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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

いつも、タイトルには非常に困っている

2012-10-24 | ブログ

今日は、ちょっと個人的なメールをしていたら、時間がなくなった。


この展開は、とても嫌なムードだ。
先週も、このパターンで、時間がなくなり、バスに乗り遅れ、タクシーもなく、
わたしは強い雨のなか、ずぶ濡れ、べちゃべちゃになり、悲惨な目に遭った。
さらに、目的の案件には遅刻し、雨と遅刻で気が動転し、アタマはちっとも回らず、悪い方向に事態は進み、
いいことは、まったくなかったのだ。


それと同じようになってはいけない、と、トラウマが、ちらちらしかけている。
アラーム、黄信号ちかちか。


 


話は、突然、いきなり変わって、
どんなブログを読むか。


ケーキが美味しい。(写真つき)
・・・よかったね。


友だちとケンカした。
・・・あっそう。


どこどこに行った。(写真つき)
・・・へー。


こんなことがあった。
・・・そうでっか。


どんなことを書いても、その切り口というものがある。
真正面から見る、横から見る、斜めから見る、中身だけをくりぬいて見る、CTスキャンする、輪切りする、
人体の科学展みたいにして見る、・・・・

この切り口は、そもそも、真正面から正確に見ることができ、さらに、次のステップに進むのが良い。
基本なくして、応用に進むのは、良くないと、わたしは考える。


なので、へんてこなことを言っている、けったいな見方をする人がいても、
その人の、モノのみる目の基準、原型は、どんなのか、というのが大事。
なにも知らないくせに、知ったかぶりをするのは、よくない。(→わたし)


それと、その人物を好きかどうかで、なんでもアリなんてことになる。
人間は、理屈ではないのだ。
矛盾して、なんぼ、の生き物だ。


ウケることだけをひたすら考えて、ネタを練る。
お笑い系じゃあるまいし、でも、それが趣味なら、どうぞ。
ウケなんか、どうでもいい。
自分が興味あることをひたすら寝食を忘れ追究して、結果が、「なんも、中身はなかったわ」でもよい。
ウケようが、ばかか、と思われようが、べつにどうでもいい。



おっと。。。どんなブログを読むか、だった・・・


考察が浅いブログは、ごてっとコケる。
いとも深そうな記事タイトルに魅せられ、読んでみると、なんじゃこりゃ?みたいなのがある。
しかも、何度も同じブログを前にも読んでいる。しかも、記事タイトルに惹かれて。


同じような年代なら、夢見る若い人じゃないんだし、まあ、こけないだろう、と思っていても、
こける。
単なる好みの違いだろう。
そんな記事も、ブログ村の人気記事の上位に堂々ランキングされている。
だから、ブログ村は・・・・
(信用できない。選択基準に根拠がない)


好みが違うんだから、行かなきゃいいのに、ついつい、行ってしまうことがある。
またまたがっかりして、落胆を再認識したくて、行く、自虐的な面もあるのか。


わたしが、キライなのは・・・(わざわざ発展的でない、キライなことを書くな、と言われそうだ)
うわすべりの、うわっつらだけのもの。表面オンリー。皮だけ。
ものの考え方、追究の仕方が違う。違った方向に向けて、エネルギーを注いでいる。
根本的に思考の違いだ。
まあ、それだけのことなんで、べつに、なんの問題もなく、なかったこととしてスルー。


日常生活(リアル)においても、そういう人種とは、深く関わりはもたない。
でも、自分と同じような思考回路の人なんて、あまりいない。
孤高の人になってしまう。(良く言いすぎ)
なので、あまり、そういうことは、生活する上では、こだわらず、ざっくり、いくべきだ。
趣味の世界で、追究すればいい。


芸術の鑑賞の仕方、哲学の仕方、そのほんの一片、そのヒントを、
シンコ弟から得た。
モノの見方、感じ方は、ひとそれぞれであって、表現の仕方も、ひとそれぞれだ、ってことだ。


モノにも、モノごとにも、人間にも、いろんな面があって、いろんな交差で、何色にも見える。
面白い。


秋深し、隣はなにをする人ぞ。
と同時に、落ち葉や枯葉で焼いた焼き芋の、ほっくり感が、蘇ってきた。
どうして、おんなは、芋タコ南京なのだろう。


 


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