常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

二王子岳

2015年05月31日 | 登山


今年は少雨のため、畑の野菜つくりには苦労するが、登山では快晴に恵まれ、想像以上に楽しい山歩きが実現している。先ず写真を見て欲しい。二王子岳の山頂に立ったとき、目に飛びこんできたのは飯豊連峰の雄姿である。登山家の間では、壮大な飯豊連峰の展望台としてこの二王子の山頂を上げられる。このパノラマを見て、ほとんど言葉を必要としないが、山頂にある飯豊の展望図でその山名が知れる。写真では地神山、門内、北股、烏帽子などの主要な部分を切り取ったに過ぎないが、肉眼では北の朳差、そして鋭俊な鉾立から主要部を経て御西、大日岳へと連なる。「こんなにはっきりと、飯豊の山容を目にできるのは珍しいですよ」と教えてくれたのは、地元の年配の登山者であった。



登山の起点となるのは新発田市にある二王子神社。山形を4時半に出発して、こ神社に着いたのは7時30分、支度を済ませ、登山を始めたのは8時少し前であった。二王子神社の古びた威容を拝して、かつては修験道の霊山として地域の信仰を集めていたことに思いを寄せる。祭神は大国主尊、江戸時代には二王子大権現と称されていた。

昭和6年3月26日、この地の住んでいた猟師親子の遭難死が伝えられている。須藤七太郎(60歳)は20代の息子二人と、炭焼きを連れ、この山に熊撃ちに入った。その日天候は快晴、汗ばむような陽気に、着ていた蓑を脱いで軽装になり、蓑は木の枝に下げた。途中、雪崩れ埋もれた木の枯れ枝をカモシカの角と誤り、胎内側の山肌に深く入ってしまった。気が付くと、天候が急変し、全山が見通しのきかない吹雪となった。

最初に気を失ったのは七太郎だった。兄弟は二人で父の救助をしたが、もはや動かぬ父を見捨て懸けておいていた小屋を目指した。しかし吹雪の猛威に小屋の場所が分からず、雪の中で凍死。小屋に辿り着いたのは、炭焼きの竹二だけだった。竹二もまた小屋の所在を特定できず、雪中に穴を掘って一命をとどめた。



一合目を過ぎるとすぐに急峻な登りとなる。しかし地元の人々の尽力で登山道は整備されている。木を道の幅に切り、階段状にして登りやすくしてある。登るものは、歩きやすい道のため坂道をのぼってしまうが、振りかえってみると、急な登りに驚かされる。標高1420m、標高差1100m。写真は3合目付近の登山道である。4合目を過ぎると、木陰に雪が消え残っている。したがってここは、雪解け間近な早春の季節である。山中には春セミや小鳥の鳴き声がしきりである。

明日はこの山の山開きである。登山口には、テントが持ち込まれ、ここで一夜を過ごすグループの姿が見られた。早朝に山形を発ってきた我がチーム(5名・男3・女2)の登る速度は遅い。後ろから来たグループが次々と追い越していく。この日登った人はざっと100名前後というところだろうか。若い人のグループの目立つ。新潟県では、若い世代に登山愛好の傾向があるように見受けられる。



この山行であらためて思ったのは、高山の花の美しさだ。雪の下から頭をもたげる植物は、その生命力をこの時期に最大限に発揮する。咲いたばかりの花は、まだ気象条件のダメージも受けず、虫の害もまだない。こんな時期であるからこそ、高山の花が美しいのだろう。地元から来た人が話していた。「毎年、山開きの時期、年に一回だけ来るんだよ。今日はきれいな花が見られて儲けものをした。」そう言えば、この山に来る人は圧倒的に地元の人が多い。駐車場の車のナンバーを見ても、県外者は少ない。それだけ、この山は地元の人に愛されているのだ。登山道の整備に加えて、ゴミなどきれいに片付けられている。日陰に咲くサンカヨウの純白の花に目を奪われる。



仲間のひとりが言った。「コブシの花はどこで見るものよりきれいだ。」まったくその通りだ。一本の木に咲くコブシでも、たいていどこかに太陽から受けたダメージで散りかかっているものが混じっている。この木にそんな姿はひとつもなく、どの花も最高の美しさだ。目を登山道の外に向けても、新緑のなかに純白のコブシが咲きほこっている。



コブシと競うように純白の花を咲かせているのは、オオカメノ木だ。この花はカメラに収めるのが難しい。前の方の花にボケを入れて、花をアップに撮ってみた。何故か、白い花が多い。明日から6月、ジューンブライド。6月の花嫁は、純白のドレスが似合う。



忘れてならないのは、日陰に咲くシラネアオイ。純白の花ばかりのなかに、淡い紅紫の色がいかにも奥ゆかしい雰囲気を漂わせる。この山では、木の成長がないせいか、花はややこじんまりとしている。近くにカタクリの群落もあったがこちらも、花、樹勢いずれもこじんまりとしていた。こんな花に目を楽しませていると、急な坂道を歩いて疲れも忘れてしまう。



所々に道が残雪のなかにあるとろに出ると、汗をかいた身体を涼風が駆け抜ける。清々しい気持ちだ。同時に、いままで隠れていた二王子岳の頂上が姿を見せる。残雪の白と頂上の新緑のコントラストは、現場で自分の目で確かめるよりほか方法はない。頂上付近に避難小屋が薄赤く見えている。ここから、頂上まで25分。その頂上から、驚きの飯豊の大パノラマを見ることになる。

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ヒメサユリ

2015年05月29日 | 


千歳山には訪れるたび、ドラマがある。先日は幼稚園児たちと山中で出会ったが、今日はヒメサユリと若いアメリカ人の女性と出合った。登山道で携帯のカメラでしきりに道端の花を撮影している女性がいた。見るとアメリカの女性であったが、花がきれいだったので、思わず声をかけた。「ヒメサユリですか」。すると流暢な日本語で、「はい。ヒメサユリです。きれいですね」という答えが返ってきた。ピンクの花が一輪だけ、少し淋しい気もするが、見知らぬ外国の女性と会話ができて少しうれしい気がした。

ヒメサユリの美しさに感動したのは、平成6年6月25日のことである。この日、会津の会津朝日岳に小屋泊まりで登った。長い登り道を歩いて疲れきった頃、路傍に点々とヒメサユリのピンクの花が見られた。登っていた仲間が「わーっ」と感動の声をあげた。疲れきっていたが、そのみごとな美しさは、疲れを吹き飛ばすに十分であった。Oさんと花の前にしゃがんで記念撮影をしたことを今もはっきりと覚えている。高山での花との出会いは、想像以上の感動を呼ぶ。

千歳山は高山ではないが、この季節、偶然にこの花に出会うと、早朝に拾い物をしたような気分になる。ヒメサユリはその花の佇まいが女性的であるので、オトメユリと呼ばれることもある。
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ニゲラ

2015年05月28日 | 


花の写真を撮っていると、一年に2、3種知らなかった花の名を覚える。ニゲラは昨年覚えた。花を支える茎に付く葉は糸状で特徴がある。和名はクロタネソウで、黒い種子で香りがよくドライフラワーして楽しむらしい。ニゲラはラテン語で、黒いという意味である。

先日山登りをしていて、ラショウモンカヅラという花に行きあった。こちらはシソ科の植物で、長い花の形を、羅生門で切り落とされた腕になぞらえたらしい。紫色の美しい花であるが、なぜそんなおぞましいものになぞらえられたのか不思議だ。山の仲間のsさん庭に咲いているという。


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ジャガイモの花

2015年05月28日 | 農作業


お隣の畑にジャガイモの花が咲いた。この花を見ると、遠い故郷を思い出す。北海道農家では、どこの家もジャガイモを栽培したからだ。北海度を開拓した時代、ヨーロッパの気候風土と似ている北海道は、ジャガイモが風土に適した作物と判断されたためであろう。花が散ってしばらくすると、もう新じゃが地中で大きくなっている。お盆の前に新じゃがを掘り出して食べるのが楽しみであった。

私が子どものころ、畑仕事を手伝うことなど殆どなかったが、ハロウで掘り起こした芋を拾うのは子どもの手も借り出された。種芋作りも手伝った。山のように積まれたジャガイモを芽の出る部分を残して4つほどに切っていく。俵詰めにした種芋は本州に送り出される。北海道のほくほくする美味しい種芋は、北海道の種でなければならなかった。しかも一代だけの種だ。本州でできた芋を種芋にすると、もうあのほくほく感は失われのだという。そのため、毎年、本州むけの種芋が北海道の農家で生産された。

じゃがいもの花に朝の蚊沈みゆく 阿部みどり女

ジャガイモは南米アンデス山脈の高所が原産地である。はるばる海を越え、インドネシアのジャカトラを経て日本に渡来した。そのためにジャガタライモと呼ばれていた。
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茄子の花

2015年05月27日 | 農作業


五月の高温と雨のない天気は、いつまで続くのか。畑の野菜苗は、水不足で成長の気配がない。それでも、野菜は花を咲かせる。茄子の花の紫の色は、気高い雰囲気を漂わせている。野菜は花を観賞するために育てているのではないが、よく見るとその美しい姿に感動を覚える。茄子のわきでコリアンダーの花があったが、その繊細な花は切花として飾りたいほどだ。

茄子咲くや気やすき朝の声かけて 竹中 春男

雨不足で畑にやってくる人の心は、共通している。植えたばかりの野菜苗へのいたわり心である。如雨露で与える水はわずかばかりで、野菜たちのとっては一時の潤いに過ぎないが、それを与えずに置かれないのが、小さな畑で野菜作りをしている人の心だ。如雨露から少しばかりの水をもらって、野菜たちが喜んでいる気持ちは痛いほどに分かる。

稲藁をiさんから分けてもらう。メロン、カボチャ、ズッキーニの葉の下に藁を敷く。野菜苗の販売所で、稲藁を探したが、5把ほどで400円という驚くような高価なものであった。

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