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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

村上市への旅

2025年04月18日 | 登山

今年になって山行は名所への旅という感が強い。新潟県村上市、日本海に面した古い街だ。市役所の近くに、村上城がある。臥牛山という標高135mの山に築城されている。上杉謙信が台頭する戦国時代の城である。山形で言えば千歳山に登るような気楽な散歩登山ができる。町並みは、古い町並みが残され、鮭が遡上してくる川でのサケ漁が行われ、鮭の寒風干しが名産になっている。

1667年に落雷により天守が消失、その後城主が次々と変わり、いまだに天守閣が再建されていない。こ山道はほとんど石畳が敷かれ、登りやすくなっている。道脇にエンレイソウ、カタクリ、シラネアオイなど山の花が咲き乱れ、石垣の上には桜の大木が今を盛りと咲いていた。小雨のなか、本来見えるはずの日本海は雲のような霧にさえぎられている。地形で海を想像してみる。参加者9名、一行は珍しい花を探し、その特定に余念がない。場所を変えて羽黒神社。階段の先の神社も桜が満開。しばらくぶりで、高低を伴った登山を思わせる歩きになった。臥牛山といい、羽黒神社も山形の山や山岳信仰がこの地でも共有されている懐かしがあった。
約2時間の名勝歩きを終えて、昼食は和食「ゆるり」。海の幸と新潟の米を使う海鮮丼。海の近くで食べる海鮮の新鮮さは格別だ。鮭の加工品売り場が食堂の隣にある。お土産に妻が好きな酒のカマ。以前、ここで作られた酒びたしをご馳走になったことがある。村上まで車で2時間、山歩き2時間、帰り道2時間。

gooブログのサービス終了が告知された。今日で開設から4776日、13年が経過したことになる。これを機会にブログの閉鎖が頭をよぎる。だが日々の暮らしで書いておこうと考えることのしばしば。生成AIの登場で書くことの新しいフェイズに入ったことへの興味もある。ここは他のサイトへ引っ越しして、当面継続することにした。サービスの終了は今年の12月、それまでにもっと多くの人から読まれるブログへのレベルアップも目指したい。
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ミツマタの花

2025年03月23日 | 登山
早春のミツマタの花にひかれて、今年初めての山行となった。福島県相馬市の塩手山標高281m。低山といっても里山には急登がある。住んでいる山形から太平洋の見える相馬に行くと登山口の梅の花は紅梅も白梅も満開。登山口からわずかに登ったところでミツマタ花の蕾があった。気温はぐんぐんと上って20°c。帰りにはもっと花が開くことを期待して撮影時間は帰路になった。

ミツマタはヒマラヤ原産となっているが、中国や日本でも自生する。万葉集には三枝(さきくさ)という歌語があってミツマタのことだとする説がある。

春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹 万葉集1895

手もとの万葉集釈注にも、さきくさは春、葉に先立って黄色の筒状の小花を開くミツマタであろう、とある。さきくさと通う幸くは元気であればの意。元気でさえあればまた逢うこともできる、そんなに恋こがれなさんなと詠んだ男の歌だ。
 
ミツマタは葉の出る前枝の先端にこのように花をつける。葉に先立って咲くからさきくさと呼ばれ、この花の場所から3本の枝を伸ばすからミツマタ。実に即物的な命名だ。花には甘い香りがあり、人々から愛される花であるが、三本の別々に伸びる枝が家族が離ればなれと解釈して庭には植えるなと、忌み嫌われる対象となることもあった。だが根本から枝を出すため株が大きくなるため存在感があり庭木として根強い人気がある。丸い蕾が枝にびっしりと付き、次々に黄色の筒状の花は美しく、その芳香は周囲をさわやかに感じさせる。また樹皮の繊維は丈夫で和紙の原料となる。この木から一万円札の紙も作られてきた。

今年初めての山行は、天候にも恵まれ、ウメの花と香りを楽しみ、さらにミツマタの花に出会えたのは幸運であった。あと何回行けるか分からない山行にも行かなければ出会うことのできない幸せがある。


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大高根山

2025年02月05日 | 登山
寒が明けてから、寒波がきて山々は雪が降り積んでいる。今年になって山に遠ざかっている。こんな日に思い出すのは、雪の大高根山登山だ。深い雪の中、登山口を探しあぐねて、登ったのは別の山。そこから大高根山の雪の景色を見ることができた。先日、温泉で大高根山の麓の集落出身の人に偶然会った。その人の子どものころ、大高根に米軍の射撃場があり、その発砲音を聞いたと、述懐されていた。1945年に、米軍が神町飛行場に到着すると、間もなく大高根射撃場は米軍に接収された。翌年の6月、射撃の標的をつくるために集落の村民が動員され、三つの砲座と13の標的が作られた。

それから10年、昼夜を問わぬ射撃演習が続いた。55年になって新砲座設置のための土地の収用、それに反対する集落の農民が激突、死者も出た。その出来事から半年後、米軍の接収が終了し解除、撤退となった。大高根山には、こんな歴史がある。集落のこの山を愛する気持ちは尋常ではない。登山道はしっかりと整備され、木の葉は箒で掃き清められる。後藤勝一さん、接収に反対して立ち上がった農民であり、その闘いを詩に書いた。

弾道下のうた 後藤勝一

雪白く峯にかがやき
水青く最上は流る
美わしふるさとの空に
ばくおんはみだれとどろく

山は焼かれて芽を吹かず
わらべの歌は変わらねど
砲火の音に明けくれて
ふるさとの平和今はなし
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年忘れ

2024年12月29日 | 登山
今年の年忘れは回転寿司のまぐろ尽くし。マグロの解体位置を毎月やっている店なので久しぶりに小食の妻と堪能した。今年はこれで思い残すこともなしになったか。朝方、少し朝日が見えたが、その後雪が降り続く。正月のおせちと言ってもスーパーで蒲鉾を買ったり、雑煮の具を買う程度だが、一つずつ忘れて近所のスーパー通いが結構忙しい。

しぐるるやだらだら坂の黒びかり 才一
持ちかへて軽きてっちりの菜   信

年忘れ歌仙で、丸谷才一の発句に、大岡信がつけた句だ。今日、スーパーで雑煮の具材を下げてきたが、寒さにかじかんだ手は袋を持ちかえることになる。なるほど、詩人の付句は、年忘れを巧みに表現していると感じる。

今年の歳末は、なぜか良寛の歌が心にしみる。

水やくまむ薪や伐らむ菜やつまむ 
 朝の時雨の降らぬその間に 良寛

や・・・むの三句は、時雨のこないうちに終わらせなければならないという切迫した気持ちをあらわしている。歳末の買い物に急ぐ人々は、そんな気にかられているのであろうか。年末でなければ、総菜の買い物などいつでもいい。
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岩部山

2024年12月14日 | 登山
今年最後の山行は幸いにも晴れとなった。昨夜の雪が樹々について霧氷になっている・青空に輝く霧氷は美しい。最後の山行ということで山の神様がくれたご褒美であろうか。山道に積もった雪も数センチで、雪道というほどでもない。ただし枯葉の上の雪なので、特に急な坂道は滑りやすい。しばらく山に入っていないので、脚力もなくつらいものがある。仲間の力持ちが、坂道でリュックを抑えて転倒に備えてくれた。山中の凝灰岩には、江戸時代にここに住んでいた名僧、金毛和尚の発願による33体の観音像が彫られている。なかには苔むし、雪や雨で朽ちつつある像もある。

山友会に加入したばかりの若い頃は、この山が一年納の定番であった。その後もっと雪のある経塚山で一年を終えるようになったが、この山も長くきついのですっかり遠ざかってしまった。霧氷のなかの信仰の山で、昔の近隣の住民たちは何を山中の観音様に祈ったのか。神頼みしかない住民たちの苦しみ。天候ひとつで一年の収穫がふいになってしまう農業。雨ごいをし、肉親の病の快癒も祈ることのほかできることはない。

阿武隈山系に口太山という山がある。842mの低山だが、口太は朽ち人の言い換えという伝説がある。阿武隈の寒村は冷害に見まわれることも珍しいことではなかった。口減らしのため婆様たちをこの山に捨てたという。姥捨山という名の山もあるし、山形にはジャガラモガラ山の姥捨て伝説もある。人の生死と山は深くかかわっていた。一つの山にはその山で食料を得たり、水を引いたり、お祭りをしたり様々なかかわりがある。山の麓で暮らしている人の数だけ、山との切り離せない物語がある。本日の参加者14名、内男性5名。5周り下の巳年生まれの女性は就職が決まって静岡に行くという。
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