常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

馬酔木

2022年03月24日 | 万葉集
馬酔木に関して、自分の知識は甚だ心もとない。第一、この読み方にしたも、「あしび」か「あせび」かはっきりしない。その上、この花がこんなに早春の花であったことも、今頃になって気づいている。何かで読んだ記憶で、この葉は有毒で、馬が食べると酔ってふらつく、というのがある。少し調べてみると、「あしびきの」という枕詞は山かかるもので、大和地方から九州のにかけて自生することが多いためという解説もあった。芭蕉の句にも「馬酔木は馬に喰はれけり」というのがあったような気がする。

あしびきの山行きしかば山人の
 我に得しめし山づとぞこれ (万葉集巻20・4293)

ここで詠まれた山人について、伊藤博の言及がある。山村の守護神を祭り、村人をも統括する山の神人。つまり仙人であると言う。そして山づとは恐らく杖であろうと述べている。往時、杖は邪悪なものを払う呪物の役割があった。

山に自生する馬酔木は3㍍もになる大木らしい。このあたりでは庭や公園に植えられているが、灌木のような小さな木が多い。白い花が多いが、このような赤い花は、紅アシビと名付けられているようだ。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり 水原秋櫻子
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冬の月

2021年12月17日 | 万葉集
今年も残すところ2週間を切った。一日のできごとのあれもこれもが今年の最後の体験となる。雪のない道の上の散歩、ムクドリの連隊飛翔、瀧山の雪と競う冬の月。こんな月を見ていると、何故か人生の歩いてきた道を思い起す。月を愛でるなどということとは、およそ縁遠い人生であったが、冬の淡い月の影がひどく貴重なもののように感じる。

雲をいでて我にともなふ冬の月風やみにしむ雪やつめたき 明恵

月には人を若返らせる変若水(おちみず)があるということが記紀の神話にある。万葉集にもそのことが歌われている。正月に若水を飲む風習も、この伝説がそのもとになっているらしい。

天橋も 長くもがな 高山も高くもがな 月夜見の 持てるをち水
い取り来て 君に奉りて をち得てしかも
反歌
天なるや月のごとく我が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも(巻13・3245)

歌の意を記るす。(天に上る梯子でももっと長かったらなあ。天に上る山ももっと高かったらなあ。そこに上り、月の神が持っている若返りの水、その水をこの手に取って来て、若返りたいものだ。)

万葉の時代には、梯子や高山を伝って月に行こうという夢物語であった。今日、月の石を持ち帰ることが出来る時代になったが、そこにはをち水などないことが分かってしまった。月を夢見る古代人の楽しみや空想は、衛星の技術によってないものにされてしまった。
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三日月

2021年10月10日 | 万葉集
秋の夕日を追うように三日月が山の端に沈んで行く。この景色を見るたび、その美しさに感動する。その度に写真に挑戦したが、自分の持っているカメラではうまく撮ることができなかった。新しくしたスマホのカメラがその姿を捉えてくれた。しみじみと日本の夕焼けと三日月に見とれてしまった。

月立ちてただ三日月の眉根掻き
 日長く恋ひし君に逢へるかも 阪上郎女
振り放けて三日月見れば一目見し
 人の眉引き思ほゆるかも   大伴家持 (万葉集巻6・994)

月見の宴はすでに万葉の時代に行われている。眉のような月は、今の我々にとって違和感のない表現だ。月を愛でる気持ちに時の差はない。この歌は、家持16歳のとき、初めて郎女の家を訪れ、歌会を催したとき三日月を詠題としたものだ。相聞ではなく、月を愛でながら男女の遊び心が歌に出ている。郎女の歌は「月が替わってほんの三日目の月のような細い眉を掻きながら、長らく待ちこがれていたあなたにとうとうお逢いできました」と詠んだのに対し、家持は「遠く振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の眉根がおもわれてなりません」と詠んだ。こんな風に、秋の三日月を楽しんだ万葉人の場に、立ち会っているような今宵の月だ。もうすっかり姿を消して、星明りの夜になった。
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春を告げる花

2021年03月19日 | 万葉集
散歩コースに大きなお屋敷がある。今朝は、遠くから梅が咲いているのが分かった。大きな梅の古木である。屋敷の前には広い庭があり、柿の木や花のほか、野菜も作るスペースがある。梅の木は花が開くと、庭を独り占めするように伸ばした枝に、いっぱいに花をつける。玄関の戸口は、いつもぴったりと閉ざされていて、どんな人が住んでいるのか知る由もない。日ごろ、ここに出入りする人影も見ることがないので、春に咲く梅の花を愛でる老夫婦が静かに暮らされているのを想像したりする。

春さればまづ咲くやどの梅の花
 ひとり見つつや春日暮らさむ(万葉集巻5 818)

春を待って咲く花はうめばかりではない。庭石の傍らに植え付けられたヒマラヤユキノシタも、ピンクで可憐な花をつける。葉がうちわのように大きく、霜にうたれると紫色に変色する。大きな葉に囲まれて、こじんまりと群れてピンクの花をつける。一面の雪景色のなか、岩陰の陽当りよいところから花をつけるのであろう。梅もユキノシタも、寒風がわずかにやわらぐ隙間に、みごとな花を咲かせる。この花の生命力を見て、どれほどの人が、長い時間の流れのなかで癒されてきたことだろうか。想像を絶するものがある。


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秋山

2019年10月06日 | 万葉集

天智天皇の御代、藤原鎌足をはじめ、廷臣や女官が居並ぶなかで、天皇の仰せがあった。あでやかに花の咲く春と、秋山の黄葉のいろどりとで、皆はどちらに趣があるか詩をもって述べてみよ。廷臣たちは、漢詩を作り、さまざまな見方から、春の山と秋の山の趣きを競いあった。だが、これといった決定打が出ずに、万座がざわめいているなかで、額田王が次のような長歌を詠んで軍配をしめした。

冬ごもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど

山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば

取りてぞ偲ぶ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山我れは

額田王は春山派、秋山派のそれぞれの、主張をほとんど平等に取り上げ、最後の一句で、私は秋山がいいと突然の宣言をした。万座の恨みっこなしに、結論を出したやり方は、喝采を浴びたに違いない。さらに深読みをすれば、天皇の気持ちが秋山に傾いていることを忖度して、このような軍配を上げたのではないか。

額田王は御言持ち歌人であった。天皇の気持ちを、巧みな詩語で言い表す役割が御言持ち歌人に課せられていた。宴の雰囲気をやわらげ、なおかつ天皇の声を代弁した。

 

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