常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

福寿草

2014年03月31日 | 日記


雨上がりの今朝、お寺の庭に福寿草が静かに咲いていた。去年見た福寿草もお寺の土手であった。親戚の葬儀でまだ雪の残る土手に短いが太い茎から花を咲かせていたが、今年はそれほど畑に肥料分がないせいか、ほっそりした茎に2輪、どこか淋しげである。

福寿草こぞる蕾に色ひとつ 青木就一郎

もともと雪のなかに咲く花である。旧暦の正月ごろから咲き始めたので、貝原益軒は別名で元旦草とも呼んだ。新芽が出始めのころ、蕗の薹と誤って天ぷらにして食べたという話があるが、毒があるので中毒を起こす。誤食しないよう注意したい。



同じく春を知らせる白梅が咲いた。春らしい陽気になると、花たちは敏感に反応する。梅は香りが強く、あたり一面に芳香がただよう。


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たけのこ

2014年03月30日 | グルメ


静岡から筍が届いた。こちらでは、北部の町には雪が残るなかで、筍がこんなに大きくなっているのは、驚くほかはない。包装には朝取りと書いてある。クール便が届く前の日の午前5時に、竹林から掘り出したものである。尾花沢の親戚に竹林があるので、掘った経験はあるが、大きくなりすぎないうちに掘るのは至難の技だ。根が地中にはりめぐっているので、スコップで掘ること自体容易でない。静岡の産地と消費地が直結しているようで、便利というか恐ろしいような気もする。

たかんなの影は竹より濃かりけり 中村草田男

たかんなは筍の古称と、辞書には説明がある。たこうななどとも言われる。竹が高く伸びるのでそこから呼ばれたものであるらしい。油揚げと一緒にだし汁で煮込んだものをご飯と炊き込む筍ご飯は、春一番のご馳走である。

筍を掟のごとく届けもす 中村 汀女

筍を贈るという美風は、日本には古くからあった。汀女は京都の知人が、毎年忘れずに送り届けてくれることに感謝してこんな句を詠んだ。新聞紙に包んだ湿りのある筍は土の香りがほんのりとして包みを解くのもわくわくする。皮を剥き煮立てて米ぬかを入れて灰汁抜きをする手間もまた楽しい。翌朝は、筍のみそ汁とふくめ煮に春の到来を実感するだろう。



筍ご飯とかす汁。たけのこの柔らかい歯ごたえは、やはりこの季節しか味わえない初物の味である。

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尾花沢・二つ森

2014年03月29日 | 登山


晴れ、21.7℃このしの最高になる。尾花沢の二つ森に行く。山形はすっかり春の様子で、低地の雪はほとんど消えたが、尾花沢は違った。村山の道の駅を越えると、急に付近の田畑に雪が見える。銀山温泉方面への347号線に入ると、すっかり冬のままである。雪からの水蒸気のせいなのか濃い霧が発生している。

尾花沢は肉牛の肥育地である。二つ森の麓には広大な放牧場がある。放牧場のなだらかな斜面を越えると、二つ森の特徴的な双耳峰がくっきりと姿を現す。天候がまさに登山日和というプレゼントをくれたことに感謝したい。低地に垂れ込めた霧はいつのまにか消え、目にするのは雪の包まれた高地の景観である。



二つ森は二つともそれほどの高い山ではない。だが、695mの頂上へ登る後方のの山地を見てほしい。葉山や月山に連なる山並みが連綿と続いていている。出羽丘陵の山塊が登る人の背を押すように立ち並んでいる。雪は春の気候で溶けはじめているのか絞まっている。準備した和カンジキは全く必要のないほど抜からない。頂上へ近づくにしたがって汗をかく。

青空の上をジェット機が何機も飛び、鮮やかな飛行機雲ができる。青空はどこまでも澄みわたり、視界は360度見渡せる。こんな好条件に登山できるチャンスは一年を通じてもほんの数回であろう。頂上から双耳峰の向かいの頂に、朝同じ時刻に出発した単独行の登山者が立っているのが見えた。



本日の同行者男性6名、女性2名。最高齢者84歳。雪中の歩行距離3.5キロ。これほどの絶景を堪能できる山歩きは、当分止められそうもない。

春の山越えて日高き疲れかな 正岡 子規


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ウォーキング

2014年03月28日 | 日記


春らしくなってウォーキングを再開。家から5キロほどの悠創の丘へ行く。朝、霧が深い。細かな水滴が空気中に満ちていて、小雨の中を歩いているような感じだ。カメラを持参しているので、ブログに使える写真が何枚撮れるか楽しみだ。霧のため意外にシャッターチャンスは少ない。霧に隠れた森を、トイフォトのアートフィルターで撮ってみたが、思ったほどの効果はでないようだ。



芸工大の裏の道にマンサクの花が咲いていた。ことし初めて見るので、写真に収めた。本来は山に雪が残るころ、日差しのある斜面に他に先駆けて咲くのがマンサクだ。「先ず咲く」が転じて、マンサクになったという説もあるが本当だろうか。花びらを手足に見立てると、四方に伸ばして豊年満作の踊りに見えるから、マンサクの名が出たとも。

マンサクを夜明けの花と見て居りぬ 中西 舗土



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香川景樹

2014年03月27日 | 


京都の歌壇を風靡した歌人、香川景樹が没したのは天保14年3月28日のことである。享年76歳、歌人としてまた門下の指導者としても高名であった。

大井川かへらぬ水に蔭見えてことしも咲ける山桜かな 香川 景樹

この歌人の名を知ったのは、詩吟、和歌の部の課題にその名があったからである。山形岳風会に入る前の詩吟の会で、優秀吟に挑戦したことがあった。そのとき、和歌の部に出た伊藤さんという先輩が、香川景樹の和歌を選んだ。

ひとかたに靡きそろひて花すすき風吹く時ぞみだれざりける

枯尾花を花すすきと表現していることが新鮮に感じられ、たちまちこの歌人が好きになった。京都に住んでいた景樹は、かの頼山陽と親しく交際していた。山陽は漢詩にも和歌に手腕を発揮したが、母と旅したことを和歌に詠んだ。


母も子も老いの波よる滋賀の山三たび越えけることぞうれしき 頼山陽

これを見た景樹は、滋賀の山以下はいいが、「親も子も老いの波よる」では、田舎の皺だらけの親子が、腰をかがめて風采のあがらぬ様だ。「たらちねの母とうちつれ」としたら、美しい母とその子の颯爽とした山陽になる、と指摘した。この直言は、山陽の気に入らなかったらしい。山陽は、「香川の談論風発には、内心いやがっている向きも多い」ともらしている。

号桂園。父は鳥取藩士。真淵の万葉主義を批判、古今集の調べを尊重し自然の感情を流麗な調べで詠むべきだとして桂園派を創始。岳風会の『吟詠教本』には、香川景樹をこんな短文で紹介している。

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