常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ブナ林

2014年06月30日 | 登山


ブナ林に入るとほっとした気分になる。杉林が光を遮って、薄暗い林床であるのに対してブナ林は所々に日が差し込んで明るいせいであるのかも知れない。ブナの美林という言葉も時々耳にする。青森の白神山が世界自然遺産になったのも、このブナの美林のせいであるかも知れない。ブナはその実から林に生育していくには、自然界の厳しい掟が存在する。一本の木としてブナが生育を続けるためには、樹冠いっぱいに繁る葉に十分な光が必要になる。木は光を求めて背を伸ばすのだが、より高く背を伸ばせる木が強者として勝ち残っていく。ほとんど等間隔に生え揃うブナ林は、生存競争に勝ち残った木々によって支えられている。

ブナの寿命は比較的短い。杉やミズナラが千年を超える大木があるのに比べて、ブナの寿命は300年ほどである。このくらいの年数を重ねると突然風に倒されたり、立ち枯れして突然のようにその生涯を終わる。秋、倒木のブナにブナカノカやナメコが木一面に生えるのを見かける。キノコは木の養分を分解して、森の土へと返す役割を果す。毒キノコであるツキヨタケが、立ち枯れの木を覆って出る様は、初めて山へ入る人を驚かせる。一本の大木が倒れると、森には大きなスペースができる。そのスペースを巡って、様々な植物の生存競争が始まっていく。


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みみず

2014年06月29日 | 日記


この間、雨乞いの記事を書いたら、ようやく雨になった。雨が花の美しさを引き立てるが、紫陽花はその最たるものだろう。日差しが強いと干からびたように見える紫陽花の花だが、雨に濡れると紫がいちだんと濃くなっていかにも日本の風景に似つかわしい。ズッキーニが雨を喜んで収穫する実がぐんと大きくなった。土中のみみずも雨を喜んでいることだろう。

朝すでに砂にのたうつ蚯蚓またぐ 西東 三鬼

蚯蚓と書いてみみずと読ませるが、「目見ず」の名目読みだとする説が、夏目漱石の『我輩は猫である』に出てくる。朝散歩をしていて、アスファルトの上で蚯蚓がのたうつ姿を見かけることがある。これは、蚯蚓が日に照らされると身体を転がす習性があるらしい。小生物を細かく観察して書いたのは斉藤茂吉だ。

「その蚯蚓は日に照らされると体を転がす。しばらく匍ふうちにまた体を転がす。さういふ具合であるから、蚯蚓の行かふとする方角が少しも分からない。僕は土中に住む蚯蚓なら日に照らされれば苦しからう。そんなら本能的に湿り気のある物蔭にでも這入ればいいと思ふが、なかなかさういふことをしない。」茂吉の文章を読みながら、朝、アスファルトの上に蚯蚓の干からびた死骸があったことを思い出した。みみずは、こんな動作を繰り返しながら
強い太陽の暑熱で死んでいくのであろう。


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初夏の鶴間池

2014年06月28日 | 登山


約半年ぶりに鳥海山の麓にある鶴間池を訪れた。きのう、ここに写真を撮りにきた男性が、帰る道を見失い、遭難騒ぎとなり、ヘリコプターの救助を受けたことが報道された。その遭難の跡は全く分からない状態であったが、登山道に目印の赤いテープがこれでもかとばかりにつけられてあるので、池まで迷いなく着いた。駐車スペースから、一時間ほどで池に着く。昨年は秋で、あたりは紅葉が始まっていたが、今は初夏の緑が眩しいほど美しい。エゾハルセミの鳴き声が耳に痛いほどであるが、我々のグループ以外に山中に人はいない。



池の向こうに目をやると、鳥海山の残雪から流れ出す滝が緑の山肌を切り裂くように落ちているのが見えた。「飛流直下三千尺」と滝を詠んだのは、唐の詩人李白であるが、滝が空から落ちてくるのはこんな光景であろう。その先の鳥海山は雲の中に隠れているが、その積雪は滝となり、沢を流れる川となり、この鶴間池へと流れ込む。



鶴間池の標高は800mほどである。ブナの美林が池を囲んでいる。この季節のブナの緑はことのほか美しい。葉の木漏れ日を写真に撮ってみる。沢を流れる水の音とエゾハルゼミの鳴き声、そしてブナの葉の緑。どの現象も、この場に足を踏み入れた者にしか体感できないものばかりである。登山道の近くの駐車スペースに車を停めて椅子を持ち出してあたりを観察している人がいた。聞けばイヌワシの生態を観察している人である。自然の営みを、そのなかに身を置いて見続ける頼もしい人だ。週末にだけ訪れる街の住民にとっては、ただその活動をやり遂げることを祈るばかりである。


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ビヨウヤナギ

2014年06月27日 | 


ビヨウヤナギは繁殖力が強い。小さな鉢植えの株を裏の植え込みに移植したら、数年で両手に抱えきれぬほど大きくなった。この時期黄色い花をたくさん咲かせるので、方々の家でも裏庭に植えている場合が多い。同じオトギリソウ科のキンシバイと見間違うことがあるが、こちらは雄しべがビヨウヤナギほどに長くない。いづれも、中国から渡来した植物である。

花の写真を撮りにいくと、蜂が蜜をもとめてやってきた。ビヨウヤナギの雄しべは、蜂の体重を支えるに十分な強さを持っている。蜂が雄しべに足をからめると、蜜に感謝をしているようなしぐさに見える。金糸のような雄しべは、見た目にも美しい。葉をみると細長く、柳の葉に似ているのでこの名がついた。未央柳の字を当てて句に詠まれると、花の雰囲気が伝わる。

咲き出でぬ未央柳のたよたよと 蛇 足


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雨乞い

2014年06月26日 | 日記


天童市に雨呼山がある。日照りは近在の農村にとっても由々しいことであった。この山は日照りに雨を呼ぶ信仰の山であった。日照りが続くと、村の若衆がこの山の山頂の神社に、お神酒を上げ、竜神の池を回り、池に入って水を飛ばし、泥をかけあって暴れながら「雨たもれ」と唱えた。この騒ぎで竜神様が目を覚まし、雨が降ると言い伝えられてきた。

1088年6月27日に、おりからの空梅雨で人々はなすすべを知らず途方にくれた。宮廷では大極殿に僧千名をあつめて雨乞いの大祈祷を行った。果たしてこの祈祷が効果をあげたかどうか、記録はない。古来、天候を人が左右することはできず、ただ祈るのみであった。今年の気候などは、九州や関東の一部など雨が降る場所では、あまりの大雨で大きな災害となり、同時に空梅雨で少雨の地方もある。

降雨を司る神は、その振り分けに苦慮しているかのように見える。ここ数年の傾向として、降雪や降雨が極端は偏りをしているように思える。戦後の貧しい時代にも、大雨による洪水の記憶もあるが、季節はもっと穏やかに推移していたように思う。


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