La douce vie

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アイスダンス:村元・高橋組 世界選手権デビュー

2022-04-02 | figure skathing、ice show

村元・高橋組

RD

私は和のプログラムがあまり好きではないので、最初、ソーラン節と聞いた時は正直、あぁ、和プログラムか、と、がっくりきていたのだけど、五輪イヤーのRDの中でも飛び抜けて1番好きなプログラムになるとは思ってもみませんでした。憂いのある唄とあのスケーティングがなんとも合うんですよね。二人は音楽を支配し、他の組とは一線を画す表現を作り上げました。ソーラン節を使おう!なんて、思いつくこと自体発想が柔軟で驚きます。

ズエワ陣営の振付師がソーラン節は手に負えないと思った時、矢内康洋氏を引き入れる潔さが功を奏したと思います。氷艶の副産物となったプログラム。ズエワ氏の来歴からいっても、この異色のプログラムの振付師として(共同作業と明記されているけれど)ご自身の名が刻まれる事は悪くない、と思ってらっしゃるのでは?技術の向上、成績の向上が一番の仕事であるけれど、村元・高橋組の作品を作り上げる作業というものは、偉大なカップルと仕事をしてきたズエワコーチのキャリアの中でも楽しい作業だったのでは?

ツイズルのミスが残念でしたが、スコット・モイヤ元選手だって、たしか、NHK杯か四大陸でツイズルのミスをしていたものです。前にアイスダンスのミスは少ない、と書いたことがありましたが、考えてみたら、大きな大会でトップチームでもミスをした記憶がちらほら。アイスダンスも6点満点時代から変わって、進化して攻めてリスクも負うように変化しているんですね。

FD

恐らくラ・バヤデールの終演。全日本ほどではないけれど、硬さを感じたのはやはり世界選手権だからか。

村元選手のネイルがRDと違ってキラキラしている。この二人はオシャレ番長でもある。

最後まで、プログラムのブラッシュアップに余念がないですね。私がわかる範囲では二人で組むところが増えたことや、リフトが1つ変わっていたと思います。新しいリフトを下ろすタイミング辺りから何かタイミングをお互い探り合うような微妙な硬さのように感じましたが、競技である以上、ミスはミスだけれど、やはりこのプログラムは美しい。

RDの和プログラムとのコントラストが明確で、アグレッシブなソーラン節と違った一蹴りの柔らかさ、花びらやオードパルファムを撒き散らすかなような腕のひと振りから、表情まで何もかも違う。スピンもツイズルも、お互いの顔をなぞるような仕草も、宝石がちりばめられたオルゴール付きの宝箱を開けたような気持ちになります。

個人的にズエワコーチのバレエプログラムを見てみたかった、という願いが叶ったことも嬉しかった。

二人の契約?は今シーズンまでとの事で、この先どうなるかは分からないですが、まずはこの2年間とても素敵な作品で、予想以上の技術向上で楽しませてくれて感謝しています。予期しなかった髙橋選手の第三章なのかカーテンコールなのかアンコールなのか、素晴らしいものでした。私は競技の鑑賞ファンとして、二人の成長や作品を楽しみました。元巨人の桑田投手が確かメジャーリーグを目指した頃、目標に向かって努力する過程が大事なのであって、結果が達成されたかどうかはそれほど重要ではない、と言っていた言葉を思い出します。

なんてしっくりくるお似合いの二人と思う陰には手足のポジション、カウントや間の取り方、表現方法を合わせる徹底的な練習があったのだと思います。

アイスダンスにはリフトが不可欠。上半身の筋肉アップトレーニングは凄まじものがあっただろうし、リフト、二人で組むスピン、ユニゾンと次々新しい事を身につけるのはこちらの想像をはるかに超えたトレーニングがあったのだと思います。

それを村元選手が基礎から支えて、身につくまで何度も何度も二人で練習を繰り返しただろう事、そして村元選手も髙橋選手との新たなユニゾンを模索したであろうこと。常に髙橋選手をリスペクトし、二人のモチベーションを高めるコメントを出す賢明さにも感心します。

技術的に短期間で急成長を遂げた分、反動も大きく、なかなか、クリーンに滑ることが難しいという側面もありました。FDは2年継続とはいえ中身は試合事に大きな変更が分かるくらいで、高橋大輔というスケーターを前にして、あれもこれもできるなら、やらせたい、というコーチの想いはかつてのコーチや振付師も同じだったろうし、パート練習などでは簡単に出来てしまっていたのでは?

10代や20代前半から基礎からコツコツ積み上げたほとんどのアイスダンサーとの成長曲線や安定度が違うのは仕方のないこと。

また、近くに小松原組という素晴らしい目標があったのも大きかったですね。髙橋選手がシングル時代に織田選手と競い合い2人で世界のトップへ昇り詰めたことを思い出します。身近によいライバルがいればお互いに著しい成長を見せるのはどの世界でも同じですね。鍵山選手と宇野選手も素晴らしい関係性を築いてますね。かなだいの結成がなければ、小松原組という素敵なカップルがいたことも知らなかった私です。

話は戻って、二人の今後の契約は4月に発表されるようですが、二人が出した結論を支持します。スポンサーの問題や、トップアスリートとして続けるための体のメンテナンスなど、簡単にすぐ結論が出せるものではないでしょう。

もし、続けると決意したら、今までと同様に二人が辿る前例のない競技生活と作品を他と比較することなく楽しめたらと思っています。

 

パパダキスス・シゼロン組凱旋の金メダル

FD

男性の衣装、北京の赤より今回のブラウンの方がカップルとして合ってると思う。北京では金をとってくれてホッとしました。

テレビでも感じるひと蹴りの質の良さ。二人のディープエッジが他のスケーターより深いからくね〜ん、とした軌道になる。スピードもあるので、沢山の技術が組み込まれている。寸分の間も感じられないプログラム。ずっと目がスケーティングに釘付けになる。腕の組み方が個性的!トップスケーターは常に競技を前身させるのだと思いました。

最後のアップでパパダキスのネイルがウクライナ国旗になっているのがくっきり。

ヴァーチュ&モイヤ組の大きな潮流から、新たに流れを変えたパパシゼ。

ヴァーチュ&モイヤが髙橋、ランビエール系のドラマチックなアイスダンサーだとしたら、パパシゼは小塚、パトリック・チャン系のスケーティングで音楽を表現するタイプのスケーター。このことを理解できたのは結構時間が掛かって、浅田真央さんの「愛の夢」を見た時に何かを感じたて、小塚君の現役最後の3年くらいのFSを見て、理解したもので、小塚君が出始めた頃から、この事を理解して賛辞を送れなかった事をとても悔やんでいます。(こんなブログでそんなことを書いているなんてご本人は当時も今後も知りもしないでしょうが)

宮本さんの解説はいつもすべてのスケーターに温かい目線でポジティブで控え目な解説は有難かったです。(今回は二組だけど)私は気に入ったプログラムは繰り返し見たいので、そういう時に解説が演技中にネガティブなコメントをしたり、素人には見て分からないミスを指摘したり、言葉が多すぎて音楽の邪魔になるくらい語りだされてしまうと、テンションが下がるので、仕方ないので言葉が分からない外国語や実況が一切ない動画を探すことにしています。本当は収集癖があるので、ブルーレイに残したい、そういう時は宮本さんのポジティブで声の強さも控え目で技術面のコールも考え抜かれたあの解説が好み。

宮原選手引退発表

現役引退を発表されました。

一番心に残っているのは「ミス・サイゴン」スケート・カナダで目の肥えたカナダの観客がまだそれほど知られていない宮原選手の演技の良さをすぐ見抜き、スタオベしてくれたことが忘れられません。

そして、平昌での完璧なフリー。ジャンプやスピンの難易度、スピード、これぞ、宮原選手!という両回りのスピン。振り付け、エレガントさ、表情の豊かさ、」衣装のセンス。すべてが揃っているというのはこのこと、という演技でした。

層の厚い日本女子を引っ張ってくれました。

いつも高難易度の技術をエレガントな演技で美しくパッケージしてかれました。

本音では個人的には五輪も世界選手権も出場させてあげたかった。

宮原選手のパッケージこそ、私の中では女子フィギュアスケートの理想形だと思っています。

(ただし、今回の五輪代表選考に関しては総てのカテゴリで納得しているので、選考されたスケーター達は選考される実力を証明し、選考されたのだと思っています。)

今後はプロスケーターで競技という枠から解放された宮原さんの素敵な演技を見ることを楽しみにしています。

カナダチーム

素晴らしい練習環境、コーチ陣、目の肥えた温かなファンと、カナダからは次々と個性的で素晴らしいスケーターを産み出してきたし、今後もそれは絶えないだろうと思っていたのに、今はバンクーバーから次の世代への境目なのでしょうか?少しカナダチームは元気がない印象。

振付師もコーチもフランス(隣国)拠点がクローズアップされた大会で、ずっと中心にあったカナダは少し影を潜めた大会でした。

パトリック・チャンもスケートとは違う仕事をしているのも正直寂しい。パトリックのスケーティングはカナダだけでなく世界の宝だと思う。

さて、今回の世界選手権は日本人にとっては2012年のような喜びがあるような半面、2011年の苦しさ、どこかで100%楽しみに気持ちを持っていくのは難しい世界選手権でもありました。政治的なことをこのブログで書くことは控えるよう心がけていますが、生きとし生けるものすべてにやすらぎを願わずにいられません。

また、特殊な世界選手権だった事実はありますが、選手は条件を選ぶ立場にありません。たらればも意味がない。どの種目もどの順位も歴代の世界選手権と同じ価値だと思います。



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