常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋の花

2024年09月11日 | 日記
残暑が厳しい。残暑というより真夏が9月になってもそのまま居座っている感じだ。昨日34℃、今日あ昨日より暑く感じる。それでも散歩道には秋の花が咲いている。秋の七草である萩の花が咲き、葛の花は咲き出して2週間もなる気がする。シュウメイギクのシオン、それから雑草にうもれるようにしてワレモコウが咲いていた。去年は同じ場所に咲くのでは探してみたが消えてしまったようであったが懐かしい花に出会えてうれしかった。

ところで、『源氏物語』に、源氏の死後二人の若宮が登場する。一人は薫る中将で、この人の体臭がすばらしい芳香で、どこにいてもすぐに知られてしまうので出かけるのもままならなかった。この人に対抗意識を燃やすのは匂宮である。薫のような体臭はないので、着物に香を焚きしめたり、庭で愛でる花も香りに関するものであった。「すべての人が老いを忘れるといわれる菊や、衰えていく藤袴、見栄えのしない吾木香など香りのあるものは、すっかり見る影もなく霜枯れになるころまでお見捨てにならない」といった風でワレモコウは吾木香の漢字で出てくる。藤袴の根が、乾燥させて着物に挟んで虫よけと香りをつけるのに利用したが、ワレモコウにはそんな香りがあるわけではない。地味な花に目をつけ、名に香が入っているため、これを愛ずることで気を引こうとしたのかもしれない。

高温障害が心配された秋の味覚、シャインマスカット。立派にできたののが店頭にならんだ。子どもや孫たちに少しづつ送った。十分の甘く、秋の味覚が堪能できた。田の稲も、穂を垂れて収穫を待つばかりになっている。一日も早く、暑い秋が去って欲しい。
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一汁一菜

2024年09月07日 | 日記
今日、24節季の白露。散歩道の草むらに露が降りるようになった。虫の音が秋を感じさせるが、朝焼けのなかに萩の花がたくさん咲いていた。萩の花は万葉の時代から日本人に愛されてきた花だ。山上憶良に秋の七草を詠んだ歌がある。

萩の花尾花葛花なでしこの花
 をみなえしまた藤袴朝顔の花 憶良

朝の気温は20℃ほどで歩くには一番心地よい。家事で妻を手伝うようになった一日の時間が一段と早く過ぎるように感じる。昨日、本屋で土井善晴の『一汁一菜でよいと至るまで』というエッセイを買った。料理家がさまざまな料理を極めた後にたどり着いた境地が一汁一菜であった。それは高齢になって活動量が減るとやむを得ず行きつく境地でもある。汁は味噌汁をさす。何を入れても美味しい味噌汁は具だくさんの栄養も補給できる魔法の汁だ。土井は相撲部屋のちゃんこ鍋をこの汁に入れている。あの大きな身体をも支えるのが一汁である。毎日の食事に手間をかけずにできる究極の家庭料理である。

菜はと言えば漬物である。糠みその漬物。冬の白菜漬け。どれも我が家で何十年も食べているものだ。土井善晴の言葉。「一汁一菜を用意すれば、食事づくりのノルマは完了です。一汁一菜を続ければ、体調がよくなり、健康になります。おかずをプラスするのは、自分の心に、時間に、お金に、余裕があるときでよいのです。」妻にあまり手間をかけさせたくないと考えればこの言葉は福音である。
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秋を歩く

2024年09月04日 | 日記
朝がめっきり涼しくなった。久しぶりの秋晴れの空のなかに立つ木の姿も美しい。蝉はいつのまにか鳴くのを止め虫の声が主役になっている。散歩道の田では稲穂が頭を垂れている。今年の米は豊作らしい。果物はどうか。気候の変動が農作物に強く影響する。昨日生協の売り場を覗いたら5年産の県産米5㌔袋が売り場いっぱいに積まれていた。米がないという、日本人全体の不安が世のなかを大きく動かす。微妙なバランスで成り立っている需給はみんなの不安で一気に売り場の棚を空にする。売り場に米が並ぶのを見て、「ない時はカップ麺や外食でしのいでいました」と語るお母さんがいた。

米が無いと聞いて人々は過去を思い出す。戦後の食糧のない時代が頭に浮かび、近年の不作ではタイ米がスーパー並んだことを思い出す。同時に、大災害が来て米が作れなくなる日本を思い浮かべる。だが、過去や将来をいくら考えても問題が解決するわけではない。不安になって買いだめが多かったのが不足の理由。このひと時を代用食でやり過ごす知恵を持てば米はまたスーパーの棚に並ぶ。心理学者アドラーの言葉。

楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、
未来を不安視するのでもなく、
いま現在の「ここ」だけを見るのだ。
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蓬生

2024年09月02日 | 源氏物語
朝の散歩で気になることがある。長年歩いているとこの季節にはあそこの庭に桔梗が咲く、シオンの花はあの空き地とだいたい覚えている。今年になって、毎年きれいに手入れされて花が咲いていた庭や空き地にヨモギや雑草はたまた葛までが大きくのびているのを見かける。朝夕、雑草をとり庭や空き地で草むしりに余念のない人々が高齢か病気のために作業ができなくなっているように思う。尾花沢の親戚を訪れたとき、一家の働き主の病気で畑の草が腰まで伸びたときかされた時はたまらない寂しさを感じた。こんな光景を見て思い出すのは『源氏物語』「蓬生」の帖だ。

ヨモギが大きく伸び、荒廃した邸に住むのは光源氏の世話を受けていた末摘花だ。源氏は須磨に流滴して3年、末摘花の邸を訪れる人もなく、侍従たちも一人去り、二人去りという案配で邸の荒廃はもちろん庭の手入れもできず荒れ放題であった。兄の禅師が、京に来たとき立ち寄るのだが、生い茂った庭の雑草のを取ることに気が回らぬ人だった。台風で建物あちこちが壊れ、召使の住む胸は骨組みばかりというありさま。牧童たちは邸の庭で牛や馬を放し飼いにする始末。そんな荒れ果てた住まいで姫がすることは古い歌や物語の本を読むことぐらいであった。そうするうちに京に帰った源氏が、花散里を訪れる折り、近くの末摘花の邸を思い出し、従者に雑草の露払いをさせて分け入るようにして入ったのがこの邸であった。

源氏はあまたある女性のなかでさほど美貌でもない末摘花は源氏から忘れられがちの女性であった。この3年、荒れ果てた邸を思いやるでもなく、ひたすら源氏を待つ続けたことへ愛着を感じたのであろうか。またこの邸は賑わいを見せ離れた侍従たちも戻ってきた。手元に『源氏物語絵巻』(中央公論社)がある。その巻頭を飾るのが、「蓬生」の源氏と末摘花との再会の場面だ。崩れ落ちた簀子、御簾の影から声をかける老女、馬の鞭で蓬の露を払いながら源氏を先導する惟光。傘をさしかけられている狩衣姿の源氏。邸の荒廃と対比される源氏の気高さが絵のなかに浮かびあがっている。

今夜は台風の影響で明け方にかけて強い雨になるらしい。消滅しかかった台風だが、これを追うように11号が発生した。平年を平均気温で2℃以上も高い最も暑い8月が終わり、その影響を残す暑い9月が始まった。

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八月終る

2024年08月31日 | 日記
台風が四国、近畿あたりをゆっくり進むうちに八月が終わろうとしている。自民、立憲の党首選から総選挙へ。暑い夏が終わり熱い政治の季節が始まろうとしている。台風の中心の気圧が下がっているが、ここへ向けて吹き込んでくる湿った空気がまた恐ろしいほどの雨を降らそうとしている。八月が終わってもいtもの秋らしい季節がななかやってきそうにない。新しい月は長月というが、金田一春彦先生によれば長雨月からきている、とされている。ただでさえ九月は長雨が降るのに、台風の迷走で大雨が3日も続き、500㍉、700㍉という聞いたこともない雨量の雨になっている。先月新庄、酒田で降った雨が400㍉で驚いたのにたちまちこの雨量を凌駕してしまった。月を越えても台風はまだ東海のあたり。これから関東、東北で大雨が懸念される。

昨日、トウモロコシを買った。今年4回目になる。薄皮をつけてガスの魚焼きで回しながら5分ほど焼く。甘く香ばしい焼きトウモロコシは秋の定番だ。子どものころ炭火で焼いたトウモロコシは今も美味しいものとして記憶の底に残り続けている。『朝鮮詩集』から金尚鎔の「南に窓を」から

南に窓を切りませう
畑が少し
鍬で掘り
手鍬で草を取りませう。
 
雲の誘ひには乗りますまい
鳥のこゑは聞き法楽です
唐もろこしが熟れたら
食べにお出でなさい。

なぜ生きてるかって、
さあね。

少しばかりの畑に植えたのは豆。草取りの作業は、収穫を売るためにはどこでも必須だ。南に窓があるのは、秋から冬、太陽の恵みを得るにはなくてはならない知恵である。暑い夏も、あっという間に終わりに近づいた。
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