常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

槍ヶ岳登頂記(2)

2018年08月31日 | 登山

2日目 槍沢ロッジから槍ヶ岳 8月27日

4時起床。昨夜は、思わぬ疲労に深い眠りで

あった。5時朝食。昨夜の夕食も、今朝の朝

食も、山小屋の食事はおいしい。天候は昨日

に続いて晴天。この空を見て、槍の登頂の成

功を確信した。

槍沢ロッジから槍ヶ岳までの歩行は、約6㌔

昨日歩いた半分にもみたない。しかし、標高

で見るとロッジ1800m、槍頂上が3180mで

その差は約1400mということになる。昨日

の300ⅿに比べれば実に5倍近くになる。つ

まり、今日が本格的な登山になる。旧ロッジ

跡のばば平は、テンバになっている。ここに

テントを張って、槍を目指すことが多い。昨

日の足の疲れも取れ、急な登りだが足取りも

軽く登っていく。右手には赤沢山が見え、そ

こから下る赤沢には、石の押出しが見られる。

落石注意の標識のところでは、上からの落石

がないことを確認して、素早く通過するよう

にと、リーダーの注意がある。登山道脇の梓

川は次第に奔流となって流れる。大曲、水俣

乗越への分岐を過ぎたあたりから、槍ヶ岳に

連なる中岳、大喰山の山並みが見えてくる。

大曲を過ぎると、樹木の背丈は低くなり、森

林限界が顕著になる。さらに進むと樹々の姿

はなく石やらの道になる。大きな石に1550

の表示、これは槍ヶ岳までの距離を示すもの

だ。この地点で尖った槍の穂先が見えた。登

山仲間の歓声があがる。先行する登山者の行

列が道のありかを示している。行列は槍の穂

先よりも右の方へ進んでいる。その先には、

今夜泊まる槍岳山荘が見えてくる。岩陰の草

地には、草紅葉の兆候があらわれ、山は秋の

気配だ。一歩づつ高度を上げるにしたがって

槍ヶ岳は大きく見え、チームの高揚感も高ま

って行く。やがて、石を重ねたような播隆窟

を過ぎる。越中の念仏僧、播隆がこの岩屋を

根城にして籠り、念仏修行をしながら槍登頂

をねらった。文政11年(1828)7月28日、

播隆は阿弥陀如来、観世音菩薩、文殊菩薩の

菩薩の三尊を背負って、槍ヶ岳の登頂を果た

し、頂上に三尊を安置した。これが、槍ヶ岳

を最初に登ったことになっている。

標高2800mを過ぎると、槍ヶ岳は大きく見え

その存在感をクローズアップさせる。空気が薄

くなるため、高山病の恐れも、言われたがメン

バーにはその兆候を示すものは一人もいない。

ただ、長時間の立位のせいか、手の甲にむくみ

が見られる。何よりも、もう少しで頂上を踏め

るという期待感がメンバーを支配する。槍の穂

先には、頂上へと歩を進める姿が豆粒のように

見えている。すでに山荘への道は、疲れた身体

を思いやってか、ジクザクに切ってある。ここ

では、休みを入れる人も多く、同じ顔を抜きつ

抜かれつして登っていく。あとひとがんばりで

山荘に到着だ。

1時38分、槍岳山荘に着く。足へも身体へも

ダメージは昨日より少ない。午前中に、我々

を抜いていった母子がいた。若い母と小学4年

の少年だ。山荘に着いて、この親子の姿があっ

た。聞けば、もう槍の穂先に登ってきたと言う。

「私の任務は終わりました」と言いながら、疲

れた表情も見せずに静かにコーヒーを飲んでい

る。思えば、この山には多様な人が登っている。

女性の一人旅も多い。一人で登ってきた高校生

が道を不安がっていたが、帰りは中年の女性グ

ループの最後尾を歩いていた。女性の単独行も

以外に多い。日本人に案内されている外国の登

山者も目につく。人に迷惑をかけるような登山

者は見当たらない。好天に恵まれた登山を楽し

んでいる人ばかりだ。小走りに歩く、若い登山

者。月曜日だというのに、これほどの人がこ

の山に魅せられて登っている。

槍の穂先を登る。下を見ると恐怖で足が

すくむと言われて来たが、岩の安定感が

あってそれほど恐怖感を感じない。途中

の小さな平場で、反対側の風景を撮る。

この山行では、写真を撮る機会が少ない。

というより、歩きが大変で撮る余裕がな

いと言った方が正確だ。頂上にたってそ

こから見えるパノラマの景色を撮ったが

カメラの設定がバックのなかで動いたの

か、ほとんど写っていない。しかし、好

天で撮れている写真は満足のいくものだ。

下山して小屋に入り、登頂を祝って全員

生ビールで乾杯。明日一日で20㌔を歩く

鋭気を養った。

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槍ヶ岳登頂記(1)

2018年08月30日 | 登山

1日目 上高地から槍沢ロッジ(8月26日)

車で上高地に入るには、沢渡のバスターミナル

の駐車場に車を置いて、バスに乗り換えて行く

ことになる。3時に山形を発って、沢渡の駐車

場に着いたのがほぼ10時。上高地のかっぱ橋を

11時ころ通過する。日曜日のため、大勢の観光

客が橋を渡り、梓川の岸辺でくつろいでいる。

人、人、人。普段地元の山行でこんなたくさん

の人を見ることはない。天候は晴れ、青空に夏

の雲が似合う。この付近の標高は1400m、日

のさす、ひんやりとした空気が心地よい。目覚

めた足も、次第に調子を上げていく。

写真から読み取って欲しいのが、朝の空気感。

道は車も走れるように広い。上高地を過ぎる

とたちまち人影がまばらになる。行き会う人

は、登山を終わって、その満足感を身体中か

ら発散させる登山の人たちだ。欧米の外人の

姿も目立っている。一様に「おはようござい

ます」という元気な挨拶が聞こえてくる。私

がこの道を歩くのは初めてである。だが、何

故か、この道には懐かしい匂いがある。歩き

ながらその理由をずっと考えていた。ふと、

思い出したのが、井上靖の書いた小説『氷壁』

である。そのなかに、この道が出てくる筈と

思い、帰宅して本棚からこの本を取り出して

見ると、まぎれもない上高地から徳本峠への

分岐到る、この辺りの描写があった。主人公

の魚津は友人と穂高の北鎌尾根に登り、結ん

だザイルが切れて、友人だけが谷底に落ちて

死んでいった。その死体を探しに、友人の妹

かおるとこの道を歩く。

「魚津が長い沈黙を破って口を開いたのは、

梓川へ流れ込んでいる小川にかかっている土

橋のところへ来た時で、明神岳を見るにはこ

こが一番いい場所とされていた。

「明神がよく見えるでしょう」

魚津が言うと、かおるは梓川の向うに聳え立

っている山を見上げ、

「まだ随分雪がありますのね」

と言った。中腹の山肌には雪が多かった」

 

我々は、もう雪のない峩々たる明神の岩肌を

目に焼き付けながら歩き続けた。平坦な道を

上高地から明神まで2.7㌔、そこから徳沢ま

で3.4㌔、横尾まで3.8㌔。時おり道端の草む

らにウシ蛙が奇怪な姿を見せる。今日の最終

目的地は槍沢ロッジだが、小屋からは3時に

入るよう促されている。速いペースでも、到

底無理な時間だ。歩行距離にして14.4㌔、幸

い足の状態は快調である。この日にそなえて、

靴のインソールを入れ替えたのがよかったら

しい。

徳沢に来て見えてきたのは、前穂高であろう

か。北アルプスの山々が次第に近づいて来る。

梓川も次第に上流になっているが、まだまだ

細流にならない。清流の脇には、流されてき

た小石が白く美しい。沢に沿って登る道は、

おだやかな傾斜だ。山小屋に着く時間をにら

みながらの歩行は、次第に足の疲労を起こし

始める。背負ったザックが肩に食い込んで来

る。横尾山荘に着いたのは、2時30分。休憩

もそこそこに、今日の宿泊地槍沢ロッジを目

指す。すでに足の疲労はピークに達している。

終着までには、もう2時間を要する。改めて

槍ヶ岳を目指した初志に帰る。強い意志、こ

のくらいの距離の歩行に負けていられない。

そんな思いで必死に足を動かす。樹林帯を回

り込むように道が続く。傾斜もきつくなって

いる。「ここを回り込んだ先がロッジだ。」

とリーダーの声。かくして1日目の山行が終

わる。想定を超えた足の疲れだ。荷を片付け

もそこそこに、入浴。山小屋には珍しく風呂

がある。人間の身体は不思議である。汗を流

しサッパリすると疲労は面白いように取れて

いく。

 

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槍からの帰還

2018年08月29日 | 登山

今回の槍ヶ岳は、わが山友会の今年のメイン

イベントである。8月26日の未明に山形を出

発、29日に日付が変る時間に帰るという強

行日程だ。

結果を先に書けば、快晴、適度な風に吹かれ

て登るという条件に恵まれ、参加した6名全

員が元気に登頂を果たし、頂上でハイタッチ

と歓声が上がる光景が見られた。穂先から降

り、着替えと荷物の整理を済ませると、全員

で登頂を祝って生ビールで乾杯。そのおいし

さはいつまでも忘れられないであろう。

3日目の下山の未明、快晴だった空は雨と風

となった。下山の時間、(5時30分ころ)に

なって、風は止み立ちこめる霧の中の下山と

なった。山荘から上高地までルート距離20.

3キロ、標準タイムで7時間30分、高齢の会員

には厳しい日程だ。

10時半に槍沢ロッジ着。ここで早めの昼食。

預けておいた荷物を受け取り、さて出発だ。

外を見ると本降りの雨となった。雨具、ザッ

クカバーで完全防備、上高地でのバス時間に

間に会うような歩行となった。雨具を通すよ

うな雨だが、不平を漏らす人は誰もいない。

昨日、青空のもと、直にに触れた槍ヶ岳の壮

大なスケール、頂上から見渡す大パノラマ、

槍の穂先の岩一つ一つのはじめての感触が、

喜びとなって残っているからだ。

午前1時近くの帰宅となったが、自分のなか

に変化が起きていることに気づいた。雨に

濡れた登山靴、ザックのなかで濡れている

下着やウェア、そのひとつひとつが愛おし

い。寝る前に袋から取り出して洗濯の準備

をする。この3日間、自分を守ってくれた

道具たちへ、いままでにない感謝の気持ち

が起きて来る。この年になって、この自然

に触れることを支援してくれたすべての人、

特に妻、すべての物、もしいるとすれば神、

に感謝の気持ちを伝えたい。

アメリカの詩人、E・E・カミングスに次ぎ

のような詩がある。今の心境を語るとすれ

ばこの詩の言葉が似つかわしい。登山の詳

細は、このブログで少しづつ書いていく。

 

神よ私はあなたに感謝を捧げます

まず、この最高に素晴らしい日について感

謝します

元気に跳びはねている木々の精霊について

感謝します

空の青い真実の夢について感謝します

そして、自然で、無限で、「然り」と肯定

できるすべてのものについて感謝します

 

 

 

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花の命

2018年08月24日 | 日記

朝貌や咲いたばかりの命哉 漱石

フェーン現象のためか、耐えられないような

暑さの後は、曇り空。ベランダのアサガオも

すっかり花をつけなくなった。5、6輪咲いた

花は昼ころには、もうしなびている。日を受

けたヒマワリばかりが元気よい。2日後の山

行の準備で、このブログもしばらくお休みを

いただく。絶景の写真が撮れると、また紹介

したい。

 

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朝焼け

2018年08月23日 | 日記

5時に起床、窓から外を見ると、素晴らしい

朝焼けである。こんな素晴らしい朝の景色を

見るのは初めてだ。一期一会という言葉はこ

ん景色を見たときに使うのがふさわしい。読

みかけていたウェストンの『日本アルプス』

を読み継ぐ。いよいよ、槍ヶ岳の登頂成功の

場面である。この書のクライマックスだ。ウ

ェストンは梓川の渓流を遡り、徳本峠から槍

の穂先に向かうのだが、この間の描写は意外

にも簡潔である。

 

「急な流れの川床から2時間たゆまずのぼっ

て行くと、そこから「槍ヶ岳」の岩塔が険し

くそびえている尾根の狭い裂け目に着いた。

それから北に向い、昨年引き返した地点をま

もなくうまく通り過ぎた。なめらかでけわし

い岩板は、雨の時は危険だが、今はすっかり

乾いており、都合のよい割れ目や突出部が、

いたるところで足場や手がかりになった」

 

こうして痩せ尾根をあるくこと150m、一行

は頂上に着く。ここからは、360°見渡せる

すばらしい眺望の描写となる。

 

「真東に当っては、常念岳の三角形の姿がくっ

きりとした輪郭を見せている。浅間山の煙は遥

かかなたに立ち昇っている。南のほうには、も

っと近い主山系の巨峰、穂高山や乗鞍、そして

その向うには御嶽が目に映る。南東には駒ケ岳

、なお遠くには甲州の峰々がきわだってそびえ

ている。しかし、一番堂々としているのは、左

右釣り合いのとれた富士の円錐形の頂上で、私

たちから離れること、150キロに近いかなたに

、太平洋の岸辺からそびえ立っている。」

 

ウェストンのこの詳細な山の知識には驚かされ

る。現代の日本人、めったに日本アルプスに行

かない我々は、どの頂上に立っても、山の名を

同定することは難しい。そして、日本のマッタ

ーホルンと命名した槍ヶ岳の登頂を目指した強

固な意思、山道とて今日のように整備されもの

でなく、その山中で生計を立てていた猟師の案

内で、幾度も失敗を経たのちに、見事に山頂に

立っている。

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