常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雲の表情

2020年09月07日 | 日記
遠い九州の西側の海を台風が大きなつめ跡を残して抜けていった。本体はもう朝鮮半島にあるのだが、そこへ向かった吹くのか、結構強めの風がこの地でも吹いている。空を見上げると、何事もなかったように白い横雲が、山を離れて浮かんでいる。人はこんな景色を見て何を思うのであろうか。今まで経験したことのないような、強風、大雨、高潮が強調されていただけに、被害が比較的少なく済んで、ほっとした印象がある。雲に何かしらの安らぎを感じる。但し、青空のなかの直射日光は、9月になったのに、真夏と変わらぬ強さだ。折しも、紫外線が新型コロナを不活性化する、という研究が発表された。台風一過の晴れが、地球上に蔓延しているコロナウィルスを消滅してくれるとありがたいのだが。

春の夜の夢の浮橋とだえして
 峰にわかるる横雲のそら 藤原定家

新古今和歌種の選者となった定家の代表作である。歌の意味を記せば、「春の夜の明けるのが早いため、夢も途中でとぎれてしまった。目を覚ましてみれば、曙の空には、横にたなびいた雲が峰から別れてのぼろうとしているところだ。」この和歌のポイントは、「夢の浮橋」である。この言葉は、ご存知、源氏物語の最終帖の題名である。浮舟という女性が、二人の男性から思われ、知らずとはいえ、もう一人の男性と通じてしまい、恋人に申し訳はないと思いながらその人にも惹かれる。罪深い自分を責めて、尼となって尼寺に身を隠す。定家の生きた時代の歌詠みであれば、誰もが知る恋の闇の世界だ。だが、歌はそんな恋にかけた言葉を使いながら、雲が峰から離れて、青空へと吸い込まれていくいつでも見られる光景を描く。その光景に、王朝の雅をそっと添えている。

人は空に浮かぶ雲を見ながら、それぞれの思いを浮かべる。「おおい、雲よ。そんなに急いでどこへ行く」と雲に呼びかけた詩人もいる。雲は地上の水蒸気が蒸発して、大気中で冷やされて作られるものだが、地上の生きる人には、生きもののように思える。空を撮影して、毎日SNSに載せるブロガーもいる。周りの山や木々にとけ込んで、地上の自然と一体になっている。その気象条件が台風や大雨を引き起こすもとともなる。80年近く生きたものにとって、雲は空では変わることはないが、引き起こす気象現象は、人類の文明や人口増などによって変化を遂げている。

コメント
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