常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

守歳

2023年12月30日 | 日記
大晦日の夜は寝ないで新しい年を待つ。このことをかって守歳と言った。新しい年を迎えるには戸外に雪があった方が、ふさわしく感じられる。今年はもう数時間しか残されていないが、このまま雪のない新年になりそうだ。数日前に雪景色の、ブログの絵を準備していたが、現実離れしたアイキャッチになってしまった。雪はなくても、近くの寺では除夜の鐘が聞える筈だ。川端康成の小説で、京都の祇園で知恩院の除夜の鐘を聞く話が出てくる。主人公が上がった料亭は、知恩院にほど近く、障子を開けると鐘を打つ僧の姿が見えるほど近さであった。

「知恩院の鐘が鳴った。「あっ」と一同は静まった。あまりに古寂びて、ちょっと破れ鐘のようであったが、そのひびきの尾は深くただよっていった。まをおいて鳴った。間近で撞かれているらしい。」

除夜の鐘は、テレビの「行く年くる年」で、各地のお寺の鐘の音が放映されていた。鐘の音を紹介するアナウンスの声は低く、聞く者を厳粛な気持ちにさせた。もう何年も、この中継を見なくなっている。わが家で細々と続いているのは、「年越しそば」と元日の雑煮。この日だけは、朝、燗をした酒を飲む。年が改まるといっても、もう特別なことはない。
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満月

2023年12月28日 | 日記
昨日、満月がきれいだった。今まで見たなかで一番のような気がする。こんな月をこれからあと何度見られるかと思い、台所にいた妻に「月がきれいだ」と声をかけた。あまりのきれいだったので、友だちに電話していた。先方からも電話が来て、ひとしきり月の話題で盛り上がった。カメラを向けたが、あまりの煌々さに、いい写真にならなかった。一夜あけて、朝の7時ころ夕べの月がまだ西の空に残っている。今度は朝焼けに、山の端の月が写真に収まった。

昨日の月の出入り時間を調べると、月の出16時16分、入りは翌日の8時3分となっていた。こんなに月に関心が強まったのは、年を重ねたせいかも知れない。見る景色は月にかぎらず美しく見えるし、食べものも新しい発見のようにおいしい。この季節、太陽が地平線に近く日没が早いため、月の出が遅く、入りが遅くなる傾向にあるらしい。それにしても、夕刻に見た月が、朝の7時になっても沈まないのを見るのは人生初めての経験だ。先人が月を愛でた心が、この年になってやっと理解できたような気がした。
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松川浦

2023年12月27日 | 登山
太平洋が見える地まで、車で1時間も走れば行ける。雪国と雪のない場所では、冬に対する感覚は大きく異なっている。ものの本によれば、積雪地は日本全土の53.3%で、そこに住む人は2000万弱である、ということだ。雪国を離れて、雪のない街に移住する人の話をよく耳にする。道路の除雪、屋根の雪降ろしなど、雪国の生活は技術の進んだ今でも厳しいものがある。雪のある景色を求めて、海外から観光にくる人も多い。反対に雪を見なれている者にとっては、見渡す限りの青空と光る海は、ぜひとも見たい景色である。

松川浦は仙台から常磐道を上り丸森町へ進むと、やがて相馬。道に面した内湾だ。もう50年以上も前になるが、子どもたちがバスに乗って潮干狩りに出かけた場所だ。陸をふり返れば山が見える。今日歩く鹿狼山が見える。太平洋に面した地域と、日本海の影響を受ける奥羽山脈で区切られる天候と環境の差。それはあまりに大きい。2011年の大震災では、この付近は津波の被害を受けた。その傷跡はようやく癒えたように見える。さんさんと降りそそぐ太陽の光が、地域一帯をキラキラと輝かせている。

鹿狼山の山頂から海を眺めながら、雪国に育った者の感懐を偲んでみた。同じ海であるが、そこに降りしきる雪を眺めたのは、雪国育ちの高田宏である。

「街から4㌔ばかりの海辺に立って、際限もなく海に降りしきる雪を見ていた。夢幻の時間が目の前にあった。人間などに目もくれず、波が砕け雪が舞っていた。春先、雪どけ水で水量の豊かな川辺に立つと、まだらに雪の残る平野の遠くに山山が白く光ってまばゆく、季節の移りが一望された。」高田宏『雪日本心日本』)

わずか数十キロ、山で隔てられた表日本と裏日本。どちらに住んだとしても、環境に大きな変化があるわけではないが、そこに流れる空気、風の音、海の光など心に語りかけてくるものには大きな違いがある。心のなかに積み重なっていくものが、長い時間のうちに大きく違ってくる。裏日本という言葉が、人々の心に刻む陰影は想像以上に大きい。

しろがねの雪ふる山に人通ふ
 細ほそとして路見ゆるかな 斎藤茂吉
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冬の花

2023年12月25日 | 日記
紀貫之は枯木に積る雪を花に見立てた。花のない季節である。いにしえの人は、寂しい季節も、そんな目で草木を見ることができた。雪がたくさん降ることは来年の豊作の吉兆でもあった。今の時代に目を移せば、どんどん雪のない冬になっている。山の積雪がないと、春に必要な水も心配である。この正月にかけては、なお気温が高く、一部の地方を除いて雪が降らないらしい。温暖化の傾向は顕著になっている。

花の咲かない季節に、山の仲間からアルストロメリアの切り花をいただいた。ハウスで育てれば、冬もこうして花を楽しむことができる。玄関のドアを開けて入ってくると、華やかな雰囲気で迎えてくれる。まだ咲かない蕾がたくさんついていて、長い期間、目を楽しませてくれる。

ラクスルというネットの印刷会社ある。手作り新聞をデザインして、文字を入れ、ネットでデータを入稿。そして印刷代金を吹き込むと、自分で編集したA4両面カラーの新聞が届く。一部当り10円という手軽さだ。コンビニのコピー感覚で印刷を発注できる時代がきた。キャンバというデザインサイトで、無料で編集ができる。高齢のため、コンピューターの操縦が馴れないと時間がかかるが、一から勉強して数週間で完成した。この年で、ほぼ独学で新しい技術を身につけられたことが何よりもうれしい。
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おでん

2023年12月23日 | 日記
明日はクリスマスイブ。ひ孫の部屋に、大きなクリスマスツリーが飾られた。週末は寒波がきて、雪の降るイブになるらしい。わが家も、ファミマからチキンを買ってきて、ささやかにひ孫の成長を祝いたい。寒さとともに、コンビニでおでんの売れ行きがいいようだ。業務スーパーでもおでん種が、煮るだけになって売っている。冬になると、なぜか食べたくなるのがおでんだ。昔、街のおでん屋さんへ、鍋を持参して買ってくる風景が見られた。

伊藤信吉に「おでん異聞」と題する詩がある。昭和の時代に、おでんが愛されたいたことを示す楽しい詩だ。

次はわたしが/他国の人を驚かす番だ。/ヒッパタキ/歯切れのいいこの形容詞は?/こんにゃくおでんを村ではこう言った。

矩形や三角形に切った蒟蒻を/竹串にさす。/煮る。/熱湯からあげる。/布巾にくるむ。/まな板のうえで/叩く。/即ちヒッパタキ。/ひっぱたいて水気を除って味噌をつける。

こんにゃく山地の上州の冬は寒い。風の夜/ヒッパタキの湯気。/村おでんの熱い味が/幼いわたしの舌にこびりついている。

関西ではおでんと言わず、関東煮と言ったらしい。こんな詩を読むと、今夜あたりクリスマス寒波のなかで、おでんをぐつぐつと煮て食べたくなった。
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