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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

四月尽

2025年04月30日 | 映画
四月逝く百花騒然たるなかに 相馬遷子

春らしい気候が続くことなく逝こうとしている。草花の生命は力づよく季節をたくましく乗り切っていく。それに比べると人間の生命力はか細いものだ。春の花に力をもらって夏を迎えるほかはない。一夜明けて新しい月、朝、イワシの煮つけにベランダのサンショウの葉を手で叩いて乗せる。五月の香りが食卓から漂ってきた。

四月の終りに観たアマプラの映画は「情熱大陸土井善晴」だ。一昨年テレビで放映された情熱大陸に手を加えて映画化したのもだ。すでに『一汁一菜でよいという提案』という本を書いた土井だ。映画の冒頭のシーンで椀に具材をカットして入れるところがいい。彩りを考えた具材が無造作にカットされて椀いっぱいになる。加えるのは椀に入るだけの水。鍋でグツグツと煮立てて、カボチャに箸が入るようになってから、ほどよい量の味噌をとく。具材は季節の旬に合わせて選ばれる。土井は料理することは思いだ、と説く。おじいちゃんが食べるから少し味噌を控えるという思いやり。卵を落とせば、味噌汁は味がよくなり、必要とされる栄養が補給される。

毎日の食卓を手間や時間をかけずに手作りする。高齢になった我が家では、実の参考にすべき提案だ。土井には娘さんがいるが、父の食の考えに共感して理料理店を開いた。キッチンでの父娘の会話が楽しい。何種類もあるキノコを指して「きのこお願い」と娘が言う。小さく刻んだキノコを混ぜ合わせて作る土井のキノコ炊き。二人が訪れるフランスのリヨンの食品店の映像もいい。フランスのキノコが棚に無造作に置かれている。日本食とフランス料理に共通点がある。かって料理人を目指して留学した街の大学で、若い学生を前に日本食について講演した。娘を連れてのフランス旅行。手足が不自由な高齢者でも、参考になる家庭料理のあり方が示される映画だ。

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桜、開花!

2025年04月07日 | 映画
近所を流れる坂巻川の堤に桜がある。開花はまだか、と待ってた。昨日、見に行くつもりが足が疲れて一日延ばしになった。そのかいあってか、川に向かう南側の枝が10輪ほど咲いていた。この木が標準木であれば、桜開花がニュースになって流れるところだ。昨日、室内に置いていたハーブの鉢をベランダに出した。スミレの鉢は去年の枯れた葉のなかから小さな葉を出した。寒い冬を越して芽生える植物の強靭さが見てとれる。

初花を見せては雲の閉ざすなり 水原秋櫻子

今日、桜のほか春の花々を見ながら、散歩の歩数は7000歩を越えた。4000歩まで早歩き。そこから疲れる。足を上げて地面を踏む反動を利用すると楽に歩ける。少しずつ脚力を取り戻したい。映画「めがね」を見る。この映画を観ながら、昔「携帯の繋がらないとこへ行く」という風潮があった。そんな過去を思い出させる映画だ。「とそがれる」というよく意味の分からない言葉がキ  -になっている。与論島という何もない島だが、一軒だけ民宿のような宿泊所がある。

きれいな海とおいしい食べ物。海岸に簡易な店をだしてアイスをごちそうする伯母さんがいる。名はさくらさん。小豆をじっくり煮込んで餡子をつくりその上にかき氷をけずる。手製のシロップをかければ出来上がり。これを食べて島に来るようになったと語るのは宿の主人ユージ。島の一日は宿泊者たちが行うメルシー体操で始まる。携帯の届かない島の時間はゆっくり流れる。その時間のなかで一日生きることを「たそがれる」と表現する。そこには才能がいる、と言うのは宿の主人ユージだ。定年を過ぎて働くことのなくなった高齢者の暮らしはその「たそがれる」ことに似ているかも知れない。
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3月の終り

2025年03月31日 | 映画
三月末の朝、空に雲が少し浮いて青空が懐かしい。どうしても今日の空を写真に記録しておきたくなって撮った空。まだまだこんな空を見られることに感謝したい。4日ほど前、facebookで成毛眞氏がアマゾンプライムの映画「侍タイムスリッパ―」に触れていた。「めっちゃ面白い。監督が自費をつぎ込んで創ったというのは本当の話だった。」というコメントをしている。アマプラにはまっている身にとってうれしい言葉だった。昨日、「侍タイムスリパー」を観た。

幕末、会津藩士と薩摩藩士が果し合いの最中に落雷に会い、目覚めると京都の時代劇撮影所のセットのなかだ。つまり本物の侍が撮影中の時代劇に紛れ込むという設定だ。会津藩士の高坂新左衛門、この状況に映画の斬られ役として生きることを決意する。ラストシーンは真剣を使うという設定で、その立ち回りは迫力が漲り、見守る出演者の緊張感すら伝わってきた。

監督は安田淳一で時代劇制作のプロの協力をえて、自主制作された。安田はこの映画の制作に情熱をもって取り組み、資金作りにも車を売るなど大変な困難を乗り越えている。70年頃までの映画の時代には、大量の時代劇映画作られ、テレビでも放映されてきたが、今日その影は薄くなった。昭和を生きた者ならば、郷愁を覚える作品である。
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弥生

2025年03月30日 | 映画
弥生と言えば陰暦の3月、陽歴では4月ということになる。草木が弥々いよいよ生えそろい、次々と花が咲く季節。坂巻川の堤にある桜を見に行ったが蕾が膨らんできた。気温が高くなると、いつ咲きだしても不思議ではない。昨夜の睡眠スコア82点。レム睡眠17%、浅い眠り62%、深い眠り12%となっている。酒を飲まずに寝ると、確実に睡眠の質がよくなる。

花咲くといふ静かさの弥生かな 小杉余子

アマプラの映画「手紙」を観た。空き巣に入った男が、帰宅した老婦人を殺して服役、弟に手紙を書く話だ。刑務所の服役生活の淋しさゆえに書く手紙だが、書かれる弟にしてみれば読みたくもない。殺人者の弟であることが、社会でどれだけ差別され、夢を壊されてきたか。その生活を見続け、心を寄せた女性がいた。主人公直貴に山田孝雄、恋人の由美子には沢尻エリカが扮する。手紙をめぐってストーリーが展開される。

由美子には離れて暮らす父親がいる。父からの手紙が由美子にはかけがえのない大切なものであった。刑務所から送られてくる兄の手紙を疎んじるようになる直紀。それを見て由美子は直紀になりすまして手紙を書く。それを喜ぶ兄、由美子をなじる直紀。兄の手紙を破り、橋の上から投げ捨てるシーンが圧巻だ。それを見た由美子は手紙を拾いに川に向かって走る。車が走る大通り、あわや事故か。かろうじて事故を免れた由美子は、語る。「大切な手紙を、なんてことするの」

被害者の老婆の息子へ、毎月送られてくるお詫びの手紙。手紙で謝らても、母が生き返るわけではない。直紀はその息子から兄の大量の手紙を見せられる。この映画には直紀の人生にかかわる手紙の存在もある。手紙など書かなくなった社会へ、この映画はその価値を問い直している。ジェンスパークに書いてもらったこの映画の解説。
「映画『手紙』は、直貴という青年の人生を描いた人間ドラマです。直貴は兄が犯した罪によって人生に影響を受け、夢を諦めざるを得なくなります。物語は、彼が世間の冷たい視線や差別を乗り越え、成長していく過程を丁寧に描きます。特に兄弟の絆、夢を追い求めることの意義、そして赦しと再生のメッセージが感動を呼び起こします。重厚なストーリーと主演の演技が魅力です。」
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タイヤ交換

2025年03月17日 | 映画
梅の花が開いて春の準備が始まった。今日は冬タイヤを夏用に履き替える。タイヤの音が軽くなってその分心も軽くなる。身体を動かすことが身近なことに思えてくる。昨日寝入り前に聞いた昔話。魔法使いが主人公の女性を星の世界へ誘う話であった。夜風が気持ちよく、星空がよく見える夜。ベットから起き出した主人公が星の世界を飛び歩く話だ。宇宙船が飛ぶ時代だから魔法使いがいなくとも星の世界に入れるが、魔法の話はこの時代にあっても魅了的だ。そんな話が眠りの世界へ導いてくれる。最近グーグルウォッチで睡眠を計測しいるが、ここへきてスコアが80点を超える日が増えてきた。「春眠暁を覚えず」春は、心地よい睡眠の季節でもある。

夜の空に老幹の梅まばらなる 植山露子

昨日観たアマプラの映画は樹々希林主演の「あん」。ハンセン病の徳江が、刑期を終えて止むを得ず始めたどら焼き屋の店長を見かけるのは桜の咲く春の気持ちいい日。店長を見て徳江が惹かれたのは自分と共通する目であった。束縛されて自由にならないもの持つ暗い目。そこで働かせて欲しいと申し出る徳江。年老いた徳江に体力がないことを見抜いた店長は、その申し出を断る。2度目に店を訪れたとき、徳江は自分で作った餡、どら焼きの餡を持参する。実は店長は餡を自分で作るのではなく業務用のものを使っていた。徳江は施設で仕事として皆のための餡作り50年も続けていた。その餡のおいしさに店長は驚く。こんなにうまい「あん」があったのかと。

徳江の申し出を受け入れた店長は手の不自由な徳江を手伝いながら、餡作りの全てを知る。小豆を一夜うるかし、煮あがまるまでの行程は、店長には未知の世界であった。水換え、小豆との会話。徳江は鍋のなかで変化していく小豆の姿、匂いを目で鼻で耳で根気よく確かめる。仕上がりの部分の火加減は観る者さへ緊張させる。熱を入れすぎて焦がすようなことがあっては朝の起き抜けに始めた5時間もの努力が無になってしまう。世界に売り出し中の河瀬直美監督ならではのカメラワークだ。仕上がった餡のおいしさが画面を通して伝わってくる。徳江の餡を使ったどら焼きはたちまち評判を呼び、店には長い行列ができる。しかし徳江の病の噂が街に流れると客は打ち寄せる波のように引いていく。

ジェンスパークに依頼した映画の解説を掲げておく。
映画のクライマックスでは、徳江のあんこがどのように人々に影響を与えたかが描かれます。彼女の心の叫びや希望が、見る者に深い感情を引き起こします。この結末は、映画全体を通してのテーマである人間の絆と命の大切さを鮮明に表現しています。
この映画では、ハンセン病への偏見が重要なテーマとして描かれています。徳江の存在は、彼女がハンセン病元患者であることから、社会からの差別や偏見と闘う姿を通じて、観客に強いメッセージを投げかけています。このような背景によって、彼女の人間性や生き様が一層際立つのです。
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