常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

英語学者の長唄

2020年09月25日 | 日記
秋雨である。今日は戸外には出ず、運動は昨日に続いて階段を歩くことにする。こんな日は、本棚を探して読む本を見つけるのが楽しい。大学に入って期待していたのは英語の授業であった。高校で自分が得意にしていた学科が英語であったからだ。しっかりと英語を身につけ、できれば英語の教師になることが当時の目標でもあった。英語の授業は二人から受けたが、その一人が田中菊雄先生であった。田中先生は北海道の生まれで、自分を熊といい北海道から
きた学生を熊と呼び、この学生たちを集めて「熊の会」をつくり、折に触れてコンパを開いて懇談した。「君たち、試験の答案には隅に小さく熊と書きなさい。必ず合格点をあがるから」と冗談を言って笑わせた。学生が使っていた岩波英和辞典の表紙には、著者として先生の名が書かれているのが、先生から直接授業を受ける学生のちょっとした誇りであった。

謡ふべき程は時雨つ羅生門 漱石

夏目漱石が謡を習っていたのは、『吾輩は猫である』の主人が後架に入っては謡いだすので、後架先生と呼ばれたり、俳句に詠んでいることでも知られるが、その謡は下手の限り、という評がついている。英語研究に碩学に、邦楽、なかでも謡曲という異次元の取り合わせが興味を引く。

本棚から田中菊雄先生の『英語研究者のために』という難しい本が出てきた。講談社の学術文庫の一冊であるが、巻末の付録が面白い。戦後間もないころ、先生は大学の教授であったが、GHQで通訳や翻訳の仕事をしておられた。NHK放送局から依頼されて「リレー放送」という放送があったが、放送を文字にして収録している。題して「英語学者から見た邦楽」。そのなかで、岩波英和辞典の編集が8年ほど続いて、ようやくその仕事が終わったとき、矢も楯もたまらなくなって謡曲を習いたいという気になったという。謡曲の方は8年ほど続いたが、戦争が激しくなって中断した。先生が謡曲を始められたのには、漱石の影響があったであろうと思う。外国を長く旅して、帰国してお茶漬けやお寿司を食べるという心境でもあったのだろうか。

GHQの同僚に、やはり英語教授の尾形先生という方がいた。仕事の帰りにその先生から「僕は長唄をやっている」と告げられた。かねて長唄をやりたい思っていた田中先生は、すぐに師匠を紹介してもらい、早速通い始めた。ついた師匠は杵屋喜美栄さん。長唄と同時に三味線も習った。あの英語以外には、何も興味はないという外見、使い過ぎた目にぶ厚い眼鏡をかけた田中先生の意外な一面を知らされた。ただ声だけは大きく、広い教室でも隅々まで響く声であった。長唄でも静かで低い声が、遠くまで通っていくような気がする。

師匠の指導は厳しかったらしい。「一ふしでも、一ばちでも間違ったら絶対に先に進まない」。芸に安売りはないという激しい気象の方であった。習う田中先生も、習う以上は真剣でなければ気がすまない、ということでどんなに忙しくても、大雨が降っても練習に通い続けた。そして、邦楽の美しさに気づかされる。「何という優雅典麗な、しかもいうにいわれぬさび、幽玄の趣き」。これは適切な英語に欧米に紹介すれば、世界の文学に十分に匹敵すると強調されている。

田中先生の長唄の言葉の解釈をひとつだけここに紹介してみる。長唄の名曲に
『越後獅子』があるが、その一節に「そこのおけさにいなこといはれ、ねまりねまらず待ちあかす」とあるが、ねまりは本には寝があてられ、通例「寝たり起きたりして待ち明かす」と解されているが、この方言は尾花沢地方にもあり、芭蕉に「涼しさをわが宿にしてねまるなり」を引き、方言のくつろいで座ると解釈したい、と言っている。つまり、座ったり立ったり、いまかいまかと待ち明かす、と解釈されている。長く山形で暮らした先生ならではの解釈である。
コメント (2)
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