常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

神室連峰

2020年10月31日 | 登山
一期一会、そんな言葉にふさわしい景色に触れた。晴れ渡る秋空。錦秋の森を抜け出して見た光景をあらわす言葉を知らない。神室連峰の一角をなす一杯森は、急峻な登りではあったが、歩きやすい登山道。次々と眼前に現れる錦のような紅葉の光景、そして頂上で開ける神室山塊の大パノラマは実にシーズンの最期を飾る圧巻であった。神室山塊は奥羽山脈の一部で、山形・宮城・秋田3県にまたがる山地である。火山の多い山形にあっては珍しく非火山性の山塊である。したがって、一番高い小又山(1367m)を中心に1000ⅿ内外の山地が連なり、突出した頂はない。西側に緩い傾斜を持ち、東側に雪食による切れ落ちた非対称山稜となっている。戦後、ブームとなった登山で、神室山縦走は人気の高い登山コースでであった。自分も20年近く前、火打から神室、小又山、杢蔵山のコースを踏破した。もう記憶の底に眠る思い出だ。
登山口は新庄市の萩野集落奥の林道の先にある。砂利道の細い林道は、登山口の1㌔ほど手前で侵入禁止になっていた。萩野はかって軍馬を育てる牧場であったが、昭和2年に理想の農村をつくろうと開拓が行われ、15戸の開拓民が入植した。指導には自治講習所の所長として赴任していた内務省の加藤完治である。加藤は満蒙開拓で指導力を発揮したが、この萩野での経験が生かされてと言われている。通りに廃校になった萩野小学校の敷地が残されていたが、ここにはそんな歴史がある。

登山口到着は8時21分。杉林の向こうに、もう紅葉した広葉樹林が見えている。登り始めてすぐに急な勾配である。登山口の標高は350m、登り初めから30分、歩幅を小さくしてゆっくりと進む。心拍数を110程度を維持することを心掛ける。持参しているスマートウォッチは140泊を超えると警告が出る。
目前の光景は、山道のカーブを回るたびに変わっていく。ブナの純林が現れる。先週も、その前もブナに純林に感動したが、ここの紅葉が混じった光景はより心を躍らせる。行けども紅葉、そして黄葉。山道には少し濡れた落ち葉が積もっている。落ち葉にかくれて木の根が這っているのが要注意。ここに足を躓かせると転倒する。紅葉の景色に目を奪われると、足元を取られる。頭では理解しているものの、目の前の光景はそんなことも忘れさせる見事さだ。落ち葉を踏んで歩くと、かさかさとリズミカルな音がする。葉が乾燥すると、落ち葉の上を歩くのはもっと楽しくなる。
道幅は狭く、左手の谿は深く切れ落ちている。山ブドウが高い木をアーチ状に結んで黒く熟している。高すぎて収穫することは無理。それにしてもなんとも見事な紅葉だ。谿を渡るところは、道が悪路で注意を要する。後ろを歩いていたTさんが、思わず「怖い」とつぶやく。登山という楽しみは、常に怖さを伴っている。恐怖心を注意にかえて、いかに楽しむか。山を趣味とするものの永遠の課題だ。

高度800m付近では、樹高が低くなっていく。あの見事な紅葉は次第に姿を消していく。高度で600mを稼がなければ頂上には着かない。あと200m。これからが正念場、疲労はピークに達する。まだ着かない、ということばかり考えていると疲労感がたまる。残念ながら、気分転換する光景も少なくなってしまった。あと1時間、我慢の時間である。談笑の声も途切れがちになってくる。この時間が辛いものであれば、その分比例して、開けた光景を目にする歓びは大きくなる。
本日の参加者7名。内男性2名。頂上で、ハヤシ味のカップメシ。頂上は秋風で温かいものがありがたい。下りは、往路を忠実に辿る。登山で使うエネルギーは下りでは、登りの三分の一と言われている。濡れていた道も快晴の陽ざしに、日陰を除いて乾いている。危険個所を注意しながら順調に降りる。ロープを張られた急勾配が1ヶ所。登り3時間に対して、下りは2時間15分。帰路舟形の若アユ温泉で汗を流す。検温は自動カメラが設置されているのが珍しい。
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時雨

2020年10月30日 | 日記
10月もあと一日を残すばかりとなった。公園の道に落ち葉が散り敷き、カエデ紅葉が赤く染まっている。日がさしているのに、雨が落ちてくる。空を見ると、北の空が晴れ、東から雨雲が迫っている。5分ほどの買い物だが、傘をとりに戻ろうか、少し悩んでしまった。時雨と書いて、しぐれと読む。寒気が入ってきて、降っては止み、止んでは降る秋の雨のことだ。もう霜が降りる、5℃以下の朝の気温になっている。冬はもうそこまで来ている。

口に出てわが足いそぐ初しぐれ 石田 波郷

この秋、自分の身体で大切にしているものがある。それは足と歯。足は2月から継続しているウォーキング効果で手ごたえがあるが、歯周病のせいでぐらついてきた歯のケアだ。週一で歯科で、歯周ポケットの歯垢除去。歯を磨く時間が徐々に増えている。鏡を見ながら、歯間ブラシを使い、電波歯ブラシで、しっかりと磨く。歯のぐらつきがかなり改善した。2本を抜歯して残った22本を大切にして老後を過ごす。自分の足でしっかりと用をたせることがこれからの目標となる。

眼も心配ではある。手元の小さい字はメガネの力を借りなければ読むことができない。「韋編三絶」という言葉がある。韋編というのは、まだ紙がない時代、竹の札に文字を書き、その札を皮の紐で結んで巻物にした。晩年の孔子が
『易経』を愛読し続け綴じ紐が3度もすり切れた、という故事から出た言葉だ。人はもう死がすぐそこまでやって来ているのに、読書を止めようとしない。読書という行為は、読んで得てた知恵でよりよく生きる。そんな浅はかな行為ではないであろう。死を前にしてなお読み続けることが、読書の本質を示している。読書そのものに、人生の楽しみがある。晩年の田中菊雄先生が、神奈川の自宅で、書庫に入りこんで本のページを開いてまま眠り込む日々を過ごしたという記事を未だに記憶している。

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2020年10月28日 | 日記

昭和5年10月26日、種田山頭火は九州に行乞の旅に出ていた。飄々と旅から旅へ、流転の日々である。そんな山頭火の目に映るものは、自然の美しさである。

ほんとうに秋空一碧だ、万物の美しさはどうだ。秋、秋、秋のよさが心身に徹する。(『行乞記(一)』
もぎ残された柿の実のいよいよ赤く 山頭火

山頭火の時代だけでなく、今でも柿の実は秋の風物詩だ。山村にも、もがない柿の実が、葉を落としても雪が降るまで残っている風景。しかし、山に食べものがなくなった熊が、この柿を目がけて里に降りてくる。この秋は、熊の目撃情報がダントツに多い。人が熊に襲われて怪我をしたニュースが後を絶たない。秋の風物詩も、冬ごもりの準備の熊の標的になっている。
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小東岳

2020年10月26日 | 登山
仙台と山形が隣接して、いかに近い場所にあるか。小東岳に登れば、それがよく分かる。ただし、その二つの間には、深い渓と急峻な山が幾重にも折り重なるように続く。この二つの街をつないだのは、二口街道である。山寺の馬形から山伏峠を越して、宮城の秋保磐司岩から愛子へと抜ける。ここは山寺に立石寺が開基されたころからの古い街道で、宗教の道としての側面を持っている。山伏峠の名を持つのは、月山や湯殿山などの出羽三山へ向かう行者が使った道であるからだ。山形城と仙台城を結ぶ最短のコースで、火急の使者が通る道たして重視され、幕府によって道路の整備が進むと荷駄の量も増えていった。

明治になると、寒風沢の入り江に汽船が入るようになり、生魚の搬送が活発になった。深い渓筋は日陰が多く、夏も涼しいので鮮度を保つためにも都合がよかった。余談になるが、私が仙山線に乗って山形へ来たのは昭和34年であったが、一斗缶に魚を背負って商いをするお婆さんが数多く乗っていた。仙山線こそは仙台から愛子を経て面白山トンネルを抜けて山寺から山形に至る二口街道の現代版だ。仙台の海からの物資は山形の人たちが待ちのぞんでいたものである。

天気予報では晴れのはずだが、霧のような雲が立ち込め視界がきかない。あまつさへ、小雨がぱらつきカッパを着るはめに。しかし雲が薄くなって日が見えると、姿を現したのは頂上手前の紅葉に彩られた甲岩。日がさした部分がスポットライトを浴びたように素晴らしい景色となって見えて来る。
秋の空は変わりやすい。日が見えてくると急に折り重なるような谿の彩る紅葉の競演。一気に青空が広がる。今日のコースはアップダウンが激しく変化に富んでいる。登山口を6時45分に出て、1230ⅿの糸岳には8時、1時間15分を要した。やや下って石橋峠から登って山王岳へ、このピークから滑りやすい濡れた坂道を枝につかまりながら下る。標高900mの地点まで下って甲岩を見たのが10時10分。小東峠でおやつを食べると、ここから最後の急登。頂上に着くまで日がさして、最高の紅葉、そして指呼の間にどっしりと居座る大東岳の雄姿が我々を見守っている。頂上で円陣をつくって弁当開き。さっきまで強かった風もおさまり、絶好の秋日和となった。達成感があるものの、あの下りを考えれば下りが恐ろしい、という声も聞こえる。下りで使うえにるぎーは、上りの約30%である。これはスポーツ医学の能勢先生の指摘したことだ。これを頼りに、「下りは楽だよ」と下りが苦手な自分が声を出す。しかし、登りで使った筋肉の疲労は無視できない。足吊りを起こす人もでてゆっくりと下る。本日の参加8名。内男性2名。二口峠には2時50分、全員無事到着。
二口峠からヘアピンカーブの街道を、折からのピークとなった紅葉の谿や山を見ながら白糸の滝までドライブ。白糸の滝で車を停め、みごとな滝を彩る紅葉をカメラに収める。今シーズン最高の紅葉が堪能できた。
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三吉山、秋

2020年10月24日 | 登山
昨日、二十四節季の霜降。日一日と秋が深まる。三吉山は朝目覚めて、南の戸を開けると最初に目にする山だ。その姿を見るだけで、一日を気を入れて過ごすことができるような気がする。東に見える千歳山とともに、三吉山は朝一日の元気をくれる山である。歌人の斎藤茂吉は、この山がもっと近くに見える金瓶で生まれた。帰省してこの山を見ると、茂吉の幼いころを思い出した。「をさなくて見しごと峯のとがりをる三吉山は見れども飽かず」と詠んだのは、茂吉61歳で帰省した時である。かつて茂吉が朝な朝なに眺めた三吉山を見ながら不思議な縁を感じる。

千歳山か、三吉山かと迷いながら向かったのは三吉山である。昨年の暮以来の訪問になる。山中を歩きながら、紅葉が進んでいることを実感した。先日の笹谷峠よりも、赤や黄色が濃さをましている。岩海にきて、赤いブドウの葉が散っていた。猿の群れが餌を求めて動いていたのは、この辺りだ。目を凝らしたが猿の姿はない。人影もなく、一人で歩くのは、不思議な体験でもある。
登ってきた岩海をふり返ると、対岸に紅葉が美しく見えた。山道は落ち葉が朝方の雨に濡れている。足を滑らせると危険なので、慎重に歩く。SWの運動量は3.2を示している。ここまで、千歳山よりも数字は大きい。登山口から1時間ほどで山頂につく。秋には葉山へいく道の辺りにキノコが出る、と聞いていたので目配りをしながらに歩行である。しかしどの枯木にもその姿はない。木陰から葉山見せる姿も、紅葉の始まり告げている。来週、もう一度くれば葉山の紅葉も楽しめそうだ。
帰りは山道の湿りは乾いていなかったが、意外に安定して下ることができた。水場を過ぎてすぐに見晴らし台へのコースをとる。階段のような道の途中でモダシが出ていた。夜の食卓に一回分のキノコ汁ができるほどの量であった。下りになって、三々五々、登ってくる人に出会う。歩数10000歩。所要時間2時間弱の行程。下山して北の空に雨雲が出た。
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