常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2023年07月31日 | 日記
朝、蝉の鳴き声のなかを歩いた。季節は大暑から、立秋(8月8日)へと向かっているが暑さが本格化するのはこれかららしい。知人との会話に、「暑さが積もる」という言葉が出てきた。「雪が積もるのも嫌だけど、暑さも積もって欲しくない」と、孫のような女性が言った。35℃超えの気温は、日本だけのことではないらしい。国連の事務総長の言葉がショッキングだ。地球は温暖化の時代から沸騰の時代に入った、と演説している。声高にカーボンニュートラルが叫ばれるが、今日から地球全体で一酸化炭素の低減を始めても、効果を生むまで数十年かかるらしい。やはり、暑さに適応する生活を工夫する以外に、生き延びる方法はなさそうだ。

高村光太郎の『道程』より。

あつき日

ぢりぢりと啼きかけてはまた
何か憚る初生な小胆な油蝉
(中略)
東京の場末の青物市場には玉葱がむせ返り
ぶとはただれた馬の腹にすひつき
太陽は薄い板のやうなものにて
わが横面をぴしりとうつ

それでも、空には雲がだいぶ出ている。風が吹いて部屋に入ると、思った以上に涼しいような気もする。ドラッグストアで求めたヒンヤリグッズを、首に巻いて暑気を追う。そういえば、去年買ったハンディ扇風機も、机の上に眠ったいる。取り出してスイッチを入れると、頼りない風が顔にあたる。

今日で7月が終り、明日から新しい月が始まる。立秋から、9月の彼岸まで、一年で一番暑い日もあっという間に過ぎるだろう。夜の睡眠をしっかりとることが、暑さを乗り切る一番の過し方だ。
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猛暑に勝つ方法

2023年07月28日 | 日記
梅雨明け10日とは、よく言ったものだ。その日から、空は晴れ渡り、雨の気配さえない日が続いている。天気予報も、週間を通して晴れマークが続いている。ここに来て、身体もやっと暑さ馴れしてきているような気がする。だが、8時を過ぎると直射日光が強く、炎天下のもとでの散歩など思いもよらない。暑さ対策の一番目は、5時ころにする小一時間の散歩だ。山際の道をとると、陽射しもやさしくなる。涼しいなかで身体を動かすのが一番のような気がする。

朝起きて一番にすること。コップ一杯の水を、目覚めに飲みほす。これで、身体が一日の動きのスイッチが入る。外に出て太陽を浴びれば、それだけで元気になる。帰ってきてからのラジオ体操も習慣になった。ベランダで暑さに耐えている植物も忘れられない。ジョウロでたっぷりと水をやるとみるみる元気になる植物たち。ほんの短い時間でも、野菜や観葉植物との触れ合いで、元気をもらう。そして、朝食で飲む具だくさんのみそ汁。暑さに負けないための必須の食べ物だ。

暑い夏に元気をもらう二人の天才がいる。メジャーリーグで活躍する大谷翔平。今日もダブルヘッダーの最初の試合で、完投、完封で9勝目をあげたすぐ後に、2打席連続のホームラン。ホームラン王へ、二位の選手に10本の差をつけた。そして将棋界の若き天才藤井聡太。棋聖の防衛に続き、王位戦でも防衛に王手をかけた。王座戦では挑戦者決定戦に進み、8冠制覇も現実みを増している。二人の活躍は、夏の異常気象を吹き飛ばすような快挙だ。二人の活躍を喜んでいると、いつの間にか夏が終わっているような気がする。
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百日紅

2023年07月27日 | 日記
35℃超えの猛暑日が続くなか、百日紅の花が開いた。青い空やブルーの海が夏に似合った色だが、百日紅の赤い色は、朝焼けや夕陽の赤とともに、夏のシンボルと言っていい。お盆のお墓参りで、お寺の庭にこの花が咲くと、古い日本の郷愁でもある。

百日紅ごくごく水を飲むばかり 石田波郷

危険な暑さ、この頃こんな言葉を耳にする。産業革命以来、百年かけて人間の活動が環境変化を起こして、今日の異常な気候がある。一酸化炭素の縮減に務めたとしても、地球の環境を取り戻すには百年がかかる。こんな説が唱えられるなか、とりあえず暑さ対策に麦茶を冷やして飲んでいる。

今年は、高齢になった身を案じてくれるのか、知人からのいただきものが多い。なかでも、旬のキュウリを方々からいただく。キュウリもみ、サラダ、ぬか漬け、みそ汁の具。どんな食べ方でも夏の熱くなった身体を冷やす貴重な食べ物だ。北岳に登った山の仲間が、熟した桃をお土産に届けてくれた。食べるにはもったないような美しい色だ。半分に割って妻と一日一個、惜しみながら食べる。桃に仲間の思いやりがこもっている。

ただひとつ惜しみて置きし白桃のうゆたけきを吾は食ひをはりけり 茂吉
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蔵王山

2023年07月24日 | 登山
梅雨の明けた日、体調を崩したり、少し脚が弱くなっている仲間と蔵王の刈田岳から馬の背を歩いて熊野岳へ行ってきた。例年ならこの時期、コマクサの花が見られるので、花を愛でながらの散策である。刈田の駐車場に車を停め、先ず刈田神社を参拝する。朝方は気温も20℃以下で、心地よい風も吹いている。神社のある高みからお釜を見おろすと、湖はコバルトブルーの水を湛えてひっそりと静まっている。この数十年、街の様子も、山の樹々もすっかり変わっているが、お釜の水の色だけは、かって見たものと変わらない。まわりの溶岩に景色のなかで神秘的な色合いである。

お釜の縁を廻るように馬の背の山道が、杭とロープで示されている。小石や砂利が多く、こんな風に道を標さないと歩く場所が広がってしまう。それにしても、梅雨明けを待っていたかのように多くの人が訪れている。家族連れ、高齢者のお友達、元気のいい若者。なかにはトレイルランで走る人もいる。登山道の砂利のなかにコマクサを見つけた。夫婦づれのようなカップルが来て、「わあ、こんなところにコマクサ!」と声を上げる。「コマクサももう終わり見たい、上の方はすっかり終わっていますよ」と話してくれた。

熊野岳でやはり神社を拝み、少し歩くと茂吉の山上歌碑があった。上山市報の連された秋葉四郎さんの「茂吉入門」に、地蔵岳山上にある自分の歌碑を見に行った記事がある。歌碑が建って4年後、昭和14年7月8日のことである。同行者は東北大学の河野与一教授夫妻、実弟の高橋四郎兵衛、門人の結城哀草果である。
「午前三時出発、硫黄精錬所まで自動車、ソコヨリ徒歩。賽河原残雪。熊野神社午前十時半。歌碑の前ニテ食事ス。歌碑は大キク且ツ孤独ニテ大ニヨイ。残雪ヲ食タ。風強イ。」

いただきに寂しくたてる歌碑見むと
 蔵王の山を息あへぎのぼる  茂吉

硫黄精錬所はライザスキー場の近くと思われる。ここから山道を5時間、一行は山道を喘ぎながら登っている。7月が過ぎたのに、日陰に残雪があった。我々の眼には、一片の雪がなく、途中ユリの花盛りであった。コマクサの花の咲く時期はどんどん早くなるばかりだ。帰路、避難小屋から馬の背への斜面はコマクサの群落であった。もう1週間ほど早く来れば、見事な花が見られたに違いない。


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梅雨明け

2023年07月21日 | 日記
いよいよ梅雨明けが近づいてきた。天気予報を見ると、晴れマークが続いて出るようになった。いつ梅雨明けが発表されてもいい環境が整ってきた。梅雨明け10日、と言われこの時期を待って登山の計画がスムーズにいく。登山を趣味にするものには、待ち遠しい季節である。夕刻、本屋に行く。いつものブックオフでなく、新刊が買える書店だ。AIチャットなど最近のトレンドを読む、新しい話題の本は書店でなければならない。チャットGPTについての解説本が平積みで3種類並んでいる。関連した本で見つけたのは、斉藤孝『超AI時代の頭の強さ』と若宮正子『88歳、しあわせデジタル生活』の2冊だ。

80歳を過ぎて、これらの本に注目するのは理由がある。これからの生活に、デジタルやAIを役立てられないか、という考えを持っているからである。最近、感じていることは、デジタルのラインやブログでの人とのつながりだ。もしスマホやパソコンというツールがなかったら、自分の今の生活がいかに味気ないものであったろうか。ひ孫の成長が、日々更新されて、動画となって送られてくる。この一つだけのことでも、どれほど暮しに潤いがあるか。過去の老人にはなかったことである。死んだ義母に届けられたのは、孫の手書きの手紙であった。敬老の日や誕生日、手書きの孫の絵と文字がどれほどの慰みであったか。想像を超える。自分たちの今は、これに比べてはるかに濃密な通信だ。

斎藤孝はこの本のなかで、現在のAIの進化を、幕末の黒船到来と比べている。新しい時代の到来に、自動機織り機を打つ壊した、産業革命の時代の動きも解説している。この時代にこそ大切にしたい「智仁勇」という言葉を、佐藤一斉の『言志四録』から引いている。「智仁勇について、実際に行う難しいと人は言う。しかし、人の上に立つ者は人びとをよく治める義務がある。つまり悪事を明らかにし(智)、孤児ややもめを憐み(仁)、強暴な者をこらしめる(勇)。この三つを実際に行わなくてはならない。」

AIの時代に論語。不思議に思える取り合わせだが、価値観が大きく転換する時代にこそ、人々は頭脳を整理し、しっかりと心を落ち着かせ、冷静に対処することこそが求められる。西郷隆盛、江藤新平といった維新の傑物の時代にあった対処の仕方が取り上げられている。この混沌した現代に、どんな救世主が現れるか。見届けたいものである。
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