蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お願いというか、苦情です

2022-03-31 | ブログ
goo様へ
ブログ村へのリンクがうまくいっていません。
新記事をアップしても、ブログ村の自分のところに上がらないです。 
連結できた頃は、公開してから日が経ってから。
直して欲しいです。

この記事がブログ村の自分欄にアップされる頃には、直っているのでしょうけれど。
タイムラグ?1日以上もあるのは長いです。

お姫様ドレス

2022-03-31 | 趣味
3月は今日で終わり。
4月は春、新生活をイメージする。

昨日は退屈な1日だった。
とは言え、気が向かないとしない掃除や、冬物洗濯、衣替えなどもした。 
まあ地味ながら退廃的ではなく、かといって建設的ではないこともない。(二重否定を使う必要もないのに。ややこしい)
毎日、そう悪いこともなく機嫌良く生きていることは、わたしにしてみるとgood である。

だが、何もしなくていいことが、わたしの最大の喜びなのに、、、円安が進んでいる。
戦争の影響大。
ドル売りのタイミングは?などと考えるのが億劫。
ネット証券をスマホでいじくっていたら、とてつもなく疲れた。
何も行動しないと損に繋がるという恐怖は、欲張りな人間のアリ地獄だろう。
強欲で自分の首を絞めている。
「得すると嬉しい」で、おさめておけばよいものを「得し損なった」と嘆くのはむしろ病的だ。
福々しい人相からほど遠くなるような気がする。
大した金額でもないのに、わたしは小さな器の人間である。

さて、と。
またまたメ○カリで買ったドレスが到着した。
昨日は色々楽しいことがあったにもかかわらず、退屈している自分の精神状態はどんな打ち分けなのだろう?
「たんに老化で精神が弱っている」と、安易に安直に分析する。
しかし、このドレス。
いつ着る?
どこでこんな貴族のパーティが催されるのだろう?
「貴族」という名詞をカットすると、普通のダンスパーティはどこでもいつでも催されている。
時間帯は真っ昼間。場所は体育館(など)。
ワンコイン プラスアルファ、1000円でお釣りが来る。
卓球の試合や、バスケットボール、幼児体操、キッズダンス、、、などと隣り合わせで、貴族ダンス!!(笑
卓球の人々は、汗をかくからお化粧しない人がほとんど。
メイクしているとかえって奇妙でアンバランス。
その横を涼しい顔で貴族ドレスがよそよそと歩く。
R65。
バスや映画、美術館、などなど、高齢者割引の皆様。
なんたって、貴族ドレス。
絶対に合っていない。
それを恥ずかしげもなく着る勇気は、一朝一夕では培われない。
今回のドレスは特に貴族色が強く、さすがに、どうする?と、自問。
どうするつもり?このドレス?と。

ドレスは幼い頃から憧れだった。
娘たちは、塗り絵や、切り抜き着せ替え人形で嫌というほどお姫様ドレスで遊んでいた。
が、実際にドレスを着たことはない。
4歳女児孫は、クリスマスにピンクのお姫様ドレス(我々からのプレゼント)をゲットし、我が家で着ている。
夫の実家で、この冬、寒い寒い真っ盛りのお正月に、初めて着たノースリーブのドレスは、まあ寒そうなこと。
しかも、離れのトイレに行く時には床を引き摺るからドレスを脱いで行っていた。
すごい耐寒罰ゲームのようだ。

あのお姫様か花嫁のお色直しのようなドレスをばあちゃんは恥ずかし気もなく、堂々と着れるわけだから、恐ろしい異次元の世界である。
若い世代の人と棲み分け、同じ空間に居なければ問題がない。
切り離し、密封していれば、それはそれで世代別に完結している。
妖怪の館にようこそ。
わたしはその皆様方を見た時、最初は後退り、ビビっていたが、自分も歳を取るに従って次第に目も慣れ、麻痺してくるので、シワやたるみなども見て見ぬフリ。
ミイラ取りは、すんなりミイラになる。
別に法を犯しているわけでもなく、中高年の楽しい趣味である。
中には卓球と掛け持ちでやっている人もいる。
妖怪の館と、体育館を行ったり来たり。(同じ館内の体育館)
爽快な汗を流すのは心身の健康に良い。
貴族ドレスの人も、ほぼ普通の服の人も、同じ空間にいるから、なんでもあり。
今更、残す健康寿命を数えると、ライバル心もなく、お互いに優しい世界。
皆んなで楽しく歳を取りましょう。
会場で顔を見なくなれば、それはそれ。
また復活したら、それはそれ。
(先日は、目の前で挨拶したばかりの人が心筋梗塞?で救急車で運ばれて行った)
深くかかわらず、お互いの健康寿命がある間に出来ることをする。
出来なくなれば、またそれはそれ。
次のフェイズに移行する。
「生命」がなくなるまで。

と、抽象的なことをお気楽に書いていたら、長女からLINEあり。
もうすぐ、うるさいちびっ子男児孫たちの来襲予告。
この二人、野球盤ゲームと将棋にデッドヒートして、ものすごくうるさい。
半端なくうるさい。
アタマにキーンと来る。
今のうちに、静寂を貪欲に楽しまなければ。




リスクヘッジ

2022-03-29 | 日々のこと
リスクヘッジというものがある。
金融用語だと思うが、わたしは自分の人生に取り入れている。 
リスクを分散する。
だが、全体としては最大の利益よりは少し減る。
保険のようなもの。

1番、大事なことを先ず決める。
あとは、第2希望、第3希望、、、と順々に希望の温度を下げていく。
優先順序の振り分け、仕分け。
最下位ぐらいの希望などは、あわよくば、、、ぐらいの、がめつい欲張り希望。
自分にとって、これだけは譲れないものを柱にして、あとは少々ダメでも目をつぶる。
枝葉に囚われ、幹が折れては元も子もない。

人間を選んだり、決める時は、信頼できるかどうか。
多少の嘘はついても、優しい嘘をつかざるを得ない状況もあるので、根本的に信じることができるか。
やたら、かちんこちんで融通が効かない人であっても、芯の部分が優しい人かどうか。
偉そうにしていても、コンプレックスの裏返しであることもあるし、可愛げないとしても努力家だったりしたら大目に見ることもある。

冷たいばかりの冷徹人間は、芯の部分に辿り着く前にこちらがバテるので、長所を発見する前に撤退する。
極悪人には接した経験がないので、自分の人生の中では実例を知らない。
一見、わたしは性善説を唱えていそうだが、じつのところ、打算の塊。
自分にとって、どうか?
利害関係で何のメリットも、デメリットもない場合は、良し悪しの区別は付いたとしても、自分に関係ないのでべつにどうでもよく、関知せず。
メリットがある場合だけでなく、デメリットがある場合も要注意。
メリットとデメリットは、合わせてセット。

究極の例は、、、と、書き始めようとしたが、やめた。

だが、子供や孫たちに注ぐ愛は、見返りは求めない。
ただし、意地悪されたり、悪用されたり、そういう関係性があるなら、例外。
ではあるものの、子供は親をどんどん利用して踏み台にして成長していってもらいたい。(もちろん、限度はあるが)
儒教の教えに逆らうか。
子供は親を乗り越えてこそ、大人になる。
ギリシャ神話でもそういう寓話があった(ような)。

ちなみに、、、
春休みが始まった初日、小学3年男児孫に、長崎の話の流れから、いきなり聞かれた。
「日本は、何教?」
おっ!良い質問!
わたしは目をイキイキ輝かせて熱く語ったら、最初の30秒ぐらいで孫は飽きた。
弟と遊び始め、興味は別のことへと移っていった。
まあ質問だけでも良しとしよう。

わたしと、宗教。
語ると長い。
ので、やめておこう。

ふと、さきほど姑のことがアタマをよぎった。
宗教のことではなく、2階でお出かけ準備をしていた時。
なんだったか忘れたが(あ、姑のスカーフをより分け、その下から持っていくバックを取り出した時?)、人は亡くなっていても、まだまだイキイキ生きている。
ふとしたことで鮮明に蘇る。
特に持ち物は故人のものも、まだ現役で使っている。

と、これを書いていて、降りる駅を間違えて、えらく面倒なことになっている。
私鉄から地下鉄に乗り換えるべき駅を、JRに乗り換える駅の改札を出てしまった。
あーあ。
このコースにすると、駅から長く歩くことになる。
ただでさえ、出発が遅れているのに、益々到着が遅れる。
だが、喜ぶべきは、電車代が少し安いことと、万歩計のカウントが、がーんと上がること。
これもリスクヘッジの一つか。

ものは考えよう。
悪い面に出くわすと、良い面を見付けようとよく考えてみる。
ではあるものの、、、と、プラスに軟着陸。
めでたし、めでたし。

唯一無二がいっぱい

2022-03-28 | 無題
涙あり笑いあり、人生いろいろ、、、と、ありきたりのフレーズを書いてみる。
しかし、ありきたりこそ、幸せが詰まっている。
平凡は嫌、人と同じは嫌、、、それもモチベーションになるなら善しとしよう。
本当にこころから思っているのであれば。

クリエイターにとって(わたしはクリエイターではないからまあ助かるけれど)1番恥ずかしいのは、唯一無二の自負で発露したものが、人とかぶること。
人間だもの、同じアイデアでも当然。
苦労して苦心して力の限りを尽くして、汗と涙と血の一滴から生み出したものが、同じようなものが既に出ていたら、、、。
これとは逆の汗も血も涙も出ない方法は、、、流行っているものに乗っかる。
ちょっとアレンジを加える。
皆んなウィンウィン。
ゼロから、何もない道、獣道、荒野を開墾、開発するのは並大抵ではなく、評価も生きているうちには得られないこともある。
が、ありモノをパクるのは常套手段。
そうやって流行を作り上げて、広げていく。
だが、仕掛け側は、研ぎ澄まされた着眼点、取捨選択が要。


平凡な笑いのネタ、ジョーク、ダジャレ、オチがかぶると、あちゃーっとなるが、それも笑いにする手もある。
場の雰囲気を汲み取り、とっさのアドリブや間合いを取るのが、一種の才能かなと。
だが、お笑いにも流行がある。
かつての引っ張りだこタレント人気も全然面白く感じない、むしろ痛々しく感じたりして、時の移ろいは残酷。
時代の寵児とはそういうもの。
ファンというものは、家族ではないわけで、自由意思であっちへ行ったり、こっちへ来たり。
移動に制限も規定も、義務も責任もない。

特にバラエティ番組(首の皮一枚でまだバラエティ番組を最低限数、持っているようだが)で若い女性に対するジェンダー時代遅れ発言を懲りずにしていると、その人物が終わったことを確信する。
ではあるが、一時期でも、注目され、流行ったのだから、まあよし。
一時代を築いた、世相を反映する時代の証人。

価値観も変わる。
お笑いのネタにする内容やテイストも、時代と共に求められるものが移り変わる。
時代は敏感である。
時代劇然り。
わたしは今、時代劇を直視できない。
聞き流すことも無視することもできない。
次から次へと、ハラスメントの嵐。
作り物だとわかっているが、不快、怒りを通り越して吐き気がしてくる。
神経の傷つきやすい過敏な部分をこれでもかこれでもかと痛めつけるシーンが登場してくる。
誰に向けたらよいのかわからない、憎悪が湧き出て来る。
その大衆娯楽である時代劇が大好きな夫。
日々の安らぎ、癒しにして明日の労働再生力の糧になっている。
その貴重な糧を奪ったりすることは出来ない。権利もない。
なので、隣りの部屋との間にある扉をカチャンとぴったり閉めて、時代劇(その他も)を見てもらう。
これは、TV番組の好みだけに言及できない。
こころの扉でもある。
お互い、相手を傷つけないよう、不快にさせないよう、出来るだけ気遣いする。
考え方や感性、価値観は、変わらない。
なので、線引きする。
変えようと躍起になって無理しないで、近寄らないのが次善策。
そっとグレーゾーンを作り、交わらないように気配りする。

丸ごと全部交わる部分もあり、その部分は楽しさや喜びを共有する。
大げさかと思うほど、共通部分は増幅、増長気味に誇張気味に、シェアして、グレーゾーンを薄める。
そのうち、時は過ぎ、また移り変わる。
が、相容れないものは相容れない。
全てが同じなんていうことは、そもそも有り得ない。
ほんの少しでも重なる部分があるなら、それを大切にしなければ、、、。






小さな夢

2022-03-26 | 日々のこと
またまた意志薄弱。
自分のなかで決めたことが、またまた流れた。
成り行き任せにも程がある。
わたしの意志はなんと弱いのか。
というか、ほとんど意志がない?

こうだったらいいなぁ〜、こうなったらいいなぁ〜、と、ぼんやり思い描くだけ。
はっきり、しっかり、ピントを合わせて狙いを定めないので、第一希望がダメなら第二希望、それもダメなら第三希望、さらに第四、第五、、、と限りなく次善策を用意する。
希望などさしてなくて、なんでもいいのかも知れない。
生きていればいい。 
ただし、尊厳を守った状態で。
その他の希望が少しでも満たされたら、十分だ。
お釣りが来る。
だから、願わくば、、、と、いたって謙虚な理想を掲げる。
ではあるが、がんがん息を切らして目一杯、努力するのが、しんどいからだろう。
ローリスク、ローリターン。
あまり夢を大きく持つと、叶えるまでに歳を取ってしまう。 
もうすでに十分歳を取っているので、そんな夢を叶えるまで生きていない。
なので、小さなスパンの夢を持つ。
1日1日でよい。
あわよくば、1日1日の幸せが1年続いてほしい。
1年続いたら次は3年、その次は5年、10年、、、と、またまた欲深く。
とりあえずは1年先が今のように幸せであることを目指そう。

春一歩手前

2022-03-26 | 趣味
昨日、書きかけていた日記。
昨日から春休みの孫たちの通知簿のことや、夫の通知簿のことなど、書いたはずなのに一部が消えた。
電車内から乗り換えホームで、スマホ画面が一時、真っ白になって動かなかったあの時、次の動作に移った瞬間にたぶん消えたのだろう。
あとの残り大半に修正を加え、そして、非公開にした。
読み返して、今朝、涙。

さて、今日は無理やり頑張ろう。
楽しいはずの土日、エネルギーと情熱の源、土日が、すぽすぽと燃え盛る焚き火に水をかけるように強制的に火力を失っている。
、、、と、これを書いていて、今日の行動を変更しようかとふと思った。
あんなに自分のなかで決心したのに、結論に到達したのに、まだまだ揺れている。
揺れにまかせて、残り時間をもう一踏ん張りして悩んで、時間が来たら、その時のこころの赴くままに委ねよう。

じっと動かない

2022-03-24 | 日々のこと
今日はものの見事に動かなかった。
動かしたのは、シャープペンシル、製本型3年連記日記(2019〜2021)と、書類、目、指、手だけ。 
足と手も少し動かした。(家事)
ほとんど着席。
じっとするにも程がある。

何がしたいのか?
過去3年間の行動記録をまとめながら、1日中、考え事。
ため息。
ちょっとTVも見た。
夜のNHK「あいみょん18祭(フェス)」(1000人)。
感動のもらい泣き、、、一筋の涙。

今日、1日かけて考えた内容を趣味SNSの自分の日記に書いてまとめた。
だが、未公開。お蔵入り。
考えをまとめるために書いたので、あえて公開する必要もない。
というか、公開したくない気分。
さて、どうするかなあ。
結論はとっくに出ているのだが、行動に移せない。
抵抗しているということか。

明日に持ち越そう。
「明日出来ることは今日するな」

だが、「今日できることは明日にするな」
なんて真逆の諺もある。
物事には複数の解釈があり、どっちでもいいってことか。
とりあえず、不毛の1日は、きっと明日へのエネルギーチャージになるだろう。
なんて、ほんとなの?
相変わらず、いい加減なことばかり書いている。




アリ地獄

2022-03-22 | 趣味
もやもやする。
こころの中が、もやもや。
すっきりしない。
痛いのではなく、痒いかんじ。
はやく靄(もや)、霧が晴れてほしい。

超大国ロシアの利益を不当に得た人々が自国外に隠し持っている資産を凍結する動きがある。
ロンドンに140億円の大邸宅。
ベッドルーム、数えられないほど幾つも。

(ちなみに、ここで、大脱線)
小1男児孫が、昨夜、披露してくれたもの。
「犬の家は、どんなの?」
「ワン・ルーム!」
お後がよろしいようで、、、。

このquestion「犬のお家は、どんなの?」に、小3男児孫は即答した。
「犬小屋!」
ちゃうちゃう。
周りの皆んなは、松竹新喜劇(吉本でもいいけど)のようにズッコケる。
なんで犬小屋がワン・ルームなん?と、意味がわかっていない、この子(小3孫)、センスないなあ。
2コ、歳上にしては、、、
昨夜も、彼は、「幼稚園」という幼稚園児向け雑誌を読んでいた、、、
本人曰く「確認してんねん」
TV戦士ヒーローものだった。

と、話は横道に逸れ、強制的に元に戻す。


人の命まで引き換えにした利権や資産には、目がくらむのだろうけれど、人の道に反することをすると地獄に落ちる。
そこまでして手に入れたいものなのか。
そういう位置、地位にいると、理性を失うのだろう。(映画のストーリーなどによると)
そんな悪事をして手に入れた大豪邸での絢爛豪華な日々は輝くのだろうか。
多くの罪のない人々の血と涙の上に建つ大豪邸。
それは、幸せなのか。
ワン・ルームのほうが、とてつもなく可愛い。

この、今、世界で起きていることを書こうとすると、たちまちのうちに気が滅入り自分のエネルギーが消滅する。
生還した人が、自分は生きて帰ってきて、帰って来れなくなった人に対して申し訳なく思うかのように。
必要以上に精神が萎み自責の念でマイナスに落ち込む。
なので、自己防衛を。
自分をちゃんと強く持たねば。
自分にセルフカウンセリングを行う。
歳を取ると、こころが弱る。
(と、なんでも歳のせいにすると、深く考えなくて良いからカンタン便利スピーディ)

さて、行きの電車で書きたいことが、パッと浮かんだのだが、次の瞬間、パッと消えた。
細い弱い脳電灯。
脳の回路がヨロヨロに薄く、くたびれているようだ。
脳に人工パイプのようなステントを入れないと壊れかかっている?

が、帰りはめちゃくちゃハッピー!
楽しく弾んでいる。
 
趣味を楽しむと身もこころも爆ける。
音楽、運動、社交の3点セット。
今日は最高気分。
逆に最低気分の時もあるから、まさに一喜一憂。
趣味のことで、一喜一憂するのはバッチリ、オススメ。
同じ曜日に顔を出すと、顔見知りが増え、仲良くなり距離が縮まる。
その場だけの楽しい時間の共有は快適だ。
また同じ曜日に同じ場所に顔を出すと、同じ顔に出会える。
別の日の別の場所でも、ランダムに顔を合わせることもある。
約束しない、取り決めない、緩やかな繋がりだ。
顔を見なくなったら「あの人、見ないね」と少し話題に上がって、しばらくすると忘れられる。
それでもいいじゃない?
足を深く突っ込むと、得るものも大きいが、失うものも大きい。
ローリスク・ローリターンが軽快な選択コースである。
深追いしない。
深く求めない。
連載されるが毎回読み切りの小説かドラマのよう。
オムニバス形式か?
展開される続きのストーリーを追う必要はない。
どの回で終わってもよい。
結末のないドラマ。
これは今のわたしの理想かも知れない。

腹八分目の満足。
100%は求めない。
100%の後は、持続の苦しみと、下降の悲しみが待っている。
あるいは、終わりの無い、出口のない緊張と負荷が続く。
もっと、もっと、もっと、、、と。
自分の首を自分で絞める。

それがわかっているので、求めない。
煩悩のアリ地獄に落ちる前に、さっさと切り上げるのが賢明かと思う。
とは言うものの、心惹かれる思いが残る。
今回は、ちょっと残念だった。 
後ろ髪を引かれる。
その思いが次の行動のエネルギーになる。
今度は、積極的に出てみよう。
で、また、アリ地獄の入口まで行くのだろうか。







神様は忙しい

2022-03-21 | 趣味
わたしは、家族はなるべくメンバーを変えたくない。
娘や息子の結婚や出産で、配偶者や子供が増える分には大歓迎だ。
だが、できるだけ配偶者は同じ顔ぶれであって欲しいと切に願う。
希望通りにいかないこともあるだろうが、極力離婚は避けたい。

結婚する時に、大まかなことはわかっているが、ある意味、賭けである。
吉が出るか、凶が出るか、、、。
お互い様であるが。

その点、家族以外は複雑だ。
簡単にメンバーをチェンジ出来そうで出来ない。
仕事関係、学校、近隣、趣味関係、、、
重要度が高い順に深刻さが増す。
(そういう意味では家族が1番深刻か)

1番、お気楽な例を出す。
趣味関係。
お気楽だが、複雑なのだ。
分かる人には分かり、分からない人には分からないだろうけれど。
山奥の洞窟で一人篭って一刀彫を趣味にしている人にはあまり関係ないだろうけれど。

話の流れの中で極端な例を出すと、最近、わたしの近くにいる人は怒り出す。
やりにくい、、、。
この人物、Aさんは趣味関係の人なのだが、著しく国語理解力、想像力に欠ける。
わたしの周辺にいる人々は、機転を効かしたり、今までの例を参考にしたり、想像力を駆使したり、、、で、理解してくれる。
頭の回転はかなり皆さん、速いのでそういう意味では助かるのだが。

Aさんは、頭がカチカチ、カチンコチン。
にもかかわらず、人をこき下ろす。
人のことを理解しようという姿勢はない。
かなり性格は悪い。
おそらく昔からだろうと想像する。
趣味関係のお付き合いだから、まあ趣味の面のみで接するとよい。
が、ご一緒する機会が増え、次第次第に我慢ならなくなり、どんどん嫌いになっている。
が、いないとわたしの趣味の質が一時的に落ちる。
代替えの人物が現れるまでの辛抱だと自分に言い聞かせ、じっと機会を待っている。
人の性格は直らない。  
変えようとしても変わらないなら、人間ごと入れ替えると手っ取り早い。
なので、首をすげ替えようと思っている。

好機が来るのを忍耐強く待っているのだが、なかなかその時はやって来ない。
頑張って耐えて待っていれば、やがて、、、と思っているのだが、、、
なかなかその時がやって来ない。
花が咲かない。
悪い時間を過ごすのは自分にとってマイナスだ。
芽を出すための土が腐る。
1秒も早くストップしたいところだが、、、。

神様はわたしを救ってくれるか?
微笑んでくれるか。

こんな大変な時代に、何をたわけたお気楽なことを言っているのだろう、、、わたし。
神様にお願いすることは、そんなことに使ってはいけない。
宝くじが当たりますように、、、とお願いするようなもの。
雨の日も風の日も嵐の日も、お百度を踏んで家族の病気が治りますように、、、などの祈願成就、祈りにも近い、もはや神聖な域に入るようなこと、、、ではない。
○○試験合格祈願も、やることをやってからお願いすべき。
しかも実力と程遠いお願いは、たまたま、まぐれ当たりでクリアしても、後で大変な目をすることになる。
どこかで、苦労する。

神頼みは、真の願い事のために取っておかねば。

抗生物質や劇薬をいつも服用していると、いざという究極の時に効かなくなるのでは?という恐れをわたしは持っている。
なので、神様には特別の際に働けるようパワーをチャージしていただいて、通常はあまり神頼みをせずに、自然体で行こうと思っている。
神様もしょっちゅう出番があると息切れする。
目一杯働いてもらおうとすると、それなりの力配分、案件配分、時間配分が必要かと。

というわけで、今のところは自力で時が来るのを待っている。
良い人が現れるまで、1年とか1年半ぐらい待ったという話を聞く。
出会う時には出会うものらしい。
まあ、気長に待つしかないか。

そのうちまた事態は変わるかも知れないし。
行き当たりばったりでもいい。
それが自然な流れなら。

万事を尽くして天命を待つ。






腐っている日

2022-03-20 | 日々のこと
さて、何を書こう?
いつも、最初に、うーーんと唸る。

最近、「何を考えようか」と考えることが多くなった。
これ、ある意味、末期症状?
終わりの始まり?

いよいよ考えることがなくなったらどうするつもりだろう?
日課時間を意味なく引き伸ばす?
2分で終えることを30分かける?
やだやだ。
そういう時間の使い方はしたくない。

趣味関係のお仲間で、なんでもかんでも、やたら早く動作を終える人がいる。
わたしは、スローモーション傾向だから、いつも急かされる思い。
速くしても、あとは待ち時間をぼーっと何もせず退屈して過ごすだけ。
その人は速く済ませたいのだろうが、その速さに付き合わされる、正反対タイプのわたしは、すごいストレス。
次のスケジュールが押しているならいざ知らず、ゆっくり余裕をもって時間を設定してあるのに。
性格の違い、って、相性問題。
この人と家族でなくてよかった、と心底思う。

やはり家族は良い。
絆が強い。
一生切れないつもりでいるから、その思いは良い時は良いが、悪い時はそれが鬱積し出口がなくなる。
煮詰まる。
だが、そうこうしているうちに事態は進む。
例えば、相手が成長したり、弱ってきたり。
この世に生を受けたり、この世から去っていったり。
1ミリも1グラムも1μも違わず同じく状態のまま、動く、進むというのは、生きている限り難しい。

この考え方を家族ではない人にも適応したらよいかも知れない。
もう少し、結束や絆の基準を緩めて、自由度を持たせて。
逆に、家族に対しても、あまりきつく締め付けないで、緩やかな開放面も持たせるのが良いのでは。

緩めたりきつくしたり、行ったり来たり、試行錯誤で、頃合いの良いあたりを探りながら進むのが良い。
決めつけないことが良いかと思う。
柔軟性を持たせること。
今日はイマイチ理想的ではなくても、明日も明後日も今後もある。
結果にいちいち一喜一憂すると疲れる。
毎日が平坦過ぎて退屈なら、メリハリは良いのかも知れないけれど。
良い時も悪い時もあるから、気持ちを大きく長いスパンで持つと良い。

とかなんとか、、、
実は今日は、趣味関係の人に不満がくすぶっている。
それに対して腐らないよう、自分に言い聞かせている。
腐る腐る、本当に腐る、、、わたし。

そんな日もある。
明日はまたいい日になる!