常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

朝の光

2022年09月25日 | 日記
台風が太平洋沖に去って、清々しい朝を迎えた。空の青さはどこまでも深く、中天にうっすらと綿あめのような雲が浮かんでいる。秋らしい朝は今年はじめてと言ってよい。公園のカエデは色づきはじめ、神社の曼珠沙華は満開である。陽ざしがやわらかく、冷えた空気を少しずつあたためているようだ。陽だまりにいると、ぽかぽかと身体が温まる。朝、気持ちよいひとときを過ごすと、一日、幸せな気持ちで一日が過ごせる。そのことをブログに書くと、幸せが身体に刻印される。

昨日、山の仲間が、収穫した枝豆とカボチャを届けてくれた。さっそく、茹でて食べると、甘味といい香りといい、秋を感じさせてくれた。畑明けづくりから引退した身には、ありがたい限りだ。こう書いていると、玄関のチャイムがなり宅配便である。千葉に住む娘から、生ピーナツおおまさりが送られてきた。塩ゆでして食べるピーナツだ。なにか、今年はたくさんの知り合いから、食べるものをいただいている。知り合いの方たちから、生かされている、という感謝を実感している。

秋のいい日に河上肇の詩をかみしめてみる。題して「老後無事」。老いてからの清澄な心のありよう。

たとひ力は乏しくも
出し切ったと思ふこころの安けさよ。
捨て果てし身の
なほもいのちのあるままに、
飢え来ればすなはち食ひ、
渇き来ればすなはち飲み、
疲れ去ればすなはち眠る。
古人いふ無事是れ貴人。
羨む人は世に無くも、
われはひとりわれを羨む
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キッチンエコー

2022年09月24日 | 日記
家の近くに、キッチンエコーという洋食店がオープンした。昭和40年代に、旅篭町にカウンターだけの小さな洋食屋さんがあったが、聞けばそのオーナーのお孫さんが始めた店だ。昭和40年代、洋食などあまり行く人がない時代、ヒレカツ定食を安く食べられる店で、よく利用した。オーナーは都会で修業したらしく、どこかあか抜けして、山形弁など使わない都会風の人であった。その時代が懐かしく、妻をつれて昼飯を食べに行ってきた。店内はテーブルが5、6台にカウンターとさほど広くなかったが、至る所にガンダムのポスターが貼られ、モニターにはアニメが映し出されていた。若者が集まるという店構えであった。

訪れた日が水曜日。なぜかこの日はキューバサンドの日で、洋食のメニューはお休み。ご飯ものがないと分かると、来客した人たちが何組も帰っていった。キューバサンドは、カリカリのパンに肉やチーズをはさんであり、結構なボリュームの上、味もよい。今度、水曜以外の日に、カツカレーなど試してみたい。
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お彼岸

2022年09月23日 | 日記
今日、彼岸の中日。3連休になっているが、このところ週末が台風の影響で、全部雨に祟られている。戸外では、紫苑が背を伸ばし、花をいっぱいさかせていた。草木のあいだから、コウロギなどの虫の音が聞こえてくる。小雨がパラパラと降ってきて、早々に散歩から引き返した。つい先週まで、蒸し暑い日が続いたのに、暑さ寒さも彼岸までの言葉通り、すっかり涼しくなった。テレビで、クイズに「ぼた餅とおはぎの違いは?」というのが出ていた。萩の咲く秋が「おはぎ」、春の「ぼた餅」は牡丹に由来しているということであった。

さらさらと秋の彼岸の椿かな 木導

昨日、お寺が混まないうちに墓参りをすませた。お彼岸を先祖を偲ぶ日として行事をするのは日本特有のことらしい。静岡県の熱海峠には日金山という山がある。ここは仏道の道と言われ、彼岸に登ると亡くなって会いたい人の後姿をみることができるという。子どもを亡くした家では、海岸の小石を持って登るらしい。先祖の住む国は、日が沈む西方にあると信じられていた。お彼岸の中日には、日は真西に沈む。中日をはさむ前後3日間を、さまざまな行事を行った先祖を供養しようと考えられてきた。
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名著の重み

2022年09月21日 | 読書
神谷美恵子の名著、『生きがいについて』を枕頭の書にしたのは、失礼な話だが、自分の睡眠と関係している。高齢になって、眠りが浅くなり、夜中に何度も目覚めてしまう。この本を枕頭に置けば、ほんの2、3頁で眠気が戻ってくる。そんな気持ちで枕頭に置いた。この本はかなり昔に、仕事や人間関係に悩んだとき、書店で求めたものだったような気がする。名著であることは知っていたが、ついぞ読み通すこともなく、この本の価値を知らないまま本棚に、置いたままになっていたのだと思う。

神谷はハンセン病の療養施設で、生きがいを失った患者によりそいながら、その人たちが、絶望のなかで朽ちることない希望や尊厳を見出していくなかで人間の「生きがい」についての思索を掘り下げていく書である。この本を枕頭の書にしてから1週間ほど経ったであろうか、生きがいを失う人間は病気の人だけでなく老人になって、老い先が短くなっている、つまり自分のような存在もその範疇にあることを知らされた。丁度、山登りの楽しさを生きがいにしてきたが、突然の事故で、その楽しみを失った時期に重なっていた。

2、3頁で眠気をもよおする本、だが、読み続けることを促すエピソードにも満ちている。ブログ仲間のクリンさんが取り上げた数学者岡潔が文化勲章を受章した手記が、新聞の記事のまま紹介されている。そこで語られるのは、子どもの頃に山で蝶を見つけたよろこびと数学の研究や発見のよろこびは同質のもの」であること。また使命感を持って生きることが生きがいにつながっている。その例として、ナイチンゲール、シュバイツァー、ジャンヌダルク、そして宮沢賢治があげられる。

自然との融合体験。日本の青年の手記を読みながら、自分が自然のなかで感じた喜びと青年の体験の同一性。プルーストの『失われた時をもとめて』、パールバック、唐木順三『無用者の系譜』など読んだ本、読みかけの本から引用が「生きがい」の観点から随所にちりばめられている。少しづつ読み進めて最後に行きついた感動の言葉。

「死刑囚にも、レプラのひとにも、世のなかからはじき出されひとにも、平等にひらかれているよろこび。それは人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでるものでなかったか。一個の人間として生きとし生けるものと心をかよわせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび、自然界のかぎりなくゆたかな形や色をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージをつくり出すよろこび。こうしたものこそすべてのひとにひらかれている。」

眠ることを促すはずの本が、この感動のために眠りをわすれさせ、次に読むべき名著を探す。一つはロジェ・カイヨワ『遊びと人間』、もう一つはアラン『幸福論』。そしてこの『生きがいについて』の再読。もっと、もっとこの本の重みを心にとどめて置きたい。
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朝焼け

2022年09月19日 | 日記
今朝、5時頃目が覚めた。ベランダを開けていた妻が、「朝焼けがとてもきれい、見てごらん」と声をかけてきた。見ると、空一面がピンクに染まっている。慌ててスマホで写真を撮ると、みるみると色が褪めていく。朝の光は、一瞬なのだ。それでも、80歳を過ぎた老夫婦に、こんな話題があることがうれしい。満月の夜、上がってきた月を見ろ、と声をかけていたせいかもしれない。九州から下関あたりにある台風が、北上する前の夏の風である。テレビは朝から、亡くなったイギリスのエリザベス女王の国葬の模様を伝えている。

イギリスではさしもの暑かった夏が過ぎ、弔問の人たちは、長袖にコートだ。ボードレールの詩、「秋の歌」が懐かしい。イギリスに遊学した永井荷風の訳で記す。

吾等忽ちに寒さの闇に陥らん。
夢の間なりき、強き光の夏よ、さらば。
われ既に聞いて驚く、中庭の敷石に、
薪を投込むかなしき響。

今日、敬老の日。町内で敬老の日に記念の弁当をいただく。沼沢記念館にある配布所までいただきに行く。台風がつれてくる南から暑い風と、太陽の光が眩しく暑い。夏の光も、この台風が去れば、終りになる。

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