常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2022年05月15日 | 日記
タンポポの綿毛が風を待っている。吹かれた風に乗って、種を少しでも遠くに運びたいからだ。この時期、戸外に出て深呼吸がしたい。厳しい山堂で冬を過ごした良寛は

むらぎもの心楽しも春の日に
 鳥のむらがり遊ぶを見れば 良寛

春の喜びを詠んだ。風のなかで、鳥や花を愛で、自然と一体になることで人は生きる喜びを感じる。堀辰雄の『風立ちぬ』にも、「風立ちぬいざ生きめやも」の詩の一片が巻頭にある。

もうひとつかみしめてみたい谷川俊太郎の詩。


風が息をしている
耳たぶのそばで
子どもらの声をのせ
みずうみを波立たせ
風は息をしている

虫が息をしている
草にすがって
透き通る胎を見せ
青空を眼にうつし
虫が息をしている

星が息をしている
どこか遠くで
限りなく渦巻いて
声もなくまたたいて
星が息をしている

人が息をしている
ひとりぼっちで
苦しみを吐き出して
哀しみを吸い込んで
人が息をしている
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キングサリ

2022年05月13日 | 

朝の散歩は、花に待ち伏せされたような気分になる。黄色なフジのような花も、この季節、突然、木が花に被われてしまう。「あなたが来るのを待っていたよ」と花が、そんな風に告げている。キングサリ、原産ちの英名はゴールドチェイン、花の形状を示して分かりやすい。この花も、近所の庭に植えられていて、ここでしか見られない珍しい花である。きれいだが、花や若葉に毒を持っている。マメ科で馬酔木のような植物である。

『花の事典』の記載を記す。花ことば:哀調を持った美しさ。夏の暑さに弱いが寒さには強いので関東以北では庭植えが可能。日当たりと水はけよく夏に西日の当たらない場所に植える。近所のお宅では、まさに事典に記載どおりに植えられている。そのためか、この花が木いっぱいに咲くと驚かされる。この花が終わると梅雨の季節がやってくる。
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七ツ森

2022年05月11日 | 登山

高速の東北道を北進して大和インターの辺りまで来ると、西方に頭をポコポコと出す低山が見える。今週目指したのは、この七つ森だ。七つある山には薬師如来の石像が祀られている。この七つの頂上を一日で登り、お薬師さんにお参りすると無病息災が叶うという。宮床の地区民が行う「七薬師掛け」である。里山歩きの楽しさに、ご利益を加えた地区の人たちの知恵である。新緑が目に沁みる5月、さぞかし多くの人が入山しているかと思ったが、わが山の会の貸し切りのような山歩きであった。小なりとはいえ、7座を登り降りするのは我々の年代には無理。南側ダムの湖畔にある駐車場に車を置いて、鎌倉山(313m)、遂倉山(307m)、蜂倉山(289m)の3座を登ることにする。
山に入ると、道は石が多い。標識には「新奥の細道」や「伝説の山」という標記が記されている。帰って調べてみると、この山の伝説についての記載があった。「昔々、朝比奈三郎という力持ちの大男がいた。男は弓の稽古場の的にしようと山を作った。するとタンガラからこぼれた7つの土が山になった。」たがら森というのが、手前の山になっていたので、里の人々はこの伝説を語り継いだのであろうか。3座に登って感じたことは、石が多いことだ。火山と思われるがどの山も低山である。第三紀の300万年のも古い地質との記載もある。それだけの長い時間を経過して、浸食と隆起をくり返した老年山地ということもできよう。
駐車場から歩いて、9時10分に登山口。鎌倉山まで25分。ここで小憩、記念撮影。10時になって遂倉山に向かう。鎌倉山をしっかり下りたところに蜂倉山の登山口がある。ここもさほどの登りではなく所要時間20分。難所は蜂倉山。なだらかで歩きやすい道を過ぎてから急傾斜にかかる。尾根道に入るまでに、切れ落ちた岩肌をトラバース。距離は短いが、張ってあるロープも弛んでいて頼りにならない。岩のつけられた、足掛かりを確めながらハラハラドキドキで渡る。そこからの尾根道は少し急だが問題はない。蜂倉の頂上まで1時間。この頂上で昼食の弁当開き。観音さまを三つお祈りしたので、ご利益もそれなりか。

20年ほど前にこの山を歩いているはずだが、思い起こすのは、仲間が大急ぎで登り、降りたことのみ。一つ、一つに山の特徴や、危険個所など一切記憶はない。山は降りてしまえば、そこの記憶はどんどん消え去っていく。それだけにこの度の再訪は、殆ど初めての発見と、新しい感動の連続である。変化に富んだ山道。深く切れ落ちた渓。仲間の感想に、「山は高さじゃない」とあったがまさにその通り。新緑と山道の脇に咲く、名の知れぬ花々。下り道を安定して歩く体力。まだまだ、山登りの奥は深い。
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光禅寺の花たち

2022年05月09日 | 
光禅寺は山形城主・最上義光の菩提寺である。市内鉄砲町の境内には、義光、家親、義俊三代の墓がある。庭園は江戸初期の遠州流の名園である。この季節庭の牡丹が見事だ。毎年、咲く時期に会わせて見に行くが、時季を誤って、盛りを過ぎたころ訪れることが多い。義母の家がすぐ脇にあったので、生前は見逃すことはなかったが、亡くなってからは決まって遅れたような気がする。今年は辛うじて、落花の前に見ることができた。やはり、牡丹の華やかさに圧倒される。

蕪村ほど牡丹の句を詠んだ俳人はいない。咲き誇る牡丹の命は短い。花弁が散って残骸となっていく姿を見たくなかった。そこで、切り花ということになる。
 けふや切るべき牡丹二もと 蕪村
 ぼたん切て気のおとろひし夕べ哉 蕪村
 ちりて後おもかげにたつぼたん哉 〃
庭園の向こうにある庫裡には、打って変わって小さく可憐な三寸あやめ。牡丹を見てから、しゃがみこんで愛でる紫の花だ。その対称的な存在が面白い。寺の周りを歩きながら、祀らている最上義光もこんな花を愛したのであろうか。想像を巡らせてみたくなる。戦国の生きた武将は、生死をかけた日常を生きている。連歌や和歌など、風流の世界の気を紛らわせた。菩提を弔う僧たちは、このような花を咲かせることでやすらかな死後の世界を演出してみたであろうか。

さらに地味な翁草。昨年まではもっとたくさんあったような気がするが、ことしはわずかに三もとが咲き終わろうとしている。俯いた花は、赤黒い血の色だ。斎藤茂吉が愛した花だが、城に咲く射干と並んで武将弔うにはぴったりの花だ。

 かなしきいろの紅や春ふけて
  白頭翁さける野べを来にけり 茂吉
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新緑の藤倉山

2022年05月08日 | 登山


藤倉山は鶴岡市三瀬の里山である。標高は651mに過ぎない。だが三瀬駅から田圃のある集落をぬけて、獅子畑の登山口に向かうと、車一台がやっと通れるほどの狭い林道を行く。すでにGPSのナビも終わり、登山口がどこにあるのか心細い行程となった。所々に、ようこそ藤倉山への看板が見え、やっとの思いで登山口に着く。連休も終わった7日、絶好の好天に恵まれ、参加者16名にとって新緑に浸る一日となった。

登山口から急な坂道を、ジグザグに切られた山道を行く。道は腐葉土でふかふかとして柔かい。新調した「ホッカオネオネ」の山靴が、丁度道にフィットして歩きやすい。朝からすでに20℃を超え、軽装にもかかわらず歩き始めてほどなく汗が出てくる。高度を稼いで、1時間ほどで中間点の展望台。高度500mほどで、山中はブナの深緑である。早春の花は終わりを告げ、この山中ではブナの深緑が主役となった。これほどの緑のなかに身を置くと、歩く人間も山中に溶けこみ一体化している。ブナの葉と同じように陽の光を浴び、風に吹かれる。飛ぶ蝶は、春の妖精ギフチョウ。

新緑の風にゆらるるおもひにて 飯田蛇笏
頂上への道脇に、所々に辛夷やタムシバの純白の花、足元にイワウチワの花が咲き残っていた。頂上の景色のいい場所を選んで昼食。庄内の山のもう一つの楽しみは海の眺望である。由良の海岸が見え、八乙女のホテルの姿も懐かしい。冬、海を渡る風が、高度の低い山にも雪を降らせ、ブナを生育させる。蔵王では高度1000m位に生育するブナが、ここでは500mでかくもみごとな美林となる。山中で我々のグループ以外の人は数名であった。多くの人であふれる名山でなくとも、人知れず佇む里山にも、これだけ豊かな楽しみがある。
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