常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大つごもり

2013年12月31日 | 読書


きのうから雨。道路には雪のない大晦日になった。大晦日のことを大つごもりと言う。月のはじめの日をついたち、最後の日をつごもり。月日を月の満ち欠けで数えたころの名残りである。糸のように細い月が日暮れの西の空に見えると、新しい月が始まる。これを月立ち、つまりついたち。それから月は次第に満ちて満月になる。その後は次第に欠けていってついに姿を消す。これが月籠り、すなわちつごもりである。その年の最後のつごもりは大つごもりというわけだ。但し、今用いている暦は太陽暦で、月の満ち欠けとは関係なく進行する。

大年の故郷への汽車に疲れゐる 楠目橙黄子

「井戸は車にて綱の長さは十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゅうひゅうと吹きぬきの寒さ、おゝ堪えがたと竈の前に火なぶりの一分は一時に伸びて・・・」の書き出しで始まるのは樋口一葉の『大つごもり』である。商家山村の下女となって住み込むお峰には、弟とその面倒を見ている叔父夫婦がいた。店を出していた叔父が怪我で仕事ができず借金をし、その返済のめどがたたず年の瀬を越せない有様であった。

叔父を見舞ったお峰は小学生の弟が、叔父の薬代を稼ぎに寒風のなかを天秤棒を担いで蜆売り出かける窮状をみて奉公先から金二両を借りる約束をするのであった。奉公先の山村に戻って奥さまに頼んだか剣もほろろの挨拶、取り合ってもらえない。そこへ、この家の放蕩息子が酔っ払って戻る。弟が約束のものをとお金を取りにくる。思い余ったお峰が、奉公先の金に手をつけるという話である。

一葉自身、歌人中島歌子の萩の舎に住み込んで女中のように働いた経験がある。実は歌子は一葉を助教として萩の舎に招き、手当てとして月二円を払う約束であったが、その約束はどこえやら一葉は女中のように使われた。萩の舎に通う子女たちが払う月謝から、一葉は二円を差し引いて歌子に渡した。一葉が盗みをした言う噂が萩の舎に広まった。こんな経験が『大つごもり』には生かされて描かれている。大晦日の借金の支払いは待ったなし。一家の働き頭である一葉は毎年のように厳しい現実にさらされた。

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里芋

2013年12月30日 | グルメ


ひと夏丹精した里芋は収穫のあと、ダンボールに入れてベランダに放置していた。年が押し詰まったので整理と思い、小さな芋を味噌汁の具に入れたところあまりの美味に驚いた。口に入れたときのやわらかさと粘り、ほんのりとした甘み、里芋がこれほどおいしいとは正直初めて知った。残りの芋の泥をとり余分な皮をとって、写真にするとこれもびっくりするほど美しい。

芋汁やみちのくの闇濃くつつみ 長谷川零余子

里芋は万葉集にも詠まれているから、稲と同じように伝来して古くから食べられてきた。名高いのは京都の海老芋で美味といわれ、足柄の吉浜芋もまた知られている。わが家の芋は有名な芋には及びもつかないであろうが、それを計算にいれてもなお美味である。写真にあるのは親芋で、本来ならもっと大きくなるはずだが、これで二番目の大きさだ。この親芋に小芋がぶら下がるようにつく。小芋は小さくても美味である。こんなおいしい食材が万葉以前から食べられていたことに感動した。

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雪晴れ

2013年12月29日 | 日記


日一日と年の瀬は暮れていく。昨日から降り続いた雪が小康となり、日差しのなかに近くの山の雪景色が間近に迫ってくる。空気と光のかけあいで、窓の外の風景は日々違ったもの見える。思えばこの一年、過ぎ去るのも早かったが、その中の日々を振り返ってみれば案外充実した時間だったような気がする。畑仕事では、雑草や野菜の成長に負け気味であったが、畑からの野菜を毎日食べることができた。冬になっても大根や葱はまだ畑のものが食べられる。

雪の中を歩くことに楽しさを覚えるようになっている。本棚の奥から探し出した本のなかに、故人となった人の体験が幻のように目の前に浮かびだしてくる。飄然と旅に出て、酒に親しんだ若山牧水の「雪の天城越え」の文章を読む。

「温泉場の裏からすぐ登り坂になっていた。一里二里と登って漸く人家も絶えた頃から思いがけない雪が降り出した。長い萱野を中の坂を登って御料林の深い森の中に入る頃には早や道には白々と積っていた。(中略)峠に着いた時には既に七、八寸の深さになっていたが其処の茶屋で飲んだ五六合の酒に元気を出した留めらるるのを断りながら終にその日、天城山の北の麓に在る湯が島温泉まで辿り着いたのであった。

天城嶺の森を深みかうす暗く降りつよむ雪の積めども音せぬ 若山 牧水

百田直樹の『永遠の0』が映画になった。ロングセラーになったこの小説は300万部が売れたという。文庫を買って再読。この正月ににはぜひ映画も見たい。
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しんしんと

2013年12月28日 | 斉藤茂吉


年がおしつまって、とうとう雪が積もってきた。光禅寺の桜並木は、まるで花が咲いたように枝に雪がついた。お寺に雪が積もると、なぜかほっと安堵するような気になる。墓に眠る霊にとっては厚い雪のため、冷たい風や冷気が遮られるように思えるからだ。

現身のわが血脈のやや細り墓地にしんしんと雪つもる見ゆ 斉藤 茂吉

茂吉は東京の青山脳病院に養子として迎えられていたから、すぐ目と鼻先に墓地があった。墓地に雪の降るのを見ながら、病後の己の腕の血管が痩せ細ったような不安な感じを歌にした。それにしても茂吉は「しんしん」という句を好んで使う。茂吉自身、あまり度々使うので、歌壇から冷やかされた、と述懐している。

しんしんと雪降りし夜に汝が指のあな冷たよと言いひて寄りしか 茂吉

恋愛歌で官能的と、茂吉自ら語っているが、そのモデルについては韜晦している。茂吉は性格的といえばよいのか、少年のころの田舎育ちのせいなのか、恋愛については非常に注意深く韜晦している。

しんしんと雪降る最上の上山に弟は無情を感じたるなり 茂吉

上山温泉の山城屋は茂吉の弟直吉が養子になった旅館だ。直吉はわずか27歳で妻を亡くし、二女一男を抱える身となった。その弟を哀れんで詠んだ歌である。茂吉の兄弟愛は大変に強いものがある。長男をのみを残して3人の兄弟は家を出て、養子になり、また医師の資格を得て、辺境に北海道で医者になった兄もいる。茂吉は青山病院のわずかな暇を見つけて兄弟たちに合う時間を作った。
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小野道風

2013年12月27日 | 


日本の三跡として知られる小野道風は996年(康保3)のきょう没している。文字を書くことを芸術のジャンルとしたのは、漢字の国中国であるが、そのなかでも王羲之の存在は大きい。日本でも最澄が王羲之の書を持ち帰り、ながく書の手本となったが、この書を下敷きにして和風のやわらかい和様のスタイルを作ったのが小野道風である。

道風の柳に蛙の逸話は有名である。道風は自らの書の道に行き詰まりを感じ悩んでいた。もう書の道を捨てようかと思った。ある日川原の柳の下を歩いていると、蛙が垂れ下がった柳の枝へ飛びつこうとして跳躍している。蛙からは高くて届きそうないのに何度も飛びついている。「ばかな蛙だな」道風がつぶやいた。突然、つよい風が吹いて枝が大きく揺れた。蛙はこの偶然を捉えてみごとに枝に飛び移った。

道風は一瞬己の至らなさに気づいた。「ばかなのは蛙ではなくこの俺だ。蛙は努力をして偶然をものにしたのに、この俺はその努力さえしていない。」この日以来、道風は人が変わったように書に打ち込み、ついに書の達人になった。藤原佐理、藤原行成とあわせて書の三跡と称された。行成が中国の処方に忠実だったが、道風が開いた新風はやがて日本の書の主流となっていった。

今年、日展の書の入賞について不正が暴露された。日本には日展に出品する書家が多く、その裾野の広さは、道風がひらいた書法にあるのかもしれない。地下に眠る道風は、今日の日展の事態を見て何を思うのであろうか。
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