常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

アケビ

2020年08月31日 | 日記
早朝や夕暮れに近所を歩いていると、虫の音がひときわ大きくなった。今日は薄曇りで、猛暑がやっと一段落した。あちこちで、アケビやイチジクなど秋の実が目立ち始めた。こんな光景からも季節の移変わりを感じる。アケビを知ったのは、子どもたちが小学校へ通っていたころだ。山の麓の小学校であったので山中の集落から来ていた子もいた。秋も深まるころ、学校帰りにその子に誘われて遊びに行ったらしい。お土産に紫に色づいて口のあいたアケビをたくさん貰ってきた。子どもたちは、中の柔らかい実を、甘い、甘いと言いながら食べ、種を窓の外へ吐き出した。

翌年になると、種から芽がでてアケビの蔓がたくさんでてきた。窓の外に、細木を立てると、蔓は勢いよく伸び、日よけになるほどになった。毎年、蔓は大きくなり、春先、芽を摘んでよ出ると、ほろ苦い木の芽のおひたしができた。刻んだクルミをあえて、おいしい春の味が楽しめるようになった。だが、この木にには秋になっても実はならなかった。アケビには、実のなる雌木とならない雄木があるらしい。山登りに行くようになって、みごとの紫色をしたアケビの実を見つけることもあった。自然のなかでは、それほどたくさん実をつける蔓はないようだ。同じ仲間に郁子というのがある。こちらは実が熟しても口は開かないが、甘さ一番という人もいる。

山形では、実のほかに皮の部分を小さく切って、肉とともに味噌炒めをして食べる。こんな食べ方は、ここ独自で珍しいが、食べてみるとほろ苦さがあってこれも秋の大人の味だ。
アケビが熟れるころになるとキノコが姿を見せる。秋の山は紅葉が魅力だが、アケビやキノコなど、秋の味覚も捨てがたい。しかし道のない山中に入り込んで、キノコを探す気力はだんだんと失せている。散歩の途中でアケビを見ながら過去を思い出すことが、秋を感じるということか。

林ゆく雨や通草がぬれしのみ 水原秋桜子
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屏風岳

2020年08月29日 | 登山
続く猛暑のなかで、高山は別世界。標高が100m高くなると気温は0.6℃下がる。標高が1800mであれば地上の気温よりおよそ11℃低くなる。9時30分の地上気温が31.5℃、その時刻には屏風岳の頂上にいたので20.5℃という計算になる。しかも、ガスが出て、ミストを浴びたような状態であった。猛暑を避けるのに、運動をしながら、こんなにもいい方法が他にあるだろうか。

エコーラインにある駐車場に車を置いて、不忘山方面への山道に入ったのは6時30分。ガスが立ち込めていた空はみるみる晴れ上がり、1500mほどのこの地点へも真夏の太陽が容赦なくふりそそぐ。暑い。しかし前山の傾斜を登るにしたがって、木陰や風が出てきて、かなりの涼感が得られるようになった。前山の途中の展望台から、衝撃の光景を見ることになった。山道でも、トドマツの立ち枯れを見ながら登ったが、これほどの縞枯になっていようとは。縞枯山
などで見られるシラビソは、生育地の傾斜や木の年数、陽当りや風などの条件が重なって起こる。この集団枯死は、その下床に稚樹が芽生え、更新して樹林を存続させるので、この景観は縞枯の帯と生きた樹林が縞模様をなして、愛される景観となっている。

近年発生している八甲田山や蔵王のアオモリトドマツの集団枯死は、トドマツノキクイムシの集団発生によるものだ。話には聞いていたが、目にするかぎりこれほど多くのトドマツやシラビソの立ち枯れを見ようとは想像もしていなかった。地元の観光協会は、冬の観光資源となっている樹氷の喪失に危機感を抱き、昨年から稚樹の移植を始めている。だが稚樹が大きくなって、みごとな樹氷をつけるまでには数十年の歳月を要する。キクイムシの大量発生は、シベリアなどでも見られ、その原因は分からないが、台風による倒木、トドマツの葉を餌とするある昆虫の大量発生で、葉を失ったトドマツにキクイムシの集団発生があるらしい。
目を足元に落とすと、山道の脇に、リンドウの花が美しく咲いている。ときおりアキノキリンソウなどもあって、やはり山では季節が進んでいることが分かる。木道が年数を経て、ボロボロになっている印象を受けるが、山道は整備されて歩きやすい。早朝に登ったためか前山から杉ヶ峰まで、わがグループ以外にはほとんど人と会わない。トドマツノ痛ましい姿に心は萎えるが、足元の花々が心を癒してくれる。本日の参加者8名、内男性3名。
ところどころにイブキトラノオやウメバチソウ、ウスユキソウなどが山道を彩っている。参加しているメンバーはあくまでも元気だ。杉ヶ峰までおよそ1時間、それぞれの思い思いの話題が弾む。蔵王といえば、山形へ来てから、折にふれて親しんで来たやまだ。真壁仁の詩の一節、蔵王を歌いあげる。

われは訪ひき いくそたび
落莫の溶岩丘に花を愛ずると
天の雫か 地の星か
たかき岩根に雲を巻くかの駒くさの花を愛ずると
蔵王よ
蔵王よ
あるとしもなき花の明りに昏れなずむ山

もうコマクサはその花期を終り、樹々は紅葉の季節の準備を始めている。
芝草平にはわずかに咲き残ったキンコウカ。あたりは草もみじの気配である。ベンチの腰をおろしてしばしの小休止。先客が二人、遠くの山並みを愛おしむように眺めている。歩行中には日はガスにかくれ、雨もない。ただ山道の脇に伸びた草には、しとどに露が降りている。「露払い」とはいい言葉だ。高貴な人が草生した野を行くとき、お連れの者が先行して露をはらう。相撲の横綱の土俵入りで片わらで控えるのは一人の露はらい。日本の古い言葉には、こんな慣習を伝えるものがしばしばある。

屏風岳には9時30分着。ここからさらに歩けば、南屏風岳にには40分と標識にある。最初の計画通り、ここで記念撮影のあと下山となる。頂上からは、烏帽子岳、不忘の山々が霞んで見えている。帰路、前山に至って11時15分。少し下って岩場の見晴らしのきく場所で昼食となる。上山温泉、材木栄屋日帰り温泉でゆっくりと汗を流す。入浴料450円。
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過ぎゆくもの

2020年08月27日 | 日記
高齢になった妻のもとに一通の知らせが来た。運転免許の更新のための講習会の知らせである。免許を返上するときが迫っている。「どうしようか?」と相談顔で聞いてきた。更新の知らせは、すぐに自分のところにも来る。もう一回だけ自分は更新するつもりだから、足は確保できる。「ここで返上してもいいのでは」と答えた。自動車を持たない生活が数年後にはやってくる。それからの生きかたを考えていかなければ。何か、話がしんみりとして来る。

沼津に住んでいる兄が、数年前に免許を返上した。兄は、「忠告だけどね。免許は運転できる内は返上しない方がいいよ。車のない生活は、とたんに行動範囲が狭くなって淋しくなる。」そんな言葉をかけて、その後、電話も間遠になった。この秋、孫の結婚式がある。千葉での挙式のため、車を使うことを考えている。孫が生まれてから、高速の常磐道を何回走っただろうか。数え切れない。多分、妻を乗せてこの道を走るのは最後の機会だ。

そうしているうちに、結婚式の延期を知らせてきた。式に集まってくる人のことを考えると、やはり延期しかない、との結論であった。朝日のなかを自分の足で歩く。歩くことは、残された人生を生き抜くための自信をつけてくれる。一陣の風が、顔をかすめて吹き抜けた。

「飄然として何処よりともなく来たり、飄然として何処へともなく去る。初なく、終を知らず、蕭々として過ぐれば、人の腸を断つ。風は、過ぎ行く人生の声なり。」(徳富蘆花『自然と人生』)
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葛の花

2020年08月26日 | 
散歩道に葛の花が咲きはじめてから旬日が経つ。この花が晩夏に咲きはじめて初秋まで咲くことはすでに知られている。山上憶良は秋の七草を歌にして、「萩の花、尾花、葛花、撫子の花・・・」と葛を七草に数えている。葛は川沿いの至るところによく繁り、その生命力の強さを示しているが、この季節になると赤紫の花を咲かせる。あまりに繁茂力が強いので、絡まれた木々が本体が隠れるほどの大きな葉を開く。この繁茂する力に着目して、砂漠の緑化がを目指す試みが行われたこともある。

人の身にかつと日当る葛の花 飯島 晴子

葛を人の暮らしに活用してきた歴史は長い。地中深く張る根から澱粉が採れる。カタクリに根からも澱粉をとるが、同じような手法と思われる。先ず根は、30年ほど経た古い根が使用される。この根を砕いて何度の何度も水に晒し、澱粉だけを抽出する。これを乾燥させてできるのが葛粉である。葛餅、葛切り、葛湯など日本人に長く親しまれてきた味だ。なかでも吉野で作られる吉野葛は有名で、ネットで検索しても、多くの和菓子が検索できる。

葛根湯と呼ばれる風邪に効く漢方薬は、葛の根の成分を利用しているし、蔓の繊維からは葛布が織られ、若い葉は山菜のような食用にもなった。
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秋の風

2020年08月25日 | 奥のほそ道
残暑は厳しいが、朝方は風が凛として、秋を思わせる。散歩の途次のコスモスは、こんな寒暖のなかで咲く本数を増やしていく。元禄2年の7月、芭蕉の奥の細道の旅は、金沢に至っている。この年の夏の暑さも、ことのほか厳しかったようだ。酒田から北陸への道中は、暑さに耐える旅であったとも言えそうだ。

あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風

芭蕉はこの句に前書きして「北海の磯づたひ、まさごはこがれて火のごとく、水は涌いて湯よりもあつし。旅懐心をいたましむ。秋の空いくかに成ぬともおぼえず」この旅の暑さは、今年の夏の終りに似ている気がする。

金沢で芭蕉を出迎えた門人の人たちの顔にも、残暑にやつれがあらわれていた。同じやつれで弱っていた芭蕉が、この挨拶の句で、やっと秋風が吹くと見舞ったと考えられる。


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