常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ブログについて考える

2012年04月30日 | 日記
開設してから40日、きのうこのブログのPVが160を記録した。いままで多くて90位だったから、少し知る人が増えてきたかなという気がする。

動機などほとんどないまま始めたブログ。以前知人と共同で作っていたホームページ「漢詩おりおり」やブログ「言葉の海」などを気ままに書いたが、それなりに反響もあったこともあり、パソコンを新しくしたおりにまた何か書いてみようかぐらいののりで始めた。

半月ほど経って、そういえばこのごろ娘たちの電話も「みんな元気かい。蘭はどうしている?」くらいの話になってしまい、変わりばえのしない日常を伝えあうのも間遠くなっていることに気づいた。ブログを読めばこちらの状況も知ることができるなと思い、アドレスを知らせた。

ブログになると変わった感じだね、と電話口で娘。その後は何の音沙汰もない。多分これを読んで、暇なんだなあぐらいに思っているのだろう。ブログのネタも種々雑多で、学生のころの思い出や当時の友人が活躍している現状を書いたりする。そんなとき友人にこのブログを読んで欲しいと思うこともある。

北海道札幌のM君にアドレスを知らせたのは共通の知人についての話題があったからである。M君から電話で、「あんた記憶力がいいねえ、あのときのことなど全然覚えていないよ」などど言ってきた。ブログには書き込み機能があるんだから、電話でなく直接書いてくれと言ったが、M君はその後も書き込んでこない。

先日、山登りに行ったとき仲間のUさんから思いがけない話があった。「ブログやっているのね」。まさか、身近に知る人などいるはずもないと思い込んでいたので驚いてしまった。同時に、拙い文章を見られてうろたえてしまった。「あんなのもありだと思う」うろたえた私を見て、Uさんは助け舟を出した。「でも難しいわ」というのが感想であった。

このブログには、少なくとも知っている人で3人の読者がいる。最初は何の目的意識もないまま始めたブログだが、今に至って書く内容も、テーマも読者を意識すことになる。ブログと日記の違いはそこにある。3人だけでなく、昨日160PVの読者。これらの人がいることを意識しながら自分の日常を書き継ぐことがブログなのだと思う。

もうひとつ私にとって大切なことがブログにある。それは若いころから趣味にしてきた読書との関連である。老年のため時間が増えてのか、去年あたりから読書量が増えてきている。読書から得られる感動や啓発を定着させるために書く。それがブログにはもってこいなのだ。老年になって定着のない読書は忘却のかなたへと去っていく。

勝間勝代が『読書進化論』のなかでブログの効用について書いている。

ブログは本当にいいツールです。自分の考えることをまとめるのは紙の日記やワープロもいいのですが、こういう非公開のものと違って、ブログはネット上に公開するため、読んでいる相手が反応してくれます。反応があるとそれが励みになって、私たちも続ける気になります。そして、文章は、筋肉が使うほど発達するように、書けば書くほど、自分の考えを言葉にのせるの上手になっていきます。

だが、私のブログにはまだ反応はない。それは多分、テーマや書き方がいまどきの読み手の心に届くものなっていないためであろう。

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孟宗筍

2012年04月29日 | グルメ


きょう、平清水の平泉寺に枝垂桜を見に行く。散り始めた山形の桜だが、ここの枝垂桜は健在であった。だが、かっての感動はないように思う。どこか、葉のついた枝が伸びだし、花が少なくなったように感じる。気温26℃、昨日に続いて、アイスクリームを食う。



初物に出会う感動。初カツオか、タケノコかと楽しみにしていたが、kさんから新鮮なタケノコをいただいた。アマカワは味噌汁に、硬い部分は細切りにして煮物、本体は鰊とコンニャクをいれてホックリと煮あげる。タケノコが大好きな妻は、余すところなく調理する。

考えて見ると、これほど柔らかくて感動的なタケノコを食べるようになったのは、ほんの近年のことである。秘密は流通の発展と言うべきか。5、6年前の5月、鶴岡で朝掘ったタケノコをいただいたことがある。新聞紙に包んであったが、タケノコから出る水がべっとりと新聞紙を濡らしていた。

その日に食した孟宗筍の食味は生涯忘れることができないだろう。その瑞々しさ、柔らかさ、独特の風味。タケノコがこれほどうまいものだとは、その時初めて知った。それから、庄内に出かけたときに買った安いタケノコ、スーパーで求めた九州のタケノコ。あの感動的な味が賞味できるではないか。

九州の取立てのタケノコはトラックに積まれてここ山形で、風味を損なうことなく味わえることをうれしく思う。流通の発展がこんな幸福をもたらしてくれるのだが、やはり地のものを手に入れて旬を味わうという王道に帰るべきなのか。ガソリンがこれほど高騰しては、そもそも贅沢な消費と言わざるをえない。

辰巳浜子は『料理歳時記』でこんなことを書いている。

「春のある朝、裏の家から掘り立ての筍を土だらけの手で抱えて届けていただきました。うれしさと驚きの声をあげながら、取る手も遅しとひと皮だけむいて、時間をかけてゆっくりと茹でてむらし、厚い輪切りにして鰹節、昆布をふんぱつしてじっくり煮ふくめて大鉢に盛り、庭の山椒の若芽を枝つきのまま、スパーっと切って添えました。ひと口、口に入れた時の素晴らしさ、鎌倉でこんなうれしさに逢えると思ってもいなかったのだけに大感激でした」

今夜のタケノコは辰巳浜子の感激に匹敵するくらい上々であった。
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櫛形山脈

2012年04月28日 | 日記


曇り、晴天の予報を信じて6時に自宅を出発する。小国あたりまで雲が低く、予報に違いはないかと心配しながら峠を越えるとトンネルの向こうに青空がパッと広がる。木々の新緑に混じって桜があちこちで咲いている。

櫛形山脈といっても、いったいどのくらいの人がその存在を知っているだろうか。
日本で一番小さな山脈。地形図を見ると、この山脈はEの文字を寝せたような形をしている。新潟は新発田市に隣接した胎内市の海岸の方へせり出した10キロほどの山脈なのだ。

せいぜい580mの櫛形山(568m)を盟主とする山脈であるが、ぶなの美林に覆われ、春は新緑、秋は紅葉の美しさがここを訪れる人々を魅了する。
山脈とはそもそもどう定義されているか、辞書にあたってみた。「特に顕著な脈状をなす山地。奥羽山脈の類」とある。脈とは物のつづき、つながり。すこし解説風に言うと、連綿とつながっている山地が山脈である。

辞書にある奥羽山脈は青森から福島にまたがる巨大な山脈で、岩手山、吾妻山と2000mを越える2つの盟主を持つ日本一の山脈である。では、蔵王連峰などの連峰とはどう違うのか。これも辞書によると「つらなり続いた峰、連山」とある。つまり刈田岳、熊野岳、地蔵岳と高い峰々が連なることを言うらしい。

物知りのsさんが薀蓄を語る。「連峰や山脈では、そこにある山の名には岳がつく。○○山というには独立峰についている場合が多いよ。まあ、例外もあるけどな」
櫛形山脈の櫛形山、鳥坂山、白鳥山はまさにその例外であるらしい。白鳥山の駐車場へ車を置いて、始点である関沢登山口へは中条タクシーを頼んだ。

「県外からたくさん登山の人が来るよ。何しろ日本一の山脈だからね」「そう、日本一小さい山脈ね」「なんでも日本一というところに価値があるみたいね」「だけどくたびれるのに何で山に登るんだろうね、きょうくたびれてもまた登りたくなるみたいだね」「不思議だねえ、永遠の謎だよ」こんな会話をしながら登山口へと向かう。

登山の魅力を登ったことのない人に説くのは難しい。
ある人は、難しい登山ルートを攻略することの楽しさであるかも知れない。自分の場合は
その一瞬に得られる感動だ。いまなら新しく芽吹き始めた生命の輝き、枯葉の上で咲く花の美しさ、そして残雪が白く輝いている展望の美しさ。これらとの出会いは、自分の体の状態、気候、季節などの条件でその一瞬にしか得られない感動である。どの山行でも全く同じということはあり得ない。だから新しい感動がいつもある、それが登山なのだ。

気温がぐんぐんと上がる。約10kの長丁場の歩きは、老体を鞭打つ。だが、それを癒すようにブナ新緑がほほえみ、イワイチョウやイチゲの可憐な花が語りかけてくる。汗をかいた体に稜線からのそよ風が心地いい。櫛形山からは、飯豊連峰の峰々が残雪に輝いている。サイドバッグからカメラを出そうとして、家に忘れたことに気づく。止むをえず、携帯のカメラでこの飯豊の写真を撮った。

もう春の登山というより、初夏の登山である。
どうにか白鳥山の城跡にたどりついたのは、3時20分であった。ここのあづま屋からは、日本海が目睫の間である。沖に、粟島の山並みがうっすらと浮かんで見える。そして白鳥コースを取って下山。だが、最後に沢下りというおまけが付いた。気軽にすいすいと下るつもりが岩が削られた沢の下りである。沢水が澄んでいたので、口に含むと美味。
総歩行距離9.18k、歩行計24272。この日もまた楽しい感動に出会えた一日であった。帰路、関川道の駅「ユーム」で汗を流して、帰宅、19時30分。

GPSに記録された軌跡を記す。ピンクの表示は計画ルート、実際の軌跡は白抜きの点のあるグレイのラインである。


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伝記の面白さ

2012年04月27日 | 日記


瀬戸内寂聴の「かの子繚乱」を読んだ。
天才画家岡本太郎の母で、漫画家岡本一平の妻かの子生涯を描いた伝記小説である。この伝記小説を読むきっかけになったのは斉藤慎爾「寂寵伝 良夜玲瓏」を読んだことにある。

「かの子繚乱」を読み進めていくうちに、著者の瀬戸内寂聴と岡本かの子にいくつもの共通点があることに気づいた。それはこの二人の結婚観であり、複雑な男性関係を昇華させたものは仏教への帰依であった。二人にとって、男性は自らが紡ぎだす文学への奉仕者であり、種から成長していくための養分を補給する土壌であった。

岡本かの子は昭和14年2月17日、50歳でその生涯を閉じている。
だが、この50年という年月が、いかに波乱に満ち、そして生命が充実しきった時間であったことが余すところ書き継がれている。

息子太郎への愛情は、この伝記のなかの圧巻だ。それをそばで見つめ、大きな愛で包む一平の存在もまた大きいと云わなければならない。

「走り出した列車の中で、かの子と一平は折れ重なるようになって泣いた。かの子の直感 が、この時の別れが永久のものになるだろうと無意識にさとっていたのだろうか。人目も恥じず、泣き沈んでいると、まるで、太郎と死別したような切なさがせまっている。
   フランスの田舎のけしき汽車にて息子と人いふ泣き沈むわれに
   いとし子を茲には置きてわが帰る母国ありとは思ほへなくに
   眼界に立つ俤やますら男が母に別れの涙拭きつつ
 こんなせつなさを、いったい何のために、誰のために堪えねばならないのだろう。どうして、世間の親子であってはいけないのだろう---かの子は泣きながら、われとわが心に問いかけていた。
 涙の中から、ためらいのない太郎の声が聞えてきた。---芸術のためですよ、おかあさん、おかあさんの好きな芸術のためじゃありませんか

かの子は谷崎潤一郎、芥川龍之介との知遇から憧れていた文学の夢を捨てず、林房雄、川端康成らの応援を得て、晩年にその花を咲かせるのである。

斉藤慎爾氏にはほかに「ひばり伝 蒼穹流謫」があり、このほど弟にあたる笹沢信氏が
「ひさし伝」を新潮社から出版した。伝記は寂聴や井上ひさしなどの作家であれば、その膨大な著作を読み、関連する人の講演や対談などあらゆる資料に目配りしながら完成させるが、読むものにとってはその生涯を見通すことができありがたい限りだ。未読のこの2書もぜひ読んでみたい。笹沢信氏は山形市在住で、「山形文学」の編集・発行人を務めている。著書に「飛島へ」(深夜叢書社)がある。
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携帯GPSガーミンの習熟

2012年04月26日 | 日記


晴れのち曇り、風つよい。
きょうの桜は見ごろ、写真のように咲いている。風に吹かれて早くもチラホラと散り始めている。もう少し、花見の気分を味わっていたい。

先月、登山の位置情報ツールとして、米国ガーミン社のオレゴン450TCを求めた。価格は99,800円。大枚である。携帯電話などもそうだが、この種の機器は習熟するまでに時間がかかる。登山ルートをベースキャンプというパソコンソフトで作成して、携帯デバイスに登録して山行の便宜とする。

だがこの操作も少し違えば、キチンとルートを作成できず肝心の山のなかで役に立たない。
登山道が整備されていれば問題ないが、雪道やヤブで登山道などを見失ったとき、この機器が力を発揮する。そのためにも、確実にルートや目的地のウェイポイントをデバイスに登録することが第一条件となる。

きょうはパソコンの前で何度も試行してルート設定を行った。
結果として、今週の予定である櫛形山脈のルート登録に成功した。もう一つ、軌跡の確認がある。設定したルートに沿って歩いてきた軌跡がデバイス上に記録される。この軌跡をパソコンで地図上に表示して、印刷して記録に残す。この機能には、通過地点の高度情報や出発してからの距離、時間が記録されている。

当日の山行をメインとして、事前のルート探索、事後の軌跡管理と一粒で三度おいしいのがこの機器を利用した山登りである。
仮に山に山菜取りに入ったとして道に迷ってとき、デバイスに記録されている軌跡を逆に辿って出発点に帰還することも可能だ。

いまGPSはカーナビとして普及しているが、個人のアウトドアツールとしてもっと馴染んで使いこなすことが、楽しさアップの道である。
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