

2021-12-01 | 人々の風景
わたしを含め、団塊の世代前後の人々。
わたしは、その世代よりちょっと若い、高度成長期、ウルトラマン隙間世代。
老人(高齢者)の中では1番若く、現役世代の中では最長老。
さらに最最最長老の方々もいるが。

サラリーマンならだいたいリタイアしている人が多いが、まだ70歳まで働く人も少なくない。
80歳を超えてもまだまだ働く人もいる。
生き甲斐や、生活のため。
身体が動く間は働くという。

わたしの周りにいる、現役とリタイアの境目の人々。
親戚を見渡すと、親世代はほぼ順送り、順調に天に召され、自分のきょうだいや、いとこたちは、ほぼほぼ同じ世代。
いとこも亡くなる人も出始める。
といっても、自分の親は存命なのだが。

自分の血が繋がる濃い関係者が、目の前であの世に行く人や、生まれてくる人が次々待った無しで出現すると、何かしら感じるものがある。
ところてん方式だが、ところてん製造機の出来がよくないか、故障していると、詰まる。
あるいは、ところてんそのものの材料やレシピに問題がある?
詰まらないで、すいすい行くと、混乱しないエスカレーターのごとく。
自分もエスカレーターの下のほうに右側通行でちょこんと乗っている。
左側を歩きながら登っていくのは(関西では)NGとされるのだが、急いでいると、やってしまう。
さして時間に追われるわけでもないのに、ゆっくり行くのが待てない人もいる。
性格だ。
それぞれの人生。


昨夜、NHK TVのニュースで登山の最高賞を受けた人が紹介されていた。
登山人生の頂点で挑んだ最高峰の山で雪崩に遭い、両手両足の指の何本かを失くした。
そこで彼は、絶望どころか、これ以上、上がない自分の能力をリセットされる良い機会を得たと感じた。
新しく現れた不具合、不自由な面をいかに工夫して頑張ればいいか、課題がたくさんあり、わくわくしたという。
能力の全てを出し切った自分を十分経験した上に、また別の前向きに取り組める自分。
上へ上へとは言えない状況だが、上には色んな意味がある。

人と比べるのではなく、自分の過去と比べるのでもなく、今、ある自分そのものの可能性を追求する。
老いや能力低下の現状を嘆くのではなく、新しい自分がその条件でどれだけ工夫して頑張れるか、、、。
その挑戦や楽しみは一生続く。
そう仰っていた。
何よりも笑顔が素晴らしく素敵だった。

瀬戸内寂聴さんより、わたしは、あの人がいい!!
わたしより7歳ぐらい若いし、ハンサムだからか?
愛だの、恋だの、も、人々には需要があるのだろうけれど、そういう、人間関係や対象物との間に生まれるものではなく、目を向ける先は自分。
他ではなく自分に向かう自分。
わたしは、とても感動した。

彼は修学旅行で皆んなで景色の素晴らしさを共有するより、自分一人で(苦労して)登った、自分だけの景色は何にも替えられない感動があるという。
皆んなでわいわい、皆んなで夕陽、皆んなで朝陽、皆んなで、、、
わたしは、あんまり、そういうタイプではない。
それもわたしのキャラ。
人それぞれ。


何を残すでもない。偉業もない。
先日、亡くなった親戚のおばあさんの家族葬、司会者の紹介は、「多くの孫子たちに恵まれた幸せな一生を送られました」のようなことを言っていた。
それしかないのか?

人の人生を簡単にくくって欲しくないが、本人はもう生きていないから、何を言われても知らぬが仏とはこのこと。
葬式なんてそもそもそんなものだし、家族なら皆んなそれぞれの胸のうちは推測できるだろう。

家族葬であろうがなかろうが、多くの人が故人を悼むために自主的に集まるのは自然な流れだとは思う。
だが、まだわたしは自分のなかでクリアしていない部分があるから、また今後、見解が変わるかも知れない。


もう一つ、NHK TVの「プロフェッショナル」で旋盤職人(85歳)が紹介されていた。
ご本人を「歩」に例える。「王」ではない。
「歩」が歩む「歩の人生」。
一歩一歩、歩いて重ねていくしかない、と。
生活のため、食べるため、家族を食べさせていくため、、、。
深かった。
共に歩んで支えてきてくれた2歳年上の認知症の奥さんを、これからも(施設に入れず)手元で見守って行くと。
わたしのような自己チュー人間は、人のために身を削って尽くさず、そんな風に感謝されることは絶対にない。
熱いストーリーが好きなのは、わたしがクールだからだろう。
直近では、セリフが一切ない、ディズニー映画本編の前に出てくるショート動物アニメでさえ、涙。
言葉は要らない。
人間である必要もない。

真実や真理は、説明する必要がないと感じる。







気の毒なひと

2021-09-26 | 人々の風景
マスクって不思議だ。
怒号に近い、怒鳴り声に近い、感情的な声が電車内、向かいの長椅子から聞こえる。
相槌的な会話をする、同じくマスクの女性は声の主はわかるのだが、怒鳴り声の男性が誰だかわからない。
じろじろ見ては失礼だが、じろじろ見てしまう。
白い大きなマスクでスマホ操作している男性こそが、声が聞こえてくるピンポイントの場所から推定すると、そのキレかけ男性だと思われるのだが、いたって静かな佇まい。
マスクの口元も他の箇所も動かない。
なんか変だなー。

と、どうでもいい、しかし、目の前で繰り広げられる気になる現象、光景を書いてみた。

で、さて、と。
NHK「関西熱視線」を見た、、、と書き出したところで、なんだか眠くなってきた。
ほんの短時間、目をつぶっていた。
ちょっとだけ眠ったかも知れない。
そこで、目を開けて斜め前の怒り声の男性をふと見てみると、、、
ごく最近、ある喫茶店で見た光景と重なった。
わたしが座っていた席の、二つ隣の客席にキレる男性がいて、ちょっとしたことで同伴の女性に大声で怒鳴りまくり、わたしは気分が悪くなって、そそくさとその店を出た。
あの男女と同一人物である可能性もある。
その店がある地と、男女が降りる駅は、一駅違い。
わたしとは同じ沿線電車、利用客同士というわけか。
嫌だなあ。

女性はあくまでも、おとなしく穏やかなので、男性はどんどんエスカレートする。
激昂に近くなる。
よくあんな男性と付き合っているなあと思うが、もし夫婦なら気の毒になる。
家庭内ハラスメントである。モラハラか。
女性は慣れっこになっているのか、怖くて抵抗できないのか、恐怖支配のマインドコントロールされているのか。
家庭内のことは、埋もれてしまうと社会から見えないだけに、深刻である。
セフティネットから、すり抜け、ずり落ちそうな危険性もはらんでいる。
優しすぎる、おとなしすぎる女性は、モラルハラスメントの被害者になりかねない。

わたしも若干その傾向があり、趣味の場では辛い目や苦しい立場に追いやられることもある。
自分に原因がある、自分が悪いと思い込むのは、よくないそうだ。
わたしは内省する心が強い時があり、特定のタイプの人との組み合わせによっては深く傷つく。
であるが、たまたま傷つけられるような相手とはうまく離れられてラッキーだった。
わたしは、同時に、楽天家で無神経で鈍く自己チューなところがあるせいで、とことん傷つかないのかも知れないが。
でも、あの電車&喫茶店の男性みたいな人となら、絶対に傷つく。
というか、あんな人なら最初に人物評価を下した時点でシャットアウトしていると推測する。
結構、無意識ながらも自己自衛本能は備わっているようなので。

とは言え、あのようなおとなしい女性が日常的に被害に遭っているのを目の当たりにして、こころが痛む。
別れることが出来ることを祈る。
でも他人にはわからない、二人だけの何か絆みたいなものもあるのかも知れない。
だが、わたしなら嫌だ。