常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大晦日

2014年12月31日 | 日記


八日町にある六椹八幡宮に行く。今年お札を焚き上げるためだ。境内の一遇に竹を立て、焚き上げる場所を設けて、準備がしてある。近隣の家から、不要になった札を積み上げ、夕刻から焚き上げが始まる。神棚や仏壇の周りのものを、粗末に扱わないようにするために、神社氏子の人々が例年の大晦日に行っている。こうして、一年が過ぎていく。

除夜の畳拭くやいのちのしみばかり

寒波で大雪の予報が出ているが、昨日から今日まで、雨交じりの天気だ。積っていた雪がとけはじめ、道路は車が走りやすくなっている。帰省のピークも過ぎ、どの家も新年を迎える準備ができたらしくある。今晩、年越しのそばを祝う予定。

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あと二日

2014年12月30日 | 日記


越年用品を買いに行く。買ったもの、セリ、昆布、身欠きにしん、紅白カマボコ、鶏肉、ギンダラ、ハム、数の子、松前漬け、ベーコン、ハンペン等々。年越しソバと雑煮餅の材料を求めた。妻が作る正月料理は、50年来、ほとんど変わらない。年に一度、昔の味を確かめることになる。

身辺や年暮れんとす些事大事 松本たかし


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南天

2014年12月29日 | 


南天は松とあしらって正月用の飾りに使う。義母の誰もいない家の庭で、雪のなか赤い実をつけていたので採ってきた。南天の名が難を転じるという語呂から、縁起物として珍重されてきた。雪ウサギの目に使い雪景色とうつりもいい。千両、万両また薮柑子などと並んで正月のか花材として人気がある。

実南天紅葉もして真赤也 花蓑

今年最後に、畑からブロッコリーと大根を収穫してきた。ブロッコリーは今朝の気温ですっかり冷凍状態になっていた。それでもきれいで、食べられそうなので、収穫する。大根は葉の上からすっぽりと雪を被っている。雪が盛り上がっているところを掘ると、大根が出てきた。雪のなかけなげな姿に感動する。収穫数7本。雪のなかからも野菜が収穫できることに、感謝する。

妻が大根とニンジンを刻んで炒め煮にしてくれた。大根がみずみずしく、しかもしっかりと大根の香りや甘さを主張、そのおいしさにまた感動。雪のなかの大根はおいしが違う。

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雪遊び

2014年12月28日 | 日記


年末も押し詰まってきた。珍しい好天に、悠創の丘まで散歩。新雪が陽をうけてキラキラと光っていた。正月休みで帰省したのか、幼稚園ぐらいの子つれて、丘の斜面で橇遊びする家族に出会った。「いい天気ですね」と声をかけられる。カメラを手にして、雪景色を撮り歩く人もチラホラ見える。やはり、こんな天気でなければ、シャッターチャンスも得られないだろう。

雪だるま、雪合戦。北海道の冬は寒さが厳しくて、雪あそびもままならなかったが、ここ山形では竹スケートやカマクラづくりなど、子どもたちが雪を使った遊びがたくさんあるように思える。今月は、ずっと寒い日が続いて、丘の方へ遊びに行く気にもならなかったが、今日のような穏やかな日は雪遊びにもってこいだ。






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姥捨山伝説

2014年12月27日 | 日記


長野県の姥捨山には、文字通り年老いた母を捨てる伝説がある。深沢七郎の『楢山節考』はこの伝説から想を得た小説であるが、本来の伝説は背負った母を捨てきれずに連れ帰る話である。母が70歳を超えたので、息子は母を背負って山に向かう。山道で、母は芥子の種を蒔いたり、丸めた草を捨てるなどして目印をつけている。不審に思った息子は、なぜそのような道しるべを残すのかと聞いた。

奥山に枝折る栞は誰のため身をかきわけて生める子のため

こんな歌を詠んで答えた。自分が助かろうと思ってしているのではありません。身を痛めて産んだわが子が道に迷わないように、道しるべをつけている。これを聞いて母の慈愛に感動した息子は、母を捨てることができずに帰って来た。いわば、孝行息子の話となっている。山村で食べ物が十分でない地域にこの姥捨てという風習は、地名で残っている。

天童市の東の山地にじゃがらもがら山があり、小国には蕨野に残る伝説が、「わらび野行」という映画になった。天童のじゃがらもがらは、山で泣いている老人たちの泣き声が聞こえぬように
村人たちが、古いぶりき鑵などをジャンガラ、モンガラと打ち鳴らしたことから名づけられたと言い伝えられている。一人暮らしの老人が、誰にも知られずに死んだと言う話はよく聞く。どのように死んでいくか、古くてまた新しい問題である。


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