常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

晩秋

2017年10月31日 | 日記


雨があがって冷たい風が吹き抜けるが、日がさせば秋のなかに戻ったような気がする。空気が洗われて、見渡す景色が気持ちよい。妻の友人が夫を亡くした。慰めの言葉に、女性の強さを述べた。妻を亡くした夫は、気弱になって自らの命数を縮めてしまう。比較すれば、一人暮らしになった女性は強いと。菊枕というのがあるらしい。羽毛布団のなかでも肌寒い秋の夜、晩秋のなかで咲く菊の花びらを詰めた菊枕をして、ありし日の故人の夢を結ぶ。古人はこんな風流な方法で、過ごし難い夜をしのいだ。

くちびるを出て朝寒のこゑとなる 能村登四郎

明日から11月。瀧山に雪が見え、今年2度目のエコーライン閉鎖。冬が駆け足でやってくる。
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杜鵑草

2017年10月30日 | 


尾花沢の親戚に行く。時候のあいさつ、いわば安否の報告でもある。庭に、雨のなか杜鵑草が咲いていた。10月にも遅咲きが見られる、耐寒性のある花である。花に斑があって、時鳥を思わせるからこの名がついた。農家は稲刈りが終わって、しばしのほっとする時間が訪れている。飼い猫と犬が、人が家にいるのが珍しいのか、ひとなつこくじゃれて来る。外はあいにくの雨。あちこちで、同級会が開かれる。70を過ぎると、人は幼いころの友達が懐かしくなるらしい。

ほととぎす咲かせかたぶく齢かな 岩城のり子
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八森山

2017年10月28日 | 登山


山の紅葉は最後の時を迎えて一瞬の輝きを放つ。今日の登山で、まさにその一瞬に会えた。幸運の一語に尽きる。標高500mまで、その輝きを放つがその上に行くと、もう枯葉の様相である。霧の中の山頂では、木々はすでに葉を落し、冬の眠りにつく準備を初めていた。一日を過ぎてブログを書き継ぐことになったが、台風の影響で朝から雨。もし、昨日のチャンスを逃せば、この素晴らしい景色を見ることはできないと思えば、一期一会という言葉の響きが胸をうつ。

秋田県境の神室連峰を北から辿ると、神室山、天狗森、小又山、火打岳と1300m級の山が続き、縦走コースが登山家に親しまれている。その南端にあるのが標高1098mの八森山である。最上町鵜杉集落からほど近い距離にある。神室山を奥の院とし、集落の人々信仰の対象となったのが八森山である。雨乞いの祈りと同様に、日和乞いの祈りがこの山で行われてきた。渓流から流れ出る水は、刀場川となって周辺の農地を潤し、人々の生活を支えてきた。



登山道には、一合目から九合目までの標識がある。歩行距離6・3㌔、標高差820mは穏やかな山容にもかかわらず、急勾配の登山道になっている。登山口で小さな渓流を渡ると、スギの植林が続く。二合目からはブナなどの広葉樹が混じる。登山道の下から渓流にかけて、スギ林と広葉樹林の紅葉が鮮やかなコントラストをなしている。900mをこえるところには霧が立ち込めている。予報では晴れであるが、空は雲が立ち込めている。青空のなかで見る紅葉というわけにはいかない。時おり明るくなれば、写真映りはピリカンよりいいのかも知れない。



秋の山登りのもう一つの魅力は、秋の味覚との出会いである。三合目のブナ林で、ムキタケ、ナメコ、ブナシメジなどがたくさん出ている。倒木にびっしりと出ているナメコが見つかると、仲間たちの喜びの声が山中に響く。登山口では、熊は大丈夫か、という不安の声があったが、紅葉と珍しいキノコとの出会いに不安は消し飛んでいる。



紅葉が美しくなる条件がある。猛暑の夏、猛暑から急降下した気温のまま秋を迎えること、そして台風で木々があらされない。この夏は冷夏といってよく猛暑は少ないのでややこの条件を満たしていない。更に上に昇ると、道の左手が切れ落ち、八森山の裾が絵のような紅葉に染まっている。最高の条件を満たしていないとはいえ、まじかで見る紅葉の美しさは格別だ。高度を上げるにしたがって、葉の色は茶色になり、山道は落葉がうず高い。頂上付近は霧に隠れて、秋の気配が急速に失われていく。標高800m市町境に出る急登には、ロープが付けられている。



市町境の尾根道は標高900m、鞍部を目がけて吹きつける風が身をきるように冷たい。すでに木々の葉は落ち、ここにはもう秋はない。登山口からここまでの所要時間は凡そ1時間40分。たったこれだけの時間、高度を650mかせいだだけで、舞台は秋から冬への大転換をなしている。後約200mのなだらかな尾根道を行くと頂上のつく。雲が厚くなり、急にあたりが暗くなる。霧がすっぽりと山を覆い、夕方のように薄暗い。急登でかいた汗が冷やされて、体温が奪われるのを体感する。この時からわずか丸一日後には、台風が東の海洋に抜け、蔵王など高い山は雪になった。西吾妻山で登山した人が吹雪にあって下山できず、捜索隊が山に入っている。季節の変わり目の山の天気の急変は怖い。
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林檎

2017年10月27日 | 日記


林檎の収穫がさかんである。この季節の花形はフジで、食べておいしい。歯ごたえは、パリッとしたものが好まれ、熟しすぎてやわらかくなると、ミソになったと敬遠される。食べ物は好みは土地によるらしく、関西の人に食感のよいパリパリの林檎を食べさせたら、「こんな固い林檎」と悪評だったという話を聞いたことがある。

林檎万顆穂高も槍も低く輝る 中島 斌雄

ここは長野でなく山形だから、穂高や槍は月山、蔵王としなければならない。リンゴ畑をみると、どの畑の林檎の木も、収穫を考えて低く刈り込んであるのが目につく。しかし、万顆とはいい表現で、たわわになった実を枝が支えるのも苦しそうだ。数度台風が接近したが、幸い落果の被害もなく、収穫されるのを今や遅しと待っている。
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コキア

2017年10月26日 | 斉藤茂吉


赤くみごとに紅葉したコキアが見頃になっている。コキア、紅葉とくると、何か新しい植物のような気がするが、れっきとしたアカザ科の箒ぐさの仲間である。実はとんぶりといって、秋田の名産であり、乾燥して枝は括ってホウキを作って、庭の掃除に用いた。

隣室に人は死ねどもひたぶるに箒ぐさの実食ひたかりけり 

斉藤茂吉の第一歌集『赤光』に収められた斎藤茂吉の歌である。うなぎや鯉に目がなかった茂吉だが、とんぶりもまた大好物であった。明治42年、茂吉は腸チフスに感染、7月、8月と入院生活を送っている。そのため、東大の卒業試問も一年延期せざるを得なかった。病院は、隔離病院で隣室の病人死んでいくという、生死の境を行き来する病人たちが入院していた。茂吉もまたその一人であり、そんな環境のなかでとんぶりを思い出し、食べたいという食欲を吐露している。この歌を詠んだ時点で、茂吉は恐ろしい伝染病から生還することが約されたと言っていいだろう。

『源氏物語』二帖「帚木」は、ホウキ草の別名である。古語辞書によると、昔、信濃の園原にあった伝説の木と記るされている。遠くにあるとよく見えるのに、近づいていくふっと消えてしまうという言い伝えがある。この伝説がもとになって、なかなか靡いてくれない恋人を詠む歌に使われる。「帚木」の帖では、光源氏が人妻である空蝉と一夜の契りを結ぶが、二度目に源氏が空蝉のもとを訪ねると、姿を消して逃げて、拒絶の態度を示す。源氏の「妻問い歌」、空蝉の返歌。

数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木 空蝉

数の内にも入らぬ貧しい臥屋に生えていることが恥ずかしくて、そこにいることさえできずに、消えてしまう帚木、それがわたしなのでございます


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