常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

マンサク

2020年02月29日 | 日記
早春の花と言えば真っ先に思い浮かぶのはマンサクである。いつもの年であれば、残雪の山で見つけるが、散歩コースに咲いているのを知っているので、そこへ足を向けることになる。大坊川の公園には赤花のマンサクが咲く。先日、カメラに収めてきたが、やはりマンサクは黄花でなければ感じがでない。芸工大のキャンパスにも例年咲くので、今日足を延ししてみた。案の定、花は満開であった。ただ、辺りに雪のひとかけらも残っていないのは、この花の雰囲気を損じているような気がする。

マンサクという花の由来には色々ある。春、先ず咲くが鈍ったもの、万作に通じて、花の咲く様がコメの豊作を予見させるという説もある。いずれが正しいかなど、詮索する必要もあるまい。花に目を近づけると、造化の妙としか言いようのない、不思議な構造だ。先端がわずかに内に巻きかえり、花弁の全体がチリメンのような皺をみせている。緑がひとつもないなかに、黄色な花を見せているのは、来る春を告げているような風情である。結城哀草果にこの花を詠んだ名歌がある。

春山の日向に雪のかげしつつゆめよりあはく万作咲けり 
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二月尽

2020年02月28日 | 日記
今年は閏年になっているので、あと一日を残すが二月が終わる。葉の出る前の木々もどこか、生命のオーラのようなものをあたりへ発散している。鳥たちの鳴き声も、急に元気がよくなっている。庭の片隅に春を告げる花が、ポツンと咲いていたりする。こんな花を見つけるのも、戸外散策の楽しみのひとつだ。同時に、花粉が飛んで市場にないマスクが欲しくなる。

風邪の目に雪嶺ゆらぐ二月尽 相馬遷子

マスクや消毒薬がドラッグストアから消えたと騒ぎになっている。しかし、つい数十年前までマスクなどはどの家庭でも手作りであった。ガーゼさえ入手できれば、手で折りたたんで折った部分にゴム紐をつければ簡単にできる。口元に畳んだガーゼを一枚重ねるとさらに飛沫の飛ばないマスクができる。

看護師をしている姪から消毒薬の作り方も知らせてくれた。市販の次亜塩素酸(ハイターなど)を500㎖のペットボトルの水道水にキャップ一杯のハイターを加えるだけ。百均でボトルにつけられる霧吹きを買ってくればいつでも使用可能。霧吹きで手にかけ、手を触れるドアノブや冷蔵庫の取っ手、水道栓など小まめに消毒すれば安心である。コロナにもノロウィルスにも効果があると、知らせてくれた。

今年は新型コロナウィルスの流行で先の見えない二月尽となった。春の暖かい空気がウィルスの力を弱めるのか、経過を見るよりほかはない。自分でできることは、しっかりと行い、徒に人混みに行くのを避けていれば、この流行も自然と収まっていくような気がする。


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カーニバル

2020年02月27日 | 日記
冬と春がせめぎ合っている。朝から淡雪が降り、周りの山もうっすらと雪化粧をし直したようだ。タカか、ワシか大きな鳥が木の枝で羽を休めていた。雪のなかでは、餌を探すのも難しいのだろうか。ところで、ヨーロッパではこの時期に謝肉祭(カーニバル)が行われる。

カーニバルにはふたつの意味が含まれている。冬が去り春を迎えるころ、精進節を迎えるので、人々は「肉よさらば」という言葉でこの季節を表した。同時に、食べられなくなる前に、たくさん食べてバカ騒ぎをしようという意味である。四旬節と謝肉祭は、人々の永遠の課題であった。ブリューゲルはこの課題をモチーフに、「カルナヴァルと四旬節の戦い」という絵を描いている。カーニバル側には大きな酒樽に跨り、焼き豚を突き刺した鉄串を抱えた太鼓腹の男と四旬節側にやせ衰えた老女が二匹の鰊を乗せたパン焼きの板を突き出している。

このテーマは冬を追い出し、春を迎えるレターレに相通じるものがある。痩せた老人が力尽きた冬を表し、若い魅力的な美女が春を代表してその地位を巡って言い争いをする。

夏 わたしはすばらしい輝く夏です。わたしの季節に若者たちは踊りを踊る     
       黙りなさい!すばらしいのは夏です
冬 わしはさまざまな肉をつけた冬じゃ わしの季節に畑や野は雪のなかで眠る
  黙らっしゃい、黙らっしゃい 冬こそすばらしのじゃ

ヨーロッパには四季の概念はない。短い春は夏に含まれ、同じく短い秋は冬に含まれる。冬に対する季節は夏である。これは標高の高い山の季節構造と同じだ。日本では、春や秋が人の中に深く入り込んできたが、このところの季節の変動の仕方は限りなく二季に近づいている。日本らしさが急速に失われていく
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散歩の範囲

2020年02月26日 | 日記
スマートウオッチをつけてほぼひと月、身体を動かすことが習慣になってきた。朝の散歩は近所の家の周りの道、少し足を延ばして悠創るの丘、そして山道を求めて千歳山あたりに固定されていた。昨日、図書館に行きたくて、七日町まで出てみたが、ここには青春の思い出がつまっていた。毎日通った職場、旧県庁から図書館への道にはかすかではあるが昔の痕跡が残っている。ふと見上げれば、すぐ近くに紅梅がきれいに咲いていた。ここからは、新築西通り、千歳公園、もどって霞城公園なども歩くことができる。郊外の道から、街並を眺めながら歩くのも面白い。何より、ブログにアップできる新鮮な写真も撮ることができる。恥ずかしい話だが、最近、写真がとこかボケ気味に感じていたが、よくみるとレンズ保護のフィルターが手の油ですっかり汚れているのに気付いた。カメラはスマートウォッチとともに、ウォーキングに携帯すべき必須アイテムだ。もっと気をかけて手入れをしなければ。

そんなわけで、これからは週一ペースで街歩きをしたい。図書館に加えて本屋、懐かしい喫茶店でお茶をのむのもいい。七日町の主のような同級生もいる。霞城公園の周り堀を眺めながら、土塁の上を歩くのもいい。駅へ入ってくる電車に会うこともある。堀にはカルガモやオシドリなどの水鳥もいる。山形駅から仙山線に乗って、山寺あたりまでのんびりと電車の旅もいい。再び百閒の『阿房列車』から。

岩山に硬い響きをを残して、やっと明るい所へ出た。すぐ窓の外に目のさめるような紅葉の色が流れて行く。山寺駅に近づく前もずっとそうであった。面白山隧道の前後の景色は横黒線の沿線に劣らない様である。こちらの方が溪谷が深いだけ勝れてゐるかも知れない。(内田百閒『阿房列車』)

この景色こそ、自分が初めて山形へ来たときに目にしたものだ。それは春の新緑であったが、渓谷の流れは澄みきって、電車の窓から川底の石をはっきりと見ることができた。これからの時間は、そんな青春の時代へと思いをやってみるもの楽しいのではないか。
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七日町

2020年02月25日 | 日記
久しぶりで街の中心街七日町へ出かけた。先月ニュースになったデパート大沼はしっかりとシャッターが降ろされていた。もうこの街にはデパートが一軒もなくなってしまった。保存された旧県庁が、春を前にして懐かしい姿で保存されている。三々五々、見学の人たちが散策していた。大沼と旧県庁との真ん中あたりに、後藤又兵衛旅館があった。もう十年以上も前に営業を止め、その跡も残されていないが、この旅館には色々な思い出がある。名前がそもそも不思議だ。遠藤周作の小説『おバカさん』にもこの旅館が登場する。小説のなかでは、荒木又右え衛門という名に変えられてていたが。

「荒木又右衛門」という奇妙な名をつけた宿屋は山形の繁華街七日町にある。
「そりぁもう、山形じゃ一流の宿屋ですぜ、お客さん」
車のなかで運転手はさかんに提灯をもったが、 (遠藤周作『おバカさん』)

私は学校を出て、広告業についたが、この辺りの店を一軒一軒訪問して、まるで御用聞きのように歩くのが、毎日の日課であった。出張で来た取引先の営業が泊ったのが、この後藤又兵衛であった。飲み屋街でさんざん酒を飲んで、旅館に着くと、その人の部屋でまた酒盛りになった。仕事と酒盛りが区分けのない不思議な世界、それが当時の業界の習いであった。

内田百閒の『阿房列車』にも、この宿屋が登場する。宿の名は書いてないが、豊臣時代のような名前の大きな宿とある。そこの仲居さんと筆者のやりとりが面白い。明日の天気が知りたいので、

婆に夕刊を持って来い、と頼んだ。夕刊ですか。さうだ。夕刊はもうありません。なぜ。もう遅いですから。それでは仕方がない。いいよ。又座敷を出かけてから、後ろ向きで云った。「山形の新聞ならあるますけど。」

内田百閒が山形に来たのは昭和26年である。当時は、新聞で東京には夕刊があったが、地方の新聞で夕刊を発刊するような余地はなかった
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