命を削る
ものすごい開放感とともに、抑圧されていたエネルギーが一気に吹き出した。
手に入れた、この自由!
さあ、何をしよう!?
趣味の英会話を楽しんだり、講座を受けに行ったり。
でも、趣味の人ばかりで本格的な人はいなかった。
片手間、息抜き、暇つぶし程度の気合ぶり。
ではあるが、高い理想を掲げ本格的にやるには、わたしのサボり体質、頭脳の頭打ちが邪魔して、英語系の仕事にはたどり着けなかった。
「英語」がダメ、となると「国語」で行こう。
舵を切り替えた。
同時に、フリーペーパーで地域レポーターが募集されていて、飛び乗った。
早々に英語は脱落、記者の端くれとなった。
とてもオフィスとは言い難い、雇い主の仕事場は、古ぼけた団地の一室にあった。
ちょっと斜に構えた、業界人くずれをきどったような雇い主は、自分が請け負った仕事を、雇った人にやらせ、マージンを抜いていた。
でも、あちこち駆け回り、茶封筒に入れられ手渡された、一記事二千円の代価に、満足していた。
さらに、大都会大阪の会社で、記者募集があり、応募した。
ピカピカ大企業社屋ビルでの面接に目を丸くした。
こんな会社に勤められたら、どんなに素敵だろう、、、と、わたしは目を輝かせた。
苦しいぐらいに恥ずかしい。
苦しいを通り越して、きりきり痛々しく苦痛。
特に、仕事で恥さらし的なことをした時。
出来もしないことをさせられ、恥をかいているのに、仕事になっている。
それでお客様は代金を支払っている。
支払う側も大きな会社の雇われの身だから、自腹ではないので痛くも痒くもない。
しかし、なあ、、、
お金をもらうからには、それに相応しいことをすべき。
お金の流れとしては、非常に両者、円満なのだが、わたしの仕事レベルでは、まるで、詐欺である。
わたしは、クライアント会社の社員さんにレクチャーをしに出向いた。
素人さん相手ならともかく、企画部の人様相手にレクチャーなど、とんでもない。
堂々と、デタラメをそれなりにハッタリ、ならまだしも、いかにも自信がない、いい加減な適当なレクチャー。
早口でペラペラ、薄っぺらく、用意していたものを読んだだけ。
専門的でもなんでもない。
ああいう仕事を何回もした。
ひどく精度の低い仕事。
あんなことは、もう二度と、ごめんだ。
最低の仕事なのに、お金がもらえる。
良心の呵責に苛まれる。
でも、誰も泣きを見ていない。
誰にも迷惑をかけていない。
お金を支払う会社も、支払ってもらう会社も、円満。
実に不思議なお金の循環。
世の中には、こういうことはよく行なわれているのかも知れない。
例えば、年度末の予算の使い切りとか。
必要なことにお金を使うわけではないのに、使い切ってしまわないと、次年度の予算を確保できない。
不必要かも知れないのに、立て続けに行なわれる公共事業とか。
思い出したくもない過去である。
元職場の後輩、A子。
29歳で途中入社し、当時30歳ちょっとぐらいの頃だっただろうか。
将来の希望はファッショモデルだったそうだ。
ファッションモデルは努力してなれるものではないと思う。
洋服を素敵に着こなすためには、ある程度の身長、スタイルが必須。
トランプ夫人のメラニアさんや、娘さんのイヴァンカさんぐらいなら文句なく合格。
顔は、最近は個性派も、あり。
なので、美人でなくても、存在感があればいい。
ただし、死神や貧乏神のような、見るからに陰気くさいとか、どこをどう取っても陰険、性格悪そうとか、目と目が離れすぎとか、口がいくらなんでも大きすぎ、とか、万人には受けなくてもほんのレアな人にも受け入れられないような顔は、やはりリスキーすぎる。
でも、まあスタイルが良い人はなぜか、顔も良い。
スタイルだけが、ずば抜けて良い場合も、存在感を放つ人がいて、顔は絶対必須とは思わないが、同列に立ってボーダーラインで競争した場合、顔が良いほうが人気があるだろう。
なので、理屈をこねても、仕方がない。
顔も大事な要素ということだ。
というわけで、努力の前に、ファッションモデルになる基準を満たしているかどうか、第一関門を突破しないと、努力をしても意味がない。
で、A子さんは、どうだったかと言うと。
身長160センチぐらい、標準体型。もう少し足が長いと、もうちょっとだけサマになるかも。というレベルである。
その身長の時点で、ファッションモデルはアウト。
誰も周りでアドバイスする人はいなかったのだろうか。
まさか本気だと、誰も思わなかったのかも知れない。
顔は美容整形のビフォーアフターの、ビフォーのような顔。
整形したり、整形メイクのしがいがある顔だった。
ただし、整形も整形メイクもしていない。
素肌美、ナチュラル系という路線もありだから、まあそれは良いとしよう。
性格は、根っから暗い、恨み節。
自分の不幸は人のせい。
自分の不幸の上に人の幸せが成り立っている、と、本気で考えている。
表情や言語行動にも現れていた。
仕事能力は、さほど高くない。(まったく人のことは言えないが、、、)
作業系のほうが向いているかも知れない。
少しぐらい褒めてもいいはずのA子。
もう少し頑張って長所を見つけてあげなければ。
彼女は、自分の能力を客観視できない。
客観的に考えたり見たりしたら、分かりそうな事なのに、評価は自分に甘く、人に厳しい。
他者からの評価が自己評価より低いので、またまた恨み節に磨きがかかる。
ファッションにもちゃんと興味があり、清潔な装いをしている。
見た目には問題がない。
考え方と、その考え方を基礎にした行動に問題があるだけである。
親友はいないようだ。(いなくても構わないが)
トラウマこそ受けなかったが、わたしと仕事を一緒にしていた関係。
好きになれないと感じた、二人目の人物。
わたしがその時、悟ったのは、職場は友達を作る場ではない、仕事をする場である、ということだ。
そして、世の中にはこんなに自分を客観視できない人がいることに驚いた。
知識や常識、見聞も、人によって随分違うことがわかった。
ひとつの、記憶に残る勉強になった。
婚姻関係を結んでいる家庭以外に、生きる道がないからである。
選択肢がない。
一生、縛られた生活。
あまりにも自立していなさ過ぎる。
そんなの、イヤ。
自由主義経済、自由競争のほうが、生産性が高い。
競争は向上につながる。
昨今、日本でも離婚、再婚も多くなってきた。
時代の変化と共に、価値観も変化する。
養ってもらっている身では、弱い。
逆手にとって、逆ギレして開き直り、悪妻の限りをしつくすのも、ひとつの方法である。(良いか悪いかは別にして)
わたしは、家事が苦手であり嫌いであるが、自分を評価される分野は、家事であるとわかった時、天職ではないと思った。
では天職など、自分にあるのか?
ない。
が、若い自分は、自分に(根拠のない)可能性を感じていた。
家事もまともにしないくせに、特技はあるのか?
ない。
じゃあ、家事をやっていればよかったのでは?
プロ主婦目指して。
しかし、、、
不得意分野で戦わされるほど辛いことはない。
どうせなら、得意分野で苦労したい。
得意分野などないくせに、なぜかあるような気がした。
たんなる「勢い」だ。
と、「好き」と「得意」をはき間違え、若さ故の勘違いをして、働きに出たわけである。
人に喜んでもらえるのが、うれしい。
そういう連帯感を伴った価値観が、震災後、人々のこころに新たに加わったのでは・・・
と、先日、テレビ番組内で糸井重里氏が仰っていた。
だが、相手が喜んでくれても、自分が喜べない内容なら、単なる相手に対する依存にすぎない、
と、あるブロガーさんは仰る。
以前に、仕事を通して知り合った、ある方、T氏が、自分の失敗談を話してくれた。
T氏の知人の、ある風俗嬢に、直接、面と向かって、風俗嬢の存在価値を否定したそうだ。
すると、その風俗嬢は、ブチ切れて、履いていたブーツで殴りかかってきたらしい。
「わたしは、お客さんに喜んでもらっています。
人に喜んでもらえること、すなわち、自分の存在価値があるということです!!」
ズタズタにこころを傷つけられたその風俗嬢は、二度とT氏と会うことはなかったそうだ。
いくら自分と考えが合わないからって、人の価値観を否定してはいけない。
ちなみに・・・
わたしも、T氏に、アタマから存在価値を否定されたうちの一人。
その風俗嬢のように、ブーツで向かって闘えばよかったのだが、
あいにく、わたしは、とんがりブーツを履いていなかったし、武器にしては、中途半端。
わたしは、その人の事務所に、怒り収まらぬまま、湯気があがった、抗議文をファックスした。
先日、そのファックス原本が、ゴミ箱がわりにしていた箱の奥底から出てきた。
自分でそれを改めて読んでみて、顔から火が出るやら、なんやら・・・まあ、お恥ずかしい・・・
人間には他人には触れられたくない、ナイーブで、デリケートで、センシティヴな部分がある。
(英文字でなく、カタカナなところが、和製英語ニュアンスの表現になってます)
特に社会人にとっては、職業を否定されると、頭上から隕石(いんせき)が落ちてくるような衝撃で
ぺちゃんこ、木っ端微塵に砕け散る。
「おまえは、この仕事をするに値しない」なんて、よく、言いますよね。Tさんよ。
しかし、導火線は、実は、わたしにあった。
その人の仕事のある一端を見て、全面否定してしまったのは、わたしが先だった。
なので、相手は、逆襲してきたということになる。
自分のやったことと同じことを相手にされ、自分のしたことが、わかったというわけだ。
10年以上たって、気が付くのは遅すぎるけれど。
わたしの怒りは相当なものであったが、相手も同様。
お互い、生きていくうえでの「プライド」を傷つけては、いけません、ってこと。
今、思っても失礼だったかと言うと、やはりわたしの感覚では、今も、同じ思い。
プライドを傷つけたのは、悪かったが、T氏の仕事のやり方に対しては、やはりわたしは、無理解。
そんな傷を持ち合う、犬猿の仲ではあるが、毎年、年賀状はやりとりしている。
再会、和解の提案らしきものが、ここ最近、先方から伺える。
でも、わたしは、和解する気なし。
もっともっと時間が経って、なにもかも理解し、あるいは、理解できないままでもいいじゃない、
と、悟れば、また、交流は再開するかも知れないが。
いえ、やはり、人間は、一度、傷つけられたものに対しては、なかなか傷も癒えないし、
もう一度やり直そうという気には、なれない。
時だけが解決してくれるのだろうか。
職業に対しても、一生、理解できない職業もあるかも知れない。
なにも、あえてそんな、火と油のような人同士が、同じ居場所にいる必要もないかも知れない。
ののしり合う必要はなく、そっと静かに、距離をおいていればいいのでは?
眠った子を起こすような騒ぎに発展しないように。
これって、根本的解決ではなく、いたって消極的。
だが、ほじくっても、不毛なものもある。
で、・・・
そのわたしの怒りのファックス、まったく仕事とは関係ないことを延々と綴っていて、
自分のプライドを守るのに必死なのはよくわかるが、
当時の自分は、あほみたいで、面白いような、かわいそうなような、幼稚なような、複雑な心境だ。
ま、相手は頑固一筋で、独特の世界観を持っているので、
一般凡人には、理解できないのは無理もないこと。
へんに噛み付いた自分が、なにか、どこやら、青かったような気もする。
逆襲されて、負けるんなら、やめときゃいいのに。
不毛なケンカは、しないこと。
わたしは、往々にしてブログに取りかかり始める時間が遅い。
電源を切って、切り上げなければいけない時間が、決まっているので、
時計とにらめっこしながら、時には、遅刻の危機にさらされながら、
焦って、冷や汗をかいて、ふーふー、ブログをアップする。
そんなにまでする必要なんて全くないのに。
余裕を持って取りかかろうとすると、なんか、パワーがあまり湧き出てこない。
作動するまでに時間がかかる、旧型マシーン。生まれつきのようだが。
ノリ始めると、今度は時間との戦い。
ブログだけでなく、一事が万事、そう。
いわゆるスロー・スターターだ。
火事場の馬鹿力を期待しているわけでもないのだろうけれど。
じわーっと温まるまでに時間がかかる。
脳の細部に到達するまで、伝達ラインが細くなっているのか?混線しているのか?
喜びも、怒りも、悲しみも、そう。
反応が鈍い、感じるスピードが遅いようだ。
(映像には、即座に反応するのに)
アタマに石が落っこちてきても、「イタ~」と感じるまで、溜めタイムがある。
ダンスでは、そういう、わざと溜める踊り方を良しとする方(先生)もおられるようだ。
きちんきちんとカウント内に収めるのではなく、ほんの短い「ウン」の呼吸分、溜めてから、次の動作に入る。
動きにメリハリが生まれる。
別にダンスをしているわけじゃないので、
冷や汗かきながら、遅刻の危機と直面しもって、バタバタ、なんて、事故のもとだ。
以前いた、職場のT君は、まさにそういうタイプ。
(やっと、ここまできて、本題? 遅~)
いつも遅刻。
事務所に顔を出すのが遅いだけなら、まあまし。
仕事が速いなら、フレックスタイムでもいいわけだし。
ところが、彼は、仕事も遅い。
仕上がるのも、いつもギリギリか、ちょっと遅刻。
見直したり、訂正したりする時間がギリギリ。余裕の時間というものを設定しない。
なので、ちょっとでもアクシデントがあれば、絶体絶命。
それで何度、迷惑をこうむったことか・・・。
彼は、やる気がないのか、それとも、フルに100%頑張っても出来ないのか。
同じ条件で仕事をしている人と、そのあたりで差が出る。
能力の問題か、気力の問題か。
両方は、リンクしているようだ。
見かけ、ルックスは、良かったんだけどなあ・・・。
美しく整った顔、すべすべのきめ細かい、シミひとつないお肌。
人間には、「見かけ」分野と、「中身」分野があるんだ、ということを知った、いい研究材料でもあったT君。
そして、中身にも、能力面と、性格面がある。
さらに能力面にも、技能と、精神。
心技一体なんて、スポーツの世界ではよくいうけれど、あれに近い?
性格面は、また別で、
「ああ、あの人は性格がいいのに・・・・」と、仕事がデキない場合なんかに、よく引き合いに出される。
(わたし、その典型です)
性格もよくて、仕事もデキて、・・・そういう人は、なかなかいないが、どちらかが良ければ、まだマシ。
しかし、自立して食べていくのに、性格だけが売り、というのも、ツライものがある。
人の嫌がる仕事でも引き受けるぐらいの、性格プラス「根性」が必要。
でも、不自由のない生活に慣れて、ハングリー精神がないと、無理かも。
わたしも、そう。
昔は自分を追い詰めたら、なにかしら力が出て、ギリギリで及第点すれすれでも、どうにかやって来れた。
でも、今は・・・あきません。
能力低下、モチベーション低下、それを許してしまう自分。
あきらめの境地は、人間をどんどん低下させる。
低下なのか、老化なのか、それとも、もともとサボりだったので、
手抜きに対してお咎めがないので、わーい、楽だ、楽だと、喜んでいるのか。
そうやって、さらにさらに、サボり&パワーダウンのスパイラルに陥っている。
たったひとつ、自分で良かったかも知れないことは・・・うつ病になりにくいことだ。
生真面目、几帳面に完璧を目指さないから。
というか、目指せない・・・(悲しい・・・)
一長一短、なにごとも、裏表あり。
あ、そうそう、ルックスのいいT君。
ルックスを活かしきれないまま、年を重ねてしまい、ちょっと残念なことになった。
自分のルックスは、言及に値しないので、論外です。
ちなみに、昨日の自作トップ画像、デザインセンスなし、と、リアル人に言われました(泣
確信犯だから、気にしませんが(泣
昨日は、仕事納めなのか、あいさつ回りなのか、大阪市内の車道は、とても混んでいた。
今日で、オワリというところも多いだろう。
明日は、大そうじで、これでオシマイというところもある。
「世間的には、どうなんですかねえ?」
と、あるミドル男性。(40歳ぐらい?)
いろいろ、とてもよくご存じ。
営業であちこち回っておられるので、目で見、耳で聞き、土地を見、人を見る。
日本の過去・現在・未来。
人や、モノの動き、土地の動きで、微妙なところを直接、現場の空気や肌で感じ取る。
「今の若い人は、車を持たない生活が、ステータスなんです。
車がなくても、やっていける便利な生活を送ることが望まれています。
僕たちの世代は、車に憧れたものですが、違うんですね」
忘年会もない、飲みにも行かない、
休日は、朝早くから起きて、ゲームと一日中、格闘。
それが、若いひとたちの充実した休日の過ごし方だと仰る。
休日ぐらいは、人間相手から解放されたい?
旅行も行かない。
家も、プラスアルファは、求めない。
標準で十分。そのお金があれば、他にまわす。
キーワードは、「おうち」、「自然志向」、「標準仕様」。
べつに人と変わったことをオーダーメードしてまで、頑張らない。
このミドル氏は、ご自分のことはほとんど語らない。
下町生まれ、下町育ち、
「僕は下町の人間ですから、高尚なことは一切わかりません」
その一本やり。
「僕は、乗り物好きなんです」
いかにもクルマ好きというかんじの黒光りした、内装もオール黒革張りのBMWを乗りこなす。
どっしりした安定走行、重く響くエンジン振動、
内臓の奥まで、ず、ず、ず、と来るかんじは、ある種独特の上質の味わい。
クルマの虜になるのは、よくわかる。
このひとは、若い人たちや、下町以外の人とは、はっきり線引きをしておられるようだ。
話のちょっとしたところに、それを感じる。
わたしとの共通点はないのだが、話していると何時間でも話は続く。
なぜなら、彼は営業だからだ。
営業のひとって、話がうまいとつくづく思う。
まるで、共通点があるような、話が合うような、前々から知っているような、そんな錯覚を感じさせる。
それは、お客さんに合わせているから、お客さんの興味のありそうなことばかりを選んで話しているからだ。
その自然に見える絶妙なテクニックさゆえ、お客さんは、それを勘違いして、
自分自身がいろんな世の中を知っていたり、あれこれ知ったり体験したりしているかのように感じ
なんだか、良い気持ちになる。
それが、「手」、なのだ。
営業といっても、単にやみくもに、モノを売る営業はだめ。
例えば、語学だけができる、こういう人は、通訳や、翻訳、語学系の教師をすればいい。
専門がある上に、さらに語学ができると、奥行が出る。
鬼に金棒。
それと同じで、営業にも、「企画営業」などもそうだが、
専門を持ち(例→国家試験・有資格者)、その分野の営業をする人、
そういう人の営業は、お客さんの相談にもちゃんと乗れるし、その分野自体の経験も積んでいるので
話に実用性や、信憑性、実効性、重みがあり、中身が濃い。
このミドル氏は、初めてお会いした時は、う、うう、う、となるぐらい、わたしの嫌いなタイプだった。
でも、彼氏や結婚相手を探しているわけではないので、
ビジネス内容、対応が、いかに誠実で真面目で、ミスがないか、それにつきる。
(分野によっては、提案性は、不可欠)
あとは、フリートークのおもしろさ、個性、話題性、爽やかさ、言葉づかい、
そういうものが加味されたら、ばっちり。
だてに、ミドルではない。
そう感じた。
わたしも、見た目や第一印象をひっくり返すぐらい、
中身の濃い、そういうキャラクターになりたいと思った。
それには、やはり、中身を磨かないと無理だ。
しかし、わたしはミドルか? たぶん、ミドル。
ま、それはそれで、いいとして・・・。
そうやって、自分の器を広げて、大きくしていくべし。
そう言っていたのは、勘違いの体現者、最たる人物。
とある、成り上がりの社長さん。
私が2年近く、仕事で担当していたお方。
彼は、前だけを見て疾走した。
大いなる野心を抱き、突っ走った。
根性は人一倍、努力も惜しまない。
ただ、手段がちょっと・・・と首をかしげたくなることも・・・。
新入社員をとてつもなく大量に採用した。
「1000人採って、3人、いいヤツがいたら、それでいい」
と彼は言い、落ちこぼれの不良崩れのような人をすくいあげた。
学歴は中卒、高校中退がほとんど。
なんらかの事情で、勉学が続行できない、学校に在籍することが困難になった生徒たちだ。
メンバーの顔触れは、ちょっと、すごい。
一癖も、二癖もありそうな面々ばかり。
事件に巻き込まれる可能性のある族も、ちらほら。
その彼らが、敗者復活をかけて戦う。
目標は、社長だ。
成功すれば、あんなに高級な車に乗れる、高い服が着れる、
高いお酒が飲める、いいところに住める、いいオンナがついてくる。
社長自らが、サクセス ストーリーの お手本、見本として、若い社員にハッパをかける。
頑張った者には、ご褒美。
それも、ハッキリ、わかりやすい。
ラスベガスに、豪華ギャンブル・ツアーご招待。
田舎から両親を呼んで、表彰式に招待し、目の前の晴々しい壇上で成果を称賛する。
夢を具体的にイメージしにくい、落ちこぼれの青年(少年)たちは、
目の前にぶら下げられたニンジンを見て、興奮する。
やる気、むんむん。
要は、モチベーション、やる気、動機。
それと、チャンス、きっかけ、受け皿、活躍場所。
それらを同時に提供し、目標を持たせて頑張らせる社長。
今、目を輝かせる若い社員に、若き日の社長を見出す。
自信喪失→失望→絶望→やる気消沈→自暴自棄
そこからの転換。ギアチェンジ。
しかしながら、キレイごとだけでは、すまないのがこの世の中。
ハッピーエンドで終われる人は、いったい何人いるのか?
草食系男子が増殖する昨今、
ニンジンの傾向や、ご褒美の質は、時代とともに変わる。
ハングリー精神を喚起するにも、ハングリー精神自体がなくなってきている。
さてさて、これからは、若者の目に映る魅力あるものとは、何か。
社長の時代は、終わった。
ほんのつい最近の出来事だったのに、時代の移り変わりは速い。
ま、そういうこともあるのが、人生。
いろんなお方がおられます。
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