常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

弥生尽

2023年03月31日 | 日記
今日の気温は21℃まで上がるらしい。5月、初夏のころの陽気がしばらく続
く。三月は今日で終わるが、4月もすっとんでいく感じである。異常な気象とはいえ、春や初夏の気候はうれしい。四季のうちで一番、身体にやさしく、希望にみちた季節である。冬のあいだ敬遠気味であった戸外が、一気に身近になる。咲く花もおしなべて美しい。ときおり使わせてもらっている散歩道の庭の花は、それぞれの庭のご主人が、手塩にかけて育てたものだ。そんな姿を見ているので、その人の愛情が花にのりうつっている。

林中に菓子ひらく香や弥生尽 堀口星眠

昨日の新聞で、昨年、俳句大賞を受賞された齋藤慎爾さんの訃報にせっした。大学の寮で、本に埋まるようにしていた愼爾のおもかげが彷彿とする。美空ひばりの歌を愛し、ほれ込んだ作家の本を徹底して読む姿に刺激をうけた。大学を中退して、深夜叢書という出版の道をすすんだが、卒業後にお会いしたのは一度だけであった。自分より、一歳上の83歳。もう、この世代は、いつ死が訪れても不思議ではない。

千鳥ヶ淵の桜は、この週末が見納めになるらしい。人の訃報にせっして、その人の近くの桜のたよりが気にかかる。人の死と桜ふぶきは関係がないが、花が別れを惜しむように散るさまはひとつの風情でもある。

人恋し灯ともしころをさくらちる 加舎白雄 
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ソロモン王

2023年03月30日 | 日記
青空にピンクの辛夷が映える。今年の春は季節を先取りしている。昨年から、この現象が始まっているように思える。3月に、桜が咲いているのを見るのは初めての経験だ。花が咲くと、蝶や小鳥が楽しそうに飛び回る。季節は先取りされても、春の喜びは、生きとし生けるものに等しく分かち合う。小鳥のさえずりを聞くにつけ、こんな詩に心ひかれる。

ま垣の草をゆひ結び
なさけ知る人にしるべせむ
春のうれひのきはまりて
春の鳥こそ音にも啼け

佐藤春夫の「車塵集」より。春鳥が啼くのは、妻問いのためである。こんな詩に触れながら、昨今の幼児虐待の世相を今さらのように信じられない。旧約聖書にこんなくだりがある。二人の遊女がソロモン王の前に出て、互いに、相手が我が子を盗んだと訴え出た。ソロモンの王は、「生ける子を二つに分かち、その半ばを此れに、半ばを彼に与えよ」と言い切った。つまり、子を半分に断ち切って、二人に分け与えるとしたのである。この王の裁きに、一人は自分は子を我がものにすることを諦めて、二つに断ち切ることを止めた。一方、もう一人は半分を受け取ると申し出た。王は、前者が本当の母と認めて、子を与えた。母の子への心を物語る故事である。
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癒される言葉

2023年03月29日 | 日記
坂巻川の土手の桜の蕾がふくらんできた。昨日、悠創の丘でヤマニンジンを収穫した。クルミと味噌を湯がいたヤマニンジンにからめて春の味を堪能する。春の陽ざしは、それだけで人を幸せにする。團十郎の狂歌。

たのしみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度くう飯

何もない日常を彩ってくれるのは、季節の花と旬の食べ物だ。高齢で活動の範囲がせまくなると、ひとしおそんな日常がいとおしくなる。「人間の幸福というものは、時たま起るすばらしい幸運よりも、日々起こってくる些細な便宜から生まれる」ベンジャミン・フランクリンの言葉だ。

また釈迦の言葉で「人生の長さはひと呼吸の間」という教えもある。春の桜に初夏の新緑やあじさい。考えてみれば、日常のなかに楽しい瞬間が、次々とやってくる。その一瞬、一瞬を大切に生きること。それが年老いたものが生きていく極意ということであるかも知れない。
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絵本

2023年03月28日 | 日記
先日、孫たちが来たときの話。ひ孫の一歳の誕生日に絵本をプレゼントすると、言ったら「あらあ、この子絵本大好きよ。絵本は見せただけでニコニコだから。」と大喜びだった。サプライズ効果を狙った発言だったが、はずれてしまった。上には上があるらしい。北村薫の『詩歌の待ち伏せ』を読んでいたら、プリガフォンというものがあるらしい。まだ赤ちゃんが胎内にいるとき、これを母のお腹にあてて、赤ちゃんとお話をする道具だ。夜毎、胎内の赤ちゃんに向かって歌を4、5曲歌い、絵本を読んで聞かせた。その効果がすごい。

その父の話を聞いた幼児は、生後3ヶ月で、読み聞かせた本に目を輝かせ、生き生きとした反応を示したという。北村薫は言う。「幼い頃に接する本というのは特別な輝きを持っている」この黄金の幼児の期間をすぎると、その輝きは次第に失われていく。どんな本をひ孫におくるか、ちょっと難しい問題をかかえたような気がする。

こんな話がある。父親が帳簿の仕事をし、疲れてしんどくなると、娘が父の仕事を内緒で手伝うという話だ。仕事がはかどらなかったのに、何故か帳簿つけがスムーズになっている。父が喜んでいる一方で、寝不足の娘は疲れて母から注意を受ける。家中に暗い空気が流れたが、娘が父を助けていたことが知られると、家中から感謝される。母からに娘へのご褒美。焼きリンゴ。まだ眠っている娘に、甘い焼きリンゴの匂いが流れて目を覚ます。ここで絵本のお話のおしまいになる。こんなほほ笑ましい話の絵本を送ることができたらうれしい。

今日の戸外。親水公園の草むらに萌えるツクシ。ハサミ持参で収穫する。もう20年も前だが、奈良から来た親戚の叔母さんが、最上川の土手に出たツクシを夢中でとっていた。聞くと、収穫したツクシはハカマを取って、湯がいたあと佃煮にして食べるという。以来、春がくるとツクシを採って佃煮を作る。シャキシャキした食感とほんのりとひろがる苦味。年に一度味わう春の味覚だ。
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伝い歩き

2023年03月26日 | 日記
ひ孫たちが帰って一週間になる。日が経つのが早い。帰ってから、孫に手紙を送った。「ありがとう。楽しかった。涙がでるほどうれしかった。ばあばも、本当に喜んでいる。ありがとう。」という簡単な文面だが、すぐに返事のメールがきた。

「〇〇を連れて山形へ行けて本当に良かった。何よりもじいじとばあばに〇〇を会わせてあげられて、二人とも喜んでいます。また〇〇の成長した姿を見せられたらいいな。二人とも身体に気をつけてね。」

この文面につけらた写真が、ベランダのガラス戸につかまって立つひ孫の姿だ。山形へ来たときは、這いまわって、膝につかまるだけだったのが、もう箱につかまり、ガラス戸で伝い歩きをしている。たった、一週間の成長の姿だ。ひ孫の住んでいる所は、もう桜が散りはじめた。

ひ孫の成長を喜ぶ山形の二人は、自分たちの衰えをかくせない。久しぶりで朝日のなかを、スロージョギング。明け方まで降っていた雨に濡れたスイセン。ユキワリソウがピンクの花を咲かせた。レンギョウ、もう花がびっしりと咲きそろった。写真を撮りながら、思い切りゆっくりと走る。足がジョギングに馴れたせいか、ゆっくりのせいか、足に疲れがこない。

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