常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

十月

2024年10月01日 | 日記
十月の声を聞いて歩くとふと懐かしい香りが立った。キンモクセイの花は香りで知らせてくれる。足元には曼珠沙華の赤い花が目立っている。暑い、暑いと言っているうちに秋も半ばである。この日、石破首相が政権についた。正論を言い続けてきた石破氏がどんな政治をみせてくれるか。内閣の布陣をみてもそんなに変わるとは思えない。スーパーの売り場で小さなサンマがこじんまりと並んでいた。新米も売り場に並ぶようになったが5㌔の袋が3000円を超えている。どの売り場も値段がすっかり変わってしまった。

十月やこめかみさやに秋刀魚食ふ 石田波郷

もう七輪で煙をもうもうとさせて食べた秋刀魚も自由に手に入らない。庶民の秋刀魚も食卓から遠い存在だ。知人から栗をいただいた。十月にちなんで今夜は栗ご飯。剥いた栗10個、米4合、みりん大匙3,白だし大匙3、塩小匙1.5。水を分量入れて炊き上げる。ささやかな秋の味覚。
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避難指示

2024年09月23日 | 日記
スマホの避難指示が何度も鳴る。自分の住んでいるところが危険なわけではないが、近くの山間部で土砂崩れや洪水の危険があるらしく地区の公民館などが避難場所になっている。自身警報ではないがスマホの着信音はびっくりするほど大きい。3時間ほどで指示は解除になったがその通知も同じ警報音だ。高齢者は夜になると避難できないので明るいうちに避難せよ、ということらしい。

一夜明けて外を見ると昨日の雨がまだ降り続いている。雨足は弱く、咲きそろったシオンの花を濡らしている。北の山から紅葉の便り。しばらく休んでいた山登りを再開する。しばらく山の斜面から遠ざかっていた足はどんn反応を見せてくれるか。面白山、蔵王山。紅葉にはやや早いか。来月の尾瀬は紅葉を見ることことが目的。あと何回、高山の紅葉や花を愛でることができるだろうか。

電報が廃止になるらしい。スマホを持っていればどんなに離れていても直接話せる時代だから当然のことと思える。こんな笑い話がある。友だちに、留守番を依頼するために電報を打った。「ヒルルスバンニコイ」。受けとった人は、「ヒルルス、バンニコイ」と読んで、夜になってからその家に行ったという。電報を使ったのはもう60年も前のことだ。電話もなく、訪ねていくときに電報を打った記憶がある。今では、詩吟の吟詠大会に電報が来る。なぜか、市会議員や県かい議員の先生が「大会のご盛会をお祝いします」という型どおりの文面だが、人が集まる場所へ電報を打って名前を売る、選挙運動の古典的な形だ。もう、こんな場面も過去のものになる。

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大谷の偉業

2024年09月20日 | 日記
雨が降る。秋だというのに梅雨の末期のような雨だ。庄内に線状降水帯が発生したようで洪水警報が出ている。なかなか穏やかな秋というわけにはいかない。テレビをつけるとドジャースの大谷選手が50-50達成のニュースが飛び込んできた。50本塁打、50盗塁という記録で長いメジャー球史のなかで誰も達成したことのない偉業だ。さらに加えて1本塁打1盗塁。いとも簡単にやってのけた。野球解説の誰かが言っていた。「最後の1本で苦しむ。50ー50の可能性は30%。」あと9試合、前人未到の記録はどこまで伸びるか。秋雨前線の憂鬱も、大谷の快挙で吹き飛んだ。彼にはもうひとつ投手という才能がある。手術のために今年は投手を封印している。投手の代わりに足で稼ぐ盗塁という技術を身につけた。もう野球界の天才というほかはない。大谷には寺山修司の名言が似合う。

どこでもいいから遠くへ行きたい。
遠くへ行けるのは天才だけだ。(「煙草」から)
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十五夜

2024年09月17日 | 日記
昨日、敬老の日。厚い雲が出ていつ雨になってもおかしくない天気であった。
敬老のお祝いにカステラをいただく。敬老会もあって席が用意されるが、こちらは出席しなくなって5年にもなる。一夜明けると雲ひとつない好天。十五の月が見られるか。夕刻になって空は雲が出てきた。山の端に少し青空が見えているので一瞬見られるかも知れない。ススキが出て、スーパーには早生のリンゴが並んでいる。ススキやリンゴを供えて月見をする習慣もなくなってしまった。

十五夜の手足ただしく眠らんと 西東三鬼

十五夜は芋正月ともいう。その日初めて収穫した芋や栗を供えて月に感謝の意を表した。旧暦の1月15日は小正月、この日も満月である。米を作るはるか前、人々は名月で一年が始まって、芋正月にその年の食糧を収穫して蓄える。そんな古い習慣こそお月見だ。

柳田国男の『遠野物語』に小正月の話が出てくる。
「小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶとも云ふ。童子をあまた引連れて来ると云へり。里の子ごもも冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるゝは常のことなり。」こんな話のほか、月見占いの話がある。胡桃を12等分に割って炉の火にくべて一時に引き上げ、その焼け具合で満月の夜の月が晴れか曇りか、風かなどを知る行事もあった。今夜の月の出の時刻は午後5時23分、山の端の隙間は雲でふさがり月を見ることはできない。
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朝の3,000歩

2024年09月15日 | 日記
起き抜けにみた東の空は美しいピンク色に染まっていた。朝のゴールデンタイムは短い。カメラを取りに部屋に戻ったわずかの時間にそのピンク色は消え去り普通の日の出前の空に変わっていた。外へ出てみると、雨の水たまりが道にできている。さっきまで雨が降っていたのだろう。雨上がりに吹く風が肌に心地いい。昨夜の睡眠が足りたせいか足が軽い。草むらのコスモスが美しい花をさかせ満開の萩の花がこぼれて道をピンクに染めている。今朝も朝飯前に3000歩を歩いた。家に帰ってハーブの鉢に水やり、仏壇に線香を焚き、切り花をさし変える。朝のひと仕事が済むと気持ちいい一日が始まる。

夕べ、ドアの外で虫の声を聞いた。ドアを開けて壁をみると、青い小さな虫が壁に止まって鳴いている。思わず写真に撮り検索したみた。出てきたのはマツムシ。草むらにいてはその姿は確認できないが白い壁の上で初めてその姿をとらえることができた。先日、生涯にわたって編集を研究した松岡正剛氏の訃報に接した。ネットで「千夜千冊」というサイトを設け、毎日読んだ本を多方面に子細に説きつくす大仕事だ。このサイトの読者になって、氏の読書量とそれをネットに書き連ねていく時間をどうやって生み出すのか、想像をこえるものがあった。著書『花鳥風月の科学』に「日本人と風」という一節がある。

「花鳥風月のなかでも、風は特別の地位を占めます。それは風が目に見えないからです。花や鳥や月は見えるものなのに、風は見えません。そこでほかの動きや流れに風を感じることになる。たとえば風流人がお茶を飲むのは「いま竹藪に風が通りましたな」というようなことを言うために、ただそれだけのために、そのお茶を飲むわけです。」
この千夜千冊も大部の本になって出版された。また、昔読んだサイトを開いて氏の謦咳に接してみたい。
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