常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ムラサキシキブ

2017年09月30日 | 日記


秋を感じさせるのは、大抵赤い実だが、ひとつだけ異色の紫の実がある。その名はムラサキシキブ。クマツヅラ科の植物で、3mほどの高さに成長する。花の色も薄い紫だ。山の木々が紅葉するころ、この実をみつけると、何か拾い物をしたような気がする。この実を観るために、庭に植えて楽しむ人もいる。名前から連想されるのは、ずばり源氏物語の作者紫式部だが、ものの本によれば、もともとの名はムラサキシキミであったらしい。シキミとは、実が重なって生るという意味である。
 
『紫式部日記絵詞』には、「夕暮れに、筝をひく紫式部」という巻があり、女房としての式部の生活の様子が描かれている。重ね袿を着て筝に向かっているが、後ろの壁に立てかけられた琵琶。筝の前には、2,3冊の冊子と巻物が開かれて置いてある。庭の木々はすでに葉を落し、もしもムラサキシキブの実があれば、秋の風情がさらに強調されるに違いない。後ろの棚には、冊子や巻物がたくさん並べられている。「お前はかくおはすれば、御さひはひすくなき」「なでふ女が真名書を読む」。女だてらに、何で漢書などを読むのか、だから幸せにならないんだよ、注意されている紫式部の姿である。

赤い実のなかで、ひとり紫の実をつけるのは、孤高の姿でもある。赤い実は目ざとい鳥たちに、食べられて、遠く離れた地に子孫も増やすことができる。ムラサキシキブは孤高であるがゆえに、実を多く付けねばならない。鳥たちに見つけられる確率を少しでも上げるために。
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散歩

2017年09月29日 | 日記


秋晴れ、心地よい冷気。今朝の散歩は千歳山である。旅行や気温の急なアップダウンに、体調がこころなしだるい感じであったが、今週になって快調になってきた。千歳山の山道でも、足どりは軽く、疲れない。展望の開けるところから、市街地が大きく広がって見えた。西山の連なりと青空のコントラストが、一幅の絵を思わせる。雨あがり、実に気分のいい散歩であった。

古い切り抜き帖に、一海知義先生の「散歩」と題するコラムがある。一海先生によると散の字は無用を意味するらしい。散木は使い物にならない役立たずの木、散人はいわば無用の人間のこと。雅号に続けて散人と書いて、ちょっと自分を卑下して見せるのが流行ったこともあった。永井荷風の荷風散人など。この伝でいけば、散歩は当てのないぶらぶら歩きで、健康づくりや山登りの筋肉づくりなどの目的があってはならないことになる。

しかし、目的は今度の山行の足馴らしであっても、路傍に思いがけない花や木の実を見つけたり、空の色に秋を感じたり、いつも行き会う人たちと挨拶を交したり、目的とかけ離れたことが起きるのであれば立派に散歩ということができる。

秋晴やこころはづむも朝のうち 篠田悌二郎
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2017年09月28日 | 日記


昔、一軒家に住んでいた頃、朝の目覚めとともに聞こえてくるのは、雀の鳴き声であった。このところ、朝、雀の鳴き声を聞くことはほとんどない。畑を耕したり、稲刈りをしたあと、餌を求めて集団でやってくるのを見かける程度である。最近は、雀の数が減少傾向にあるらしい。住宅の形態が、雀が巣をつくることができなくなったことが原因らしい。統計では、2008年に雀の個体数は1800万羽と推定されていた。この20年で約6割が減少したという記事を見た。事実とすれば、その数は640万羽ということになる。この勢いで減少が続くと、雀が絶滅危惧種となる日も遠くない。

鳥獣保護の観点から、法律上、雀を捕獲したり、飼育することは禁止されている。ましてや、焼き鳥にして食べるなどは論外である。但し例外があって、飛ぶことができなくなった個体や親がいなくなった雛を保護して、飼育してもよいことになっているらしい。井伏鱒二の随筆集『人と人影』の冒頭、「中込君の雀」という項で、この親のいなくなった雀の雛を飼う話が出てくる。聞いたことのない雀の雛の生態が書かれていて、実に面白い。

夏の8月24日、雛を家に連れてきた翌日の記事。「胸毛や背中の毛は生えそろわなくて斑である。昨日は、がたがた震えていたが、今日は大半、瞼を閉じていた。雀の瞼は下から上へ閉じる。餌はゆで玉子の黄身とパン。夜は女房がヤマメの白焼を少し食べさせる。綿とぼろぎれでくるんで小さなボール箱に入れて寝かせた。」その翌日になると、雛はすっかり元気になる。「今朝は黒目をぱっちり明けていた。自分で餌を啄いて絶えず動きまわり、よく水を飲む。箪笥の上に乗っけてやると、ヤマメの白焼を置いた卓袱台まで滑空した。」

著者のもとへ、中込君という釣り仲間が雀の雛の飼育状況を手紙で知らせて来る。9月になると、雛は水を飲まなくなった。そのかわり梨を食べている、と書いてきた。著者は、中込君の家に、雀の雛を見に行く。中込君の細君が、水替わりの梨を剥き始めた。雀は卓袱台の上に飛んできて、梨の皮が螺旋状になってお盆の上に溜まって行くと、突然、それに向かって頭から突き進んだ。同時に、ぺたんと坐って羽根や翼を膨らませ、激しく身を震わせた。「水浴びしているつもりでしょう。」と中込君が言った。

子雀を拾ひぬくめて遣り場なし 岩城のり子
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もの忘れ

2017年09月27日 | 日記


もの忘れが気になる。顔は覚えているが、名前が思い出せない。約束したスケジュールを忘れて迷惑をかけることがしばしば。間もなく免許証の更新だが、絵を見せて、一定時間後にいくつ覚えているか、という認知症検査が不安。加齢とともに記憶力は確実に弱体化している。ひょっとして、このままいけば認知症を発症するのでは、という不安につきまとわれる。

記憶を司るのは脳の中にある海馬という部分である。大脳の奥の方に傷つきにくいように大事にしまわれている。直径1cm、長さ5㎝、小指ほどの大きさである。海馬には1000万個ほどの神経細胞があり、これが脳全体にある神経細胞(その数は1000億個といわれる)と常に連絡をとり、情報を集めてくる、いわば記憶の製造工場である。

昨日、TVの「家庭の医学」で、この問題が取り上げられた。海馬にある神経細胞は何本もの神経線維を伸ばして、他の神経細胞とつながってネットワークを構築する。ところが、老化とともにこのネットワークが崩れて、記憶が出来なくなる。もの忘れを頻出する原因である。ここで重要な役割を果たすのが、脳内物質である。この物質を増やすことで、記憶力が改善されることがわかってきた。従来、ウォーキングなどが、この物質を増やすのに効果があるとされてきた。

きのうの番組で紹介されたのが、手のひらのタオルマッサージである。両手でタオル挟んで持ち、軽くタオルをこするようにマッサージする。テレビを見ながら10分間このマッサージを行うことで、脳の血流が盛んになり、脳内物質が増えることが確認された。72歳の物忘れがひどくなった男性が、このマッサージを4日間行っただけで、脳内物質が増え、記憶にも効果が現れたことが映し出された。早速、自分も真似をして、タオルマッサージを始めることにした。効果のほどは、後日報告する。もっとも、随分ウォーキングをしても、もの忘れをするので、そんなに期待はできないのかも知れない。
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ダリア

2017年09月26日 | 


歳時記を引くとダリアは夏の季語になっている。朝夕の気温が下がって秋めいてきても、ダリアは盛んに花を咲かせる。秋の季語ではと疑ってみるくらいだ。その花が長寿であることから、浦島太郎に因んで、浦島草とも呼ばれる。また、花の姿が牡丹を思わせるので、天竺牡丹と呼ばれることもある。

豊満なダリアを起しゐたりけり 田中 鬼骨

ダリアはナポレオン皇帝の妃ジョセフィーヌがこよなく愛した花として知られている。居城の庭に珍しい品種を集めて、自慢した。ある貴族が、門外不出の花が欲しくて所望したが、妃はこの申し出をつれなく断った。貴族はそれでも諦めきれずに、恋人を使ってそのダリアを盗ませた。妃はそのために落胆した挙句に、あれほど夢中だったダリア熱が冷めていったというエピソードもある。
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