常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

燕岳

2019年07月30日 | 登山

中房温泉から燕岳へ。明日登る予定の山だ。途中にある合戦尾根は、日本三大急登のひとつに数えられている。自分の体力で問題はないのか。しかし、この三週間、高松岳、火打岳、鳥海山という、それぞれ急登を抱えた山をこなし、筋トレに精を出してきた。ここまできて不安を抱くというのは性根がないというものだ。山岳ガイドを務めている岩崎元郎氏が言っている。「駅の階段の昇り降りが並みのレベルであれば大丈夫。」

但し、登り方にコツがある。「山でバテない歩き方とは、歩幅を街で歩く半分にすること。つま先に出した足のカカトが重なるくらい。」合戦小屋には切ったスイカを売っている。一切れ800円と多少高いが、疲れを癒すにはもってこいか。こんな、ことに思いを巡らせながら持っていく小物を点検する。この夏でピークの熱波がやってくる。日焼け止めクリーム必須、サングラスもあった方がよい。ヘルメットは?

ガイドブックによると、燕山荘では小屋の主人が山の話をしながらアルプホルンの演奏をしてくれる、とあるが果たして今回は、写真のようなな長いホルンが見られるか、楽しみだ。写真ポイント、燕山荘から燕岳稜線の展望。槍が見える周囲の展望。燕岳西面のコマクサの大群落。東面のお花畑。ハイマツとツマトリソウ。チシマギキョウ。オタカラコウ。オオヒョウタンボク等々。

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ダリア

2019年07月29日 | 

ダリアが咲くと、生まれ故郷を思い出す。農家の家で、見るものもない家であったが、3本の栗の木と、わずかばかりの庭に夏になるとダリアが咲いた。大輪のものやポンポンダリアなど可憐な花もあったように思う。戦争から帰還した兄は、身体が思わしくなく、農作業にも熱心ではなかったが、ダリアの花が好きで花壇の手入れは率先して行った。秋になると、ダリアのイモを掘り起こし、深い穴のなかにおが屑を入れて、越冬をさせた。

やはり、手をかかれば、花もきれいに咲いてみごとだ。自分が植えた花が咲いて、家族が喜ぶ、兄はそんな単純なことに喜びを見出していたのかも知れない。何故か、病弱な身とダリアの花は似合っている。

鮮烈なるダリアを挿せり手術以後 石田波郷

大暑である。今日は、梅雨明けの発表があるらしい。急な暑さで、身体の芯が重く感じる、まだ暑さに身体が順応していない。明後日に、山行が迫っている。ヘッドランプ、傷の救急セット、ソックス。忘れものはないか気がかりだ。

 

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木槿

2019年07月28日 | 芭蕉

道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉

芭蕉がこの句を詠んだとき、利休が秀吉を待合で茶会に招いたときの故事が、念頭にあった。その待合の庭には見事な蕣(アサガオと読むが木槿のことをさしている)が咲いていた。秀吉がその待合にやってくると、咲いている筈の木槿がひとつもない。どうしたことか、と訝しんで茶室に入ると、一輪だけの木槿が、床の間に活けてある。本来であれば、庭の大木にいっぱいの木槿が、茶室にたった一輪飾られている。その落差に驚きもし、一輪の美しさに秀吉は感動を覚えた。

利休の美意識の一端を示す故事である。そのことを念頭に、芭蕉は「馬上にて」と題して冒頭の句を詠んだ。秋の気配を語るはずの木槿は、繋がれた馬に食われてしまった、そこに芭蕉の句のおかしみがある。そもそも、木槿は一日花である。朝咲いて、夕方には萎んでしまう。なぜ、秀吉は利休に死を賜ったか、多くの史家が解明しようとしてなお解けぬ謎である。利休が一日の栄の花をシンボルとして、秀吉に自らの栄華の短さに譬えて見せたと深読みするのは、後世の徒の邪推というものであろう

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常念坊

2019年07月27日 | 民話

信州の松本から見える西山、三角形の存在感を示すのは常念岳だ。春から初夏、山の雪は次第に消えて、雪形を見せる。この山に住む常念坊が徳利を下げて立つ姿が見える。土地の人は、これを見て、さまざまな説話を生み出している。麓の酒屋に一人のお坊さんが、徳利を下げて酒を買いにやってくる。どう見ても五合徳利だが、そのお坊さんは、この徳利に酒を2升欲しい、という。酒屋の店主は訝しく思ったが、2升の酒をその徳利に入れてみると、すっかり収まった。お坊さん、金を払い、酒を受け取ると、山の方に向かって歩きだし、間もなく姿を消した。人々は、雪形を見て、酒を買いに来たお坊さんが、あの山で念仏を唱えていると信じるようになった。

イギリスの宣教師で登山家であったウェストンは、来日して日本アルプスに登り、『日本アルプス登山と探検』を著した。ウェストンは土地の猟師らの案内で、常念岳に登っている。登頂の前日、猟師の一人は、その名の由来が、この山に住む僧で、終日念仏を唱える常念坊によっている、としてこの僧の伝説を語った。数人の木こりが、この山の高価な木を伐り出そうと、登ってきた。いざ、目指した木に近づくと、どこからともなく念仏の声が聞こえてくる。木こりたちは、念仏の終りを待って仕事にかかろうとするが、一向に念仏が絶えることがない。とうとう木こりたちは、良心の呵責に恐れをいだいてその場を離れ、2度とそこに近かづこうとしなかった。これを聞いた村人たちが、いつも念仏を唱える僧のいる山、常念岳と呼ぶようになった。

深田久弥は、『日本百名山』のなかで、この猟師の話を紹介している。そして常念岳について

「松本から大町に向かって安曇野を走る電車の窓から、もしそれが冬であれば、前山を越えてピカリと光る真っ白いピラミッドが見える。私はそこを通るごとに、いつもその美しい峰から目を離さない。そして今年こそ登ろうと決心を新たにするのが常である。」 

と記している。

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タンポポ

2019年07月27日 | 日記

土曜日、雨でない限り、山に出かける。山のなかで、自然の美しさに忘我の境地にいるのだが、今日は家にいる。次の山行が燕岳から常念岳へ、平日に行く予定を立てているからだ。早朝に目を覚まし、野菜の収穫に行く。タンポポの綿毛が、飛び立とうと、風が吹くのを待っていた。5時にすでに25℃を超えている。キュウリ7本、トマト20個、パセリ一袋、ナツナは一枚づつ重ねてひとカゴ。シュンギクは明日の収穫に残してきた。伸びきった雑草をカマで刈り取る。通り雨が降ってきた。一時、車の中で雨の止むのを待った。

家にいる土曜日は、よい本を数ページでも読んでいたい。ほんのひと時、あのギッシングの境地に触れることで、幸せな時間を持つことができる。

「真昼時の散歩のさい、私は大きなトチノ木のところまで行く。その根のところはちょうど木陰で手頃な腰かけとなっている。この休息所には別に広い展望があるわけでないが、私にはただそこから目に入るものだけで充分なのである。つまり、麦畑の端にある、ケシやチャーロックの花が咲き乱れている荒地の一隅だけで充分なのだ。」

ギッシングの境地は、静寂そのものだ。『ヘンリ・ライクロフトの私記』を初めて読んだのは、高校生のときだが、それから半世紀以上の時間が流れても、書かれているギッシングの心中は、同じ響きで心を打ってくる。

ひと叢のヒナギク、朝の雨のなかに、静かに咲いている。こんな花を見ていると、ギッシングの本のページを何故か開きたくなる。


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